はてなキーワード: 杞憂とは
もう10年かそこらくらい、ラーメンズや、小林賢太郎単独の舞台や作品を見ている。
この間も最新作の「うるう」(小林賢太郎の演劇作品、KKPに分類されている)を観てきた。
もちろん、彼らしい、素晴らしい作品だった。彼が38歳のおじさんに片足突っ込んでいる年齢とは思えないくらいの体力を舞台から感じられて、ファンとしてすごく嬉しかった。
でも、思うところがある。
ここのところ、小林さん、新しいことやってない気がする。
Potsunen、小林賢太郎テレビは同じ仕組を使って新しい話を繰り出してることが多い。(もしかしたら目立つので多いと感じるのかもしれない)
うるうもそう。まだ東京公演と大阪公演が残ってるはずだから、ネタバレは避けるけど、僕はこの舞台の随所に散りばめられた「笑い」は彼が「創りだした」「過去の手法」を使ってる部分が多かったと感じた。
僕はもうそろそろ小林賢太郎がつくりだした「新しい」「表現方法」を使った「笑い」を見たい。
そして、うるうを観て、小林賢太郎は、自分で自分自身を収束させようとしているのかなと感じた。
過去自分が創りだした手法を用いて表現し、客席を笑わせる彼を観て、自分も声を上げて笑いながら、ふと、そう思った。
僕の杞憂かもしれないけれど。
いうなれば、ロックバンドの解散前みたいな感じだ。ライブで昔の曲をやり、昔からのファンはしみじみする。解散ライブではそのバンドの集大成、総集編みたいなセットリストで〆る。
ラーメンズ本公演が何年もやらないのは、ファンとしては当たり前のことだ。いつまでもゆっくり待ち続ける。
上に書いたことは僕の思い過ごしであればいい。切に願う。
ちなみに、僕は「男女の気持ち」が一番好きなコントです。
小売業でアルバイトをしていた(今は大手メーカー正社員)のだが、そこの店で、月に一度ぐらいの頻度で、私より二回りほど年をとった男性に接客することがあった。
その人はヒゲを生え散らかし、何年も着古した服を何枚にも重ね、いかにも無職ですというオーラを振りまいていた。
彼に接客していると、よく話が他へ外れた。おそらく、話し相手もいなかったのだろう。
なんだかんだで不況なので、そういう話題になることが多かった。話の背景から察するに、リストラ組なのだろう。
まだ就職も始まってなく、当時は特に就職氷河期とも呼ばれていなかったが、不安であることは間違いなかった(その不安は杞憂だったが)
そして私は数十年後の自分を彼に重ねていた。
あの人は今も生きているのだろうか。
階下のぉおお人間からクレームが来るのぉおお。20代半ばのぉおお女らったのぉおお。
自分は洗濯したいぃのぉおおらけろぉおおお、洗濯機をまわしゅたびに、俺も洗濯機を回しゅのぉおおが怖いぃ。
止めて欲しいぃ。これ以上続けると警察へ言いぃましゅぅぅぅとのぉおおこと。
ふじゃけるにゃよお゛お゛お゛ぉ。
ぁあああ あぉげくに、わたしにんもぉ゛お゛お゛ぉぉ関わらにゃいぃれ生きてくらしゃいぃと言われたのぉおお。
むかちゅく。
「ぁあああ あぉぁぁ゛ぁ゛ぁぁ゛ぁ゛ぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁぁ゛ぁ゛ぁあああ あぉぁぁ゛ぁ゛ぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉっぁあああ あぉぁぁ゛ぁ゛ぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉぁあああ あぉーーー」
と突然気が狂ったフリしてぇぇぇぇ゛大声ぁあああ あぉげたら、
びびって逃げていぃったw
何となく、この特異な現象については、ぜひとも文章にしたいと思った。ここから下の文章は、妄想と憶測にのみ基づく、何の意味も無い文章である。
2ちゃんねるのアニキャラ個別板にて伸びつづけるエイラスレは、現時点において、ストライクウィッチーズのキャラスレの中で最も伸びているスレである。この文章を執筆している時点で96スレ目であり、2位のエーリカスレと比較しても倍以上伸びている計算である。なお、96スレ目は、現時点において歴代アニキャラスレッドのTop20に入る長さである(なお、1位は長門スレ、2位はマミスレであるが、この順位がひっくり返るのはもはや秒読み段階である)。
そんなアニキャラ個別板とはどのような板であるかというと、所定のキャラクターを愛してやまない住人が、いかにそのキャラクターを愛しているかを連綿と書き連ねる板である。板に存在するほぼすべてのスレッドにて、住人は、自分が愛してやまないキャラクターに対してああしたい!こうしたい!(だいたいは性的な仕打ち)と延々と書きつづけている。
しかし、エイラスレは違う。ひとたび「エイラさんをぺろぺろしたい」などと言おうものなら、息が途絶えるまで四方八方から袋叩きにされるであろう。住人はエイラさんが愛おしくて仕方がないが、それを満たすために自分が直接行動を起こすことは考えることすら許されない、タブーなのである。
なぜ、エイラスレだけこのような不思議な現象が発生しているのだろうか。それは、エイラさんの極めて特異なキャラクター性故なのである。
僭越ながらエイラさんの紹介をさせていただくと、彼女はアニメ「ストライクウィッチーズ」に登場するキャラクターである。
彼女はスオムス(フィンランド)から派遣された、スオムス軍の中でも最優秀のウィッチであり、その能力は派遣先の501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」の中でも卓越している。その優秀さは、被弾数ゼロという、前代未聞の記録が証明している。彼女の固有魔法であるところの「未来予知」…近未来が予測可能であるという恐るべき能力が、これを可能にしているのだ。
容姿も端麗であり(かっこよくキメたエイラさんはイケメン以外の何者でもない)、祖国スオムスには大勢のファンがいるという。15歳とはとても思えぬ活躍ぶりである。
ここだけを聞くと完璧な戦闘員のようにも聞こえるが、もちろんそれだけではない。一度しゃべりだすとぶっきら棒(あゆたボイスなのでむしろご褒美ですけど)、お風呂や食堂にて部隊の女の子に対してしょっちゅういたずらを仕掛ける(胸を触りまくっている)、好物は世界一不味い飴として有名なサルミアッキ…など、年相応に幼い面も残している。
ただし、部隊を思う気持ちは根底にあり、その優しさは簡単には揺るがない。つまるところ、エイラさんは「いろいろあるけど、なんだかんだ言って良い奴、見た目はイケメン美少女、中身は男子中学生」なのである。
補足になるが、エイラさんは祖国スオムスをこよなく愛しており、作中でもその愛国っぷりを堪能できる。基地にサウナを設置したり、前述の通りサルミアッキが好物だったり、サウナに妖精が住んでいると頑なに信じていたり、祖国の親友であるニパと親密に連絡を取り合っていたり…エイラさんは祖国のネタも絶えないのだ。
エイラさんについて語るにあたり、同じ501統合戦闘航空団に属するオラーシャ(ロシア)の隊員「サーニャ」の存在を欠くことはできない。エイラさんは、同性の女の子であるサーニャが好きで好きでしょうがないのだ!
