はてなキーワード: CGMとは
吉本ばななと居酒屋の話に似た、なんとも言えぬ嫌悪感をおぼえた。
ことの発端はこの記事のようだ。
それをサッカーバージョンとして紹介しているよくできた記事だ。
(ブログ主のajikuta氏はオマージュだと言っているが、これはインスパイア記事だろう)
nomuch
私の「オマージュ」はうれしいけど、ほとんど改変文なんだから
とコメントした。
なるほど、この記事はそんなにパクりなのかと思って調べてみた。
インスパイアしたと思われるのはこのページ(たぶん)
3500字程度中700字程度は似通った表現があったが、
そのほとんど(というかこの場合、サッカーにあてはめた部分)は
別にパクりではないということがわかった。
(イラストを転用している部分はまあ問題かもしれないが、ネットの世界では普通のことだ。ブログ主は謝罪し修正しているが)
能町さんご本人から画像の転用についてご指摘頂きましたのでイラスト画像を削除しました。
文言については「ほとんど改変文」とのことでしたが、改変していたのは一部なので
その部分100文字程度を修正または削除しています。ご迷惑をお掛け致しましたことを深くお詫び申し上げます。
完全なパクりでもないのに目くじら立てて
私は悪いが彼女の本も買ったことがあるし、たまにブログも覗いている。
それなりに好きだった。私もモテない系だし。しかし、今回のブコメやツイッターを見て反吐がでた。
# 私が非寛容なのか?いやそんなことはないよね。
私がすっごい著名人だとか私の文が人口に膾炙してるならともかく、
あの感じじゃいくら私の名前が書いてあっても著者のオリジナルの文に見えるよ。
もやもやするのはこっちだ。
口コミやバズといったネット世界のCGMの威力を全く理解していない。
ちょっとそれ私の著作よ!ふざけないで!なにしてるのよ!となるのだ。
それがインスパイアされて新しい記事が生まれるなんてのはごくごく当たり前の話だ。
それがまた話題になり、コメントされ、紹介され、さらに広がっていく。
元記事だってインスパイアされることでより価値が高まったり、来訪が増えたりする。
能町みね子はまずその辺のことがわかってない。
だから私のイラストや文章をパクりやがって!という被害妄想になる。
こういうインスパイア記事はなにより自分に跳ね返ってくるのに、
そんなことすらわからず批判するのだ。なんと器の小さいことか。
それともう一つ能町みね子がわかってないのは、ネットにおける己の存在感についてだ。
少々本を出したところでネットの世界で発言力を持つかというとそう単純でもない。
一部の女性に知られているだけだろう。
能町みね子がどの程度ネットの世界で存在感があるか調べてみた。
プロフィール/http://www.hatena.ne.jp/nomuch/
ブログ/http://d.hatena.ne.jp/nomuch/
ツイッター/http://twitter.com/nmcmnc
フォロワー56人
そういったことを認識せず、ツイッターでグチをこぼし続ける様は、
一切を発言せずブログ上での謝罪にとどまったブログ主と比べるべくもない。
もしブログ主がツイッターで1600人近くの人に対してこの件についてつぶやいていたらどうなっていただろうか?
今回のこのやりとりを見ていて、自分なりにいろいろと整理して書いてきたためすごく長文になってしまった。すまない。そろそろまとめよう。
こう言ってはあれだが、能町みね子をはじめとした
中途半端な文筆家やライターはウェブをもっと使いこなすべきだと思うのだ。
ちまちま個人ブログに対して著作権を訴えるようなことをしていないで、
いかにして自分をネットの世界で大きな存在にして、発言力を持っていくかを考えようよと。
多少は名前を知られている訳だから、ただの素人がブログを始めるのよりもよほどハードルが低い。
だからこそ、自分の中に眠るコンテンツを惜しみなくウェブで展開して確固たる地位を築くべきだ。
多くのアルファブロガーがそうであるように。
雑誌や書籍の世界にいて、ネットの世界を見下しているようではダメだ。
おいて行かれるだけ。もっと出し惜しみせずにいろんなことをネットに出していかないと。
無料で良質なものを出すなんて…とか言ってる時点でダメなんだよ。
今集まっていないのはまだ出し惜しみしているだけだからだよ。
大したことない権利を守ろうとしてないで、
もっとネットの世界に来て勝負してみなよ。結構勝算あると思うよ。
追記:
話にならない。>でも<でも=でもない。しかも世間の話というより書籍や雑誌の世界とネットの世界の話をしている。もう一度読んでみて。それぞれの世界でうまく立ち振る舞うべきと言っているんだよ。わかるかな?
画像転載がアウトとか言ってる人は、著作権ひっかかるようなサービスやブログ等一切見てないんだよね?ねえ?ネットの楽しさってそういうのほとんど関係無しでやってるところだよ?もうねこれはYahoo!がやってたらそりゃ責任とわれるだろうけどさ、個人レベルのブログとかにそんなのを求めるのは無理。CGMにおいては著作権とかあきらめるしかないんだよ。あきらめてCGMをうまく活用することを考えるべき。そっちの方がよっぽど生産的だと思わない?
転載っていう意味だと微妙だけど、たとえば芸能人の画像とか2ちゃんねるコピペブログとかではまったく著作権とか無視で使ってるよね?でも一番人を集めているよね?どうしてかな?たたかれることもあるだろうけど、それだけおもしろいとか評価されてるよね。Yahoo!ブログとかでしょうもない日記書いているようなブログでも普通にネットに落ちてるジャニーズやディズニーの画像挿入しちゃったりしてるよね、でそれを見た人が「かわいいですよね」とかコメントしちゃってる。それを止められると思う?無理だと思うよ私は。
いや、ネットの楽しさや特性云々以前の話で、オマージュされた本人が、され方に疑問を持ち、それを伝え、オマージュした方が修正をした。ってだけでしょ?
そのことをベースに、こういうことを考えた、という増田ですよ。ネット上の、特に個人ブログレベルでの著作権うんぬんにつっかかり、お先真っ暗な紙媒体上の既得権益を守ろうする人たちに対して苦言をていしているのですよ。ネットの世界をまったくわかっていない、とね。
どんなにネットが素晴らしかろうと、それを構成しているのは個々人でしょうに。
だからこそ、個々人がやるブログレベルに著作権うんぬん、転用うんぬん言うのはナンセンスだと思いませんか? あなたは能町さんと同じような考え方のようですね。ネットを知らなすぎます。なぜネットがここまで流行ったか、おもしろいと思われているのか、そこを考えたことがありますか? 著作権だなんだを個人レベルのブログにまで求めていたら、ネットはここまで流行っていないですよ。
このブログ主を止めただけであって、ネットの中の個人ブログとかどこまで追えるのって話。無理でしょうそんなの?ん?できるの?できるんだったら教えてほしいな。
あのさー、この元になった記事とか読んだ? 丸々ぱくってるっていう話じゃないし。著作権違反した方が集められるというのはブログ主側の意見としてはあると思うけど、著作者はそんなネットの中の著作権うんぬんを言い出したらキリがないよ、と言ってるのよ。インスパイアされて書かれるような個人ブログの記事についていちゃもんをつけるのはおかしいでしょ?と言ってるの。まずあなたはそこがわかってないね。上にも書いている通り、インスパイアされたりすることで自分にもプラスになる部分あるよって言ってるんだけどさ。もう一回最初から読んでみてよ。
あと、「著作権法」というものが何故あるのかも考えた方がいいと思うよ!
