今回お世話になったのはこの辺りで有名なお店らしく、以前散歩していたときU高校のそばで「修理大好き!でおなじみ」という古びた看板を目撃したものだった。
就業間近にいったせいか店内は片付けで慌ただしく、それでも親切に対応してもらった。
「シートポストのパーツが折れてますね。ネジを替えてもまたすぐに壊れるでしょう」
私のクロスバイクはクッション性のあるサスペンションシートポスト? なるものらしいのだけれど、それを丸々交換しないともう一度乗ることはできないという。
しかたがないので交換してもらおうと店の在庫を探してもらったのだけれど、経25mmと比較的大きなサイズのものだったらしく、取り寄せ(3,000円くらい)で対応ということとなった。
今週の中ほどには届くらしい。とほほ……。
その手の話を聞いたことがある。
極端な汚れに触れると数時間は麻痺したように気にならなくなるが、
次第にまた同じ症状がぶり返してきて、かえって悪化するらしい。
ああ、なるほど。君は怠けてたわけじゃないんだよ。心が病んだ可哀想な人なんだね。
わかっててどうにもできないことを指摘するのになんの意味があるの?
鬱にかぎらず精神疾患はそれ自体が患者のアイデンティティになりがちだからなー
俺の友人も強迫性障害なんだけど、それを否定されること自体が人格否定だと言われるので面倒くさい。
相手を否定するといっても、その「低能だね」みたいに明らかに敵意や悪意を示す言葉と違って
「うつ病じゃないかったんじゃないか」というセリフはプラスの意味にも取れるからね。
世の中には精神病になること自体をマイナス、恥に捉えている人も少なくないから
「うつ病じゃなかった」=君はまともな人間だった、くらいの意味で使っていた可能性もある。
そのときの本人の表情や口調を知らないことには確かなことは言えないけど、