はてなキーワード: 外資系とは
http://president.jp.reuters.com/article/2010/01/02/1A88C00C-EE1C-11DE-AA50-00B93E99CD51.php
そんな噂が、外資系金融業界で囁かれている。例えば、かつてリーマンで働いていたことがあり、昨年、別の外資系投資銀行をリストラされたA氏(30代後半)の妻。港区の外国人向け高級マンションに住んでいたが、会社契約だったため、リストラと同時に中央区・月島に移った。
しかし、元キャビンアテンダントの妻は、いまだに買い物は広尾の明治屋か青山の紀ノ国屋、美容院は港区。子供はアメリカンスクール受験用のセレブ幼稚園に通い続け、妻の母親の生活費までA氏が毎月送金させられているという。
「まだ次の職が決まらないから、もう本当にお金がないよ」
A氏がそう嘆いても、妻は月々の家計の要求金額を絶対に譲ろうとはしない。
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リストラされた元外資系社員Bさんの妻は、夫の就職先が決まらなくても、「自分が働くつもりはまったくありません」という。
別の金融機関に勤めるB氏(40代)も同じ時期にリストラされた。高級マンションの家賃と妻の父親の高級老人ホームの支払いに悲鳴をあげている。私立校に通う子供二人の学費もバカにならない。しかし、専業主婦の妻は、「働くつもりはまったくない」という。
稼げなくなった夫に対して、日々の生活レベルを頑として下げない元セレブ妻たちは、まさにモンスターである。45歳以上でリストラされた場合、次の職が見つからない夫が多い。本当に一文なしになったら、モンスターワイフたちは躊躇なく夫に「家庭からのリストラ」を突きつけるだろう。こんな家庭の特徴は、「金の切れ目が縁の切れ目」。仕事の忙しさを理由に夫婦関係の構築を怠った結果、夫婦を唯一つなぎとめるものが「お金」になってしまっているのだ。午前様にも浮気にも寛大な妻ほど危ない。
俺のはそのへん本当にしっかりしてて感謝してるぜ。
もちろんそういう女を狙ったわけだが。
俺のスペックから言うと、某チェーンのファミレスでアルバイトしてる男、20代。
先日バイト中、どうみてもヤクザな強面の集団がやってきた。子供も数名連れている。ちなみに24時間営業のお店で、やってきたのは深夜3時だ。
マナーやモラルというものは彼ら彼女らの辞書にはないようで、頼んでもいないドリンクバーを勝手に飲むは、そのドリンクバーでやけどをしたからドリンクバー飲ませろ、とか、挙げ句の果てには、空いている他の席で勝手に遊びだすは、店の備品や商品ををいじり始めるは、子供は店内を遊技場と思っているのか走り回ったり騒ぎまくっているは、大人も子供も店員しか立ち入り禁止の場所にどかどか入ってきて遊び出すはで、正直警察を呼ぼうかと思ったくらいだ。
ただ、ここで重要なのは、なにかを壊したり、他のお客さんに直接的な迷惑はかけていないこと。そして、子供が他のお客さんに迷惑をかけそうになると、大人が迷惑は駄目だ、とちゃんと注意していたことだ。
しかし、もちろん間接的には迷惑をかけているだろうと思う傍若無人ぶりだった。
もちろん、俺はその時間帯の責任者として(深夜の時間だから、2人しかいない)、マナーとか勝手にドリンクバーを飲まないでくれなど、いろいろ注意させていただいた。
このことに関してそのお客は起こったらしく、逆ギレし数人で俺を囲んできて、数々の暴言を吐いてきた。正直いわれのない暴言だ。
もちろんこちらは、下手に出て、「申し訳ないですが、○○はやめてほしい」「ルールですので・・・」などと言うしかない。ただ、多少熱くなり言い方がキツくなってしまっていたり、睨み気味だったのは、こちらの落ち度であったとも思う。
そして、ここでも重要なのが、一切手は出されてないことだ。囲まれたり胸ぐらは捕まれたが、殴られてはないし、備品を割られたとかそういうこともなかった。
結局のところ、相手の怒りは収まらず、店長を呼べと言う。こちらとしても、店長を呼ぶしかないと思い、真夜中であるが店長を呼んだ。
結論から言うと、店長も俺も、土下座で謝り、いくつかの商品を無料にすることで穏便にする、ということとなった。
店長としては、話が大げさになり、例えば本部にクレームをされたらでもしたら、原因は何であれ、自分の評価が下がり、給料が大幅に下げられる。また、警察沙汰、というのもなんとしてでも避けたいようだった。
