現時点の一瞬を切り取ればそうかもしれんが、5年後、10年後は両方負けてる気がする。
あんな商売がいつまでも続くとは思えん。
すんごい嫌な思いをしているわけだが
頑張ったというだけで評価されるのは学生まで
努力が認められなかったって事は成果が見合って無いって事
いずれにしろ、その値段でダイヤは薦めない。あまりいいものがある値段帯じゃないとおもう。
値段を下げてデザインリングにしとけ。たまたまダイヤが付いてたら、あってもなくても同じぐらいなデザインのもの。
残った金で飯でも食え。
ダイヤを中心としたデザイン物は価格帯的にやめたほうが良かろう。
どうしても、バッグがいいというなら、それでもいい。デートしながら決めろよ。
ただ、バッグは流行があるし、良い奴は高い。
たとえば、こんなのはどうだ?
http://www.jwell.com/accessory/pair/ring/1111990-0089-1111990-0088
ペアにしといた。ホワイトゴールドで、高いものじゃないけど シンプル。
若い人に割と人気のKISSなら
このへん
あんまりお金ないみたいだし、安いけど シンプルで 長持ちするもの。
KISSならロフトとかに入ってるから ちょっとデートして みてこいよ。
アクセサリーはふとした瞬間に落としたり、失くしやすいけど
バッグならまず失くすことはないよ
ちゃんとしたブランドの定番バッグなら、大切に使えば子供の代まで残るしいいと思うんだけどな
結婚指輪みたいなシンプルな指輪を今さらもらってもわくわく感ないし
「残るから」なんて理由でしょっちゅう指輪贈るような男は独占欲の塊みたいで気持ち悪い
いや、貴金属のいいところは残るところだ。
ダイヤはオススメしない。シンプルに宝石のないプラチナとかピンクゴールドあたりがいいと思う。
靴や鞄は残らん。10周年ならリングだろう。
宝石はいらないけど、バッグや靴だったら欲しいって女も多いよ。
男だってタイピン貰うよりは財布のがいいとか、実用的な物貰った方が嬉しかったりするでしょ。
提案してみたら?
自分が結婚したくないことと、何より子供が欲しくないという事実に向き合う羽目になって嫌だ…。
結婚までは我慢できるけど、子供は無理。本当に死ぬほど子供が欲しくない…。
自分自身でもこんなにいい親はいないって思うし、感謝してるのに、
どうして子供好きの母親に孫を作ってあげる気になれないんだろう。
その理由が生理的に男性が無理とか、そういった理由だったら仕方ないんだろうけど、
理由っていうのが…
あんなによく育ててもらったのに、どうして私はこんなふうに思うような子に育っちゃったんだろう…。最悪だ…。
最近2chで彼女等が若くして突然亡くなる話しが流行っていますよね。
http://ganjoho.jp/professional/statistics/statistics.html
エクセルがダウンロードできるので、シートのnumberを見ると、部位でソートできます。
例えば、膵臓がんで、2010年や2009年に死亡した20歳から24歳の女性はゼロ人です。
もっと若い人や、数名いる年もありますが、やはり少ないですね。
でも全部位で見ると、年間24歳以下(4歳ごと集計)でも、50人ぐらいいます。
男女合わせると100人ぐらいですね。
長文注意
迷ってました。
http://anond.hatelabo.jp/20120131004052
後者に決めました。
もちろんサプライズにしたい。
と思ったら、昼間も約束を平気で忘れたりする昨今。
忘れちゃ思いだし、忘れちゃ…を繰り返してる。
さっき、この件を思い出した時、
ここでもう一つ問題が…。
何度カーネーションを観る楽しみを奪われたことか。
そんな妻にサイズを聞いたら、
「ん?
………スイートテンならいらないよ(笑」
(笑ですよ、(笑 !!
もう頭にきて、
「絶対贈んない!」
って言ってやりました。
ええ、言ってやりましたともっ。
くだらない相談にバカにせずコメントをくれた方々、ごめんなさい。
そんなことはない。
オレの分類の中では、ソーシャルゲーム業界はかなり明確に美しくない方に所属している。
弱者を食い物にするというか。
今日は父方の祖父の命日です。
喪の作業が
全く進んでいないのだなぁと
痛感しました。
当時を回想してみて
改めて思った。
まだ、否認の段階、なのだと
☆
どうでもいいことは抜け落ちるけど
大事な特定のことははっきりと覚えている。
いや、大事なことがいつ起きても保存して置けるように
日常のどうでもいいことは抜け落ちていくように
設計されているのかもしれない。
9年前の2月7日、
そこそこ気にしていた朝を覚えているし
GLAYが「いつか」を歌っていた。
いつも一緒に部活の帰りを共にしている3人のうち、
Sくんはデートか何かが一緒に帰らずに
3人で自転車を漕いで帰った事も覚えている。
その帰り道、
いつもどおり部活をして夜にちょっと集まってゲームをしようという
約束をしていた。
そして、帰り、死去の話を一通り聴いたあと
楽しく興じていた。
不思議なくらいに、いつもどおりの楽しさがあったことを
覚えている。
今になって思えば、脆弱な心を保つための
躁的防衛だったのだと理解できるが
☆
もともとの高血圧だったこともあるだろうが
倒れてしまったとの事だった。
律儀で真面目な人だった。
そして、真面目さを強さとして昇華させている人だった。
他人を疲れさせるだけ。
なぜなら、柔軟性がなくて頑固なだけだから。
真面目な人と一緒の空間に居たら安らげないでしょ?
それでも、じいちゃんの真面目さは
圧倒的に優しさと強さを持っている真面目さだった。
多分に美化をしている可能性もあるが…。
☆
ただ、当日のことは克明に覚えているのだが
それからのこと、たとえば
どうしても思い出すことが出来ない。
いや、覚えているんだけど、
すごく限定的。たとえば、自分がどこに居たのかは
覚えているがそこで何をして何を話して何を行動したのかは
全く覚えていない、
それに当時の場面を思い返したときに主人公の視点で世界を捕らえていないことに
気づく。
「自分が居る空間を上から自分が観覧している」というイメージでの
自分から見た世界じゃなくて、自分がその場全体を見ている感じ。
これも離人とか解離とかっていう一種の
心的防衛なのだと、今になると思う。
そう考えると
当然のことなのかもしれない。
だって、意識は自分を上から見ている自分が持っていてしまっているのだから。
☆
どれだけ
「大切な人には伝えられるうちに愛しているって伝えろ」みたいな
ご高説をたれられても、やっぱり人間は
愛してるって伝えないんですよね。
どれだけ悲痛な別離や死別の話を聴いても
全く他人の痛みからは学べないわけです。
だとすると、できることはたったひとつ、
思いっきり後悔を背負って生きていくこと。
他人が身をもって示してくれた痛みに
耳を傾けても行動に移さなかった罰を受けるしかないのだ、と。
もしも人間が
他人の痛みから学ぶことが出来たのなら、
こんなにも悲しい物語は断続的に永続的に
津々浦々で発生するわけがない。
人間は
今を大切にすることなど出来ない。
失うまでは絶対に気づくことは出来ない。
その鞭と無能さの償いとして
後悔という消えない荷物を背負っていくしかないのだと思う。