はてなキーワード: カメラマンとは
http://anond.hatelabo.jp/20090209174338
何故はてなは?という声があったので比較してみる。比較になってないけど。
てか、以外なのは、以外に地道で、でも、あれこれやってる。
当初からキャンペーンやタイアップはバンバンやってて、ちょこちょこと新しいサービス作ったり新機能追加したりしてる。
そして、それが出来てるのも、人力・ダイアリー・ブックマークと、軸になるサービスが出来てるからなんだろう。
地道にアグレッシブ。そんなかんじ。
始まりは夢がいっぱい。→それはまーベンチャーですから
カメラマンだった近藤淳也さんが突然「ネットビジネスを思い付いた」と語り出した。「人の質問に人が答えるサイトを作って、起業したい」。
株式会社はてな、米国シリコンバレーに子会社設立 会社創立5周年を機に世界的サービスの展開へ
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenapress/20060714/1152840500
はてなでは自社開発の「はてなフレームワーク」を利用しています。
はてなフレームワークを開発した当時の2001年頃はLL向けの良いフレームワークがあまり無かったため、自分たちで作りました。
7月19日、「人力検索サイトはてな」がオープン。サイトを盛り上げようと、スタッフ総出――といっても夫婦と、協力してくれる学生数人――で質問や回答を登録した。質問が入ると携帯電話が鳴るようにし、24時間体制で回答を検索。しかし、1日に登録される質問は、10もなかった。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0508/17/news020_2.html
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20081022/1224647868
各種ニュースサイトに流れてベタにサーバが落ちる。→落ちなかった。正確には一部落ちても全体では落ちなかったり即復旧したり改修したり。
このころがピーク。→まだピークじゃない。成長中。
すでにPVは下がり始めるがなぜか人材募集。→上り調子で人材不足。でも、ガバガバとは雇わない。
今後のことを考えて今までの5倍の広さにしました。→元が小さいですから
「当初は、京都リサーチパークの4平米のブースで作業をしていた。お金がなくて夫婦2人の食費が月額4万円を割り込むこともあった」
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2004/07/20/3941.html
現状脱出を目指していろいろ試行錯誤。
この辺りからいろいろ壊れはじめる。→なんだかんだで年に1つはそれなりのサービスがでてる
見た目だけ(笑)
だって、しょっちゅう変えてしょっちゅう批判浴びてるもん
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatena/20080327
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatelabo/20080821/1219322426
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenapress/20080214/1202969302
ん?諦めてはない?
はてなのようなブックマークサービス→ソーシャルブックマーク追加
とりあえずいろんなサービス追加しまくってサイトはカオス状態。→それなりに分離、それなりにリンク
エース級の社員が辞めたことで、いっきに退職ブーム。→退職した人もいるけど、入れ替わりは少ない。
http://f.hatena.ne.jp/hatenapr/20070315134015
kawasaki mitsuki onishi jkondo reikon naoya danjou + stanaka kossy
DENPA!!!行って来ました。
ここ5,6年で一番いいpartyでした。
掛け値なしに楽しい!!!
昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。
内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント。
ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。
とまぁ、ここまで書いて小休止。
自分は↓これ書いた人。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
自分語り(補)
http://anond.hatelabo.jp/20081223215937
自分語り(転)
「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、
どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。
んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って
まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。
以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。
でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。
(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)
冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクとアングラカルチャー』が抜群に面白い。
これだけで1,200円出す価値があります。今現在、初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)
きちんと書いてる暇がないので。
では先に進みましょう。
//////memo//////
[前提]
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html
慟哭 (3)
http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php
栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書』講談社ブルーバックス,71頁より
[目次]
1.「慟哭 (3)」を読んで
3.人類知に帰ろう
4.あなたはどう思ってるの?
6.参照元
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1.「慟哭 (3)」を読んで
慟哭 (3)
「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。
こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽・ファッションverなのねと。
この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。
(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)
次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。
(補)
レディ・メイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89
「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、
便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品。
デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と
「美術(芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。
(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。
(余談ですけど、村上隆は美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。
美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外の美術界」では評価されています)
ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」
(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)
(ニコニコではちょっとあるみたいだけど)
(補の補)
電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。
電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味。
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、
ホントは「パラレルワールドで幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?
(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)
映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味?
http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html
俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、
それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。
「現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。
「アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。
(別にEUヲチでも構わない。もちろん)
3.人類知に帰ろう
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw
それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。
(中略)
僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、
それでも解釈(知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学の囚人なので、
僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。
庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。
(関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学は永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)
(中略)
これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。
僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。
不恰好でも感動はほんものだ。
そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ
と感慨深くなりました。
marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より
文字打ちが大変なので割愛。
「アート(引用者注:「学問」という意味も多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し
点と線さんが社会学のフレームで世の中をすっきり見れるように、
若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。
年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。
(カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)
学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。
最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)
鶴見済ですら
http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html
と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。
まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。
(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)
バンクシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
BUBBLE-B / アムロケット
4.あなたはどう思ってるの?
オタクって何?
オシャレって何?
疑問に疑問でお返しします。
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「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう。
全レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。
clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチを決断主義者に仕立て上げるのは悪質
「決断主義」って言葉の意味を調べましたが、よくわからなかったです。
fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタクの自己正当化合戦に見える
そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、
化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。
(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)
fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境・時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ
「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。
y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?
(『タイム・マシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?
ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。
mkd5 オタク 「おたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは
「ヌルおた」は言語矛盾を引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。
『竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。
「おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。
6.参照元
は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。
http://anond.hatelabo.jp/20090115000935
おまけ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156
フック
(追記)
ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。
"DENPA!!!"に行ってきたよ。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1
お三方とそう変わらない印象。
3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。
ロンドンナイトは行ったことないけど、普通のライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。
僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。
テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w
NHKの方(ETVのカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。
(こっそり追記)
metamix きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、
その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。
要はその現場があるかどうかだから。
「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。
「Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。
「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、
どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。
(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、
ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)
(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)
【佐々木渉】 三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)
まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)。
ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、
グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。
ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社(株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という
(独り言)
http://anond.hatelabo.jp/20081228014905 の続きです。
<インタビュー>
シェーンヘル(以下シ):どうしてカンパニー松尾と称するようになったのですか?
松尾(以下松):中学時代にさかのぼるんですが、自分の「会社」を始めたんです。社員はぼくひとり、ジュースや手作り弁当をクラスメイトや友人に売ってました。毎朝、20個の弁当をかかえて登校したものです。で、みんなが僕をカンパニーと呼ぶようになったと。これがぼくのペンネームになり、映像のキャリアを通して使ってます。
シ:まず最初に、ハメ撮りの歴史について少々語ってもらえますか?
松:ハメ撮りスタイルの作品は、80年代初期からありました。ハメ撮りということば自体が使われるようになったのは、88年か89年だと思います。昔はAVの小さな一角を占めるだけでしたが、それから大きくなりました。
松:はい、そうです。働きだしたのが1988年、22才の時です。
シ:そのとき、V&Rプランニングはすでに大きな会社だったのですか?
