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子ども手当、財務相「全額国費負担とは公約にない」
民主党の「目玉政策」である子ども手当の財源について、藤井裕久財務相は25日の衆院財務金融委員会で「誤解があるが、マニフェスト(政権公約)には国が全額払うとはいっさい書いてない」と述べた。現行の児童手当にならい、地方自治体や企業にも負担を求めることに前向きな姿勢を示したものだ。
竹内譲氏(公明)の質問に答えた。閣内には「全額国費負担が公約」との主張も根強く、解釈の食い違いが表面化している。
マニフェストには、手当の財源が「国費」であるとの直接の記述はないが、主要政策の実施時期や必要額を示した「工程表」は、全額国費と読める書き方をしている。地方財政を所管する原口一博総務相は「全額国費というマニフェストを曲げるなら、もう一回選挙をして信を問うべきだ」との立場だ。
厚生労働省は10年度予算の概算要求で必要額2.3兆円は国費を前提としているものの、藤井氏はこの日の答弁で、地方・企業負担の取り扱いは「予算編成過程で検討すると概算要求に書いてある」と指摘。厚労省の予算要求が結論ではないと強調した。
一方、所得水準にかかわらず一律に手当を支給する是非について、藤井氏は、民主党の公約通り所得制限をもうけない姿勢を示した。ただ、連立相手の国民新党や社民党に所得制限を主張する声があることも踏まえ、「当然そこも議論の対象にする」と改めて述べた。
「全額国費じゃない」と選挙前に一言でも明言した事があったんかね。
よくこういう風に財政赤字だから支出減らさないとって言う人いるけど、ミクロとマクロの区別というか金の収支と労働力の活用度の区別がついてないように思う。需要不足のときは支出を減らして供給力の活用を減らしても現在の失業が増えるだけで今減らした分だけ将来多く労働力が活用できるようになるわけじゃない。お金なら今使うの減らした分将来使うのが増やせるけど。だから社会全体を考えるときに国の財政がどうのというのはばかげてるんだよ。素直に貧乏人は死ねと言えばいい。大増税して黒字になってても公的扶助を増やすのは嫌なんだろうから。
彼と同い年のアラフォーで20代からの付き合い。私とも5年くらいになるが一向に別れない。体の関係はもうないとの事※自己申告。どうも年季の入ったメンヘラヒキーくさい。
しかしいつ会ってるんだろうというぐらい普通にうちでご飯を食べ、外泊もなく、休日もだいたい二人でまったりする。電話とかもない。大事にされてる自覚もあるし、私が鈍感なことを差し引いても、二股かけられてる気配を微塵も感じず、たまに自分でも忘れるくらい。
「色々な負い目がある」らしい。それは別の男性と決まりかけていた結婚をだめにさせたこととか(奪ったのか、奪うつもりじゃなかったけど結果そうなってしまったのか…)、メンヘラになった原因は彼女がなにやら人に騙された(大損でもしたか?)事件があってショックを受けたこと以外に、外で好き勝手やってきたいい加減な自分にも責任があったんじゃないか、、、あたりのことかなあと推察される。別に彼がペラペラ話すのではないけれど、私が興味本位で聞くとぽつぽつ答えてはくれる。
世の中には、「よくそれで生きてられるな」という要領の悪い人間がいるけれど、彼女は多分それ系。
彼はいつも恋人には極力情報を与えなかったようで、自宅教えず職場教えず、都合が悪くなったら携帯を変えてサッと去る。メンヘラ彼女も例外ではない。
私は歴代の彼女の中で一番彼のことを知っているらしい。なぜかというと、始まりが違った。仕事を通じて知り合い、最初は恋愛するつもりがなかったから、割と何でもあけすけに話してくれた。
でも付き合うことになった当初は、その彼女のことは知らなかった。最近女と別れた、とちらっと聞いていたのだが、実際にはライトな関係の女と切れただけだった。彼は別に騙すつもりではなく、彼女がいると私に最初から言ってたつもりだったようだ。まあ時すでに遅しだった。
向こうに彼氏でも出来てくれたら喜んで別れるけど、俺から切ることは絶対出来ない。今はその言葉を承知して、付き合っている。
結婚は考えてない。彼は安定を好むタイプではない。私もバツイチなのでそんなに気にならない。彼の子供はめちゃくちゃほしいけど。
彼女も子無しのまま、もうそろそろリミットではなかろうか。
同じ男を好きになった女として、嫉妬はもちろんあるけど、それで人生大丈夫なの?と心配な気持ちもある。
もし私が同じ立場だったら、と考えると恐ろしすぎて、あまり強く「早く別れてよ!」とか言えない。
でもこのままにしておくのも、またむごい。
実は彼女は「元カノ」に限りなく近く、かといってメンヘラをほったらかしにするわけにもいかないので関係を続けている、、、であることを望む。
