はてなキーワード: プゲラとは
必ず全員には賛同されない(~~内は飛ばせ)
~~~~~
「生きてれば必ず良いことあるよ」と何も考えてない風に言ってのける
「他に解決する方法がある」と適当に言う
「若い頃は誰でもそう言うことを考えるものだ」と矮小化する
「倫理的でない、親や周りの人に申し訳ないの?」と問題をすり替える
だけど、だけど、だけど
「死ぬ事は原因療法」に変わりはないんだよー・・・といつも思う
「そんな事をあなたは言うけど、死ねないじゃん、矛盾しすぎプゲラw チキン乙www」
うっさいよ、そんなの分かってるよ理想論だよ
「死にたい言うくせに構って貰いたがったり、物欲性欲あったりして欲まみれってなんか変じゃね?上手く言えんが」
「本当は嫌じゃない」とかが半分あるのも気持ち悪いんだよボケ
「で、結局逃げなんでしょ?たらたら理屈垂らして、論理的に見せかけて現実から逃げてるだけじゃん卑怯者 何が理性的だ」
その通りだよ 論理的であろうとする事にも疲れたんだよ
意思の疎通が、自分の思考が、膨大な要因で正確性を落としていくことに我慢できない
あらゆる問題は山済みで、他者と共有する事も出来ず、解決の為の手段は見つからず、手段を探す手段もなく、蓄積されて負荷となる
こういう事を含めたあらゆるメタな部分でさえ制御できない要因が歪みを与えてると感じ
「ああ、もう何もかもは歪んで、何もかもは何にもならない」と思って
それならばと、感じたそのままを伝えようとするも、さらに歪んで
そして「多くの人の目に止まる場所に書けば誰かが・・・」と思っても
「この文読み返してみたけど、自分だったら全部読まないで他の読むなぁ」と感じ
「ああ、もうどうしようもないんだ」と感じた時
~~~~
「死ぬ事で、あらゆる問題は解決する」
なぜなら、考えたり観測する主体が存在しなければ、考えられたり観測されるものは存在しないと同じだからだ
「死んでも意識と記憶が残ってたらどうするの、天国とかあの世とか」って問題があるが
「ああ、願わくば魂的な物など存在しませんように」と毎日願いながら
外国人の選挙権導入は憲法に違反する
長尾 一紘/中央大学法学部教授
専門分野 憲法学この度の原稿依頼をうけて、二つ返事で承知しました。民主党が国会に提出しようとしている法案が憲法に明らかに違反するものであり、しかも日本の安全保障に重大な害を与える危険な法案であるからです。
国政と地方政治の区別
外国人の地方選挙権の問題につきましては、学説はこれを認めてもよいとする見解(許容説)と、これを導入すれば憲法に違反するとする見解(禁止説)があります。私はこの度この問題について論文を書いて、これまでとってきた許容説が誤りであることを認め、禁止説が正しいということを明らかにしようとしました。なぜ学説を変える必要があったのか。この点について述べることにしたいと思います。学説変更が個人的な心境の変化などではなく、日本の位置する国際環境の変化、そして日本人の国家意識の欠如の認識にもとづくものであるからです。
もともと、国政選挙は許されないが、地方選挙ならば許されるとの見解(許容説)は、国政と地方との切り離しが可能であることを前提としています。ところが、この数年の間にこの切り離しができないことが常態になっています。
在日の二重の選挙権
まず日韓問題をみることにしましょう。昨年2月に韓国では選挙法が改正され、在日の方々は、日本にいながらにして大統領選挙、そして国会議員比例選挙の投票権をもつようになりました。そして韓国内で居住申告をすれば、国会議員選挙区選挙の投票権のみならず、地方選挙の選挙権、被選挙権をももちうることになりました。しかも、居住申告は、日本における住民登録をそのままにして行うことができます。永住資格を失うことなく居住申告ができるのです。現在居住申告者の数は6万人を超えるといわれております。このようなことは、在日の方々が韓国の国民である以上喜ぶべきことであると思います。しかし、日本の選挙についても選挙権をもつということになると、話はまったく別になります。在日の方々は、二重の選挙権をもち、日本の一般国民よりも、より高い有利な地位に立つことになります。これよりも重要なことは、忠誠の問題です。
過ぎたるは及ばざるがごとし
韓国政府は、選挙対策上も、日本に対して強い態度をとらざるをえないのが実情です。いずれ、対馬問題が日韓の重要な外交問題に浮上するものと思われます。北方領土や竹島、尖閣諸島などの問題で、日本領土であることはまったく明白な事実であるにもかかわらず、常に後退を繰り返してきた歴代政府の失政のつけが回ってきました。ついでにいえば、対馬のつぎは、沖縄ではないかとの声も聴かれます。日韓問題に話を戻せば、対馬市の有権者は、約3万人です。市議会議員の最下位は685票です。外国人の選挙権が導入されれば、対馬を韓国領土だとする議員が数名は当選することになるでしょう。
国際平和は、隙を作ることによって破綻します。友人を同居させ、家族会議にも同席させて発言権を認めるようなことをすれば、必ず友情は破綻します。相手方に無条件の譲歩を重ねることが友情の絆になるわけではありません。外国人の選挙権は、自分のファミリーの家族会議に友人の参加権、決定権を認めることに等しいということに留意する必要があります。
EUは参考にならない
EU諸国の例はまったく参考になりません。ドイツの例をみることにしましょう。EUにおいて、構成国相互の地方選挙権保障が決定されたとき、ドイツ政府は大変困りました。外国人の選挙権導入は、民主主義と国民主権に反することから憲法に違反するというのが通説の立場であり、また連邦憲法裁判所の立場でもあるからです。民主主義は、国民の自己統治を要求します。国民主権は、国政の決定権は国民のみに属することを要求します。ドイツは、やむを得ずして憲法改正をしました。憲法改正後の現在でも、EU市民以外の外国人に選挙権を与えることは、憲法に違反するとされています。ちなみに、フランスも、憲法改正を必要としました。日本におきましても、憲法が改正されない以上、外国人に地方選挙権を与えることは違憲であるとみるべきです(国政選挙権については、憲法改正そのものが不可とされております)。
外国人選挙権の問題は安保問題である
