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2010-02-06

ゆうちょ銀の預金米国債購入へ、時限爆弾に火がついた。

ttp://www.tomabechi.jp/archives/50985467.html

今日のトップニュースはもちろん、小沢幹事長起訴ニュースだが、合わせてまるで取引するかのように流れた「ゆうちょ銀行の180兆円の資金運用米国債でする」という亀井静香金融・郵政改革相の発言は、要ウォッチ対象だ。『洗脳支配』でも書いたが、ゆうちょ銀行預金資金で米国債を買うというのは、小泉政権時代に行われた郵政民営化の最大の目的であったが、これが実現するとなると、郵政民営化関連法案をどう見直そうと、小泉ブッシュ時代の郵政民営化に仕掛けられた時限爆弾郵貯預金米国行き」が確定することになる。

田中角栄時代から米国中枢部に目をつけられていた小沢幹事長の不起訴が、検察があれだけ動きながらも唐突に確定したことと、同時に郵貯資金の米国行きが決まったことは、関係ないと思えと言われても難しい。というより、元々どう考えても立件不能な案件小沢幹事長民主党を大メディアを総動員して追い詰めてきたこと自体が、これを狙っていたとしか私には見えない。亀井大臣にしても本心で言いたくて言っていることではないだろう。

ゆうちょ銀の資金が米国債で運営されるということは、郵便貯金することが、米国政府税金を払っていると同等なことであることは、丁度二年前の2月に書いた「洗脳支配で解説している」。というか、私の二年前の予想通りになった。時限爆弾の導火線に火がついた。

2010-02-05

切込隊長の凄まじい経歴

508 :名無しさんお金いっぱい。:2010/02/04(木) 22:27:12 ID:UmutD1lF0

お前ら切込隊長の凄まじい経歴にひれ伏せよ。

2001年9月に謎のハッカー911の混乱に乗じて流出させた山本一郎プロフィールだ。切込本人もガチ情報だと認めている。

なんでもシカゴ大学ベンチャーキャピタルが作ったプロフで、当時はラムズフェルド国務長官危険人物として切込をマークしてたんだとか


山本 一郎(英登記名 Ralph Yamamoto,NL) 最終更新日2001年 02月 04日

生年月日:****年 **月 **日

国籍・本籍地:東京都中央区八重洲日本

職業投資業、投資顧問業、技術評価コンサルタント

種別:A-03 業種コード:3303-2B

学歴慶応義塾高校,慶應義塾大学法学部政治学科(1996)

留学その他:シカゴ大学(1994:米),モナーシュ大学(1995:豪),モスク大学(1993:ソ)

株式公開企業等事業者役員経験:無

資産種別:同族(1),個人営利(3),その他(9)

扶養家族:無

主要取り扱い銀行:***銀行(スイス),**銀行(蘭),****銀行(アイルランド)

職歴等:関連データ参照

経歴特記事項(略記):

筑前竹中家庶流。赤穂藩淡路山本分家。祖父**、四男父**。

始祖父代に武家売役、回船問屋泉屋、蔵問屋泉屋を名乗る。以後、中央区八重洲界隈の地主として現在に至る。

父**は*士*学*業(同族企業)を経営する他、三菱の流れを汲む四社代表取締役を勤める。(1990)

母仲山**。昭和**年度準ミス日本(1990)

国際電気入社。人事部配属(1996)

父**、不動産管理業の失敗が理由で全ての保証人山本*郎に移す。

主な債権者は日*興*銀行、*谷*用*庫(1996)

金利等減免措置適用さる(1996)

同年退社(1996)

起業経験あり(1996)

企業調査では特に秀でた実績を有す(1997)

******・****・***証券(英)傘下****・****社

にて金融商品設計担当取締役就任(1999)

慶応義塾大学時代、中道右派学生自治会委員長を務めていたこと が判明(1999)

米国株売却益により*士*学*業等同族企業債務の過半を返済(2000)

SECより高額納税者登録、重点監視者登録される。

この頃、在米資産の過半が処分される(2001)

IQ: 計測不能、190以上(シカゴ大学調べ)

性格: 生真面目、頑固、議論好き、完璧主義という証言が大半を占める。他に

女性嫌い、大酒飲み、狂人、吝嗇、冷静沈着、など

趣味: 野球鑑賞、ビデオゲーム射撃ギター演奏、学究

補記: 中学、高校時代は数学オタク、嘘つきなど風評芳しからざる学生だったという証言あり。

大学進学後は態度が改まり自治会文化団体連盟の委員長に選出されるなど、

人格成熟化に伴う成長が見られる。

この頃、代議士熊谷弘、大平正芳橋本龍太郎らの子息と親交を結ぶ。

ファンタジー研究会に所属。この頃、偽名でライトノベル出版シリーズ累計400万部を超えるベストセラーになる。

大学時代射撃部、体育会本部を経て自治会委員長に推薦され、主に体制側として手腕を振るう。(1995)

******・****・***証券(英)傘下****・****社においては、

数学に秀で、緻密な仕事ぶりを勤務において評価され、

デリバティブモジュールの作成において顕著な実績を挙げる。

取引先に言い寄られ、ストーカー容疑で二件の被害届を提出している(1999)

司法資格失効(1999)

オラクルDELL投資により30億の利益を獲得(個人資産) (1999)

金融監督デリバティブ査察チームのアドバイス業務を行っていた形跡あり(1999)

この頃、同僚が自殺(2000)

2010-02-01

吐き出すところも泣きつくところもないからここに書いてみる。

子2歳。

腹の子6ヶ月。

パートタイムで働いてる間は子は私の実母が看てる。

もちろん毎月実母に保育料を渡してる。

実母が転んで腰を打ったと電話をしてきた。

痛い痛いというのだが、病院に行って効く湿布をもらえと言っても

話を聞こうとはしない。

明日は仕事が入ってる。

売れない2月だからテコ入れ企画を盛り沢山にしてる。やることが本当に山にある。

休めない。けれど痛い痛いという実母に無理に子を看させるワケにはいかない。

最近こんなことが増えてきた。どうすれば良いのか分からない。

腹の子に栄養をとられて自分が適正な判断を出来なくなってきているのか?

不安になる。

2人目なんて孕むのではなかったと後悔することもだんだん増えている。

旦那は年度末で忙しい。

誰にも泣き言を言えない。

保育所にあずければこんなことで悩まなくて済むのか?

そもそも今から2歳児を預かってくれるのかどうか。

誰に聞けば良いのかすら分からない。

誰か、助けてください。

東大入試二次試験戦略英語

おはようございます。

もう2月ですね。

大学入試(二次試験)の季節です。

今日東京大学の二次試験、それも英語という、

きわめて特殊な形式を持ったテストに立ち向かう上で、

僕が個人的に獲得していった「戦略」についてお話しできればと思います。

 もちろん、東大英語に臨むうえでは、

基礎的な英語の実力が重要なのは言うまでもありません。

ただ、試験の形式に最適化された解法・戦略を選択すれば、

平凡な日本語ネイティブの僕たちでも、

戦略のない帰国子女よりも良い点数を取れることでしょう。

 なお今回の話はあくまで、僕個人の経験から導出されたものですし、

テストの形式も僕が合格した2008年準拠です。

ですからこれから東大受験されるかたには限定的にしか役に立たないでしょうし、参考程度に聞いて下さい。

また、話していく中で、僕が他の先達たちから聞いた話をそのまま織り交ぜていくことが予想されます。

おそらくこういった話はすでに多くの方がされた類のものでしょう。

ただ僕は田夫野人にして『ドラゴン桜』すら未読なので、

僕自身のオリジナリティがあるのかどうかすらわかりません。

もし著作権等の問題に抵触する場合は、明示していただければ対処します。

 さて、それでは本題に入っていきましょう。

東大英語という特殊な形式の問題を前にして、

第一に考えなければならないことは何でしょうか?