ストライクウィッチーズという作品において、エイラさんがサーニャに対して好感を露にしている場面は、戦闘で大活躍する場面と比較しても圧倒的に多い。アニメが始まった直後はそれほどでもなかったが、気がついたらエイラさんはずっとサーニャのことを意識している、とても面白い女の子になっていた。
サーニャが自分に対して冷たく接していると、自分が何か嫌われるようなことをしたのではないかと、異常なまでに自分を責め立てる。サーニャに近寄る変な虫は、容赦なく追い払う!そして、サーニャがそばにいると、それだけでうれしい。サーニャが笑ってくれると、もっとうれしい。でも、サーニャが自分のことを嫌っていたら、どうしよう…
戦闘では完璧超人ぶりを見せていたエイラさんだが、サーニャに嫌われるのだけは怖くて仕方がない。未来を予知できる自分の能力も、「もしかしたらサーニャに嫌われているかもしれない」という杞憂から、恐ろしくてとても使えない。女の子1人に対してここまで骨抜きにされてしまうとは、どんだけ純情なんでしょう。
このエイラさんの性格に追い討ちをかけるように、意図的かそれとも偶然か、面白いことが行われた。あろうことか、エイラさんが怖くて仕方がない「サーニャのエイラに対する感情」の設定を、ブラしまくったのだ。高村監督の認識では「エイラ→サーニャはloveだが、サーニャからエイラには感情が伸びていない、伸びている先は宮藤だ」とあり、その一方で秘め声CDでは「エイラは特別な人です」としゃべっていたり、秘め録CDではサーニャに公開告白したエイラに対して特に否定も拒否もせず「バカ…」とつぶやくだけだったり、つまりサーニャがエイラをどう思っているかについては、公式の見解として信用に足るものが1つも無いという状態なのである。
サーニャがエイラのことを嫌いというわけではないことを除くと、何もハッキリしていない。となると、足りない部分は自分で補えばいいじゃないか!
…これが昨今のエイラーニャブームの諸事情である。エイラーニャにおいて、エイラの考えは一貫して「サーニャ好き!でも嫌われてたらどうしよう…」であり、これに対してサーニャの感情や、外的因子であるところのニパやエーリカが絡み合い、面白くて、見ているこっちが恥ずかしくなるような、まったく別の世界が構築されていく。これは、世界を構築する側としても、世界を堪能する側としても、楽しいものなのである。
誤解を恐れずに言えば、エイラスレは、エイラを自分の嫁だと言い張ったり、エイラが不幸になるような話しさえしなければ、何をやってもいいスレになっている。主な活動は、強気なことを言わせた直後にサーニャを投入して凹んでるけど嬉しそうなエイラさんを堪能したり、親友を取られまいと必死なニパさんに対してサーニャが格の違いを見せつけたり、フィンランドの話をしたり、サウナの妖精の話をしたり、新しく登場した抱き枕が思いっきりコレジャナイと議論したり、台詞はぶっきら棒なのに声が可愛くて別の世界に目覚めそうだと告白したり、エイラさん出撃しなさすぎですけどひょっとしてNEETですかと疑ってみたり…本当に何を話しても良いのだ。
基本的には、箱庭に入ったエイラさんにちょっかいを与えて楽しむ場である。いろいろいじってた後、最終的にはサーニャを投入することによって、エイラさんが幸せになれればそれでいいのだ。
他のキャラスレみたく、住人がみずからエイラさんをペロペロするよりも、サーニャを投入した方がエイラさんは幸せになれる。それならば、我々はエイラーニャが幸せそうにイチャイチャしているのを、陰から見守るだけの存在になろうではないか。エイラさんをペロペロしないのは、エイラさんを愛し、幸せを願っているからに他ならないのである。
スマートフォンの不気味な情報収集プログラムから、また個人情報の問題が再燃しそうだね。
個人情報→個人を特定できる情報の総体、プライバシー→個人の行動の詳細
名前は個人情報か?と言われればそれはNO、名前だけでは個人を特定できないので個人情報ではない。
大体、名前・生年月日・住所・性別等の4つが全て判明して個人情報として扱われるからね、最低限4つ位の情報がないと個人が特定できない。(住基カードの番号は例外)
だから学校の連絡網は個人情報の公開に当らないし、企業が公開する社員の個人情報はそもそも「企業情報」なので、むしろ要求されたら公開の義務がある。
不満だろ?でも法律ではそうなってるんだよ。更にプライバシーを守る法律なんて存在しないし。憲法にも規定が無い。
だからお前ら電話帳に住所と電話番号を載せろ、番号は連絡を取る為に存在してるんだろうが、他人に晒したくないなら電話を解約しろ。杞憂な情報漏洩に怯えるな。
情報を晒さないことが賢い選択ではない、お前の見えないところで全て晒されているんだから、晒される情報を監理する努力をしろ。
面倒くさいだろ?でもそんな社会が既に来てるんだよ。
大阪出身の私にとって、長崎県に足を踏み入れたのは初めてのこと。
大阪で育ったものなら、しつこいくらい遠足や社会見学や平和学習と称してピース大阪に連れて行かれる。
だから、こんな資料館なんて見慣れていると思っていた。
しかし、この年になり、原発のこのご時世になって、思うことはいろいろあった。
強制連行された朝鮮人の被爆者が云々、とか、改めて考えると民間人相手にとんでもないことやってるよなあ、とか、とても恐ろしい悲惨な現実を見てちょっと茫然としたり、とか。
いろいろな感情と考えがわいてきた。
しかし、いろいろあった中でも、一番気になった資料がある。
それは、原爆投下後に、白血病患者が急増するが「ピークは6年後」という記録。
福島の原発事故と、長崎の原爆と、どのように比較していいのかわからないし、各人の被曝線量によってのみ語れることだとは思う。
しかし、あの原爆ですら、被爆者が白血病を起こすピークが「被曝から6年後」なのだ。
中心地に近いものはおそらく、もっとはやい時期に亡くなっているので、爆心地からどのくらいの距離にいてどのくらい被曝した人が中心となったデータなのかはわからない。
仮に、福島が長崎の原爆と比較しようもないほど小さな影響しか出していないのなら、このようなことを考えるのは杞憂かもしれない。
しかし、確実に影響があり、しかし長崎ほどではないとすれば、影響が出るのに6年以上は確実に時間を要することになる。
ひょっとすると「福島原発崩壊後の白血病発症のピークは15年後」と後世に記録されるのかもしれない。
「20年後」となるかもしれない。
