はてなキーワード: 賛否両論とは
学歴の話だと賛否両論があり、自分のブログに書く勇気が無いので増田に書く。
ココで言う大卒は「いわゆる名前が聞いた事がある大学」という意味で捕らえて欲しい。名前が聞いた事がない大学では、それほど就職に有利であるとは思えないので。
あと金銭的に大学に行けなかった人はいると思う。そういう人は除外。それと、いわゆるサラリーマンを選択するつもりが無い人も除外です。あらかじめご了承を。
・世間的に大卒が就職に有利であるのは周知の事実であるのに、高卒者は大卒を選ばなかったという事実
奨学金や学費免除があるので、大学を選ばない学生は多くは金銭的理由よりも学力的な問題が有って、大学を選んでいないと思っています。高校受験を経て大学で勉強をすると言う事は、様々な視野や考え方、視点を学ぶ事だと思っています。そういう力はサラリーマンになると非常に役立ちます。
逆に言うと高校・大学で真摯に勉強をしてない人は、そういう経験を経てない訳ですからやっぱり大卒者に劣ると言えます。もちろん、変な経験を持って無い分、頭が柔らかいというのはあると思うんだけども、その分、企業は高卒者に教育をしなくてはいけなくなります。このコストは結構大きいと考えます。
「大卒者が就職に有利」というのは世間では広く知られていると思う。きちんと就職したいなら、大学に行くべき。もちろん就職するつもりは無くても大学に行くべき。途中で就職したくなるかも知れないから。
理由はともかく、今の日本社会はそういう土壌なんだ、と把握出来ない時点で、やはり能力的に劣っていると思う。
色んな人と一緒に仕事をしてきた経験や、採用なんかを担当していて思うけれども、やっぱり仕事の処理能力と学力には一定の相関がある。もちろん例外もあるけれども、10%くらい誤差に過ぎないと思う。体感的に。そう考えるとはやり学歴を軸に採用した方が安心という側面はぬぐえない。フィルターとして効果的な訳だ。
と言う感じ。他にも色々とある気がするけれども、取り留めもなくなるのでこの辺りで。
元増田です。
なんだかすごく明るくて突き抜けたアドバイスを頂いたようで驚きつつとてもありがたく思っています。
相手に向けて直接表現する前に変換機をかます、といった感じでしょうか。
前向きな形に変換することで、今はただ無駄に漏れているエネルギーを有効に利用できれば確かに将来のためになりそう。
空元気・やせ我慢も貫きとおしているうちに本物になるという主義なので、頑張ればいずれ変換機をかます作業も呼吸をするレベルで出来るようになる…と信じたい。
とりあえずは偏執狂的な要素を隠しつつ、今まで自宅でしてばかりだったしホテルでセックスしてみようよと誘ってみた。
彼氏は割とノリノリです。
あとは口が裂けても動機を言わないことを頑張ろう…けっこう攻撃的な性分なので、気を抜くとつい本音をぶつけてしまいそうだからここが耐えどころなんだと思う。
それと、自分の書いたものにブコメとかついたの初めてでびっくりした。
アルファ増田ー(いるのか?そういうの)な人からしたら数えるにも足らない数なんだろうけど、賛否両論含めて丁寧に目を通しました。
気を紛らわすものを持ったほうがいいという意見は自分でもうすうす思っていたことなので、何か手を動かす系の趣味を持とうと思います。
あと、ヤンでないときは彼氏のことはすごく好きだし、仕事から帰るとお風呂を沸かしてくれていたり、大げさなくらい料理をおいしそうに食べてくれたり、些細なことだけど優しくしてもらっている実感はあります。
でも、本当に幸せ?大丈夫?と見知らぬ人が案じてくれたという事実は大事にしようと思います。
女増田さんも見てくれた人もありがとう。
丁度私が見た時には扶養控除、配偶者控除の廃止と子ども手当の特集を放送していた。
まぁ賛否両論あると思うけど(財源をきっちり確保できる力が民主党にあるのであれば、私は賛成である。)
驚いたのはその事について多くの人が感情で語っていることだ。
コメンテーターの一人は子どもを作れと金を渡すのが気に入らないとかほざく。
また、不妊治療中の専業主婦にまで取材に行って、自分たちは子どもができないのに云々かんぬんと言ったコメントまで引き出す始末。
あれじゃぁ世の中の子どものいない家族は全部反対みたいじゃないか。
あのなぁ、お前ら今の日本の年代別人口統計とか見たことあるのか?
見たことあるなら他の先進国のも見てみろ。ついでに30年後も見ろ。
分かったか?先進国であんな異常な偏りしてるのは日本だけだぞ。
今はもうそういう感情でものを言ってられる場合じゃねぇんだよ。
このまま少子化が進んでいったら日本という国の国力が弱まる。実際年金システムは確実に崩壊していってるだろ。
若い連中の少ない国が繁栄するなんてありえないんだよ。
子ども手当て、親がパチンコに使う?いいじゃねぇか。子どもを育てる親ってのは大変なんだよ。
単位が足りなくて留年するもの、留学する者、大学院に進むもの。
そんな中でも、就職できない人、大学院に合格できない人もいる。
そういう人たちに限って、社会を甘く見ている。あまったれてるんじゃないよ。
内々定を貰えない人、大学院に受からない人の両者に少なからず問題があるんじゃないかと思う。
その両者に言いたい。何か努力したのか?資格でも取ろうとしたのか?
