はてなキーワード: 花弁とは
わたくしが、座る席の向こうに経理の女性が一人座っておりまして、それがなんとも言えぬ感じの美人であります。向かいと言いましても目隠しの、衝立のようなものが一枚ありますから顔上げれば見通せるわけではないのですが、その衝立には1cmばかりの隙間がありまして、そこからちょうど、瞳半分くらいがのぞいて見えたりします。手前どもの会社にはユニフォームというものがありませんで女性はいつもフォーマルな私服を選んで身につけてくるわけですが、わたくしはこのフォーマルな私服というものに対して、ちょっとばかり執着に近いような感情を持ち合わせていまして、まぁ要するに、その女性の出で立ちを目に焼き付けるのが日課のようなものなのです。とくにその女性は女性的な肉体を持て余すような肉欲に直結する魅力を持っているわけではありませんので、どことなく憂いを持っていながらも少女的で、満面の、笑みを見せながらも優しく抱きしめて守っていないと突風でもあれば、さらさらと吹き消されてしまいそうな危うさがあります。その割に身の丈が男性の、平均的なものより鼻から上が飛び出る程度に高いものですから、おそらくは多感な頃にそのことに思い悩んだのか、猫背で人を見下ろすようななんだかちぐはぐな姿がまた愛らしくもあります。小生はその平均よりも悲しいかな、おでこひとつ分くらい劣っているために、その女性と話をするときなんて言うのは、相手が座っていても対して目線に違いがない程度だったりもしますが、それでも普段なら雲の上にある、小動物のような愛らしい表情がぐんと身近にあるものですから、理由を作っては書類を持っていくのが日頃の楽しみでした。
一般で言えばここで女性の顔が気になるところかと思いますが、わたくしにしてみればそんな部分よりも女性の長身ながら猫背で、それでいて屈託なく笑うのに憂いを帯びている部分の、つまりは良さというのを感じてもらいたいがため、あまり掘り下げる気分でもありませんが、ひとことで言うとえくぼが似合う人懐っこそうな飾り気のない少女的魅力を持っている女性だとでもしておきましょうか。年のほどは成人してから、十分な年数を過ぎているほどだとは思いますが、メイクが薄いことも手伝ってまるで女学生とも、見えなくもない、(格好がどうしてもそれをゆるしませんが)本当に素直そうな娘ではあります。もとより痩せていたためかバストは手のひらに収まる程度の膨らみを称えるに限り、本人がそれをどう思うかは別として、わたくしにしてみれば存在を、過剰に主張するようなバストよりも、慎ましやかにシルエット称える奥ゆかしいくらいが、ある意味では物怖じしてしまうこともなく対等に向き合えるくらいかと、安心していられます。
それで話が戻るのですが、ちょうど座っている位置から、衝立の隙間を通じた部分に、その女性の首から胸にかけてを見て取ることができます。幅は、瞳半分程度ながら高さがそれなりに開いているわけなのですが、その位置が微妙に相手の視線を避けてくれるおかげで、じっくりと洋服の仕立てやその向こう側のオウトツを、観察することができるわけです。はじめに申し上げたとおり、フォーマルな私服に一方ならぬ自分なりの執着がありまして、とくにブラウスといわれるものの存在が常々わたくしの平常心をかき乱します。あの薄く風に揺れる素材の向こう側が、見えるようで見えぬ、それでいて日にすかされて眩しくきらめく姿が、かと言って背中からは無骨に下着の肩紐なんかを透けさせるような矛盾した作りが、どうしても視線をそむけさせてくれないのです。日によって丸首や襟付き、ボタン付き、白であったりブラウンであったり、胸元にインナーのTシャツが除いていたかと思えば、うっかりレース素材の花弁の一部が顔を覗かせてみたりと、別段毎日記録をつけているわけではありませんが、なかなかのバリエィションを楽しませてくれるのが、見た目奥ゆかしい女性の割にファッションへの並ならぬこだわりを持っているのではないかと疑わしいことさえ面白くも、女性の魅力を一層に引き立ててくれるのです。