自分としてはこのヤクザたちに怨みはあれ、恩など毛頭無いが、店長には大きな恩がある。嫌々ながら頭を下げた。
ここまで愚痴。
で、俺が言いたいのは、法律的に問題はないがモラル・マナーの欠如した迷惑的な行為、あるいは、法律的な立証が難しいような迷惑的な行為をした者を更正させたり、そういう行為を無くすためにはどうしたらいいんだろうか、ということ。
俺自身がそいつらに制裁を与えたいというよりは、社会のシステムとして、どうなれば、こういった迷惑行為が無くなるだろうか、ということ。
むしろ、このヤクザにこれ以上関わって何か問題起きて困るのは俺だから制裁なんて興味はない。
某コンビニ店長もこう言っているが(http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100104/1262553225)、迷惑行為ってのは立証するのが非常に難しいし、その立証のためのコストが、ゴネ得や利権なんてものを生んでるんだとも、そういった事が積み重なって差別ってのもが起きているんだとも思う。
海外の話を出すのは好きじゃないんだけど、日本以外だと、お店ってのは日本とは逆で店ではなく、客がありがとうをいう側なんだという。自分のために、労働をしてサービスしてくれてありがとう、と。
日本って客側が金貰っているんだから客に尽くすのは当たり前だと思っているよね。
お客様は神様と言った三波春夫はあの世でこの言葉が違った使われ方をして、そしてそれが世の中を悪くしてることを悔やんでいると思う。
日本ってすべてにおいてオーバースペックで、それは世の中の生活の質を上げることに繋がっているんだけど、
それが働く側の消耗に直接繋がっていることにもなっていると思う。
と言っているけど、まさにそうだと思う。
お客様は神様ではありません、そういった世界では当たり前な風に日本を改善するにはどうすることが一番なんだろう、と最近凄く考えている。
モラルがない人間がいたとしても、そういう社会になってしまえば、少しは首を絞めあう社会ではなくなると思うんだ。
けど、世の中ってそうそう変わるもんじゃないよね。結局、ゴネ得とか、理不尽ってのは人間社会から無くなることはないんだろうな、と思う。
それでも、理不尽ってのが世の中から無くなる事を本当に、本当に切実に願う。
追記。
あ、もちろん、上の一番の問題は下手に出て謝るしかない店長のような立場的な弱者を作っている会社のシステムだと思うんだけどね。
(外資系と言っても最近、日本に進出したばかりの会社です。Gではありません、悪しからず。)
そういえば、最近のネットの情報をそんなに追ってないなあ、と思って、だらだら過去のはてブの人気エントリーを眺めた。あまりさかのぼっても、止め時がなくなると思って適当に10月初めくらいで終了。まるで水の泡のように、情報が浮かんでは消え、浮かんでは消えしている。そういえば、ハルヒのバニーガール問題っていうのもあったな??、とか。北米サイトが無事開設されて何より。
「情報の消費速度が速くなった」というのは、それを助長しているマスコミが(他人事のように)話題に上げる問題だが、ものすごい速度で消費される情報とそれを消費するブックマーカーたち(と他人事のように書いているが、それを読んでいる私も含む)は、瞬間瞬間でしか生きていないニワトリを連想させる。
なんというか、もう少し、「人間のライフサイクルを前提にした情報消費のスタイルの提案」のようなものがあってもいいのではないかと思わないでもないなというか。大体、PCは、人間が欲望のおもむくままに没頭・没入出来てしまうようなつくりになっていると思う。その結果、生活を破壊してしまう場合もあるわけで。まあ、「自由」を美徳としているような(ヒッピー文化-ハッカー文化的な文脈上での(?))思想的背景とかがあるのかもしれないけど。テレビゲームはその壁にぶつかった結果、「新しい生活スタイルの提案」のような任天堂のような答えを出したところもあったが。スローライフ・スローフード(違う)。
なんだか、昔、西部邁が比喩的表現として、「情報の微分化と情報の積分化」みたいな事を書いていたようなことを思い出した(ふと、日本の左翼は、情報の積分(=歴史的経緯)という視点が抜けているからダメなのかもなとか思ったが)。インターネットサービスとして考えると、「はてなブックマークは、情報を微分化して、今一番話題になっている情報を割り出して、トレンド情報をユーザーに提供する」といった感じか。また、「Wikipediaは、情報を整理して積分化し、言葉の定義をユーザーに提供する」といえるかもしれない。
