はてなキーワード: 宗教団体とは
##追記;
##当ブログの後半に、自分なりのまとめも書いておきましたので、良かったらどうぞ。
##昨日書きたかったけど眠たくて落ちてしまい、書けなかったことを書いたので。。。
##これを読む人達に、一番伝えたいコトだったんで。
を書いた増田だけど。
ブクマが沢山ついてびっくりした。
でも、良く考えれば、エホバの証人って自分を語る人は少ないはず。だって、自分が書いたように、宗教討論なんて避けるからね。
「あなたの信条を聞きたい」って人には喜んで話すけど、「俺の信条を聞いてよ、君はどう思う?」って言ってくる異教徒には警戒モード、防衛モードに入り、あわよくばその場で心の中で「神よ、試練に耐える力を私に下さい」と祈り始める(※本当です。二世なら解るよな?な?)人達なので。
それを、変とも思わないし、当然って思ってる。そういう概念なんだから、しょうがない。
だから、おいらみたいに、ドロップアウトしようとしてる人、もしくはした人しか、こうした場で話すことはないだろうと思う。
もし、現役でこうした場で話す人がいるとしたら、かなりの幹部とか、そういうバリバリの人で、あなたの家の近所にいるかも知れない身近な人は出てこないよ。
特に女性は公の場で語るのは非とされとるんで、女性なら尚更。まず聞けないだろう。
まぁ、それはさておき、ブクマコメントに自分なりにちょっとコメント返ししてみたい。
コメ返し対象のブクマコメントは下記の二つに寄せられたコメント
討論ではなく説得(証言と言う。証言?なぜ?それは、エホバの証人=エホバの証言ってこと)はOKというスタンスなので、言い方によっては結果的に討論に応じるってことはあると思う。
例えば、「あなたが何を信じているか聞きたい」と言えばきっと証言にやってきます。
で、一通り話を聞いた後に「自分はこう思うんだけど・・・どうかな?」と言えば答えると思う。
ただ、その場合でもエホバの証人は「回答できない時は、調べてきますので今は答えれないと言って沈黙せよ」と教えられてるので、やっぱり突っ込んだ話はできないかもだけどね。
目的が「エホバの証人の話を聞く」ではなく「エホバの証人と議論したい」と判断されれば、来なくなっちゃうし。
追記:公開後に読み直しで修正している中、たまたまついているのを見つけたので、ついでにお返事書かせて頂きましたw
JWって結構明確に、リーダー(幹部)系と一般信者に分けられた扱いがある。
で、自分は幹部系で一時期はエリートか?みたいな勢いがあった。
自分みたいに若いうちから幹部系に持って行かれそうなタイプは、自分みたいに考える人も結構いるようです。
ただ、そう考えながらも慣れたら苦痛じゃないしって淡々と宗教やめない人も多いです。
自分の場合、好きな子がおかしくなったとか、そういうのなければやはり淡々とやっていたかもとは思います。
10年もやってりゃ、何でも習慣化して無意識にできちゃいますからね(家々に訪問する奉仕活動=布教活動とか)
ただ、習慣化するってのもある意味、自我が死んでると自分は考え始め、そう思った時から急激に多大な精神的苦痛を感じるようになりましたけど(自分と同じ経験は時々聞きます)
神の組織である以上、減るはずがない。減るとしたらサタンによる試練がはじまったという証拠である。つまり、聖書にある終わりの日が近いという予言が成就しようとしている!って解釈するんで、どう転んでも良い教理になっとる。
二世で脱退ではなく残るが側を選ぶ人は、一般人より組織に友達が多いってのが大きな理由の人も実際いる。ただ、そうなればそうなるほど、友達のために宗教辞めたくても続けないとあかん。
一旦信者になった後、辞めますと脱退届け(断絶と言う)を出すと、宇宙論争を知らないゆえに悪魔の側にいる一般の人より、宇宙論争を知りながら悪魔の側を自らの意思で選んだ一番最悪な奴、という解釈に基づき、徹底的な排他を受けます。
それがどれぐらい厳しいかっていうと、断絶した人と、信者は一緒にご飯を食べに行くというのも許されない。それが発覚すればその信者も警告もしくは追い出される。
で、これは親子の場合でも、可能な限り、断絶した子とは接触を避けるようにといった教理なので、二世の社会人でもない子供は恐ろしくて脱退など絶対にできないのです。
社会人になっても、幼い頃から仲良くしてた人、みんなが自分をシカトするかと思うと恐ろしいという、人間関係の恐怖心から残っている人も結構います(ソースは自分調べ)
ちなみに、組織のほうからクビにされることを排斥といいます。
行われる制裁は全く同じです。つまり、みんなで一斉にシカト攻撃。
断絶や排斥者は数年すると、「戻ってこない?私が悪かったですと認めれば復帰認めるよ」と、声をかけにいく仕組みも設けられています。
元信者だけど心はJWという人は結構多いです。あと、優しい性格の人が多いのでみんなからの一斉に拒絶されることに本気で参る人もいます。
元信者だけど心はJWという人は、何かにつけて不安定になっています。毎日毎日が罪悪感。
普段は意識してないけど、911のテロ事件をハルマゲドンの到来だと確信して、慌てて、神の側につくので助けて下さい!みたいな問い合わせが組織本部にあった・・・というのも有名な話。
ちなみに、排斥になるよーな人は3割ぐらいは、この宗教は嫌いだけど、宗教の中にいる人達はみんないい人なんだよなーって浮ついた心で居る時に、出来心で・・・とか、
うっかりミス☆(いや真意は知らんが)みたいなので、いきなり翌日に排斥措置とられて真っ青って人もいます。
そういう半端者は排斥システムで本当に参るので、以後は真面目に・・・ってこともなく、二回目する人も結構居る。
多分、不倫するようなタイプの人は何度もやっちゃうと思う。知らんけど。ごめん、この行はテキトーに書いた。
いや、その理解はちょっと誤解がある。これは自分の書き方がまずかった。面白く読ますためにちょっと歪曲してた。
「がんばってこの試練を乗り越えれば」ってのは結果であって、目的ではないんです。
詳しくは、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03を参照してください。
最も、それでも結局はそゆことだろ?って言われたら、そうだねぇとしか言いようないけどさ。
現役でも目的と結果を勘違いして、マゾになる変態がいるのも一言付け加えときます。あれは見ていて最悪だった。
苦しいのは当然だ!アハハ!ってのはさすがにJWでもいかれた奴にしかいないよ。
残念ながらJWの教理上、増えることはないです。カミングアウトしはじめてる時点でそいつはもはやJWではない。形だけの奴ですよ。よってこれも、読書感想文みたいなもので、リアルタイムではないということを付け加えておきます。
そう、それをテーマにしたかったんだけど、歴史とかがテーマじゃないけど比率的に多くなってしまって・・・こうした考察を得てもらったのは当初の目的だったので嬉しい限り。結局、自分自身、その一人と言えますしね。
知らない方が幸せという言葉もあるので、プラスであるとも言えるのではないかと。実際、脱退したために一般社会の厳しさ、複雑さ、面倒さについていけず、エホバの証人にも一般の社会人にもなれない元二世も結構いる。ああ、こう書くとやっぱりマイナス面ばかりかなあ。
でも、どうして今の世は不条理なんだろうって鬱な人が希望を持つのが宗教の役割の一つではあると思うので、こういう仕組みは(宗教という性質上)しょうがないようには思います。
デメリット、問題点は同意だけど、プラスマイナスだけで簡単に片付けれない所が宗教にはあると思う。
他の具体例が、当ブログの上記で述べてる「断絶」というシステムです。
脱退自体は自由にできるようになってるんだけど、その場合の心理的制裁が半端ない。自由意志は尊重してますよ、責任は求めますがという側面は一番二世を悩ませてる性質です。自分もこれにはほんとうに克服するのに苦労した。
合わせてお読みあれ。
今度、見かけたら優しい言葉をかけてあげてください。
補足というか寝ぼけて中途半端に書きました。「リベラリズム」自体は初期より歪んだ形で持ってます。詳細は 当ブログの「断絶」の話とか、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03とか。
具体的に言うと、以前より開放的に見えるけど、一方でますます抜けたくても抜けれない二世が増えているというほうが正確だったのかも、です。詳細は上記の通り。
現世救済主義は一時的に信者を増やすのには有効ですが、質の悪い信者ばかり集まります。
それで、今の世に救いはないと明言し、天国に希望持てと言ってしまう宗教もあるのかなと。個人的感想ですが。
自分の親友だった学会員も二世ですた。JWとは違う形で葛藤しとったのは印象的でした。そっちはそっちでいろいろおありのようで。
そうやね!「リング」に出てくる呪いのビデオって例えはいいね。書いたのは全体的な傾向とか、自分なりの考察や感想なんで、全てのJWがそうだとは言いませんよ→宗教論争。
ナチの件は自分はどうでもいいので検証してません。事実であるかどうかも興味ない。テキトーですんません。
そしてそれを自分の精神基盤としている人間には当然、理論で話し合うのは難しいのです。
相手の話を聞いて、相手の価値観(もはや異国の異文化同士の交流と同じ)を理解しないと、話が全く噛み合ないと思う。
あと、別に宗教やってる人間が、サイボーグな訳じゃないっすよw
人間誰だって中身は同じです。欲望を自己否定したり抑圧する人と認める人、その行為を平気な人と苦しむ人、そのあたりの個人差じゃないかな。
表情だけならいい、感情(罪悪感、恐怖心、不安感、多幸感)までプログラミングされるのは経験してほしくはないけど、経験した者にとっては本当、恐ろしい体験です。二度と味わいたくない。
彼女は結果として得た世界の一つであって、役割ってもんではないかも。勿論、新しい世界は見せてもらってるけど。
自分の場合は、医者に薬もらって休職するぐらいまで自分の精神構造を一回バラバラにした。一ヶ月寝たきりになった中で自分の精神を再構築して、客観的に見れるようになった。
役割という言葉を与えるべきなら、その時、自分が壊れそうになっても自分と向き合った、あの時の自分だと認識してるよ。
最も、二度とあんな精神崩壊寸前の経験なんてしたくないけどね。
小さい頃から、この生き方が「真理」ですと言われた場合、そうではないと考えると今迄の自分は何?という自我崩壊になる。
と言われて悪魔主義になる奴なんてのは、なかなかいない。普通に生活して幸せに生きたいって思う人間ならね。
でも、そもそも、神か悪魔か?っていう概念、何よりも二択しかない?二択?何の?この世界って何?
