はてなキーワード: D論とは
ものすごく、よくわかる。
なお、俺も学費は自分で稼いでた。
自分は向いてないって、M2で思ったけど無理してDまで行った。
1浪2留しててここまできたらってのもあったし、他人と自分を差別化するものが欲しかったからDに進学した。
D論書くのに異常に苦労したのは、元記事の人とほとんど同じ環境・境遇だったから。
どうにかこうにか定量評価して、査読論文出すと
「評価方法に疑問」
とか書かれるんだけど、唯一同じような研究してるMITの研究は定性評価しかしてないし…
最後は俺に何を求めてるんだよ感がすごくて、円形脱毛症になった。
俺がどうにか全うできたのは、俺に金くれてた会社の社長がものすごいモチベーターで、俺が何をやっても全部肯定してくれてたからだと思う。
うちの研究室はマジで元記事の人とほとんど同じ環境で、さらに人がボロボロ辞めて行くようなとこだった。
辞めた人の話はまぁいいとして。
あと少しだ。耐えろ。
その1年はもう割り切って楽しめ。
なんなら、査読論文なんか破いて捨てればいいんだよ!
だけど、後ろ向きに決断するくらいなら絶対に卒業しろ。絶対だ。
前向きに、例えば海外の研究室に行くとか、Facebookに就職するとか、そういう前向きな決断の結果として卒業しないのはありだ!
http://eddgars.hatenablog.com/entry/2013/12/13/233000
こういう糞というには糞に申し訳ない、正論だと本人が思い込んじゃって、誰も傷つけてないとか、世の中のためになるとか言っちゃってる狂った記事を書くようなやつは、プレゼンテーションしてる最中に突然鼻血が止まらなくなって、恥ずかしい思いをした上に、机の角に小指ぶつけてしまえばいいと思う。
元記事の人のような、やる気のある人のモチベーションを保ちながらD進してもらって、日本の未来を背負って立つことができる人材として育てられる環境こそが求められていることが理解できずに、承認欲求じゃ研究者にはなれないとかいうわけのわからない宗教みたいな言説をしたり顔でするところなんか、噴飯ものですよ。
そんなんだから優秀な人は海外いくか企業に就職しちゃって、残りカスみたいなやつだけがそのままD進すんだよ。
そんなんだから科学技術立国とかいいながら、大学がアホみたいな政治の場になってんだよ!
ちゃんちゃらおかしい。
思いのほか反響を呼んでびっくりしている。
ブコメや、発声練習のnest49さんの記事を読んで考えてみた。
一方的にdisるのはよくないと思い直し、自分がなぜこんなに理系大学院生の見た目にだめだししたのか書いてみる。
1. 連日連夜の実験、D論、M論で身なりを整える時間もないしそれどころではない
2. お金がない
3. 身だしなみについて興味がないし、考えたこともない
という大きく3つの理由があるのだろうと結論づけた。
1. や2. の人たちについてはこのような記事を書いたことを申し訳なく思う。こういう人たちは時間とお金ができたらそれなりに身だしなみを整えてる。目がうつろだというのは、next49さんの言うように、考え事をしているか、あとは疲労困憊だからなんだろう。
3. の人たちがとくにひどい。前髪は目が隠れるぐらいまでのばしっぱなし。無精髭。たまにふけとか落ちてる人もいる。ほんとにちゃんとしてほしい。見てて不愉快。
ここから本題。
研究って、外界の刺激をシャットアウトして自分の世界に没頭するのも大事だけれど、それと同じぐらいコミュニケーション能力が必要だと思う。
議論をして研究に新しい視点を取り入れること、弱点に気づき克服すること、また、職を得るための人脈をつくることなどに必須の能力。
コミュニケーションをうまく行うには会話能力はもちろん、清潔感のある格好が大事だと思う。
理系大学院生やそれ以上のポストの人は他人の外見に対して寛容なのだろうけど、それでも、きちんとした人の方が仲良く、一緒に研究しようかなという気になりやすいと思う。
見た目がだらしない人は研究をする上で不利になってしまうんではないかなーと思う。
だから、もっと外見に気を使ったらいいとおもう。気分転換にもなるし。
あと、眉毛っていじるだけで結構締まった顔つきになるから、男性でも整えるのをオススメする。社会人でもオススメする。
やり方が分からない人は美容師さんに教わったり、チャラい友達がいれば彼らに教わったり、ていうか、床屋のおっちゃんおばちゃんに教わってもいいとおもう。女性に教わってもいいだろう。
以上、disりすぎたのでまじめに考えてみた。
すまん、いいたいことの意図は分かるつもりなんだけど、どうも僕の説明が下手なようで伝わっていない気がしてきた。
ドクター論文の「内容」という点では、投稿論文の「内容をまとめて」作るものだと、私は思うよ。
とはいえ、たとえば極端に言い方として、投稿論文をホチキスで止めただけ、という作業では不足だし、高々2~3本の投稿論文を、単純にマージしただけでは、内容的にも分量的にもD論としては不足すると、私は思う。
そこで、投稿論文の「内容をまとめ」ながら、さらに肉付けしたり、重複する箇所は削ったり、その過程で追実験したりするのが、「ドクター論文をまとめて(書いて)」いく。そのためには追実験やら検討をする時間も必要だから、そのために最後の1年を設定する・使うんじゃないの?というのが、私の指摘でした。
大意としては、あなたのいいたいことも分かっているつもりなんですが、伝わりますでしょうか?
