はてなキーワード: 科研費とは
実体験よりも聞きかじりのものが多いから的はずれのことを書くかも知れない。
最初このニュースを聞いた時、感情的に言って、「仕方がないな」と感じた。
だから科研費を減らしてその分を復興に回すのも妥当な判断だと思う。
「研究は何のためにするのか」という問の答えは人それぞれだろう。
経済的だけでなく、思想や、知的好奇心、教育など、いろいろな側面がありうる。
今後、社会はどう進むべきか。
両親を亡くした子どもの心のケアをするにはどうするのがよいか。
そもそも原発事故はなぜ起こったのか、防ぐにはどうすればよいのか。
放射線の影響はどの程度あるのか。
やるべきことはたくさんあるはず。
通常科研費と呼ばれているものは、研究者の自由な発想に基づく研究を支援するためのものである。
今回のことで、反原発派の研究者たちが虐げられてきたことがよく知られるようになった。
もしこのことを反省するならば、自由な発想に基づく研究こそ支援されるべきではないのか。
科研費の正式名称は「科学研究費補助金」であり、補助金である。
しかし大学からもらえる研究費はわずかで、科研費なしでは研究が全く出来ないという分野もある。
すなわち国(および多数派の研究者)がどういう研究をするかをある程度操作できる。
補助金なのに補助ではなく、自由な発想と言いながら操作ができるという、
「一個人の研究者として今後どうあるべきだと思うか?」という意見募集ではないのか。
国は研究者に期待をせず、
研究者は自分の成果をあげることに一生懸命で、国がどうなろうとお構いなし、
という状況は異常としか思えない。
僕、個人が今回の震災について妥当な意見が言えるとは思えない。
全く専門外だから。
しかし、この震災に対して適切な調査をして妥当な判断を下す責任があるのは誰なのだろか?
それが求められているのはやはり大学ではないだろうか?
一体他に誰ができるというのだろう?
個人的な感想として、成功する人というのは
と並行して
「~すれば金になる」
が同時に思いつく。
起業家はもちろんのこと、たとえばアカデミックな世界で生きたい人はたくさんいるけれど、うまくいく人は
と同時に
「~すればデータが出る」「~すれば論文になる」「を~したら科研費が取れる」
くらいまで自然と、ほぼ呼吸するのと同じくらい自然と思いつくし、当たり前のように実行する。
そういう人材の中で、さらに運がいい人だけがアカデミックの世界で生きていく。
たぶんそういう能力って、100%生まれつきの才能なんだと思う。
この教員は学科に所属しているのではなく研究センターに所属している。
www.life.shimane-u.ac.jp/kyoin_ichiran/gakubu_shozoku.html
この種のセンターに所属している教員は、学科と兼任していない場合、研究室を持たない可能性がある。今は卒論や修論を指導する立場にないんじゃないか?