現時点ですでに、白血病が患者が増えていると言われているが、本当に確実に影響が出ているならば、本当の恐怖はまだ始まってなんかいない。
政府のお偉いさんたちは、8月になると広島や長崎に行って黙祷なんかしてるけど、何を見て、何を考えているのかわからない。
なんのための政治なのかを、よく思い出してほしい。
【ルール策定は政治力で決まる 米韓FTAより酷いTPP】中野剛志
http://www.youtube.com/watch?v=NEf6bzEe1R8
http://www.youtube.com/watch?v=O9ghcF_M2CI
http://www.youtube.com/watch?v=-Qmac-tclMM
の要点を文章でまとめてみた。
どうも反市場主義者の偏見みたいな部分もあって、すべての意見に賛成できたわけではないけれども、実際の事例などを元に具体的に問題点を解説されており、概ね説得力はある。
もしも、TPPがよいものであると言うのであれば、ここで掲げられている問題点が杞憂であることを示し、同等かそれ以上に説得力のある意見を提示しなければ、単なる妄言としか受け止められないであろう。
TPP推進論者には、個々の間違いや重箱の隅への反論ではなく、これらを問題視することが根本的に間違っており、TPP受け入れにより大変なメリットを享受できることを、実例を交えてご紹介いただきたいものだ。
TPPに日本が加わったとしても、全体のうち(GDPが?)アメリカが7割、日本が2割と日米で9割である。実質、日米の貿易協定といえる。さらに、アメリカは輸出倍増戦略をとっている。TPPは日本にものを売りつけるためのものといえる。
米韓FTAや、アメリカ、カナダ、メキシコによる北米自由貿易協定(NAFTA)と似ており、アメリカに都合いいルールを押し付けられ、搾取される。
一般的には、関税の撤廃で物を自由に行き来できるようにし、公平な競争を促す協定であると捉えられている。しかし、かつてはそうであったが、70年代くらいからは意味が変わってきた。
それまでは各国の関税が高かったため、関税の撤廃が主眼に置かれていたが、70年代くらいからは関税が低くなり、農業以外の大抵の製品で関税は低くなった。そのため、関税の撤廃による自由競争よりも非関税障壁の撤廃、すなわち各国の制度を変更することが主眼に置かれるようになった。
各国の制度を変更するということは、相手の国の制度を自国企業に有利なように変更させることを意味する。そして、どのように制度を変更できるかは、その国の政治力によって決まる。
また、アメリカ企業は70年代以前よりも競争力が低くなり、公平な自由競争では他国企業に負けることも多くなった。そこで、アメリカの強大な政治力を利用して、他国の制度をアメリカ企業に有利になるよう変更させることで競争力を高める手段がとられ始めた。自由貿易協定の対象となる領域の範囲が広まったのも、70~80年代のことである。
80年代後半からは、日本はアメリカに頻繁に制度変更を強いられている。日本企業の努力は、勝手な制度変更によって台無しになる。オリンピックで浅田真央が苦しんだのと同じ構図だ。
現在、TPPの議論では、農業vsその他の産業といった形でしか情報が出ていないが、問題はそればかりではない。
韓国はコメ以外の農作物に関して、猶予はあるものの実質関税撤廃とする。また、アメリカの関税も撤廃してもらった。そして、関税撤廃を理由に、いくつもの不利な条件を飲まされることになったが、そもそも関税撤廃は韓国にとってそれほど大きな効果をもたらさない。
例えば韓国が得意とする輸出品である、自動車の関税は2.5%、テレビは5%と、もともと関税率は低かった。また日本企業もそうだが、韓国企業もアメリカでの現地生産を積極的に行っており、当然その場合に関税はかからない。このように、グローバル化を行うとそもそも関税はあまり重要でなくなってくる。また、さらに悪いことに自動車の関税は、アメリカの自動車メーカーが「脅かされている」と感じたら復活させることができる。
アメリカは韓国の自動車市場に参入しやすくするため、韓国に対し排ガス規制をアメリカと同じにすること、安全基準や排ガス関係の装置の設置義務をアメリカに一時的に猶予するよう要求した。また、小型車が有利な韓国に対し、アメリカは大型車が有利であるため、税制を大型車に有利になるよう変更させる。
農協、漁協など協同組合の共済保険や、郵便局の保険サービス、つまり日本で言うところの簡保をFTA発効3年以内に解体させ、アメリカの保険会社が参入しやすいようにする。
また、韓国で薬価が安く設定された場合に、アメリカの医薬品メーカーが韓国政府に不服を申し立てできるよう、第三者機関を設置する。
その他、法律・会計・税務事務所をアメリカ人が開設できるようになり、放送局の外資規制も緩和される。
これらのように、環境や安全に関する基準や共済保険のような相互扶助の仕組みなどを、アメリカ企業に有利にするために踏みにじられる。
また、もし韓国が他の国と貿易協定を結び、米韓FTAよりも市場開放した場合は同じ条件を自動的に適用できる制度も導入される。
さらに、ラチェット規定や投資家と国の紛争解決手続き(ISD)といった、問題の大きい制度も受け入れることとなった。
ラチェットとは、爪のついた、決まった方向にしか回せず、逆回転ができない歯車を言う。ラチェット規定とは、一旦、自由化や市場開放を認めると、今後は元に戻せないとする規定である。
例えば、アメリカに対して牛肉の自由化を認めた場合、仮にアメリカで狂牛病が発生したとしても、輸入を禁止することができない。
NAFTAで導入された、非常に問題の多い制度である。外国の投資家が、例えば韓国やカナダで、国の政策によって損害を受けたとき、世界銀行傘下の国際投資紛争解決センターに訴えることができる。国際投資紛争解決センターは、その規制が必要であったかは考慮せず、単に規制のせいで受けた損害のみを考慮する。また、非公開で、判例に拘束されず、上訴できない。圧倒的に投資家に有利な制度で、国家主権を制限してグローバル化を推し進めるための協定である。以下に、これまでにカナダ、メキシコ政府が訴えられたときの判例を紹介する。
こういった事例が頻発している。
米韓FTAでは、韓国はこのISD条項を受け入れた。ただし、アメリカが韓国を訴えることはできるが、韓国がアメリカを訴えることはできない。
また、仮に、双方に訴えることができるとしても、投資、訴訟はアメリカが得意とする分野である。アメリカは、自国に有利な分野に戦いを持ち込もうとしている。