それは、各大問の性質を明らかにし、それにあった戦略を考え、

「解く順番」を明確にすることです。

 東大英語の各大問は、それぞれユニークです。

和文要約と長文を含む第一問、英作文の第二問、リスニング第三問、英文和訳と文法問題の第四問、長文読解第五問(もちろん、年によって変動があります)。

それぞれの大問は、独自の設計思想に基づいて作られており、

これらを最初に分析した上で学習の指針をたてるのがベストでしょう。

たとえば、それは「単語戦略にも現れてきます。

私見では、東大英語で求められる英単語・熟語知識は3つに分けられます。

すなわち、「長文でつかうもの」「和訳でつかうもの」「英作文でつかうもの」の3つです。

これについてもおいおい説明していければと思いますが、

とにかく、5大問の分析と戦略策定が何よりも重要だと言っても過言ではありません。

 また、その結果得られる「解く順番」も重要です。

東大英語は、かなりの作業量を強いてきます。

ですから、各工程を適切な順番で適切な戦略の元に片付けていかなければ、

最後まで解ききることすら出来ません。

その意味で、東大英語は「ドラクエをいかに短時間・低経験値で全攻略するか(タイムアタック)」という「しばり」プレイにも似ています。

ここでは、僕のおすすめの「解く順番」を一つ挙げてみましょう。

 それは、「後ろから解いていく」です。

つまりおおざっぱに言って、第五問(長文読解)→第四問(英文読解和訳→文法)→第三問(リスニング)→第二問(英作文)→第一問(長文→要約)のプランです。

「解く順番」を考える上で一番のボトルネックは、

やはり試験時間のまんなかに鎮座ましましている30分のリスニングでしょう。

ですからこれを中央にして、前半に読解系を、後半に作文系を入れてみました。

 このプランにした理由や各大問の設計思想などもからめながら、もう少し細かく見てみましょう。

 最初は、第五問……ではなく、リスニングの問題文の下読みから。これは当然ですね。

リスニングを解くのは真ん中ですが、第五問第四問がどう転ぶかはまだわからないので、

あとで下読みする時間が無くならないように、最初に読んでおきます。

そして読解系の第五問・第四問(の和訳)。

これらの1.5大問が問うているのは、「精読・読解できるか否か」でしょう。

それにしても、なぜこの二つを最初に置くのか。

それは、「ある程度時間と集中をかければリターンが大きい出題形式」だからです。

長文を精読して答えを詰めるのも、英文と格闘して解釈をひねり出すのも、

一定の時間と集中が要求されるタスクです。

だからこういった粒の大きな作業は、余裕のある最初に入れておきたい。

2ちゃんねるコピペで、「小さな砂をビンに最初に入れてしまうと、あとからでは大きな石は入らない(だから最初に石を入れよ)」というのがありますね。

それと同じです。

 読解系を集中して解き終り点数を積んだら、リスニングに入る前に、

第四問(の文法)と、第二問(英作文)のメモ作りに参りましょう。

英作文、リスニング、文法の2.5大問が問うているのは「ロジカルな文脈復元力」ですが、

文法も、英作文のメモ作りも、「石」というよりは「砂」です。

リスニングの開始まではもう余裕がありません(もちろんリスニング中も)。

ですからここは「砂」を入れて、無駄なく(そしてリスニングへの弊害なく)進めていきましょう。

(ちなみに、「英作文はいきなり英文を書き出すのではなく、一度日本語メモを作る」というのは常識ですよね?)

この文法とメモ作りを、余裕があればリスニング中の小休止にも行った方が良いですね。「リスニング中」!? そうです。

そんなことしたらリスニングがまともに聞き取れなくなるじゃないか! ……確かにそうです。

でも、そもそも東大英語リスニングって、「まともに聞き取れ」るものでしょうか、帰国子女ですらない僕らが?

個人的には、「帰国子女じゃあるまいし、リスニングはまともに聞き取れない(そしてまともに聞き取れなくても点は取れる)」という戦略お勧めしたいと思います。

聞き取るのは、断片だけで構いません。

ディスコース・マーカー」などのテクニックに限らず、基礎的な文法知識や「教養」など、すなわち「文脈復元力」があれば、

かろうじて得た断片から選択肢を絞るのはそう難しいことではありません(東大英語リスニングはPolitically Correctですから)。

 さて、こうしてリスニングを耐えしのいだあとは、文法問題を片付け英作文のメモ英訳しましょう。

そういえばさっき、単語・熟語には3分類ある、と言いました。

これは要するに、「今見ているこの単語が、いったい試験の何処でクリティカルに使われるものか常に意識して学習せよ」ということでもあります。

具体的には、たとえば英作文では、たとえ中学英語レベルでも、絶対にミスのないイディオム無難な英文を生産する必要があります。

他方長文では、つっかえずに読むためには、「なんとなく意味が分かって読み流せる」単語重要です。

和訳では、「微妙ニュアンスを原義にさかのぼって解釈する」ような単語も出てくるでしょう。

良い具体例が思いつきませんが、英作文のhave nothing to do with、長文でのsimultaneously、和訳でのdevelopなどですかね。

 はい、英作文が書き終わりました。え、細かいテクニックは、って? それは皆さんのほうが詳しいでしょう……。

第一問は、僕の記憶が正しければ英文の和文要約(1A)と、乱文整序や選択式問からなる長文(1B)の2本立てです。

どっちも時間と集中の要る読解系じゃないか、って?

いやいや、長文のほうは第五問に比べれば「パラグラフリーディング」で対応可能なものですし、

乱文整序なんかは特に、運の要素が読解系より格段に強いですよ。

大問1が問うているのは「ぱっと見で大意をつかむ作業効率」。

なので時間をかけるのが馬鹿馬鹿しい。要約もそうです。

もちろん読解はするのですが、そもそも要約とは、

極論すれば「キーセンテンスを運良く一文訳せれば点数の半分は来る」程度の運試しです。

大意さえつかんでしまえば、枝葉にまで潜っても、対時間コストパフォーマンスは悪い。

それよりは最後の5分で幹だけ掴み、荒削りで確実に効率よく得点したほうがクレバーですね。

 以上、「解く順番」をフックに、東大英語戦略についてしまりなく語ってきました。

大問毎の設計思想「精読・読解できるか否か」「ロジカルな文脈復元力」「ぱっと見で大意をつかむ作業効率」を見ても分かるとおり、

やはり、東大英語というのは「官僚スキル」を見るためのものなんですね。

大量の紙幅を右から左に流しつつ、個々の場面で求められるレベルアウトプットを行っていくという。

もちろん、基礎的な英語力や各大問ごとのテクニック(「リスニングではHoweverなどのディスコース・マーカーに注意しろ」とかの類)に関しては、

僕なんかより、受験生の皆さんや予備校先生のほうがよっぽど詳しいでしょう。

僕も枝葉末節については記憶が怪しいので、今回は「幹」や「石」の部分について覚えていることを語ってみました。

ひねくれているとは思いますし、多くの真面目な受験生にとってはむしろ混乱の素かもしれません。

(帰国子女ではないが現役で本試験(英語)約100点を獲得し文科一類合格した、という)「過去の栄光」がぎりぎり通用するうちに、

偉そうなことをはき出しておきたいという、僕のささやか実存を感じ取ってもらえれば幸いです。

細かい部分や他教科については、また要望が万が一あれば考えます。

2010-01-31

年寄りの戯言「昔は良かった」

年寄りの戯言には大まかに分けて二種類あります。「昔は良かった」ってのと、「最近の若者は」ってのです。大体こんな言説を振り撒く人に対して最近は「懐古厨」とかレッテルを貼り附けるのが流行りなのか。まあ其の辺はどうでもいいとして、此処では此の「昔は良かった」言説を、金利の面から検証してみる事にします。

日本経済戦後のどん底から途中オイルショック等を経験し乍も、平成3年バブル崩壊までは右肩上がりの景気だったのですが、其れ以降は、一気に低迷して行きます。日銀ゼロ金利政策とか、最近では米国サブプライムローン破綻等も相俟って景気上昇の糸口が掴めない状況です。はあ~。 で、日本バブル崩壊以降の金利の推移を郵便局の定額貯金の利率の変動を参考に編年体で書き記してみます。一往、3年据置での年利率です。全て手元の印字で確認済みです。

最初に平成8年9月には1.20%で辛うじて1%の大台を超えてたのですが、年末12月には既に0.80%になり、以降現在に至るまで1%の大台に達する事は叶って居りません。