そのレベルまで自分の人格を分解しない限り、幼少から育てられたエホバの証人の子供は、無意味な罪悪感から脱却できない。
増田でトラバくれた、元二世のお二人(http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 と http://anond.hatelabo.jp/20080723111359)はどちらかというと軽症だっただけと言える。
ただ、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 は、役に立ったと思ったり(いや、本当に役立ってるのでしょう。良かった良かった)
オフ会開いて共有してみたいと思うあたり、まだ完全には脱却できていないと推察します。
何かのきっかけで、完全復帰はしなくとも、気持ちが囚われることはあるはず。
あと、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951が文中で書かれた「高校でグレちゃった子」の話。
こういう子は、しばらくすると懺悔して復帰する可能性が高いです。
行動すればするほど、心に埋め込まれた精神の規定を成す概念が自分自身を締め上げていくはずだから。
遅かれ早かれ、何らかの行動起こすんじゃないかな。
それか、それを否定したくてもっと自虐に走るかも。
ちなみに、俺はJWの中で好きな子つうか、仲良くお互いにしてた子もいたよ。
男でも本当にいい友達とかおった。
でも、自分の育つ時代が一番、最悪なあのスパルタ時期でさ、みんなおかしくなっちまった。
頭良くて学校でも成績優秀な子が、どうしていきなり停学になるような不良行為を起こすんだい?
俺は、俺の好きだった子や、可愛がってた子、遊んでくれた年上のお兄さん達、が否定したいけど否定もできず、
そして自分を責めるという行動にしか走れずに混乱していく様を何度も見たよ。
自分の場合は、あまりに親が厳しくしたせいか、叱られる時に、叱られる自分と、叱られる自分を見つめる自分を作るようになった。
教理にも納得する自分と、納得できない自分、色んな所で自分が体の中に二人いるそんな精神構造になった。
これ、二世ではけっこう「自分もー」って言う人、いるんだけどね。
ただ、大抵の人は、客観的な自分を肯定しないんだよね。
それを何とか殺そうと努めて、結局、自己否定になり(そりゃそうだ、その精神だって自分だもお)おかしくなったり
それは私が不完全で救いを必要する人間だからなんだわとかいう変な自己解釈(俺の両親とかキモいから解らんがきっとそうだと思う)しちゃったり。
自分の場合は、その二つなっている自分は結局、どちらも自分であり認めなければならない。
おかしいのは俺か?違うんじゃないか?と、考え始め、しかし二人の自分を一緒にしようとすると、この考えは教理に違反している!という罪悪感と、俺はこう思っているんだ!と叫ぶ自分が脳内で騒ぎ立て、まともにまっすぐ歩けなくなるぐらい苦しんだりもした。
もっとも、学校卒業しなきゃ負け、と思い、10日でノコノコ返ったけど。そんなヘタレさ、どうせ。
自分はおかしくない、俺が思うことを俺がその通りに行動するのはおかしくない。これが人間。
それをいちいち、正しいか、正しくないか?と考えて誰も見ていないのに、勝手にビクビクしたり、これは聖書ではNOとあることだ・・・と脂汗が出るのは、俺が信じているからではなく、そのように作られてるからだ。
そうやって、自分で自分にカウンセリング?リハビリして、死ね!クソ宗教!とようやく言えるレベルにまでなった。長い苦労だったよ。
だからって、必死になって幸せになりたいと思わない。
俺の仲良しだった良い奴ら、同じ宗教というきっかけで知り合えたいい奴らは、本当、みんな社会的にドロップアウトしたり、「僕も信じてないけどさ・・・行く所ないじゃん」とかいいながら、今日も宗教活動してる。
俺をこんな目に合わせたのは・・・誰だ?
とか、思って叫んだ日もあったよ。親を蹴り上げて、会衆を燃やしてしまえとか本気で考えた時もある。
でも、そんなことをしたって、何か変わるか?変わらない。
失われた時間、失われた人間関係、無くした友達、好きだった子はもう目の前にはいないんだ。
俺はもうこんな歳だ。社会的にも働き盛りであるべき年齢。
俺がここで止まっても、世界は崩壊しないし、誰も困らない。
明日は淡々とやってくる。
だから、俺はだだっ子のようにぐちぐち言わず、自分で考えて自分で行動して、自分で生きていきたい。
だが、俺は一生、親の愛情としてあなたにああいう教育したのよと言う両親を、憎む事も否定することもできず、振り上げた拳をどこにも持っていけないまま、生きていかなければならない。
俺は、ここでみんなに知って欲しい、知って欲しかったんだ。
あの家にピンポンしてくる変な宗教団体の陰で、俺みたいな奴が一人、世界中に何百万人もいる教団のたった一人の小さな存在だけど.