松:いや、とても小さかったです。ぼくは4人目の社員で、会社自体もまだ2年目でした。
松:はい、そうです。
シ:V&Rは最初からドキュメンタリースタイルのAVに力をいれていたのですか?
松:はい。安達はテレビ出身で海外映像の輸入エージェントとして働いていました。モンティ・パイソンとかそうですね。でも彼はおもに死体ものとかのキワモノにもっぱら興味があったようです。それが彼の嗜好だったんですね。
彼は撮影については知りませんでした。自分で会社を始めて、自分でこうあるべきだと思うやり方で彼はドキュメンタリーを作ったのです。会社自体はキワモノですが、安達は非常に真剣な作品を作ろうとしました。
シ:V&Rの意味は?
松:ビジュアルアンドリテイルです。バイオレンスアンドレイプじゃないですよ、皆さんの思うところとは違って(笑)。
シ:V&Rでは最初は助手、そして1989年に自分の作品を制作し始めます。最初の作品はどんなでした?すでにハメ撮りでしたか?
松:いえ、ハメ撮りは1991年からです。その前はドラマ仕立てでした。
シ:後期の林由美香があなたをハメ撮りに導いたという記事を読んだのですが…
松:いや、直接ではないです。林由美香とは1989年からやってました。正直にいうと、ぼくは彼女が好きだったのです。一緒にパリ・ロンドンに旅行して、ビデオを撮ったこともあります。僕の作品である、「硬式ペナス(1990年)」は彼女への愛を宣言したものです。その作品で、彼女はスターになりました(原注:林はその後すぐに松尾と別れ、他の出演作品の監督と関係を深めることになる)。彼女との作品では、自分で男優はしませんでした。でもそれは非常に不自然に思えました。彼女のおかげで、ハメ撮りが一番自然な撮影方法だと感じられるようになったのです。つまり、そのやり方だといい作品をじかに作れるし、ハメ撮りだと女の子に近づく、彼女自身がオープンになれる、本当の気持ちを見せられるといったことや僕自身の女の子に対する気持ちを表現できるのがあります。僕にとって重要なのは、女の子と緊密な関係をきずく、女の子が好ましく思えるってことです。でなきゃ、いい作品は作れません。
松:ええ。彼女は素人としてこの仕事を始めました。彼女のデビュー作はぼくが撮りました。1991年のことで、ハメ撮りが僕の撮り方の主流になってました。「私を女優にして下さい」ですね。次のシリーズものが「熟れたボイン」です。ぼくの作品で素人から有名女優になった最初の女の子です(原注:松尾自身もこの共同作業により今日知られるようになった有名監督になった)。
シ:V&Rで活躍する一方、マンガ「職業・AV監督」の原作も手がけられています。
松:はい、これ実話です。井浦秀夫が絵をかいてます。1997年から98年の作品で、全5巻で秋田書店から出ています。ぼくの仕事、ぼくの作品に関わる女の子たち、V&Rの人々、安達かおる…まあそのころのこと、すべてですね。
松:中堅どころといった感じです。AV市場では大きな会社はいっぱいあります。でもV&Rはその中には入らないですね。大会社のビデオはあんまり興味ないです。その点、小さいところの方がいい作品をだすかな。V&Rは間違いなく、変態を極めた会社のひとつです。
シ:V&Rが制作した「ジャンク」シリーズにも関わってますよね?こうしたデス・ドキュメンタリーは南米で撮影されたものですか?
(原注:「ジャンク」の原題は「faces of death」。もともとコナン・ド・シレールが1979年から90年にかけて制作した4本のアメリカ作品。V&Rが引き継ぎ、ジャンクのタイトルでデス・ドキュメンタリーを制作し続けた。同様のケースはドイツでも見られる)
(訳注: http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/mondo/junk.html が興味深い)"
松:1989年頃のものですね。V&RはAVだけでなく、デスビデオを海外で撮影してました。カメラマンのイシカワ・タケシが両性具有者にただならぬ関心を抱いていたのです。そのためにブラジルのタブロイド新聞と連絡をとっていて、ブラジルに詳しくなりました。向こうが言うには「デスビデオを撮るならブラジルにこなきゃ」と。で、安達、イシカワ、そしてぼくがブラジルに行って、2週間ほど彼らと行動を共にしました。
新聞のカメラマンは、警察無線を傍受していて、事件が起こるや、すぐに現場に直行しました。ブラジルの警察は動きが遅く、たいていカメラマンが先に到着しました。日本だと死の現場はいつも警察が人目につかないよう隠しますが、ブラジルだとそんなことはないです。ぜんぶオープンですね。
松:両方です。何もかも。殺人はとても多かったです。撮影には何の支障もきたしませんでした。愉快なもんじゃないけど、ぼくができるのはそれしかなかったし、使命感みたいなものも…たぶん、ふつうはそういうのって撮れないと思うんですよ。たまたま機会にめぐまれて、現場に行ったと。でもぼくはだんぜん、AVがいいです。デスビデオとセックスビデオには共通点があります。どちらもひどく当たり前のことで人間の根源にかかわるのに誰もが隠そうとする。ぼくらは封を開けて、それが見えるようにしてるんです。
シ:ジャンクはシリーズものです。どのエピソードを担当しましたか?
松:6番です。
シ:どこで撮影しましたか?
松:リオデジャネイロです。リオはぼくの好きな街ですけど、別に死体を撮ったからってわけじゃないです。リオは美しいところで、ほんとうに輝かしいものから暗い側面まで、すべてがあります。丘の上のキリスト像からファベーラと呼ばれるスラム、美しい町並み、そして白い砂浜まで。美しい娘からギャング、ホームレス、麻薬の売人、そして殺人犯。すべてがそこにあって、生きている、街に存在するのです。パワフルな場所です。美しく、そして同時に恐ろしくもあります。一回しか行きませんでしたが、今でも魅力的です。
シ:リオでハメ撮りは?
松:いや、まったく。アメリカやヨーロッパでは何本か撮りましたが、ほんとうにしたいようにはできませんでした。もちろん、言葉が大きな理由です。ハメ撮りの現場に通訳は連れて行けませんから(笑)。でも言葉の違いより文化の違いの方が大きかったと思います。ハメ撮りでは、女の子の内側に行ってみたいのです。何を考え、どう生活し、夢、そして現実はどうなのかと。生命の中に隠されている汚れた、感情的なものを取り出したい。外国でできるのはセックスを撮ることだけ。それじゃ十分じゃないし、ぼくは満足できない。セックスシーンを撮るだけなら、俳優を呼んで女の子とやらせればいい。ぼくなんてお呼びじゃないです。ハメ撮りだったら、なぜ彼女はこれしてあれするのか、動機、考え、そうしたことを詳しく理解できます。ぼくは女の子の個性を描写したい。欧米の娘とだと、ちょっと無理です。セックスが好きかもしれない、オープンかもしれない、でも日本の娘たちとのようには近づけない。ほんとうの性格がわからない。つまり、ぼくは彼女たちとビデオを撮れない、ってことです。
シ:他のアジア諸国だと?