前者に関して言えば、大学入学時点で同じスタートラインに立って、結局これだけの差が開いた。(ちなみに私は第一志望の大手企業から就職の内々定を貰っている。それなりの学業成績だし、資格も取った。)
この先、何十年と勤めようとする会社だ。第10志望だった。で、いいわけあるか。
これも自分になんらかの要素が足りなかった。
不景気という時代のせいにするな。
最終的には、前に記事になっていた72%の人が経済格差を感じるなんてことになるんだよ。
努力しろよ。なんでもかんでも社会のせいにしたり、国民の権利をふりかざすんじゃねぇ。
努力してダメならさらに努力しろとは言わない。(うつ病になるから。)それなら次の1手を合理的に考え効率的に動け。
■追記
トラックバックやブクマをしてコメントをくださった方々、どうもありがとうございます。
賛否両論、否の方が多いかな。頂いたコメントはすべて目を通しています。
もちろん、上記の考え方は多少なりとも歪んでいるというのも自覚しています。だからこそ、このようなスレを立てたのは、皆様から色々な考え方を聞きたかったからです。(感情論は抜きにして)
ちなみになにか試験なりで選出する以上、あらゆる壁があるのは事実です。性別、家庭環境、努力してもどうにもならないこと、色々だと思います。
しかし、私が言いたいのは自分が置かれた環境で、その問題および課題に対して最適解を見つけ、それを達成する努力をすることが大事であり、それを怠っておいて社会は不公平だと嘆く人が多いのではないかということです。そして私はそれをくだらないと思っていることです。
100人ほどは観客がいたであろうか、かなりの人が大道芸人を囲むようにしていた。
見物客は前の方の人たちは座って見物をしており、
私は座っている人ゾーンの後ろで立って見物をすることにした。彼女は私の前で座って見物。
そして、私のちょうど左前には高校生ぐらいと思われる女の子が立っていたのだが、
夏ということもあったのだろうか、なかなか際どいスカートを履いており、
紳士である私としては、チラ見で満足していた。
大道芸はかなりすばらしいもので、観客をグイグイ引き付ける魅力があった。
観客の視線は大道芸人に集中していたと思う。
しばらくすると、後ろの方から男がやってきた。
その男はグイグイと前の方に体を滑り込ませるように、無理矢理入り込んできた。
「お?なんだこいつ?」という多少違和感のある入り込み方だった。
私は最初、このおっさんはよほど大道芸人がみたいのだなあ と思っていたのだが、
手に持っていたトートバッグを前に突き出すような格好をしていた。
私の視線はトートバッグの中に吸い込まれ、赤色の光を目撃する。
バッグの中にはよくカメラについているような幅広?のストラップのようなものも確認できた。
最初は盗撮だとは気づかなかった。
その男はすぐに離脱し、後ろのほうに下がっていった。
トートバッグの中身が気になった私は、後ろを振り向いてその男を目で追った。
その男は、観客の最後尾でトートバッグの中に手を入れて、何か操作をしていた。
そこで私は気づく。
その男は撮影したもののチェックを行っていたのだ。
私は前に座っている私の彼女にかがみこんで「盗撮しているやつがいた」と報告。
彼女は「ええっ?」と狼狽していたのだが、
残念ながら盗撮されていたのはあなたではなくピチピチギャルだ。
この時点で私は盗撮は終わったのだと思っていたので、大道芸の見物を続行した。
その間、観客のポジショニング争いというか、上手く説明できないのだけれど、
立ち見の観客の移動が少しあり、ピチピチギャルはちょうど私の前の位置に来ていた。
その時彼女は座っての見物は止め、私の右横に立って見物していた。
そして性懲りもなく再びやつがやってきた。
私の前に無理矢理割り込んできたのだ。
恐らく満足のいく画が撮れていなかったのだろう。
今回はしっかりとバッグの中身を確認できた。
盗撮犯の存在を彼女に報告していたので、ここで何もしなければ男が廃る的な、
彼女の前でいい格好をしなければ、という考えが浮かんでは消え浮かんでは消え。
数秒考えた後、撮影を邪魔することを決意した。
とりあえずトートバッグを軽く蹴り、ブレブレの画にしてやろう作戦を決行。
これで、ピチピチギャルの下着は撮影は出来ても、ろくに見れたものでは無くなるはずだ。
この作戦により、男が撮影を諦めてくれる事を期待したのだが、男はその場を動かなかった。
盗撮がばれているのは気づかなかったのであろうか。
そこで私は非常に困った。
男がそれでいなくなってくれれば、最小限の努力で盗撮から女の子を守り、彼女にもいい格好を見せれたのだが、
男はまだ動かない。
私ははっきり言ってひ弱で、争いは好まず、事なかれ主事で、見た目は草食系でベッドの中だけ肉食系を自負しているのだ。
しかし、横には彼女がいる。これで何もしなければ幻滅されてしまうという恐怖があった。
私は再び決意する。
男の肩を2度叩く。
男は「前を遮るな」と後ろの観客に注意されたのでも思ったのか、ほんの少しだけ横に移動しただけで、撮影は続けていた。
仕方がないので、もう一度男の肩を叩く。
ここで、やっと男がきょどり始めた。首をグルングルン動かし、周りを確認し始める。
とりあえず私は「盗撮を見ていたぞ」と念を送りながら男をじっと見つめる。
私と目が合った男は、その場を離脱。
男は数メートル離れた所で大道芸の見物を続ける振りをしているが、まだ周りを気にして首をキョロキョロ。
私はまだ男から視線をそらさず、男を監視し続けたのだが、その時点で私の頭は真っ白。
捕まえたほうがよいのかとも考えたが、足がすくんで動ける自信がない。
というか私は足が悪いので、追いかける事が出来ない。
そして、周りの観客が大道芸を楽しんでいる空気を壊したらまずいなあ等ということも思ってしまう。
結局、再び私と目が合った盗撮男は、盗撮がばれていたのを悟ったのか、
そそくさと移動し、人ごみに消えていった。
私はもう大道芸を見る気は失せ、一部始終を見ていた彼女とその場を後にした。
彼女からは「あんたは良くやった」と慰めの言葉を頂き、彼氏としての面子は保てたようだが・・・
後から、ああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔の念がどんどん沸いてきた。
盗撮中にその男の耳元で「いい画がとれたら後で見せてくださいよ」とか言える余裕があればよかったのだけれど、
チキンな私は肩を叩いた後は完全に真っ白だった。
彼女からは、「もしあいつがナイフでも持ってたら刺されてたかもしれないぞ!」と言われ、
確かにそうだなあと思ったが、当時は全くそんな事を考える余裕はなかった。
今思えば、2回目の盗撮をしに来た時点で交番からお巡りさんを連れてくるのがベストだったのかなあとは思う。
そういえば盗撮されていた女の子には盗撮を知らせなかったなあ。
頭が働かなかった。
盗撮を目撃という時点でかなり動揺していたのです。
しかし、一番腹立たしいのは盗撮犯である。
私みたいな者にわかる様な盗撮をするんじゃない!と言ってやりたい。
賛否両論あると思うが。
今まで、自民党は、55年体制の下、経済政党、現実政党としての側面を示してきた。個別の政策には、賛否両論はあるが、このスタンス自体は非難されるべき点ではない。しかし、自民党にはもう一つの側面がある。それは、保守イデオロギーの体現者としての役割である。
私は、自民党が下野したことで、経済政党、現実政党としての側面が消失し、単なるイデオロギー政党になり下がることを懸念している。
自民党のセンセイ方の中には、勢い余って、単なる右翼と変わらないような主張をするときがある。中山成彬、安倍晋三、森喜朗など。「日教組の組織率が高いところは学力が低い」「美しい国」「日本は天皇を中心とする神の国」、彼らが繰り返してきた発言の背後には、現行憲法に対する苛立ちと、それに連動する、明治以降の近代日本において創造(かつ想像)された、余りにも素朴過ぎる国民国家観(領土、国民、国家が一つになって、国民は単一の存在として把握され、平準化されるべきだという国家像)が垣間見える。中曽根(父)が作成した改憲草案は、近代の産物であり、20世紀前半から中盤にかけて頂点に達した、「国民は一つであり、一つになるべきである」というイデオロギーを露呈している。そういえば、中曽根康弘って、「日本は単一民族である」と発言しているんだよな。書いていて今思い出した。
イデオロギーは、特定の支持者にとっては、ありがたいものである。しかも、一種の洗脳であるので、熱烈な支持を生み出す。妥協が許されない。イデオロギーは、対立する世界を認めない。そのイデオロギーを熱心に支持する者にとって、解は一つしかない以上、複数のイデオロギーの共存は難しい。したがって、論争が集結しない、世界観対立しか生み出さない。これには、なんの生産性もない。