こうやって、静かに戦ってた奴がいたんだぜ?ってことをさ。。。
ただ、すごく疲れる人生だった。
正式に脱退できたら、彼女と祝いたい。
そして、しばらくゆっくりしたい。。。
俺は、彼女がどういう選択するかも兼ねて、彼女にも教理を他の信者を通して学んでみてもらったんだよ。
彼女は「納得できる部分というか精神的に高い志をもとうしてるのはいいんだけど、自分の望まない話になるとシャットアウトするね」とさらっと言ってくれた。
それで、俺の心の最後のつっかえはとれた。
彼女が入信していれば俺はまた苦悩してただろう。
賭けには勝った。もう俺は大丈夫だ。そうさ、俺だってね俺は一人じゃない、俺を認めてくれる人は欲しかったんだよ。
でも、JWの複雑で独特な背景を好奇心で見てはくれても、俺自身を見て、俺の背負ってきた人生の一部がどんなもんか?みたいな視点から見てくれる奴は、彼女だけだった。
貴重なかけがえのない存在なんで大事にしたい。
俺はこの決断、こういう道を葛藤なしですんなり選べるようになるまで本当に苦労したんだ。
その自分の中に埋め込まれた変な宗教の精神構造のせいで、それを取り除くのが精一杯で、友達を作るのも途中で辞めていた。
恋愛するぐらい余裕ができたのもほんの数年前だ。それまで、自分は生きてるのか死んでるのか、俺は何?俺は誰?俺の本当の気持ちはどこ?って自問自答してたよ。
宗教は否定しない。
でも、誰もそれを強要してはいかん。
何より、子供に必要なのは自分で考え人生を選んで行くための能力と機会を与えるべきだ。
籠の中に突っ込んでも死ぬだけだ。
まぁ、そんな感じ。
言いたい事言えてすっきりした。
これが多くの人の目にとまると思うとすっきりする。
いい時代になったよ。
ネットなければこんな声、絶対に残せなかったから。
経済規模も国力も余りにも違いすぎるジンバブエでは比較になりませんし、そもそもハイパーインフレなど現在の福田政権の状況で
実行可能でしょうか?小泉政権が人気絶頂の頃、低いインフレ状態にしたほうが景気浮揚策になるのではないかということで、
竹中平蔵大臣(当時)を中心にインフレターゲット論が本気に政府で論じられましたが、諸方からの反対により
それすら出来ませんでした。
ましてや支持率の低い福田政権でハイパーインフレなど、出来るとは思えませんね。
あと、ムガベと福田首相では持っている権力に差異がありすぎます。福田首相は独裁者とは到底いえませんし、日本の場合権力が
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2008/06/post_12c4.html
より
601 :名無しさん@3周年:2008/06/25(水) 21:58:15 ID:YO/WIANK
花子さん、まだかなぁ。
605 :いわぬが花子:2008/06/25(水) 22:21:31 ID:tPDw07G2
>>601 待ってて!!途中まででもよければカキコしますよ。私がこなくなったら
東京湾の底をさらってください。
617 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 00:17:41 ID:DDi1qvVk
花子さん・・・・・途中でもいいから・・・
620 :いわぬが花子:2008/06/26(木) 01:30:47 ID:qersQhrJ
>>617 承知いたしました。書く書くサギみたいなことばっかしやってますね、私は。
でその前に、少し解説をさせてくださいませ。
もう2年前になるんですね。私の親戚筋の方で、某上場企業の役員氏がいました。
その人の家でパーティというか飲み会というか、親戚一同が集まる催しがありました。
そのとき、今は亡き橋本龍太郎氏の知られざるエピソードを聞いた・・・というのがことの発端です。そのほか植草氏の事件が完全にでっちあげられたものだったことをしり、参加者一同そろって驚愕した次第です。それは6月11日で、私にとって6:11ショックともいうべき事件だったのです。パーティが終わり、私はどうしてもガマンできず、いつもROMしていたここのスレにカキコした、というわけです。
621 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:32:14 ID:qersQhrJ
花子が2ちゃんデビューしたその時の書き込みを、阿修羅で見つけました。
ちなみに、投稿したのは私ではありません。
http://www.asyura2.com/0601/senkyo23/msg/289.html
ここには、植草氏のことだけまとめてありますが、実際は前半の方に、役員氏が見てきた千葉の補選での小沢氏の様子を書き、そして橋龍さんのとある秘密が告げられ、そこに居た全員が「ウォー!」とぶったまげたんですね。さらに畳み掛けるように植草氏の事件がまったくの捏造だったことを知り、日本という国が一体誰に支配されているのかワケワカメ状態になったのです。あとはもう、必死になってカキコし連続投稿規制にひっかかり、しばらく脱力したままだったんです。このときのメンバーには、学習院で皇太子殿下と同じ教室で学んだ人あり、元創価学会員で、学会が寄進した建物を本山側がショベルカーでぶっこわした場面に立ち会った人ありで、本物の社会科学習を体験した一日でした。その中に、ノモンハン事件の経験者がおられました。
役員氏のことをY氏、そしてMr.ノモンハンをN氏とこれから書くことにします。
どちらも親戚筋の人です。Y氏は会社を移り、N氏は高齢で先は永くないでしょう。
解説はここまで。
622 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:34:28 ID:qersQhrJ
さてYN両氏から聞いたことを、ザックリまとめます。時系列が前後しますが、まずは戦前のはなしから。
●日本が中国大陸に「進出」し、満州国を建てる。勢力を拡大していく過程で、欧米列強特にアメリカのトラの尾を踏んでしまう。国際金融機関の怒りを買い、日本は300万人の死者をだし敗北する。
??日本統治の裏の顔は >>5さんの通りです。N氏は児玉と辻政信のことを何度も話していました。
だから森内閣成立の際、「辻政信がよみがえった」とうめいたのです。そのときすでに、日本破滅の予兆を感じていたのでしょう。あの戦争を単なる事件と表記していることに、日本の進路を歪めた真因が潜んでいると指摘してました。
623 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:35:36 ID:qersQhrJ
??さらに、それまで日本社会の最下層を構成していたヤクザを、もう一つの裏からの統治に使った。
(この辺はB・古歩道さんの証言と一致しますね。)
戦後の混乱期、ヤクザ社会に朝鮮人と被差別部落出身者が混ざり、 Y(ヤクザ)=N(日本人)+B(同和)+K(半島人)の図式ができあがった。
いやな表記ですが、覚えてください。あとでまた使います。
さらに、日本の植民地支配に対する最大の抵抗勢力だった半島の宗教団体を組織した。
これが当逸凶会にあたります。ここはほぼR・コシミズさんの書いてることと一致します。
文選名とかいうハゲ親父に、なぜ日本のアッパークラスが恭しくぬかずいていたのか、どうしても理解できなかったけどようやく得心がいきました。まさに「分割統治」を受けてたんですよね、戦後ず??ッと今まで。まさに悪魔の統治法だわ。
624 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:36:38 ID:qersQhrJ
日本が奇跡的な経済成長をとげると、米国の関心はただ一点、日本の金融資産に向けられるようになった。
「日本の金融資産横取り計画」は、おそらくかつての満州国成立から崩壊を下敷きに設計された。
まず、「教育改革」で日本人の知的耐震偽装を準備した。愚民化つまりバカ作りに励みましたとさ。
経済上のテストは2つ。1つ目はプラザ合意で、急激な為替変動による富の流出を演出。
2つ目は「グリコ・森永事件」で株価の上下によるインサイダー取引。儲けたでしょうね。
ここですでに、りそなの初期実験を試してたんじゃないの?だとしたら宮崎学は捕まらなくて当たり前。
命を絶った警察官の方、お気の毒。
バブルの発生と崩壊は飛ばします。ただし、ここにも澄田総裁という満州人脈が関わっていたことはわすれてはならないですね。で、ここからは植草氏のインタビュー記事を参考にしながら書きます。
95年に一旦バブル処理が終わる。96年からの日本経済は軌道に乗っていた。
この成長を3年間続けることができれば、株価が2万円を割ることはなかった。
ところが橋本政権が財政立て直しの名目で13兆円も増税し、景気悪化。
それを修復したのが、尾ブチさん。その後、森内閣成立と同時に緊縮財政が始まり、01年に確信犯が登場した。
とまあこんなところです。
625 :いわぬが花子:2008/06/26(木) 01:38:14 ID:qersQhrJ
「構造改革」とい名の日本破壊政策を請け負ったのは、橋本内閣と小泉内閣でした。
つまり小渕内閣は、チャート的にはこの破壊指令に抗ったことがわかります。
尾ブチ氏が亡くなったのは準店道大学病院ではなく、大痛県佐田牟市布施院病院だったと私はY氏から聞きました。話半分で聞いてください。
また伝え聞く橋龍さんの死は、あまりにも・・・
つまり、彼の所有するパソコンの、無線<内臓>LANが、ごっそり抜かれていたとかいないとかワケワカメなので、詳しく知りたい方はB・古歩道氏を訪ねてはいかがでしょうか?
626 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:43:43 ID:qersQhrJ
ブッシュ政権と小泉政権が成立し、人知れずある政策が遂行されました。それは、植草事件とも多いに関係することでした。 キーワードは「日本の韓国化」
そう、植草氏は語ってはならぬことを口にしたのです。決して触れてはならぬこと。
かれの逮捕の陰で、在日朝鮮人ネットワークが動きました。それは役員氏が、日債銀の騒動と本間氏の自殺で垣間見た団体だったそうです。全てのマスコミが事実を隠し、私たち日本人は韓国化されました。中国・朝鮮を挑発し、拍手喝采を受けた小泉内閣がやったことは、日本人を朝鮮化することだったと、どれだけの人が気づいていたでしょうか?
