彼女が転勤してから半年になる。
もっか遠距離恋愛中。
やはりボディーブローのようにさみしさが積もる。
(うっかり連絡先を持つと、教え子の親からひっきりなしに苦情がくるらしい)
だから連絡はいつもメールになる。
それによれば、現在、遠距離恋愛中で、とてもさびしいとのこと。
それは、ぼくも同じ。
仕事はそれなりにいそがしいらしい。
ぼくは、そんなでもない。
それでも彼女がブログの更新をつづけてくれているから、なんとか気が紛れている気がしていて、ぼくも、近況はなるべくブログに書くようにしている。
それでもつらいことには変わらない。
それは、相手に返信を求めないこと、返信しないこと。
会社のあらゆる仕事の中でもっとも非効率なのは大人数でする会議で、それはその人数の人間の1時間なり2時間なりを全員分、ほんとうは必要がない人まで拘束するから/拘束してしまう可能性があるから、と彼女は言う。
だらだらと続く会議はもうほんといや。
だから、メールに返信を求めるのは、その返信を書く時間相手を拘束するから、だめ。
理屈は分かるつもり。
いつでも返事がもらえるのだって甘えてしまうと、ついつい彼女を拘束してしまうかも知れない。
それをいやがるのはとても分かるんだ。
彼女からのメールは決まって、ブログでは書けないプライベートな事だったり、多少のぐちだったり、恋人らしい言葉だったり、それはそれで送られてくると、嬉しいものではある。
だからぼくもときどきは同じようなメールを書くときもある。
でも、どうしてもぼくは彼女のように返信を期待しない、返信が返ってこないメールに慣れることができなくて、ためいきをついてしまう。
好きだという言葉も、寂しいという言葉も、嬉しくなったという言葉も、彼女に届けるためだけにある気持ちなのに、返信の返ってこないメールはまるで虚空のインターネットに聞かせるために書いているような気がしてしまう。
ぼくはたぶん、二人でなにかをしたいのだろうと思う。
返信をしないメールは、お互いが想い合う(いまでもそうだと思いたいけれど)ひとりひとりが、互いにひとりとひとりで、想いを伝えあっている。
それはすれ違ってはいないのだけど、すれ違っているように錯覚してしまい、この遠距離恋愛はひとりとひとりの恋愛で、ふたりの恋愛になっていないことがたまらなくさびしいのだ。
だからせめて、1週間に30分だけでもいいから、会話ができないかなとメールを書くと、たぶん、相手に返信を求めるメールになる。
忙しいのは分かるし、彼女もぼくを気遣っているのは分かるのだけど。
なんでもするのに。
彼女さんのような考えの人もいるだろうし、 相手にメールを返信している時間、拘束されてると感じないでいられるのが恋人だという考えの人もいるだろう。 そのあたりの考え方があま...
いつも一方通行の恋愛でよく続くなあ、と驚愕の色が隠せない。 通じ合う、反応し合う、共存する、共有する、絡み合う、理解し合う、慈しむ、入られ、入り込まれる、これらは恋愛の...
横だけど、 相手から返信を期待していいのか・・・そっちのほうが驚愕。 普通、返信って来るものなの?
友達でもない恋人同士の間柄なら、内容にもよるけれど普通返信が返ってくるものとしてメール書かないか? 逆に言うと、返信が必要な事柄をメールに書いて送ってるのかもしれない。...
自分の考えと逆だ。 友人へは返信があることを前提にメール出すけど 付き合ってる相手からの返信はこないことを前提にしてる。 期待すると痛い目にあう。