はてなキーワード: 平均台とは
http://anond.hatelabo.jp/20141112152000
たぶんこのときの「某私立」に子供が受かって転園(from保育園)した。2年保育のみ。
そんな子供の保育中の様子を見る機会があった。
ひとりで遊んでいた。
入園したとき、もともと知っている子が一人だけいて最初はよくその子と一緒にいたけど、
その子は社交性が高くて、ほかの子にも積極的に声をかけて遊んでいる。
娘はなかなか声をかけられないタイプだ。
雲梯に座って、ほかの子たちがきゃいきゃいと遊んでいるところをぼんやりとみている。
雲梯につかまってぶらぶらしたり、横の平均台を渡ったり。
同じところで遊んでいる子はほかにもいるけど、その子達と会話する様子はない。
たくさんいるなかで、一人。
あの状況、よくわかる。声をかけようか、でもなんとなく声をかけられない。
一人でも遊べるけど、できればほかの子と一緒に遊びたい。
変なところが親に似てしまった。
さて、どうしてあげたらいいのだろう。
http://sololife.jp/article/1141
これを読んで思ったこと、思い出したこと。
僕は完璧な無邪気さの記憶を持っている。僕が邪気を身につけたのは5歳くらいの頃。
それまでの僕は序列という概念を欠いていて、他者と自分を比較することを知らず、自分の位置づけを把握することも知らなかった。
もしかしたら他者と自分の区別すら怪しいということになるだろうか。そういう無邪気の源泉、無垢さだったと思う。
おそらく大抵の場合では、5人子どもがいれば5人ともウルトラマンになりたがるもので、
それでは成立しないから誰かが怪獣役になるわけだけど、僕はそこに対して何の違和感を感じることなく怪獣役をやっていたらしい。
怪獣役をやらされたとか、本当はウルトラマンになりたかったという記憶は全くないので、おそらく怪獣役が惨めであってウルトラマンが偉い等とは思わなかったんだろう。
きっと自分の立ち位置を思う視点に欠いていて、ウルトラマンごっこをウルトラマンごっことして楽しんでいたんだと思う。
皆がやりたがらない怪獣役をやった(またはやらされた)僕という立ち位置を把握したのは、そこから数年後のこと。
幼稚園の途中で地方に引っ越した時に皆が書いてくれた寄せ書きを読み返した時のことだ。
幼稚園児の汚い文字で「ウルトラマンごっこでかいじゆうになってくれてありがとう」と書かれていたものを読んでからだ。
これを読んだ時に初めて「そうか僕は怪獣役をやっていたんだっけか」と思った。
別な話。
同じ幼稚園の運動会で、網をくぐって平均台の上を走るだけの障害物競争に出た時の話。
最初の網の下で皆がモタモタと絡まっている中、僕は軽快に網をくぐってぶっちぎりの一位で平均台にさしかかった。
ふと振り返ると、一緒にくるはずの皆が来ない。
「止まっちゃダメ!はやくはやく!」などと観客の声は聞いた。しかし皆が来ないのになぜ僕だけが走り去らなきゃならないのかと思った。
競争の意味をまったく理解しておらず、皆が来るのを待ち、次々と平均台の上を走る園児全員を見送って最後に平均台を渡った。
ゴールにたどり着く順序がそんなに重大なものであるとはつゆとも思わなかった。
運動会の後、母親に「せっかく一番だったのにどうして止まっちゃったの?」と聞かれたが、何を聞かれているのかすら
全く理解が出来なかった。失策をしたらしいが、何が悪かったのか、その時は見当もつかなかった。
そのあたりの無垢さを失ったのは、地方に引っ越した先で入った幼稚園でのこと。
方言のきつい地域だったせいで、まず同じ園児が何を言っているか半分くらいしか理解できなかった。
同じ言葉を話せないことで僕は明らかに異質な存在として浮いてしまった。
