はてなキーワード: 切込隊長とは
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20374649,00.htm
いま、メディアで何度もとりあげられるようになったアルファブロガーについて客観的に考えるサイトです。
http://alphabloger.seesaa.net/
アルファブロガー2006のお粗末さ
http://gentown.sakura.ne.jp/midnight_waseda/cache/20070128224603.html
http://d.hatena.ne.jp/Paul3/20071207/p1
http://diamond.jp/series/weblog/10007/?page=2
上原仁(好きなブログは切込隊長ブログです。自社サイトでも何度も宣伝中)
http://newsing.jp/user/huehara88
なぜか運営者自身も選ばれるアルファブロガー
渡辺 聡(影響力ありますか?)
アルファブロガーは、日本を代表するようなウェブログを書いているスゴいブロガーの方々です。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/06/post_efdf.html
矛盾が大量に発見できて、いちいち突っ込んであげるのもばかばかしい。
そもそもfinalventは炎上をさせるような悪質なネットイナゴの味方なのだろうか敵なのだろうか。
切込隊長やj-castの炎上リポートもなくなってしまうとか、いままではそれを楽しんでたかのような口ぶり。
切込隊長といえば、匿名で自分の美談を広げたり、匿名で他のサイトに突撃したりしてそれをブログで語ったりするような、まさにネットイナゴの殿様バッタ的存在のブロガーである。
鼻歌交じりに燃やしたとブログで報告して拍手喝さいを集めて人気を得たブロガーである。
この文章に切込隊長が出てきた時点で馬鹿馬鹿しくて見る価値もない。突っ込む場所は他にもいっぱいあるが。
ぐっちーブログの問題をみて思ったのですが、残念ながらブログは嘘つきの心の病気の人間の発散の場になっているのでは。
狼少年の嘘をいつまでも聞いてくれる無限の村民を提供するのがブログというツールの気がします。
きっこの日記、切込隊長、漫画家の偽大場つぐみ、東京kitty、沢本あすか、などなど、次から次へと、
嘘つきが台頭し、そしてそのたびに嘘つきばかりがニュースになっています。
特に気をつけないといけないのは、「匿名の存在のまま有名になろうとする」嘘つきです。
実際の人物が社会的に信用できるものでないから、ブログで「架空の人格」を作り上げ有名になろうとする例です。
名前を隠していたぐっちーや、きっこや沢本あすかなどはこの例にあたるのではないでしょうか。
匿名で「有名ブロガー」という人格と「全裸大好きヒッキー」という人格を使い分けるような人間の言うことには、
私だったら何か別の意図があると考えます。
■「「アルファブロガーのヤツらは困ったもんだ」by編集長 (ソース富澤准教授のブログ) 編集
「アルファブロガーのヤツらは困ったもんだ」と嘆いておられました。
「ヤツらの文章はメチャクチャだ」と。
編集長曰く、「ほとんど俺が書き直したこともある」とも。
結論としては、「アルファブロガーは、プリントして自分の文章を読まないのだろう」ということになりました。
http://m-note.seesaa.net/article/98894090.html
より抜粋しました全文はリンク先から参照してください。
それにしてもアルファブロガーってなんでしょうか。
問題をおこしてばかりです。
私が思いつく限りでも、たとえばきっこの日記では、しょっちゅう嘘が指摘され、
http://www.j-cast.com/2008/05/26020577.html
finalventというブロガーは匿名で人格が保護されてるにもかかわらず、
その人格をつかいわけ、片一方ではヒッキーを自称し、片一方では知的な論客を装ってました。
http://anond.hatelabo.jp/20080312231337
最近メディアに出る機会の増えたグッチー氏は虚言疑惑が次々ともちあがっています。
http://www.tanteifile.com/newswatch/2008/05/30_01/index.html
切込隊長などは論外ですが、いちおう指摘しときます。
http://www.geocities.jp/kirikomi1973/Dell/index.html
次に問題をおこすアルファブロガーは一体誰でしょうか。
一部のグループが作り出してるという印象は確かにします。
http://www.dan.co.jp/~dankogai/ldr-hbc/ より
まったくのところポエミーな文章であり申し訳なく思っております。
暴力的な押し付けをしてるんなら直したいと単純に思ってしまうのですが、でも、押し付けの理想像でない、その本質ってなんでしょうね。
正直なところ、わかりません。
もうこの際ポエミーに徹してみようと思うのですが、人とはマーブル状に色の着いた「球」のようなものだと思うのです。
球を見る視点と、カットの方法を変えれば、表面や断面図はどうにでも変わります。