浅いなあ。そんなことは重々承知。で、今のネット界がどうなってる?YouTubeがどうなってる?なぜあるかなんてもうみんなとっくに考えてるよ。でも止められなくなってる。その現実について考えた方がいいと思うよ! 偽善でそんなこと言っててもしょうがないんだよ。これからこの状況をどうするのかを考えた方が建設的だと思わない?
これも浅いなあ。これまでのメソッドでしか考えられないのかな? それだとそういう結論になっちゃうよね。あなたは何かを生み出せるタイプじゃないね。そういう固定観念で話をしていないんだ。ついでに言っておくと、あなたは出版の世界のことも学んだ方がいいと思うよ。
タイトルのような議論は、『ゲームは「作品」でも「商品」でもある』という結論に落ち着く。大抵は。
なんか違うよな、と思ってたのだが、少し前に下のようなスレを見つけてから、さらにモヤモヤが増してきたので、少し書きたいと思う。
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1260455702/
>「僕らは作品ではなく商品を作っている」という発言だった。
>ゲームそのものではない。宮本氏は普段から、スタッフにも自分たちが作っているものを
>「作品」ではなく「商品」と呼ぶよう指示しているという。
ttp://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0910/27/news082.html
金儲けしか頭にないんだな、この老害は・・・
自分も過去ログが見れない状態なので、記憶で書くしかないが、私が見た時には、いつも通りに荒れていたし、例の如くコテハン叩きもやっていたりと、まさにゲハだった。ただ、あまり決定打的意見はなかった印象もあった。宮本氏を守銭奴扱いする人間もいれば、「当たり前じゃないか!」という人間もいて、色々意見が分かれていた。
じゃあ、お前が決定打的意見を出せるのか?と言ったら、まあ、怪しいものだが、自分なりの落ち着き所が欲しいし、モヤモヤも何とかしたいので、書きながら考えを整理してきたい考えだ。
……と、能書きはこの辺までとして、本論に入ろう。
まず、『ゲームは「作品」でも「商品」でもある』というのは、正確じゃないよね?というのが私の立場だ。単なるとんちに聞こえるかも知れないが、『ゲームは全て作品であるが、中には商品として売っているものもある』がより正確だと思う。(フリーで遊べるのもある訳だから)
要するに、「商品」と「作品」は一つの対立軸にはなり得るけれど、「商品」と「作品」は対照的な存在という訳でもない。
「無料」と「有料」は「0か、0でないかだから」、TrueとFalseの条件式に使えるけれどもだ。
販売者の側から見ると、「作品」は、単なる「商材」である。
「商材」を消費者から見て「商品」に仕立て上げるのが「商人」である。
アップルは良い見本で、安く「商材」を仕入れて、手を入れ、磨き上げ、組み上げて、大勢の人間が良いと思わせる「商品」に仕立て上げている。
その結果、スティーブ・ジョブズは、オープンソース教徒には守銭奴に見えるだろうし、アップルファンには神の使いに見える。
(この図のように→http://i.imgur.com/YRoqC.jpg)
例えば、記憶で書くので間違っている部分もあるかも知れないが、ハリウッド映画にもなった映画「Shall we ダンス?」は、本家の日本版も米国で公開されていて、(米国では)200万人を動員したそうだ(Wikipediaより)。
米国で公開する際、米国のインディペンデント系が買い取ったらしいのだが、そのバイヤー曰く、「私が発見した」という言葉を使ったらしい。監督の周防正行氏曰く、「私はすでに商業作品を作って成功している(から、発見したという表現はおかしい)」。
周防正行氏は、バイヤーから見れば「(今まで現地で紹介されてこなかった新しい)商材」に見えるのだろうし、氏自身から見れば自身を「(立派に成功した)商業作品」の監督であると思うのは当然だ。その視点(立場)の違いによって意見の相違が生まれているということなのだと思う(私の記憶の違いもあるかも知れないので、詳しくは「『Shall we ダンス?』アメリカを行く (文春文庫)」を見て下さい)。
話がさらに脱線するかも知れないが、アニメーターの労働条件が酷い件についても、似た様な違和感を感じる。
具体的には、あまり電通がどう、中間搾取がどう、とかという時代でもないだろう、みたいな気が非常にする。
ゲームもそうなのだが、無料でも見ないような「作品」、遊ばないような「作品」がネットやレンタル、廉価版、ワゴン、中古にいくらでも転がっている。今の時代、それこそ、インディーズや映像全体まで枠を広げると、YouTubeだって一人の人間で見きれない状態だ。
しかしだ。それでも、売れているものは売れている。
例えば、任天堂のゲームなんてあまり値下がりしないし、それなりの値段がするが、売れている(おお、ゲームの話に戻ってきた)。
つまり、「作品」があふれる時代に、「作品」で金を稼ぐにはどうすればいいのか?という問題に戻ってくる。
「作品」をどう「商品」に仕立て上げるか?ということが問題になってくる。
編集者のいない漫画雑誌であるコミックギアは三号で潰れたそうだが、金を取るなら「作品」である前に「商品」であることを求められるという訳だ(例え、作者が不本意に連載を続けていても)。
当たり前だが、人は、欲しい時に欲しいものが欲しい。
果たして、みんなが持っていたオモチャを買ってもらえなかった時の気分はどうだったろうか。
要するに「商機」をつかめばものは売れる。
つまり、たった一杯の水でも、砂漠では高く売れる。
何でもないものが希少価値になる。
そして、需要がある所に商品を適正価格で供給してやれば、感謝される。
満足感があれば、リピーターになってくれる。
それがまっとうな商売だ。皆の幸せに繋がるのだ。
そういった「商機」を見抜く目があり、実際行動する人が尊敬される商人なのだと思う。
果たして、廃人育成MMOやマルチ商法ソーシャルアプリがまっとうな商売か?と聞かれた場合、ハイ、と答えられればそういうゲームの営業をやればいいと思うし(別に非難している訳ではない。悪意はあるが)。
もちろん、「商品のまっとうさ」というのは実に微妙なものだ。特にエンタテイメント業界においては。
だが、売っている人間が自身の商品のまっとうさを信じられるかというのは実に大きなファクターだと思う。より悪意のある書き方をすれば、詐欺的商売でも、自身の商品のまっとうさを営業が信じていれば、ものすごい力になるから。
もう一つ気になるのは、クリエイティブ性の問題だ。
クリエイティブの敷居がこれだけ低くなると、もう、プロのクリエーターは好きなものを作れなくなるのではないか。
当たり前と言えば当たり前だが、仕事というのは、いやな作業をする代償としてお金をもらうようなものだから、クリエイティブはアマのものになるのかも知れない、的な雰囲気がなんだか漂っている気がする。
例えば、米国では、10年くらい前までは業界を引っ張っていた制作者が半分趣味で作っているようなPC大作がほとんど出なくなっている代わりに、クリエイティブなインディーズゲームが活性化しているようだ。
……すると、ものすごい安い賃金の本業と儲けの高い同人活動をこなすアニメーターみたいな訳の分からないものがこれからの本道なんだろうか?