たぶんからかわれたことも悲しかったのだけど、それよりも人と人には違いや優劣があって、しかも
あの時なぜ泣いたか、今ならこうやって表現出来るのだけど、あの時は自分がなぜ泣いているのかも
僕の邪気の起源を思い返すことでこういう話にたどり着いた。
他人との比較を知らないような、そんな無垢さを失うことは仕方のない事で、
大人になった今となっては無垢な部分など残っていてはむしろ邪魔であるとすら思う。
以下、飛躍したまとめ。
25年前のおれよ。お前はよく頑張った。
お前のその経験は、お前の心を豊かにして、お前を優しい大人に育ててくれた。あの時よくそこで踏みとどまった。他の誰も知らないことだけど、おれが一番良く知っている。
だからおれが誰よりも褒めてやる。
家から一歩も家を出ず辞書を読むのが好きだったお前だからできたことだ。それが「柳に雪折れなし」という言葉だ。
この言葉が、世の中に負けまいとがむしゃらに理論武装してますます自分を追い込んでしまったお前を救ってくる。
流れに流されるでもなく流れを押し返すでもなく、受け入れて受け流す。柔軟なもののほうが剛直なものより耐える力があるということを知るんだ。
逆を返せば、剛直なものがいつ割れるかもわからない危うい存在であることも知る。いじめる側の人間も、実は弱い人間だということを知るんだ。
その後しばらくして、もう一つの言葉、「水は高きより低きに流れ」という言葉にも出会う。上善如水といったほうが馴染みがあるかもしれない。
物事は全て下へ下へと流れてくる。低きにいることは決して悪いことではないのだ。高くに上り詰めることに疑問をもっていたお前に、それが間違いではなかったことを気づかせてくれた言葉だ。
水はすごいぞ。
どんな姿にも形を変え、人の生活を豊かにする。その実、一度暴れ始めれば人の力ではどうすることもできないほどの力を持っている。
固く閉じこもる必要はない。そのことがむしろ自らを危うい存在に追い込んでいるとしたら、お前はもっといい加減でいいんだ。
それでもお前は、そのあともいやというほどの苦労をする。
あの頃のお前は選んでいるようで流される生き方をして後悔をしていた。良からぬ方向に知らず知らずのうちに進んでいたんだ。
でも心配するな。それがあったからこそ、お前は「中道」という言葉の意味を正しく理解することができる。「中道」とは、何事も偏りがないことが理想だということだ。あの頃のお前は、生まれた環境が特異だったせいで、この言葉を信じ普通でいよう努力していたはずだ。
ところで、平均台の上を歩くことを想像してみてほしい。両の手を閉じて歩くのと、広げて歩くのとではどちらがバランスを取りやすいだろうか。
当然手を広げたほうがバランスは取りやすいのだ。つまりは、狭い見識や経験ではバランスよく歩くことは難しいということだ。
極端な考えや生き方は悪いものではない。極端だと感じたら戻ってくればいいのだ。そうして極端な考えや生き方をしたもののみが、両の手を広く広げるかのように安定したバランスを養うことができるのだ。
誰に遠慮する必要もない。お前はもっと大胆に、もっといい加減に生きていいんだ。
他人は自分の都合に合わせて人を褒めてくるから気をつけろ。褒められなくても気にするな。褒められても喜ぶのはほどほどでいい。
つまらぬ衝動で人を傷つけてしまうだろう。それを許してもらえなくても気にするな。最善を尽くしたなら、あとは相手に事情があるんだ。
疲れたら休め。少しくらい逃げでもいい。それで力がたまったらまた頑張ればいい。
そうして頑張ったなら他でもないおれが褒めてやる。
大丈夫だ。諦めずに探していればいつか必ず見つけられる。
努力全てが実るとは限らないが、今のおれは少なくともお前の努力の結果でここに立っている。
心配するな。あの時のお前は今のおれにこれほどまでに愛されている。