彼はものすごく情に弱いくせして、本質はひどい男だ。
でも彼女が「それでもいい」「多くは望まない」と思っている限りこの関係は続く。
取られる心配はしてないが、やっぱり目障りだよね。
彼は「思い通りにならないから燃えてるだけじゃないのか、俺が彼女と別れたら案外あっさり飽きるんじゃないか?」などとのたまう。
まったくもって本当にひどい。
テレビの「まだまだ続くよ!」って「もう終わりだよ!」だから、
そうなったらいいな、という願いをこめつつ。
一般常識とまでは行かないけど、そこそこよく知られた話だとは思うなー。
通じ合う、反応し合う、共存する、共有する、絡み合う、理解し合う、慈しむ、入られ、入り込まれる、これらは恋愛のキーワードだと思ってたから、ビックリが止まんないよ。
相手からの反応を期待「してはいけない」メールなんて、書いてる通りインターネットに話しかけてるだけみたいな気がして、とても胸が痛い。
ふたりで何か出来るといいね。
そういえば、伯母(母の姉)の旦那が引きこもりっぽかったなあ。
母の実家に行った時、彼は平日でも家にいて、挨拶だけしてさっと自分の部屋に閉じこもってた。
彼が仕事しているような話も聞いた事なかったし、家事をしている様子も、家業の農業を手伝っている様子もなかった。
伯母の仕事の話はよく聞いたので、伯母が働いて(+農業で)生計を立てていたみたい。
そんな彼もそろそろ還暦のはず。
しかし、入婿で引きこもりってどうなのよ?
もしかしたら「働かなくていい事を条件に無理に婿に入って貰った」みたいな事情でもあったのかな。
子供の頃は伯母が何であんな容姿、しかも働かない男なんかと結婚したのか本気でわからなかった。(彼に対する伯母の態度も冷たかったし)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00167229.html
事業仕分けで相次ぐ批判の声 鳩山首相「国というものがなんだかよくわからない」
「事業仕分け」について不満の声が聞かれる中、鳩山首相からはそうした声への配慮が聞かれた。一方、国会では25日から審議が再開されたが、ここでも小沢幹事長の発言力が増している。
25日、首相官邸で、日本人として初めて国際宇宙ステーションに長期滞在をした若田光一さんに「内閣総理大臣顕彰」が贈られた。
しかし、この場で話題になったのは、予算の話だった。
鳩山首相は「事業仕分けの中で、しっかり(予算)つけてもらわないと」と述べた。
さらに、ノーベル化学賞受賞者からも不満の声が聞かれた。
ノーベル化学賞受賞者の野依良治さんは「不用意に事業を廃止・凍結を主張する方々には、果たして将来、歴史という法廷に立つ覚悟はできているのか」と話した。
沸き起こる不満に対する配慮も感じられる鳩山政権。
こちらも「地方交付税」が仕分け対象になったことで、一部から不満の聞かれた。
そんな中、鳩山首相は「国というものがなんだかよくわからないのですが、国というものが力を持って、何でもがんじがらめで地域を縛ってしまう。そういうやり方は、一切やめたい」と述べ、この席で鳩山首相は「地方交付税増額の必要がある」と言及した。
一方で、民主党の小沢幹事長は24日、「首長は『地方分権、地方分権』と言っていますが、本音を聞くと、『このままで補助金だけいっぱいもらえばいい』という人が結構多いんです。そんなんじゃ、いつまでたっても地方分権はできない」と述べた。
そして、この剛腕は25日から審議が再開した国会でも見られた。
25日午前、衆議院の財務金融委員会で、自民党の後藤田議員が「半年先もお先真っ暗なんですよ。ガラパゴス法案」と述べたのに対し、亀井郵政・金融担当相は「あなたにギャーギャーこうやって批判され...失礼しました」と述べた。
衆議院の財務金融委員会では、20日未明に野党欠席の中、本会議を通過したはずのいわゆる返済猶予法案を、補充質疑として再び質疑の対象にした。
これについて、小沢幹事長は24日、「私が20年前の与党の幹事長に就任した時も、『野党が審議したいなら、いくらでもやりなさい』と(言った)」と述べた。
ここへ来て、ますます小沢幹事長の発言力が増す形となる中、24日夜、相次いで料亭に入る鳩山首相と小沢幹事長の姿があった。
そうした中、24日夜、鳩山政権発足以来、初めて鳩山首相と小沢幹事長が会食をした。
同席した山岡国対委員長は「和気あいあいと、お互いいい意味で気を使いながら」と述べた。
民主党幹部らが出席した中、隣り合わせで座った鳩山首相と小沢幹事長は、この場で、国会の会期延長時期について会話を交わしたとされている。
しかし、この2人には、延長の期間をなるべく短くしたいそれぞれの理由があった。