次に平成9年2月3月5月と0.80%をキープ、6月に0.95%と少し持直すも、8月には0.70%に落込み、9月で0.65%、10月で0.50%、約1年で半分以下の利率に落ち込んでしまったのです。そして更に落込み、11月には0.45%になってしまったのです。

次に平成10年3月の変動が激しく、0.45%、0.40%、0.35%と段階的に落込み、4月には0.35%をキープするも、6月には0.30%に落ちた。更に10月には0.20%と落込み、11月も同様です。転落が止まりません。

次は平成11年。最初は少し持直します。1月は0.25%から0.35%に上昇し、2月は0.35%をキープ、だが併し、3月には0.20%に戻って以降当方の確認する限り暫く利率変動はありません。

平成12年は0.20%をキープです。此の時点で丁度10年前になりますから、今年満期になる定額貯金は殆ど0.20%の利率の筈です。平成22年1月現在の利率が0.11%ですから、現在から見れば10年前の利率はまだ増しな方です。

次に平成13年1月は0.20%をキープしてたのですが、7月には到頭0.1%を割込んで0.07%にまで低迷します。9月も0.07%をキープです。

平成14年は、3月の記録一件のみで0.07%、もうやる気も失せます。

平成15年は、4月8月10月12月と0.06%をキープします。記録的な史上最低金利です。もう既に物価の上昇率にすら追付いて居りませんな。此の当時の通常貯金の利率は確か0.02%だったかと記憶します。

最後に平成17年5月で0.06%、此処で手持ちの記録はストップ。此の時代の定額貯金を持ってる人はサッサと積み直した方が吉です。

まあ、此処まで定額貯金の利率を参考に金利の下降状況を見て来たのですが、何とも惨憺たる結果です。序でなんで、旧第一勧業銀行の三年もの定期預金の利率推移も記録しときます。H8(0.900%)、H11(0.150%)、H14(0.070%)、H17(0.070%)、H20(0.500%)、最近少し持直して来たって処の様です。

其処で最初の話に戻ります。実はバブル絶頂期の平成3年7月に積んであった定額貯金の印字が手元に在るんです。当時の利率驚く勿れ「6.33%」仮に百万円積んでたら満期で69万円の利子が附いたんですよ。今のご時世では絶対に有り得ません。年寄りの「昔は良かった」言説は殊金利に限っては全く正しいんです。

http://anond.hatelabo.jp/20100129214841

2010-01-29

集中できん

いま大学一年試験勉強真っ只中のものなのだが、どうも集中できない。

それというのは、クリスマスに告白した女の子に返事を保留されているからだ。1月は向こうの試験勉強で、今が私の試験勉強なので、2月に会う約束をしてあるのだが、正直頭の中から彼女のことが離れない。

私に限ったことではないだろうが、好きになると本当に一日中相手のことしか考えていない。

で、そんな中ふと去年のことを思い出した。

高校三年で受験直前だった私は、当時の彼女に振られた悲しみに打ちひしがられながらもなんとか勉強を続けていた。

その頃はかなり受験がきわどかったので、リアルに一日十六時間勉強していた。

まあ、そのかいあって大学には合格できたんだけど、なぜか大学に入ってからはもうその頃みたいにはぜんぜん頑張れなくなった。

新しく好きになった子が魅力的すぎるのかもしれないし、大学勉強が難しすぎてなかば諦めてるのかもしれない。

まあ、なにが言いたいかっていうと、英語部会は爆発し、新振りもなくせということ。

2010-01-28

笑みを堪える米軍普天間基地問題

 今、最もホットな話題の1つに普天間基地問題があり、毎日のように新聞テレビ国会質疑で取り扱われている。この問題は自分日記を書いてみようと思ったきっかけでもあって、自分の考えを書くことでそれに対する反対意見感想をできるだけ多くの人から聞いてみたいと思う。要旨を記事の一番最後に載せてます。

 まずはこの問題を時系列で整理する。

(出典:[wikipedia:普天間基地代替施設移設問題]より作成)

 現状、鳩山政権は5月までに移転先を決めると明言しているけれども、候補地であった名護市は反対しており、残り4か月で移転先どうやって決めるのか等々と混迷している状態である。

 この問題の理想的な解決策として次の記事が分かりやすいと思った。

辺野古への基地移転問題に思うこと

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/2010012

 今から沖縄基地を作ること、綺麗な海をコンクリートで汚染することが本当に正しいのか?

 いいえ、全く正しくないと思う。

 地元の人々が反対するのは素直に理解できる。経済活性化目的として基地を受け入れる人が多数いて、事実名護市選挙結果も互角だったではないか!と主張する人もいるけど、経済の問題は基地問題本質ではないと思う。

 経済的に苦しいから基地を受け入れるしかないと決め込む前に、逆に綺麗な海を活かした観光業を興そう!という考えは、自分にとってはしっくりときて、そういう意味では今回の名護市選挙も納得のいく結果であった。

 ただ、現実的に考えると、選挙結果を受けて、この現状にて、最も利を得ているのは米軍であり、逆に最も可哀そうな立場にいるのが沖縄の人々だとも思う。以降、そう考える理由を挙げる。

 今後のシナリオは次のうちのどちらかになると思う。

A.普天間基地から名護市辺野古地域移転する。

B.海兵隊もヘリ隊も普天間基地からどこへも移転しない。

 なぜ、この2案に絞られるのか。政府は5月までに移転先を決めると言っているが、現実的に厳しいからである。辺野古地域に決める時は、候補地から確定(日米合意)に至るまで7年もの月日がかかった。今から5月までに、日本政府も、移転先住民も、そして当然であるが米軍も納得できるような基地移転先が決まるはずがない。国外?もっと難易度が上がる。海兵隊と一緒にヘリ隊をグアム移転しろ?これにはアメリカの合意が必要になるけれどもこれも無理だ。アメリカ普天間基地グアム移転するぐらいなら、合意しないでだらだらと未解決なほうが都合がよいから(後述)である。

 以上の理由で、辺野古移転するか、普天間のまま留まるかのどっちかしかないのだ。

 既にA案が現実になろうとしていることが平野氏の発言から伺える。

稲嶺氏に当選証書 平野氏発言「矛盾している」

http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20100128rky00m010007000c.html

確信犯」「許せない」=平野氏の法的決着発言に反発

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2010012700624&j1

 平野氏は明らかに辺野古への移転を考えていると思われるが、彼は他の移転先候補を見学した人物でもある。

官房長官普天間基地など視察 移設先「ゼロベースで」

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20100110AT3S0901D09012010.html

 現実を見た平野氏は思ったのだろう。「ああ、こりゃ辺野古しか無理だ」と。一連の平野官房長官の言動は、仮に辺野古への移転が決まった場合への緩衝剤となろう。「やっぱり辺野古移転するのか」と県民はショックを受けるだろうがそれを少しでも抑えるために、移転反対派が選挙で決まって早い段階でそういった発言をしたのではないか。 

 仮にA案となった場合、アメリカ日本に日米合意以上のものを要求するだろう。「日米合意をただ先延ばしした結果となり、発生した維持費や追加費用を払え」とね。

 さて、もう一つ可能性としてあり得るのがB案であるが、これは沖縄辺野古がとても強く反対し、政府がそれを受け入れた場合に起こりうる(可能性としてはA案より小さいと思う)。この結果が沖縄に与えるダメージはA案よりも大きいだろう。

 そもそも、なぜ普天間基地移転問題が発生したのだろうか。理由はいくつかあるが、もっとも注目すべきは、基地住宅地の距離が非常に近いことだ。Google Map普天間基地」と検索してみてほしい。

 一目見て分かる通り、周辺には小学校中学校大学自動車学校が点在している。事故が起こるリスクは絶対にゼロにはならない。だから、早期に基地移転が望まれるわけであるが、移転先について、移転先住民アメリカ日本政府の間に合意が生まれない限り、実現しないだろう。アメリカの視点から見れば、アメリカ普天間基地から移転することに前向きではないので、このまま普天間基地から移転しない案を歓迎するだろう。

