まず一部上場企業という記述で嫉妬の対象、増田より生涯年収が1億は多いわけでその時点で同情する気が失せる。
そして部署で一番背が高いという記述により、平均身長以下の増田は高身長にいじめられた記憶がフラッシュバックし憎しみすら抱く。
さらに弁護士を雇ったりするべき対応をこなしている姿に、育ちの良さと仕事ができる人間像を連想し増田の身は敗北感で癇癪を起こしまた壁の穴が増えてしまう。
そんな増田を切り裂くステータスナイフをひけらかしながら悩みを投げかけているのだから多少冷たくされても仕方ないだろう。
なに?それらは例えであって実際は違う?いやいや、雰囲気でしか文章を読めない増田にそんな区別がつくわけないだろう。
どうして、営業やスポーツができる人とか、滅茶苦茶な提案する人は、「すごいね」と言われるのに、
実際にアプリつくれたり機械学習できる人は、「そんなの当たり前」とか、要件から逸脱した不平不満を言われるのでしょうか。
私のいた会社だけのことでしょうけど。たぶん。
隣の芝生が青いだけでしょうけど、おそらく。
きっと私のせいなのでしょう、きっと。
終助詞「よね」は単なる確認だけじゃなくて「僕は知ってるしもちろん君も知っていることだけど」というニュアンスがある。
それを「相手が知ってるはずもないこと」にも適用するテクニックなんだよ。
「俺は言ってやった。」と「俺は言ってやったよね。」だと後者のほうが「当然」感がある。
「この俺なら言うに決まっているでしょ」という感じ。