もしそうだとしたら、大学に問い合わせたところで無駄だろう。「本学の教育・研究に対しご意見いただきありがとうございます。当該教員はセンター所属の研究者であり、現在この教員は学部生および修士に研究指導を行っておりません。本学において卒論・修論指導を担当している教員は適切な指導を行っております。ご安心下さい。この度の貴重なご意見は然るべき手段にて当該教員にお伝えいたします。」とまあ、こんなところだ。この手の先生は主に『講義』と『自らが研究をすること』が仕事になるため「こんな教員に科研費を渡すな」「税金を使うな」みたいな指摘は的外れ、というわけだ。
発言者のバックグラウンドをもう少し考えてみる。ご本人のプロフィールによると、京都大学で准教授までやっていたらしい。
forest102.life.shimane-u.ac.jp/yosimura/self_j.html
その頃はもしかしたら研究室を構えていて、学部生や修士を指導していたのかもしれない。京都大学の学生相手なら卒論・修論なんて読んでやらなくてもよかった、ということなのだろう。そりゃ京大ならそうだろうな。今時の学生にとっては不幸だろうけど。強く生きてね京大生。
twitter.com/pukuma/status/29158496909922304
査読論文はガチッと指導してたみたいだから、その体験があれば卒論・修論くらい余裕だろ? って言ってたんじゃないかな。旧帝大クラス(『研究大学』)なら卒論・修論書く前に査読論文書くくらいのことは普通にやるんだろうし。で、それに比べて現在勤めているらしい島根大学での指導方針にびっくりしているよ、と、そういうことなのだろう。旧帝から駅弁に流れた先生の典型だな。早く新しい職場に慣れるといいですね。慣れる前に京大に戻れるともっといいですね。
私の知る範囲での事なので、全てには当てはまらないことを前もって言っておきたい。
というか愚痴だ。
理系、特に理学においては、「研究者になる」ということに、憧れを持つ人は少なくないと思う。
そして、一度はノーベル賞を取ってみたいと願い、
(行動はともかく)燃える時期があるのではないだろうか。
しかし、そんな気持ちはゆっくり熱せられ、急激に冷める。
おそらくピークは学士3・4年。研究と勉強の大きな違いにショックを受けるからだ。
そして、卒業研究が、彼らの望む研究とは遠くかけ離れたものになることも毎年のようにある。
彼らに全くやる気が無いわけではない。
1年で(正確には半年強だが)やれることなど、たかが知れている。
時間が不足しているのだ。
だから、担当教員は悩みながら、1年でできる程度の課題を彼らに与える。
不幸なのは、それに気づかず、
「大学ではたいしたことなど出来ない」と見切りをつけていく学生たちだ。
あるいは、エントリーシートの数百文字程度の内容には、なっただろうか?
(ここでの定義は、「最終学歴を大学院として、卒業大学より上位の大学に大学院生として所属すること。
その行為によって学歴はよくなるはずなのだが、己の学歴に対するコンプレックスを逆説的に強めてしまうこと。)
ただ、ネット上や、彼らの中でもコンプレックスの強い人物の心のなかには、はびこっていることだろう。
しかしながら、有名大学の大学院に進学することは悪いことではない。
現実的に、いわゆる上の大学になるほど、科研費その他もろもろにおいて、
資金は潤沢な研究室が多い。
良い研究をするには、良い環境の中でという考えもあるのだから。
問題はその一歩先にある。
大学院に進学したということは、「閉鎖性」に身を置くと同義である。
例えば、
・研究自体が一人=独りで行う
・取り組んでいること自体に特許や機密性を持ちうる
もちろん、例外は沢山ある。持ちつ持たれつで、他の研究室と交流する研究室もある。
これは私の強い主観だが、大学院生が学部生より無気力に感じる時がある。
彼らがモラトリアムを満喫しているのではなく、「閉鎖性」に慣らされてしまったのではないかと、
心配してしまう。
(本来は学部3年で考えておくべき事だが)
博士になるべきか否か?
ここで就職を選んだ人は幸せ者…と言われる(私はこの考えに賛同できない)
理由は明白である。
・学費をさらに3年以上も払いながら研究する金銭的問題。
・視野が狭くなる
あなたは他にも理由を挙げることができる。
いろいろな問題点があるが、ひとまず「閉鎖性」に焦点を絞りたい。
多く言われるのは、「論理的に物事を話せる(ロジカル・シンキング)」だ。
企業にとっては、その研究内容よりも、学部で学んだ専攻が重要だろう。
すると、「どのような閉鎖性を含んだ環境に身をおいたか」が重要になってくる。
・一つの物事に没頭できる環境がある