 もしB案になるなら、それ以後、こんなシナリオが考えられるだろう。

<ここから妄想

 世論の反対も強く、鳩山政権2010年5月までに移転先を決めることができずに、普天間基地移転計画は凍結となった。それからX年後(Xは明日かもしれないし10年後かもしれない:ブラックスワン)、以前から懸念されていたことであるが、普天間基地周辺にて軍事機が学校施設に墜落した。地元住民は怒り狂い、政府は混乱する中、米軍は次のような会見を行った。「この事故回避する努力をしていました。2005年には普天間基地から移転することに我々も同意しておりましたが、2010年日本側から拒絶されました。誠に遺憾です。」

 議論の結果、早急に移転することで合意に至った。

 さて、移転先はどこにしましょう。

 今回は移転先を選ぶ猶予がない!過去基地移転計画があった名護市しかない!→A案につづく

<ここまで妄想

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 長くなりましたが、まとめると次のようになります。


 まあ、いずれのパターンでも沖縄の人々や日本国民は損しますね。これは戦争に負けたからどうにもならないのでしょうか。残念です。

 追記で思うことは、基地移転に反対している人々には、移転にはいずれにしろ米側の合意が不可欠だという視点が欠落していることっすね。政府移転先を5月までにみつけると言っているけれども、その移転先に米軍が納得する必要が生じるわけです。そこを無視しちゃ何も始まらない。米軍が反対しておしまい

 書き忘れていた。アメリカ普天間基地から移転することに前向きでない理由:

 アメリカ日本から基地をなくすことはありえない。

2010-01-25

一週間ほどほかってというかほかられてみたら

逆に気分が楽になったというか

本当に向こうもテンパッてんだなというのが実感できた

とりあえず2月になったら電話してなにかおいしいものでも食べに行こう

2010-01-13

iLife/iWork '10 はまだか?

iLife/iWork '10 が出たら、Mac Box Set ごと Snow Leopard を買おうと思ってるので Snow Leopard を買わず、Leopard を使ってきた。

しかし、iLife/iWorkが発表されるであろう今年のMacworldは2月9-13日、そろそろ待ちくたびれた

2010-01-11

親がどういう気持ちで俺を生んだのか気になる。

正確な年月は伏せてる。

1988年5月に俺の両親は結婚した。学生結婚だったとか。父は22歳(大学4年)、母は21歳(大学3年)

で、俺が生まれたのが同じ年の11月

20も過ぎて色々祖父母達から俺の親(両祖父母からは息子、娘)の話を聞くようになった。

特に父方の両親には

女の子の体は大事にせなあかんよ!」とか「ちゃんとゴムを付けろよ!」とか

っていつもあう度に言われる。それも彼女が出来たという話しをし始めてから。この時点でちょっと違和感を感じてたりした。

話は前後するけど、そういう事を聞かされてある日、両親の結婚式の話題で盛り上がったときに結婚した月日が俺の生まれた年の5月だと言うことが判明した。

ちなみに、自分は優良児だったらしく、10ヶ月を母の体の中で過ごし、頭から出てきたし、体重も3564グラム(ちょいデブ)だった。

あと、内臓に疾患を抱えてたけど、それはまた別の話。それのせいで俺は「初孫のくせに」とか「もっとましな(ry」とか色々と祖父母にゴミクズ扱いされたりしたけど、それもまた別の話

んでまぁ、計算すれば良いんだけど、

俺の生まれが11月で10ヶ月前となると同年の1月2月セックスしてるんだよね。

んで、妊娠が判明するのって1ヶ月とか2ヶ月ぐらいかかるんだっけ?ってことは、妊娠が発覚してから結婚式を挙げてることになるよね。

つまり「出来ちゃった結婚」とか言われるんじゃないかなぁ。

母の妊娠が発覚したときには母は大学3年生で、大学中退卒業せずに俺を生んだこと。

結局、母はそのまま大卒資格がなく、なかなか就職も出来なかったこと。

父は卒業はしたけど、就職していきなり育児費用がかかってたこと。

父と母の二人きりのラヴラヴチュッチュな生活がなかったこと。

母に対する父方の両親の態度が全然違うこと。

母が何を思って俺を生んだのかが気になる。

多分、もっと勉強したかっただろう。大学生活を満喫したかっただろう。

大学終わって速攻でめんどくさい育児をしなきゃいけなかっただろう。OLとして働きたかっただろう。

俺という存在が母の人生を狂わせてしまったんじゃないかと思うと、どうしても申し訳なくなる。

きっと、俺が生まれたことで、両親に幸福が訪れたかもしれないけれど、俺が奪った両親の幸福も少なくともあるんだろう。

俺を今日まで生きていられる状態にしてくれている親には感謝している。逆に俺は親になにかしてあげられたのだろうか。

雑になったけど、大前提として、俺は親に感謝してる。だけども、俺が生まれてきた事で親への感謝が嫌味になってるのでは無いかという疑問。

「子が生まれたことに感謝しない親はいない」ってのは建前だろとか思う。それも俺が疾患を持って生まれて小学校にあがるまで「病弱な子供はうちにはいらないね」とか「もし、あんたが死んだら弟が長男になったりするのかね?」とかそういう事を間近に(もちろん両親がいないところで)言われていたのもあるんだろう。

感情が萎縮してひね曲がってるが故に上に書いたようなことを思うんだろうね。

2010-01-10

2010年2月日高義樹ワシントンリポートTXN 14日BSJ 20日

3月は21日(日曜日)って日経新聞に。

追記ではありません、以下は

第173回

原子力発電か、太陽発電か

~ハバード21世紀エネルギー委員長

2月14日(日)

午後4時から放送

fixed (2)

2010-01-07

もう、何もできない

はい。

知っている人は知っているシリーズの最新作にして最終話です。

文章だけは書き留めてあって公開するか迷ったのだけど、これで最後にするということで公開することにした次第。

これまでのあらすじ。

当方非モテ魔法使いTwitter-er

何の因果かfollower福岡在住の女の子(以降好きな人)に恋をした。

実際に会ってもいないのに告白するなど自重できない行動を起こしいろいろあった。

その後一年くらい色々あったのだけど大したことじゃないので中略

去年5月に観光で上京した好きな人と邂逅を果たす。イメージ以上の人でよりいっそう想いは強くなった。

8月に所用で再び上京した好きな人と会うことになったのだけど、初めは2人だけで会うことになったはずなのに気がついたら元彼含めて5人でよくわからない食事会がもようされるという面白いことが起きて悶々とし、その悶々とした感情を増田に投げつけごく一部に好評を博した。

数日後、帰郷する好きな人を見送りに羽田に行った私はまたも悶々とした状況に陥りその悶々と葛藤増田に投げつけ主に笑いを誘った。

さらに9月、三度上京した好きな人自重できないTwitter-er共とオフ会を開催。

8月に書いた増田ネタにされ散々いじられるも正直イヤではなく嬉しかった。だって好きな人も笑ってたから。

その後オフ会のレポを増田に上げてまたごく一部で話題になったとかならなかったとか。

あらすじ以上。本題に入る。


10月11月は表面上は特に何もなかった。好きな人の関係も進展も後退もなかった。

個人的には色々あって、深くは書かないけど10年来の持病で仕事をクビになり、職を転々としていた。

そんな私には一つの目標があった。

福岡に行くこと。

福岡に行って好きな人と2人で街歩いてお茶してあわよくば告白を・・・とか童貞じみたことを考えていた。いや、魔法使いなんだけどさ。

告白は無理にしても福岡の街を好きな人と歩きたかった。

しかし、だ

病気仕事クビになって職を転々とする私には先立つものがない。当初は12月に行くことを予定していたが延びに延びて何時行けるかがわからなくなった。

私は焦っていた。早く福岡に行きたかった。

天然のお姫様属性彼女だ、近づく男は多数いたし、いつ彼氏ができてもおかしくない。だから、早く行かなければ、早く想いを告げなければ・・・焦りは焦りを呼び私は徐々に追いつめられていった。

後は福岡に行けば何かが変わる、そんな幻想を抱いていた。幻想とはわかっていたけどそれにすがっていなければ壊れてしまいそうだった。

Twitterで時折その嘆きのようなものをpostしてしまったことがある。

それがいけなかったのかもしれない。

11月の終わりあたりから変化が現れた。

好きな人に@を送っても返事がこなくなった。メールを送っても返事がこない。

Twitterだし返事が来るかどうかなんて適当だ。始めは忙しいのかな、と思っていたけどそれが何度も続けば話は別だ。

避けられている・・・?