とすれば、プロ活動とアマ活動を両輪にして生き残る、というのも一つの考え方という訳だ。
もちろん、いやいや、プロは今のハリウッドの様に空虚になるのではないか?とか、CGMはどうよ?とか、まだまだ言及が足り無いこともあるが、疲れたので寝ることにしよう……。
本当は自分のブログを立ち上げてそこで書けばいい話なんでしょうけど、どうしても書かずにいれられなかったので。
今回は直接的にこの記事に触発されて書いたものです。
さて、少なくともニコニコ動画御三家(古い表現だが)の中でニコマスはCGCなんて新しいムーブメントではない。
まずはvocaloid、vocaloidこそCGMの代表的コンテンツである。
vocaloidはツールであり、作り手の思い通りにコンテンツをつむぐことができる。
下敷きにする一次創作なんてものも存在しない。パッケージにかかれたキャラクターも、キャラクター展開も無視することも当然可能だ。
オリジナル曲を歌わせれば著作権の問題も完全にクリアすることも可能。
そして、二次創作のコミュニティを突き破って自己実現のツールとすらなる。supercellがそのいい例だ。
東方プロジェクト、これも二次創作とはいえCGMの形の一つだと思う。
zun氏が二次創作について明快かつ寛大なガイドラインを設け手いるのが大きい、そのガイドラインの範囲でなら著作権問題もほぼクリア
できるし、二次創作が更なる創作を爆発的に誘発する呼び水になっている。
キャラクターの設定が良い意味で薄い上、作品世界がが「閉じた」形式になっていないのも自由な発想での創作を可能とするのだろう。
さて、ニコマスはどうか。
ニコマスはどうしても二次創作という形から離れることはできない。一次創作のパッケージ化され閉じたストーリ展開に束縛される。
キャラクターには時間軸に沿った詳細な設定が施され、そこからも逃れることはできない。
さらに、著作権関連の問題は限りなくグレーである。バンナム含め様々な関係者からの黙認のうえにニコマスは成り立っている。
そうなると、ニコマスの進む道は、必然的に旧来の同人世界と同様「ファンアート」の範疇を進まざるを得ない。
一次創作の設定・キャラクター・ストーリーを最大限に尊重しつつ、それを自分の解釈で再構成し形にしていく方法である。
で本題はここからである
この記事を読み、さらにここで言及されている動画とSSに思いをめぐらしたとき、
Tomさんの態度について非常に共感するとともに、ニコマスへの接し方について改めて思いをめぐらさざるを得なかった。
「πタッチ」「とかち」という、アイドルマスターのゲーム内容からみれば全く関係のない部分から火のついたニコマスは、
ステージPV動画で驚異的な表現力を手に入れ、ノベマスや架空戦記ものでストーリーの語り方を手に入れた。
そして今、「im@sストーリー系PV」タグの隆盛を見るように、「ゲーム本編のストーリーやキャラクターの設定を再構成・再構築して映像化する」
という流れが中心になろうとしている。
この記事で触れられているtlopの作品は、ゲーム内での「オーディションの厳しさ」と「トップアイドルへ向かうことの厳しさ」を再構成・再構築して
映像化したものだし、一連のwhoPの作品は「アイマスゲーム内での美希と自分(whoP自身)のかかわり」を前面に押し出して作成されている。
そう、「製作者の設定・キャラクター・ストーリーを最大限に尊重しつつ、それを自分の解釈で再構成」という、ファンアートとしての作品が
高いレベルで輩出されるようになって来たのであり、これはニコマスとしては正常進化と言えるものだ。
しかしである。
この記事のコメント欄でグレゴールさんが言うところの「ニコマス作品は(特にPVは)“賛歌である”という側面がとても強くて、私にはそれが心地よい」と感じている
と感じている私のような人間は・・・。
今からゲーム本編を全クリアし、一次創作の設定・キャラクター・ストーリーを最大限に尊重できる態度を身につけたうえで、Pの数だけある「解釈」を
読み取れ共感できるようになればそれにこしたことはない。
だが、それが自分にできるだろうか。
「ニコマスに関わる人たちはそれぞれどのように振舞っても構わないし、自由です。
ニコマスPは彼女達に何をさせてもいいし、世界をどのようにしても自由なのです。」
Tomさんが呟いた当たり前の自由を、今の自分が許容できるのかとても心許ない。
ニコマスはこれからも進化していくでしょう。しかも、ファンアートとして正常進化していくでしょう。
私としてはその行く末を見て行きたいけれど、私のような存在は「進化していく上での遺物」と化していくでしょう。
それでもいいのです。
「ニコマスに関わる人たちはそれぞれどのように振舞っても構わないし、自由です。
誰でも参加できることにより、質(たち)の悪い人や質(しつ)の低い人が混ざる。
善意があってクオリティが高い奴だけ囲い込んで、何かするというやり方がいいと思うよ。
東大とか一流企業だったら試験があってエリートだけを選抜するじゃん?