・日常生活の自由度という点においては、修士が最も高い。学部生には単位の問題、博士には博士号の問題がある。
・時間は研究に削られるかもしれないが、タイムマネージメントをすることにより、効率的に行動を起こせるようになってくる。
・学会発表等の機会が増え、「自分の考えを分かりやすく説明する(コミュ二ケーション能力)」
(社会人には負けるだろうが)
人間関係は学会・バイト・趣味・留学・お隣りの研究室で補うこともできるんだよ。
私はやる気のない受動的な人間ほど、閉鎖性のデメリットをもろに受けてしまうと考えている。
私の立場は、有機化学系の研究に携わり、仕事上ある研究室をちょくちょく訪問する研究員としておこう。
彼らの多くは就職先が決まっているあるいは、博士へ進むことが決まっている。
けれども、以下の状況からは、その能力を疑わざるを得ない。
・彼らは集団で、気に入らない博士後期の学生をいじめ、うつ病に追い込んだ。いじめられた学生は、病気を患ったまま研究室を去った。
彼の将来の生活は本当に闇。
ボディタッチはさすがにないが、下ネタを一日10回以上、同じ研究室の女性へ敢えて聞こえる言う。
担当教員は、セクハラに関して「男が多い世界だから仕方がない」とのこと。
・彼らは集団故に、上記の罪悪感は無い。
・研究に積極的に取り組んでいるのは少数。あとは担当教員の言いなり。
まぁ、言われたことはやれるんです。
だから、発表できる程度の結果は残し、大学院生としての最低限はクリアしている。
・気に入らない人間を探し、悪口とその人の不幸をいうのが日常の楽しみ
人間関係が研究室で完結すると、周りが気にならなくなるからね。
残念ながら、彼らはロジカル・シンキングのできる幼児に「成長」してしまったのではないかなぁ。
彼らは大学院生にならない方が良かったのでは?
学部生の時の方が実はピュアだったりして。
研究室が悪いのか?その担当教員の管理能力が悪いのか?彼らが悪いのか?
私はそういう原因を探る問いが有効な手段ではないと考えている。
出来れば、研究室の自然消滅かなぁ…。そうすると、私の食いぶちがなくなるので困るが。
彼らの人生はこれからも長い。他人を平気で潰していくのかな?
そして大事なモノを閉鎖性のブラックホールに吸い込まれてしまったのだろう。
下のみたいな反対の人の記事とか、それへの反応を見ていて思うこと。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20100705/1278299235]
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20100309/1268138091]
日本の現在のエネルギー政策はもうすでに新エネルギー源の研究開発にシフトしてる。政策決定をする人たちは原発を永劫に使うつもりなんて毛頭ない。
エネルギー政策関連の予算を見れば。高速増殖炉にはすでに1兆円以上を突っ込んでるし、核融合関連でも(科研費とかも含めれば)それくらい突っ込んでるだろう。核融合炉関連なんかはこれからもっともっと突っ込むだろう。いわゆる自然エネルギー関連にも結構突っ込んでる。
なんでそんなに突っ込むのか?石油の値段で国家レベルの不況が来たり、永劫残るような廃棄物に悩まされるのには皆うんざりだから。
世界的な流れは「シートン俗物記」の人が訴えるような「今あるものを大衆に手放させる」ようなリアリティに欠けるやり方ではなくて、原子力、化石燃料、水力、太陽光などを使って枯渇を先延ばしして、伸ばしている間に新エネルギーの開発をする。という現実的な方針なわけ。短期的に原発回帰する国家だって並列して新エネルギーや省エネ研究を推進している。
それはITER(熱核融合の実験炉)に日本、アメリカ、ロシア、中国、インド、韓国、EU、とそうそうたる各国が名を連ねている事でもわかるはず。(参加国総人口では歴史上最大のプロジェクト)
一部の推進派が原子炉を永続的にを使えるかのように言っているのは知っているけど、みんながそう思ってるわけではない。なのにどうも推進派はみんなそう思っていると認識している人が居るように思えてならない。
それは違うよ。
これは難しいんじゃないか。
そもそも日本の大学に学生に給料を与えるだけの財政基盤があるのかというのがまず1点
ハーバード大学が常に高い評価を得ることができるのは、質の高い教育を提供していることは言うまでもなく、それを可能にしている財政基盤を持っているからである。これは同大に限ったことではなく、アメリカの大学に共通していえることである。アメリカの大学の基金の総額は3000億ドルに達している。新規の寄付も巨額で、昨年は合計で267億ドルの寄付を得ている。しかも、そうした基金の運用益が大学経営に潤沢な資金の源泉となっている。昨年の基金の利回りは9%を上回っている。04年は15%を上回る利回りを確保している。