外国人の選挙権問題は、在日問題から、日中問題に重心を移しつつあります。中国人永住者は、現在、約14万人おります。1年間に約1万人づつ増加しております。在日韓国人との間で数が逆転するのは、単純計算でも17年後です。実際にはずっと近い将来に逆転するものと思われます。外国人選挙権が導入されると、対馬と同様の問題、さらにいえば比較にならないほどの深刻な問題が日中間に生じうることになります。日本最南端の与那国島でおこなわれた町長選挙では、自衛隊誘致が主な争点でしたが、当落の票差はわずか103票でした。沖ノ鳥島について、中国は岩礁にすぎず日本の領土とは認められないとしております。この島は小笠原村に属しますが、この前に行われた村長選挙では、得票は713票でした。外国人に選挙権が与えられた場合、このような地方に外国人が移住し、選挙を左右する事態が生じうることは容易に予測することができます。日中の間において友好関係を維持するためには、最低限度の距離をとる必要があります。過剰の優遇は、多くの場合友情を破壊するという結果をもたらします。家族会議のメンバーに友人を加えるような愚は、さけなければなりません。いたずらに対立と緊張を高めるだけのことです。外国人選挙権法案は、日本の安全を危機にさらすだけでなく、国際平和を害することになります。
地方が国政を決定する
いまや地方選挙の結果がそのまま国政を左右する事態になっています。沖縄の名護市の選挙では基地反対派の市長が当選しましたが、鳩山総理は、この住民の意思を尊重する旨の発言をしております。日本の安全保障の問題は、国政の根本問題です。国政の根本問題が自治体選挙の結果如何によって左右されるという事態は、原則的にあってはならないことです。1000名程度の住民が日本の国政の基本問題を決定するという事態は、議院内閣制本来の趣旨からも問題です。このような事態は、国家意識の欠如、防衛意識の欠如という特殊日本的な現象からきております。このような日本固有の特性は、近時ますます顕著になっているようです。他の国において明確に区別されうる国政固有の問題(軍事、外交、領土などの問題)と地方自治体レベルの問題が日本においてだけ区別されえない事態になっております。このような事情が続くかぎり、地方選挙への外国人参加は、結果的に国政そのものに外国人ないし外国が重要な影響を及ぼすものとして、国家主権、国民主権、そして民主政治の原理に反するものとされなければなりません。
外国人に対する公約
ちなみに、外国人の背後に外国政府の意志が働いていることは決して珍しいことではありません。民団は、在日韓国人の組織ですが、その運営費の6割から7割が韓国政府の補助金によるものであることは周知のとおりです。したがって、民団の選挙権要求は、韓国政府の要求でもあります。民主党の民団に対する選挙権実現の公約は、外国政府への公約ということになります。いうまでもなく、公約は、通常の国では国民に対してのみおこなうものです。日本における国家意識の欠如は異常の事態に達しているといわねばなりません。民団がこれに対応して昨年の選挙において、組織をあげて民主党の選挙運動に取り組んでおります。ちなみに、韓国では、外国人が選挙運動に参加すれば懲役3年以下の犯罪として罰せられます。
外国人の選挙権については、数え切れないほどの問題点がありますが、スペースの都合もあり、在日問題、日中問題のみに絞りました。これだけでもいかに危険な法案かということがおわかりかと思います。
着々と反論の素材が集まりつつあるみたいだけど、はてなあたりにたむろしてる賛成派はどうすんの?
神々が神功皇后に憑依して「海の向こうに豊かな国があるぞちょっと侵略してこい」と告げる
→夫の仲哀天皇、「なわけねーだろwwwwプゲラwww」とまともに取り合わない
→神々、仲哀天皇を祟り殺す。天皇でも容赦なく祟られるのが記紀クオリティ
→「こうなったら私がその国攻め取るしかないわね!」と神功皇后が実権を握り軍を編成。神々こぞって加勢する
→臨月だけど「帯巻いとけば数ヶ月もつわよ!」と渡海を強行
→皇后、新羅を散々に打ち破って降伏させる。百済と高句麗もそれ見てあわてて降伏
→皇后、帰国して応神天皇を生み、「この子が皇太子よ!」と宣言
……いや、幾らなんでもここまで強くなられても。その、なんだ。困る。
(みな働いていたので平日に会える友人はいない)
ぶらりと自分のしたいように外出するのも難しかったりするし
子連れOKの赤ちゃん関連の講習会みたいなのにいくつか参加した。
市が主催するやつとか、どっかのサークルがやってるやつとか、ベビーマッサージとか。
市のものは安いんだけどこういうのって割と高いんだよねー。
一回1~2時間で三千円とか!たかっ!
そのなかで、参加してたサークルの講習なんだけど、
「さあ!不安や心配を打ち明けてみんなでわかちあおう!みんな育児で不安なのはいっしょだから!」なノリだった。
私はヒネてるのもあり、内心プゲラしながらもある意味wktkしながら講習を受けていた。
まー、変な講習だなーと思っていても「今日会話したのはコンビニ店員との応酬だけ」という一日よりマシだし。
その会場の空気というか、雰囲気がみなをそうさせるのか母親たちのコメントは熱かった。
「胎教から使える英会話の教材を百万円で買いました」
「布オムツで育児してます。服は綿100%ってこだわってるんです」
「夫と協力して育児ができるように、マインドマップを互いに書いたり毎晩話合うようにしてます」
等々。
それがどうだってわけじゃなく、私にはできないことなのですごいと思った。
育児しててどのへんに重きを置くかって個人の自由だしね。
そういった話をしているとき、一人の赤ちゃんがぶりぶりっとウンチをした。
講師が話を中断して
「さ、遠慮せずオムツを替えて!赤ちゃんって本当にかわいいわね~。存在が奇跡みたいなものよ。
私、ウンチも汚いと思わないもの。食べたいくらい!」
食えねえよ!
みんな「そうですねウフフ」的な反応してたけどきっと(食べません)て思ってたと思う。
ま、赤ちゃんごとウンチを愛でようが食べようが個人の自由ですがね…
でもやっぱ私はウンチは汚いと思うw
オムツ替えの時にミスって爪の間に入ってしまった日にゃーそれはブルーになる。
その講習を受けて、いろいろためになる話もあったはずなのに
結局あとからも「私はやっぱ食えないなー」ってことばかり考えてしまった。
子供はかわいいです。でもそれとこれとは別ですw
http://anond.hatelabo.jp/20090916195829
正直いって、彼女が欲しいとは思うけど、彼女となにがしたいかと言われればセックスくらいしか浮かばない。
だってさあ、どこ行くの?なにするの?