それで先日、いつものようにブラウスの材質と、その下に隠れる肌着に目を細めていると、何やらちょっとした違和感がありました。ただ、衝立の隙間が細いせいか、視線はどうしても片方しか届かず、距離感というものがつかめません。やきもきしていても仕方がない、別段、いま聞く必要のない疑問と、それに関係する書類を手にすると、わたくしはその女性の元へと向かいました。衝立の上から覗き込むように、こちらの顔が見えるか見えないかのタイミングくらいから声をかけます。年頃の女性に、わたくしみたいのが突然声をかければ驚かれることも少なくないのが悲しき実体験。そんな杞憂とは別に衝立の向こうからいつものように素直そうな笑顔が顔をのぞかせるはずでした。ところがたしかにいつもの笑顔ではあるのですが、なんとも言えぬ嫌悪感がよぎりました。瞳を縁取る線の濃さ、足を湯に浸しているかのように紅潮してみえる頬、そして、脂身にでも齧りついたかのようにてかりを見せつけるリップ。その衝撃で適当に見繕った疑問は一瞬で吹き飛び、二の句も継げずにあうあうと口を動かすのに精一杯になってしまいました。そんなわたくしの態度に何かを感じ取ったのか、女性は表情を曇らせ軽くうつむいてしまう始末。ところがその視線の先に先ほどの違和感の正体が隠れていたもので、女性に慰めもごまかしもできぬまま、文字通りそこに立ち尽くしてしまいました。その正体というのも、わたくしが相対しても物怖じすることのなかった胸が、あきらかに今まで見せたことのない陰をたたえるほどに膨張していたのです。むしろ冷水を頭からかぶった気分でしたから、そこではっと我に返り、質問を忘れてしまったことを笑ってごまかしながら邪魔した非礼を詫て席を、あとにしたわけではありますが、これは結構にショッキングなできごとでありました。
昨晩に何があったのか、それとも今晩に何かあるのかわかりませんが、一体何の前触れもなく、その女性は女になってしまったわけです。はたまたなろうとしているのかもしれませんが。澄み切った小川のような清々しさと透明感でありながら踏み込めば足を取られかねない危うさとを持ち合わせた、畏怖をも感じさせる魅力をもった女性が、突然俗物に成り下がった瞬間でした。これでは、ちょっとしたつまみ食いであっても食あたりが不可避な状態です。もとよりわたくしなんかに食する機会があるわけもなかったのですが、ただそこにあるだけなのに、神のみが作り得る奇跡の美というものは、こうも簡単に汚染されてしまうものだと知りました。
その日からというもの、衝立の隙間はファイル立てやバインダーによって塞がれてしまいました。たまたまなのかもしれませんが、もしかすると、彼女もわたくしからの視線を楽しんでいたのかもしれません。だとしたらどうして俗物に成り下がる選択をしてしまったというのでしょう。わたくしが喜ぶことを望んでくれていたのでしょうか。しかしながら彼女は、その日から俗物の姿をやめることはありませんでした。わたしはただ、この世界からまた一つ、純粋なる美が消えてしまった悲しみに打ちひしがれています。悲しいかな、それが流転であり、幾度なく噛み潰してきた苦虫が教えてくれた無常なのだだと言い聞かせることしかできないのです。いまでは、彼女と相対するとき、わたくしは田んぼのカラスのような焦燥感にさいなまれています。
草で腐すことを覚えたのがいつだったかは覚えてないが、それでも草を生やさずにいられなかった。
ソメイヨシノの季節が一週間経たずに終わって、まだ里桜や八重桜が残っていたけれど、なんか物足りないなぁとググること五分、サクラソウの存在を知ったのが一週間前。
震災を機に、俺のような底辺でも移り住めるほど家賃がだだ下がりしたTDLのお膝元の浦安からサクラソウの自生地がある荒川の辺りまで40km、行けるじゃん、行こうぜと脳内麻薬をドバドバ出しながら歩ききったのが二時過ぎ。待ち受けていたのは草っ原だった。