3年前、筆者が教鞭を取っていたワシントン大学でのことだが、バス停で日系の学生と話をする機会があった。彼女は「家は貧しいが大学の奨学金があるので進学できた。将来は医学部に進みたい」と語っていた。同大学の授業料は3万ドルを超えている。これは同大学に限らず、アメリカの大学に共通していえることである。ハーバード大の学部授業料も3万ドルである。主要大学の中で一番授業料が高いのはコロンビア大学で3・2万ドルである。日本の大学よりもはるかに高いが、豊富な資金を背景に潤沢な奨学金を提供して優れた学生を集めている。ハーバード大は、04年に低所得層の学生に対して授業料減免制度を持っている。最近、親の所得が4万ドル以下の学生に対して授業料を免除する決定を行なっている。
http://www.redcruise.com/nakaoka/?p=188
アメリカの大学にとって、卒業生や企業からの寄付を基金にしてその資産運用を行うのは非常に重要なことである。以前このコラムで有名私立大学の学費の高さを紹介したが、大学の経費をまかなうにはとても足りない。学費の高さも寄付基金の大きさも全米トップレベルにあるハーバード大学を例にとろう。2007年7月から2008年6 月までの大学の収入総額は約35億ドル(3300億円)。そのうち公的補助金が占める割合は15%、奨学金給付を差し引いた学費収入が20%、寄付基金の運用益からの収入が34%という構成である(残りは、企業や財団からの研究資金や使途が決まった寄付など)。この比率は、少なくともこの数年あまり変わっていない。一方、東京大学の2008年度の収入は2060億円。このうち国からの補助金が48%と、半分近い。学費や東大病院からの収入、および保有有価証券の収入など「自己収入」は29%であり、ハーバード大学の「自己収入」が54%であるのに比べると、財務的な自立性の彼我の差は大きい
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0907&f=national_0907_006.shtml
アメリカでは大学と大学院は別のところに行くのが一般的だが日本ではそうなっていない
いろいろ、突っ込みどころ満載だが、
なにかを研究しようとしたら、教官が知っている知識は学生は知っていて当然、それ以上の情報をあつめ、仮説を立て、裏づけができないとならない。
少なくとも研究者として数十年のキャリアを積んでいる教授より学部修士が知っている知識の方が多いとしたら
おかしいよね
もし、いるとしたらレイオフすべきだろう
もちろん、美味しいところは教官がもっていく。
無給でこき使われて、授業料を払って、成果は店長がもっていくようなバイトは
ブラック企業ですらない
高校の場合、教師から受け取る知識と教師に与えた知識はほぼ100:0だった。
大学では、教養課程を除いては、教官から受け取る知識と、教員に提供する知識、労働力の比率が逆転した。
なにかを研究しようとしたら、教官が知っている知識は学生は知っていて当然、それ以上の情報をあつめ、仮説を立て、裏づけができないとならない。
もちろん、美味しいところは教官がもっていく。
それによって研究費をとり、しかしそれも結局は大学が吸い取る。
大学が駅ビルで、研究室がテナントで、教官はそれぞれのテナントの店長。
研究といっても、実務は華々しいことばかりではない。
掃除みたいな雑用から泥仕事、危険な作業、そういうことのほうが多い。
研究費に結びつかない(と思われる)研究に時間とお金を裂く時間も体力もなかった。
目的の研究の過程で起きたトラブル対処から、追加実験をして新しい知見として卒論にする、そんな程度のつまらない卒論だった。
でも、大学時代、先生と生徒ではなく、同じ仕事をする仲間として見てもらえたことを誇りに思う。
教官と学生の関係は高校そのままでないにしろ、教官は学生の指導に重点を置いていたし、学生も教育を受けて当然という風に思っているようだった。
丁寧な教育を施されたかったら、それほど受験で頑張る必要はないのかもしれない。
科研費がとれない大学ほど、受験料と授業料で経営する大学ほど、教育熱心なはずだ。
でも、たぶん教育を施されるよりも共に働くほうが学びは大きいだろうと思う。
白状すると、学歴のおかげでずいぶんと得をしてる。
でも、教育機関としての大学なんて放送大学だけで十分なんじゃないかって思う。
授業料をたんまり取るラボから、逆に時給を出すラボまであっていいと思う。
そうすれば、家庭の事情で進学できない人も減るはずだ。
なにせ授業料どころか時給、ときに年俸だって発生しえるわけだから。
どうだろうこれ?