それと同じように特定のタイプの人間だけ選抜するようにすべき。
たとえばネットサービスにしても、誰でも参加できてしまうのはマズい。
CGMなんて言うけれども、作られる情報の質を高くするのには無規律な集合知なんかじゃ駄目だ。
Wikipediaは特殊な例であって、それ以外に集合知がまともに成功した例は一つもない。
1人でもつまらん奴がいると場がシラけるのと同じで、少しでも荒らしや低質な奴が混ざってると、
面白いものが出来てこない。
これはブレーンストーミングを考えてみるといい。批判意見を出す奴を一人でも混ぜてみろ。
まともなブレストが出来ない。
そこで今度は、批判者を混ぜずに1人でもすごく頭脳優秀な奴を混ぜてブレストさせてみる。
するとそいつの発言が周りに刺激を与えて良いアイデアがポンポン出てくる。
そうすれば、さらにレベルの一段上がった発想ばかりが次々出てくるようになる。
今述べた3例はサラリーマン時代に、ともに実証済み。
つまり何が言えるかというと、絞り込んだほうがいいということ。
絞り込み方は何も頭の良さだけではない、特定分野への関心・知識の多さ、性格、
さまざまな絞り込みかたがあっていいし、そうすべきだ。
誰でも参加できることでユーザ層が広がるのはメリットかもしれないが、同時に生成される情報の
質がガクンと下がるというデメリットもあることは、あまり注意されていないようである。
それなりに書き込んでいたら亀増田&長文増田になってしまいましたが一応書いたので載せてみ増田。いわゆる一つの「増田の中心でアイマスを叫ぶ」というやつですね(違
アイドルマスター XENOGLOSSIA(ゼノグラシア・アニマス)が成功するためには何が必要か、考えてみた。ということでひとつ。
作品としてはイイ。
十分楽しめると思う。
「こんなのアイマスじゃない!」「まったくの別物!!(怒」とアイマスファンがネガティブキャンペーン張ってるだけで、ロボットアニメ好きなら、そこそこ普通に楽しめるかと。
からはじまる、アイドルマスターゼノグラシアは、ロボットアニメとしてはかなりよくできていたよ! と言う論をよんで、うんうんその通り、とうなずきつつ
まぁ声も性格も(伝聞より)まったく変えてしまって戦略として何がしたかったんだろう、って外側から思いはしたが。
よくわからんがこれ、どっか元の遺伝子残ってんの?みたいな。
その辺で元のファンの支持を得られなかったら、まぁ良くて「これはこれで悪くないかも知んないけど別物だよね」どまりだと思ったし
と言う意見や、
と言う意見にも同意できる。ゲームのアイドルマスター好きって立場から言うと「っていうかあれ何。72じゃないちひゃーなんて(ry」と言うことになるのは当然。
あれは、やよいと律子さんはよかったよね的な何かだったあれは。とはいえカニデレ万歳。なぜさん万歳。
と言う風に
的なアイドルマスターを愛するキモオタであるという立場から、アイドルマスター XENOGLOSSIAが原作ファンからも、アニメファンからも納得されるロボットアニメとして成立するためには何が必要だったのかを考えてみる。
え?ロボットアニメにする必要はない?いや、それを言ってはおしまいなのでスルーの方向で。っていうか下手に原作そのまんまアニメ化したら、くりぃむレモンのエロなし現代版(ニュージェネレーション)の二の舞になるだけのような気がする。それだったら素材として活用した方がいいと思う。そもそもプロデューサー役はどうすんだって話。(まぁいっそ女性にしてしまうとか百合に逃げると言う手はあるが…そんな中の人萌えをメインにしたようなアニメ見たいか? 俺は見たいが……とにかくそれを言ってはおしまいなので)
位置づけとしてはやはり「アイドルマスターのキャラクターが総出演で作ることになったドラマ」という扱いにすべきだったのではと思う。
当然ながら制作委員会名は「765プロダクション」で(C)を出すと。ただ設定はそれだけでは駄目なので、以下の点に注意すべきだったと思う。
この点だけ守っておけば、最終的には同一ですよといいわけはできたと思う。確かにそのままのストーリーでは無理があるかも知れないが、そこはストーリーを合わせることも可能であるはずなのである程度は。
後は、もう一つ。バンナム作成のゲームのデータを使った「次回予告」的な「楽屋裏」を作って、最後にワンコーナー設ければよかったのではないかと思う。もしくはアイドラで配信とかでも可。これでゲームとアニメを確実に地続きにすることができる。内容はあまりの雪歩のキャラクターの違いにとまどって「うまくできません~プロデューサーさん」と泣きつくとか、台本を初見したアイドルたちが、次回についてわいわい言うとか、そういうたわいのないものでいいのではないだろうか。(理想なのはセルフパロディだけど)アイドルマスター P.S.プロデューサーというネット配信のラジオがあるが、そこのオープニングドラマは、アイドルたちが掛け合いドラマを演じて、その最後に誰かが「○○○ですよね?プロデューサー(さん)」と呼びかけるという風に始まる。こんなかんじに「次回もがんばりましょうね!プロデューサーさん!」みたいにすればいいのである。
ただ、これをやってしまうとバンナムがいかにメディアミックスが広がろうと守っている最後の一線(たとえば亜美真美は絶対に2人であることをゲーム中では公表しない、等々)を破ってしまう事になるかも知れないが……まぁそこはラジオドラマ的な感覚でやってしまってもよいのではと思う。
というか、誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを。才能のあるプロデューサーさんの中にはアイマスもニコマスもアニマスも愛する人がいるはずである。だれか、どうか。お願いします(土下座)
ストーリーはぶっちゃけ何でもいいと思う。と言うかここは妥協すべきではないと思うが(その点では、修羅場系の部分にちひゃーとあずささんを配置したキャスティングはあっていると思う。あとまこまこりんも)しかし、中盤のやよいの出番の少なさについては断固抗議させt(ry
ただ、王道として考えるとサクラ大戦メソッドが可能ではないかとも思うが(歌と踊りとメカと萌えと燃え)それは完全に原作アイドルマスター側に振ってしまうことになるので、すでにゼノグラシアじゃなくなってしまうよなぁと思うわけで……。
絵についてはある程度しょうがないところはあると思う。2.5次元のあれをフルアニメにつかって上手く成功した例は未だかつてない。と思うので。そうなるとやはり昔ながらのぱらぱら漫画的手法のアニメーションになるわけで、そうなるとアニメ的誇張の方法をとらざるを得ないので、キャラクターデザインは変化する。
たとえばちひゃーの72が女の子のキャラクターとして成立するのは、そして、まこまこりんの真前が男前にならずにすんでいるのは、3Dを使ったぬるぬる動く、三次元的な動きの中で連続的に破綻のない映像だからであって、あれをアニメでやろうとすると、誇張がなければ無理である。
たとえば閣下が体を捻って、頭のリボンを指さす動作があるが、あれを従来のアニメでやろうとすると自然にするには相当の技術が必要である。あれは三次元的に成立しているからこそできることであって、あれを絵として描くには、立体としての形状を維持せずに誇張するしかない。つまり物理的な正しさを使用するのではなく、記号的・感覚的な部分を優先する必要があるのだ。
というわけで何が言いたいかと言うと、ゼノグラシアの中で、原作に比較的忠実な人々のキャラクターデザインは結構よくできていたと思うがいかがか。律子さんとか、おでこサンシャインとか。亜美真美とか。まぁ「お前誰!?」「特殊メイク乙」としか言いようのない人もいるが……。
まぁこれは実際の所、時期が悪かったとしか言いようがないけれど……。アニメの企画にはそれなりに金の動くプロジェクトであることもあって、年単位で時間がかかることも珍しくないそうで、そう考えるとゼノグラシアはアイドルマスターの総合的メディアミックス戦略の総称である「Project IM@S」が始まる前に企画がスタートして、動いていたことになる。その証拠にアーケード版のキャラクターしか出てこない。当然みきもでてないし、今だったらなぜさんのポジションは(少なくとも名前だけは)小鳥さんであっただろうと思う。
と言うことは、正直原作のアイドルマスターがここまでの規模のヒットになるとは全く予想外だったのではないか。始まった時点では所詮はアーケードの一部のマニアのゲームであるし、XBOX360などというメインストリームではない機種に移植であるわけだし。と言うか一体だれが予想するよ、CGM的な効果で、ネットのヘビーユーザー層やライターなどのアクティブでディープな人を中心にハートを掴み、コミュニティから口コミで人気が広がるなんて事。初音ミクだってまだ地上に現れてなかった時代だぜ。これを真の意味でピンポイントに「アイドルマスター」というコンテンツで発生するという事を予測できた奴は、そうはいないと思う。いたら出てきてくれ。とりあえず一緒に商売でもしよう。