高級レストランやバーに興味ないし。
そもそも、二人で食べに行きたいっていう願望がない。
食べたくなったときには連れがいようがいまいが食べに行くわけだし。
別に動物園も遊園地も、映画もスキーもプールも行きたくなったら一人でもいけるし。
というか行くし。
カラオケはさすがに一人じゃ行かないけど、それって二人より五人六人で行ったほうが楽しいだろうしさ。
10代のデートって、一人では普段行けない場所に二人で背伸びして出かけるということなんだと思う。
したことないけど。
で、いろいろと経験を積んで成長して、いい加減そういう甘い体験に飽きたら、今度は経験値の少ない女性を自分はもうへっちゃらなところに連れて行って、「すごーい」と言われて優越感に浸る。
それが20代以降の恋愛なんじゃないかと。
それもしたことないけど。
男の自慢話はウザいというけれども、本当は女って男の自慢話が好きなんじゃないかと思う。
あるいは、「すごーい」とおだてて有頂天になってる姿をみるのが好きなのかもしれない。
自分だって本気出せば開くようなビンのふたを俺たちに開けさせてるに違いない。
って突っ込みはやめてくれよな。
でもさ、俺たち童貞が求めてるのは、優越感なんかじゃない。
ドキドキの時間を共有したいわけ。
でもそれは無理なわけ。
あの頃だったら、一緒に電車に乗るだけでドキドキしてたと思う。
中途半端に女性馴れしちゃって、もうそのくらいじゃドキドキできないもん。
風俗とか経験しちゃってるせいか、異性と二人っきりになったくらいじゃ高揚感もないし、恋人だらけの街を一人で歩くことに羞恥心はもうないもん。
そういうわけで、デート願望とかもはやない。
ラブプラスっての買えばそのドキドキを味わえるのかな?
で、性欲だけまだ残ってる。
「セックスしたい。第一希望はどいつ、第二希望はどいつで、セックスのためにデートして告白して、しつこいけどセックスしたい。」
それが本音。
誰それが好きで、だから思いを告げて、一緒の時間を共有して、その結果セックスにたどり着くっていう正統な思考が踏めない。
「結婚する気もないくせに女性と付き合いたい男って体が目当てなだけ」
って言われたら、たぶんそう。
「んー別に結婚、というか一緒になにをしたいでもないけど、とりあえずセックスしたいって思ってるよ。」
っと言い返したいもん。
結婚願望があれば恋愛する資格くらいは出てくるのかもしれないけど、考えれば考えるほど結婚願望は薄らぐ。
あと数年もすれば性欲も失って、恋愛に対する願望とかもなくなるんだと思う。
いまだってオナニーに羞恥心がなくなり、快感も薄れ、ただの生活の一部になりつつあるもん。
至言だよ。
貴女の言うとおり。
将棋の世界でいうところの奨落ち、誕生日をむかえたあなたはプロ棋士への道は閉ざされました、将棋一筋に生きてきたんでしょうけど、あきらめてねプゲラ。
書き捨てて放置していたらkanose村長(むらおさ)から自分の言葉どおりさらされていて、ブクマコメントでもきっちり血祭りにあげられていたので、追加で。
叩き潰してくれた人、本当にありがとう。
前々からおもっていたけどやっぱり自分は人間としてメンタルが残念なようだ、という感覚がいよいよ実感をともなってきています。
なんというシンジくん。(それも旧劇場版状態に鈍感と開き直りを追加したような)
迷惑きわまりないかもしれませんが
http://anond.hatelabo.jp/20091005233108に少し救いを求めています。
これからいろいろ見聞きして時々こうやってフルボッコにされたりしながら、自分を修正していきたいと思います。
「自尊心」という言葉をgoogle検索して(すげえ、テンプレみたいだ)みつけた自分の自尊心テストの結果をはっつけておきます
まあ「プライド周りが残念なようです。」ということならとてもよくあってると思う。
特徴(5~12点)
あなたは自分を責める傾向にあります。
周りの人のことを考えすぎるあまり、それを困難なことと考えがちです。自尊心が低いのでしょう。
自分自身に多くを期待しすぎていませんか?
尊敬している人と、このことについて話してみましょう。
解説
「自尊心が高い」と聞くと、「プライドが高い」「気位が高い」「自信過剰」というイメージがあります。しかし「自尊心が高い人」というのは、わがままで、他人のことはどうでもよく、自分勝手ということでは決してありません。自尊心を高く持つということは、自分の欲求と、他人の欲求をともに尊重し、バランスをとっていくことなのです。自分の欲求ばかり主張して人を思いやらない人、または他人の欲求を満たすためにいつも我慢している人は、自尊心が高いとは言えません。
ん?俺メンヘラ?
すげえ。今の今まで「メンヘラプゲラ」とか言ってる側の人間だと思い上がりきっていました。キョン!おれだよ!キョン!
ミクシではできない話をしよう。
身近な人にはなせば人間性が疑われる、けれども本人にとっては切実、そういう話だ。
ざっくりと言うと、
僕には友達がいない。
病気で二年間大学を休み、戻ってきたら浦島太郎状態、学科内での人間関係はほぼ固まっている。話しかけてもどこかよそよそしい。グループの中に飛び込むのも気まずいし。
それ以外にもサークルやなにかでやりようがあるんじゃないかという人もいるだろう。
でも僕は自分がまわりとなじめるとはどうしても思えないのだ。
僕ははっきり言ってオタク系で、SFやら評論やらの本も好き、だけどまわりにはそういうことをはなせる人間がいない、いたとしても、そういう人にたいして嫌悪を先に感じてしまうのだ。
いや、言いつくろうのはやめよう。
僕は彼らを「ショボイ人間」としてみてしまい、友達として付き合うのをためらってしまうのだ。そして僕はそういう「冴えない人」にたいしてしか話しやすそうだ、と思えない。
そんなことを言ったらこの僕も人のことは何もいえないくらいの冴えないオタクなのだが。
ぼくのクソの役にも立たない自尊心は彼らを「だめなヤツ」だと拒絶する。
かといって他の非オタク系のグループにはなじめない。主に「イエーイ!」とか言っちゃってる人種とは根本的に相性が悪い。そして僕の空気のよめなさと、興味のある話題を共有できないと相手を人間だと感じることができない僕自身の欠陥のせいだ
そして問題がもうひとつ。協調性がよく云々されているけども、我慢に我慢を重ねて自分が楽しくない場所にい続ける意味はあるのだろうか?ということだ。
あるグループにとびこんだとしよう。そのグループになじめるように努力して、結局そのグループが楽しくもなんともなく、自分の価値観ともまったく違う空気でおおわれていたとしたら?次のグループに移る?そんなジプシーみたいな作業をいつまで続ければいいのか?そもそも友達選びの基準ってなに?