松:アメリカやヨーロッパはポルノに関して長い歴史があります。スクリーンにセックスが映しだされることについてオープンです。でもアジアはかなり遅れています。厳しい規範があり、ポルノ産業において多くを語ることが難しいです。日本はずっと先を行ってますね。
シ:V&Rにはいつまでいましたか?
松:2004年までです。それからハマジム、現在の会社を仲間と始めました。
松:浜田写真事務所、略してハマジムです。みんなそう言うし、領収書も短い名前の方が便利です。今ではもっと短くなって、「HMJM」です。もともとカメラマンの浜田さんが由来です。彼はぼくらのなかで最年長、みんな尊敬しています。彼がボスです。
シ:現在、何人が働いていますか?
松:7人です。
松:たとえば、「広瀬舞、海老原しのぶ」(2004年)、あ、ふたりの女優の名前から題名つけたんですけど(訳注:ハメドリズム01?)、200万円前後ですね、DVDジャケ込みで。「アテネマラトン」(2004年)はオリンピックのときにギリシャで撮影しました。300万円ほどでした。基本的には一本、200から300万円です。
シ:「オークション01」「オークション02」(2004年)のような純ハメ撮り作品だと、旅費がばかにならないと思いますが?全国を旅して撮りましたね。
松:実際、そっちの方が安いんです。スタジオ撮影は高い。スタジオ代だけでも100万かかります。それだけあれば、ほんといろんなところに行けますからね。
シ:基本的に、彼女たちの住んでいる町、実際の生活環境で会ってますね?
松:ええ、基本的にそうしたくて。
シ:あなたは常に、親密で個人的な彼女たちの肖像を切り取っています。彼女たちの本当のやり方をつかんでます。ビデオの中で彼女たちは、ビデオ出演の動機も含めて大いに語っています。ところで、彼女たちが作品に出演する動機、これはどうお考えですか?
松:女の子それぞれというのはもちろんですが、お金が主な理由だと思います。でもハメ撮り一編に登場しても大した金にはなりません。一回会うのが5万円、つまり彼女たちがぼくに電話するのは他の理由があるにちがいない。好奇心だったり、非日常に惹かれたり、もしくは日常のストレスから抜け出したかったのかも。そして単純にセックスに興味があったというのもあります。でもほとんどの場合、彼女たちはほんとうにくつろいで、作品に出ることを楽しんでいます。ところで、あなたはドイツ人だとおっしゃられましたよね。笑い話なんですけど、実際にAVをドイツで撮ろうとしたことがあったんです。2年前に女の子ひとり連れてベルリンに行きました。ぼくのプランは、アウトバーンを時速300キロで飛ばしながら女の子にしゃぶらせるというものでした。日本は速度制限が厳しいというのもあってこの計画には非常に興奮しました。これは全男子の夢だぞ、車をかっ飛ばしながらセックスをするなんて。女の子はいるし、おしゃぶりしてくれると。ポルシェを借りてアウトバーンに出ました。最初の誤算は300キロ出なかったことです。260キロくらいまででした。で、女の子が車酔いしちゃったんです。なんにもできませんでした。ドライブだけで終わりました。
シ:でも撮ったんですよね?
松:ええ、全部収めました。衛星放送向けAVの一編になりました。
シ:これからの予定は?
松:ぼくはAVが好きで、今やっていることをこれからも続けたい。テレビや映画には興味がないし、AVを作りたい。大会社に所属したくもないし、ハマジムを大会社にする気もない。ビジネスのことは考えたくない。ただ自分の好きなことをやっていたいです。
www.midnighteye.comより、雨宮まみの「弟よ!」経由。
長いので二つに分けました。
日本のアダルトビデオ、略してAVと言われているがそれは驚くべき多様性の世界でもある。もし欲情を喚起するためにセックスを描写し、売り物にするのがポルノグラフィの定義なら、どこからどう見てもそれはポルノなのだ。AVは安価で日本中至るところで目にすることができる。この国のどんなビデオショップに行ってもこのジャンルの商品はたいてい、大きな棚を占めている。
しかし、日本の映画表現が欧米で多くの信者を生み出す一方、アダルトビデオはほとんど顧みられていない。日本の得意とする怪獣もの、アニメをはじめとする全ジャンルに関する日本映画のフェスティバルはヨーロッパ・北米で花盛りだが、AVはどこにある?もちろん、日本のポルノは性器を直接描写できないという問題を抱えている。それらは処理画像の向こうにあり、欧米の視聴者にとってはいささか奇異に映るものだ。にもかかわらず、AVは魅力的な分野である。
まずは、ピンク映画。これは1960年代初頭から制作されている。小林悟の「肉体の市場」がおおまかにいってこの分野のさきがけといえよう。性への大いなる情熱、そして時には理由なき暴力や変わった性的ファンタジーまで描写する一方、ヌードシーンは一部に限られ、疑似性交が主を占める。
そして裏映画(訳注:日本語ではブルーフィルムがより的確な表現だと思います)、こちらはさらに映画史の初期にまでさかのぼることができる。こちらは本番ありの無修正、たいてい8分から10分の短い映画だ。白黒映画時代に欧米に存在したブルー・ムービーは時には手の込んだプロットを開陳していたが、日本のはたいてい伝統的な畳の部屋で性交にいそしむ男女を描写するにとどまっている。裏映画が上映されるのは、だいたい温泉街であった。男の客にとっての温泉街でのくつろぎは、しばしば買春と結びついており、そうした街の赤線地帯では法律で固く禁じられている裏映画ショーを楽しむことができた。今日では裏映画は裏ビデオに取って代わられ、そうした未修整のポルノビデオはビデオショップで信用のある客にのみこっそり売られている。
ビデオデッキの普及に伴い、アダルトビデオは1980年代初頭に成長をとげる。家庭で映画を見る習慣が広まり、そしてもちろんビデオデッキが接続されたテレビでセックスを鑑賞することを人々は望んだ。初期AVは、東映や新東宝といった大手ピンク映画会社により支配された。撮影済みの映画をビデオ化し、自宅向け市場へと流したのだが、短いバージョンであることもしばしばだった。市場の急速な拡大につれ、それらの映画会社はビデオ専用の映像を制作するようになった。これらの映像は直接ビデオで撮影されているにもかかわらず、ピンク映画の伝統を踏襲し、ピンク映画のルール・制限に固執した。
ピンク映画会社の制作するAVは、高額な費用をもって制作され、ほとんどの場合有名女優を主役にすえていた。しかし新世代の野心あるポルノ映像作家はビデオという形態は安価であり、あらゆる種類の新しい可能性を提供してくれることに気づき始めた。つまり機材取り回しの容易さ、無限ともいえる長さの尺をとてつもなく低コストで撮影できるということである。