日本の保守・右翼がエセものであったことが判明した瞬間でした。
今宵はここまでにいたします。
628 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 01:59:34 ID:2YBngPzu
花子さん、乙でした。
アメリカの機密文書で、A級戦犯で不起訴になった人たちが命の見返りにアメリカのエージェントになった証拠が出てきているので、おそらくYN両氏が語った話は真実に近いでしょうね。
630 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 02:13:29 ID:/E3Ks3KV
>>625
乙
橋流の死は今でもワケワカメのままですね
日本破壊のA級戦犯でもあり、逆に絶対タブーの米国債売却を発言したほとんど唯一の首相でもある。
そして最後は厚生利権を剥がされての死
さんざん踊らせれて、目覚めた時には小泉フィーバーで抵抗勢力の頭目w 平成日本政治の最大の謎政治家ですね
逆にこのシナリオがもしユダ公の思い通りに進んだものだったなら、今後も日本の勝ち目は一切無いというくらいの謀略だと思う。
631 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 02:27:19 ID:+/oZdW+e
>>621
そこに居た全員が「ウォー!」とぶったまげたんですね。
ヒントでも良いので知りたいです、
632 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 02:27:19 ID:Wh3p/hBQ
おそらく彼の「眼」にも、来るべき「静かな変革」が見えているのではなかろうか。
このところ、メディアが好んで使ってた「カイカク」ていう言葉や「抵抗勢力」って言葉を聞かなくなった。
おそらく、後期高齢者医療制度でコイズミカイカクの「正体」に国民が気付きはじめたからだろう。
(遅きに逸した感は否めないが、気づかぬよりはマシだ)
その証拠に、不治でやってる「チャンゲ」なる改革プロパガンダドラマも視聴率獲得で苦戦してるようだ。
634 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 03:54:32 ID:1dtjgVjn
635 :CiA討伐隊:2008/06/26(木) 04:29:43 ID:oj4osfJ/
闇さんが出てこなくなったのは、アメリカによる日本支配と「日本の韓国化」 に逆らえない立場にいた人(たち)だったから
でも、もうすぐ傷痍軍人として復活して、アメポチペクチョン中川の秘密などを洗いざらい暴露してくれることでしょう
636 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 07:02:04 ID:+YZ0JN7d
ダメユダのおっちゃんは何度も「闇の声の正体を知ってる」と
あたかも彼を敵のようにみなしてたよね。
でもおっちゃんは俺のことを何度もぐっちーだと決めつけたりしてたし
まるでピント外れなんじゃないかと俺は思ってる。
皇室に関する発言以来、闇の声は保守系人脈の人ではないと俺は思った。
640 :CiA討伐隊:2008/06/26(木) 08:38:48 ID:oj4osfJ/
>>636
そういうあんたも、朝っぱらからキムチ臭すごいのよw
いまは花子さんが提起された「日本の韓国化」がメインのトピックなのに、なに焦点ぼやかそうとしてるの?
闇さんについては前にもちょっと書いたけど中心人物はMさんと言って年は還暦くらい。あとKさんとか似た文体で書ける先輩が2人いる。若い衆wを三代目か四代目でデビューさせようとしてたけど知性が足りなくて無理だったw(金属バットで殺された朝鮮人の仲間とか質の悪いのしかいない)Mさんは顔つきが朝鮮じゃなさそうだけど、これまでペクチョン擁護発言が多かったのは上司があちら系の方々だからwww
まあいまさら正体暴いても仕方が無いことだし、ここ見てる公安とか二階堂やネットゲリラの中の人たちは皆知ってることです
「日本の韓国化」を阻止し、巨悪を殲滅するためには、それを進めてきた奴らの正体や悪行を晒していくのが最優先であるはずなのに、ぐっちーとか闇の声とか小物ペクチョンの話で焦点をそらすなよな、この低能の豚キムチ。お前が一度でもフェルドマンえ竹中や白丁中川、創価や統一協会を話題にしてことがあったか?もう見え見えなんだよ、おまえの正体が中年の豚キムチっていうのが(笑)
インターネットはいろんなものを恐ろしいほど身近にした。
私は詐病ではないとしか思えない妄想にとらわれている人間をこれまで30年弱の人生で2回ほど見たことがある。ひとりは痴呆が進みつつあった祖父であり、もうひとりは高校時代の元同級生だ。祖父はあるとき突然強烈な被害妄想と見当識の異常を示し、老人性のせん妄と診断された。一過性のものであったらしく薬を飲んだり飲まなかったりしているうちになんとなく改善した。元同級生の場合はどちらかといえば思い込みが激しいだけだったかもしれない。だが、卒業後しばらくたってから唐突に私を訪ねてきた彼はあきらかに私の見えないものを見ていた。そして私に心酔していた。私が死ねといえばおそらく彼は死んでいたと思う。私は彼を恐れずにいることができなかった。
祖父はすでに亡くなった。元同級生は現在関東で生活しており、海外で暮らしている私に数年に一度、難解なメールをよこす。
祖父は漠然とした敵愾心の対象を「暴力団」と呼び、暴力に屈しつつある自分を恥じていた。齢八十を超えていたその当時、「暴力団に拉致された」ことを「一生の恥だ」と訴えていた。彼はその日デイケアセンターをはじめて訪れたのだった。
元同級生はいわゆる精神世界的な領域に傾倒し、必死に私をそちら側へ救い出そうとしていた。私は彼と接しているうちに、世界には確かに別の領域があり、そこで生きる人間がおり、我々は分かり合おうとしなければ決して交錯することのない世界に住んでいるのだと悟った。90年代の終わり頃のことだった。
私が知っている二人にとって、世界は漠然とした「悪」に蝕まれ、あるいは現実を超越した「善」が目の前に展開する地平だった。おそらくその二つは同じものだったのだろうが、私はそれを「よくわからない」といい続けた。そうすることが私自身のために必要であるように思っていた。
いま唐突に思い出したが、もう一人知っていたような気がする。大学で教鞭を執る父の研究室に遊びにいっていた子供の頃、父の同僚が配布していた一枚のビラをみた記憶がある。そこには火災報知器から発せられる電磁波が人間の精神に及ぼす影響、その装置の背後にある陰謀について書かれていた。質問した私に対する父の応答は記憶にないが、ガリ版刷りのビラに描かれていた火災報知器の分解図をよく覚えている。
ここまでは思い出話。
諸兄ご存知のようにインターネットは妄想をも媒介し、増殖させている。「ストーカー」という言葉が巷に定着したのはたしか90年代の後半だったように思う。漠然と背後から忍び寄る「悪意」が「ストーカー」と結びつけられること、そしてそれがインターネット上の語彙として流通することも十分自然なことだ。ただ、20世紀の終わりのこのときまで、彼らの語彙を正確かつ広範囲に伝達するメディアを人類が持っていなかったことは事実だろう。それまでは「妄言」かガリ版刷りのビラ、あるいは執拗に取りためたノート、医師のメモにしか彼らの「世界」は記録されることはなかった。彼らはメディアの限界によって否応なく孤立し、孤絶し、知られぬままにどこかへ消えてしまっていた。
だが、いまやメディアは万人のものだ。
「集団ストーカー」と「電磁派」、あるいは特定の宗教団体の被害を訴えるブログが溢れていることはよく知られていることだと思う。彼らの「世界」は、写真、動画、筆記によって極めて正確かつ着実に記録されつつある。その「世界」の強度は、ちょうど2ch、あるいはこの「匿名ダイアリー」のような空間の「向こう側」には実は誰もいないのではないか、という仮説が私たちにとってひとつのリアルなジョークであるのと同じくらいに鮮明で、堅固で、揺るぎないものだ。
例えば。
miyoko gotoという、現在スイスのアーラウで「亡命」生活を続ける日本人がいる。彼女は米国留学中に発症し、一度は強制力をともなった医療措置がとられたが、一度帰国を果たすものの再訪した米国から欧州へ遁走し、現在スイスに在住している。彼女の活動は現在進行形でblogやyoutube上に記録され続けている。それはすでに文字通りの圧倒的な「ライフログ」としかいいようがないものだ。それらは我々にとって彼女の困難な生存以上の事実を伝えるものではない。だがこれほどに強烈な生の記録は、私にとってはあまり目にしたことがないものだった。
人類学を専攻し、コンピュータプログラムの知識もある彼女は、自身のホームページやSNSを通じて同じ世界を共有する「彼ら」と結びつき、知見を交換し、より強固な「現実」の地平へ下って行こうとしている。
いまや我々がひとりではないように、彼女たちもひとりではない。そして無論我々も彼女たちにメールを書き、コメントすることもできる。
運が良ければ彼女は日本へ送還されるか、スイスの医療施設で保護を受けることになるだろうが、運が悪かった場合はおそらく誰も救うことができまい。いくら治安のよいスイスの田舎とはいえ、身寄りも国籍も何も持たない彼女が知らぬ間に消えてしまうことは十分あり得る。
私には、彼女のような存在を憐れむいわれもなければ、その近親者を責める理由もない。
ただ、その「生きていること」という「情報」が、日本に住む、彼女の近しい人々に伝わっていることを願っても許されるのではないかと思った、ということを記してみたかった。
ちょっと遅い話題ですが、いよいよMac OS X 10.5がリリースされましたねー。
世界中でどんどん売れ、今までシェアの薄かった日本でも売れているようで、凄いことだね。
(売れた数=満足している人の数、かどうかは別としても。)
でもこうなると昔からのMacユーザーにとっては困っちゃうことがあるよね。
だってMacの魅力の半分は、「それがゲイツ製じゃない」ってことであり「未来のスタンダード」であり、
つまるところ「世界にはびこる悪を一掃するレジスタンス!」ってところなわけじゃないですか。
みんながみんなMac使い始めちゃったら、もう
「MacをプログラミングやWeb制作に活用して俺ってばギーク(笑)」
とか
「えー!Windows?Windowsが許されるのは20世紀までだよねー」
とか言う相手がいなくなくなっちゃうんです!