いや、もう、ネット上では、頭の良い人が数え切れないほど議論した話だと思うし、「要はフローメディアとストックメディアだろう?」みたいなツッコミがきそうだが、まあ、そうなんだけれども、そこで思うのは、はてブは近視眼的で、Wikipediaは基本情報しか載っていない、というか、両者の距離が離れすぎであるという問題がまだ解決していない訳で、それに関して面白い意見の一つでも言えればなあ、と思う。
まず、「なぜ、それが問題なのか?」という意見もあるかもしれないが、要は、「もう少し楽に文脈(空気)を読めるようにならないか?」ということだと個人的にはとらえている。ある事柄の最新記事だけみても、その記事が出てきた背景を探るのがめんどくさい。どういう経緯があって、どういう文脈上から、この記事が出てきたのか?なぜこれだけ話題になっているのか?その辺が楽に分かれば、整理されていない膨大な過去ログを読めとも言われないし、空気を読む力も上がるし、スルー力もつくwのではないかというお話だ。
で、解決していない以上、少しは、面白い意見が言えるかもしれないと思うので、つれづれなるままに書いていこう。解決方法のアプローチとしては、ざっくり言うと、「人間を重視して解決する」か、「機械を重視して解決する」か、があると思う。
人間を重視して解決する方法。
前述の「情報消費のスタイルの提案」とかかわってくるけれど、個人ニュースサイトにしても、ほとんど日刊だったりするけれど、例えば、「今週を振り返ってみる」みたいな「週刊誌」的なアプローチもあっていいと思う。今週のネットの流れをサイト主の解説を交えながら振り返るみたいな感じで。
機械を重視して解決する方法においても、「週刊誌」的なアプローチを取ると、ITメディアの「Weekly Access Top10」のような記事をブクマ数で展開し、ユーザーがコメント出来るようにしても良いかもしれない。
もう一つ。はてなブックマークのストックメディアとしての面を強化するという手もあると思う。はてブでも、例えば、タグで検索すれば、過去の関連記事を見ることが出来る訳だが、(当たり前だが)文脈的には整理されていない。まあ、単純に考えると、「新着」順で見ていくという手もあるだろうけれど、意外と整理されていない。それでは、それをユーザーの手で整理できるようにしてみたらどうだろう?という考えが浮かんでくる。
個人的に最近、「FreeMind」に凝っているのだけれども、ああいう使い心地のアプリをユーザーが共有できるようにして、ソーシャルマインドマップ的に記事をユーザー達の手で整理できると面白いような気がする(実現可能かは分からないけれど)。例えば、YouTubeのマインドマップを見ると、中心から、音楽とか、スーパープレイとかの木がニョキニョキと生えている。同じ階層の動画自体は時系列で並んでおり、ある動画にはさらに深い階層がある。よって、例えば、ある動画がどのような系譜でパロディ化されたのかなどが分かる。つまり、文脈が分かる。ネットからしばらく離れていても、ある日突然、ある事柄に興味を持っても、(文脈上の)過去記事をたどれる訳だ。(と、簡単に考えてしまうのは私の悪い癖かも知れないが)
でも、そういうツールが欲しいのは本当だ。ある記事だけ抜き出しても、要は、静止画のようなもので、文脈が分からなければ、その記事を単体でしかとらえることが出来ない。現状、関連知識のない人間がある情報を文脈をふまえた「動画の一部」としてとらえるには、関連情報を聞き出したり、検索したりして、いくつかの断片的情報から文脈を推測していくしかない。しかし、それは面倒なのも確かである。少なくとも、工学的なアプローチによって、「もう少し楽に今現在の文脈(空気)を読めるようにする」ことは可能だろうと思うのだが。
http://d.hatena.ne.jp/MATO/20091014/1255526719
年収いくらの給与明細ってのがちょっと前に話題になっていて、比較のために自分の数字を出してみるのも面白いかなと思った。
1000万の人が公開したので自重していたんだけど、消えてしまったので、時期を逸してしまった感がありありだけど公開してみる。
当方のスペックは、外資系金融、30代、部長クラス、既婚子ども1人、23区の郊外のほう在住といったところ。数字は加工してあるけど、だいたいあってる。
サラリー 月 780,000
公的控除
健 保 27,000
年 金 63,000
雇用保険 5,000
所 得 税 40,000