切込隊長だって、見方を変えれば「ちょお鬼才」だし、「童貞wプゲラwww」でおしまいになることもありえます。
ですが、それもその人のまぎれもない一部ではないでしょうか。
私が言いたかったのは、けして自分の望むように見られていない、という嘆きではないのです。
増田さんはしてこなかったであろうと思いますが、またそうではない人も多いと思うのですが、
「彼氏は、彼女からさまざまな理由で無言の要求を、当然のごとく課される切ない生き物である」
このことを言いたかったのであります。
たとえばそれは慣習というものであったり、彼女自身の理想というものであったりするかと思いますが、
それは、男性自身のいかなる情報も、紛れ込むことのできない範囲であります。
たとえば、「男はこうあるべきだ」や、「トキメキ」という判断でありますとか。ロマンチックではありますが。(あと、男性にもよく存在しますよね。)
彼女自身の脳内で、彼女自身の定義によって、男性が決定されているというか。
もともとある枠組みの中に現実の男性をはめこんでしまっていることが多々あるのではないでしょうか。
とりあえず、あなたの
との、疑問に不肖私が答えるとするならば、
「その本質とは、「その人それぞれに固有の特徴・思考」である」
だと思います。まったく定義どおりで代わり映えしませんね。
しかし、あの文章の中をさらいだしても見つかるべくもないものです。
女子は男子の本質を見ていない、といったこと自体が暴力的だったのかもしれません。
「女子は男子の本質を見てくれてはいるけれども理想像で上書きすることが少なからずありえる」
ということなのです。
私は、理想像や現実的でない評価で生身の人間をくくってしまうことにとても切なさを感じます。
まるで、バラエティに富む各個人が、パラメータ化され、ブラウン管に映っている人生ゲームの中のひとりの登場人物として扱われているような切なさです。
あなたは決してそういうことをする人ではないと思いますが、もし、あの私のちんちくりんな文章を浚う暇があるのなら、
そして、そのあるがままを愛してあげてくれませんか。
不満点も、不満点として、良い点も、良い点として。それこそが、あなたの彼氏の本質ではないでしょうか。
あと
あ、文章としてはこの段の上で本質の話は終わっていて、また別の話がはじまっていて、単純なる希望、好みのことを書いたということであれば、誤読ごめんなさい。文章の中に、上の疑問に対するなにか具体的なヒントがあるか探して、ここがやけに具体的だなーと思ったので。
その通りです。私個人の単なる好みでした。
それが酒の魔力だと思います。大学生はよいです。
主語のない文章さえも読んでしまえる、これも魔力です。
それは、オナニーや楽しみのための性行為を断ってしまう、それだけである。
僕は、随分昔から同性愛者にあこがれをもっていた。
彼らは異様に生産的である。母集合の少なさに反して、仕事や、芸術という分野にとてつもないアウトプットを残す。
ミシェル・フーコーなんかもそうだし、ケインズなんかもそうだ。
音楽や芸術の面だとさらに多岐に渡る。最近じゃRufus Wainwrightなんか凄まじい迫力のある曲を残している。
いつだって僕はそれを疑問に思ってきたし、自分もそうありたいと思いながらわずかながらの人生を生きてきた。
しかし、同時に、それは単純な憧憬、もしくは彼らの仕事に対する尊敬であって、決して自分は同性愛に傾くことはないこともわかっていた。
僕はやっぱり同性のハダカを見ても性的に興奮することはできないし、それよりも女性の裸体を愛撫しているほうがよく反応する。
ある意味で幸福でもあったろう、と思えるが、それは同時に喪失でもあった。
自分の才能のなさ、を呪うこととはすこし質の違った喪失感である。(※自分に才能があるとは到底思えないが、それとは違う)
それはたぶん、アメリカの白人が黒人の文化・芸術に抱く憧憬と喪失感によく似たものである。
エミネムやバーバーショップのトロイ・ギャリティのように、同質化することを望むけれど、自分自身を完璧に同質化させることはできない。
また、詳解はしないけども、今のコンシューマゲームに関る人々が、昔のコンソールのゲームをこよなく愛する感情によく似ていると思う。
そうして、ここまで考えたときに、ふと気づくことがあった。
数ヶ月前のことだ。
人間は、どんな状況においても、「子孫を残す」ことを求める傾向があると思う。たぶん、それは生物だからだろう。
人間が歴史上絶えて久しかったことなんてなかったわけだし、広島や長崎にだって木が生えて人も生殖したのだ。文化すらも残ってくれた。
生物だからこそ、危機に陥ったときは性交における子宮定着率が高まるのだろうし、スライムモルドだって特異な形態をとってのりきろうとするわけだ。
そして、同性愛者は生物学的には常に危機に瀕している。あたりまえだが。
だからこそ、彼らは自分の遺伝子を生物学的とは違うベクトルで残してゆく方法を無意識的に模索しているのではないか。
それこそ、ロレンスがいった
ぼくはどうして偉大な人物とされるほとんどすべての人々が、それを認めているか否かに関わらず、同性愛に向かう傾向にあるのか、そしてその結果女性の身体よりも男性の身体をいっそう愛するようになるのか---確かギリシア人がそうだったと思うのですが---、その理由を知りたいのです