個別政策に賛否はあるかもしれないが、経済政党、現実政党としての自民党は、それなりに評価すべきものがある。
民主党も、今回の選挙のマニュフェストが現実路線へ転換した、と言われているが、政権を担うに当たって、経済政党、現実政党としてのスタンスを取ることにしている様子。個別政策には異論がありうるが、このスタンス自体は、賛成すべき。
しかし、民主党は、参院の勢力構図上やむを得ないとはいえ、社民党と協力する道を選んだ。社民党は、上記の自民党のように、イデオロギー政党である。特定の支持者(絶対平和を愛する人たちなど)しか支持を集めることができない。これは、民主党の政権運営にとって致命的になる可能性がある。
特定のイデオロギーを熱烈に支持する人にとって、妥協は屈辱である。現実に合わせて、政況に合わせて、妥協を選択し続けると、支持が乖離する。これは村山内閣時に起きた、社会党離れである。
あまり知られていないことかもしれないが、成立した法案のほとんどは、自民党と民主党が成立に合意したものである。共産党は「民主党政権の建設的野党となる」とのたまっているが、全く違う。自民党政権の最大の建設的野党は、民主党である。民主党も、自民党の政策のほとんどに最終的には賛成している。政策を遂行する手段、方法には反対する時もあるが、政策の目的自体には賛成している。
はてなで最近人気を集めた「民主党に政権取られてしまいましたが・・・」のエントリ。http://anond.hatelabo.jp/20090906052539
これも法案のほとんどが自民、民主が合意したものであることを忘れている。いわゆるド派手な「対決」法案は、全体のわずか1割以下。年によっては片手で数える程度の時もある。今年の国会は選挙前なので対決ムードを演出したかった様子だが。むしろ、対立が多いのは、「自民党+民主党 vs 社民党+共産党」という構図。法案の成立に最後まで反対する社民、共産の拠り所は、現実ではなく、イデオロギー。
民主党は、思った以上に現実政党、経済政党である。確かに政権を担当していないため、自民党のセンセイ方の現実感覚よりは鈍いかもしれないが、それも程度の問題。今までずっと副委員長や書記の立場だった人が、委員長になる感じ。民主党には閣僚経験者もいるし、現実感覚は、それほど心配していない。2~3年経験を積めば、マシになると思っている。
むしろ、足を引っ張る可能性があるのは、左派イデオロギーの体現者たる社民党である。みずほちゃんが現実に合わせて妥協する態度をとると、社民党信者の支持が離れる。左派イデオロギーを貫徹すると、現実に合わない。民主党300超議席の前には、単なる幼女の我儘にしか映らない。
イデオロギーは単なる世界観対立しか生み出さない。現実の政治の前には優先順位は低い。民主党はそれが寄り合い所帯であるから、イデオロギーを前面に出すと党が瓦解することを知っている。そのため、実は、イデオロギー政党としての側面は、自民党よりも弱い。
下野した自民党は保守イデオロギーにこだわらず、建設的野党として、経済政策などに協力すべき。与党となったみずほちゃんは、現実の前に妥協を許さないイデオロギーを吐くべきではない。それが嫌なら、閣外協力か、共産党と同じ道を歩みなさい。私は、このように思っている。
なお、このエントリを読んで、私が反イデオロギーの立場に立っていると思われるた方へ。私は、多様な世界観が共存することを前提とした上で、政治はできる限り個人の世界観を抑圧も奨励もしない方が良いと思っています。個人が特定のイデオロギーを持つことは否定していません。
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遠山の金さんといえば庶民感覚で犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説のモデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。
お白砂には花吹雪舞う刺青の松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采をあびる。
江戸時代までは検非違使の伝統が息づいていた所為か警察、検察、司法が同じ行政機関で行われた。警察が逮捕し、検察が起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代の概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。
大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町と北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。
江戸時代を世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人が裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。
水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法の独立って概念を知っていたのかな。
そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律の風土が違う。
だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人の犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本に弁護士が少ない、と。
この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院。
そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人、傷害致死、放火、身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑か量刑か無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識が裁判官の常識を変えた例になった。
ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度が日本にうまれた。
左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。
議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員」制度の誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランス・チェイサー(救急車を追いかけて患者から事故の弁護士を成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラをでっち上げて日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。
だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。
第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。
第二に陪審員は買収されやすく誤審、冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員を黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。
第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。
▲上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明
細かな問題点はほかにも多々ある。
一、選挙管理委員会のリストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷の密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。
四、多数決で裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。
ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在の裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。