ともかく、もしこれが今みたいに少なからずアイドルマスターというコンテンツが、非常に恵まれた環境で発達すると言うことが予想できていれば、もう少し違った戦略になるだろうと思う。というか、そうであったならば、ここまで原作と異なる事にしなかったのではないのか?そして、アイドルマスターというコンテンツからどれだけのポテンシャルが引き出すことができるか、少なくとも一番最初に目を向けさせるエネルギーとして十分かどうか、それがわからなかったので、そちらに変に依存することなく提携を切って、「原案」という中途半端な形で残してアニメだけで自立できるように改変をしたのだと思う。つまり「アイドルマスターのブームはアニメが引っ張る」つもりであったのだろうと。
たとえば今なら、アイドラ(XBOX360 アイドルマスター Live For Youで配信中のダウンロードコンテンツ)で撮影風景と称すドラマを裏を流すとか、そういう連携だってできたはずである。もし今やるのならば、提携すればよいだろう。
つまり早すぎたのである。この点で、戦略的には今の時期が一番適していると言える。
もしアレだったら961の面々に敵キャラを持っていってもおもしろいだろうし。
で、これだけうだうだ書きつづって一体何が言いたいかというと、アニマスもアイマスも両方すばらしい、と言うことである。それぞえ独立したコンテンツとしても十分成立するだけのポテンシャルをもっている。というか、アニメの方はむしろ、アイドルマスターがここまで大きくなると言うことを予測していなかった分、自立できるようにああなったと言うことも考えられるわけだがともかく。
でも、もはやゼノグラシアはアイドルマスターのファンの中では語られない存在になってしまった。では、こんな事を言っては無駄なのか?否。それは違う。
アイドルマスターはナムコではなく、バンダイナムコの製作であると言うことである。そしてバンナムと言えば、そう、スーパーロボット大戦である!
今こそ、スーパーロボット大戦でアイドルマスターゼノグラシアをやり直すべきだ!アイマスオールスターズがついにスーパーロボット大戦に出演!それでよいではないか!別にスパロボではなくてもいい。それと同じくアニメでなくてもいいので、ゼノグラシアをロボットゲームで作り直すと言う手もあるのだ。
そしてうまくいったらアニメの方の人気も再上昇で、ゲームも新しい方向性が誕生し(たとえば任天堂のキャラクター的に象徴的キャラクター化して様々なゲームに出演するとか)三つの解釈を融合させた劇場版とか……(以下妄想が続くため省略
どうだろうか。
後は、ゼノグラシア並にリソースを使い(特に音楽には、せっかくアイドルマスターの周辺には新進気鋭のアキバ系音楽を多数手がける音楽ディレクターが集まっているのだからこだわって)やれば、結構いい結果になるのではないか。
なお、最後になったが、アイドルマスター Live for Youに付属したアニメDVDをアニオタ視点で見てみると、あれは明らかにゼノグラシアの失敗をみて逃げてる。てか1回ぽっきりで音楽なんかは既成のものを使わざるを得ないにしたって、キャラクターデザインもっとちゃんと仕事しろ。さらに言えば中途半端なサービスショットなど不要だしつまらんと思う。さらにストーリーはそこらの愛のあるSSを採用した方がいいんじゃないかという、おそらく作品の質に関する要求以外の要素(予算とか)で制限があるような内容になっている。てか、Live For YouのDVD付をわざわざ買うような層はもっと高くても買ったと思うのでもう少し金をかけろよとも思う。
あれの見所は動くアニメ絵に映像にオリジナルキャストが声を当てていると言うその一点しかない。(と言いつつそれだけで十分に価値はあるが……今回はアニメが主題なので辛口評価は勘弁して欲しい)
なお、「うわぁ……」「キモオタ氏ね」「キモオタはキモオタの国へ帰れ」「病院へ逝け」と言った苦情については十分承知しているので勘弁してください(土下座)
誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを作ってくれないかしら。と大切なことなので二度言いました。
http://blog.livedoor.jp/ustan777/archives/51483868.html
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0903/05/news084.html
可能性として
などなど。
少なくとも数字としてその影響が見て取れる以上、それなりの態度を持ってとらえなければならないでしょう。
この動きが今後も続くのであれば、旧メディアを多く利用していた作り手がネットに下ってくることも考えられる。
彼らのマーケティング手法のうちいくつかはネットでも通用するだろうし
旧メディアで利用してた手法をネット向けにカスタマイズしてお金のにおいを徹底的に脱臭した場合
今現在ネットで活躍している作り手が駆逐される可能性も十分ある。
もしかしたら上に掲げた記事で実際にお金を手にしたのはネットに下野してきた旧メディアの作り手かもしれない。
どっちみち消費者が進んで買っている以上それはいいことには違いないのだろうけど
「賢い消費者」は旧メディアに惑わされずに自分で考えて選択するものだ
なんていう風潮を時折目にする昨今のネットで、これを手放しで喜んで良いものかどうか迷うところではある。
「情弱」は利用しているメディアの属性に拠って区別されるものではなく
メディアで飯が食えなくても他の仕事をすればいいだけ。映画やテレビを作る労働力をより経済的な価値のある財の生産に当てる方が余程幸せになれるはずだ。その意味ではオールドメディアのハッタリだってCGMコンテンツと同様に経済的に不要だと言い切るものである。
仮にネットで無料で閲覧できるコンテンツがクールで、テレビや映画など伝統的なメディアに乗るコンテンツは古臭いものだという認識が一般的になったとする。その瞬間旧来のメディアが持っていた市場の何パーセントかは文字通り消失することになる。本来あるはずだった広告費や雇用などは安価で単位時間当たりに流通する貨幣が圧倒的に少ないCGM市場に飲み込まれ、失われる。コンテンツの受け手作り手両方がCGMに費やした時間という名の生産性も含め、もう二度と戻らない。
オールドメディアは広告を利用して印象を操作し、たいして優れているわけでもないコンテンツを高値で売りつけていたのだ。ユーザが生産するコンテンツだってそれに大きく劣るわけではない。などと言う向きもあるかもしれない。それは確かに真実だが、泡がはじけて最終的に困るのはわれわれだ。今の社会はそれなりの資金が継続的に流通することを前提にして成立している。
参加者のほとんどが「必ずしも生存に必要でない財」を生産する社会が100年後にも変わらず存在している可能性はかなり低い。生存を秤にかけるような覚悟でCGMコンテンツを作っている訳でもないのだろうし、取るに足らない自尊心を満たすために希少な衆目を得ようと苦心するくらいなら、その時間をより経済的な価値のある財の生産に当てる方が余程幸せになれるはずだ。その意味ではオールドメディアのハッタリだってCGMコンテンツより幾分マシだと言い切るものである。
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ほとんど働かなくても十分なほどの資源が手に入る社会ならば、有り余った時間をつぶすためのお遊びを考える余裕もあるかもしれない。昔は暴力で奴隷を手に入れることでそういう状況を作り出すこともできた訳だが、今となっては望むべくもない。ロボット産業の発展に望みを託すのみである。
超極私的なアイドルみたいになってて面白い。
JCやJKとセックスしたいという願望と、JCとJKのチヤホヤされたい承認欲求が渾然一体となっていて、まるで小さなはてな村のようだ。
ちゃんと踊り手はブログやネトラジなんかやってて、固定ファンみたいのがいるのね。おじさん知らなかったよ。
はてな村って言うのが違うのならば、はてな丁というのが正しいのか? オナペットCGMみたいな。アタシ踊ってみた、みたいな。
ブログ読んでて、「今日は男女混合でカラオケ行った」とか書かれていると、身悶えしそうな嫉妬に苛まれてしまう。バカみたいというかキモい反応なんだけど。
判で押したように、オーバーニーソックス履いているのもなんか面白い。なんで?