これらの新しい可能性を最大限に生かした最初の監督が、かつてピンク映画の監督だった代々木忠である。「ドキュメント・ザ・オナニー」シリーズ(80年代初め)にて今日のAVにて見ることのできる根源的要素を彼は取り入れた。本番の導入、そして素人俳優の採用によって秘められた日本のセックス事情をドキュメンタリースタイルで描写したのだ。
「ドキュメント・ザ・オナニー」は驚くべきヒットを記録し、映像に関心のなかった投資家連中という新しいグループの注目を引くことになった。裏本・ビニ本業者はAV制作会社を設立し、金鉱とも思えるそのビジネスに飛び込んでいった。
少額の予算でピンク映画会社に勝つために、本番は彼らの切り札となった。こうした決断は大島渚の刺激であるともいえよう。著名な日本人監督である大島がフランス資本で撮影したアートシアター系映画である「愛のコリーダ」(1976年)は、命がけの悲しい情熱を最大限に表現するために実際のセックスをいくつものシーンにおさめた。一方で、非合法である裏映画からの強い影響も見てとれる。裏モノである「洗濯屋ケンちゃん」が一躍注目を浴びることになった。いつ、誰が作ったのかは現在に至るまでまったく不明である。しかし多くのフィルムが出回り、それらはビデオにコピーされた。主要雑誌はこの映像について書き立て、大きな話題となった。裏映画の直コピーの常として、「洗濯屋ケンちゃん」はもちろん非合法なものであったが、新しい本物のセックスという報道記事によって、どんなにお金をかけても得ることのできない宣伝性を得ることになった。
もちろん、新しいAVにおけるセックスは本物であったが、いぜん審査されていた。セックスシーンでは役者の全身はおろか、クローズアップも映し出されていた。しかし、性器とヘアーはAV業界でいうところの「モザイク」と呼ばれる電子的処理画像に隠されていた。処理画像がある限り、スクリーン上のすべてが許された。精液が処理画像から飛び出して、非処理画面に映る女優にかかってもおとがめなしである。ピンク映画では役者のモチモノは家具や植木鉢をレンズとの間に置くことによって隠されていたが、いまや自由な撮影が可能となった。編集の段階でモザイクをかけ、ぼかすだけでいいのである。
そうした映像処理は、海外映画の審査に起源を発している。ヌードシーンはこれまでカットされることはなかったが、俳優の性器は黒塗り、もしくは白のぼかしで隠されていた。この和らげられた映像が、ある程度本来のイメージを知る、手がかりになったのである。
こうした規格を確固たるものにし、政府の取り締まり・警察の逮捕といった危険からAV産業を守るため、AV会社により自主審査団体が設立された。映倫(ピンク映画を制作する業界により審査委員会が運営されている)をモデルとしたビデ倫が設立された。業界トップは、AV監督がアナーキーな連中の集まりであることを正確に把握しており、最初から強い手段をとることにした。ルールを守らせるための必要な権威づけのために、ビデ倫は審査委員会に警察官僚や役人の天下りを呼び寄せたのだ。
現在ではAV業界は一大産業を形成している。しかしその内訳はさまざまである。ピンク映画会社が今もなお重要な役割を果たす一方、無数の小さな会社があり、世には知られぬ顧客の嗜好を満たすべく特異化をはかっている。とはいっても、AVには二大分野が存在する。つまり、「単体」と「企画」である。単体ものはふつう、大きな会社が扱うが、大予算とひとりのスター女優に焦点を合わせるところに特徴がある。美しい女の子を起用し、なるだけソフトに、かわいく作られる。一方企画ものでは4、5人の女優が一本のビデオに出演する。彼女たちはかわいくもなく、見た目がイマイチであるのは決して珍しいことではないが、カメラの前での行為は大胆不敵である。企画ものはセックスについて変わった側面を取り上げることが多く、小さな会社が制作している。企画ものの方が予算が安く済むからだ。単体女優はスターであり、一本につき100から200万の金を手にする。企画女優はというと、10万から20万といったところだ。にもかかわらず、ふたつのやり方は相互補完的だ。多くの男性視聴者は女の子にふたつのことを望む、つまり可愛らしさと変態さだ。
日本では魅力的な若手女優が必要とされており、単体の女の子はスターでありアイドルでもある。企画の女の子はというと、タレント的であり、それはアマチュアを意味する。こうしたタレント募集のやり方はまさしく日本的だ。モデル事務所やタレント事務所は多くのスカウトマンをかかえている。スカウトマンは若い男連中であり、ファッションに敏感な若い子でにぎわう東京の一角に、前途有望な娘を見つけるべく徘徊している。彼らは若い女性に声をかけ、音楽・ファッション業界の仕事をもちかける。実際、ファッションモデルやテレビのエキストラになる場合もある。レコード会社が特定の容姿を歌唱力より優先させたい場合には歌手になることも。一部の女の子たちは、スカウトマンから声をかけられ、そうした仕事に着くことを夢見ながらおしゃれして渋谷・原宿の通りを歩く。しかし多くの場合、モデル事務所はAVの仕事をもちかけ、そして多くの女の子が「いいですよ」と答える。街角からリクルートされたタレントたちの登場するAVの信じられない本数が示すように。彼女たちはたいてい手っ取り早く金を稼ぐためにAVに出演する。もしくは冒険や遊び心、モデルキャリアへの道を見いだしているのかもしれない。
企画もののスタイルやジャンルを一覧にするにはいささか数が多すぎる。しかしその中で最も重要であり、かつ一般的なものをあげるとしたら、ピンク映画の時代から続く、ずばりそのものの異性間セックスが最初に来るであろう。教師・女生徒・看護婦といったちょっとした嗜好を交えたり、レイプ(AVでは一大分野だ)・緊縛などの暴力の一形態を伴うこともある。しかしAVはビデオならではの特異なジャンルも拡大しつつある。ブッカケ(集団男性が女性の体に射精する、顔がより好まれる)や密着ドキュメンタリーの特殊なケースであるハメ撮りなどである。
ドキュメンタリー的手法は日本のAVの多くに見られる。しかしハメ撮りほどドキュメンタリー的なものはないであろう。手短にいうと、ハメ撮りはポルノ的日記の一種である。それは男性(たいていカメラマンや監督である)の主導のもと、タレントや女優をフィルムに収める作業である。カメラ片手にしゃぶってもらったり、テーブルに置かれたカメラで性交を記録したり、時には行為中にずばりそのものにカメラを向ける。こうしたやり方がたぶん、映像にじかの力を与えているのだろう。キャストなし、クルーなし。ただふたりがやって、その男がまさしくそこでセックスをしている、非常に個人的な視点を視聴者はまっすぐに見せられる(原注:残念ながら、筆者は女性による女性の視点からのハメ撮りにお目にかかったことがない)。