裁判員制度導入に賛成する保守の論客も意外に目立つ。代表選手はコラムニストの高山正之氏だ。
高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度に精通し日米の裁判に関連する著作も多い。
法律の解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知な裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。
ただし米国の陪審員制度といい、今度の日本の裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法の民主化などというお題目は寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。
通巻第2702号
ちまたで賛否両論、9割否定、と大変話題の雑誌「コミックギア」を購入いたしました。遅きに失した感がありますが、ここでダラダラと感想を述べさせていただきます。
このマンガ雑誌の特徴は、漫画家さんだけで雑誌を作っていく、ということ。互いに互いの作品に対してあーだこーだを繰り返して、各々が漫画製作に励むというわけです。では「編集者がいないのか」というと実はそうではなく、公式ブログによると「漫画家全員で意見を出し合って出来たネームを、まとめて編集者に見せる」という形をとっているようです。なんだか詐欺にあったような気がしますね。
まぁ、そんな作り方などどうでもよいのですよ、読者にとって。ようは、面白ければいいのです。とかく厳しいマンガの世界。あるものは巨万の富を得、またあるモノは借金まみれで放り出される。このマンガ砂漠で生き残れるのは、「面白いモノ」を描いたものだけなのです。あとのモノは砂漠にて自分のひり出しか糞を食いながら水分を補給するような人生を歩むだけなのです。
ちょっと言い過ぎのような気もしますが、とりあえず個々の作品の感想を述べさせていただきます。べんべん。
このマンガの凄いところは作者が頭蓋骨の奥に秘めた人類の宝物である脳味噌を一片も使った形跡がないことです。
「一挙2話、94ページ掲載!」と表紙に銘打ってありますが、94ページも使って進んだのは起承転結の「起」くらい。四コマで言えば一コマ目です。ヒロユキ氏は自作四コママンガ「ドージンワーク」がアニメ化されるほどの人気作家ですが、どうやら同じ手法でストーリーマンガを描こうとしているようです。画期的です。インディーズコミック(?)で活躍なさっている大橋浩之さんの作品に「音楽」というのがありますが、こちらのページ数は100ページほど。その100ページで1時間半の映画ほどのストーリーをやっておられる大橋氏に対してのこのプロの仕打ち。さすが、プロは違いますね。
あと、これはコミックギアに載っている全ての作品に言えることで、ほかでもさんざん指摘されていることですが、見開きや1ページぶちぬきが実に多い。通常、見開きなどというものは、一つにマンガ作品に一回くらいあればいい様なもの。それをヒロユキ氏は、とにかく乱発しまくっています。しかも、絵はうまいが構図が下手なので、全体的に書きこまれているのにスカスカ感を味わってしまいます。コップ一杯分のカルピスをドラム缶で薄めたような味わいが口の中に広がり、さわやかな水を飲んでいるかのような錯覚を味わってしまいます。カルピスなのに。二次元美少女にぶっかけるのに不可欠な白濁色はどこに行ったのでしょうか。
見開きと云うのは使いどころが難しいもので、例えば現在ビッグコミックスピリッツで連載されている花沢健吾著「アイアムアヒーロー」では、見開きが異常に多用されているシーンが出現します。しかし、スカスカでないどころか、迫力と恐怖がこれでもかというくらい倍増されている。また、「ディエン・ビン・フー」などで知られる大西大介さんも大ゴマ、見開きを多用する作家さんですが、こちらもそれらが見事に活かされています。要は使い方を誤らなければ連発してもよいのですが、ヒロユキ氏のそれは、先ほども言いましたように、「連発」ではなく「乱発」です。これが銃なら大変なことで、マイケル・ムーアにドキュメンタリーのネタを一本提供してしまうことでしょう。実に恐ろしい結果となります。
つまり、基本的なマンガの描き方をヒロユキ氏が一切把握していないどころか、そのことに対してなんら疑問も抱いていないのです。実に自信満々に作品を提供しておられる。ヒロユキ氏はインタビューで「自分がつまらないマンガを描くわけにはいかない」という旨の発言をしておられますが、残念ながら収録作品中、一番つまらなかったです。
ヒロユキ氏の作品をずいぶんと長く言及してしまいましたので、あとのは軽く流していきます。疲れてきましたので。
この「マシンガンソウル」という作品はダメな傭兵が主人公で、そいつが頑張る、という内容なのですが、こちらも絵はうまいのですが構図の取り方が下手です。79ページの一コマ目などは、あまりに下手過ぎて映画「デビルマン」のうんこ演技を思い出してしまいます。「おれ・・・でーもんになっちゃったよ~」とか「ぐわわぁぁ」とかいう、あれです。観ていない人はレンタルして後悔して下さい。
物語の途中で主人公は負傷した上官と、助けるべき人質を抱えて敵陣をひたすら疾走します。その猪突猛進ぶりや凄まじく、足を撃ち抜かれても崖から飛び降りても止まりませんし、最終的には頭突きで壁を打ち砕きます。その理由が、すべて主人公が持っている「根性」。凄いですね。「元気があれば何でもできる」という某アゴプロレスラーの名言を地でいくような主人公です。
しかし、やはり「根性だけでそんなことできるわけねーじゃん」的な思いを読者に抱かせてしまう。ここはひとつ、次回にて「実は主人公には謎の力があって、それを狙って謎の組織が…」と言った感じに、謎だらけな感じにしてしまうのはどうでしょうか。そうすれば何とか連載も続けられると思いますが、その前に雑誌が終わりそうな気もするので、やはりこのままでいいような気がします。
・若林稔弥著「大魔王ザキ」
よく作品を評価するのに「主人公にまるで共感できない」などと言った言葉をよく耳にしますが、主人公に共感できない=ダメ作品、というわけではないことを、ここに記しておきます。そもそもまるで主人公に共感できない作品など有史以来、大量に存在し、しかもそのうちの多くが評価を得ていることを考えれば、その一点でもって作品すべてを否定することなどできないはずです。映画「ドーベルマン」や山本英夫さんのマンガ「殺し屋1」など、どうしようもない人間ばかりでてきますが、高く評価されていることからも、そのことが判るというものでしょう。個人的な好き嫌いはともかくとして。
この作品「大魔王ザキ」もそうした「主人公に共感できない作品」の一つとして挙げられると思います。しかし残念なのは、作者がそのことを理解していないこと。読者に対して「こいつ(主人公)に共感して下さいねぇ~」と言った感じのオーラを放っています。「どうしようもない悪党が主人公なのに、最後はそいつに同情してほろりと涙してしまう」作品として映画「マーダー・ライドショー2/デビルズ・リジェクト」がありますが、これは実は高い演出力がないととてもじゃないけど出来ないことなのです。作者のじゅら氏はおそらく何も判らずにその壁にぶち当たって行った。結果、何も判らないまま崩れていったようです。素直に悪党は悪党にしておくか、最初から共感を得やすいような主人公にしておいた方が無難だったと思われます。
一つ疑問なのですが、物語のラスト。主人公の師匠は主人公を山から降ろさないようにしようと画策していたのに、なぜあっさりと降ろしてしまったのでしょう?「けがをして動けない」と言った描写もないですし(けがはしてるけど、日本の足で立っているのだから、止めることくらいは出来るはず)。どうせだったらベッドにでも縛り付けておけばよかったのではないかと思います。
怪物退治をする潔癖症な主人公とその使い魔のお話。どうでもいいけど、なんで扉に作者の名前がないのでしょうか。名無しですか。としゆきですか。覆面座談会でコミックギアの内情を暴露ですか。ぜひやっていただきたいところです。
ちょっとホラーな雰囲気を醸し出そうとしていますが、ものの見事に失敗しています。犬を吠えさせ、カラスを啼かせておけばアトモスフィアが形成されると思ったら大間違いなりよ、キテレツ。コロッケ食べたいなりよ、キテレツ。私、ボディーだけ病気なりよ、キテレツ。言いたいことが他の作品とかぶるので(コマ割りが下手、構図の取り方が下手、主人公に共感できない、それを作者が判っていない)、適当に埋めておきました。
あ!女の子が触手に襲われているのに、えっちぃ絵を描かなかったことは許せませんね!えっちぃのは嫌いか!金髪ぶってんじゃねぇ!俺は大好きなんだよ!えっちぃのも金髪もな!