「頭がいい(≒成績がいい)」ことがもてはやされるのは、いい会社に勤めていい仕事をする能力があり、いい給料を稼ぐことができる、とみなされるから。
言い換えれば、頭のいい人は(資本主義社会の)良質な労働力として社会から期待されているわけだ。金稼げよ、って。
だから親も国家も教育に「投資」するんだよね。塾行けよー、とか。国立大学の授業料は安いよー、とか。
でも、頭の良さにはざっくり言って二種類ある。
一つは、効率よく物事をこなす能力。最小の努力で最大の成果、みたいな。東大の入試問題とか、この能力を測る典型でしょ?(たくさんある問題から簡単に解けるものを効率よく正確に迅速に解いていく競争)
もう一つは、物事の本質の探究にエネルギーを注ぐタイプ。「どーなってんだこりゃ?」って疑問に思うことを徹底的にじっくりと掘り下げていく。研究者系。
後者の方がカッコよくみえるよね?本当の学力ってのはこーゆーものだ、効率重視なのは見かけ倒しのハリボテに過ぎん、って。はてなスノッブのみなさんはもちろん、一般的にもそう思われてる。気がする。
でも実際は、明らかに前者の方が優遇される。だって、後者は労働力として役に立たないもん。
だから大学で哲学博士とかとっちゃうと、そりゃまあ普通の人より「賢い」んだろうけど、「労働力」としてはバッタみたいなものだからどこの企業も欲しがらない。
じっくり時間をかけて考えたり小難しい本を読んで悦に入る人たちは世間から疎まれる。
「大学でハイデガーの研究をすることで将来何の利益を生むんですか?われわれの税金も使っているんですよ?科学技術なら将来なにかに化けて国に貢献するかもしれません。でも実存主義を教えたところで自殺者を増やすだけじゃないですか。だから科研費は人文・教養系全部カットね」
結論を言うと、じっくり考えるタイプの頭のいい人は、社会に出ると単なるデクノボーっていうこと。増田の僻み?
要するにあれだ。「足が速い人」と同じぐらいの価値。へ~すごいね~、ぐらいの感想しか持たれない。でも小学校ではチヤホヤされただろ?でも会社で「俺、100m10秒台出せるっす」とかいっても合コンの時の話の繋ぎぐらいにしか役に立たない。
でもこのタイプの人間も学力テストではそこそこいい点数とれたりするんだから始末が悪い。
「俺って頭いいじゃん!」って錯覚するし、周りも「○○くんすごいねー」って言ってくれる。いい大学にも入れる。
この資本主義社会では頭(≒効率)の良い人間は良質な労働力とみなされるから、いろいろ丁重にもてなされる。
だから、研究者タイプの頭の持ち主は、天上から一気に地べたまで突き落とされる。社会に出た瞬間。その落差たるや凄まじい。凄まじいから嫌になってひきこもる。社会から逃走する。あるいは大学に籠城する。行き着く先はニートか自殺かウシジマくんか。
まあ、超天才はこの話カンケーないっすけどね。トントン拍子に学者なり評論家なりになって食っていけるし。でもそれはごく一握り。学生ってすぐ「あの教授バカだよなーまじうぜー」とか言うけどそれ完全にお前のペガサス幻想だから。いくらボロクソに言われようが、やっぱり東大の先生は天才なんだよ。でも東大の学生がみんな天才である保証はない。足だってムチャクチャ速い天才児はオリンピックなりなんなりで活躍できるっしょ。
長々と書いたが、要するに、わたしは、社会のゴミだ、ということの確認です。
こんなの当たり前だ何甘えてやがるファック?長いから3行で?自分語りはチラシの裏に書いとけ?