そう疑念を感じたのは12月に入ってからだった。

焦った。とにかく焦った。

福岡に行けない焦り、想いを告げられない焦り、そして避けられているかもしれないという疑念と焦り。

焦りは焦りを呼び精神状態がだんだんおかしくなっていった。

悪いことは重なるもので12月から始まった新しい仕事パワハラに合いその仕事を辞めなければならない事態になった。パワハラなんだから訴えてもいいかと思い関係各所に相談したけど結局泣き寝入りしなければならない結果になった。

仕事が始まった時点では2月福岡に行くつもりだったけどそれもおじゃん。それどころかコミケにもいけなくなった。絶望するしかなかった。

絶望だけが心を支配する。そんなどうしようもないほど落ちてる状態だった。

しばし泣き寝入りした数日後、好きな人が旅立つ準備をしているというpostを目にした。どこに行くかは隠していたみたいだけど元彼(彼女自身は恋愛関係ではないと明言していたけど・・・)に会いに上京することは目に見えていた。

男に会いに行くという時点で告白もへったくれもない状態だったけど阿呆な私はケナゲにもpostする

「どこかにお出かけですか?」

・・・しかしリプライは来なかった。

その後2~3回@送ったけど返事はこない。

ひどく焦った私はメールすることにした。

ふと

「どうせ無視されるけど、だけど一通だけ・・・」

とpostしたらなぜか

「無視されるとかわかってるならやらなきゃいいじゃないですか」

とかリプライが来た。

普段無視してるくせにそういう言葉には反応するんだね。訳が分からない。いや、完全に嫌われてますね、わかります。

ちなみにメールは送ったけど返事は来なかった。

きもいなー、我ながら。

ほんの少し腹が立った私はまた余計なことを言う

「嫌なら反応せずにリムーブすれば済む問題なのに」

時間後followerが減っていたので確認したら好きな人からリムーブされていた。

オワタ

何もかもオワタ

売り言葉に買い言葉な面もあるのかもしれないけど、それは明確な拒絶。

リムーブされた。私の言葉は、もう、届かない。

絶望の中の絶望

終わり

終了

続きはない

さようなら

いろんな言葉が脳裏によぎる。

しばらく放心していたけど、急に吐き気が沸いて出てきて盛大に吐いた。何度も吐いた。涙も止まらなかった。

情けねぇなぁ、ホント。

その日のことはもう何も覚えていない。

数日魂が抜けたような生活を送り、気がつけば年末30日。

ようやく立ち直りかけた私は数日振りに外に出ることにした。

近所の散歩に行く装備で何となく家を出た私は気の向くままに電車に乗り・・・気がつけば秋葉原にいた。

アキバ納めもたまにはいいかな、とごちて暫し秋葉原を散策、そしてTwitter-er御用達リナカフェに立ち寄った。年末だし顔見知りのTwitter-erがいるだろうと思ったからだ。

いつものようにオレンジジュースを頼んで円卓の端っこに座ろうとして・・・心臓が止まるような衝撃を受けた。

好きな人がそこにいた。3メートル先にいた。

元彼とTwitter-erらしき人計4人でなにやら談笑していた。

なんでだ?

東京にきているというのは知っていたけど、なんで、今、ここにいる?

訳がわからない。

パニくる頭を何とか押さえ込んで好きな人に背を向けて円卓の隅っこに座った。

オレンジジュースを一気に半分くらい飲んで気分を落ち着かせ携帯から「リナカフェなう」とpostする。

しばらく持ってきた文庫本を読みつつタイムラインを眺めているとふとリプライが帰ってくる。

好きな人からだった。たった一言「どこ」と。

「円卓の端っこ。ニット帽をかぶっています」と返事を返す。たぶん私の存在に気がついただろう。でも向こうを向けない。どんな顔してあの人に会えばいいのかわからなかった。何を話したらいいのかわからない。

携帯をいじっても文庫本を読んでも落ち着かない。

・・・

・・

ふと好きな人の方を振り返る。

目が合った。

私は軽く右手を二度振った。

再び背を向ける

時間にして5秒もない。たったそれだけの再会。

顔なんてろくに見られなかった。

オレンジジュースを飲み干しひと息すると、無性に酔っぱらいたくなったのでワインを注文。

酷く不味い白ワインだった。

不味い不味いと思いながら一気にワインをあおっている間に好きな人グループが退店した。

「おつかれさま」

みたいなこと言われた気がする。

こっちは顔を見ずに再び二度右手を振った。

ワインをあおる。不味いので一気にあおる。

酔っぱらったけどぜんぜん楽しくなんかなかった。

しばらくして残っていたTwitter-erに軽く挨拶してカフェを出た。

酔った状態で秋葉原歩くなんて9月好きな人達とのオフ会以来か・・・。

さらに落ち込みながら夜の秋葉原の街を徘徊した。どこで何見たかは覚えてない。

家に帰ってきてから愛用のTwitterクライアントを立ち上げ、好きな人ID抽出IDから消した。

本当はリムーブでもするべきなのかもしれないけどできなかった。NGIDにも設定できなかった。抽出からの削除ができた精一杯の行動だった。

あの人は息をするかのようにリムーブしたのにね。

まだ未練があるのか、と冷笑ひとつ

また涙が溢れてきたのでひとしきり泣いて、久々に泥酔するほど酒をあおった。


そんな感じ2010年を迎え今に至る。

未だに好きな人に未練があると言えばYesとしか言いようがない。

もうチャンスも希望も何もないのに。

もう、何もできないのに。

人は滑稽だと笑うだろう。女々しいと罵るだろう。

それでもいい、甘んじて受け入れる。しばらく忘れられそうにない。

想いを断ち切った後、次の恋愛は・・・多分無いだろう。人生においての恋愛に対してのエネルギーは使い果たした。多分もう誰かを好きになることはないかもしれない。

増田書いたときの返事に非モテひとつ恋愛エネルギーを傾けすぎるので一つの恋が終わると次の恋に向かうという行動ができないというのがあった。まさにそれである。

好きだった人が悪いのではない。私のキャパシティーの無さの問題だ。本当につまらない人間だな、私は

今は何も考えないように就職活動をしている。できれば今月中に仕事が決まればいいな、と思うけどこのご時世結構厳しい。でも必死になって仕事を探している。

病気のこと?

んなものどうにかする。どうにかしてみせる。

当初の目標仕事にありつくこと、金を貰うこと。

後は新しい自作PCを買う資金をためること。

あぁ、後は福岡にでも行こうか。本場の豚骨ラーメン食べにさ。

2009-12-23

すこし放って置いてと言われた

1年4ヶ月付き合った彼女に、少なくとも2月中旬くらいまで連絡しないでほおっておいて、と言われた。このそもそもの原因はとてもくだらないお互いの勘違いから来ているんだけど、なんだかもうそういう問題ではないみたい。自分経験からいうと放って置いてよくなることはほとんどないと思うし、放っておいたここ3日でかなり心に吹っ切りをつける準備ができたようだ。これは実質的にふられたんだろうと思う。

彼女の、他人の話を曲解して思い込み、それを自分の中のみで通用する価値観で判断するところがすごく嫌いだった。もっとちゃんと話を聞けばそうだって分かるんだろうに、と思っても誤解して勝手に怒り、泣く。そして自分の悪いところは見ないようにする。そして人をほめず、自分もほめない。そういう姿勢から分かる通り、彼女うつ病になった。今はもうだいぶよくなったけれど。それが良くなったから俺は用済みになったんだろう。

逆に何が好きだったかと言えば、いっしょにいて話が尽きないところ。どんなことをやっていても、どこに行っても何とかなる気がしたし、戦友みたいな感じが強かった。家にいていっしょにご飯を作ったり、ゲームしたり、ごろごろしながらイタズラしたり、ぼやっと寄った本屋立ち読みしたり、テレビ見たり、ゲームの話をしたり、世間話をしたり。そういうことだけで幸せだった。