鳩山首相の資金管理団体をめぐる偽装献金問題で、資金の一部が、首相の母親が提供されたものである疑惑が浮上し、野党から追及を避ける狙いがあるとみられる。
同行するのは、国会議員の140人を含む、総勢600人を超える大訪中団とも言われている。
政治アナリストの伊藤惇夫さんは「長城計画という言い方をするんですけどね、万里の長城の長城なんですけど。この訪中については、小沢さんは非常に思い入れが強いものですから、どんなに遅くても10日前には(国会)閉めたいと」と述べた。
(11/25 19:20)
鳩山ってさ、徹頭徹尾、目の前の人間が喜ぶ事を考え無しにポンポン言ってるだけだよな。小沢は小沢で中国への忠誠を誓いまくり。長城計画とか未だに諦めてねえのかよ。
横ですが、元増田が作文できるほど日本語ができない可能性はありませんか。
はてなは、英語でも利用できるので、私も海外にいた頃には英語版を使っていました。
追記
I myself never realized how much trouble I had when the other person was only capable of handling Japanese, although I am as good as a native after living here twenty years.
とあるので、日本語は不自由なく使えると判断していいのだろうか。
よく読んでみると、元増田の辛さや悲しみに溢れた文章のようだ。
私にアドバイスできるか分からないけれど、mixiにはバイリンガルや外国人の人がいると思うので、そうした人に悩みを打ち明けてはどうでしょうか。
mixiにまだ入ってなくて、興味があるのでしたら、招待します。
I'm Japanese, spend half of my life outside of Japan, and bilingual. There you go, one gypsy here!
I tried to write in English, but I make better sense in Japanese, so sorry for that.
前述の通り、私は日本人の帰国子女で、加えて幸いにも家族には恵まれていて虐待にあったこともないし、摂食障害もない。(いじめはちょっとあったけど。)
だから、あなたが日本に長年住んできた外国の方だったら全然参考にならないかもしれないし、全然役に立たないかもしれない。でも、できることなら少しでも何か伝えられたらと思って書いています。
虐待etcを抜きにした、帰国子女の悩みの部分を箇条書きにするとこういうことだと思うんですが:
・帰国子女/バイリンガルは背景に持つ文化が周囲と絶対に違う、自分固有のものになる
・同様に複数の文化を背景に持つ帰国子女等が相手でも、やはり違う文化を持っている →他の人と比べて人間関係を築きにくくなると思う
多分、元増田さんはイマココ。そしてそう思ったところで、対応が分岐するんじゃないかなと。
1.他の、同じ文化を持つ人同士がすんなりと人間関係を築けると思うのは私たちfit inしない人間の勝手な幻想、みんな苦しいのに私たちは責任転嫁してるだけ。壁を作ってるのは私たちの方だと思う→2か3へ
2.現実がどうであれ、全く気にしない。帰国子女であることを楽しめる人はこのタイプですね
3.築きにくくなる。ただ、それはもう仕方ないことだから、自分は社会から外れたところにあると意識したまま、せめて定住者/ジプシー問わず自分を受け入れてくれる人を探す
すみません、かなり強引にまとめましたが、多分こんなところだと思うんです。
選択肢4にそういう同文化の人同士の特別な関係はあって、帰国子女も頑張ればいつかそういう関係を築ける相手を見つけられる…というものや、選択肢5に一人で生きていく、などがあるんじゃないかという突っ込みが入りそうですが、私はないと思うので除きました。
私は今のところ3で生きていますが、私の性格の問題かもしれませんけれどやっぱりfit in、しませんね。それでもなんとなく一緒にいられる友達や、大事にしたい人たちはできました。
だからお前も頑張れ、というのは些か勝手な話かもしれません。押し付けがましいというか、一緒にするなって思われそうですね。なのでそういうことは言いませんが、応援しています、とだけ言わせてください。
最後に一言。増田に書く以上、日本語でも書いたほうが他のジプシーたち、英語圏以外にいた人たちにもよりよく伝わってよかったんじゃ…?と思いました。もったいないなーと。
くだらないこと、取るに足らないことを、みんなで意地になってやってみるってのは、よくある遊びで、そんなに悪い見方をしなくてもいいんじゃないかなぁと思う。
幸せとはなんだろうか?