しかし、ハメ撮りの売り物はセックスだけではない。セックスと同じくらいの興奮を呼び覚ますのが、ふつうの、一般的な女の子がどうやって「演じる」かという点だ。彼女たちは朝、地下鉄であなたの隣りに座っていたかもしれない、夜にはビールを運ぶウエイトレスだったかもしれない…夢みたまえ。ハメ撮りが売るもの、それは夢であり、日本の男たちが望むけど実現不可能な、あるいは現実には十分に得られないような性的出会いがあるかもしれない、という夢だ。でもそのイメージはリアルである。それこそ手に取れるくらいリアルだ。
<カンパニー松尾: ハメ撮りの達人>
今日のようなハメ撮りを作ったのが、カンパニー松尾だ。ハメ撮りという生まれたてのジャンルを親密な映像体験に仕立て上げた。彼の代表作である「オークション01」「オークション02」は2004年に制作された。これらの作品(デジタル撮影され、DVDにて販売されている)は松尾が出会ったさまざまな女性との個人的な出会いを多く収録している。
たいてい松尾はレディースコミックに広告を掲載し、彼と会う勇気を持ち合わせた女性を募集する。作品の各章は彼女たちが実際に電話をかけるところから始まる。松尾は彼自身が電話を取り、待ち合わせ場所を決めるシーンをカメラに収める。次に私たちが見るのは、松尾が彼女のいるところに向かって移動するところだ。松尾はおおいに旅を楽しんでいるように見え、それを日記スタイルで撮る。いろんな駅のシーン、車窓からの眺め、日本の日常光景は常に導入部分となり、彼の行き先を示す。最終的に彼は女性が指定する場所で面会する。その場所は彼女の住む町だったり、リゾートだったりする。女性はときに彼をからかう。居場所を推測させたり、行き先の張り紙を残すこともある。しかしたいていの場合、駅などの待ち合わせ場所に彼女たちは素直に現れる。松尾は非常におだやかに話す、好ましい感じのする男だ。こうした資質がものごとをうまく進める理由であるに違いない。しかし最初から明らかなのは、彼女たちはお金を受け取っていて、なにやらセックスのようなものがこのふたりの参加者のあいだで始まることだ。
まず第一に、松尾は女性のことを知りたがる。彼らはしゃべり、冗談をとばし、お互いが容易になじめるみちすじを探す。そしてすべてはカメラに記録される。今回の出会いに至った動機、いつもの生活、そして夢。ついに彼らはホテルや彼女の自宅へと向かう。
この段階において、視聴者はすでに彼女について十分知っている。とても親しく感じられる。ある娘たちは積極的にセックスに至ろうとするし、渋々な娘もいる。なんであれ、松尾は撮影する。彼女が「だめ」と言う時でさえ、松尾はありのままにカメラにおさめる。驚くべきことは、女性たちは作品の中では自らについてとてもあけすけで、その多くがセックスの段になっても決してシャイではないことだ。日本の女の子が実際にどうやって考え、何を求めているか知りたければ、多くの洞察がここから得られよう。
松尾は1965年、日本の中央に位置する愛知県に生まれた。高校時代から、松尾はテレビ業界を希望していた。専門学校を卒業すると、松尾は音楽番組制作会社に入った。この仕事には彼は大いに失望させられた。音楽のことを考え、バンドの内面を映像化するかわりに単調な台本を追う日々だった。ひょっとしたら意外でないかもしれないが、会社はほどなく倒産した。失業した松尾は飲み屋で昔からの友人に会う。友人はAVの世界への参加をもちかけた…ここからは彼自身の言葉で語ってもらうとしよう。
2006年の2月に私は東京のファッショナブルなエリアである原宿にある、新しく広々とした松尾のオフィスで彼に会った。ちなみに原宿は日本の若者文化の先端を行くホットスポットとして知られている。
ディレクターポジションの人が居なくてゲームができたのは見たことないなぁ。
それって、カメラマンと役者と脚本さえあれば映画監督いらねんじゃね?って言ってるのと同じだと思うよ。
ゲームの特性上、プログラマとデザイナが現物を「造ってる」ことに間違いはないんだけど、ディレクターが指示出して、会議開いて、統括して、色々と連携を取って、企画概要と仕様書作って、データ入力なんかもやって・・・って、色んな仕事をしないと完成しない。
そこで作家性のあるディレクター、要はセンスのいいディレクターか否か、その人に権限があるか否かでほとんどが決まるんだと思う。
せっかくid:heartless00が起こしてくれたので、森岡正博×宮台真司 なぜ日本人は結婚しなくなったかに好き勝手突っ込んでみる。発言順の編集有。
30~34歳の未婚率
70年 男 11.7% 女 7.2%
05年 男 47.1% 女 32.0%
しかし30代前半ということはこれから結婚の可能性が高く、単に晩婚化を示した数値だからなあ。寿命が延びて教育が長期化した当然の帰結だし。「なぜ日本人は結婚しなくなったか」がテーマならせめて30代後半、生涯未婚がテーマなら40代以降の数値を出して欲しかった。
まあどの年代の数字を出してもこの傾向は示せると思うけど、テーマに対する的外し感と一番数字が離れて見えるとこを狙った感が見え見えで萎えるなー。
早く男性性なんて捨てちゃえばいいのにね。2人口で細々やっていくか、女に食わせてもらうのも普通になればいいんだよ。
女の子は女の子で、その汚い射精や劣情を惹き起こさせる存在である自分を汚いと思ってるよ。どうせ汚いなら他人の汚さ(を喚起するという自分の性質)に振り回されるより自分でなんとか出来る方がいいじゃんね。自分の汚さの源泉が他人の欲情だったらもう本人にはどうしようも無いよ。鈍感になるくらいしかないよ。女に生まれたかったなんて考える潔癖症気質の繊細クンは実際に女に生まれてたらもっとドツボにはまってたと思う。(そういう性質の人にとっては)男に生まれてラッキーだったと思うよ。
宮台:アキバ殺傷の書き込みを見ると、「顔が醜いからモテない」それが彼を絶望に追いやっているが、これはありえない勘違い。ナンパカメラマンは平均的な顔で、イケメンはむしろ女性に警戒される。
女の行動原理は自らに向かうナルシズムであり、イケメンはナルシズムの妨げになる。話は逸れるが、女性描写でこのナルシズムを正確に書いてあると、やるなこの筆者と思う。男から見た俺が女だったらこうだろう描写が多すぎるから。「顔が醜いからモテない」はその典型例だなー。お前が顔重視だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるんだろ。
武田:キャリアウーマンの女性は・・ネタなのか、自分を負け組と定義していたりはするようだが・・