厳密にいうと、現状人付き合いがまったくない、というわけではない。でもいまいち彼らとしっくりこない。ではそこから終わりのない「本当の友達探し」にのりだすべきなのか?
よく考えるとひどく単純な話なのかもしれない。まわりにノリのあうやつがいない、とかなんとか。そんなことを言うやつが一番ノリが合わないヤツだというのはお約束だけれども、そうやってフリーズしてても埒があかないので増田でさらしてみることにした。
自意識過剰なオタクのくだらない悩みだとは思う。でも正直この歳(24歳だ!)になると孤独が身にしみる。非常にひとりよがりな孤独なのだろうが。
追記:オタクの人に対する感情はぶっちゃけ「キモイ」です。奇行がめだったり、自分が非モテなのをルサンチマンたっぷりに自慢してみたり…。普通に会話のできるオタクというのはすくないんでしょうか。
さらに追記:書き捨てて放置していたらkanose村長(むらおさ)から自分の言葉どおりさらされていて、ブクマコメントでもきっちり血祭りにあげられていたので、追加で。
叩き潰してくれた人、本当にありがとう。
前々からおもっていたけどやっぱり自分は人間としてメンタルが残念なようだ、という感覚がいよいよ実感をともなってきています。
なんというシンジくん。(それも旧劇場版状態に鈍感と開き直りを追加したような)
迷惑きわまりないかもしれませんが
http://anond.hatelabo.jp/20091005233108に少し救いを求めています。
これからいろいろ見聞きして時々こうやってフルボッコにされたりしながら、自分を修正していきたいと思います。
「自尊心」という言葉をgoogle検索して(すげえ、テンプレみたいだ)みつけた自分の自尊心テストの結果をはっつけておきます
まあ「プライド周りが残念なようです。」ということならとてもよくあってると思う。
特徴(5~12点)
あなたは自分を責める傾向にあります。
周りの人のことを考えすぎるあまり、それを困難なことと考えがちです。自尊心が低いのでしょう。
自分自身に多くを期待しすぎていませんか?
尊敬している人と、このことについて話してみましょう。
解説
「自尊心が高い」と聞くと、「プライドが高い」「気位が高い」「自信過剰」というイメージがあります。しかし「自尊心が高い人」というのは、わがままで、他人のことはどうでもよく、自分勝手ということでは決してありません。自尊心を高く持つということは、自分の欲求と、他人の欲求をともに尊重し、バランスをとっていくことなのです。自分の欲求ばかり主張して人を思いやらない人、または他人の欲求を満たすためにいつも我慢している人は、自尊心が高いとは言えません。
ん?俺メンヘラ?
すげえ。今の今まで「メンヘラプゲラ」とか言ってる側の人間だと思い上がりきっていました。キョン!おれだよ!キョン!
思えば小学生のころムカデレースで負けた時に仲間を思いっきりなじった因果がここに結実したのですね。
あ、僕のidはnaijelなんで。他のところに何言うにもこれがないと
僕を見て!!僕の中の(ry
私はメシウマというコメントが大嫌いだ。見るだけで気分が悪くなるし、絶対に使わないように心に決めている。
似たような場面、例えば誰かの失敗を知った時や何かしらの事件の速報などで使われているネットスラングには、『プギャー』とか『プゲラ』(もう死語?)なんかがあるように思う。
これらはまだ大丈夫なのだ。見ても笑っていられる。それほど気分は悪くならないし、嘲笑のレベルに限度が見受けられるように感じる。「それくらいしといてやれよ」と余裕を持って思える。
でも、私にとってメシウマは違う。確実に悪意が滲んでいるように思えてしまうのだ。もしくは、悪意が滲んでいるニュアンスだけを切り取っているように感じられる。
この言葉が出る以前に使われていたであろう『プギャー』『プゲラ』等の言葉にも、使用者によっては現在のメシウマと似た意味を持たせていたこともあっただろう。
でも、同じくらいの比率で、嘲笑が、『馬鹿だなあ』と苦笑するようなニュアンスが込められていたのではないか。変な言い回しになるけれど、以前は温かみのある罵倒だったのだ。
けれど、現在散見されるメシウマには、そういった温かみを感じられない。人によっては感じる人もいるのかもしれないけれど、私にはどうにも無理だ。
だって、メシウマには『誰かの不幸で今日も飯が美味い』というのが原点にあるのでしょう?
聖人君主を騙る気はさらさらないし、こういった感情を持たないなんて言わないけれど、それを誰かに伝えることや表現することは甚だ醜悪だと思う。
そして、このメシウマ発言をする人が併せ持つキーワードに、『自己責任』がある(もうひとつは、自己が所属しているだろうグループに良心を求めるなというもの)。
これだけ祭り上げられているのには本人に原因があるからだ、という論法だ。過ったその人こそが悪いという口上。
確かにそれは間違いではない。火のないところに煙は立たない。人が面白おかしく群がるには、それなりの理由がなくてはならない。
しかしながら、ちょっと待って貰いたい。何事にも限度があると思うのだ。追求する限度を設けてやってもいいのではないのか。
最終的にどこで線引きをするかの問題だから、嫌なら見るなと片付けられてしまうかもしれないのだけれど……。
ただ、行き過ぎた自己責任論は、いろいろなところで談上に上っている規制論とは違った角度から、社会を生きにくくさせてしまうと思う。
寛容になることはまたちょっと違うかもしれないけれど、緩やかなグレーゾーンがあるからこそ、人は生きやすいのだと思う。
なら、そう言うお前がメシウマを許容できるよう寛容になれって、グレーゾーンを広く取れよと言われてしまうかもしれないけれど、芸能人とかネットで炎上した人とかがいつまでも叩かれるのが自己責任だからって簡単に帰結してしまうのは、少し厳しすぎると思うのです。
刑事事件の犯罪者に対する量刑の如何についてとか、出所者に対する人権の問題とか、いろいろ話は大きくなってしまいそうだけれど、やはりどこかで許すことのできるラインが必要ではないでしょうか?