「仕事と遊びが分断されていないこと」
これが俺の定義だ。
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「分断されている」とは一体どういうことか?
これは、次の二点を指す。
A. 遊ぶために、我慢して仕事していること
B. 仕事の疲れを発散させるために、遊んでいること
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順に説明しよう。
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しかも、仕事は、遊びという価値をもたらす「交換価値」に過ぎない。
すると、当然、仕事を深く楽しめない。
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逆に、Bの状態の人は、遊びを深く楽しめない。
彼の中では、遊びがストレス発散度というワンパターンな尺度で測られる。
これでは、遊びそのものを深く楽しめない。
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言うまでもなく、AとBは併発するのが普通だ。
そういう人のことを、俺は「不幸な人」とみなしている。
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そういう不幸な人は、AやBの状態を当然と考えている。
だから、そうじゃない幸福な人もいることを、説明する必要があるだろう。
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幸福な人は、次のような状態である。
C. 仕事のなかに遊びがある
D. 遊びのなかに仕事がある
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順に説明しよう。
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Cの状態の人は、仕事を遊びとして感じる。
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では、「遊びとして感じる」とはどういうことか?
それは、「多様性を味わい、その楽しさを追求する」ということである。
これが遊びの本質だと俺は考えている。
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例えば、ブランコという遊びを考えてみよう。
ブランコは、反復運動であり、何が楽しいのかと思うかもしれない。
これが不幸な人の感性である。
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いろんなやり方でこいでみる。
すると、いろんな味わいが生まれる。
「どんなタイミングでどうこげばどうなるか」
「立ってこげば、また違った面白さがある」
などの発見も生じる。
また、いろんな要素を遊びのなかで発見することもできる。
腰の角度、頭の位置、風を切る感覚、足を振り出す反射神経、遊具の音、景色の変化、などなど。
こういう多数の要素をもったものとして遊びを捉える。
そうすると、また異なる味わいが生まれる。
異なる味わいが生まれれば、新しい発見にもつながる。
そうして、いろいろ遊んでいるうちに、
「じゃあ、これくらい高くこげないかな」
などと目標を立てることもできる。
それに、創る喜びが生まれ、楽しい思い出になる。
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こうして、単調な物事であっても、味わい、発見し、目標を立てる。
そうすることで、遊びが生まれ、深まっていく。
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これと同じことが仕事にも言える。
仕事を単調な作業とみなすのではなく、そこに多様性を見いだす。
いろいろ変化をつけてよく味わう。
そうして、さまざまな深みを感じていく。
すると、新しい深みを味わいたくなり、目標を立ててみたくなる。
その目標に意欲的に取り組むことで、喜びが深まる。
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これがCの状態、すなわち「仕事のなかに遊びがある」である。
・
長くなった。
今度は、Dの状態、すなわち「遊びのなかに仕事がある」について説明しよう。
.
