理想を投影しがちだが、作品は作品である。お金をかけて作り、お金を払って見てもらう作品なら尚更。
そこに作者自身の理想を投影してはならない。そこに作者の見せたいという「作品としての思い」を入れ込まなければならない。
作品を通じて自分を見てほしいならそうはっきりと表すべきだ。twitter等で騒がれている絵師は大抵そうだと思うけれど。
作品は一作品でなければならない。そこに作者の理想、作者自身を投影してはならない。
プリキュアは「女の子だって戦いたい」という軸で作られたアニメだったのではないか。
そこに、「こういう時代だし性別なんて関係ないよね」という思想を混ぜ込んではならないのではないか、と感じる。
元のコンセプトはどこへ行ったのか。声の大きい人たちにコンセプトは負けてしまったのか。
はたまた、そんなコンセプトはもうとうに消えてしまったのか。
プリキュアが描いた『妖精』の『男の子』が力を得るという描写は、視聴者側に見せた理想であり視聴者側の願望を背負ったものであった。