……ならば、コンクリ事件の出所者も許すのかと問われると、うーん……難しいのですけれども。
過ちと罪は同等なのでしょうか?
過ちは許すことができるのではないでしょうか?
そうしなければ、過ちに対する憎しみは消えないのではないでしょうか?
罪は裁かれる。過ちは許すしかない。そして、人は、人にはどう対処すればいいのでしょうか。
途中から想定される反論に答えられなくて、更には最後の方、話が大きく飛躍した上に疑問だけ残って蛇足になってしまいました。
なんかすみません。ごめんなさい。
謝るくらいなら書くなってね。
もう終わる。
で、メイド喫茶行ってる人って、内心
「お前がそのコスチューム着るなよ(プゲラ)」してないの?
みんな心優しいジェントルメンなの?
俺は2回しか行ったことない冷やかし組だが、ずいぶん残念な女がメイドに多いのにがっかりした。
(この手の本を読んでいる人が、読んでそうな本を他にも挙げてほしい)
理系学生の書斎が安藤忠雄の建築事務所(研究所)みたいな資料の山だとしたら、
文系(特に法)学生の書斎は立花隆のネコビルwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
規模だけでなく質でも文系(特に法)は見劣りがするね。
何度か連中の自宅に招かれたから、ちょっと参与観察してみたんだ。
冗談半分でさ。
仔細に文系 (特に法)学生の本棚とか見てみると、これがもう滑稽なんだwwwwwww
まずいきなり机の上に開いた状態の宮台真司『権力の予期理論』!(笑)
プゲラを抑えるのに必死だったぜ。
続いて 何度も読んだ形跡のある伊藤&柴田の司法試験論文対策即席要点集(笑)。
お前サル かよ、それでも人間かよ、って問い詰めたくなったね(苦笑)。
カント・マルクスをはじめとする岩波文庫300冊程度(笑)(日本語であって原文ではない)
我妻民法(笑)佐藤憲法(笑)前田刑法&商法(笑)新堂民訴法(笑)
○○学がわかるシリーズ(プッ)
フーコー『知の考古学』(笑)(「パンのように売れた」ベストセラー)
仏露独蘭伊中国語辞典(笑)
トクヴィル(笑)大江 健三郎(笑)コーポレート・ファイナンス(笑)ドストエフスキー文庫(笑)西尾行政学(笑)
柄谷行人文庫(笑)フロイトの技法(笑)Yale Law Journal(笑)ハンナ・アーレント(笑)浅田彰(笑)『構造と力』(笑)
別冊ジュリスト判例百選(笑)大前研一(ワラ)シェイクスピア文庫(笑)
田中行政法(笑)中公『世界の歴史』(お前高校生かよw)マンデル貨幣理論、(笑)
女子大生(特に法)が読む雑誌と大差ないMarie Claire(笑)
magazine litteraire(笑) Cosmopolitan(笑)Critical Inquiry(笑)
Le Monde(笑)The London Economist(笑) American Economic Review(笑)
Fortune(笑)Foreign Affairs(笑)Yale Law & Policy Review(笑)
The New England Journal of Medicine、Michelin(笑)
これだもんねぇ。
他にも数百冊 持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
ピーター・ドラッカー(笑)
ピエール・ブルデュー(笑)
フォーリン・アフェアーズ(笑)
知の論理!!(笑)
もう俺その場で大爆笑。
プゲラー止まらなかったぜwww
ま、予想通りだけど、杉浦・ 解析入門(高校4年生の一般教養にはいいかもね)
岩波講座・現代数学の展開 (なぜかモジュライ理論、Lie環、Weil予想、コホモロジーw)
リーマン・アティヤー・岩澤・シュバレー・ヴェイユ・セール・ブルバキ・ウィーナーなど書店で目につくもの(持ってるだけね、知的ファッション)
東京化学同人『分子細胞生物学』(ゲノム解析ブームの名残だろうな)
プリゴジーヌ『散逸構造』(笑)
これだもんねぇ。
他にも何十冊か持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
日経サイエンス(笑)
ニュートン(笑)
数学セミナー!!(笑)
もう俺、こんな連中と面識あるなんて、恥ずかしいね。
あいつらよく平気で外を歩いてるもんだ。
せめてNatureくらい読めよな、
文系(特に法)なんだからさwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
はてサの主力メンバーのタグ一覧を浚って、うまくネタにまとめようと思ったんだけど、
こんだけ悪意によどんだネガタグの一覧を前にすると、正直ふつうの神経なら参っちゃうみたい。
3,000くらいから1/10までしぼりこんだところで心が折れますた。
大仏が率いる政党が太陽電池パネルを全世帯に普及させるぞ!と吠えた、と言う記事がはてなブックマークで出ていたのを見たんだけど、すごく批判が多いのでぼくおどろいちゃった。
よく読んだら、僕がの知ってる程度の知識でもおはなしできるようなコメントがあったので、書いてみる。とはいっても「優先度が違うよ!」「この金があれば××ができるからむだだよ~」と言った話の本質からちがっちゃうコメント(そんなこと僕が知るわけないよねっ!)とか「政治的な意図に騙されるな!」なんて話は興味がいないのであんまり反応してないからよろしくね。
と言っても僕は専門家ではないので増田に書くチキン野郎ですさ~~~せん。なにか間違ってたらおしえてエロイエライひと!
……なんて記事を書いてたら、あるふぁぶろがーさんが似たような記事をしかもコンパクトに書いてるじゃないか!むっきー!ひきょーだぞ!
さらにそれに対して反応だって?ちっくしょー。おぼえてろよ!