これは、遊びが享楽に堕していないということだ。
言い換えると、目的があるということ。
他人のため、社会のため、地域のため、未来の自分のため、真理のため、美のためになっているということ。
「そんなことを考えていたら楽しめない」と思うかもしれない。
しかし、これは楽しむために大切なことだ。
なぜなら、享楽に堕していると、ワンパターンな尺度でしか遊びを捉えられないから。
その典型例が、先に触れた「ストレス発散度でしか遊びを評価できない」という状態である。
それは、発見が無いからである。
すでに述べたように、遊びの楽しさは、多様性にある。
そして、単調で浅い喜びしか得られないようになってしまう。
発見が無ければ、さまざまな味わいを見いだし、比べ、探求していくという深みが生まれない。
だからこそ、遊びは、単なる享楽であってはならない。
単なる享楽ではなく目的があることで、多様性の喜びがもたらされる。
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以上で、CとDの説明は終わりである。
このCとDの状態、すなわち、
C. 仕事のなかに遊びがある
D. 遊びのなかに仕事がある
を兼ね備えた人こそが幸福な人である。
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「では、仕事をしていない学生はどうなるんだ?」と思うかもしれない。
その問いに答えよう。
・仕事は、義務と言い換えても同じ。
・遊びは、楽しみと言い換えても同じ。
すなわち、次の定義になる。
・義務のなかに楽しみがある
・楽しみのなかに義務がある
この二つの状態を兼ね備えていること。
これからの世の中じゃ、てめーらが口先で何を言おうが全く問題にならねーんだ。
全ては結果だ、結果だけがお前らが希求したものだと思われる。
というのも『○○したい』『○○しようと思う』っていう言葉の定義は
「完了した行為全て」に用いられるということだ。
議論され尽くされた結果、最適解の出ているエントリーがあるなら教えて欲しい。
「生活レベルの違ってしまった人と、友人で居続けるのは難しいのか」
俺は、大学在学中に鬱になり、なんとか卒業は出来たものの、その後2年間フリーターとニートを繰り返す生活だった。
その後、このままではいけないと思い勉強して、資格を取って、それを武器に就職活動し、奇跡的にとある大企業の正社員となることが出来た。今年で3年目になる。
ニート時代にネットにハマり、オフ会にもよく出て、似たような境遇の友達がたくさん出来た。大学の友達とは違い、いい意味でバカで、濃いメンツだった。
その時のメンツと、最近話が合わない。
一緒に飲んでいても、これ見よがしに大企業批判が始まってしまい、反応に困る。
俺の発言の重箱の隅をつつくように、「それ自慢?」とか言われる。
彼らを見下す気持ちは断じてない。ただ、底辺の生活から抜け出すために、自分としては最大限の努力はしたつもりなので、その努力を認めて欲しいという気持ちはある。それに彼らの被害者意識が加わって、見下しているように見えてしまうのかもしれない。
このような状況で、どうやって友人関係を維持していけば良いのだろうか。それとも、関係修復はもう諦めたほうが良いのだろうか。
企業が人をどう考えてるかによる。
業務に対して人を雇う姿勢の場合、対価は変わらない。
どれだけその業務をこなせるかを他人よりアピールできたものが仕事を得る。
仕事で結果を出せば、次期の同じ仕事の契約も優先的に得られるだろう。その代わり現状維持。
賃金を変える場合、業務を変える必要がある。
もっと上を目指して自分のプレゼンをして業務範囲を広げるか、今の経歴を武器に転職。
欧米では結構普通に見られるスタイルだし、業務範囲外の仕事はお断わりするのも一般的。
日本でよく見られる、人に対して業務を与える姿勢の場合、ちょっと考えが変わる。
会社に在籍できる正社員の枠は決まっていて、大体が年功序列的に給与も上がる。
その代わり、仕事の内容も「管理」や「経営」といった要素が自動的に増えていく。
腕一本で食っていける人には、そもそも関係ない話だしね。
単価の上がった中年を、(管理などではない)通常業務で現場に出すと採算が合わない。
生きの良い新人を現場に出して、仕事を与え、単価の高い中年はマネジメントやらに徹してもらう。
この場合の新人に対して能力はあまり問わないし、それで全体に影響が出るようでは、マネジメントの質が悪いって話にしかならない。
んで、将来マネジメントに回ってもらうことを考えたら、要領の悪い奴は、悪いがお断わりって方向になる。
そうだったのか。山之内の薬をよく使っていたので、てっきり同じだと思い込んでいた。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエモナー
( ) \_____
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(__)_)
このAAは、「(その馬鹿げた状態は)お前も(同じだから)な」
という意味だろう
しかし、「お前もな」という意味を掲示板に書き込むことってそう無いような気がする
「お前もな」・・・・・・ここ1年のネット生活で、2chなどにもよく行くのだが、俺は使った覚えがない
どのように流行っていたのかが気になる
「お前もな」を頻繁に出現させるようなスレの流れ
そういったものが昔はあったのか?
今となってはよくわからない
私なんてどうせ・・・メイクなんかしたら「プッやっぱりモテたいんでしょ?」って思われちゃいそうで怖い!