地 方 税 80,000
-----------------
計 215,000
ボーナス 年 5,700,000
公的控除
健 保 180,000
年 金 340,000
雇用保険 30,000
所 得 税 950,000
-----------------
計 1,500,000
総収入 780,000×12+5,700,000=15,060,000
総控除 215,000×12+1,500,000= 4,080,000
総手取 15,060,000 -4,080,000=10,980,000
年収1500万から400万ほど控除されて、手取りは約1100万。ボーナスはもちろん業績連動。不況で減った。
年収300万から、転職と抜擢人事でようやくここまできたこともあって、今でも基本的には堅実にやってるつもり。
生活費・光熱費・通信費で月17万、家のローンと保険で15万、家族3人の小遣いが8万の計40万円程度が基本出費額。固定資産税とか自動車税・車検費用を平準化すると月2万くらい?、最後に後述のマンション費用が月4万程度相当で、合計で46万円くらいが毎月の支出になる。
余ったサラリーとボーナスは、一部は家電や旅行に使って、残りは住宅ローンの繰上げ返済にあてている。地価が底のころに買った格安物件なので、あと数年でローンも完済できそう。繰上げ返済を優先しているので、貯金は当座のための50万円程度だけにしている。
ちなみに自己投資的なものとしては、本を月15冊くらい読んでる。半分は新書、半分は専門書。だいたい小遣いから月2~3万円使っている。
あと、無駄遣い的なものとして、リゾートマンションを持っている。
バブル期に建てられた中古を、数年前に数百万で買った。こちらはローン完済で、維持費は光熱費・税金込でも年間50万円未満で済んでいる。しょっちゅう家族で使ってるし、実家の両親も毎年1週間以上滞在してくれて恩返しにもなっているので、維持費分は十分回収できていると思う。
車に金をかけてない(60万円で買った中古国産車に6万キロ乗り続けている)ので、購入額的にも維持費的にも、高級外車を買うより割のいい無駄遣いだと個人的には思っている。
でも、何だかんだで、今はまだ資産形成=自宅のローン支払いになってしまっているのが悔しい。地方出身で、身一つで上京して働き始めたから仕方がないけど、最初から都内に自宅がある人との「格差」はものすごく大きいと実感する。
あと何年かで家のローンを完済すれば、ようやく余剰資金が生まれてくるので、本格的に資産運用を始めて老後に備えるつもり。リゾートマンションもキャッシュフロー的には悪者なので、いずれ手放す予定(売却しやすいよう、最寄り駅から歩けて管理費の安い物件を選んである)。
今後公的負担は増えそうだし、それでも年金・健保・介護保険は破綻しそうだし、そもそも今の手取りを維持できる保証もないので、今の収入でも、2人めの子どもは作れないと感じる。
まあ、本当に日本の公的福祉が破綻したら家族で海外に移住したほうが賢明そうなので、そこまで見据えて今からいろいろ準備・研究していこうと思っている。
そこそこ読んでもらえたみたいで嬉しいので、いただいたコメントについて少々追記。
部長で1500万は安い→業種・職種によると思うけど、殺人的に忙しい職場でもないし、まあその程度の人もたくさんいるということで。
子ども作れるはず→同意。生活水準の問題でもない。ただ失職のリスクもあるし、将来を考えると躊躇する、という感じ。2人めは1人めよりコストかからないし、子ども手当が出るなら結構魅力的だとは感じる。
貯金が少ない→繰り上げ返済直後は50万。でもそこにサラリーが乗るし、毎月余ってくので、大体いつも100万以上は口座に残ってる。
収入が増えると支出も増える→そうならないように努力はしてる。実は今の支出は年収700万相当で収まってる。マンション手放して住宅ローン完済すれば500万相当まで下げられる。
見事に「そんな甘くはない」「生きがいなんて」系が多くてやっぱり行くしかないと思いました!
甘くはない系の人達は実際に殺し合いをした人じゃないなら僕に語らないで下さい!
戦争映画とか旅先で小規模戦闘みたぐらいじゃ僕と同類です!
老人がいくら僕に戦争の無意味さを語ってくれても、いくら残酷な映像を見たとしても、所詮はバーチャルクオリティなんです!
実際に見て、実際に目の前で人が躊躇なく殺されるのを見て、実際に銃口向けてくる人を撃ち殺さないと自分が真実かどうか
わかってないのを人に撒き散らすのはむしろ罪です!