しかし踊ってみたの画面を見続けている内に、そこに、JCやJKに対する確かな羨望と欲望が自分自身の内に生まれる事も確かだ。20代のこの俺の胸の内に。
これは不思議な感覚だ。自分自身が少女のように羨望されたい、少女自体になりたいと言う欲望と、少女自体を手に入れたい、という願望。ふたなりものの同人誌なんかは、そいう願望に即したものなのかもしれない。別にあれで抜けるわけではないのだけど。
歳を取って、割と素直に欲望を表現できるようになったので、今の精神状態で中学生とかに戻れたらなあ。絶対クラスの地味で可愛い女の子とセックスする為にあらゆる手段を使うはずだ。全国の男子中学生が羨ましいよ。俺が今、若い人にアドヴァイスするならば「クラスの女の子とセックスする為に全力を尽くしなさい」だろう。こんな大人嫌だろうけど。それが正直な感想。純愛とかは大人になっても楽しめますから。なんか喪男的な事言ってるような気がしてきた……
しかしこの、若さを礼讃するような日本人男性の心理状況ってどうにかならないもんだろうか、と我がごとながら思ったりもする。
■追記
一部ブクマ指摘を受けて題名を変更しました。
書き手としては特に何かを貶める意図もありませんし、価値判断を行うものでもないですし、道徳的・倫理的に是非を問うているわけでもないです。特に、ニコニコ「踊ってみた」を本当に心の底から「踊り」として提供し、それを享受し、一緒になって楽しんでいる人を貶める意図はありません。
単に、現象として、ニコニコの若年女性の「踊ってみた」界隈において、承認欲求と性欲が循環してプチアイドルコミュニティ化(オナペットCGM化、はてな化)してるように見えるってのと、意外とそういうのに乗って楽しんでしまう(若さを羨望してしまう)自分がいて意外だ、程度の四方山話です。
ノンリニア編集(ノンリニアへんしゅう、Non-linear editing)はコンピュータを使用した非直線的(ノンリニア)な映像編集方式のこと。2台以上のデッキを使いテープからテープへ映像をコピーするリニア編集に比べ、編集箇所を自由に選択でき、映像データを即座に追加・削除・修正・並べ替えることができる利点がある。1990年代に登場し、PCと共に急速に普及した。
編集システムとしてはAvid、Adobe Premiere、Corel Ulead VideoStudio、Final Cut Pro、flame、Kino、Canopus CWSシリーズ、Canopus HDWSシリーズなどが代表的である。
PS3のCPUであるCell B.E.は浮動小数点演算処理能力が飛び抜けており、動画エンコード/デコード能力は現在市販されているハイエンドCPUよりも十分に高い。
仮に年月が経過して一般的なPCの性能が向上し、相対的にPS3の処理能力が陳腐化したとしてもコストパフォーマンスの面で断然有利。PS3本体とソフトの価格の合計5万円弱で、同等の環境をPCで揃えるのは至難。時間が経てば本体価格も下がっていくだろうし。
全てのパッケージにHDDが標準搭載で、今月からは80GBが標準になり、しかもその気になればさらに大容量の市販のHDDに換装可能。よって素材となるファイルのストレージとしては容量面も拡張性も十分。また「PLAYSTATION Eye」といったUSBカメラで直接の素材取り込み手段もある。
一般的なMPEG1、2のみならずh.264やDivXも再生に対応しているので、出力形式の対応も敷居は低いのでは。
PS3用ソフト「まいにちいっしょ」には、ゲーム内を録画してYouTubeにアップロードする機能があり、他のメーカーに提供されている開発環境にもこの機能は含まれていると聞く。よって制作した動画や音声をシームレスにYouTubeにアップロードする事も可能なのでは。
制作した動画をフレンドに送ったり、制作者のhomeでフレンドを呼んで上映するといった機能も実現可能なはず。もしくは、ソフトそのものにストリーミングサーバの機能を付加するというのもアリかも。
当然ながら可能だろう。
大容量ストレージと高性能CPUが必須のソフトなのでWiiにはまず不可能だろう。可能性があるとすればXbox360だが、(3)は専用HDDしか選択肢がなく価格も高価。(5)は今のところ実績は無く、PS3に十分なアドバンテージが見込める。
YouTubeやニコニコ動画など、ユーザが作成する動画コンテンツ(CGMとか言うんだっけ)の隆盛は今後も続くと思われるので、その分野で一定の地位を確立するのも将来的にも有益ではないかと思うが、いかがだろうか。
ブログ、twitter、身内などへの告知はやったのですが、それで人が来なかったってのは確かに単純にダメサイトだったのだろうなとも思っています。
また新しいサイトで挑戦するしかないですね。次はもっと作り込まずに公開して、増田にも書きたいと思います。
ただ正直ちょっと悩んでいるのは初期データのこと。
CGMサイトの場合、素直に作ると最初は全くデータがない状態です。そんな状態で宣伝しても投稿する気にはならないだろうし、プレスリリースも打てない気もします。(プレスリリースに掲載されているサイトの中身がからっぽって……)
ある程度は自分(+身内)で公開前にデータを入れておくべきなのだろうけど、自分で作れない領域のデータの場合はどうしたものか。例えば、絵を描けない人がpixivを作りたくなったらどうするのかとか。
ちょっときついこというと、単純に需要が無かった。もしくは実装が駄目だった。ってだけだと思う。
こういうのって作ってる本人は特別に思えちゃうものなので。
今CGM系でつかってもらうサイト作るのは本当に難しいと思う。
特に狙ってヒットをつくるのはすごく難しい。
逆にユーザー側に居た人がひょっこり作ったようなサービスが大ヒットしたりする。(pixivとか)
まあ、mixiとか2chみたいな汎用性のあるサービスで結局用が足りちゃうってことが多いからね。
たとえば、一行で書けるコンセプトを聞いた瞬間「この発想はすごい」と思えるぐらいじゃないと難しい。
「悪くないな」程度では、それこそ登録ユーザー数人とか。
実装のコツを言うと、とにかく機能を絞り込んで、デザインも作りこまない。
コンセプトが最大限生きるようにする。そして、ユーザーが自分たちの色で染められそうと思わせることが大事。
まあ、アドワーズとか、自分のmixiやブログ持ってればそこで告知するだけで十分じゃないかな。
本当に需要あれば話題になら無いなんてことありえないから。
金ばら撒いてとりえず登録ユーザー増やしても意味ないのはご存知の通り。
まあ、100個作って1つでもヒットすれば大成功ぐらいな確率だと思うので、次がんばりましょう。
ちょっと昔話を書きちらかせてほしい。