そこで、とにかく周囲の人にMacを使うのを思いとどまらせ、
自分の先進ユーザーっぷりを自慢できる相手を確保しておくための例をまとめてみました。
基本的なやり方は相手のためではなく、自分の優越感のためにMacを勧めるってことです。
ちょっと難しいけど、既に色んな人が実践してるから、頑張ってみてね。
日本では超重要。もう基本中の基本ですこれ。真摯なmacユーザーの多くはこのスキルを既に取得しています。
「こんな機能も無いようじゃあ、もう今の時代ダメだねぇ」
行間に「そんなOSを使っている君もダメダメ人間だよ(笑)」っていう感じを込めるのがすごく重要。Macの話題を振るたびにイラっとさせることで、Mac=「なんかイライラするもの」という刷り込みができるはずです。
選民思想的な宗教団体の勧誘っぽいニュアンスでもOK。「君もパーソナルコンピュータの新しい段階へ行こう!」とか。
あと、他のOSがMacに勝てる要素など無い!って態度も重要です。「それ、Macでも出来るよ?」とか言ってやると、凄くいいです!
良識のある人間なら、おいしい話には罠がある、ということを知っています。
そういう用心深い人間を狙い撃ちにするなは、欠点を提示せず、Macの完璧超人っぷりをアピールしまくっちゃうのがいいです。セキュリティが完璧で、機能が完璧で、スキンが完璧で、UIが完璧で、どうして君がこのOSを使わないか理解できない!言えば言うほど、疑り深い人間を及び腰にできるね。
さらに、聞かされていない欠点について本人が自分で発見した場合の、失望感を高める効果が期待できる。「セキュリティが完璧と聞いてたけど、なんか発見されてるじゃん!」とかなったら、これはもうMacに対する信頼はガタ落ち。
これがもし予め、「公開直後だから、まだセキュリティは完璧じゃないかもねー」などと話してしまっていては、この失望感は出せないよね。
分かりにくい言い回しなんて難しそうだけど、意外と僕らにとって一般的な言葉が、ライトユーザーにとっては謎の単語だったりするんだよね。
たとえば
みたいな単語を並べてやるだけで、非常にうさんくさいコア向けOSということをアピールできるし、なんか凄いことを言ってるギークだ!というイメージもついて一石二鳥!
なんか数字だけ大きいだけで具体的にどうなのか分からない表現はうさんくさい上に、話している側としては非常に理性的、理論的なつもりになれるので多用しましょう。
例えば
「Mac OS X 10.5では、なんと300以上にも及ぶ新機能が搭載」
とか。(小数点があると効果的。)相手は、「へぇー、凄いねぇ」とか言いつつ、むしろMacがこれだけ眠い話題を生み出すことに関心します。
これは、よく訓練されたMacギークでないとちょっと難しいですが、適当に拾ってくるだけでもそれなりに効果があります。特に過去のこととか、開発人の人柄とか、抽象的なコンセプトがいい感じ。 ジョブスの追放から復帰にいたる至る経緯とか、CPUをIntel製に変更した経緯とか。
Macユーザーには興味があるけど、そうじゃないユーザーにとってどうでも良い話を上手にチョイスしよう。
最後にやってはいけないことをあげておきましょう。平等で客観的で謙遜したことを言うのはやってはいけないですね。
「それぞれのOSに良いところがあって、君も色々使って自分に合ったOSを試してみたらいいよ」
とか言うのは危険すぎます!
下手したらMac使ってしまうかもしれません。
でも、平等で客観的に見せかけて、実は主観的なことを言うのはとても良いです。
「それぞれのOSに良いところがあるけど、Mac以外を使うなんてことは考えられないね」
とかは、信者っぽくてグッドです。
なんか、こういうのもあるよ!ってのがあれば追加するんで、教えてください。
ちなみに、これらのノウハウは「はてなブックマーク」ってサービスでも応用可能だから試してみてね。
元ネタ:「FireFoxなんて使ってたまるか!と思わせる6個くらいの方法」
読んだ瞬間これはFireFoxじゃなくて、Macのことだと思った。FireFoxってそんなに熱心に薦める人はいないし、IE使ってるからって馬鹿にする人なんていない気がする。「相手の使っているものを見下す」「欠点をまったく挙げない」っていうのはむしろこれはMac信者だろう。例えば
Q35:Windowsしか知らないプログラマーはどうですか?
DanKogai:ご愁傷さまです。UNIXなどを知ってしまうと、あまりにムカつくことが多いよ。タダならともかく、Windowsを使うくらいなら、Mac OS XやUbuntuでもいいんじゃないのかな。同様に、インターネットという技術に毒されていないようなプログラマーがネットにつながっていないゆえにすごい発想をするということもあるかもしれないが、それは1000のうち1つくらいで、ネットワークを意識しているかどうかは近代戦闘における空軍の有無と同じくらい決定的といえるかも。
親が熱心なキリスト教徒なので、自分も生まれた時点で既にキリスト教に縛られていました。
他から強制されたものを受け入れられるわけもなく、「行きたくない」と言っても全て却下され、嫌々ながらもずっとその団体に属していました。
自分が属していた教会では、老牧師が幅を利かせていて、教団の中でもちょっと特殊な教会でした。
教団全体としては「世界平和を祈る」というような目標を掲げていたのですが、その教会は地域住民の平和が最上目標。
老牧師が前者について全く触れない訳ではありませんが、やはり他の牧師に比べて頻度は明らかに少ないものでした。
「○○さんの病気が治りました。祈りが届いたのです。みなさん教徒を増やしましょう。」
まぁ、世界平和を唱えるよりはずっと身近な問題だし、キリスト教という観点で言えば間違ってるわけでもありません。
ただ、その教団に属している意味はあるのか?という疑問がずっとありました。
教団は明確な存在意義と目標を掲げていて、筋も一応は通っているけれど、この教会はなんだか目標が違う方向を向いている気がする。
言っている事とやっている事が違うから、信用できない。
ただ、自分の意思で属していた訳でもないので、それ程気にはしていませんでした。
全く信じる気が起きなかったというだけで。
それよりも、貴重な休日を搾取されることが一番耐えられなかった。
・水曜日は夜から祈りの集いがある。
・日曜日は午前中に礼拝、午後は教会行事若しくはその準備があるため、殆ど無いに等しい。
・長期休暇には何かしらの合宿がある。
これら全てが強制で、この生活が就職するまで続きました。
当然、嫌だと訴えたことが全く無かった訳ではありませんが、全て「そんなことを言うお前が間違っている」といった論法で却下されました。
中学生になった頃、以下のようなやりとりがあったことを今でもよく覚えています。
教会の教師(以下教)「あなたは教会に自分の意思で来ているの?それとも親が言うから仕方なく来ているの?」
自分「・・・(親が強制するからに決まってるだろうが。でもそんなこと言えばどうせ叱られるんだろ?)」
教「ねぇ?」
自分「・・・(教会の教義としてウソはダメとか言ってたしなぁ…ウソ言うよりは正直に言った方が正しいよな?)」
教「・・・・・・・・」
自分「・・・親が言うから・・・」
教「だからそれじゃダメって言ってるでしょう!?自分の意思で来なくちゃ!!」
自分「・・・ハイ(だめだこいつ)」
その後は(…強制してるのあんたらじゃん…)とだけ考えて耐え忍びました。
その頃は本当に嫌で嫌で仕方がなかったので、その雰囲気が伝わったのでしょうね。
何故か諦めがついたのもこの時でした。こいつら狂ってるなー、こりゃ無理だわ、と。
ここで接点を断つべきだったのですが、田舎の割に規模の大きい教会だったので、地味に信者が多く、大体がご近所さんです。
家族全員が信者ということになっているのに、いきなり自分だけドロップアウトしたらどうなってしまうのか、当時は想像もできませんでした。
ようやく転機が訪れたのは、就職して数ヶ月めの、一人暮らしを始めたとき。
もう縛られている必要なんてない、と気づきました。
近所に教団に属している教会があり、地元の教会から紹介もされていたのですが、1年くらい掛けて疎遠を装い、今では全く行かなくなりました。
地元ではこのことはもうバレていて、たまに帰ると色眼鏡で見られているなと感じますし、母にも心労を掛けているんだろうなとは思いますが、もう通う気は全くありません。
http://anond.hatelabo.jp/20080527110533
やっぱ乱婚みたいなのがイチバン!って気がするな。そのほうが人間の「生命の本質」(笑)に合ってんじゃね?
