いいから騙されたと思って、多摩モノレールの最前列に座って上北台、いや立川南からでもいい、多摩センターまで乗って景色を楽しんでみてくれ。
毎回目標は異常に高い。
その目標5つを1項目5個に更に分割するのだけれど、
毎回毎回どれも達成できない。
たぶん、1つ1つの目標が高すぎて、分割した細かい目標でさえも高すぎて
進んでいるかどうかも見えずにやる気がどんどん低下していくんだと思う。
1日ごとに「何をすべきか」っていう分割が面倒でできない。
私なりに分割した目標に対して行動していくけど「今日中に終わるものでは無い」という事もあり
結局「明日で良いか」になってしまう。そして進まずイライラして結局達成できずに謝罪しまくりストレスも溜まる。
この悪循環、本当にどうにかしたい。
全然出来ないんだけど。
兄心あれば妹心あり
なんとなーくそのまま続けてくのは楽なんだけど、結局、我慢とか理不尽とか感じているのが大きくなっちゃいそうで…
話し合いでどうにかなる相手ばかりではないのも心配。(頭よくないから~とかで理解・納得してくれないと、向こうは怒るしこっちは消耗するしで結構しんどい)
グッズの持ち腐れ
自分のことを他人と比較して「自分はダメだ」と言いたいように思える。
他人と比較して羨んだところで他人になれるわけじゃないし、自分は自分のままで良いんだよ。
悲劇のヒロインになりたい奴だと思われるぞ。
推しは災いのもと。
職場の先輩と、学生時代にホールとしてバイトしていたレストランに行った。
その後「お前にあの仕事が務まったのか」「客からの評判悪くなかったか」と聞かれた。
確かにOLとしての私は、周囲に気が遣えない代名詞のようなものである(その先輩にいわせればの話)(でも心当たりが無くは無い)。
その私が、常に気を配らねばならない接客仕事をちゃんとこなせていたかを疑問に思ったらしい。
実際のところは褒められる事が多かったのでそう伝えたら「どうして今できないんだ」ですと。
きかれてふと思ったのは、「ホールの仕事とはそういうものだから」というもの。
ラベルが見える角度でワインを注ぎ、グラスの中身が少なければメニューを手に声を掛け。客の様子をみて何が足りてないか考えたり、タイミングをみて皿を下げたり、次の料理の指示を出したり。客へのサービスがお給料になっているっていうのが実感としてわかりやすかったのもあると思うが、そういうことが当たり前の仕事だったから。
では現在はどうかというと、(先輩が欲しいレベルでの)同僚への気遣いは「事務職の仕事」に含まれていないなということに気付いた。
もちろん、一緒に働いている仲間であるし、最低限は気にかけているつもり。だけど私の「つもり」はこの職場の先輩に言わせれば足りないって事なんだな。
その辺にギャップがあるのなら、多分この溝は埋まらないなと思う。私には今のままで損している意識もないし、言わせてもらえば「察してちゃんかよ老害」ってなもんである。もてなされたければ、客としての代金を払ってから言えと思う。
観るは一時の恥、観ないのは一生の恥。