まだ、資本主義と共産主義が対立概念としてあった頃、構造主義っていうのは相当愉快な発明だったんだろうな。
アタマの宜しい人々が、その新発明を使って「あんなことも考えられる、こんなことも考える材料になる!」
とかやってたんだろうと推察され、樹様と同じく、うらやましいと感じる。
別に共産主義的なるものが良いとか悪いとか、資本主義は悪魔だ、とか、そういうことではなく、
私達は今「お金」にまつわる世界の動き方(≒資本主義)に対して、
持ち重りのするような、面白そうな対立軸を立てることが出来ていないのかなと。
別に、対立させなくても良いといえばいいんだけど、資本主義の方も、一人ぼっちじゃ詰まらないだろうし。
エコとかとか言っても、”対立”している風はあんまり無さそうだ。
”資本主義的なるもの”が高度に発達して、というかその本領を発揮して、
『全てが経済価値に換算できる』=すなわち、全ての事象は資本主義(市場原理主義というか)の名の下に抽象化される。
ということは、お金以外の抽象物を発明しなくちゃいけないってことかしら。
神様とかは出来れば勘弁してもらいたいところだしなぁ。
久しぶりにちょっと考えたら、もともと足りない脳みそが追いつかないのでそろそろ止めるけど。
なんとなく、経済価値に換算すると納得できてしまう、ということが多すぎるので、ちょっと不満なのだ。
だれか、面白いこと発明してくれないかな。