まずいっちばん最初に、「自然エネルギーとして、どの段階から環境にやさしくなるか」という環境コストと、「いくらから儲かるか」という金銭面のコストを混同していると話は全く違う事をはっきりさせておくよ。そうしないと利権屋さんの詭弁に騙されちゃうからね!
これってどういう事かって言うと、たとえば「自然にやさしいことが付加価値ですから普通のやつより値段が高い」というありがちなボッタクリ商品だとこの環境コストと金銭面のコストが反比例することになるんだけど、一緒にしたら自然に優しいという付加価値をつけたボッタクリ商品のほうが自然に厳しい、地球をいじめる商品になっちゃう。
この点で例の武田のおいちゃんなどは、意図的に混同してミスリードをさそってるね。(ちなみにこのおいちゃん、出している資料が古かったり間違っていたり、目盛りや単位がないグラフを載せていたり、下手すると事実無根なことを根拠なしに言いふらしてお金儲けしているよ! 商売上手だね! 僕もお金大好きだから、あんなコンビニ300円コミック並に原価が低そうな、はなっから出版社さんもキワモノ本として作ったに違いない簡易装丁の本であんなに売れるなんてうらやましいな~っておもうよ。僕もそういうボロい商売してみたい~っ)
環境コストの話よりもやっぱりお金だよね!というわけで、この間セールスにきた工務店のおいちゃんにきいてみたんだけど、うちの日照条件で2kwをコンスタントに使えるぐらいにすると、だいたい償却まで一回の電気系統の交換と年間メンテナンス、ローン金利等含めたパックを利用してだいだい27年かかると言われたよ。この年数、一般的な家の償却年数とほぼ同じだね。ちなみに工務店のおいちゃんによれば、メンテナンスのパックに入ってもらえば、年間いくらで保守できて保証もしますよって言ってた。
もうかるの?って話について、工務店のおいちゃんによれば「はした金程度しか儲からんけど、地球環境のために行動していますと表明したときに集まる注目の視線と優越感や、災害などで停電している時、愚民共が助けを求めてくるのをエアコンの効いた室内からワイン片手に眺める最高のながめの事を思えば安いもの(意訳)」だっていってたよ!すごいメリットだね!
ちなみに、僕にとってはどうでもいいことだけど、環境コストについてもてきと~にに調べてみました。算出方法にもよるけど数年で環境コストが取れると言う試算もあるみたいで、そうじゃなくてもだいたいの試算では一桁年数で環境コストはプラスに転ずるとするのが多いよ。ちなみにこれはよく比較対象になる原子力発電所に比べれば圧倒的に早い数字なんだ。なんか原子力推進派の人は意図的に事故の際の環境への影響や、海などに大量に熱をまき散らすことなんかのコストを無視して単純に経済コストだけ問題にする人がいるけど(すごいのだと太陽光発電パネルの製造コストは加味するのに原発の製作コスト、燃料の採掘・処理コストは無視するんだよ! 人に意見を通すときはこれぐらいの能力がひつようだね!僕もみなわらなくっちゃ)環境コストは、リスク評価まで含めてまじめに計算するとすごいことになるはず。ただ規模も用途も耐用年数も能力も違うので全く評価対象としては不適切だけど。(ここをわざと家庭用太陽光発電と原子力発電を比較対象に選んでる人は大抵わかっててやってるから気をつけようね!)
ちなみに、環境コストだけど、これ最近大幅に改善したので、5年ぐらい前の文献の数字はすでに古いので注意が必要です。ここのところの高効率化戦争は恐ろしいな~。しかもこの不況の中で集中的に投資されて中の人のプレッシャーも大きいんだろうね~。中の人!死なない程度にせいぜいがんばってね!
それから、儲かるとわかったからか、最近いろいろな新技術や新方式がでてコスト削減に結びつきそうなものもたくさんあるけど、その割には量産品の効率と経済性がなかなか向上しないのはおそらくお金の問題なので、そのあたりに血税をつっこんで一気に競争力を上げるというのはありだと思うよ!
で、この環境コストと現実コストのボッタクリ価格は環境保護が当たり前になってくれば来るほど縮まってくるはずだとおもう。環境にやさしいことがあたりまえになって、付加価値と言うより「環境保護がうたわれていなければ売れない」ようになれば。だけど残念ながらそうなるまでが一番コストがかかるかなって思う。そこの部分のコストを国が請け負って、一気にすっ飛ばしてある程度許容できるぐらいの量産効果が現れるまでの段階まで一気に押し上げるのはありだと思うな。今のタイミングでうまくすれば国家として見れば元を取るどころかガイジンから金をむしり取れるしね!
だけど結局は環境にいくら金がはらえるか、って話だよなーとおもったり。
結局は今まで集中的に税金なども使われて賄われてきたインフラの一部を各家庭に分散化するわけだから、設置者が負う有形無形の余計なコストが増える、手間が増えるのは当然だよね。それをどこまで許容できるかなーという。
あと「作る方が削減できる効果よりも環境コストが高い」と言うのは思いこみだと思うので、ちょっと資料をあたってみてくださいな。近頃の文献でそういったことが書いてあるのなんて武田のおいちゃんの本と、武田のおいちゃんのビジネスモデルをぱくった人ぐらいだよ。(資料を読んでも本気でそういうことを言っている人は、きっと数字の読み方もわからないイエローモンキーかクロンボかホワイトトラッシュかゆとりかユダヤか三国人か、もしくは何かやましいことのある既得権益に利権を持つ政治家とその一派に違いないね!)