つーか結婚なんて制度、禁止しちゃった方がよくね?でもって一人の女を一人の男が独占することを禁ずる(逆もね)法律、例えば「恋愛関係における私的独占の禁止および公正恋愛取引の確保に関する法律」、略称「恋独禁法」(レンドッキンホウ)かなんか制定しちゃって。
そんでそんで、あるパートナーが他の異性へちょっかいを出すことを妨げようとする行為を、これからは「不倫」という不法行為として恋愛公正取引委員会(略称恋取委 こいとりい)が取り締まんの。
結婚制度の廃止と恋独禁法の施行に対し猛烈な反対をしそうなのは、浮気調査で食ってる探偵さんの団体とか、結婚関連ビジネスとか、あるいはキリスト教関連の宗教団体だな。
その傾向がどうやっても周囲から変える事が難しい事から、適当に回避をしつつ十分な転職力がつけば辞めようと思っていたけれど。ぼちぼち潮時かもしれない。経営状態が悪くなればなるほど焦りが彼を泥沼に引き摺り込んで行く。逃げなければ自分の身が危い、そういうところまで来てしまったのかもしれない。
自己啓発セミナーや、宗教団体と企業との関連図ってどっかに無いのだろうかね。
ネット上に転がっている情報はある程度の規模、ある程度の知名度のある企業ばかりで従業員数が50名程度までの零細企業とかだと殆ど判らない。だけれど、せめてそういった団体やその関連企業などについて知っておくとその会社の景色を見れば何か判るかも知れない。あるいは経営者の自己愛の強さを見たりするとか。
理性的なタカヤスなら或いは、と思ったのだ。残念ながらわたしの期待は裏切られた。
「ジェニファー、わからないな。どうして幼女を獲ってはいけないのか、もう一度最初から説明してくれないか」
君ともあろうものが、という目でタカヤスがわたしを凝視する。本当に日本人という連中は度し難い。
「オーケー、いいわタカヤス。まず、幼女は絶滅の危機に瀕していないというあなたの主張は認めます。確かに近年、オーストラリア近海の幼女個体数は増加の一途を辿っていることが観測されているわ。そして、あなたの国の"幼女食"が長い伝統を持った文化だということも理解したわ。その行為に対する生理的な嫌悪感は別としてね」
「ご理解いただき感謝感激。そして感情論は理性的ではないよ。生理的嫌悪感なるものは風習によって育まれるものだ。ぼくの国の諺に曰く、"所変われば品変わる"、或いは"郷に入っては郷に従え"」
「感情ね。わたしは感情論をまきちらすつもりはないのだけれど、あなた方は他国の国民感情というものをどう考えているの? 幼女食が世界中から非難されている現実を知らないわけではないでしょう?」
「そこがむしろぼくたちには理解できないんだよ。それこそ感情的にわからない。幼女は動物だよ? 動物に関する食タブーは風習や宗教の分野じゃないのか? イスラム圏で豚が禁忌になったのは不衛生だったからという説を聞いたことがある。食タブー自体は善や悪とは別問題じゃないのかい?」
本当に理解できてないのだわ。わたしは若干の感動すら覚えた。異文化コミュニケーションとはかくも刺激的なものか。
「……とても基本的なところから話してみましょう」
「それ以前に。まず、幼女は人の姿に似ている。これはオーケー?」
「オーケーオーケー、果てしなくオーケー」
わたしがもう少し不寛容だったなら、ことさら"果てしなく"を強調した目の前の男を椅子で殴っていただろう。
「オーケー。じゃあ次、人は人の姿に似たものが傷つくのを嫌がる、これはオーケー?」
「うん、条件付きでオーケー」
「その条件は何?」
「中国人はサルを食べる。かわいい猫も食べる。韓国人は人類の友たる犬を食べる。これはオーケー?」
「話がそれるからそのテーマは次の授業で取り上げましょうね、タカヤス坊や。で、幼女食に嫌悪感を覚える欧米人がいることは想像できるのよね?」
「理論的には存在が予想されるね。欧米人は幼女食が文化として根付いている極東の一民族の存在を理論的に予想したりしないのかい?」
「予想するまでもなく実例として大量に現れているから、理論の方を合わせようか考えているところよ」
天の父なる神よ、日本人がここまで幼女食を擁護するのはどうしてなのでしょうか。わたしには幼女がそこまでして得たい魅力的食材だとは到底思えません。日本人はみんな幼女を食べないと入会できない秘密の宗教団体にでも入っているのですか?