欄干から下を見下ろした時、何となく爽やかな緑色だなぁという予感はあった。荒川が日本に誇るスーパー堤防は、それが守る川からして明治時代に作られた放水路という徹底管理された人工緑地だが、遠目には美しい。だが、近寄ってみれば羽虫が湧き湧きしているやはり近寄りたくない所だ。足立区付近だとブルーシートも点々と湧き湧きしていて、北区との格差を考えてしまう。
爽やかな風に運ばれる虫にいい加減に疲れていた俺は緑と青以外の色に焦がれていたわけだが、サクラソウ自生地は近寄ってみてもやっぱり一面の草だった。いや、よくよく見れば雑草の影になってピンク色の可憐な花が顔をのぞかせている。これがサクラソウか。だが、如何せん草だらけだ。
見学路に面して奥ゆかしく白い看板が所々に立っていた。サクラソウ、うむ。カントウタンポポ、西洋タンポポじゃないんだ。アリアケスミレ、咲いてないのが残念。ノウルシ、さっきからサクラソウを邪魔しているのはこいつかー。
よくよく見れば埼玉で絶滅第二種、国内で準絶滅種と書いてある。サクラソウも絶滅しかけている貴重な花とのことだったが、この目を凝らせないと分からないような黄色い花弁をつけたノウルシも貴重だった。さっき、疲れて自制心が落ちかけて手で退けようとしたのをすんでで止めて良かった。手が被れるところだった。
サクラソウの説明によれば、夏場は背の高いヨシがサクラソウを守るとのことだったが、つまり背の高いヨシが(光を防いで他の草の植生を妨げることで結果として)サクラソウを守るということだろう。違ってたらすまぬ。
要するに、いつもなら周りの草が生え揃う前にサクラソウが可憐な花を咲かせて、その後育成の遅いヨシが生えてきて日陰ネラーのサクラソウを守る、みたいなサイクルだったのが、暖冬だった今年、サクラソウより早く雑草っぽい貴重種が花と一緒に生い茂ってしまったわけだ。絶滅危惧種という植生ピラミッドの底辺がさらに底辺を虐げる。サクラソウ自生地という、定期的に通る武蔵野線と車道が雰囲気をぶち壊しにしていく都会だか田舎だか分からないような微妙さの中で行われる生存競争に、俺は日本社会の行く先を思わずにいられなかった。
サクラソウが虫媒花がどうか知らんが、俺が虫だったらよっぽど目立っていたタンポポに集まっていたと思う。実際綿帽子だらけだった。サクラソウを圧倒していたと思う。縁が白いシロバナタンポポにも久しぶりに出会えて、サクラソウより写真撮った。さすがタンポポ、美人より万人に受ける可愛さを選択した植生界の子持ちDQN。サクラソウ自生地をサクラソウ自治区だと思い込んで手を打たなかったら三十年後はタンポポしか生えてないんじゃないの?
こんなことなら、赤羽近くの土手に植えられた芝桜を麓からもっとちゃんと見ていたほうが良かったな。ニッコウキスゲを初めて見た時はカタログ詐欺じゃなかったんだが、つくづく難しい。
ちょっと違うけど ステキっぽいアイテムを配置したイラストがもはや嫌い
15年前くらいから感じていて最近全くイラストなんて見てないから曖昧なイメージしか持っていないし今まだそういうものが生き残っているのかわからないけれど
たとえば女の子の横顔かなんかの周りに各種ステキっぽいものを配置して何かシャレオツっぽい雰囲気はあるんだけどよくわからない 多分何かの影響を受けている
うまく説明できない 伝わるだろうか
例:
屋上 図書館 セーラー服 魚 リップクリーム 毛糸 子猫 水中 カメラ 花 花弁 ぬいぐるみ ケーキ クッキー ドーナツ カラーシュガー 万年筆 手紙 マニキュア 鹿 切手 標識 旗 石膏像 額縁 窓枠 鯨 鍵盤 鍵 楽器 歯車 鏡 香水 学ラン 剥製 鞄 家電 拡声器 果物 瓶 時計 靴下 調理器具 主にハードカバーの本 バス停 食器 ポット ティーカップ 切り抜き レコード アンプ ひも状のもの コード 譜面台 看板 金平糖 ベンチ 工具 箒 爬虫類 人形
魚は本当に多い