このISD条項は、TPPでも導入が議論される。
TPP推進論者は、話し合いの場には参加して、合意できなかったら離脱すればいいと言う。ところが、そういったことをすると国際関係や日米関係を損なう恐れがある。
また、米韓FTAについて、韓国にもメリットがあるから合意したと言う者もいるが、そんなに単純な話ではない。合意したから双方にとってよいものであるならば、不平等条約や詐欺など存在しない。
力で押し切られるか、契約の当事者がバカだった場合、メリットの無い条約を結んでしまう。日本の場合、力はないし、当事者はバカだ。
韓国の場合は、アメリカに押しきられた。アメリカの要求があまりにひどいので、昨年11月までは抵抗しており、一旦決裂した。ところが12月に突然合意。その間に何があったかというと、北朝鮮の砲撃があった。米韓FTAに関して、国民には内容はほとんど知らされていなかった。
民主党の資料によると、ISD条項は、拒否したいルールではなく、導入したいルールに含まれていた。その理由は、日本企業が海外に進出したとき海外の政策によって不利益を被ったら問題を解決できるから。日本政府が訴えられる可能性を一切考慮していないし、地下水を汚染されても何も言えなくなる可能性も考慮していない。日本政府やTPP推進論者には、日本にとって有利になるルールとは何か、国益とは何か、それが全く分かっていない。
韓国の前大統領秘書官は「主要な争点において我々が得た物は何もない。アメリカの要求はほとんどすべて一つ残らず譲歩した」と述べており、官僚は責任をとらないと付け加えている。
TPP推進論者はTPPに対する不安を煽るなと言ってるが、この状況を羨ましいと思うのか。
もう手遅れで、抵抗しても99%無駄だろう。
管前首相が交渉参加の検討を表明し、マスコミはそれに賛成した。その時点で賛成してしまったので、今更反対に回れなくなっている。
マスコミが賛成したことに気をよくした政府は、国民の支持を得るため、開国フォーラムと称した説明会を行ったところ、騒ぎになった。この開国フォーラムは震災を機会に中止され、国民への説明は行われなくなった。
国民を説得することができなくなったので、現在は「交渉だけならいいじゃないか」と主張して、説明責任を放棄している。
米韓FTA締結でオバマがセレモニーを行うので、それに対し日本も遅れるなと煽る。反対の声は矮小化する。
TPPが結ばれることは、既に決まりきっている。TPPは条約なので、締結は国会の承認が必要だが、交渉参加表明は政府の専権事項で阻止できない。そしてその後は日米関係、国際関係から抜けられない。阻止する手段がなかった。
私はこれまで反対しつづけていたが、もう無理だ。どうしようもない。
農業が壊滅すれば、農林水産省はダメだ、構造改革しないといけない。俺たちならもっとうまくやっていたと嘯くだろう。
何かがダメになれば、グローバルな流れに乗り遅れて淘汰されたのだから、仕方ないと言うだろう。
TPP推進論者は、自己責任と他人に責任を押し付けて、自身は絶対に責任をとらない、新自由主義者である。
新自由主義者による政権として、サッチャー政権、レーガン政権、小泉政権があるが、敵が多いのに長命政権であった。負けたものの面倒を政府が見るのはおかしい、自己責任だ、と責任逃れをして、長期政権になる。
もうどうにもならん。植民地への道を。
そのように感じることの本質は、彼女と増田の「友だちかそうでないかの境界線の違い」に恥ずかしさを覚えていることなんじゃないかと思ったよ。
実際は人それぞれいろいろな価値観があって、友だちかどうかの線引きはここにあるとは一概に決められないだろうから、増田はあまり気にしなくてもいいんじゃないかなとは思うけど。
ぼくが心配だと思うのは
増田が、彼女と増田の「友だちかそうでないかの境界線の違い」に付随することまで、あれこれ頭を悩ませてしまってることだ。
でも当のテキストに書いてあるような心配はだいたい杞憂であると言っていいと思う。
あなたはちょっと考えすぎだ。ぼくは増田に大丈夫だ心配ないと一つひとつ説得しながら言おう。
まず
なにも知らないで交際するということは別に恥ずべきことでもしてはいけないことでもないということだ。
もし、彼女のことを一番よく知っている人が彼女のことを独占する権利を持つのであるならば、彼女の肉親に勝てるものはいないということになる。
彼女が学生の時の同級生に勝てないことになる。幼なじみに勝てないことになる。
そうではない。
よく考えてみてほしい。
結婚の挨拶にきた娘の彼氏に、娘の父親がムスッとしてしまうのはこういうとこなのだ。
父親だってずっと昔から知っている娘の幼なじみが結婚相手なら信頼できる。
娘はほぼ100%どこの馬の骨かもわからんやつを挨拶に連れてくる。
だからぽっと出の人が並みいる仲の良い友だちをおさえて、彼女をゲットすることなんて恥ずかしいことじゃない。
むしろ極普通のことだと思ったほうがいい。
第2に
彼女のことをよく知っているかどうかは、かならずしも彼女と共有した時間の長さに比例しない。
これもさっきの理論と同じだ。
一番長い時間を過ごした人が彼女のことをよく知っているのであれば、彼女のことを一番よく知っているのは彼女の家族だということになる。
しかし実際はそんなことはありえない。
人は実にいろんな顔を持っている。家族の中でしか見せない顔。友だちとの間でしか見せない顔。恋人にしか見せない顔。自分しか知らない顔。
増田は彼女が友だちに見せる楽しそうで無邪気な顔を独占することはできないだろう。
でも彼女の友だちは、彼女が増田に見せる恋人としての、女としての顔を見ることはできない。
どちらが優れているとか劣っているとかいう話ではない。
彼女と友だちの仲良し度と彼女と増田の仲良し度を比べる意味なんてない。この二つは比べようがない。まったく軸が違うのだ。
第3に
恋愛は友情と地続きでグラデーションなのではないということだ。
友情から始まる恋だってあるだろうけど、全てがそうなのではない。
もしかしたら彼女の友だちに彼女のことを狙ってた人がいて、「ああ取られてしまった」と思って泣いているかもしれない。
増田は彼女の恋人であるというだけで充分なアドバンテージを備えている。もう追い越している。
第4に
そんな風に「自分は彼女にとって特別じゃない」と自分を責めることは、彼女を苦しめることになるかもしれないということ。
そのことについてもっと誇りを持っていいとおもう。
逆にそれが増田を苦しめ悩ませていると彼女が知ったとき、彼女はどんな顔をするだろう?