その際に、最低2本の学会誌掲載が必要だったよ。
大学や分野によって違うけど、課程Dだとそんなもんだと思う。国内外の学会は問わないが、査読付の英文誌、または、それ相応の学会の査読付英文Proc.で最低2本以上、できれば3本というのが、一般的な工学部の課程Dじゃないかな。論文Dでも、D論とは別に投稿論文を5~6本は要求されるでしょう。
以降、あなたの指摘には私も同意で、そして最後のところ。
理工系だと前述の通りなんだけど、文系だと事情が違うのかなぁと思っている。それは先の書き込みの通り。
ウソかホントかは知らないけれど、いまだに「満期退学が当たり前」とか、「教員でも紀要しか実績にないのが当たり前」とか、そんな噂があるからなぁ。学生の時点で投稿論文があるとか、順調に課程Dを課程内で取るとかが、当たり前じゃない世界があるのかもしれない。理工系にはないけど。
投稿論文はそうなんだけど、いわゆるD論、博士取得のための学位論文は、「最終年の1年間かけて書く(まとめる)」という表現で間違ってないと思うよ。いや、もちろん投稿論文は地道に投稿していかないといけないし、分野や大学によっては「投稿論文の本数で判断するからD論不要」というところもあるし、学部系統が違うとD論の長さが極端に違うし。個別の事情は違うとは思うんだが。
当方地底工学部だけど、毎年1~2本づつぐらいのペースで査読付論文を積み上げつつ、D論は「最終年の1年間かけて書く(まとめる)」という感じで捉えてる。工学部のD論だと100ページぐらい要求されるけど、医学部のD論は短い人だと30ページ程度とも聞いた。あと、今もそうか分からないけれど、文系の博士って平素の投稿論文とかD論を書くことよりも、博士論文に相当する著書を書き上げる方が大事で、それを持って学位審査に臨むって聞いたことがある。これらの話って本当?
http://anond.hatelabo.jp/20090519230327
それを何となく助教に伝えて科研費用資料を作る。この過程で助教の精神が崩壊する。資料は抽象的でなんとなくそれっぽい絵とどこかで見たようなアルゴリズムにそれっぽい名前が付いてるだけの資料になる。本音をいうと「初音ミクを作る」と言われる方が楽だ。「教授がシステム全体を説明できない、今までにない新規性溢れる研究」を始めると、論文が通るとか以前にそもそも誰も修士すら取れない。
その資料でも何故か科研費は通る。「おもしろいですね」っていう展開になり、他の予算が付くことも。
決まってしまったので研究をしないといけないので、とりあえずD1とかM1に投げられる。分野ぐらいしか分からないのでいろいろサーベイしてみる。もちろん、サーベイ論文とか書ける以前のサーベイになる。(問題点って特にないよね、とか、教授の言ってるのはこれで実現されてるよね、とか)
研究が始まると、政治的なパワーバランスなどの都合により、今までのサーベイはゴミ箱に行くことに。「でも、英語読めるんだから簡単にできるはず」等と言われる。音声処理の研究だったはずがサーバの性能向上になったのに。(極端だけど研究分野変更はザラ。あまり大きな問題はない)
助教はまた初めと同じように教授とメールのやりとりをする。日を跨ぐと違うことを言うので出来るだけ素早くパワポの資料にしてメールする。なかなかまとまらないが、D1とM1はB4の卒論テーマを決める。何を作るかわからないが、とりあえず実装とか評価の妄想だけして日程表を作る。B4も卒論の目次を作る。
放っておくと壮大なシステム、壮大なアルゴリズム、壮大な社会的効果、テーマのバグ、労力の割に実現性に乏しいような話がブチ上がってくるので必死で止める。
(テーマのバグは実現するだけでベンチャーが大成功しそうな無茶な物のこと。例えば人間が何を考えているかを正確に把握して、それらからその人間が本当に欲しがってるものを広告表示するのとか。PCと脳が直結できないのを理解できてない)
助教はこの段階で死にそうになってる。一応存在する研究会の締め切りが迫ってくると当然毎日徹夜して論文を作成していくわけだが、なんど書き直しても「つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「字にすると面白そうに見えないから(システムの)名前考えて」「(仮の)評価が気にくわないから想定環境が~」「やっぱこうの方がいい」「昨日いいこと思いついた」等の必殺技に返り討ちにされる。評価をB4の学生に取って貰ってるときはメシをおごりながらまた再実験してもらう。論文の締め切りはもちろん守られない。その分のしわ寄せは、単に延期になる。