以上のことから内容のある反応にお答えさせてもらいます!
http://anond.hatelabo.jp/20090816015057
目的は戦が否定されてる現代で合法的で尊敬される人殺しが出来る事、個人の感情とか人権が否定された場所で生きる意味を実感したいこと。
この2つです!「自分探し」なんか興味ありませんし「フランスの為」とか「平和」のためとかみじんも思いません!
似た様や人らと生きるか死ぬかの現場にいられればそれでいいです!
http://anond.hatelabo.jp/20090816020741
年は気にしてます!あと自衛隊さんに比べれば体力は期待できませんがそこは根性でカバーです!
http://anond.hatelabo.jp/20090816032053
サバイバルゲームは見てて気持ち悪いです!
自衛隊は憲法で自爆してて、闘えない軍隊じゃ単なる精神訓練所じゃないですか!
http://anond.hatelabo.jp/20090816102431
まさにそういう世界に憧れてます!
崇高な理想とかが全て否定されて、ただ作戦に忠実に機械になって仲間と一緒に目の前の敵を殺す。
相手が女子供だろうとなんだろうと、相手の人生を考えてる暇が無いくらい目の前で殺戮が行われてて、
自分が手震えてたり怖がっていたら死ぬだけみたいな。そんな感じゃければただの海外ボランティアです!
http://anond.hatelabo.jp/20090816112151
昔は犯罪者の最終地点だったみたいですが今では精鋭部隊として頭も戦闘経験も優れた有能な部隊みたいですね!
だからという理由で諦めるようなシロモノではありません!留学にいくとか転職にいくとかそんな気分じゃないので!
>http://www.taisa01.com/how%20to%20join.htmが参考になるかもー/12分間に2800メートル以上走ることが入隊条件みたいだよ。がんがれ
楽勝です!3000で11分切ります!
がんばります!
>「命がけの現実逃避」という印象。仕事のやりがいとか、生きる意味とか、自分探しとか、こういうことに悩めるのって、結局のところ日々の衣食住にそれほど困っていないから出来るんだと思う。自分もそうだけど。
そう思います!自分ももしリストラされたり片親で日頃食べていくことに必死だったらきっと外人部隊なんて調べることはなかったと思います!
衣食住困らなくてもなーんにも日本で起きている事が楽しくない。
解散総選挙とかいうイベントはどうでもよいし、終戦記念日に靖国神社に群がる人の主張も説得力ゼロでした!
攻撃を受けたこともしたこともない人が何故反戦を語れるのか、甚だ疑問で仕方ありません!
>いや、まずhttp://www.legion-recrute.com/jp/読んでからいこうや。あと、合格率1割だか2割だかの狭い門だから、落ちた時の生活も考えた方がいーぞー。
英語版は全て読みました!日本語版と少し書いてること違ってます!
アジアで唯一日本語版だけあるんですね!歓迎フラグってことですねわかります!
>命はもっと粗末に扱うべきだ、というカイジの兵藤会長の言葉は理解するが、増田をそこまで追い込んだこういう社会を守るために命懸けで戦おうとする、ここが理解不明。
あなた勘違いしすぎです!
社会を守ろうとか戦争が無くなればとか微塵も思ってませんし!永遠になくなりません!戦は男の食欲とか性欲とかと同列なんです!
日本に帰って評論家とか民間会社に入る気もありません!帰った後知り合いに語っておまえらは甘い!とか言う気も毛頭ありません!
そういうヨコシマ(金儲け)な将来に興味も関心ももてないんです!
>生きがいを「求める」のは違うんじゃないかな。生きがいは、誰かが与えてくれるものじゃないからね。
あなたみたいに実態の無い物を語ってる社会に嫌気が指すんです!
もうパスポートと書類も作って今月中にとりあえず行って試験受けてみるので数年後どこかにネットが使える場所があったら増田で何か書きます!
ではさらば!
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.