そこをよく考えてみてほしい。
悩むな!とは言わないけど、ちょっとあれこれ心配しすぎかなあとは思う。
ほんとは存在しない闇に怯えているような感じがする。闇なんてないんだよ。
抜本的に解決したいならこの悩みをそのまま彼女に言ってみるのもいいかもしれない。
彼女がおおらかだったなら「そんなこと気にしなくていいんだよ」と言ってくれるはずだ。
とにかく
増田の本質的で変えがたい問題は、彼女との「友だちという存在に対する認識の違い」これだけだ。
こればっかりは増田の性格や今までの生き方に関わる問題で、直しようがない。
でも、たいていの人はそんなことわかってる。
ある人が友だちかそうでないかなんてことは、自分で決めればいい。
一応書いておくと。
まず、カオスラウンジ問題が、著作権だけの問題であるかのように見えてしまいますので、これについては訂正すべきではないでしょうか。
カオスラウンジ問題はその他素行も含めた総体と捉えている人もいるんだろうけど、罪として問えるのは法に触れている部分だけであって、それ以外の部分についてまで裁こうという態度が「私刑」なわけです。
(偽札云々も警察の捜査に任せるものであって、必要以上に糾弾するのは「私刑」なわけです。公訴されていない人間を犯罪者呼ばわりするのは品位に欠きます)
「正しく裁かれる」という言葉の意味は、法に問える部分を法に則ってピンポイントに問う、ということ。
そして彼らの「常識のない行動で平気で他者に迷惑をかける」という点を批判しようとすると、批判者側の非常識な行動(肖像権侵害や成りすましなど)にも跳ね返るので、冷静に批判するべきということです。
(肖像権侵害も成りすましも自演だ、という陰謀論にいちいち取り合うつもりはないです)
ただ、あの場を「無法地帯」と断ずるのはあまりに思慮を欠いてはいないでしょうか。
無法地帯の「法」は一般的には法律を指すのでその指摘は的外れですし、著作権・肖像権・商標権の侵害行為そのものは権利者に害をもたらさないとしても変わりありません。
また「ふたばがとりあえず見逃されている」、この見逃されているという意味が「権利者が告訴しない」ということを意味するのであれば、「カオスラウンジもとりあえず見逃されている」ことになりますが…。
カオスラウンジは「ネット上の画像はすべてフリー素材」と断言して活動していますので、彼らが「無法地帯」を作りだそうとしているのは明らかです。
既に書いたように、著作権が存在する限り無法地帯を人為的に作り出すことは不可能なので、無用な心配だと思います。
また「ふたばの無法地帯は権利者に許されているから侵害しても良い」という姿勢でいながら「カオスラウンジの侵害行為は許さない」と批判するのはダブルスタンダートでしかないと思います。
なぜそのようなダブルスタンダートが受け入れられるかといえば、やはり「著作権に対する姿勢は怒りの本質ではない」から、ということだと思いますが如何でしょうか?
つまり私見の文章を短くまとめると、「著作権に対する姿勢は怒りの本質ではないが、彼らを罪に問えるとしたら著作権部分しかないので、彼らに怒りを覚える著作権者に委ねよう」ということです。
カオスラウンジの制作物が、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなどの顔写真を使用した、「肖像権の侵害」「名誉毀損罪」に該当する可能性があるということはご存じないのでしょうか?
肖像権や名誉毀損を加えても文意は変わりません。重要な点は、彼らへの怒りを表明している人の多くは権利侵害行為に直接関わらない、やれることの限られた「第三者」に過ぎないということです。
著作権、肖像権、商標権(刑事罰もありますがその辺の法解釈の説明は長くなるので割愛)、名誉毀損、それらの行為を糾弾できるのは基本的に当事者だけで、「被害者が訴えないうちはグレー」です。
対して「お前や家族や友人の顔写真をコラージュするぞ」という発言は、相手を悪意を持って当事者にする行為なので、「被害者が拒否した場合はグレーではなくブラック」、ただの犯罪です。
「彼らの行為は第三者視点ではグレーだから許される」「じゃあお前にブラックな行為で報復するぞ、認めないならダブルスタンダートだ」これは暴論というより、ただの脅迫でしかないと思います。
あの文面からはまず汲み取れないと思いますけど、あのコラージュアートは狭義のアートではなく、もっと広義の、ふたばなりニコニコなりそういったものも含めています。
著作権が文化を締め付けるのではなく、コラージュやリミックスの価値が認められた方が面白くなる、程度の意味です。
なので俺が戦っている敵がいるとすればそれは「著作権」という存在そのものでしょうか。
その上で、他人の労力を金銭や名声に変えるのであれば相応の覚悟と責任だけ背負えばいいと思っています。
解決を図るのに時間や金のコストが必要な以上、当事者には相応のモチベーションが必要なわけですが、神主がどの程度乗り気なのか見えないまま周囲が盛り上がっている印象があります。
だからもし神主を「利用」したいという思惑が外れたとしても、神主や東方が叩かれる展開にはならないで欲しい、という点ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20110602193012
被災地の状況
餓死・略奪・強姦が横行しているっていう噂がまことしやかに流されていたけど、
だいたいがデマだった
暗数でごまかされるような略奪だったらほとんど発生していないも同然だと思われる。
それなりの規模の犯罪があったら、やっぱりこうやって世界中に報道されるでしょう?
今後のエネルギー政策に関して
まだ結論出すのは早いかもしれないけど、
「原発を廃止したら相当な不便を強いられて、もしかしたら経済的に没落するかもしれない」
という話は杞憂っぽい。
結局ほぼ原発停止の状態でも今年の夏は乗りきれたので、
相当な不便は強いられないってことがわかった
君の考えにケチ付ける前に前提の共有をしておきたい。
何が「吹奏楽絡み」なのか意味が分からないし、意味が分からないから疑問にも思いようがない。もう少し詳細に。
まず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点
この本物ぶるというのもやはり意味が分からない。どういう現象を「色物が本物ぶる」のか詳細が欲しい。
そもそも音楽ジャンルをスポーツに比喩することは適切だろうか?
たとえばその比喩が適切であるならば、「フルートオーケストラ」や「弦楽四重奏のための協奏曲(ただし弦抜きオケ)」や「クラリネット四重奏」と「クラリネット五重奏」の違いなどが明確に他のスポーツなどに対応されなければならないはずだ。
簡略化、という主張をするならば、当然弦楽四重奏はオーケストラから簡略化されたものと見做されねばならないし、ピアノとサックスによるソナタもそれに準じなければならないだろう。まさかクラリネット四重奏が四管編成オーケストラの簡略化だ、なんてアホなことは言わないだろうが。
「オーケストラより手軽に曲を完成させる(未経験者可)」「部活(教育の場)の思想にマッチさせる」
っていう辺りの思惑と言っていい。
教育的配慮はあろうが、前者は意味がやはり不明。そんな思惑は聞いたことも体験したこともないが。具体的に誰が明言したの?
