自分は,出版物やネットで意見を主張している人に対して思うことがある.
私は,興味のあることについて知識を深めたいと考えている.
そのために,たまに本を読んだりする.
本を読めば,ある程度正しそうなことが書かれている.
実際,全部ではないにしろ,正しい内容が書かれているはずだ.
それらを読むことで,自分の知識を少しずつ増やせることは良いことだと思う.
取捨選択の判断に掛かるコストを削減できるのだ.ありがたいと感じる.
レビューにも,様々な種類があり,
理由もなく評価を与えるレビューもあれば,
これこれこういう理由でこの評価を与える,というレビューもある.
前者はあまり参考にしない.
私が納得できる理由で,私が納得できる評価をしているレビューは,
私にとって好ましいレビューであり,私の知識を深めてくれる手助けになると思うからだ.
ここでは,ある書籍Pについて書かれたレビューについて話をする.
私は,Pは,自分が知らなかった知識を記述していたので,個人的には良書だと考えている.
Pを糞扱いするレビューもあれば,Pを持ち上げるレビューもある.
ここで,少し気になることがある.
どちらのレビューも,ある程度正しそうな理由を述べた上で
肯定,否定の評価を下しているのだが,
理由の根拠が見つからないのだ.
例えば,
「AはBではない.だから,AはBであると書いているこの書籍は間違いである.よって,この書籍は読むに値しない」
という否定的な意見があるとする.
でも,「AはBではない」という理由の根拠が書かれていないものが多いのだ.
もちろん,「AはBではない」ということが自明である場合にはそれでよいのだが,
自明でない(少なくとも自分には自明ではないと感じる)場合には,どの意見を参考にすればよいのか分からないのだ.
特に,「オブジェクト指向」みたいな概念的(私はそう感じる)なテーマを扱う場合にはそう感じることが多い.
「〇〇という有名な書籍に書かれていたので,「AはBではない」という意見が正しいのである」
と主張する人もいる.
でも,その〇〇という書籍にも間違いがあるかもしれない.
このとき,レビューに書かれた評価の理由の根拠が正しいと,私はどうやって判断すればよいのだろう.
もちろん,このことは肯定的なレビューについても言える.
肯定的な評価の根拠もまた,正しいかどうか私には判断できないのだ.