内田樹先生の日教組の”影響”と言論の自由についてで思ったんだが
先天的才能や後天的な努力や「もののはずみ」でその影響が簡単に払拭しうるものであるならば、日教組のイデオロギー的バイアスは論ずるに足るほどの力を持っていなかったということになる。
とりあえずその場にいた全員は自分たちは「日教組の教育」からまったく影響を受けていないということを前提にしゃべっていた。
私はその前提でよろしいかと思う。
これが正しいとすれば例えば小学校の道徳の授業で水伝を教えても、「水伝を教えるダメな授業」を受けた“全て”の子供の科学知識が致命的に損なわれて支離滅裂になるとは考えづらいので、影響を簡単に払拭できるからかまわないってことになる。
理科の授業で教えるのはさすがにまずい気がするけど、ビリーバーの素質が高い人以外は中学高校と進んでいくうちに明らかに間違いだと分かるので、影響を簡単に払拭できるとも言える。
これってやっぱりちょっと変じゃないか?