宮台:あれはむしろ女子高文化的、「他とは違う自分」肯定の身振り。
宮台うぜーーー。お前が負け組語りをするとしたら「他とは違う自分」動機しかありえないってだけだろーが。まさに手前が○○だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるメソッド発動中。女で高学歴高収入高キャリアってのはヒエラルキー的には下がるんだってば。履歴見ただけで高慢で嫌な奴だと推定されるからお腹見せスタンスではじめてバランスがとれるんだよ。お笑いで生きづらさを解消してるんだよ。他にもピエロ役いっぱい買って出てるって。そんなん現代を生きていたら嫌というほど分かるって。
森岡:事実婚というカテゴリーはどうなっているのか。ヨーロッパでは事実婚が大きな位置を占めている。
森岡:婚活とか言われているが、法律婚にすぐ結びつくのは危険。男女の関係、いっしょに生活をする観点から考えれば法律婚だけが結婚ではないはず。法律婚一種類を前提にすることが少しおかしい。もっと多様な結婚形態があるべき。
法律婚とか待ってるから少子化とかするんだよ。もっと婚外カップルやその他のパターンの婚外子を想定すべきだよなあ。そんで授かったもんは全部有難く育てればいい。産む人と育てる人が別でもいいよね。養子制度がもっと普通になってさ。
森岡:「草食系男子の恋愛学」は恋愛のススメではない。今の社会は「恋愛しなればならない」という言説が振りまかれすぎている。その言説によって苦しんでいる男女がたくさんいる。それは問題で、「恋愛しなければ一人前じゃないというのは嘘だ」というのは前提として・・。
森岡:私の若い頃はモテず、好きな女性からは必ずフラれていた。それでも恋愛したかった。肉体的な欲求もあったが、もっとメルヘンチックな感じの欲求があった。
どうでもいいけど非モテとか草食系男子(予備軍)とかは非モテ同士でくっついて慰め合って、必要ならセックスもそこですればいいのに。お互いに一番よく分かってるじゃんね。メルヘンチックな欲求も劣等感も。そんなもん他人に向けんなよ。
森岡:それは微妙で・・。世界的に見ても「男たるもの、マッチョたれ」という言説があふれてて、「草食系でもいい」というメッセージはあまりない。だから私はそういうメッセージを投げたかった。
森岡:僕の場合草食系だったけど、モテるためには肉食系にならなけばならないと思って、筋トレしたり、マッチョに付き合ったりしたんだけど、結局アイデンティティークライシスに陥った。
読めば読むほど自分(達)で完結すべきで、他人を巻き込むなよと思うんだが。森岡はストレートに先輩非モテから後輩非モテへのメッセージだけしてればよかったのに。なんでそこで女を介さないといけなかったのかね。対象にされた方は気分悪いよね。
森岡:私の場合は思春期の頃、自分が男として生まれてきた事がどうしても肯定できなかった。今だからその感覚を言語化して考える事ができるが。社会は男にマッチョたれとずっと言って来た。稼げ、戦えとか。それも疑念だったがそれとは別に、男は汚いと思っていた。すね毛は生えてくるし夢精はするし、肯定できなかった。
宮台:僕もまったく同じで、自分が女の子だったらよかったのになと思っていた。小学校の頃、女の子とよく戯れていて、男子中高で女の子と接しなくなって、大学に入ったらショックを受けた。合同サークルの女の子達は男に色目を使う性的な汚い存在だった。
再び女の子になりたい発言。しかしこの発言、この2人の対比がよく出てるな。どっちかというと森岡氏の方が付き合いにくそうな。こういう思考が内に篭るような、なんかあると全部自己に帰着させちゃうタイプの人は扱いにくい(哲学者なんで本業のためにはいいんだろうけど)。女なんて汚ねーとか言って外に出してしまう方がまだ健全な気はする。
森岡:社会は男の子はかくあるべし、と言って来たし、いつのまにか女の子もそれを内面化してたのかもしれない。僕は今でも女の子が2人で手を繋いで歩いてるとこ見ていいなぁと思う。男同士じゃ出来ない。
そんなこと言わないで非モテ同士で手をつないで歩けば世の中も平和になるのに。その代わりこっちも一切の男性性を求めないから。
宮台:デートレイプの話ですが、今は彼氏彼女がいてもメルトモがいたりする。束縛男の場合、疑心暗鬼になって相手の携帯を見る。30分おきに居場所を報告させる。自分がいるところの写メを送らせる。そんな監視状態に置かれた女の子がどんどん増えている。それは暴力的で、女の子開放してあげたいと思うし、男の子も不自由だと思う。監視を承認の代替物として受け取っている。そんな男の子にどう言えばいいのか。
いや宮台それはちょっとレア事例すぎだよ。それになんでこれがデートレイプなんだ?いくらなんでも言葉を軽く使いすぎじゃないの。
ステージ(笑)。前後で言ってることは間違っちゃいないけど、それ以上に、こういうことを高いだの低いだので発想するのがそもそも「ステージが低い」わ。陳腐過ぎて眩暈がする。このひとホントに言論人かね。想定読者を意識して意図的に言ってるんだとしても、読者を馬鹿にし過ぎな印象。
しかしこの引用しながら偉そうに言いたいこと吐くid:**********メソッド(各自好きなidを入れてお楽しみください)ってうざいな。我ながらキモいものを書いてしまった。
はてブを見たら、追記をしておく必要を感じたので。
この記事を書いた自分は、射精や男の体そのものが汚いとは全く思わない。しかし「思春期の男子が」「射精をする自分は汚い」と思う、そう思ってしまう子が一定数いるのは無理もないと思う。そして自分の欲望を汚いと思いながらそれを向けるとき、向けられる側としてはどうしようもないということ。欲望を持つ側がそれを汚い欲望だと思えば「汚い欲望を喚起する汚いわたし」になるし、そう思わなければならないで済む。
481 カメラマン(神奈川県) 2007/09/16(日) 20:50:44 ID:NjKrPG440
ミリオンダラーベイビー:女版はじめの一歩。ボクシングで成り上がるサクセスストーリー!!
ダンサーインザダーク:弱視の女性と息子との日常を描いたほのぼの感動作!!
ジョニーは戦場へ行った:戦争でのランボーの如きジョニー活躍を描いた痛快アクション!!
レクイエムフォードリーム:夢見がちな4人の若者の生活を描いた笑える能天気コメディ!!
ディアハンター:鹿狩りのオラが戦争に連れて行かれただ、田舎の男たちが巻き起こすはちゃめちゃ大騒動!!
震える舌:娘が風邪をひいた!?お父さんと娘の爆笑闘病記!!
真夜中のカーボーイ:田舎から出てきたカーボーイが都会とのギャップにドジするコメディ!!
ジェイコブズラダー:ジェイコブが梯子に登るただそれだけの作品!!
ファニーゲーム:凸凹コンビが幸せな家族に巻き起こす大騒動コメディ!!