「逆に聞くわ、あなたたちはどうしてそこまで幼女食を文化として守ろうとするの? 天然の幼女の体が生体濃縮で汚染されていることは知っているのでしょう? 高濃度の萌えを溜め込んだ幼女は食用には全く不向きだわ。味も特に美味しくはないというじゃない。どうして? なぜ幼女なの?」
「そのアプローチも君たち欧米人が好むやり方だね。でも、それは幼女漁を全面禁止する理由にはならないよ。分かるだろう? 汚染されていようが不味かろうが、ぼくらの文化なんだ。きみたちにそこまでして否定されるいわれはない。ぼく自身、幼女を食べることはほぼ全くと言っていいほどない。でも、長年幼女を獲って暮らしてきた人たちに"もう幼女を殺してはいけません"と告げるのはどうなんだ? きみらの文化にそれをする権利を誰が与えたんだ? きみたちの神様か? それは八百万いるぼくたちの神様とどっちが偉いんだい?」
「でも、幼女には知性があるのよ!? これは実験で証明された事実なのよ!? それでもあなたたちは幼女を殺して平気なの!?」
「幼女は幼女で人間じゃない。きみたちがそこまで幼女に感情移入する理由がぼくたちにはわからないんだよ。本当にわからない。何故だ? 幼女はどこまで行っても幼女じゃないか。賢いといったって所詮は幼女の浅知恵だ。その程度の存在を政治圧力をかけてまで保護しようとするのはどうしてだ? 世界中の幼女には神性でも備わってるのか? きみたちは幼女の背中に光り輝く十四枚の翼でも見えるのか!? 欧米人はみんな幼女を崇め奉る秘密の宗教団体にでも入ってるのか?」
わたしとタカヤスは何ともいえぬ渋い顔をして黙り込む。 TV からは幼女保護過激派団体が日本漁船を襲撃したというニュースが流れる。抗議行動に参加した女優のコメントが字幕付きで放映される。
『殺される理由も、捕えられる理由もありません。幼女とツンデレは多分この地球上で最も心優しい動物の1つです』
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第二回ファック文芸部杯 参加作品 (g:neo:id:xx-internet:20071203:p1)
創価学会に関して言えば別に直接被害を被ったことがないのだけど、エホバなんかは王国会館?が側にあったせいかよく勧誘が来ていた。個人的にはどうも、布教活動を行ってる宗教団体に対して抵抗や嫌悪感を感じてしまう部分がある。宗教なんて誘うようなものなんだろうか。所謂普通の仏教とか神道はそうそう目立った布教を行っていないじゃないか(まあ既に相当数確保してるから…今更新規開拓なんて必要ないんだろうけど)。積極的に宗教活動を行ってる人って、どういう気持ちなんだろう。往々にして新興だったり少数派な宗教であるほど、活動が積極的なのだけど、その積極性がとにかく気持ち悪い、と感じてしまう。やっぱり自分が属していないグループの拡大に抵抗を感じるのと一緒なんだろうか。でもそれとは別に、自己啓発系の団体に感じるのと同じような胡散臭さと、嫌悪感もある気がする。別にそれで直接どうこうしたり差別したりとかする気はないんだけど、知り合った人が熱心な信徒さんで積極的に布教してこられたら、サーっと引いてしまう気はする。「宗教って!普通に引くわ!」みたいな。信仰なんて口に出すもんじゃない、という思いがあるのかな……
僕の親しい人の中で創価学会に入っているという人を4人知っている。その内2人は祖父・祖母なんだけど、両親は違うし、当然自分も違う。残る2人は学生時代の友人だ。これから僕とこの4人と創価学会との間についての話をする。
家に仏壇があって、祖父・祖母は毎日お経を唱えてる。小さい頃は世の中のお年寄りはみんなお経を唱えてて、自分もおじいちゃんになったらお経唱えるんかなぁなんて思ってた。それぐらい当たり前で日常的なことだった。あと聖教新聞。昔読んでみたけど、一個人が過剰に賛美されてて気持ち悪いなと思った。この時初めてうちのじいちゃんばあちゃんは他の人と違うという印象を抱いた。でもそれを聞けなかったのは、触れてはいけないようなことだと知らないうちに感じ取ってたんだろう。
選挙権が与えられて初めての選挙の時、どうしたらいいのかわからないというようなことを言ったら、ばあちゃんが「公明党って書いたらええねん」って言った。そしたら母が「こら、おばあちゃん!」と苦笑しながら言ったことを覚えてる。このやり取りで初めて学会とその周辺について理解できた。
その次ぐらいの選挙がある日の少し前に高校でそれなりに仲良かったやつから突然電話がかかってきた。たぶん、20歳以上の人は同じ経験あると思う。話を聞くと公明党に入れてくれ、と。聞くところによるとそいつは元々仏教に興味を持っていて、突き詰めていったら創価学会に辿り着いたんだそうな。見た目はDQNっぽいんだけど、素直でやんちゃでたまに賢い。そいつが創価学会に入ってたというのがまず驚いた。
もう1人、大学の友人からも同じ方法で、創価学会の人なんだなと初めて知る。細部のミスも許さない、真面目なやつだ。普段会話してる時は学会の話題はまず出さない。たまたま宗教の話が出て、ぶっちゃけて聞いてみたら色々とおもしろい話が聞けた。
例えば「政教分離」について。公明党が創価学会を支持母体とするのは政教分離に違反してるのではないかという話をよく聞く。しかし憲法にある「政教分離」とは、国がある宗教を国民に強制するような行為は憲法で禁止されているけど、宗教団体が政治活動をしてはダメとは言っていない。
国も同じような見解だそうで、Wikipediaの政教分離の項にも書かれてあります。
内閣法制局は「憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない」(内閣法制局長官大森政輔の国会答弁趣旨)とする。
で、選挙前になったら電話かけてくるあれ、面倒なんだけどなんとかならない?とも聞いてみた。勧誘がしつこいとかも。そこは学会内でも同じような意見があって、これだけ規模が大きくなると統制がうまくいかないらしい。
じいちゃん・ばあちゃんはいつも笑顔で優しいし、高校の友人はすごいおもしろいし、大学の友人には何度も助けられたし、自分の創価学会のイメージは良い人ばかりだ。みな「他人を幸せにする」ということはかなり大事にしてるような気がする。自分の周りがたまたま良心的な学会員に恵まれてただけかもしれないけど、個人的な意見としては布教活動をもっと抑えてくれさえすればそんな悪い宗教ではないと思う。2ch近辺では韓国同様、創価学会の扱いが極端にひどいものになってるけど、もはやどっちがカルトなんだかわからない。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1041704.html
これって宗教となんら変わりないと思う。たとえば自分の兄さんがいじめで死んで、結果学校に宗教団体が献花に現れたら彼らはどう感じるのだろう。
自分(達)の趣向を理解してくれない人を理解しないのが悪いと批判するのは、一種の防御、臆病な感情の表面化ですよね。自分のした行動に対して都合の良い解釈をしてくれる奇跡を信じること自体が甘い。周囲に協力を仰いでいるわけでももないし、本当にやりたいことだったら理解なんて必要ないよねー、とか思います。
>>107 が言ってることが的確すぎです。
そういう「雰囲気」じゃない大学を見つけるのって難しいと思う。
おれが通ってた学校……って匿名だからぼかす必要ないな。筑波大ですよ。
あそこは宗教自己啓発天国でな。いろいろ要因があるんだが、大きなのは2つ。
そもそも高等師範こと東京教育大が筑波にうつったのが1973年。学生運動の恐怖未だ冷めやらぬ、って頃合いだ。だもんで設備とか制度とかハードソフト両面から学生運動サークルを「発生させない」大学づくりをした。わざと学内の通路を狭く&高低差を作ってデモをさせないようにした、とかいう噂がある。その結果が実って、現在筑波大には「○○粉砕!」とかの立て看板はほぼ存在しない。左翼系のオルグもほぼ皆無。都内の大学に通う人たちには想像できないだろうが。で、そのニッチにすべり込んだのが宗教系というわけ。
最近は違うらしいが。まぁ数年前、21世紀に入っても「筑波大1年生は寮」というのが普通。全国の地方出身者が多いしね。でも「寮」っつっても駒場寮とか吉田寮みたいなのと違って、要するに鉄筋アパート(風呂と食堂は数百人単位で共有)。入学してすぐは、わりと孤独なんですよ。で、そこで「哲学系サークルです。でもそんなに堅苦しくなくてー」とか仲良さそうな男女3人組が来るわけですよ。何かに飢えた新入生が「出会いの場がー」とか世迷い言をほざきつつ、ついて行ってしまっても無理なからしむるところ。一方宗教系サークルにとっちゃ釣り堀。いくら食いつきが悪いからといって、1000匹単位で魚がいるんだから、それなりの釣果があるわけですよ。そんなこんなで筑波大は新興宗教の見本市かと思うほど各種宗教団体の窓口サークルが「イベントサークル」として乱立しとるんですわ。
んでまぁ偉いもんで、入学2〜3週間経つと「宗教系の見分け方」って情報が出回り始めて。多分先輩からの口伝なんですがね。いちばんおもしろかったのが
「某半島系キリスト教団体は、必ず『コン…コン…コン』と一定のリズムで3回ノックする」
