理想を投影しがちだが、作品は作品である。お金をかけて作り、お金を払って見てもらう作品なら尚更。
そこに作者自身の理想を投影してはならない。そこに作者の見せたいという「作品としての思い」を入れ込まなければならない。
作品を通じて自分を見てほしいならそうはっきりと表すべきだ。twitter等で騒がれている絵師は大抵そうだと思うけれど。
作品は一作品でなければならない。そこに作者の理想、作者自身を投影してはならない。
プリキュアは「女の子だって戦いたい」という軸で作られたアニメだったのではないか。
そこに、「こういう時代だし性別なんて関係ないよね」という思想を混ぜ込んではならないのではないか、と感じる。
元のコンセプトはどこへ行ったのか。声の大きい人たちにコンセプトは負けてしまったのか。
はたまた、そんなコンセプトはもうとうに消えてしまったのか。
プリキュアが描いた『妖精』の『男の子』が力を得るという描写は、視聴者側に見せた理想であり視聴者側の願望を背負ったものであった。
ま団がありなら、「やまのて」があるから全駅出てることになるけど。
セントラルキッチン力の高いチェーン飯は、口に合わない
いろんな人がいて面白かったな。
呑み歩きが趣味でいつも酔っ払ってるおっちゃん。無職のおっちゃん。離婚したおっちゃん。左遷リーマン。貧困家庭学生。片親。元風俗。透析に通いながらバイトしてるおっちゃん。自分のことをただのウンコ製造器と自嘲するおっちゃん。精神障害で仕事を失った人。精神障害を周囲に隠しながら生きている人たち。毎日深夜に疲れて帰宅して、朝方までくだらない会話で時を潰す自称のら猫。海外ポスドク。高齢ポスドク。博士持ちの民間転職組。さすらう非常勤講師たち。
労働で疲弊し、介護で疲弊し、子育てで疲弊し、自分の障害を持て余して疲弊して、みんな疲れていた。
そして諦めたような乾いた笑いを交わしながら、それでも時々本音を覗かせて、傷を舐め合っていた。
触れてやるなよ可哀相だろ!
なんで賓客気取りなんだよw
こいつは以前にもコメ消して何食わぬ顔してるよ。
http://megalodon.jp/2016-0418-1221-04/b.hatena.ne.jp/entry/285436604/comment/Arturo_Ui
コスパの良いフレンチなんかも、実際に女の方がよく知ってたりするけどね。女友達に聞いてごらんよ一度。
何でか理由は知らんけど、邪推するに、男は腹いっぱいになれるかという価値観にCPを見出すけど、女はそうでもないってこととかかなー。
それならそれで、趣味の合うの同士、お互いを見つけるまで頑張ればいいとは思うが
イカれてる奴と結婚せずに済んで良かったじゃん
女に好まれる店なら女に聞いた方が確実ってだけなんじゃないの?