太陽発電パネルそのものは基本的には致命的な劣化は起きないよ。だいたい20年で10%効率低下と言われているみたいだけど、そこまで劣化が起きる場合は理論値一杯まで高効率で発電しての結果だから、とっくに元が取れているわけで実際にはもっと低いはずだよ。基本的にエネルギーを変換だけだし、可動部分がないしね。「機械は必ず壊れるもの」と言っている人がいたけど、機械(メカ)じゃないから壊れないよ!(形あるものはいつか壊れると言われちゃうと厳しーけど、そんなこと俺も貴様もいつか死ぬのでどうでもいいね!)ただこれは過去の例なので、今後はさらに改善していくっていってた。
このあたりって、太陽発電パネルの技術は実は結構古くさいいいかんじに発酵してそろそろ隣のおいちゃんみたいな臭いすらだたよいそうなそうな技術なので、明らかに投資する時期を間違えたかわいそーな先人の遺体を肥料にして育てた経験が保証しているよ。すっごく枯れた技術なんだ。近頃おはやりのシリコンの使用量を減らした太陽発電パネルとかも、フレームや保護材などの耐久性やノウハウは基本的には一緒だから、もうかなり枯れた古くさい技術と言ってもいいと思うよ。
ちなみにパネルメーカーも20年保証と長期保証を普通みたい。つまり、経済的なコストが償還できるぐらいは平均保証があるんだね!僕んちに来た工務店のおいちゃんは、メンテナンスのプランに入れば30年は保証するって言ってた。
で、一番劣化するのはコンバータなんかの電気を整える部分。これがだいたい15年ぐらいといわれてる。太陽発電パネルからできる電気が直流なので、それを交流に変換して家庭で使えるようにしたりするシステム面なんだけど、(いわゆる変圧器とか、AC-DCコンバータとかいわれる部分)。で、こいつのコストだけど、こいつは人類が電気を扱い始めてからずっとついて回ってる技術なので、予想寿命のころにだいたい壊れる。なので、馬鹿正直な業者にお願いすれば、コストに組み入れて計算できちゃうんじゃないかな。
後当然バッテリーを使っていればバッテリーも。まぁこちらは車載用ほどはシビアじゃないから問題なくなるだろうと思うよ。なんたって自動車産業が自腹切って大実験やってくれるんだから! だからそんなに過大な負担かな?こんなレベルで「耐久性に問題がある」なんて言われたら僕泣いちゃうよ。泣くと絡むよ僕。それでもいい?
ちなみに、AC-DCがかなりエネルギーをロスするんだよね。なので、大電力が必要なもので、なおかつ設備として一度設置すればほとんど動かしたり電源を抜き差ししたりしないものについては、AC-DC等を通さないシステムを考案するのも手だと思うんだ。たとえば電気自動車の充電システムや、空調、給湯、廃人の正気じゃないドライヤー内蔵暖房機能付きゲーミングPCや、キチガイの自宅サーバやロリ画像のためにWinnyを24時間稼働させてるPC、冬でもあたたかいPS3などにね。上手くすればXBoxの本体並みにでっかいアダプタだってすごく小さくできるかも知れない。そういうのに専用配線を使って供給すると言うのも手だと思うよ。え?ACにすると感電しやすくなって危ないって?そんなこと僕が知るわけないじゃないか。エライ人なんとか考えてよ。
砂などによる太陽光発電への劣化って、せいぜい最悪でも5%程度なんだって。なのでその分見越して多めに設置すればOKなレベルなのさ。ちなみに電気が発電所から送られてくる際の送電ロスは5%だから、ほとんど無視できるレベルだってことがわかるよね!
なので今のものでも基本的にメンテナンスフリーでOK。時代遅れだって評判の自動車が趣味の人の車みたく、いつでもぴっかぴかにしておきたいなら別だけど、多少の落ち葉や鳥の糞といったものでもそんなに影響しないそうだよ。というか、発電パネルに影響するぐらいの極端と主張する場合は、まず家の心配するか、施工業者を話が違うと訴えるか、キミ自身の強迫症のおそれを心配した方が良いと僕は思います。そんなところを気にするなら、日照条件なんかを気にしようね!
それに、従来一番やっかいだと言われていた幹線道路沿いの家の劣悪な環境で発生していた煙害や油分を含んだ粒子状物質などによる曇りだけれど、今は太陽発電パネルは光触媒をはじめとした汚れ除去の技術が発達してきているので、ほとんど磨いたりする必要はないよ。
光触媒って紫外線によって働く触媒で、強烈な太陽光に晒すことが前提の太陽電池パネルはまさに光触媒と相性が良い技術なんだって。え?光触媒で透過率がおちないかって?そりゃ落ちるでしょうけど、それを感じられるほど発電量が落ちるなら、きっときみはなにか騙されているから訴訟の準備をしたほうがいいよ。
で、砂、ほこりやちりじゃなくって、雪じゃどうなの?と言う話があったけれど、融雪機能付き太陽電池パネルなんてのがあるよ!シャープさんによる技術解析がわかりやすい(PDF注意!)これ結構よくできていると思いました。さすが目の付け所がシャープだね!商品の特徴を一切説明しない意味不明なキャッチコピーのCMばかりの会社とはおもえないね!
普及にはやっぱりコストが課題なんだけど、基本的にはコンバータを双方向にするかどうかの話だけみたいなのでこれは時間の問題だと思うよ。で、普通の太陽発電システムと比較してのコストが下がれば、あの雪下ろしの腰の痛さを知っている身からすると下手すると雪国の方が早く普及するかも知れないとすら思っちゃうな~。だって死活問題だもの。あ!ちなみに勘違いしないでね。雪は全部溶かす必要はないのよ。滑らせて雪を落とせばいいので。
何かあったときの専門的なメンテナンスの方だけれど、こちらは量産されればほとんど問題がない話だね。たとえば上下水道が普及したから「水道トラブル五千円!トイレのトラブル八千円! 払えなきゃ、奥さん体ではらってくれてもいいんだぜ?」なんて商売ができるようになったわけで、量産さえ始まればメンテナンスを請け負う業者は増えるはず。なので、産業としてのスタート時のコストを国が請け負って、一番コストのかかる時期を全部すっ飛ばしていきなり普及期に押し込むと言うのもありだと思う。
おそらく自然エネルギーが普及する上で一番の問題はこれだと思う。そして、時期はともかくとして、将来的にこれが問題になり、長い間問題として続いていくことは明らかだと思う。だってこれは構造的な話だものしょうがないね。
なので、学者連中が禿頭をさらにハゲさせるぐらいハゲんだのか、結構いろいろな解決案が出てるよ。
その中で僕一押しなのが一番シンプルな太陽電池とともに大容量のバッテリーを備える方式。いや、これをしても限度があるだろ、って話はありますがね。でも、これを利用することでピーク電力の山を大幅に落とすことができるはずなんですよ!