最初は、もしダメ性格でも俺が直してやる、という気概があったけれどもはやすぐにそんな自信はなくなって、自分自分をだましていままで付き合ってきた部分もあると思う。「俺はこの人といることでこれからもたぶん幸せなのだろう」という思い込みが、今まで自分のトリガーであり、モチベーションだった。イライラしたときには、別れるときは相手にすごく自分のことを好きにさせて、その上で思いっきりふってやろう、という密かな計画もあった。

ここ2ヶ月くらい、彼女がなんとなくキスを避けるような気がしていた。そして気づけば2ヶ月くらいセックスもしていない。お互いにいろいろ忙しかったのもあるけれど、なんとなくそういうことが続くと忌避すべき未来が待っているような気がして漠然とした不安を心の奥底で感じてはいた。それでもそれを埋める努力もせず、現実の上に乗っかって「別れることにはならないだろう」という過去からの類推だけで生きてきた。未来なんて何もわからないのに、それを作る努力を怠った。

冒頭で言ったくだらない勘違い、というのは電話携帯が通話料高いのに、彼女はいつも電話を向こうからしてきてくれた。電話代は大丈夫なんだろうか、とかなり不安だったが、向こうが電話をかけたそうなので特に言わなかった。そうしたら実は、向こうは俺が電話をして欲しいものだと思い込んでいたようだ。俺はむしろ電話で長い間時間が取られる方が煩わしく、はやく切ってくれてもいいのに、と思っていた。もちろん最初の15分くらいは楽しいけれど、それから無駄時間だったと思う。お互いに向こうがかけたかったから、という理由だったんだなと思った。何も分かってはいなかった。

このまま行ったら結婚するのかもな、と思うこともあった。彼女掃除洗濯料理もできない。そんなことは俺がやるから別にいいとは思うんだけど、「毒のある親」論理で行くと、うつ病の人の子供は高確率うつ病になる。それから、誰に対しても厳しくほめない姿勢も非常に気になった。もしこどもができてもそれだったら、と思うと結婚は無理かもな、むしろやめたほうが客観的に見て思っていた。とても自分勝手だと思うけれど、こどもが不幸せになるのはたぶん耐えられない。

いろいろなところにまだ爪跡が残っている。サイトパスワード。貸していた本。もらったお土産。渡せなかったプレゼント。そんなものは良いのだけれど、そういうのを見るたびに思い出す。思い出すたびに何か必要のない懐かしさを感じて哀しくなる。

この勘違い女!ばーかばーか!と言ってやりたい気持ちと、幸せになってほしい。という気持ちが半分半分。これから戻れる可能性は1%くらいだと思うけれど、とりあえずそれまでに自分を律するようになれていたら、と思う。この1年4ヶ月は結構楽しかった。ありがとう。ではでは。

2009-12-22

なぜ普天間基地移設先は沖縄県内でなければならないのか

http://b.hatena.ne.jp/entry/obiekt.seesaa.net/article/136231624.html

  • 戦略的な話しをしているのであって、だから沖縄在住の方が反対するなという話しではない

米軍基地のあるところに住んでいるので沖縄県ほどではないがそういう感情は分かる。いや一緒にするな、と怒られそうだが。

基地反対運動ピナツボ山噴火、地政学的事由によりフィリピンから米軍が撤退したことにより、南沙諸島においてプレゼンスの空白が起きた。

その結果ベトナム中国南沙諸島における海底地資源目当ての争いが起こった。

中国軍は環礁を占領、要塞化し地域実効支配のあしがかりとした。

2009年2月、この海域でアメリカの調査船(見かけは民間だが海軍船)が中国船から嫌がらせを受けた。

海南島には中国海軍潜水艦基地がある。

在日米軍の燃料のほとんどは中東(特にサウジ)産石油依存している。

日本国石油輸入のほとんどは中東依存している。

日本シーレーン防衛に金銭面でのみ貢献している状況。

マラッカ海峡からバシー海峡間の航路はまさに南シナ海、この海域の安定なくしてシーレーンの安全はない。

http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&t=h&source=embed&oe=UTF8&msa=0&msid=103121878704941808923.00046e1cdb6d372342ecf&z=3&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1

この海域の安全が脅かされる、利害相手国に実効支配されることになればインドネシア南域、マッカサル海峡経由の遠回りを強いられるようになる。

中国に対してことを構えると宣言するようなもの。

米国中国アジアにおける経済パートナー重要な一員と見ている。

米中両国にとって台湾海峡危機のような事態が起こるのはよろしくない。

米国台湾に対して対地攻撃能力を持つ攻撃機の輸出許可していない。

台湾空軍F-16は対地攻撃能力を付与されていないどころか輸出そのものさえ当初許可されなかった。F-CK-1の開発の動機となった。

F-16C/D Block50/52輸出も2008年6月時点で凍結されている。

中国台湾経済的交流を高めている最中であり、これに米国が水を差すような事態は現時点で考えられない。

不測の事態を呼ばないような程度での交流はいつでもありえる。

ただ軍事的同盟は、この先何十年もハードルが高い。

日中戦争太平洋戦争における中国対日感情を考えるととてもじゃないが共産政権党執行部が持たない。

http://www.news24.jp/articles/2009/12/11/04149543.html

そもそも駐留沖縄米軍グアムに持ってく話になってる?

ということだが、ほかに裏付けはどこかにない?

軍備配置・配備は外交メッセージをあらわす道具であること。

国益考慮するならば駐留軍、基地を配備する代償としての地域手当を厚くすること。

政治的に甘言しないこと。出来ない約束をしないこと。

それでも政権に対する反感は起こる。

どのように手当てしても必ず起こる。

政権はこれを甘受すべきだ。

2009-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20091216230059

読者投票システムが導入されたのです!

読者投票システムといえば「ぱふ」も毎年してるんだが

(発表は2月末か3月頭発売の4月号)

どっちかというと同じ号で発表する

「まんが家○○○人大アンケート!」(○○○には人数が入る。いつも約200人くらい。)

ってのが面白いんだよなー。

http://anond.hatelabo.jp/20090302113146

http://anond.hatelabo.jp/20090302105152

2009-12-13

2010年1月日高義樹ワシントンリポートTXN 10日BSJ 16日

2月は14日(日曜日)って日経新聞に。

追記するかも

第172回

2010年日本はどうなる

キッシンジャー博士に聞く~

1月10日(日)

午後4時から放送

2009-12-03

同人ネタ(数字つき)

http://anond.hatelabo.jp/20090928092751

 この傾向は今年の5月、具体的に言うと「夏のボーナスの輪郭がはっきりしてきた」あたりから実感していますね。

自分サークルイベント成績からちょっと数字だすと、

(参加イベント(開催時期)/参加ジャンル/持込数/頒布数(※)/頒布率)

(※)持込数を冬/夏コミ以外公表してないのは、自分サークル実績を公開しているのでその数字とつき合わせたらたちどころに特定されると思うのでこうしました。

ちなみに冬/夏コミデータは記名では公開していない(からこそ、ここで公開した)ので、たまたま一致したサークルさんがあればそこは僕のところとは別です

’08年冬コミ ジャンル:なのは 持込数/頒布数 1000/1000 頒布率100%

サンクリ42(09/02) ジャンル:なのは 頒布率76%

リリカルマジカル(09/03) ジャンル:なのは 頒布率100%

(※ただし2月サンクリに比べて持込数半分以下)

COMIC1☆3(09/04) ジャンル:なのは 頒布率92%

ぷにケット(09/05) じゃんる:なのは 頒布率44%

都内開催東方イベント(09/06) ジャンル東方 頒布率39%

’09年夏コミ ジャンル:なのは 持込数/頒布数 1344/1500 頒布率89%

リリカルマジカル(09/09) ジャンル:なのは 頒布率67%

サンクリ45(09/09) ジャンルハルヒ 頒布率44%

みみけっと(09/10) ジャンルストライクウィッチーズ 頒布率32%

都内開催東方イベント(09/10) ジャンル東方 頒布率100%

(※ただし6月のそれに比べて持込数半分以下)

 ファンに熱心な層が多い「なのは」ジャンルギリギリ堅調ですけど、それ以外の「サークルにもジャンルにも固定層があんまりなさそう」なジャンル6月をさかいにはっきり成績が落ちています