・友吉著「GOOD GAME」
もう少し少ないページ数でまとめられたのではないかと思うのですが、ヒロユキ氏の作品に触れた後では、ちょうどいいような感じがしてしまいますから厄介ですね。もしかしたらヒロユキ氏は、他の作品を引き立てるためにわざとあのような作品をお描きになったのかもしれません。涙がちょちょぎれますね。嘘ですけど。
タイトルから林静一さんの「アグマと息子と食えない魂」を思い出してしまいましたが、全然関係ありませんでした。
柔らかくゆったりとした空気感を醸し出す絵柄に、ほんわかとした話。天野こずえさんの「ARIA」を想起させるような作風で、コミックギアの中では比較的読める作品に仕上がっております。「比較的」ですが。
途中で繰り出されるトリックの謎解きが、いまいちよく分かりませんでした。私がバカなせいでしょうか。いやいやまさか、そんなはずは…
女に振られたら死ぬ話。明らかな構成ミスが目立つ作品です。
主人公は心臓に病気を持っているらしく、女に振られるたびに激しい痛みに襲われます。主人公はそれを「失恋の痛みだ」と解釈していますが、いけませんね。異変を感じたらすぐさま病院に馳せ参じないと。手遅れで死ぬかもしれません。
主人公は友達の女性のことを「まさか俺に気があるのでは」と童貞丸出しな妄想で突進するのですが、実は彼女にはすでに恋人がいます。そのことが序盤で明らかになるものですから、主人公がその女友達に告白して振られることを読者は分かり切っている。それで引っ張るというのは、土台無理な話です。実は作者は「序盤で明らかにした」つもりはなく、「伏線を張った」つもりだったのかもしれませんが、だとしたら伏線の張り方が下手過ぎます。しかも、その女友達の彼氏は主人公の友達なのですが、その友達が最初にちょっと出ただけ。一回もアップになってないので、全然印象が薄いです。
物語の構成の仕方がまるで分かっていない作者だったのでした。いや、コミックギアは掲載作家全員で作品のネームを回し読み、意見を出し合っているのですから、むしろコミックギアの作家全員が物語の構成を分かってないといった方が正しいような気もしますが、私はとても心優しく繊細な人間なので、そのようなひどい事は言わないようにしておきます。罵詈雑言は、人の心を荒んだ物にしますからね。
いきなり盗賊の頭になった女の子の話。これも比較的読める作品だと思いますが(「比較的」、な)、これで連載はちょっと厳しいような気がします。個人的にはコミックギアの中で一番好きな作品なのですけどね。
カードゲームで闘う話。最近、テレビでアニメを観てますと「おれのターン!」とか「場に出ているカードをすべてケツに突っ込んでターンエンド!」とかそんな叫びばかり聞きます。流行ってるみたいですね、カードゲーム。
これもその流行に乗っかった作品なのでしょうが、「負けたい」人間と「勝ちたい人間」を闘わせて、それがうまくいかない、という展開は結構面白かったです。コマの使い方も比較的順当で(「比較的」、な)、読みやすかったのもポイント高し。そういえばポイントたかしさんって、まだエロマンガ描いてるんですか?結構好きだったんですけど。
ただ面白かった要素がこの一話で使い切られているような気がしますので、今後どうなるのか不安です。まぁ、コミックギアの今後の方が不安なのですが。
・総評
「プリンセスサマナー」と「アシュラ」と「アグマと息子と食えない魂」だけは他の雑誌に移行して、あとは全部打ち切り、廃刊でザッツオール、みたいな感じです。ヒロユキさんはコミックギアのために自腹を切って仕事場を借りたそうですが、競馬で負けたと思って、大人しく四コママンガを描いておいてください。うまくいけばまたアニメになるかもしれませんしね。知りませんけど。
しかし、ネットでの評判でシコタマ「ダメ」を喰らったこの雑誌。それによって世間では「コミックギア=面白くない雑誌」という見方が定着してしまったような気がします。一度そういう印象が付いてしまうと、次回でよほど頑張らないと挽回は不可能。次は11月に発売だそうですが、その頃にはどうなっているのか、とても楽しみです。
東名高速の復旧作業に関わるみなさん、おつかれさまです。
あなた方の頑張りに、広い意味での同業他社として、敬意を表します。
それにしても、クレーム対応としての「13日午前0時復旧を目指す」発言には、私は舌を巻いています。
2ch等々では「そりゃ無理だろ」「いやできるってんだからできるだろ田舎者」「現場を知る人と、文句を言うだけの官僚の違いだ」などと賛否両論が出ていますが、しかし今になって思えば、最初から誰も「13日午前0時」までに復旧できるなんて思ってなくて、クレーム対策のためにブチ上げた発言だったんじゃないかと思うのです。
だって、あのタイミングで「当分復旧は無理です。本格復旧には1~2カ月は必要です。いやマヂで。」なんてことを言えば、マスゴミと民間の双方から「高けぇ通行料と税金を取っておいて、どういうことだゴルァ!」という批判が集中しかねない。日本人の一般人の意識なんて、「突貫でできるなら、やればできるだろ。誠意を見せろ誠意を!」というものですから(←批判と皮肉含む)。
そこで、概算で無理な工期と分かっていても「いや、無理っす。」「やっぱ13日午前0時復旧目指します、昼夜突貫で。」と、少なくとも『誠意』を見せた。これで短期的には、マスゴミも一般人も納得する。
でも現実には無理な工期だから、そこを「いや、無理っす。」発言で含みを持たせたり、「天災だし、こんなに崩れてるし、現場も頑張ってるんだよ?」という報道映像で『誠意』を見せる。これで、中期的には数日の延期に耐えられる(←ただいま15日中に復旧見込み)。
長期的には、プロジェクトXよろしく、復旧までのまとめ映像で振り返ってもらって『誠意』を見せる。
しかしながら、プレス発表のやり方を間違えたり、あまりに工期が伸びると「見積りが甘い!これだから官僚は…」と批判されたり、もし台風・余震で二次災害が起きた場合には「突貫工事が正しかったのか?」などと批判される諸刃の剣。
これは記憶によってかかれたものであり、記憶違いが多数有ります。
以下引用
228 名前: no name :2007/12/03(月) 09:39:01 ID:uNwV3Plx
ずっと昔から
Hoi2のAARとPCゲーム板のスレには真性の粘着が生息して色々荒らしてまわってる
↓
閣下で世界征服はPCゲーム板のスレでも話題になり。その度に賛否両論で荒れていた
↓
↓
26日夜~27日朝
↓
27日昼
↓
27日夕
引用終わり
では時空列に当方が関わった部分、ちょっと遡ります
『Hoi2のAARとPCゲーム板のスレには真性の粘着が生息して色々荒らしてまわってる』
↓
2006年11月頃?旧hoi2wiki及び本家AARwiki(管理権移管前)においての諸処の状況に憤慨した名無しのROMがNEOAARwikiを立ち上げる。
『閣下で世界征服はPCゲーム板のスレでも話題になり。その度に賛否両論で荒れていた
↓
該当のスレをROMっていたが確かに希にあったと記憶。しばらくNEOAARwikiの管理に忙殺される。
『Hoi2AARにも閣下で世界征服が掲載されるようになった』
↓
[此処から随時推測と憶測が入ります。]米帝核の人のAARに端を発しての本家AARwiki(管理権移管前)が荒れる。
サーバー自体がその頃より不安定化し、又自体を憂いて2007年11月上旬頃に本家AARwiki(管理権移管前)の管理人さんに交渉し管理権譲渡してもらう。
それに伴い、サーバー移転を実施(NEO設置サーバーと同一の所にもう一個借りる)
移転前後、予想外の高アクセス・高負荷によりサーバー側よりお叱りを受ける。
この混乱の前後に何故か本家AARwiki(管理権移管後)の外部リンク?に掲載される…? (バックアップデータ等から見た限りでは確かに書き込んだ形跡有り)
『26日夜~27日朝
Hoi2AARが負荷で落ちた(前から負荷多いサイトだった)』
↓
記憶が確かならばこの時期に、サーバー移転を実施。さくら1.5Gタイプだったと記憶。
よって負荷落ちではなく、移転による一時的なアクセスシャットダウン状態だった筈。
『27日昼
↓
時期が前後しますが、本家AARwiki(管理権移管後)?に架空戦記紹介として米帝核の人のAARが紹介されていた。(確か個人のブログだった筈?)