簡略化した挙句にジャズとかポップス等、多方面からもつまみ食いした結果((中高生のハートをキャッチするためでしょう。おそらく))
19世紀後半からのオーケストラのジャズつまみ食いはそれこそ作曲家から演奏家まで当たり前のようにしてたわけだけど、そういう事情は無視?
でもそこが日本の中心って全体の底が知れると思わない?
そこまで書いてWASBEとかは無視するんだもんね。
「個性<集団」に相当偏ってる。
私は地区~県レベルの中学と県~支部レベルの高校の吹奏楽部に在籍していた人間だけども、そんな基準は聞いたことないなあ。
普門館に上がるとそういうのが加味されるわけ?
地区大会とか県大会の団体は感動が魅せられていないわけでもないでしょ?
そう思ってるなら、よほどひねくれた考えなんだなあ、と思わざるをえない。
「徹底的に個を排除」「演出は過剰に」という方向に走る
二行目はわからなくもないけど一行目と三行目は別に問題ないよね。
というか吹奏楽って編成事態が中音が分厚くて低音が薄くて個性の薄れた管楽器集団じゃない。
もちろんこれは構造上の特徴だから、それを活かすも殺すも作曲家次第なんだけどさ。
まあ北朝鮮のマスゲームみたいだから音楽じゃないっていうのも読んでてアホだなーって思うけど、まあそれはいいよ本筋じゃないし。
前のとこは省略したけどさ、吹奏楽部あがりのプロ管楽器奏者ってザラにいるのよ、わかる?
で、ジャンルの問題として君は吹奏楽とオーケストラとジャズの違いも説明できなそうだし(ここでオーケストラとジャズを比べないあたりがとても恣意的だよね)
で、そもそもスポーツとの比喩が適切であるかどうかも不明瞭だからここの引き合いも同じく不明瞭。
「日本でクラシックを本当にやるなら東京藝術大学を目指すんだろう」と「そういう高校生は吹奏楽やってる暇はないらしい。」がどういう理路でつながったのだろう?
あと、君勘違いしてるけど今音楽が熱いのは藝大じゃなくて東音ね。あなたいつの人よ?データ古くない?
杞憂だから不安がらなくていいよ、めんどくさくなって前提無視してケチつけまくったけど
ああ、あとちゃんとトラバ返してね。少なくとも上の指摘に適切に返せないようじゃ話にならない。
日本は確実にダメになるだろう。関東以北は原発の影響で、今楽観視されている以上に無茶苦茶になると思う。今後10年20年以上はろくでもない土地としてあり続けるのではないだろうか。北海道の方はよく知らないけど、少なくとも東北、関東あたりまでは水俣病や枯葉剤、チェルノブイリと同様に、長く険しい道を辿ると思う。影響が目の当たりにされない今だからこそ楽観視されているだけで。
そんな細かいことは抜きにしても、日本という国には我々20代以下は誰も期待していないだろうし、今後は生ける屍として実際の死ぬ日を待つ他はないだろう。
私は普通の会社員で、そこそこ普通の、ブラックとは言えるか言えないか微妙なラインの会社につとめて3年になるけれど、辞めたくてしようがない。日本の会社には未来がない。日本というマーケットにも未来がない。そんな気がする。これが、昔で言う753現象の杞憂であって欲しいとせつに願う。
実際はどうだろうか。日本の社会は50代以上の社会である。50代以上の50代以上による、50代以上のためにある社会である。20代の私は、50代以上のために働いている。50代以上が住みよい社会を作るために働いている。それも実際は、現実が見えていない50代以上の意見に従って、なんとか現状維持を、50代以上の、高度成長期からバブル期に実現した夢の灯火を消さないための努力を、行わされているような気がする。日本ではイノベーションが起こらない。それは、若者が実権を握っていないから。高度成長期にたくさんのイノベーションがここ日本においてでも起こり得たのは、若い世代が多数存在したからだと思う。若者が多数派である、ということは、若者の意見も取り入れざるを得ない市場が存在するということになる。今の多数派は老人である。老人には先が見えているのだろうか。新しい技術を理解できるのだろうか。受け入れることが出来るのであろうか。老人が老人同士で老人のご機嫌取りに奔走している間に日本は良くて斜陽、没落、マーケットも存在意義も、ゴミクズのように消え失せてしまうだろう。どこかが日本に取って代わるということは無いと思う。日本の築いてきたポジションも今の状況も特殊だから、日本という国が第一線にいた事すらそのうち忘れ去られるだろう。
どうすればいい?海外に逃げるか。海外で何が出来る?その前に、英語ができるか。ほとんどの人間が出来ない。その上で、付加価値もない。日本の企業は専門職を除いて、一般社員に付加価値は付けない。少なくとも、外国では通用しない、日本というムラ社会での掟に従う術しか教えない。外資とか商社とか、外国とバンバン渡り合ってる人もまた別だろうけど、大多数の、一般企業に勤めている、なんの価値もない、どこにでもいるような、大多数のただの大卒の一般社員は、行く宛を見失った。今の新卒就職前線はその煽りを直で受けてるんじゃないか。無価値であるということの。
さあどうする。
今年と去年、夏の過し方はどう違う?こう尋ねられたら、「今年は節電のために冷房をつけず窓を開けている」という人は多いのではないだろうか。
かくいう私もそうである。そして、私が住まうマンションの、私の部屋の真上の世帯もそうだった。
少し前、いよいよ暑さも本格化して、就寝時も網戸にするようになったところ、目覚ましよりも2時間早い7時に目が覚めた。暑さのせいではない。上の部屋の小さな子どもが絶叫していたためだ。月曜日のことだった。
絶叫は、困ったことにその後たっぷり10分は途切れず続いた。暑いわ蒸すわ睡眠時間は足りないわ、という状況で聞く子どもの絶叫は、なかなかに不快指数が高い。そして、同様の状況は金曜日まで休みなく続いた。
「子どもの絶叫ってどんなの?」と思われた方もいるであろう。「そんな大したもんなの?お前が神経質なんじゃないの?」と思われた方も。ここで簡単に階上の子どもの絶叫について説明したい。それはまさに絶叫で、恐怖映画でしか聞けないような類の、「きぇー」ど「ぎゃー」の間を取ったような金切り声である。ボリュームは極めて大きい。持続時間は短くても10分、平均20分程度、いちばん長いときは45分ほど続いた。驚くべき体力だ。合間合間に母親の「○○ー、やめなさーい」という低いテンションの注意が入る。その後数秒は声が止むが、基本的に注意は成果を上げない。走り回る足音も結構に響く。
虐待ではないようなのだけが救いだが、どうにもうるさい。集合住宅で生活する上での騒音の上限を、遥かに超えている。
金曜の買い物帰りに、同じ階に住む若い女性と会った。挨拶を交わすと、彼女は眉根を寄せ声を潜め、「あの…お子さんの声、凄くないですか?」と尋ねてきた。「そうですよね、私もう毎日睡眠不足で…」と苦笑すると、彼女は苛立ちと疲れを滲ませながら、「私きらいなんですよ、子ども。ほんとイヤで。もう限界なんですよ。これって我慢すべきなんですか? 私が窓閉めたり耳栓したりしろっていう話なんですかね?」と吐き捨てるように言った。