(フィクションです)
大学院を修了後に上京して、大手の暗殺系企業で五年間勤務していた。エキサイティングな職場だった。厳しい先輩と、ハードな仕事を次々こなした。待遇は悪くなかった。三年目には年収が手取りで一千万円を越えた。ただし昼夜もなければ公私もなかった。殺しても殺しても依頼は尽きなかった。この激務は終わりのない日常なのだと気付いたちょうどそのとき、仲の良い同期が死んだ。ブレインストーミング中に流れ弾が頭部を撃ち抜いたのだ。桜散る春のことだった。
ゴールデンウィークも休みなく働き続けた僕は、翌週に四十度の熱を出した。近くの病院が出した診断結果は「ただの風邪」。それだけ体が弱っていたのだ。やりかけのプロジェクトがあったのでなんとか会社へ向かおうとしたが、体は動かなかった。動け、動いてよ、という言葉を自分に呟いた。動かない。結局、東京に来てはじめて自宅で時間を過ごすことになった。一日が長かった。ワンルームにはテレビも冷蔵庫もなく、ゴミ箱さえない。がらんと広い死んだような家で、死にかかっていた。
翌日も体調は戻らなかった。誰かと話をしたかったが、学生時代の友人とはもう長いあいだ連絡をとっていなかった。アドレス帳を開いてはみたものの大半の顔が思い出せない。仕方がないので、一日を布団にくるまって過ごした。誰の訪問もなければ、誰からの電話もなかった。恋人からの電話さえなかった。きっと僕は一日中働いていると思ったのだろう。ふだん彼女から着信があっても返事をしなかったのは僕なのだ。夜中にふと目が覚めて、さめざめと泣いた。ひとしきり泣いて、僕は退職を決意した。
一週間かけてなんとか体調を戻した僕は、どう退職を切り出すか迷いながら出社した。待っていたのは、リストラの宣告だった。「なぜかは君も分かっているだろう」とミシガン大卒の上司は言った。どうやら寝込んでいるあいだ会社からのメールに対応しなかったというのがその理由らしかった。「クライアントはおかんむりだ。責任はとってもらう」上司ははっきりとそう言った。パソコンは会社に置いたままだった、と言い訳する気にはなれなかった。外資系は違うな、と僕は妙に感心した。「暗殺者はともかく、外資系はやめておきなさい」と言った母の言葉を思い出した。
僕はそのとき二十九で、違う業種に足を踏み入れるにはすこし遅かった。そして同業他社へ進むには内情を知りすぎていた。残されていたのはフリーの暗殺者として独立する道だけ。僕はそうした。もちろん最初はうまくいかなかった。貯金を食い潰す毎日だった。サラリーマン時代はなぜ、あんなに高いスーツばかり買っていたのだろう。足にぴったりフィットするようオーダーしたストレートチップの革靴も。
ほどなく恋人にも捨てられた。馘首になったことを打ち明けたら「結婚する気はあるの」と聞かれ、返答に窮したらそれっきりだった。これまでに殺してきた人達の家族に明日殺されるかもしれないのに、それはそれとして「結婚しよう」と答えるのが誠実な態度だったのだろうか。僕にそんな自信はなかった。
その時期、前職の顧客からぽつぽつと頂く仕事が僕の命綱だった。貧乏はつらい。しかしそれ以上につらいのは、暇なことだ。仕事一筋だった自分には余暇の楽しみ方など分からなかった。暇を潰そうにも相変わらず我が家にはなにもないまま。だからと言って、これまでに買ってきた恨みを思うと街をぶらぶら歩く気分にもなれなかった。夜になるたび、実家に戻ろうかと真剣に悩んだ。母にはまだ退職の話さえしていなかった。
好転の契機は価格を見直したことだった。それまで用いていた大企業譲りの価格体系は、プラン、オプション、割引制度が複雑怪奇で、一般顧客には理解が難しい。そんな当たり前のことに気付くのに半年かかった。ゼロに近付いていく預金通帳を眺めて、ふと分かった。実際のところゴールド・プランだろうとプラチナ・プランだろうと、顧客にはどうでも良いのだと。殺して欲しいから暗殺者を頼む。それだけの話。そこで原則、一人につき二十万円と改めた。コンサルティング・フィーはなし。メンタル・サポート・オプションもなし。分割払い不可。にこにこ前金一括払い。失敗したら全額キャッシュバック。失敗などしたことなかったので、なんの問題もなかった。
ネット系の暗殺企業でCFOを勤める後輩の薦めに従い、なけなしのお金で簡単なネット広告も始めた。「これからは暗殺もネットで依頼する時代ですよ」と後輩は言っていた。正直に言って半信半疑だったが、ほどなく新規顧客を獲得できるようになった。暗殺系企業は大手顧客ばかりに目を向けていて、リテール向けのネット進出に出遅れていたのだ。ネット系の暗殺企業はいずれもベンチャーだが、急速に顧客の支持を集めている。僕はその波に乗った。
すこしづつではあったが、充実した忙しい毎日が戻ってきた。殺して、殺して、殺す毎日。正直に言って、サラリーマン時代は企業闘争に関わるプロジェクトばかりだったので、個人から依頼される仕事の大半が痴情のもつれであることには閉口した。それでも、大事なお客さんであることに変わりはない。ある時は依頼者の夫を殺し、ある時は依頼者の夫の浮気相手を殺し、ある時は依頼者の本妻を殺した。
独立して一年が過ぎた。流れは上向きだった。そこに不景気がやってきた。
仕事はもちろん減った。不景気で依頼人が減ったのはもちろんのこと。しかしそれ以上に、不景気で暗殺者になろうとする輩が大勢現れたのが問題だった。仕事が減るという結果は同じかもしれないが、なお受け入れがたかった。なんでもどこかの週刊誌が資格がなくてもできるフリーランス仕事として大々的に紹介したらしい。誰でも簡単、いますぐ暗殺者! というわけ。「一にも二にもコストカット。これからは自分で殺す時代」なんてことを言うコメンテーターまで現れた。
自分の腕は鈍っていなかった。一年を通して失敗は一度もなかった。評判だって悪くなかった。だからこそ仕事が減るのは堪えた。後輩が連絡をとってきたのはそんな時だった。場所は青山の隠れ家風フレンチレストラン。「安くないけど、いい店でしょう?」後輩は最初にそう言った。彼の働くベンチャー企業は今や暗殺系で一番の成長株。週刊誌にそそのかされて始めた素人暗殺者を大量に抱え、コミッションで稼ぐビジネスモデル。飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
「それで、景気はどうですか?」後輩はそう続けた。もちろんこちらの景気を理解しての発言である。「今日はなんだい」と僕は言った。それから後輩は休みなく喋りまくった。要約すると:これからは暗殺にも無料の時代がやってくる。クリス・アンダーソンという人が「フリー」という本を書いているそうだ。「無料の暗殺が世界を変えるんです。嫌な人間のいない世界になりますよ」彼は言った。
「無料でどうやって生活するんだ」僕が言った。後輩は待ってましたとばかりに答える。「広告ですよ。殺害現場を広告にするんです。ちょうど三億円事件でカローラが有名になったみたいに」「面白い話だとは思うが、そんな広告を出稿するクライアントがいるか」「いますよ」後輩は笑った。「有名になれば勝ちなんです。有名になるためなら、どんな広告でも売る企業ばかりですよ。だいたい、クライアント以外はそれが広告であるかどうか分からないんですからね。たまたま殺人事件を通じてなにかの商品が有名になるだけです」
「無料で殺される人間は不憫だな」僕は言った。「殺されればなんだって同じですよ」後輩は答えた。「そうか」僕は頷き、彼の心臓にナイフを突き刺した。いつもどおりの手口。失敗するはずがなかった。入念にナイフをえぐると、後輩は一言も発さずに死んだ。僕は後輩をテーブルクロスに包み、店主に一言言い残して店を出た。景気が良かったときによく使った店だった。後輩はこの世界で生きるには目立ちすぎた。
翌日、コンビニのATMで二十万円を引き出した。趣味のひとつもないので、家賃と食費以外には使うあてもない。とりあえず向こう二ヶ月は暮らして行けそうだ。僕は家に戻り、布団にくるまって寝た。明日はなんの仕事もない。
(ブクマコメントなどありがとうございます。PCが故障中なので自分のサイトではなく増田に投稿しましたが、いつもより反響があって嬉しいやら切ないやらです。http://youkoseki.com/text/ にその他の短編小説をあれこれ掲載していますので、良ければどうぞ。また三十路から小説家デビューする方策や、いまどき短編私小説を募集している媒体情報などご存知でしたらご教授下さい)
宮崎正弘『トンデモ中国、真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)
