政治的な主張は抜きにして今回の衆議院選挙の議席数を読みきってる人は少ないと思う。
小池さんの人気がどこまで影響するかわからないし、野党共闘はあるのか、公明党の動向、自民党がどこまで政策をまとめられるかなど…得票率が変わる要素は沢山ある。
小学生の頃に、罰ゲームで告白するというのがあった。(私がクソブスで告白する側とされる側どっちが罰ゲームやねんという点は見逃してほしい。)
その時は、「別に本当に好きなわけではないのだし、『好き』って言ってもそれは『す』と『き』の音がつながっただけに過ぎない」と思っていた。だから実際に嘘の告白をしたようなしてないようなことがあったけど、仮に誰か男の子と噂になっても嘘なら本当に嘘だし本当なら嘘だとごまかせばいいしでど~でもいいわ、と思っていた。
が、成長するにつれて、その考えは変わってきた。
どんどん、「自分が好きでないもののことを好きだと周りから思われる」ことが絶対に許せない耐えられないことになってきた。
実際に、別に好きでも嫌いでもないってこともあれば、本当に死ねと思っていることもある。とくに、本当に死ねと思っている時は、「本当は好きなのに照れている」みたいに思われるのが嫌で、しかも、同じように嫌だとか言ってる子には絶対に「本当は好きなのに照れている」子がいると思っていたし実際そうだと思うので、私は「いかに本当に死ねと思っているか」をアピールするのに必死だったものだ。
そういう思いは今でも続いている。
本当は好きなのに嫌いと思われるより、本当は嫌いなのに好きだと思われるほうがムカつく気がする。何故だろう。
自分が「自分と似たような集団」の一部として、その常識を押し付けられているように感じるからか。
「いやよいやよも好きのうち」ではないが、自分の気持ちが軽視されてるように感じるからか。
たぶん、こういう「私は好きではない」という意思が「本当は好きだと思われる」「当たり前のように好きだと思われる」などしてテキトーに扱われた(と感じた)から、「私は好きではない」ということを過剰に表明したり、その"もの"自体やそれを好きな人に対して過剰にアンチになってしまうのではないか、と思った。
10月には婚約が決まり、プリンストン高等研究所からの招聘を受けるが、その矢先の11月17日に豊島区池袋の自宅アパートでガス自殺を遂げる。
その後、婚約者・鈴木美佐子も、「彼の後を追う」という遺書を残して12月2日にガス自殺。
谷山の突然の死にショックを受け、遺族に頼み込んで彼の背広を譲り受けている。遺体が発見された時、譲り受けた谷山の背広が傍にあったという。
猜疑心なのか、なるほど。疑わない人のことを馬鹿とは呼ばないようにしている、どっちが馬鹿かわからないし、そんな基準に当てはめられることでもなさそうだから。でもきっと本音では見下してると思うから、よくわかる。でもたぶん同時に妬んでもいるんだと思う。
疑うこと自体は悪いことではないのでは? 哲学向いてるかもね。
例えば、
“飲み会の場でなにも考えずに騒げる子、いいなあ。どうしてそんなになにも考えないでいられるの。周りの反応とか、怖くないの。”
これってその子が何も考えてない、という自分の判断を全く疑ってないよね。
本当に何もかも疑っていたら断定的な発言なんて1つもできないさ。
「うちの嫁は本当メシマズで」
「うちのダンナ稼ぎ悪くて」
「うちの子本当だらしなくて」
「オレ誰にも愛されてなくて」
こんなかわいそうな私を見て?
「うちの妻は世界一だ」
「私の夫は何があっても私のヒーローよ」
「僕の娘は世界一美しい」
「最高の犬と暮らせて幸せだ」
って堂々と言ってる外国の方々の方が素敵だと感じる。
卑屈すぎるぜ。
でも、こういうのは当事者が動かないことにはどうにもならないんじゃないだろうか
現場は大学なんだが、数年前に自殺者がでたりもしたこともありハラスメントには敏感なふりをしている
しかし、そのハラスメント委員でさえアカハラを行っているとのことであった
外部機関の案内もあったが、田舎ということと、ハラスメントをおこしているのがそれ系(社会福祉系とざっくりまとめておこう)の教授ということで息がかかっているのではないかと意味がないのではないかとも思える
解決の糸口はなんだろうか
パヨチンはんのーせーへんなー
https://www.nasnem.xyz/entry/incorrect-comprehension-test
http://mubou.seesaa.net/article/453754579.html
文全体を斟酌した上で、一番読み味の良い文章に直すと、
3. 「輸出が伸び悩む中でも、和食ブームにより、日本酒や緑茶、和牛として人気の牛肉などは好調だ。」
だと思うが、違うんかね。
確かに1は「和食ブーム〜」が「和牛が人気の牛肉」にはかかり得ないので、「和牛が人気の牛肉」と「和食ブームを反映した緑茶や日本酒」をそれぞれで解釈する外ない。
一方で2は語順的に3に近いこともあり、よし、じゃあ (分かりづらい文章書きやがってアホだろと内心思いつつ読み手の親切として) 3として解釈してあげよう。
という思考過程を経て、1と2は違うという解答に至っているのでは。
てことで、分かりづらい文章を一番意味の通る文章に置き換えて解釈しようとする人にとって、この問題は悪問でしか無いと思う。
---
リライトの補足
昔みたいに老若男女誰もが知っている共通言語みたいなカルチャーが少なくなってきた現代において、モノマネ番組を家族で見るのが中々楽しめなくなってきてる。
人それぞれが多様性のある趣味を持ち、知っている人は知っているけれど知らない人は知らないタコツボ化現象がエンターテイメント文化で起きているなかで、家族と一緒に見てもみんなでワイワイ楽しめないし、モノマネする方もこんなにたくさん選択肢がある中でどのモノマネをすれば楽しんでもらえるのか?心中察してしまう。
アニメのマイナーなキャラのモノマネしたり、〜のドラマの〜のワンシーンをやります、っていうモノマネを家族で見るのが本当微妙な空気になる。