作っているときは楽しかった。作ろうとしていたサイトに似た他サイトは探した限り見つからなかったし、需要も絶対あるはずだと思った。集まったユーザが楽しそうにしているところを想像するのは、とても楽しかった。
休みの日しか作業できなかったのもあって、何だかんだで制作には3ヶ月くらいかかった。
作成も一段落したある日、サイトをついに公開することにした。まだまだ作りたい機能はあったが早く公開したかったし、新たな機能を考えるためにも実データもほしかった。
そしてサイトを公開した。
どうなったか。
誰ひとりとして来なかった。
百度のスパイダーだけはすぐに来た。Googlebot はもうしばらくしてから来た。
これまでに来てくれたユーザ数はたったの3だ。
失敗は明らかだ。サイトの機能を考えるあまり、どうやって人を集めようか全く考えていなかった。ただ、正直なところ何ができたのかはよくわからない。
いつの日か、多くのユーザを集めることができるようなサイトを作れる日がくるのだろうか。
そのためにはまた新たな挑戦をしなければいけないのだが、正直なところあまり元気がない。
今更ながら使ってみたけどこれすげーわ
テンプレート弄れば何でもできる
jsだってヘッダに直接埋め込める
プラグイン?いらんいらんwそんなまどろっこしいことしないで直接テンプレートに書くわwみたいな
画像は1Gだし
転送量とかけち臭いことも言わないだろうし
太っ腹すぎるよ
画像の管理も分かりやすい
同じ名前があれば上書き
シンプルだからパワフル
スキルがある奴は自分でツール作ってインフラとして利用させてもらえる
まあ、fc2まではいかなくても最低限タグを100%使えないブログはツールとしてはまったく使えない
記事にタグつかえないとか。ありえないっしょ、自分のブログなのにタグ使えないとか。wikipediaじゃねーつの
ようするに、公開ページと管理ページが一緒になってるようなブログは駄目
素人さんには便利だろうけど
なんつーか、馬力が全く違う感じ
これぞブログ
他のすべてのブログがしょぼしょぼに感じられる
まあ、2chとかもそうだけど、結局CGM系のサービスって最後は運営者の器の勝負なんだよな
りすくへっじっすかwリスクテイクしろよそんくらいw
まあ、しょっぺーやつらは、しょっペーブログサービスでしょっぺー馴れ合い日記
書いて小さな世界で満足してなさいってこった。
http://anond.hatelabo.jp/20080901234049
>こういう、多勢を占めて目立ってきた考え方に対して、
ちょうど、この点も疑問に思ってたのだけど、
「マスコミ不要」と思っている人が、ネット上では本当に多数派のかな?
・既存のマスゴミふざけるな。もうしね
というのは、たしかにネットのあちこちで良く目にする意見だし、多くの人が思っていると思う。
そこから更に踏み込むと、
1.マスコミ自体がもう不要だろ
→ CGMのような仕組みで完全に代替可能じゃね?
2.既存のマスコミには歴史上から退場してもらうとして その代わりにまともなマスコミが必要だろ
→ 一次ソースを一般人の自主的な情報発信だけに頼るのは無理があんじゃね?
3.よく分かんね
→ マスコミがなくなると困るのかな。分からんわ。
の3通りの態度が一般的かな。
その中で、1のような考え方。
つまり「マスコミは完全に不要」って意見の人は本当に多いの?って疑問に思っている。
個人的には、多数派と言えるまで多くはないんじゃないかな、となんとなく思っているのだけど、実際のところはどうなんだろう?
調査結果なりがあれば教えてもらえると嬉しい。
予告.inって投稿するのにもユーザ認証もユーザ登録も何も要らなくて誰でも投稿出来るんだけど、
なんか一時期俺のWEBのURLが執拗に登録されて書いてもいない殺人予告が予告.inに投稿されていた。
んで、なんか凄い「悪質」ボタンが連打されてて、「通報済み!」とかになってんの。もう見てらんない。
さっそく、弁護士に相談をして、名誉毀損で訴えますよ、とメールをしたら
俺は会議中で出れなくて、弁護士も忙しかったんだけど、事務所の方にも
予告.inを確認したらスレッドが削除されててそれは良かったんだけど、
それで解ったんだけど、ああ、この人は自分が運営しているサイトが起こす問題を
仮定して、検証する作業もしてなかったんだなーとびっくりした。
CGM前提でこういう警察権力に影響が出るようなものをやる危険性って
凄く有ると思うんだけど
この人って、権威に弱いよね。
弁護士とか動くとすぐに消すって、ひろゆきなら絶対に消さないね。
自分にリスクがあったとしても。
二次創作が嫌いなオタなんだけどさ
クオリティ高い分には文句はないんだ。
でもね、原作の空気を再現できてる作品が、いかに少ないことか。
ほとんど気持ち悪いオナニーだ。
東方とかはまだ理解できるんだ。
あれ、あんまり世界観作らず投げっぱなしだから。
初期のころがどうか知らないが、最初からユーザーを雰囲気の作り手として巻き込んでる。
CGMの一つの成功例だと思う。
プロの作品には「隙」が少ない。
想像の余地を残さず、媒体が許す限りクリエイターの世界を再現しようとする。
で、その作品を気に入るってことは、そのクリエイターの世界を気に入るってことだと思うんだよ。
そういう作品で二次創作と称してキャピキャピ騒がれるのは、とても迷惑だ。
勝手に付加情報を加えて、都合のいい妄想で世界観をブチ壊して。
できるだけ見えないところでやってくれ。
そういうこと。
裁判リテラシー講座を書いてる者ですが、ちょっと気になるニュースが飛び込んできたので言及。
http://blog.piapro.jp/2008/01/post-15.html
これによると、ニコニコ動画に、初音ミクに猥歌を歌わせていたものをうpしていたら、初音ミクの制作者サイドが削除を申し入れた、ということらしいです。
しかもうp主はデッドボールP氏。個人的にお気に入りな同人音楽家さんの別名義じゃないですか(あんまり知られてないみたいですが)。
あれこれ言説が飛び交っていますが、「ニコニコ、ひいてはCGMの萌芽をつむことになる」といった論調のものが多いように思われます。
ですが、あまり法律論からのアプローチがなかったので検討してみたいと思います。
Fランクの法学部生が試験期間中に現実逃避しながらろくに推敲せず書いてる駄文なので、おかしい点があったらどしどし指摘してください><
さらば明日の民事訴訟法。
クリプトン社は、「VOCALOIDライブラリ使用許諾契約書」で禁止されている
「公序良俗に反する歌詞を含む合成音声」の「公開」をしていたので、これを削除したと主張しています。
そもそも、この「VOCALOIDライブラリ使用許諾契約」(以下、本件契約という)ってどうなんでしょうか。
これってみなさんもご存じの表現の自由を犯していませんか?