秋も終わってそろそろ冬になると、卒論や修論やD論がしっかりできあがって・・・いない。絶対。時間だけが無情にも過ぎるが未だに研究の方向性が定まらない。分からないところは逐一聞きながら実装する。運が悪いと何故聞かなかったと言われる。
年明けのX論提出期限ギリギリ。間に合わないことが確定的になってから評価をとりあえず削ってみる。最初からそれは無理と言い続けた評価軸を削るが教授は不満顔。最初からそんなことは無理ですよと毎度毎度言い続けているが変わらない。評価はアンケートでもいいとか言い出す。それで前も留年者を出しただろうに。やっぱり研究テーマがいまいちとかこの期に及んで言い出す。助教は必死で学生の面倒を見る。ていうか論文書いてたりする。みんな死にそうな顔をしているが激太りもしている。
卒論・修論・D論を出して糞論文と言われる。世間一般的に評価内容にミスがあればファーストオーサのせいにされて(こいつが教授の名前借りて全部やったんだから、と思われている)つまらなければ担当教員が批判される。
終わった頃には人数が減っている。そして新入生がやってくるw
諸君 私はサイエンスが 好きだ
諸君 私はサイエンスが 大好きだ
帰納法が好きだ 演繹法が好きだ 思考実験が好きだ 実証実験が好きだ
代数学が好きだ 関数解析学が好きだ 集合論が好きだ 統計学が好きだ 情報理論が好きだ
Unixで Linuxで MatLabで Mathematicaで C++で Javaで 紙と鉛筆で 口頭で
全てのプラットフォームで行われる ありとあらゆる論証行為が 大好きだ
数列をならべた 並行スレッドの一斉実行が ファン音と共に他のプロセスを reniceるのが好きだ
ふと思いついて計算してみたモデルが 想定していた通りの結果をはじき出した時など 心がおどる
Athlonの64bit(フィア・ウンド・ゼヒツィヒ)でフェドラ7を使うのが好きだ
某M木先生さー、何でもかんでも「脳科学で説明出来ます」って擬似科学入ってるよねー、と言われた時は 我が意を得た様な気持ちだった
ラグランジュの未定乗数で ハミルトンの原理の拘束が表現されるのを知るのは 楽しい
リゾラッティの ミラーニューロンに関する基調講演を聞いた時など 感動すら覚えた
還元主義のfMRI万能論者達の発表が 質問攻めと共に叩きのめされる様などはもう たまらない
居並ぶフックス型微分方程式が 私の押したEnterキーとともに
金切り声を上げるCPUに あっという間に計算されるのも最高だ
哀れなM$オフィスユーザー達が 雑な数式エディタで 健気にもフィッツヒュー・南雲モデルの方程式を書こうとしている時に
PCがフリーズして ドキュメントが過去5時間分のテキストごと木端微塵にされるのを見ると TeX使いは ちょっと優越感を覚える
露助の教授に「あなたの理論は間違ってる事が(ロシアで)20年以上前に証明されていてねぇ」と指摘されるのが好きだ(ラボ内だったからな)
必死に守るはずだった仮説が反証され 実験の不備が指摘され 論文がリジェクトされるのは とてもとても 悲しいものだ
米国の物量(研究資金的な意味で)にものを言わせた研究所に 自分と同じ研究内容を先にPLoSに発表されるのだけは 勘弁だ
締切り(近々だと1月に1こ)に追いかけられ 太平洋標準時だからこっちの朝4時まで大丈夫!と徹夜するのは 体力的にそろそろ無理だ
君達は 一体 何を 望んでいる?
情け容赦のない 鬼の様なピアレビューを 望むか?
並列処理の限りを尽くし 三千世界のCPUを焼き尽くす 嵐の様なシミュレーションを 望むか?
「D論(クリーク)!! D論(カフェイン)!! D論(メンタルヘルス)!!」
よろしい
我々は満身の 力をこめて 今まさに スライドを指し示さんとする レーザーポインタだ
だが この暗い研究室の中で 3年もの間 堪え続けて来た 我々に
大論争を!!
一心不乱の大論争を!!
。。。。えー、
「男が出来る気がしない」と、 http://anond.hatelabo.jp/20081127063438 を書いた増田ですが、
どーせ釣りだろと言われた/予想以上にHELLSINGに反応してくれた人がいた/NIPSに持ってかなきゃ行けないスライドがいつまでたっても終わんない/ので、ついカッとなってやった。反省はしている。