って思っていて、それでもお洒落に憧れていて、モテとは無関係そうなファッション誌(CUTiE,ZIPPER,SEDA,mini,soupとか)を読んでそうな子が変な男に引っかかった例をいくつか見てきた。
変な男っていっても、結婚詐欺師とかじゃなくて、単なる処女食いだけど。
非モテの俺からみれば数ヶ月もしないで別れて、別れてすぐ次の子(そしていつも恋愛経験のない、あるいは少なそうな子)と付き合う男を処女食いって思ってるだけで、世間一般にはごく普通なのかもしれないけど、俺は大嫌い。
喰われた女はみんな、きれいになったと思う。
服装も化粧も、みょうちくりんな芸術系から、普通に男好みになったし、皮肉や冗談を交えた大人の会話も出来るようになった。
でも、男好きになった。
誰かに認められてないと、欲されていないと、自分の存在を確認できないビッチになった。
非モテ時代より、恋愛と失恋を経験した今のほうが、孤独への恐怖は大きい。
年下の、無知の、バカの、世間知らずの女をひっかけるのは簡単だし、楽しいと思う。
適当なところに連れて行って、お茶を飲ませて、料理を食べさせて、酒を飲ませるだけで、すごくお洒落な男と思ってもらえるからだ。
カッコイイ俺を演じる楽しさがある。
別れる時くらい思い切り嫌われてやればいいのにって思う。
童貞期に俺をボロボロにしてくれた女のおかげで、今はさらさらと綺麗だねっと言えるようになった。
わざわざ大声で告白したり、雨の中かけつけたり、沈黙や抱擁や逆ギレやを使いこなせるようになった今でも、その女に出会わなければよかったと思ってる。
だから、バカ、無知、世間知らずの女をおだてるようなことはしない。
むしろ後継の壹與じゃないかな?
本当に自分しか頼れないんだなと
よくわかんないのは、そう悟った時点で「死ぬほど頑張って勉強する」(いや、頑張る対象は
別に「勉強」に限らないと思うけど、わかりやすい例として)っていう選択肢は出てこないの?
ってことだなあ。
夏の総選挙直前に世論調査が数多く行われましたよね。私はそれが民主党政権の誕生にとても影響があったと考えていますが、実証的な根拠のある話ではありません。仮に大した影響はなかったと言う人がいても、説得はできませんね。
誠実な回答ありがとうございます。
ただ、実証的な根拠のある話ではない、ということになると、増田の問題提起自体も
という問題意識からは批判されうると思いませんか?(マスコミと個人とでは規模が違いすぎる、という反論を認めるにしても、質的には同じ類のものでしょう)
そういった思い込みを前提にして世論調査を批判するのはあまり適当なやり方ではないと思います。直感的に世論調査に対する疑問を持つこと自体が間違いだとは申しませんが、直感的に疑問を持ったことに対して、実証的な裏づけを探すこともなく改善案を用意する、というのは、病気の症状も原因もわからないのに処方箋を用意するようなものなんじゃないでしょうか。いやまあ、自分で言ってて「増田でそこまでやることを要求すんなよ」とも思いますけど。
どうも「デリケートな問題」の設問例が浮かびません。よろしければお教えください。
この文脈で具体的な「デリケートな問題」の例を持ち出すことにあまり意味を感じないのですが、アイヌ問題などが参考になると思います。
過去、アイヌ問題を報じるニュースに対し「日本に民族問題など存在しない」「何も問題なんかないだろう」と公言する人間はwebでも少なからず目撃できましたが、こうした「問題そのものを無かったことにしたい欲望」を持った人間が少なくない問題について語ろうとするときに、「問題それ自体に対する懐疑の視点」が世論調査に反映されたとすれば、どうなるでしょうか?全く薄ら寒い話だと思います。
特別アイヌ問題を持ち出さなくとも、最近ちょっと話題になってた
http://twitter.com/phoquesan/statuses/5923128330
のような事例を見れば、その手の「見て見ぬふりをしたい」「無かったことにしたい」問題を消し去ってしまう態度ってのはそんなに珍しいものでもないと思うんですよね。(もちろん、国政の話と世間の話を直で連結してしまうのはそれはそれで飛躍した話ではありますが)そういう「無かったことにしたい」欲望をそのまんま反映できるような仕組みを世論調査に持ち込むと、「みんな」の心の平安を守るために、社会から消し去られてしまう問題が少なからず発生するのではないか、という強い懸念を抱いてしまうわけです、自分は。
最初に断ったとおり、こうした考えは杞憂かもしれませんが、敢えて危険を冒してまで、世論調査にそうした仕組みを取り入れる意義って感じられないんですよ。
元増田におかれましては、それでも敢えてそうするだけの意義がある、とお考えですか?