『27日夕
↓
この前後、本家AARwiki移管後、様々な事態に直面し混乱していた為把握が遅れる。
興味がある人は、ドライアイス・冷たい飲み物・くじけない心・
アルバニアでイタリアに抵抗する心意気・ルクセンブルグでドイツに抵抗する心意気・チベットで世界制覇を試みる心意気ぐらいでどうぞ。
以上。これらの情報は適当に書かれたものかもしれないし、真偽性なんてむちゃくちゃです。
2008 11月某日に嫌気がさして逃亡したものが 唯一心残りにしているこの点についての 記録でした。
以下・どうでも良い怨嗟・愚痴入ります
業務連絡・2008・11
逃亡において管理権移転に関わる気がないにもかかわらず無断でftpにアクセスしていた人。
ログで把握している。
波風たてぬ為に黙っていたが、あえて言おう。
この○○野郎。
人の職業の貴賎についてまで言っていたのを把握。
ぁー後、今では結構使っている人も多いUTBを愚弄していたなぁ…
後、金も払ってないのにユーザー気取りしていたのも有りましたね
すみません。貴殿が忘れていても覚えいたりするんです。いつまでも深淵でわかった気になってれば良いと思うよ?
長なのってる人ー。いい加減○○で○○できたかなー?
いい年した○○が○○で○○な状態だと名前負けしてると思うから
いい加減にしやがった方が良いと思うよ?
『何もできない輩が多数いて、目障りだからと声高々に非難する輩がいて、
良質のAARは途切れそうだった。ただのROMでしたが立ち上げ良識有る人々のお陰でどうにかなりました。
堂々巡りの論理ですが、文句有る奴は己の理想を固持したものを作り上げれば良いと思うよ?
少なくとも当方はやった。固持した理想と現実に嫌気さして最後には逃げたがね。
荒らす目的のみで文句言ってる奴らはどちらが隔離されているのか良く立ち位置を見直した方が良い。
論議という名の神経衰弱戦やってる暇有ったら何度でもいつでもどのようにでも、新たなwikiなりなんなり
作り上げればいい。
お前の理想が万民に会ってれば人は流れ、恐らくお前が正しいことになる。
さあやってみせろ?』
謝辞・
始まりにしてきっかけとなった 兄貴に深くお詫びを。
注意・
推測・憶測で書かれている部分もあります。
諸注意・これから○○○をやろうとしてるひとむけ
○○Cの○組正確には…
ま、行けばわかるさたぶんね。
ねすきーなる人物の恐らく尻ぬぐいをさせられた人物
より既にさった場所に怨嗟と孤高感をそえて
「スーパーマリオギャラクシー2に深いストーリーは必要ない」発言や、英国でゲーム開発者のヒーロー第1位に選ばれるなど、E3後も話題の絶えない任天堂の宮本茂氏。今週、USA Todayの取材に対し、Wiiのゲームに今後搭載されるというヘルプ機能の存在を明らかにしました。
“Demo Play(仮称)”と呼ばれているこの機能は、New スーパーマリオブラザーズ Wiiで初めて導入される予定で、主にゲーム初心者のプレイを助けることを目的としたもの。プレイヤーがゲーム中で行き詰まりステージの先に進めなくなった際に、(コンピューター)が自動でそのステージをクリアしてくれるそうです。「今後他のゲームにも導入していく」と宮本氏は確認。
尚、この“Demo Play"と同一のものと見られる“Kind Code”なる商標が米国特許商標局に出願されているのが見つかっています。その登録内容によると、RPG系のゲームにおいて、DVDのチャプターのように好きな場面からゲームを開始したり、セーブデータをオンライン上に保存しておける機能などが検討されているようです。
こりゃ賛否両論になりそうだな。
ひとつひとつの感想が「これは良いものだ」という結論を元に、その理由を探しているような感想に見える。
どんなに良くしあげても、不祥事という背景がある以上絶対に賛否両論になるし、同時にそうあるべきだ。
ならば単純に考えて、番組を分析するなら「自分がどう思ったのか、どういう印象をうけたのか」を元に「自分はなぜそういう感想・印象になったのか?」という自分の感想の分析をするのが、せいぜい一番妥当な分析ラインだと思う。
感想について、映画や番組を分析したような文章に一番おおい間違いが「舞台裏を勝手に想像しだす」事だ。
キャストの信頼だとか、台本がどうだとか、綿密な打ち合わせとか、そういう所は考えても意味がない。
それは空想でしかないからだ。
「私は良い印象をうけた。それはおそらく、舞台裏での綿密な打ち合わせや台本や、キャストの信頼があるからであろう」なんて言い分は妄想でしかない。
番組構成のあり方についていうなら、不祥事の後の番組に「ふざけすぎてはいけないが、逆に真面目すぎてつまらなくするのもいけない」という所を思うのは、きっと一般的な常識を持っている人なら、誰でもそう思うんじゃないだろうか。
そもそも、不祥事の後の番組復帰を見る人は、ほとんどが「どういう様子で番組にでるんだろう? どのくらいふざけて、どのくらい真面目でいるんだろう?不祥事についてどのくらい突っ込むんだろう?」という所に、はじめっから注目しているんじゃないだろうか。
そこに注目する事はなんら特別な事ではない。みんなが思う事だ。これを身近に寄せて例えれば「誰かに怒られたり喧嘩したあと、どんな態度でいよう?ですぎるのもよくないし、ひっこみすぎるのもよくないよな」ぐらいの感じだ。
もちろん、その「ふざけ加減」「反省具合」に注目しても、そこに正解などない。
「不祥事の突っ込み具合」についても、特定の言葉が特別優れているなどと言えるはずがない。「二度目」というセリフが絶妙だ、なんていって両手をあげてベタ褒めしてるのはバカげてる。
結局グレーなものはグレーでしかない。それ以上でもそれ以下でもない。番組構成の一番の妙を褒めるなら、その「グレーさ」を、そのまま「グレー」に描いたところじゃないか。
と、辛らつに書いたが、別に妄想や、そういう個人的な感想が悪いと言いたかったわけじゃない。
この人の感想はこの人の感想であって、別にそれをなんら批判する余地などない。
オレも無造作に舞台裏を勝手に妄想してワクワクして楽しんでいるときがある。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7233711
大分予想外れた。
予想:http://anond.hatelabo.jp/20090528064313
このうちどれかが入るだろう、とか言ってたやつは大体まとめて全部入ってしまった。