絶叫は次の土曜日も容赦なく響き渡った。私は7時に目が覚めた。シャワーを浴びて汗を流し、もう一度ベッドに入る。今日くらい、目玉が溶けるほど眠りたい。もうフラフラだ。せっかくの休みに…などと思いながら眠り、そして子どもの絶叫で目が覚めた。その時は訳がわからず、自分が24時間眠っていたのかと思ったが、時計を見るとベッドに入ってから1時間も経っていない。思わず舌打ちし、ウィークデーはバタバタして成せなかった不動産会社への電話をすることに決めた。
昼ごろ電話した。電話口で名前と物件名を告げた瞬間、「恐れ入りますが騒音の件ですか」と尋ねられた。担当氏いわく、今日になって何件も苦情が入ったらしい。小さな子どものことだし、と気後れしていたが、週末まで睡眠を妨害されては我慢ならない、と何人もが話していたという。ちなみに苦情は私で何件目ですか?と何気なく聞いたら、5~6件目とのこと。部屋数が15もないマンションとしては異例の数だ、よほどひどい状況だろうから午後に早速調査に行く、という担当氏の話を聞き、すこしほっとした。
階上の子どもは出かける気配もなく、順調に騒いでいた。不動産会社が来たときだけすごく静かだったらどうしようかとの心配も、まったくの杞憂だったようだ。
午後3時ごろ、「だって子どもなんですよ!」「他の部屋が何時に起きるかなんて言われても知らないですよ!」「じゃあ節電節電言ってる中でうちだけ冷房つけろっていうんですか?うちだけ冷房代払うんですか?」といった内容の女性の金切り声が聞こえた。不動産会社が来たのだなと思った。それにしても、あれだけの騒音にクレームがつかないと考えていたのなら凄い話だ。そもそもあの子どもは、歌うでもなく喋るでもなく、悲鳴だけをあげ続けているって…大丈夫なのだろうか。前にすれ違ったときは4歳くらいに見えたけれど。母親はなんか…ナチュラルっぽいスタイリングのわりにトゲのある雰囲気の女の人だったな…などとぼんやり考えていたら、浅く眠っていた。そしてその眠りは、階上から聞こえた「何であたしだけ…!」という凄まじい叫び声と、力いっぱい窓を閉める衝突音で破られた。
それからは静かなものだった。叫び声は聞こえるが、今までを10としたら1か2程度のボリューム。突き刺さるよう鼓膜を攻撃してきた音の質も、くぐもってマイルドになっている。これなら眠れる。それがただただ嬉しかった。
それからしばらく経った今、階上からは相変わらず、小さくくぐもった音で叫び声が聞こえる。前とは違う点は、母親の金切り声が聞こえるようになったことだ。たまに、父親の声らしきものも。
「子どもが嫌いだ」と話していたご近所さんと顔を合わせたとき、彼女は話していた。あの騒音のおうち、お母さん凄いこわいんですよ。すれ違うと睨んできたり。この前挨拶したら、なんか知らないけど鼻で笑われて。意味分かんないですよね。私が怒られてんの?はぁ?っていう。むしろご迷惑かけてすみませんとか無いわけ?みたいな。なんか完璧こっちが悪者だと思われてるっぽくて。
私(あるいは私たち住人)は、きっと母親を追い詰めたのだろう。いま、子どもへの虐待に発展する可能性を考えると恐ろしい。
では、私は不動産会社にクレームを入れるべきではなかったのだろうか。私が窓を閉め耳栓をすれば万事丸く収まったのだろうか。もしかしたら、階上の子どもは情緒や発育に何かしらの障害があるのかもしれない。母親はギリギリのところで子育てに奮闘しているのかもしれない。しかし、その母親に「目が覚めるほどの騒音を立てないこと」を期待するのは間違っているのだろうか。
今後似たような状況にあった場合、本当に正しい情報を選択できるかの役に立つと思うんだ
特に「うんち・おならで例える原発解説」は事態をかなり楽観的に見すぎていたと思う
うんちは広範囲にばらまかれ、ダッシュ村は糞死した。
餓死・略奪・強姦が横行しているっていう噂がまことしやかに流されていたけど、
だいたいがデマだった
ググってすぐにでてくるところは
http://ameblo.jp/seicousya/entry-10832660362.html
ここあたりだったけど、他にも色々なことが言われていた記憶がある。
あと、自治体が壊滅しているのでボランティアが直接行った方がいいって情報もあったけど
http://npo-uniken.posterous.com/46132557
ここはその後どうなったんだろう
まだ結論出すのは早いかもしれないけど、
「原発を廃止したら相当な不便を強いられて、もしかしたら経済的に没落するかもしれない」
という話は杞憂っぽい。
現状の東京電力の原発の発電量は柏崎刈羽原発の500万kwのみ、
http://www.gengikyo.jp/status/status1.html
http://www.tepco.co.jp/forecast/index-j.html
だから、全国で東京電力関内並みの節電してれば原発いらないんじゃないだろうか?
多分当初の計画停電のインパクトが強すぎて、電力不足の恐怖がみんなに伝染したんではないか
どうなったw
1000年以内に起こる可能性はまあ99.99%くらいかな。おうすげ、竹中算で単純計算すると30年以内に起こる可能性は限りなくゼロだな、もうずっと放置しようぜ。そういうことを言っていることになる。よく統計命な経済の教授とかやってられる……
東海地震は歴史的に100年~150年で周期的に起こるとされている。全部がはっきりと文書で記録が残っているのは室町時代以降だが早くて102年遅くて147年で起こっている。ところが前回の東海地震から既に157年も経ってるんだわ。30年以内にってのは要するに「190年も待ってくれるとは思えん……」ということであって、その30年のうちいつ起こる可能性が最も高いかと言われたら当然近々に起こる可能性の方が高いのよ。
もっと怖いのはM9の東北地方太平洋沖地震が東海地震に影響を与えていないかが分からないこと。調べようがないからね。
元々一般には遠距離の震源には影響しないというのが定説だった。東海・東南海・南海くらいの距離感ならしばしば同時発動したりそうでなくても2~3年くらいの間に立て続けに起こることは多いんだが、宮城くらい離れていれば大丈夫だろうと当初は考えていた。ところが実際に大震災後の1ヶ月ほどの間に遠隔地の地震が大量に発生し、そのうちの一つはプレート型ではないにしろまさしく静岡で起こっちゃった。富士山で起こった奴ね。てかよくよく考えるとここまで桁違いの大地震にとって近距離遠距離のどの程度よって話になるわけで、もし東海地震が誘発の射程範囲内に収まっていたりしたら3年以内に東海地震も誘発されることになる。最も危険だったのは震災直後の1ヶ月で静岡に来た断層型の地震の代わりに東海地震が来ていても本当におかしくなかった。
誘発のメカニズムはいまだに良く分かっていないので誘発するかもということ自体が杞憂の可能性ももちろんある。富士山の地震もたまたま偶然タイミングが近かっただけかもしれない。でももし誘発があるならこの先3年くらいは本当に危ない。俺が損保会社なら3年以内の東海地震発生率は20~30%を見込んで引き当てておくね。
周りに離婚した人いないから経験者に教えて欲しいんだけど、離婚したら相手の事って基本的にどうでもよくなるもん?