現在日本の電力は、高効率で高出力が可能な原子力や、安定していて低コストの水力をベース電力として、変動する電力を火力やその他の調整しやすい発電方法でまかなってるのは周知の事実だね。え?知らない? 貴様!謝れ!でんこちゃんに謝れ!今すぐ謝れ!土下座してすりむけるまで頭を擦れ!ハゲろ!腐れ!
と言うことはどーゆうことかというと、大都市部のヒートアイランド現象が発生する真夏で冷房をがんがん使うようなピーク時と、深夜寝静まって、かわいそうな労働条件でしか働けない弱者・負け組のみなさんと、オンラインゲーム廃人と馬鹿な学生ぐらいしか起きていない深夜との電力差は、高効率で環境負荷も低い発電ではなくて、石炭発電や火力と言った発電に頼らざるをえないんだ。このベース以外の調節可能な電力というのは、高コストで環境コストも高いものがおおい。そりゃそうだよね!高効率の発電所を常に回しておくほうに使った方が、全体に金がかからなくて済むもの。
と言うことは、ここを削減するキーは、いかにピークの消費電力をあげないか、と言うことになるわけ。
で、ここに太陽光発電ですよ。太陽光発電はピーク時はだいたい真夏の一番暑い=一番太陽光が強い時期だからだいたい気温に比例して太陽光発電は発電効率が上がるって性質がある。と言うことはつまり、ピークの時に必要なベースに加えての発電量を削減する効果があるんだ!
で、ここで「暑い夏の雨の日などはどうする気だ」とか「夕立とかの時どうするの?」と言う話が出てくるんだけど、そこで出てくるキーポイントが「各家庭で備蓄する」というのと「日本全国規模で平準化する」と言うこの二点。
「各家庭で備蓄する」というのは非常に単純な話で、いくからかの蓄電池を設置すればいいわけさ。早朝まだ暗いうちから電車に乗り、深夜終電でへとへとになって帰宅して、楽しみが唯一アニメ鑑賞という一体何が楽しくて生きてるのかわからないような人だって、これがあれば安心! 昼間の電気をためておけば、摩擦運動による自家発電するときも便利!であると同時に、特定のタイミングによる急激な需要の増加を和らげる効果が期待できるはずなんだ。洪水時の調整池みたいな感じかな。
え?バッテリーが高い?それは大丈夫だよ。ほっとけば車屋共が勝手に改良してくれるから。奴ら今かわいそうなぐらいに必死だからまぁニッポン名物カロウシは多少起きるかも知れないけど、その屍と悲しみを乗り越えた先には、数年以内には急速に値段が下がるはずさ。
で、日本全国規模で平準化するというのはつまり、規模がでかくなればなるほど、局地的な夕立などの現象にもカバーしやすくなると言う事。
わかりやすく言うと一人で走りに行って信号無視をすると捕まるけど、たくさん仲間を引き連れて走れば、多少一人や二人捕まっても全体としては一定量の人が確保できるってわけ。上手くすればポリ公や権力の犬共を混乱させて、全員うまいことまけるかもしれない。
と言うことは普及しはじめが一番つらいということで、本来なら誰か馬鹿な奴をだまくらかしておっかぶせる必要があるけど、リスクがあるし訴えられたりしたら面倒だよね!だからそこの部分のコストを国が請け負って、一気にすっ飛ばしてある程度カバーできるぐらいの規模まで一気に押し込むというのもありだと思う。
この手の話題を出す人の中の一定数は、エネルギーミックスのことを全く考えてない人がいるんだけど、あんまり相手にしちゃいけないよ。彼らはなぜか「火力」なら「火力」「原子力」なら「原子力」「太陽光」なら「太陽光」と特定のものですべて賄うかのように反論してくるんだけど、それぞれ一長一短。カバーしあえばいいのさ。
たとえるならたまにやたら不細工な馬鹿男に綺麗なよくできたお嫁さんがついてることあるでしょ? でもよくよく聞いてみると旦那は性格はよくって、奥さんがアレだったりするよね!そんな風に世の中は全体でバランスがとれるようにできているのさ!
ちなみにこの件については、家庭でも常時通電保証のある電源ラインと、別にある程度ダウンタイムがあってもいい電源ラインをわけて、各家庭のブレーカーをさらにインテリジェントにして契約で振り分けを行うようにすれば解決するって話もあったね。これも僕はいいとおもうな。
別に太陽光発電を設置しても、風力発電ができない、と言うことではないので対立する話ではないのだけれど……。
日本の場合、各地で大型の風力に対して、「正気かな?」って思わず疑っちゃうようなおばちゃんや既得権益の犬、宗教その他反対運動でご飯を食べている人たちが沸いて結構反対運動が多いんだ。景観を崩すだの、よくわかんないけど科学的には測定できない「低周波」と言った話もあるんだけど(スカラー波みたいなものかな?)、結構感情的とも言える反対運動が起きてるんだよ。これにのせられる脳が足りない政治家も多くてこまっちゃう。
その点で、なんとなくいい物ってイメージのある太陽光発電の方がデメリットをうまいことイメージの向こう側において、たくさんの人をだましやすいと思うんだ。また、可動部分がないだけ太陽光発電の方がメンテナンスフリーだっていえちゃうので(機械なので必ず壊れるよ!)、一般人が仮定に設置するなら、風力より太陽光だと思う。
僕としては、峰に回る巨大な風車ってな光景は、いかにも人類が緩やかに滅びていく終末的な光景でいいな~って思うんだけど、わりと感情的な反対が多いみたいで残念だなぁ。「無風と強風が入り乱れる季節のはっきりした日本のような土地でわざわざあんな馬鹿みたいなもの建てるなんて馬鹿じゃねーの?そもそも風力で独立して採算がとれる見込みなんてあんのかよ?プゲラ」とかなんておもってないですよ?
もちろん!風力発電装置のかなりの部分は外国から買わないといけないってのも問題だと思うよ。わざわざホワイトトラッシュ共に金をくれてやることなんかないもの。あいつら金を与えるとすぐに戦争するでしょ?まるで発情期のわんこみたいに。
とは言っても、産業としては普及させないことには奴らにやられっぱなしになっちゃうんで、研究費はどこかで助成する必要があると思うけど。だって儲け損なったらもったいないじゃない。
なぜか長文を投稿すると最後まで表示されない増田の糞バグ仕様のせいで分割する羽目になったので、その2へ続くよ!