ボーイズ・ドント・クライ:自分を男と偽る女性、そんな彼女を仲間として迎え入れる話。
ドッグヴィル:とある町に迷い込んだ孤独な少女を優しく開放していく心温まる物語。
ライフ・イズ・ビューティフル:家族の絆を描いた愛と笑いのハートフルコメディ。
カウンター6席だけの小さな喫茶店で、1番左端のカウンターに座っている客が騒ぎだした。「頼んだ物と違うじゃないか。これはコーヒーか?」わざとらしく嫌みを言う客に、左から4番目の客が、「わざわざ嫌みをいう必要なんてあるのかよ?オーダーが間違ってるので、変えてくれといえば済むだけの話だろ?」と冷たい言葉で諭す。「なんだと!」と顔を真っ赤にして怒り狂う1番端の客に油を注ぐように、4番目の客が「日常のストレスを店員に向けるなよ、この暇人!」と大声で返す。ほぼ満席の店に緊張感が走る。
「ちょっといい加減にしてくださいよ」左から三番目の浪人生風の客が、ずれた眼鏡上げながら鋭い口調でいう。「明日、受験日なんですよ。集中するために喫茶店に入ったのに、大騒ぎされちゃたまらないですよ」。申し訳なさそうに前をむき直す1番目の客。一方で、だったら店からでろよと捨て台詞を吐く隣の4番目の男を、3番目の青年は激しくにらみつけながら「あんたが後から入ってきたんだろーよ!」と怒鳴る。
収拾のつかなくなった店内の端、5,6番目の席に座る主婦らしき客は「なんだか騒がしいわね、出ましょうか」とあたふたし始めると、その隣にいた4番目の男は「いや、ちょっとまてすぐ済むから」と牽制し、学生に「おまえ名前はなんて言うんだよ。俺にそんな口の聞き方してただで済むと思うなよ」と食い入る。貧弱な身体をした3番目の席に座る学生はおそれをなし、涙目で「狭間、はざまです・・」と名を継げると、その場で目を伏せてしまった。「ひどいわねー」とキャピキャピ言い出す主婦達。
すると、二人の主婦のうち6番目に座っている一人が「あれ?ユタカ?ユタカなにやってんのよ」と言い始めた。学生は助かった!と思った。「あれ、母さん、何やってんの」と、とわざととぼけたふりをして母の方を見て立ち上がった。するともう一人の主婦、5番目の女性が、「あれ、あんた息子ってアメリカにいるんじゃないの?」と耳打ちする。「そうよ」と応える6番目の友人をみながら、5番目の主婦は目を白黒させている。しかしながら、4番目の口うるさい男も、母がいるとなれば、下手に手はだせず、おとなしくなる。
無言を続けるマスターに、またもやしつこく1番目の男が「ところで、マスター、コーヒー出してくれるのか」と言い始める。4番目も男は「まだ、そんなこといってんのか・・・」と怒鳴ろうとしたとき、喫茶店のドアが開き、カタギの仕事をやっているとは到底思えない巨体の男が入ってきて、2番目の席に隣の客を押しのけて座った。3番目の学生に「悪いね」と気遣う姿から、そんなに悪い男ではないらしい。
2番目の怖そうな男は、マスターに向かって英語で何か話し出した。語学科を受験する3番目の学生は、その内容が聞き取れたらしく、縮こまりながら「え、その人、○○国の王様なんですか?」と言う。騒然となる店内。テレビで連日報道されていて、大沢に担っている、日本に来てから行方不明となっていた ○○国王本人が、カウンターに立っているのだ。
「え、日本語わからないのか。どうりで、何度オーダーしても間違ったものを出してくると思った」と苦笑いをする1番の男性。間髪入れずにカメラのフラッシュが何度もたかれる。4番目のうるさい男は、報道カメラマンだった。「やった!スクープだ」この喫茶店を隠れ蓑にしているところを知ったこの男は、客を追い出してから根掘り葉掘り聞いて、特ダネを得ようとしていたのだ。
そんなカメラマンのフィルムを抜き取りカウンターを飛び越えたのは、5番目の主婦。「インターポールです。○○国から逮捕状が出ています。報道は控えて」とマスターを一種にして取り押さえ、拳銃を2番目の男に向けた。展開に驚きを隠せなかった6番目の主婦は、こっそり一部始終を携帯電話で撮影。自分で入れたコーヒーをすすりながら、「やったわ、特ダネ」とつぶやいた。
6人の怒れる日本人?
俺にはどう見てもってほどには見えないんだがなあ。
この映像の右と左って人数同じくらいに見える。
左の上三分の一くらいが滑り落ちたらだいたい右の映像くらいになりそうに見えるんだが。
ちゃんと数えてみたほうがいいのか。めんどくせえーw
(追記)
騒然となる→とっさにカメラを向ける、というプロセスになってるから(カメラマンはプロだなあ……)、事故の前の映像はないんだよねこれ。
15秒から16秒あたりで、崩れ始めで一秒くらい?の部分映像が映るけど、コレ観てる限りでは一列に二人という密度は守られていたように思う。これが崩れて、ぎゅ、となった結果下では何人も折り重なるわけだが。
近所によくワイドショーのネタにされる芸能人のおうちがあって、芸能レポーターとかカメラマンが大量に家の前にたむろしていることがよくある。通行の邪魔とか騒いでうるさいってのはよく聞くけど、本当にひどいのはこの人たちが捨てていく吸いがらやガムのかす。灰皿ひっくり返したのかと思うほど道路の脇に転がってます。ガムのかすなんか道路にへばりついちゃって、その人に家の周りだけアスファルトの色が明らかに違う感じ。
気になって調べてみたけどまさにこんな感じ。脚立っていうの?ちっちゃい梯子にすわってすったりかんだりしているんだよね。
http://blog.livedoor.jp/baikaru/archives/188371.html
具体的な場所を晒せば話題になって粛清されるかなあ?
取材に行くとテレビカメラ壊されたり、リポーターがつるし上げくらうからじゃないかな?
おれ昨晩西成署の前行ったんだけど、リポーター風の男が囲まれてたし。カメラマンも
「カメラいわすぞコラ!」ってすごまれてた。囲まれてる方はめげずに取材続けてたけどね。
あんなのおれだったら嫌だなあ。
けっきょく2時間ぐらい西成署の前にいたけど、大した動き(放水とか逮捕とか)ない
から帰ったけどね。現場の雰囲気は確かに暴動っていうか夏祭りでした。
みんな高揚してるけど悲壮感は無いし。サンダルに短パンで近所から自転車で来てるし。
今夜もやってるみたいだけど、もう一度行ったからええかな、という感じ。
2008年6月8日千代田区外神田の中央通りで起きた事件について
http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html
http://d.hatena.ne.jp/monaka/20080610/1213108509
社会に対して鬱屈した末、「死なばもろとも」のルサンチマンを抱えた男の破滅的衝動に巻き込まれる形で、たまたま秋葉原に遊びに来ていただけだったはずの人が7名も亡くなる惨事が起きた。
そして、子供の頃から自分の慣れ親しんだ場所が、こんな惨劇の舞台になったことに悲しみを覚え、桃井はるこは献花台に花を供えに行った。
だがそんな心境も、待ち受けていたマスコミにとっては格好の餌食でしかなく、モモーイは悲しみと「思いの伝わらなさ・もどかしさ」をさらに感じることになってしまった。
もっとも今回の大量殺傷事件のような事態が起きた場合、マスコミ関係者、とくにカメラマンなどは、ある意味「ハイ」な状態になっていることは想像がつく。その場合、「報道」という大義名分がそこにある事も手伝って、取材対象者やその周辺に対しては、勢い余って無作法だったり無遠慮な態度をとったりすることが多いのは、今やそれほど業界について詳しくない一般人さえもが知っていることである。
モモーイを悲しませたのは、献花台周辺に張り付くマスコミのカメラマンらが、『うわべだけしか追っていない』事実―この場合は『献花をしに来る関係者の図』という構図を撮ることのみしか考えていない―を、いやというほど感じさせたからだ。
話は少し違うが、増田は現在、観光カメラマンをやっている。よく観光地などで、風景をバックにしてプロらしき人が観光客の写真を撮っている光景を見ることがないだろうか? もっとも、自分が撮る写真がマスコミのそれと違うのは、「撮る場合は相手の承諾を得ること」と、「金銭が動く相手が、目の前に居る人であること」だ。そうそう、「撮影に際して相手からの要求があるか無いか」という点もだな。