今回の選曲方針が今までと大きく変わった(未収録曲のみ、アニメ・ゲーム系を抑えて東方・アイマス・ボカロ系多め)ので、当然過去曲予想はひどいことに。
以下個別。
……が、まさか消失やダブラリ、さらにはcelluloidまで入るとは思わなかった。
Do-daiってそんなに人気だったのか……。
しかし亡き王女の為のセプテットやBad appleも入るとは……。
地霊殿曲が一曲も入らないのが残念。
プレパレードやギアス、00の曲が入らなかったのは意外とまでは言わないがちょっと残念。
一方でけいおんが入ってたりするし……。
思いっきり外した。
カービィから出てくるってとこに言及したぐらい。
幾三。まあこれはあるよね。
smooooch、ゲッダン、Hello windowsあたりは一応合ってた。
ゆっくりでいいさやコミュニケーション・ブレイクダンスが入らなかったのが今回一番の意外。
次のメドレーでは入りそうな気がするな。
HEROESという枠では一応入ってはいるが、本編で一曲も入っていないので大外し。
すごく気が早いが来年の予想でもしてみよう。
今回未収録曲オンリーという選曲して賛否両論だったので、次回は揺り戻しをするんじゃないかなーと予想。
とはいえ、「未収録曲だけでもすばらしい作品ができる」ことはわかったので、新鮮さを優先してこの手法(未収録曲オンリー)を続けるのかもしれない。
アニメ曲については難しいところ。
著作権的な問題を意識せざるを得ないわけだし、第一アニメの映像や音声を加工した動画が出回らない以上ボカロや東方・アイマスが上位を占めるランキングに食い込むことができないということを考えると、今後もアニメ曲少な目の傾向は続くのかもしれない。
横だけど、「クオリティによって」線引きをするべきではないという意見には同意。
あと単純に「陵辱」が含まれているから全部NGにするべきだというのももちろん反対。
「ボーイズドントクライ」とか「グラントリノ」とか「告発の行方」とか明確に反陵辱の立場のものを一緒くたにするのは頭悪いと思う。
「コンクリート」あたりがグレーゾーンとして賛否両論になるのは分かる。
でも表現の自由を声高に主張する人って、どうも実際に被害にあってる人への配慮が足りない感があるな。
万引きを楽しむゲームがたとえ18禁扱いでも何千本も流通してたとしたら実際に万引きに悩まされてる店舗経営者は絶対いい気分はしないだろうし。
痴漢に仕立て上げて人生終らせるゲームは、実際に痴漢冤罪の被害を蒙った人から見たら殺意を覚えるレベルなんじゃないの?
「それでも表現の自由は守られるべきだ」OK。
他人にそんだけの不快感を強いている鬼畜だという自覚を持って主張してるなら、筋が通ってると思うよ。
でもなんか傍から見てると、自分は同じように不快感を強いられるようなものに囲まれる可能性はないから強いことが言えてるように見えるんだよね。
知人は、結婚式に命を懸けたような人だった。
式場の予約をしてからの、ドレスや料理の選定、引き出物…etcetc
ほぼ一年間、その日の為に土日を費やした(旦那談)
結婚式当日、手伝いに呼ばれて花嫁実家にいったら、花嫁が部屋から出てこない。
時間ぎりぎりに出てきた顔は蒼白&超不機嫌。
その理由が「ブーケ」だった。
生花だから持たない為、前日花を仕入れてきて、夜を徹して制作。
白&色ドレス&お色直しのそれぞれに合わせて3つも。
糖分不足なのか、式場までずーーーっと眉間にしわよせたままの花嫁。
何時もは多弁なのに、ほとんど喋らない。
が、式場で、担当のおねーさんと最終調整の打ち合わせをしていた時、急に怒号が。
「ブーケトスはやらないって言ってあったじゃないですか!
このブーケを私がどれだけ苦労して作ったと思ってるんですか!」
早い時間だから、ほぼ身内+手伝い陣営しかいなかったけど妙な空気が。
花嫁の身内がこそっと耳打ちしてくれた。
ブーケに合わせてドレスを変更したほどの入れ込み様だそうだ。
式が始まった途端、何時もの完璧笑顔でそつなくこなす花嫁に脱帽。
さすが一年間費やしただけある。
司会のお姉さんがブーケを三回とも褒めまくっていた姿が妙に必死だった。
ブーケトスが盛込まれるべき箇所では
「”大変”苦労して作った”大切”なブーケですので、
ブーケトスはせず、ブリーズフラワーにして記念にするそうです」
とアナウンス。
当初はなんか凄すぎな感がなかった訳でもないけれど、
ポイっと投げられては賛否両論なブーケよりも、なんか好感が持てるかもしれない。
※一応追記
自由度が高いと勧められてfallout3を買った。
確かに良くできているとは思う。が、個人的にこれを自由度が高いと言いたくはない。
理由としては3つ、
・選択肢の幅は広いが、それに対する回答が用意されているだけ
・自分の選択が遠くに波及しない
・人間が復活しない
ということ。
1つ目はよくある話なんだけど、選択肢がその直後ぐらいにしか影響しない。
こういう形式をやるなら、せめて全部の選択肢に「無言で撃つ」ぐらい欲しいところ。
2つ目が何だかんだで一番気に食わない点。
自分で選んだ選択の効果が感じられない。
「あ~、あのときあれを選んでなければ」ってのが欲しい。
3つ目は賛否両論あるとは思うけど、ゲームなのに遊びで殺せないってのは嫌だな。
せっかくいろいろ動けるんだから、GTAみたいに面白く遊びで殺せるシステムにして欲しかった。
まぁ、これをやると全然ゲーム別物になるから、やらなくても良いけど。
結局、個人的には自由度が高いというからには、
ルールを用意してその中で自由に遊べるぐらいにして欲しい。
はてな住民の格好のサンプル対象として生きてきてまいりました。
さてどこから話そうか。
意外と体力よりも経験がものを言う仕事なので基本給は上がるがやはり体力が続かなくなっている以上将来のことは不安。
新車でアルファードを買うのが夢。
発育だけはよかったのか、勉強とスポーツは何をしてもたいした苦労もせずにいつも一位。
努力とか工夫とかが馬鹿らしくなるが、どれだけ手抜きしても周りがついてきてないので常にお山の大将状態。
モテた。
ただひたすらモテた。
ただし、何故か極度に人間嫌いなので群れるのが嫌いで孤立しまくっていた。
ガンプラとかキン消しとかビックリマンとかミニ四駆とか、そういうのに全く興味もなかったのでただひたすら一人でマンガ書いたりして遊んでた。
頭が良いこと、けんかが強いこと、度胸がすわってること、絵がうまいこと、モテること、がうけたのか、なぜか勝手に地元ヤンキーのてっぺんに。
仕事帰りの地元の駅で俺の名前の旗を持った見知らぬヤンキーたちが毎晩整列して挨拶するのが嫌で仕方なかった。