芸能人とかは離婚しても仕事で顔を会わせたりするし、わざわざ相手の再婚にコメントしたりしてるよな。
(ちょい前のキム兄とやらにはすごくいらっとした。あいつが人気者っていうのが分からない)
うちは仲良かったのがやむにやまれぬ事情で離婚したからかもしれないけど、
例えば相手が困ってる時に力になりたいなとか、そういう風に思ってて、大切な相手ということは変わってない。
それならそれでいいじゃんという話なんだけど、困ってるのが俺も一人身がさみしいわけ。
要するに彼女ほしいんだけど、でも彼女作ったらその人を一番大切にしないといけないというか大切にしたくなる。
つまり別れた嫁が困ってる時に力になれない可能性が高いわけ。そもそも彼女は良い顔をしないはず。
この辺りの気持ちの折り合いを離婚して次の相手を見つけた人はどうしてるんだろうなー。
と思うと彼女欲しいんだけど積極的に彼女欲しいと思えないという中途半端な状態になる。
と思ってたんだけど友達の勧めで某大手出会い系やってたら、なんだかんだ何人かメールする相手ができて、
しばらくやり取りしてたら中の一人に「付き合ってください」って言われた。
相手も焦っている年なんだろうけど、でも俺にはもったいないくらいの好条件。
けど断っちゃった。理由は上手くいえないけど上記にあるとおりなんだろうな。
離婚した時も嫁に情熱傾けてた今までの人生が無意味だったって思い知らされたんだけど、
これから先も自分で自分を縛って誰かと付き合えたりしないんだろうなーって思わされた。
自業自得だけどしんどいわ。
前原誠司議員が、外国人からの献金を受けた問題で引責辞任した件について、ついでなので調べてみた。
http://www.pref.kyoto.jp/kouhou/resources/kouho_2226_1.pdf
京都府公報の中の「その他の寄付」が、献金者の記載が不要な5万円以下の献金の合計額のようなので、この項目が五百万円以上のものを挙げてみる。
| 日本共産党京都乙訓地区委員会 | 27,596,587 |
| 日本共産党京都北地区委員会 | 11,739,084 |
| 日本共産党京都中京地区委員会 | 27,892,016 |
| 日本共産党京都中京地区委員会 | 12,063,609 |
| 日本共産党京都西地区委員会 | 26,203,246 |
| 日本共産党京都東地区委員会 | 12,340,975 |
| 日本共産党京都府委員会 | 19,016,507 |
| 日本共産党京都南地区委員会 | 20,960,386 |
| 日本共産党口丹地区委員会 | 8,189,380 |
| 日本共産党伏見地区委員会 | 15,145,891 |
| 日本共産党舞鶴地区委員会 | 6,077,057 |
| 日本共産党山城地区委員会 | 14,746,754 |
| 日本共産党与謝地区委員会 | 5,211,707 |
| 日本共産党洛南地区委員会 | 25,256,935 |
| 新政経懇話会(二之湯智・自民・参) | 10,210,000 |
| 田中英夫後援会(田中英夫・自民・京都府議) | 7,113,753 |
| まえはら誠司後援会連合会(前原誠司・民主・衆) | 11,037,351 |
| やまのい和則後援会(やまのいネット)(山井和則・民主・衆) | 9,866,600 |
個人の資金管理団体の寄付の上位は最下段の四人で、前原議員が(僅差で)トップ。ちなみに前原議員の政治資金管理団体である「新緑会」の「その他の寄付」である130万円弱は加算していない。また、これらの次に多い額は「2,870,999円」なので、やはり上記四名が突出していると言って良いだろう。
そんな中で外国人からの献金が発覚したとなれば、「もしかして他にも」という疑念が生まれるのは当然と言えるかもしれないし、それが杞憂である事を証明するためには多大な労力を要するだろう。
さらに、前原議員が外務大臣という要職にあったという背景や、野党からこの件以外にも金銭スキャンダルをほのめかされている点なども考えても、辞職は不可避だったのかもしれない。
2chで神ゲーと名高いXenobladeをやった。プレイ時間100時間超。ここまでくると相当楽しんだろうと思うかもしれないが、実は、やっている最中から危機感を覚えていた。
最初に言っておくと、僕はFF12を神ゲーだと思っているくらいなので(ストーリーの最後はいただけなかったけど)、多少ひいき目なところがある。
このゲームを一言で評すると、「JRPGに必要な要件を外さずに詰め込んだ作品」、裏を返せば、「革新的なところが何一つ無い作品」。Xenobladeにある要素は、ほぼ全て他のゲームで体現されていたものばかりで、「ここが他のゲームと違う」というところがほとんどない。ビジョンのシステムが他には無いかもしれないけど、実は、ビジョンを全て無視しても、ゲームは成り立つ。だから、これが革新的とは思えない。
他に欠点をあげると
結局のところ、「意欲作」という気がしなかった。なぜ、今、このご時世にこんなコテコテのJRPGを作ったのか理解に苦しむ。任天堂がFFを取れなかった分を補うものとしてJRPGを要望したのかもしれないけど、それにしたって、特徴が無い。FF7あたりを現代的なJRPGの出発点とすれば、バトルがシームレスになっただけで、10年間何も進化してないのではないか。
そして、もっと問題だと思っているのが、こうした保守的な作品を歓迎しているプレーヤーたち。これを絶賛できる人は、ゲームに新しいものを求めてないんだろう。そして、そういうゲーマーに迎合しているうちは、ゲームは進化しないだろう。もちろん、他に進化し続けているゲームはあるから、まるでゲーム業界全体の話題として語るのは杞憂なんだけど、でも、プレーヤーは反省してほしい。