いーんだよ。どうせ増田だし。こういうときの増田だし。やっぱ誰かに聞いて欲しいし。いーじゃん。近藤さんありがとー。
ねえ みんな
なんで私をそんなに誉めてくれたの!?
私のどこがそんなに優れてて
いっぱい賞状やトロフィーをくれたの!?
みんながあんまり誉めたりするから
それで このザマよ
私なんてホントはダメダメだったんだ
何の保証にもならない数字で
勘違いさせないでよ!!
科研費を通じて(地方も含む)大学にお金が行く→地元の取引業者に発注が行く→機材屋・材料屋に発注がかかる、という流れで。
公共工事・大規模土木工事は、結局中央のゼネコンが元請けになるから地元中小企業は潤わないor下請け孫請けで買いたたかれると言うけれど、科研費で落ちるお金(の大部分)はいったん地元に落ちる。その先には、もちろん中央の大企業に行くお金もあったりするけれど、それでも一般には高額な(500万円なんて安いよーってケタの、不況期にはなかなか売れない額の)機材が売れるようになるわけだし、大企業じゃなくとも中小企業の職人芸を生かす発注が生じたりして、いろいろなスケールの会社が潤う。
経済対策の一環としての科研費というのは間違っていないし、公共工事だけでは潤わない業種にお金を流すためにも必要な仕組みなんだよ。
あいつらの教育関連マニフェストは屑すぎる。あいつらて誰か知らないけど。
ちなみに文系学部の事はよく知らないから、そっちの実態にあってなかったらゴメン。
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2009/06/19/2009061916584719029.html
悪いことではあるんだけど、そもそも科研費ってお国の変な制度なんだよなぁ
森博嗣の本で「大学の話をしませんか」とかで話題に上がってたり、某教授から科研費がいかにめんどいのかよくきいてたり。
一番変なのが研究に関わる消耗品がすぐに買えない(ちと認識間違ってるかも)
というか消耗品以外にも使う目的がちゃんとしてなきゃ駄目みたいな感じ
こんな感じに書くと普通じゃね?とか思うかもしれないけど、そこはおいらの説明べたなところだと思う
(というか正確には把握しきれてないとも言う)
まあ平たく言うと、研究目的で使おうとしても、いちいち書類にしてOKもらえないと科研費を使えないとかめんどくさいお金が科研費。
(森博嗣はこの書類を作文とか言ってた)
簡単に使えないのに年度内の予算はその年度で使いきらないといけなかったり。
(数円でも余らせると起こられるらしいし、余った分を次の年にはくりこせなかったはず)
プール金にして、不正利用(といっても研究目的みたいだけど)してたわけで、これは悪いことなわけだが、うーん。
たぶん科研費のめんどくさい手続きを避けたかったんだろうけど
新聞読んだ人には科研費がいかに変な制度の下運用される金か知らないだろうし、教授たちが悪い子としたんだと思ってしまうかも知れんけど、それにしても科研費というものが今回の事件を起こしたと自分は思う。
mixiの日記とかにかこうかと思ったけど、なんかみんなに科研費がどういうものかもっと知ってほしくなった
大学生とか特に
というかおいらのハンパな知識を当てにせずにググッたりして調べたほうがいい
というかそうして
http://anond.hatelabo.jp/20090606012613
企業によってはそもそも低ランク大学では受ける権利がないこともあるからね
そんなわけで,俺的には東大でも京大でも院に入れるならみんな入ればいいと思ってる
唯一重要なのは,博士学生を育てることが出来る優秀な教授の下につくこと
優秀な研究者が揃っている大学には国策としてのお金COEが付く
自分は去年220万
これに学生支援機構(旧育英会)からも借りれるから生活はかなり余裕
前からみればオレは牛後だろうけど
確保している金でみれば牛後のほうが多いことになるかな
さらに個別にみても有名大学の教授は優秀であり,科研費を安定して確保する
研究会の移動で移動代を自腹で払ったことは一度もない