(匿名でこういうデータあげるとここなら「成績が落ちているのはピコ手の甘え!努力不足!要は勇気スキルがないんでしょ?」とか煽られそうですがw)

 東方同人に関しては、同じく東方で活動しているサークルさんの話(非大手)を聞く限りでは、固定ファンがついてないサークルにとってはやはり今年の夏以降から成績が厳しくなっているようです

┃きっと、徐々に、他のジャンルにも不況の波が襲ってくるんだろうと思う。

 徐々に、どころではなく現在進行形ではっきりなっているんじゃないでしょうか

クラスの大手ではもっと実感しているところも多そうです

原因としてはやっぱり「お金が少ない」せいで、普段だったらぽんっと買っていたサークルの本やグッズを「自分にとってどうしても必要なサークル」のものだけ『アイテム仕分け』されちゃってる部分がかなり大きいんじゃないかなぁ

僕も、今年の夏コミに比べて、冬は大幅に本を求めてもらえる数は減るだろうなぁ…という覚悟は、今からしています…w

2009-10-18

[]遺書

この文章は俺の遺書として残したいと思う。あくまでも、私のゲーマーとしてのアイデンティティを自ら葬り去った事を宣言するものである。間違っても生物学的な死を予告するものではない事を念のため宣言しておく。

買ってしまったわけだ。PS3を。もうダメだ。これを買わずしてゲーム好きを自称するのはもう不可能だ。そして先週、箱○を知人に譲り渡した。発売日に購入し、3度故障した歴戦の猛者ではあるが、さすがにそんな物に金を取るわけにもいかず、ソフトのみを1本500円で5本分買い取ってもらった。残る22本はタダでもいいと言ったのだが断られたのでゲオに売ってきた。俺の約4年の歴史は、たった一人の福沢諭吉と数人の野口英世になって帰ってきた。

そしてMGS4龍が如く(見参と3)、白騎士物語グランツーリスモアンチャーテッド(旧作の方)、ガンダム戦記、デモンズソウルキルゾーン2、戦場のヴァルキュリアPS3版のTOVをまとめて買ってきた。アンチャーテッドデモンズソウルをやりながら涙が出た。何度も何度もつぶやいた。「どうして箱○で出なかったんだ」と。

俺たちは特別な存在のはずだった。隠れたエリートであるはずだった。いずれ日本でも広まるであろう箱○をいち早く入手している、慧眼の持ち主として大衆を導く存在になるはずだった。2007年から昨年末にかけてそんな気運は確実に高まっていた。アイマスも出た。エースコンバット6も出た。塊魂も出た。RPGだって、ロスオデも出た。TOVも出た。インアンも出た。ラスレムも出た。SO4も発表された。WiiPS3何する物ぞ!そんな声はあちこちで聞かれていたんだ。

しかし、しかしだ。今はどうだ?最後に週販1万台を越えたのはいつだった?思い出せない。思い出せない。週販3~4,000台が続き、引退しかかってるPS2に追い抜かれるのを戦々恐々としていた日々すら過去のことになってしまった。もう、面白いソフトが一杯あるんだからそれでいいじゃないか、これからもそんなソフトがきっと供給されるから問題無いさ。自分自身に言い聞かせ続け、卑屈になっている事すら自覚できないまま、時間だけがズルズルと過ぎ去っていった。

そして今年の春、TOVPS3にも出るという衝撃情報ネットを駆け巡る。一連のRPG連続発売の中で、TOVだけは自信を持って人に勧められる出来だったのに。そして新情報が出てくる度に力が抜けていった。様々な情報から、「PS3版=箱○版+α」ではなく「箱○版=PS3版-α」だという事を思い知った。「ああ箱○版は、それを楽しんだ俺達は、PS3版のための踏み台だったんだな…」。そしてSO4インターナショナル版が発表。アルトネリコ3まで出るらしい。「面白いソフトはこれからも出続ける」という希望も打ち砕かれた。

MGS4はいつまで経っても箱○で出ないし、龍が如くシリーズも実質PS3独占状態。箱○FF13も結局日本でだけ発売されずじまい。最近は新作発売予定を見るのも苦痛になってきた。最後の希望だった東京ゲームショーでも新作情報ゼロぶっちゃけ洋ゲー専用機。しかも殆どがPS3とのマルチ。一体どうしろと。俺ら日本のファンにどうやって箱○を応援しろと?こないだ1万円も値下げしたんだぜ?アーケードは19,800円。DSiと900円しか違わないんだぜ?エリートは3万円。PS3と殆ど同じ値段だぜ?畜生買えよお前ら。どうして買わないんだよ。くそが。死ね。誰というわけではないがとにかく死ね。俺も死ね

まるでインパール作戦だ。俺たちはその最前線に放り込まれた兵士達だ。補給はとっくに途絶え、手持ちのラインナップだけで戦い続けろと命令されたに等しい。対するPS3は補給は十分だ。多くは箱○版も出るマルチプラットホームタイトルだが、日本では実質PS3独占と大して変わらない。そして正真正銘の「PS3独占タイトル」も増え始めた。クリスマスシーズンにFF13SO4は年明けて2月、GT5も来春らしい。龍が如く4、ゴッドオブウォー3やFF14だってその頃に発売日くらいは決定してるだろう。他にも何か色々と新作やシリーズ物の続編が出ようとしている。それはまるで、一昨年から昨年にかけて箱○が仕掛けた大攻勢さながらだ。しかし俺たちにはなすすべがない。周囲がPS3を買っていくのを、かつての同志達がPS3に寝返っていくのを、我々は指をくわえて見ているしかないんだ。そんな中、逆立ちしたって「箱○の方が面白いよ!」とは言えない。言えるはずがない。もういやだ。知るか。ばーかばーか

2009-10-15

自分感覚はおかしいのかな?

と、書くことで、おかしくないよって言ってもらいたいって言うだけのかまってちゃん根性丸出しの感じなのは自分でもわかってて、むしろおめーがおかしいよって言う意見も多数出るだろうなぁって言う感じでの書き込み。本件の対象者が自分BLOGを知っているので、匿名で書いてみるテスト

自分の友人たちの色恋の話。

これらの登場人物はすべて自分の友人です。

A君とB君とC君、XさんとYさんがいます。

A君とB君は親友です。

A君とC君は同僚であり、それなりに仲のよい友達です。

B君とC君は一緒に遊ぶ事もある程度の友達です。

XさんはA君の同僚です。

YさんはA君の学生時代の後輩であり、A君、C君の社会人としての後輩です。

XさんとYさんは仕事上でのつきあいがあります。

2004年

A君とXさんはつきあっています。

B君は同棲して1年になる彼女(登場人物外)がいますが、入籍はしてません。

C君は遠くにいる彼女(登場人物外)と遠距離恋愛中です。

Yさんも遠方にいる彼氏(登場人物外)と遠距離恋愛中です。

2005年

A君はXさんと別れて転職し、遠い地へ飛び立つ。しかしB君とは連絡を取り合う仲です。

B君は同棲中の彼女入籍します。

C君は遠距離恋愛継続中です。

Yさんも遠距離恋愛継続中です。

2006年

07月 C君、Yさんとつきあい始める。略奪愛でした。

このころのXさんはよく知りません。

B君は結婚生活継続中です。

2007年

07月 C君とYさん入籍

11月 B君が離婚

2008年

02月 B君とXさんつきあい始める。

04月 C君とYさん離婚

12月 B君とXさん別れる。

2009年

04月 C君とXさんつきあい始める。

10月 C君とXさん婚約

・・・えーっと細かくってよく分からないとは思いますが・・・。

とりあえずですよ。

自分の身近な人たちがそれぞれにつきあって別れてって、ここはビバリーヒルズかどっかの高校ですか?って思っちゃう様な感じだったわけですよ。

自分自身、潔癖なところがあるのだろうと思うけど、自分の友人の彼女だったり、夫だったりした人を彼氏彼女にするって言うか、そういうのって普通な訳?と思っちゃう。

学生時代のつきあいなら何となくわかる気もするのだが、なんて言うの、社会人として大人として、人間としてこういうのって節操なくない?