自分は仕事が終わってひとりTRPGに興じるのが唯一の楽しみ。
あと休日にジャンプとヤンマガ買い込んでガストのドリンクバーで読みふけるのが娯楽だった。
オタクと接触を試みるも、アニメとかよくわからんので結局孤立。
数少ないヤンキー仲間も当時はバブル絶頂期だったため、自分の数少ない楽しみであるクラブ遊びさえもまだ理解されていなかったので孤立。
って答えが返ってくればまだ優秀な方で、本気でクラブミュージックに浸りたいと思ったら米軍基地まで足を伸ばさなければいけない、そんな時代だった
(そしてたびたび米兵とトラブルになった)。
群れないでアウトサイダー的な生き方をするためには、どうしても他人に対して「威嚇」するような風体をしている必要はあった。
皆さんも日常で中高生の「ヤンキー」に出会ってその格好の滑稽さに吹き出しそうになることも多いと思うが、
10代の頃の僕は社会的に何も出来なかったのでどうしても「社会を圧倒する何か」を手っ取り早く風体で手に入れる必要があった。
僕は極度に人間嫌いなので群れることはなかったが、そのロジックは理解できる。
社会的に無力な人間たちが、群れて、コミュニティを形成して、「社会を脅かす」要するに周りをビビらせる為のコスチュームが必要だと言うことを。
どうせ彼らは社会に対して歩み寄りはしないのだから、いくら社会が「マナーがどうのこうの」と言っても無駄だ。
彼らは彼らなりの社会を形成するコミュニティーを編み出しており、その中では「舐められたら終わり」である以上、社会が眉をひそめる行為こそが美徳なのだ。
て、ここまで書いて酔いが回ってきたので挫折。
ああ、結局何がしたいんだろうな。俺。
ヤンキーのロジックをヤンキーの立場で解明したかったのは確かだけど、結局群れてるヤンキーの気持ちは俺にもわかんねーし。
非モテや派遣、その他いろいろな社会的弱者が情報を提供できる可能性があるのがネットなのだとしたら、ヤンキーの行動原理をヤンキーの立場としてロジカルに説明できる場があっても(そしてそれが賛否両論分かれたとしても)面白いんでないかな?と思ったのだけど、僕はここで力尽きました。
結局オッサンの酒の上での話の「俺は昔ヤンキーやった」的自慢話から脱却できなかったのが残念至極。
http://www.asahi.com/national/update/0427/TKY200904260151.html
ゲームソフト会社のコナミデジタルエンタテインメント(コナミ)が、04年11月にイラクのファルージャで一般市民など2千人以上の犠牲者を出した米軍の戦闘を疑似体験できるコンピューターゲームの商品化を検討していたことがわかった。今月初め、同社の米現地法人が来年以降の製品として発表したが、米国などで批判が続出。同社は「扱わないことを決めた」という。
昔、「お前らアメリカ人にとっての『戦争』って、遠い外国でイスラム教徒を一方的に殺すことだもんなあ」と何気なくチャットで発言したら賛否両論の大激論になってこっそり退散した甘酸っぱい思い出がよみがえった。
自分は,出版物やネットで意見を主張している人に対して思うことがある.
私は,興味のあることについて知識を深めたいと考えている.
そのために,たまに本を読んだりする.
本を読めば,ある程度正しそうなことが書かれている.
実際,全部ではないにしろ,正しい内容が書かれているはずだ.
それらを読むことで,自分の知識を少しずつ増やせることは良いことだと思う.
取捨選択の判断に掛かるコストを削減できるのだ.ありがたいと感じる.
レビューにも,様々な種類があり,
理由もなく評価を与えるレビューもあれば,
これこれこういう理由でこの評価を与える,というレビューもある.
前者はあまり参考にしない.
私が納得できる理由で,私が納得できる評価をしているレビューは,
私にとって好ましいレビューであり,私の知識を深めてくれる手助けになると思うからだ.
ここでは,ある書籍Pについて書かれたレビューについて話をする.
私は,Pは,自分が知らなかった知識を記述していたので,個人的には良書だと考えている.
Pを糞扱いするレビューもあれば,Pを持ち上げるレビューもある.
ここで,少し気になることがある.
どちらのレビューも,ある程度正しそうな理由を述べた上で
肯定,否定の評価を下しているのだが,
理由の根拠が見つからないのだ.
例えば,
「AはBではない.だから,AはBであると書いているこの書籍は間違いである.よって,この書籍は読むに値しない」
という否定的な意見があるとする.
でも,「AはBではない」という理由の根拠が書かれていないものが多いのだ.
もちろん,「AはBではない」ということが自明である場合にはそれでよいのだが,
自明でない(少なくとも自分には自明ではないと感じる)場合には,どの意見を参考にすればよいのか分からないのだ.
特に,「オブジェクト指向」みたいな概念的(私はそう感じる)なテーマを扱う場合にはそう感じることが多い.
「〇〇という有名な書籍に書かれていたので,「AはBではない」という意見が正しいのである」
と主張する人もいる.
でも,その〇〇という書籍にも間違いがあるかもしれない.
このとき,レビューに書かれた評価の理由の根拠が正しいと,私はどうやって判断すればよいのだろう.
もちろん,このことは肯定的なレビューについても言える.
肯定的な評価の根拠もまた,正しいかどうか私には判断できないのだ.
勝谷誠彦が「『流産させる会』というネーミングをつけなければ、どこの学校でも多少ある。わざわざ騒ぎたてるほどのことでない」とコメントをした。
この時点で、すでにモラル云々の問題ではないのだが・・・勝谷氏のコメントはTVでするようなふさわしいコメントではないだろう。
勝谷氏のコメントからすれば、物騒なネーミングさえついていなければどこの学校にも殺人行為を企てるような事はあるらしい。
こうして明るみに出てきた事を騒ぎ立てるほどの事ではないと言うのだ。
では、殺人が起きた後に騒ぎ立てろというのだろうか?
違うだろう、おそらく勝谷氏という人物は他人事であるから「この程度」としか認識していないのだろう。
まぁ、以前より勝谷氏は無様な事している事もありネット上でも賛否両論だ。
今回のようにモラル低下を自分からさらけ出している所を見れば、いずれまた同じようなコメントを曝すのだろう。
とりあえずは「流産させる会」を作った犯罪者の候補生と「どこの学校でも多少ある」とコメントする勝谷氏で
一度モラルについて考えて欲しい所だ。