ま,そんなことよりも,博士課程まできたら
なんてったって,神経すり減らしながら成果をあげなくちゃいけないんだからね
http://anond.hatelabo.jp/20090519230327
それを何となく助教に伝えて科研費用資料を作る。この過程で助教の精神が崩壊する。資料は抽象的でなんとなくそれっぽい絵とどこかで見たようなアルゴリズムにそれっぽい名前が付いてるだけの資料になる。本音をいうと「初音ミクを作る」と言われる方が楽だ。「教授がシステム全体を説明できない、今までにない新規性溢れる研究」を始めると、論文が通るとか以前にそもそも誰も修士すら取れない。
その資料でも何故か科研費は通る。「おもしろいですね」っていう展開になり、他の予算が付くことも。
決まってしまったので研究をしないといけないので、とりあえずD1とかM1に投げられる。分野ぐらいしか分からないのでいろいろサーベイしてみる。もちろん、サーベイ論文とか書ける以前のサーベイになる。(問題点って特にないよね、とか、教授の言ってるのはこれで実現されてるよね、とか)
研究が始まると、政治的なパワーバランスなどの都合により、今までのサーベイはゴミ箱に行くことに。「でも、英語読めるんだから簡単にできるはず」等と言われる。音声処理の研究だったはずがサーバの性能向上になったのに。(極端だけど研究分野変更はザラ。あまり大きな問題はない)
助教はまた初めと同じように教授とメールのやりとりをする。日を跨ぐと違うことを言うので出来るだけ素早くパワポの資料にしてメールする。なかなかまとまらないが、D1とM1はB4の卒論テーマを決める。何を作るかわからないが、とりあえず実装とか評価の妄想だけして日程表を作る。B4も卒論の目次を作る。
放っておくと壮大なシステム、壮大なアルゴリズム、壮大な社会的効果、テーマのバグ、労力の割に実現性に乏しいような話がブチ上がってくるので必死で止める。
(テーマのバグは実現するだけでベンチャーが大成功しそうな無茶な物のこと。例えば人間が何を考えているかを正確に把握して、それらからその人間が本当に欲しがってるものを広告表示するのとか。PCと脳が直結できないのを理解できてない)
助教はこの段階で死にそうになってる。一応存在する研究会の締め切りが迫ってくると当然毎日徹夜して論文を作成していくわけだが、なんど書き直しても「つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「字にすると面白そうに見えないから(システムの)名前考えて」「(仮の)評価が気にくわないから想定環境が~」「やっぱこうの方がいい」「昨日いいこと思いついた」等の必殺技に返り討ちにされる。評価をB4の学生に取って貰ってるときはメシをおごりながらまた再実験してもらう。論文の締め切りはもちろん守られない。その分のしわ寄せは、単に延期になる。
秋も終わってそろそろ冬になると、卒論や修論やD論がしっかりできあがって・・・いない。絶対。時間だけが無情にも過ぎるが未だに研究の方向性が定まらない。分からないところは逐一聞きながら実装する。運が悪いと何故聞かなかったと言われる。
年明けのX論提出期限ギリギリ。間に合わないことが確定的になってから評価をとりあえず削ってみる。最初からそれは無理と言い続けた評価軸を削るが教授は不満顔。最初からそんなことは無理ですよと毎度毎度言い続けているが変わらない。評価はアンケートでもいいとか言い出す。それで前も留年者を出しただろうに。やっぱり研究テーマがいまいちとかこの期に及んで言い出す。助教は必死で学生の面倒を見る。ていうか論文書いてたりする。みんな死にそうな顔をしているが激太りもしている。
卒論・修論・D論を出して糞論文と言われる。世間一般的に評価内容にミスがあればファーストオーサのせいにされて(こいつが教授の名前借りて全部やったんだから、と思われている)つまらなければ担当教員が批判される。
終わった頃には人数が減っている。そして新入生がやってくるw