いや、人を誰かとつきあってた人って言う風にしか見えないんだったら、お前って人をその個人として正当な評価できていないんじゃね?って言う至極真っ当な指摘も十分にわかるんだけど、理性でわかることと感情でわかる事って違うジャン?

って言うと、好きだって気持ちも理性じゃなくて感情でしょ?って言う感じで、何を言ってもブーメランな訳なんだけど。

なんだろ、正直さぁ、自分物差しで測れない事態が自分の目の前で起きてるわけ。

めでたいことに対しては、おめでとうという気持ちもなくもないのだが、なんとなくそんなに簡単にひっついたり別れたりしてたら、また別れるんじゃね?なんて言う気もしなくもないわけ。

なんて言うかなぁ、でも婚約に対してそれは周りがどう思ってるんだろう?とか言う他人の目的なものを俺の方が気にしちゃったりして。なんて言うか・・・。

んーーー。

あと最後に、この数年間の記載をしたが、その間自分はずーっと彼女がいない人だった。という事で、非モテのヒガミだろ?と言われるとその通りかもしれない。

2009-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20091005020808

政治家だもん。いろんな意味で信じられない話は結構ある。政治家に対する見方は人それぞれだからいいんだけど、あえて極端に書くけど、有能でありさえすれば何だっていい、金でも酒でも女でもルーズで構わないと僕は思っている。もうちょっと控えめに書くと、一般常識ではかっていい部分とそこからはみ出る部分があるから、それは寛容でありたいと思う。政治家なんて、変人でなきゃできないもの。

要するにあなたの問題意識は「政治家ならいじめ殺してもいいんだろうか」じゃなくて,「政治家なんだから大目に見ろ」だってことだよね?最初に書いたこととはまるで反対になってるけどわかってる?

まぁそれは置いておくとして,有能なら多少ルーズでも許すって考え方があるのは否定しないよ.でもね,公式の場に酔っ払って出てくるのはお世辞にも有能とは言えないと思うよ.多くの酒好きは仕事するときには酒を抜くくらいの節度は持ってるんだよ.

中川さんがアル中なのは前から分かってること先刻承知済みで、その上で選挙も通って何度も大臣やって、メディア現場記者も分かってんだから、わざわざあのタイミングで叩く必要は全然なかった。大人としての処理の仕方というけれど、そういう次元の問題じゃなかった、今年の2月政治状況は。

分かってたんだけど具体的な問題が生じるまで黙っていたっていうなら,それは十分フェアな取り扱いなんじゃないの?酔っ払ってやらかす恐れがある,というだけでは責めなかったわけでしょ?私とあなたではフェアの定義が違ってそうな気はするけどね.

いずれにせよ中川可愛さに支離滅裂になっている気がするよ.

http://anond.hatelabo.jp/20091005014102

うちの死んだ社長、一杯ひっかけてから弁護士のところ行ってだべってたけどね。それは次元が違うか。閑話休題

政治家だもん。いろんな意味で信じられない話は結構ある。政治家に対する見方は人それぞれだからいいんだけど、あえて極端に書くけど、有能でありさえすれば何だっていい、金でも酒でも女でもルーズで構わないと僕は思っている。もうちょっと控えめに書くと、一般常識ではかっていい部分とそこからはみ出る部分があるから、それは寛容でありたいと思う。政治家なんて、変人でなきゃできないもの。

中川さんがアル中なのは前から分かってること先刻承知済みで、その上で選挙も通って何度も大臣やって、メディア現場記者も分かってんだから、わざわざあのタイミングで叩く必要は全然なかった。大人としての処理の仕方というけれど、そういう次元の問題じゃなかった、今年の2月政治状況は。

だから、見てごらんよ。鳩山さんの問題は、今はまだあまり突っつかない。もしも状況が変わったら、きっと盛大にやるんだと思う。これが問題なんだ。理屈もへったくれもない。やってることが、ただのいじめ

http://anond.hatelabo.jp/20091005020316

その代り、もう片方に強いシンパがいるからいいじゃない。他国のメディアの目が政治家に厳しくなるのは、そのメディア政治的傾向を、そのスタンスをはっきり自覚して、ニュースを受け取る側もそれなりに分かってるから成り立ってるんだし、そうでなくても右と左で固有の支持層がきちんといるからまだいいんだよ。日本は、風が吹いたらみんないっせいにそっちになびく。それで欧米に比べたら生ぬるいって言って批判してたら、そりゃー楽だよ。議論しなくてすむんだから。

日本の政治家とか学者ってなにかというとイギリス議会政治を真似たがるけど、イギリス人は議論する時に「それはフェアじゃない」というとたとえ建前でもいったん黙って話を聞くんだそうだ。殺し文句の一つらしい。他方で日本メディアも、たぶん一般庶民も、「フェアじゃない」と言われたって「でもこれが正しいじゃないか」で終わってしまう。議論ってフェアであろう公正であろうとするから成立するんで、今の日本みたいな議論の仕方はフェアネスとは何の関係もない。多数派を無理やりつくって囲い込むだけ。なんでも欧米流を理想化するわけではないけれど、さすがに今の日本には行き過ぎがあると思う。

2009-09-18

もう会えない

たくさんの出来事があって

流れるように過ぎていた日常のある時、

ふと悲しくなり、ボロボロと涙が零れて、

俺は滅多に泣くことなんてないのにな、おかしいな、と思ったら、

君が死んだことに唐突に気づいて、

さらに涙が零れた。

君にはもう会えない。

君とはもう話せない。

君はもうここにはいない。

考えるほどに涙が零れて、

こんなこともあるんだなーとかぼんやり思いながら泣きまくる俺の頭を、

いつまでも君が撫でてくれていた。

○年2月

2009-09-09

保守右派メディアはいつもコケ

社会の木鐸」宣言

ラジオ関東は開局以来『洋楽ラジ関』の通称で親しまれ、横浜らしさの漂う洒脱な雰囲気、また港町ならではの輸入レコード盤[4]による洋楽に関する情報の速さやオンエアー数から、団塊世代の若年層を中心に人気を博していた。

その後も女性アイドル番組など幅広く扱っていたが創業に尽力した河野一郎の意を受けて経営にあたった遠山景久社長(当時)は、巨人戦ホームゲーム独占中継権獲得(1977年)を笠に着て、ワンマン体制を強化していたが、1982年に「社会の木鐸」宣言を行い、若者向け番組を敵視し大幅に削減。反共色の濃い論説や演歌を多く流す、中高齢層対象番組中心に編成を一変させ、職業運転手や一部保守的リスナー層に浸透した一方で、全体的には大幅な聴取率低下を招いたため、多くのスポンサーが撤退し、経営悪化が深刻になる。

(中略)

遠山は、意に沿わぬ局員を徹底的に左遷解雇し、アナウンサーキーパンチャーに異動して告訴されたり、管理職研修自衛隊で行ったり、最盛期には150名以上居た社員を30数名まで減じるなど、恐怖政治的な人事・労務策を敢行したが、長年の遠山独裁に不満を募らせていた遠山以外の同局幹部連が諮って、1993年12月21日取締役会全会一致で遠山を「公共の電波を預かる放送会社の代表として相応しくない」という理由で電撃解任し、ワンマン体制に終止符が打たれた。本人が遅刻するにも関わらず、取締役会は定時に開催すべしとの遠山からの連絡を受け、その間に緊急発議で実現した解任劇だった。これに先立つ同年3月、同局は巨人戦ホームゲーム独占中継権を失って、遠山は主要提携先の読売新聞社から見放された形になっており、経営破綻時間の問題だった。後任社長には、外部から解任劇を筋書きした小林三次と同様に、読売新聞日本テレビ出身の外山四郎が就いた。外山は遠山の負の遺産の整理を進め、翌年2月には乱脈経営会社に損害を与えた廉で遠山を告訴し、遠山の家屋敷を差し押さえて一族所有の同局株を日テレ譲渡させ、事実上日テレの傘下に納めたことで、混乱に一応の終息を見た。

アール・エフ・ラジオ日本Wikipedia より

ネット上において「メディアは左よりだ」と言う意見が散見されるけど一時期のRFラジオ日本最近チャンネル桜の末路、そして保守系論壇誌の休刊ラッシュを見るとメディアが右寄りすぎるのも経営という観点でみれば問題ではあるよなあ。

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