ウィグル自治区で殆どのモスク(イスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。
新彊ウィグル自治区は地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。
大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区とカザフスタン、キルギス、アフガニスタン、パキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。
国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派のゲリラが武器を中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。
極めて厳しい自然環境、乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメットを信仰している。
中世から近世にかけて現在の中国北西部を収めていた元は原住民のイスラムの信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民は漢族に立ち向かうようになった。
新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。
あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教の管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。
ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安やチチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク(漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスクに信者がちかつかないのだ。
冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラー、アクバール」とコーランが流れているのを聴いた。
ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪
イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムのアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。
しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。
一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。
寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区のトルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。
北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。
イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国は拙速にも北京と妥協したのだ。
(中略)
村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランのテープやCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。
あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス、茶髪、ショート・パンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコやカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞を北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。
ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ、市民の公園、遊園地も漢族の家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルのチャイナタウン」ではないか。
街の看板は漢字とアラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル。大通りに溢れるのはトヨタ、日産、ホンダの車である。
服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラーの民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。
最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。
都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。
中国沿岸部の人たちは競って英語か日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。
~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~
「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。
南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院、仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。
交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教とイスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画、仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。
嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャンの石仏をイスラム原理主義過激派らはミサイルで破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。
南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教は俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカル・モスクは中国のイスラム教徒のメッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。
現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者を逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒の怨念はなまなかなものではなかろう。
血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。
イスラムの歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明は形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランのホメイニ師のごとく強靱な精神的指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。
(拙著『トンデモ中国 真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)
だったような・・・
30代後半の准教授なんて悲劇的レベル・・・たぶん同期民間の2/3もいかないんじゃないか?