ってやつで。コレが全く見事にその通りなんですわ。アレはなんなんですかね。事前に「宿舎訪問勧誘レッスン」が行われて、厳しい指導があるんでしょうね。「1/8拍ズレたぞやり直し!!」とか。
しかしまぁ、数ある宗教団体のなかでもいちばん質が悪いのが「やどかり祭実行委員会」とかいって寮祭を運営する巨大団体。あれは深海に眠りつつ支配する殻と鋏を持ったおぞましき旧神を信仰してるらしくて、初夏が近づくと夜な夜な太鼓を叩いては人身御供の儀式を、うわなんだおまえあたちなにをするやめqあwせdrftgyふじこlp;@:
http://shinrankai.hp.infoseek.co.jp/akehashi.html
この人、1万年堂出版から、「子育てハッピーアドバイス」とかを出している人だよね。
私は昔、書店関係の仕事をしていたんだけど、毎日同じ人が書店に来て、何十冊も1万年堂出版の本を買っていった。
こういうことは、宗教関係の本ではよくあること。幸福の科学とか創価学会でもやってる。
でも、異様だったのが、毎日坊主頭にした人が何人も書店に来てたこと。
みんな車輪が付いていてごろごろ転がすでっかいバックを持っていて、わき目も振らずにその中に大量に買った本を詰め込んでいた。
きっと、毎日沢山の書店を回って、どこでも同じように1万年堂出版の本を大量に買っているんだろう。
目つきも服装もなんか普通の人と違っていて、気味の悪い人たちだった。
この人たちが何なのか、親鸞会というカルト宗教の信者だと言うことがわかったのは後のこと。
1万年堂出版って、新興の出版社でありえない成功を収めたなんて話題になったんだけど、
親鸞会と言う宗教団体の信者の金で大量の本を買い支えていたことは関係者の常識だった。
今は、「子育てハッピーアドバイス」がベストセラーなんだよね。
きくところによると、この本は信者の買い支え無しでもそれなりに売れているらしい。
でも、以前坊主頭の集団が毎日書店にバックを引きずって、本を買っていたことを知っている俺にとっては、
親鸞会はなおさらだね。ネットを見るとひどい評判の悪い団体だと言うことがわかるし。
こんなのもみつけた。
昔読んだ小説に「托卵」を書いたものがあって、題名は全然覚えていないのだけど子供心にも怖い話だった。10年以上経つのに半ばトラウマになって忘れられない。話は一言で言ってしまうと、安い労働力として町に溢れた外国人労働者たちに、"托卵"されているのではないか、という疑問を主人公が抱く話、だ。知らぬ間に得たいの知れないヒトに乗っ取られるという恐怖は、幼い子供にも理解できた。
最近ふと、この記憶と自分が熱心な宗教団体や(将来的な)移民受入、あるいは外資による企業買収に抵抗を示してしまうことには関係があるのかな、と思った。自分の場所、自分の国や会社が、自分とは相容れない人々、自分と利益を同じくしないものに支配されるという恐れ、ということが上記の抵抗感の原因ではないかと。
もちろん国を同じくすれば行動原理は同じである、というのは幻想に過ぎないのだろうし、つきつめていえば、上記の考えはきっと「自分の考えに沿った形で自分の国や自分の環境を決定したい」ということであり、「自分が支配したい」ということなのだろう。多分。
ところで件の小説は一度読んだきりで、そのインパクトからしっかり覚えていると自分では思っているのだけれど、何分古い話なので実は脳内で改竄しているかもしれない。それどころか、全て妄想だったらどうしよう。
そういうのはまず違うから安心して欲しい。アーキテクトもインタラクション設計もUI設計もマークアップもコーディングもデザインじゃない。
そう、designには設計という意味もある。だから辞書を引いて自分がその定義に当てはまる気がするならそう自称してもいいんじゃないかと思うわけだ。
しかしちょっと待って欲しいのだが、これが「デザイナー」でなく「ナード」という名前でWebに従事してマークアップからレイアウトからスクリプトの人をまとめてdesignする者と同じ意味で呼んだとしてそれを望むだろうか?
デザイナーへの憧憬はまずファッションデザイナーにある。ファッションは上流階級、富裕層、芸能界の注目する華やかな世界での主役の一つだ。そしてスーパーカーでスターダムにのし上がったカーデザイナー。
彼らはその卓抜したセンスで社会を見つめ無限の可能性の中から最良の一つを選び出す。それは手書きのラフスケッチ一枚であったり、手で握りつぶしただけの粘土であったりする。
それを現実の形に直すのはパタンナーであり針子であり、クレイモデラーであり、プロダクトになるまで、配送の配達員に至るまで無数の人間がかしずき従うヒエラルキーがある。
「デザイナー」とは政治経済と異なる第三の社会における現代のシャーマン、神の宣託を受けた選ばれたカースト最頂点なのだ。誰もが敬意を覚え憧れずには居られないとしても当然のことだろう。
それが現代社会の構造下で適切なものかどうかは置いておくとして、だ。
高校野球で有名な教団、戦後に急進した宗教団体がある。今はかつての勢いがないそうだが最も影響力を発揮したと思われるコンセプトがある。
20世紀初頭、現代芸術がコンセプチュアルアートに傾倒する中で素人目にそれはアートと自称さえすればアートに見えるという提案にしか見えなかった。その団体はそのギミックに注目し信者たちに自分たちはアートだと言ってみせたのだ。
もちろんアートとは数千年間権力者の下にあって富と権力の象徴であり権威の象徴である。それが自称すれば手に入るのだから悪い気がしない。誰もが自分の行為すべてがアートだと称し始めた。
世間で通用する意味と辞書に並ぶ解釈可能な一覧との差を利用して僭称してみせるのがハックだというのだろうか。愚者とは何かと問われれば分をわきまえない者だと答えることができるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20070801010448
一つ心に留めておきたいのは、そういう人材であれ「会社の上層部の人間が時間と労力と多額の費用をかけて多くの応募者の中から厳選して何らかの理由で選び抜いた」ということです。
でも私の友人も「周囲の人間が仕事ができないので自分のところにばかり業務が回ってくるので死にそう」ということで最初の会社を辞めているので、会社の上層部の人間が時間と労力と多額の費用をかけてあんまり優秀でない人を選び抜いているということはあると思います。
それは新入社員の過半数がコネクションで採用されているとか、あるいは人事部長が某宗教団体の人間であるとか、そうなってしまう理由はいろいろとあります。
どうしてそういう状態になってしまっているかは一考の余地があると思います。
理由はだいたいわかっています。他者との競争の中で優秀な人材をかき集めようと思っても無理です。だから題名が「売り手市場の新人模様」なのです。
会社としては、創造力を必要とする職種にだけ「幹部候補生」を配置し、現場に近づくごとに「下士官候補」「兵隊」という風に暗黙の枠を設けて採用していたのでしょう。そしてその計画は成功したようです。ところが、実際には「兵隊」の質が低いと「下士官候補」もそれにつられて堕落してしまい、全体の雰囲気が悪くなるのですね。それを会社は見落としていたのでしょう。
君は本当に学んでいるのか?
君はそう思ったことはないのか?今までの人生でそれを学ばなかったのか?
ありませんね。むしろあなたがどうしてそんなことを思えるのか逆に問いたい。
同期でグループが出来ていなかったか?仕切ってる人がいなかったか?君のような“エリート”が他にもいなかったか?彼らの人間関係はどのようになってた?
そんなことを賢しらにおっしゃいましても。見損なわれては困りますね。そんなことは私は冷徹に観察した上で、ものを申し上げているのです。ですがその内実をあえてここに書く必要はないでしょう。大多数の「兵隊」と無理に仲良くしたところで、ストレスが溜まるだけで何も良いことはなく、仕事上での利益もないということはあまりにも明らかだと総合的に判断したのでああいう書き方をしているわけですよ。それにしてもあれほど嫌われるとは思っていませんでしたが、その程度の了見の狭い奴らならますます未練はないわけです。
そのうわさの出所はどこか分ったのか?
わかる必要もないでしょう。道ばたに糞をした犬がどの犬かなんて知っても無駄です。
そのようなことに関心を持つ時点で、あなたの目は節穴だとすぐにわかります。
もう、競争は始まってるのだよ。人脈、顔、コネ、派閥。そのように呼ばれる力を使って人は人を動かすのだ。そして、人を動かす側が上に行く。
おっしゃるとおりでございます。実際に自分ではなにもせず、裏から手を回して人を動かしただけの人間が上に行く。そして、実際に何かをなしとげた人間は馬鹿馬鹿しくなって外に出る。五年後、会社は見事に潰れるのでございました。
あのですね、そういうことなんです。人間ってそんな小細工だけでやっていけるほど甘くはないのですよ。裏から手を回しただけの人間が一時称賛を浴びることもあるかもしれないが、見る目のある人はそんなことは見抜いている。とうてい長続きはできません。
ま、いずれにしましても俺は、裏から手を回すだけの人間に真っ向勝負を挑んでも勝てるだけの結果を出すというやり方で今まで生き抜いてきました。今回もそうすることといたしましょう。