そもそも、金銭が動く場合はなおさらだが、「まっとうな撮影」をしたいのであれば、基本的には被写体と撮影者の間に“信頼関係”を築くことが必要だ、と自分は思っている。
しかしながら、献花台の周辺にいたマスコミのカメラマンの態度に対し、モモーイは“撮る側と撮られる側の信頼関係”を感じる事ができなかった。その裏にはマスコミ側の人間の、あくまで「自分たちが解釈可能な範囲の文脈を報じる」(理解できないものはステレオタイプの文脈に押し込めてしまう)という、おごりとも取れる態度があったことは言うまでもない。
おりしも今回の事件では、電化製品に知識・理解が比較的ある人たちが集う街という特性もあってか、多くの一般人からのマスコミへの画像の提供があったり、またマスコミ以外でも個人で動画中継をしたりした人もいて、その都度「撮る側に倫理感覚はあるのか」といった問題も論じられたりした。
ただ、今回問題となった、献花台周辺での取材のような「緊急性の比較的薄い報道」については、やはり「被写体との信頼関係」を重視すべきなんじゃないのか、とは思う。
偉そうにお説教してみようw
とりあえず、よくわからない人が3人いる。
まず増田から行くと、
私:「電車外でやれば良かったのでしょうか?」
と素朴な質問をしてしまいました。
見ず知らずの他人に注意された時は、質問なんかしない方がいいぜw
キレるに決まってるwww
どうしても連絡したいなら、せめてメールにしとけよ。
おばさんの反論は当然。
増田の問題じゃないんだから、ほっとけw
外人さんの行動もよくわからないな。
ここぞとばかりに「日本のマナー」ってなモチーフで撮影したくなったのかもね。
しかも
外人は、おばさんに言われた事ですでにご機嫌斜めがさらに斜めになったのでしょう。。
イエローモンキーもびっくりな猿の曲芸だねwww
マナーおばさんが強烈だな。誰彼かまわず注意するって、相当なもんだ。
しかも勝手に友達にすんなってのww
マナーを守ってもらうことと、ケンカを売ることは同義じゃない。
俺としては、
で迷惑だなw
天才プログラマのように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って大型システムを開発するのはもったいないか向いてない
天才カメラマンのように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って商品を撮るのはもったいないか向いてない
天才絵師のように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って広告を描くのはもったいないか向いてない
天才建築士のように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って大型物件を設計するのはもったいないか向いてない
天才料理人のように技術を極めるのであればそれを生かす道に行くべきであって,企業に入って大型店舗で料理するのはもったいないか向いてない
実際にはこんなところか?不幸なのは独立開業の敷居が高いことかも。
はてブを見てると、ブログでは著作権法に関して、やれ私的録音録画補償金が何だとか、やれ貸与権や公貸権が何だとか、やれ引用だ盗用だとか、かまびすしいけど、そもそも著作権系ブロガーは、著作権法を知ってるのだろか。
ということで、著作権法についての五択問題です。
〔12〕著作者人格権に関し、次のうち、最も適切なものは、どれか。
1法人甲の従業員乙が職務上作成した資料であり、かつ、甲の著作名義で公表されたものであっても、当該資料の著作者人格権は、常に乙に帰属し、甲がこれを取得することはない。
2甲が書いた小説を、翻訳家をめざす学生乙が翻訳し、その翻訳物に原著作者として甲の氏名を表示しないことは、乙がその翻訳物を自己の家族である丙以外には見せなかったとしても、甲の氏名表示権を侵害する。
3甲が書いた小説について、出版社乙が、その小説がより売れるようにタイトルの一部を勝手に変更して出版する行為は、当該タイトルが著作物性を有しない場合であっても、甲の同一性保持権を侵害する。
4甲が乙に対して、絵画が完成したならばそれを公表することについて承諾していた場合、その絵画を甲が完成する前に、乙がその絵画を無断で公表しても、甲の公表権を侵害しない。
5甲と乙との共同著作物について、丙がこれを翻案することは、丙が乙から同意を得ていたときには、甲の同一性保持権を侵害しない。
〔19〕著作権に関し、次のうち、最も適切なものは、どれか。
1絵画の著作者は、絵画の所有者が絵画を転売して利益を得た場合には、補償金の支払を求めることができる。
2私的録音録画補償金の支払がなされていないCD-R(コンパクト・ディスク・レコーダブル)に、家庭内で、著作権で保護されている音楽を音楽CDから複製すると、個人として楽しむ目的であっても、著作権を侵害したことになる。
3画学生が、絵画の勉強のために美術館で現代作家の絵画を模写した場合、その模写をデジタル写真撮影してウェブで公開しても、当該現代作家の絵画の著作権を侵害することにはならない。
4正規に購入したコンピュータ・プログラムの欠陥を勝手に修正しても、当該プログラムの著作権を侵害したことにはならない。
5改変自由な条件でインターネットを経由して広く無償で配布されている、いわゆるオープンソースのコンピュータ・プログラムは、著作権で保護されていない。
〔34〕著作権の存続期間に関し、次のうち、最も不適切なものは、どれか。
1映画の著作物の著作権の存続期間は、当該映画の著作物が創作後70年以内に公表された場合には、公表後70年である。
2出版社が、その発行する雑誌において、その社員であるカメラマンが撮影した写真の著作物を、出版社の著作名義で公表した場合、当該著作物の著作権の存続期間は公表後50年である。
3匿名で小説を出版した銀行員が、その出版の後50年以内に、本名を著作者名として当該小説を出版し直した場合、その小説の著作権の存続期間は、著作者である銀行員の死後50年である。
4映画の著作物の著作権の存続期間満了後であっても、当該映画の原作小説の著作権の存続期間が満了していない場合、当該映画のDVDを製作するためには、原作小説の著作権者の許諾を得る必要がある。
5出版社が、雑誌にその著作名義で連載していた、その創業者の伝記を、未完のまま休載し、5年後に連載を再開して完成させた場合において、休載前の部分についての著作権の存続期間は、休載前の最後の回の公表後50年であり、連載再開後の部分についての著作権の存続期間は、最終回の公表後50年である。
〔54〕著作権に関し、次のうち、最も適切なものは、どれか。
1工作機械が著作物とならない以上、工作機械の設計図も著作権では保護されない。
2ある県の県庁が作成した県民への広報用のパンフレットは、著作権で保護されることはない。
3裁判において証拠として提出するために他人の論文を複写することは、その論文に関する著作権の侵害となる。
〔58〕著作隣接権に関し、次のうち、最も適切なものは、どれか。
1オーケストラのコンサートにおいて、楽器の演奏を行った者は、それぞれ実演家として著作隣接権を有するが、楽器の演奏を行っていない指揮者は、著作隣接権を有しない。
2放送事業者は、その放送を録画した複製物を貸与する権利を有する。
3サッカーチームの運営会社が、テレビで生放送されている試合を直接受信して、大型スクリーンを用いてスタジアムでサポーターに鑑賞させても、その放送番組が著作物の要件を満たさない場合には、放送事業者の著作隣接権を侵害しない。
4実演家は、音楽CDに録音されている自身の演奏が放送された場合には、当該音楽CDの録音に対して許諾を与えていたとしても、二次的使用料を受ける権利を有する。
5レコード製作者の権利がレコード会社と実演家とで共有されている場合、レコード会社は、その実演家の同意を得ることなく、自己の持分を譲渡することができる。
http://www.jpo.go.jp/torikumi/benrishi/benrishi2/h20benrisi_tan.htm