憲法の保障する「表現の自由」を前提とすれば、公序良俗に反しようがなんだろうが、
何を作ってどう公開しようと自由なはずです。
ここで問題となるのが、憲法は国による国民に対する人権侵害を予防するためのものなので、
クリプトン社と一般人のような、私人の間で憲法に由来する原理を根拠にどうこうできるかということです。
これについては、誰がしても人権侵害は人権侵害だし、大会社なら国に比肩すべき権力を有しますから、認めるべきです。
しかしながら、なんでもかんでも憲法が出てくるのでは、規則にがんじがらめになり、私人は自由な経済活動が出来なくなります。
このような考えを私的自治といいますが、これにも配慮する必要があります。
したがって、ある法律行為、ここでは本件契約ですが、が憲法に違反するかどうかを論ずるには、
憲法の精神を、法律行為を律する法律に読み込むという解釈がされるべきです。
これを間接適用説といい、最高裁の取るところとなっています。
難しい話になってしまったので、簡単な例をあげましょう。
S役の人とM役の人との間で、「MはSに隷属します」という契約が結ばれたとする。
この場合、憲法では奴隷的拘束は禁じられている(18条)ので、このような酷い契約には憲法を適用すべきだ。
うるせーよ、俺たちの合意づくのSM関係に、他人や憲法が口を出すな(私的自治)。
どちらも一理あるので、両者のバランスを取って、法律に憲法の精神を読み込もうというわけです。
本件では、この契約が有効かどうかは、契約の有効性を律する民法90条の解釈に委ねられることになります。
つまり民法90条のいう「公序良俗に反する」かどうかを判断するのに、憲法の精神を読み込めばいいわけです。
では、本件契約が憲法に違反して民法90条の「公序良俗に反する」かどうかについて簡単に考えてみましょう。
確かに、表現の自由は、表現を通じて人格を成長させる点、それから、憲法自体を支える民主制の根底をなすという点からすると、
非常に価値の高いものです。
しかし、外部行為を伴うものなので他者の人権との衝突は避けられず、「公共の福祉」に、厳格に判断されますが、服することになります。
(たとえばわいせつ文書)。
また本件では、私人対国家ではなく、私人同士ですので私的自治が働き、その保障もいくぶん弱体化すると考えます。
たとえば、一般的に表現を禁止するという文言では、弱体化するとはいえ、憲法違反の問題になると思います。
しかしここではクリプトン社の製品を買うのに、その製品をエロなどに悪用しないで、というものだというのです。
これは、ボーカロイドのブランドイメージの低下を防止するため、
また、表現の持つ影響力の大きさから社会への悪影響を防止するためという目的です。
特に、ボーカロイドは新しい技術であり、キャラなのかツールなのかわかりにくく、議論も詰まっていません。
そんな中でエロ禁止という手段を講ずるのは、企業の取る戦略として十分に合理性があると思われます。
ボーカロイドの技術を持っているのがクリプトン社だけという点も見過ごせません。
そうだとすれば、本件契約は90条の「公序良俗に反する」とはとうてい言えないと思われます。
以上より、本件契約は有効であるといえます。
よって、当事者は合意して本件契約を結んでいる以上、クリプトン社の措置には道義的な問題はさておき、なんらの法的問題点は存しません。
また、どこかに話題に上っていた、
一方で公序良俗違反の表現を禁止し、他方で訴訟などの責任は負わないという免責規定については、
法律上、ふつうに私的自治の範囲内なので特に問題ありません。
これが賃貸借とか瑕疵担保責任とかだと、圧倒的に有利になってしまうので問題になるんですが、
この場合、訴訟になったら歌を作った奴こそが悪いですから、問題になりようがありません。
常識的に考えて、エロ歌作っておいて「こんなボーカロイドがあるから悪いんだ」なんていう弁解は通りませんよね。
この免責規定はそれを明文化したまででしょう。
こう見てくると、この問題で見捨てられている視点が、クリプトン社の利益という視点です。
クリプトン社は、今までも初音ミクに関係して何度か制限を掛けてきました。そういった意味では制限する側です。
表現を制限する奴は悪い奴と思うのは当然かも知れません。
ですが、新たな表現の手段を生み出すクリプトン社もある意味で、表現者といえるのではないでしょうか。
そうするとクリプトン社の立場も、表現する人同様に尊重されるべきではないでしょうか。
そうでないと、先進的な技術を持つ他の会社を萎縮させかねませんしね。
本人のコメントやサイトを見るとひたすら平謝りしているようだし、
そもそも他人がとやかく言うことではないかも知れませんね。
彼は同人活動をやっているので、公式サイドからの圧力には慣れっこだと思います。
なのでこれくらいのことでは彼はへこたれないと思います。今後ともがんばって欲しいです。
規模の増大はすなわちコンテンツの管理コストの増大を意味するつもりで書きました。
コンテンツ管理コストとは、運営スタッフが不適切なコンテンツを監視し、最終的な処分を行うためのコストです。
これは主に人件費に該当します。
Wikipediaの場合、かねてより資金繰りの悪さが噂になっているため、
現在の規模に見合った管理コストを捻出するのは困難であると私は推測します。
ここでの主張は、CGMにおけるコンテンツ規模の増大は、それを管理するための人員コストの増大を示し、
それに見合った利益が出せなければ自ずと信頼性が低下するというものです。
たしかに単純な規模の増大は、運営スタッフの増強も含まれるので、場合によっては信頼性が高くなる方向に動くことも十分にあり得ると思います。
ふむ。
影響力と信頼性の平衡点が存在するとしよう。
すると、CGMの規模によってこの平衡点の位置が変わってくる気がする。
規模が大きいほど信頼性の高い方へと平衡点は移るのではないかなぁ。
分からんけど。
個人的には現状、Wikipediaはそれなりに実用的な信頼性を有すると思う。