追記:こんなんみつけました
うちはフィールド調査のガソリン代なんかも自腹で結構大変みたいです。出張は公共交通機関しか認めてないのかな?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213724522?fr=rcmd_chie_detail
月給と研究費はまったく別物です。研究費は、学会の発表に行くために使用したり、機材を買ったりするのに使います。何につかってもいいわけではありませんので、たとえば、それで食事をしたり、研究に関係ない本を買うのはできません。更にいうと、大学やその予算によっても細かく使途や額が決められています。ヨーロッパなどで学会発表をすると今は円が非常に弱いので、ヨーロッパのホテルに泊まると(日本円で1泊いくらまでと決められているので)だいたい足がでます。1回の出張で7万くらい。そんなのは、自腹です。それから、研究に関係しているという費目では学会登録がありまして、だいたい、教員は学会を幾つか登録することが必要で、学会誌や論文誌も買わねばなりませんが、これで年間10万円はいっちゃいます。でも、これはほとんどの教員は自腹で出しています(だいたいの予算がこれを出す費目がないから)。あとは、学生さんにおごることも時々あるし、パソコンもデスクトップはいいけど、ノートPCは外に持っていけるから駄目なんて大学もあります。自宅に帰り夜中まで仕事しているのに。。。。
というわけで、月給と研究費を一緒にされた質問なので、コメントさせていただきました。
年収は人によっても大学によっても異なるのですが、一流企業のメーカー系(NECとか)と比較すると、30歳では大学教員が少し勝ち、40歳で同じ、その後、企業人は勝ち、大学のひとは飽和して横ばい状態になるといわれています。ただし、大学教授の定年は長いので、総トータルでは同じくらいです。銀行系はこれの1.4倍以上もらっているようですが定年が少し早い。外資系は日本系よりもいいですが、ノルマは厳しい。稼ぐなら、金融や保険かも。。。金融で働いたこと無いからわかりませんが(金融もストレス多いらしい)。。。ちなみにパイロット(機長)は年収3000万円だそうです。つまり、ストレスが高いとこほど高収入なのかもしれません。リッチな生活をしようというなら、大学の教員は避けたほうがいいかもしれません。安定しているかというと今の時代、論文や、特許、外部資金の獲得、高校への出前講義、教育の充実などどんどんノルマが増えてきていて、そのうち、期限付きの雇いになるかもしれませんので、必ずしも安定しているとはいえないくなるかもしれません。
英語は日本人講師のみの業務研修でTOEIC800超えたけどもう忘れた。
投資は大きく上下してない。蓄財のメインは給与貯蓄と不動産売買。
勝間さんほどの意欲出せないし、あの人みたいになりたい気もしない。
器用貧乏で、お金の使い方も自分の使い方も(ついでに時間の使い方も)しらない。
宗教への「喜捨」もやだし、ボランティアにも懲りた(お客気分はやはり向こうに迷惑)。
スカイプでもしたらいいのかなあ。
遠方にたまには会いたい人はいるけど、
向こうもそうとは限らない(たぶんあちらは多忙)。
正直育児もそれほど苦労してない、愚痴るネタもなし、相談にもうまく答えられない。
ジムにいって体を鍛えて若くみられるけど、しゃべらないから
顔の下半分だけが退化しておばさん顔になってきた。
どうしたらいいんだろう。夢なさすぎwwwバロス