の回答なのではないか。
実際そう考えてみると、合点のいくことは結構多い。
偉人ばっかだして恐縮なのだが、宗教的であれ、個人的にであれ、性活動を制限していた偉人というのは多いのである。
カントだって童貞だし、ゲーデルやヒルベルトだってそっちの執着はあまりなかったらしい。
そういえば分裂感違い君もそんなかんじのエントリ書いてた記憶がある。オナニーやめたとかなんか。※切込隊長もそうだったね
また、生物学的な生殖行為への渇望といったものから得られる感情もよく似ているといえば、性行為に貪欲すぎた人とかも挙げればキリがないほどにいる。
ここらへんだったら、専門外だけど歴史上の日本人にもとてもとてもいそうだ。※たぶん宗教的なもんが薄いから制限してた人が少ないんだろう
現代という時代は、恐ろしい時代である。
それほど才能のない僕らが、才能あるマッチョたちと対等に闘って生きていかなければならない。
そうでなければ、グローバリゼーションの中の雁行型経済発展に従って、
インドや第三国の才能ある外国人労働者におまんまを持っていかれてホームレスになってしまいかねない世界である。
僕は、この時代だからこそ、提言したいと思う。
我々は、生まれつきの才能がない僕らは、持てる思考回路をせめて有意義なものに使わねばならぬのでないか。
それを、オナニーや、楽しみのためのセックスや、男女関係の機微に帰着させるのはあまりにも軽率ではないか。
そこに脳がハマりこんでしまえば、たぶんその生殖行為こそが生物的にはあるべき姿だから、思考はそこから抜け出られない。
悪いわけではないんだろうけど、才能がない僕のような人間には、すこし損ではないか。マッチョになってからでもセックスはできる。
僕の提言はこうである。
「そして頭のキャパシティから性行為と男女関係を抜け」
たぶん、これだけで、脳は今与えられている生殖本能に危機があり、と感じるはずである。
そして、脳はそのとき脳内にある違う意味での生殖や、生殖本能につながる能力を伸ばそうとするのではないだろうか。
生まれついての同性愛者ほどの生産性は得られないかもしれないが、少なくとも、脳を使う仕事に従事している人には、少なくとも効果はあるのではないだろうか。
これは余談だが、肉体を酷使する競技に従事している人は、性行為は試合前日には絶対にしないらしい。
友人に才能ある競輪の選手がいるのだが、彼は「試合前にヤったらぜったいあかん。負ける」と言っていた。
試合前にヤったらどうなったか?そのとき、あまりの興奮に生でやったらしく、そのときの一回で子供が授かったのである。
たぶん、これも、ケースひとつだけど、人間の活動は生殖と深く関っている証明になるのではないだろうか。
まるで、イアン・マッケイみたいなハードコアの意見になっちまった。
でも、彼らだって、ありえないくらいプロダクティブだよね。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/03/post_c59a.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/03/post_c59a.html
切込隊長が2chで出来なくなったことを、はてブが代行している。
ネタであれほんとであれ、みんな、素直というか、ウブというかなあ。
切込隊長の場合こういう記事で支持を集めてから、ニート擁護(兄貴風・理解のある経営者風)、
経済記事(情報通風)と続くわけだけど、ひろゆきといい、この人といい、ほんとに
こういうところできちんとネットユーザーの心を掴みつつ、後は何を言ったっていいわけだ。
ひろゆきはインタビューで「ゲームばっかりやってる」といい、切込隊長は「童貞です」と自ら言い続ける。
どちらがより多く、浮動票としてのネットユーザーの心を掴めるのか。
切込隊長は最近わざわざ日記で「増田」って言って見たり、はてな村の浮動票に大注目しているみたいだけど。
(あの唐突で不自然なハテナへの言及の裏に、政治性を読み取れないやつは馬鹿だと思う。本人、ほとんど無意識だろうけどね)
増田(http://anond.hatelabo.jp/20080304045514)に書いてあった。
自分もfinalvent氏に嫌悪感を持ってたころがある。ほのめかしとか、切込隊長への妙な偏愛とか、もてることへの執着とか、上から目線っぽいくさしとか。日比谷焼き打ちに言及したくらいで切隊を国士と持ち上げたのには正直やりすぎと思った。自分だってそれくらいの歴史感覚はある、と。
つまるところそれは、自分と同じフレーバーの人っていうか、自分がもっといろんな経験していっぱい勉強すればこうなるのかなと思ってた結果だったな。未来の自分への恐れと言うか。若き自意識。
方向性とか似てたし。特に、福富太郎に言及したときは、ミラーイメージかと思った(笑)。あまり言うと妄想になってしまうが。ちなみに、自分は今32歳。
でも、ブロガーとして森羅万象に言及するならほのめかしもいいのかなと思うようになった。分かってることを、人に例証して説明するのは10倍の時間がかかる。全方向照射みたいなもので、アンテナにひっかかった人には分かるんだろうさ。
実際、自分も彼のいくつかのほのめかしには涙が出たもの。意見は彼と違ったけど、ああ、自分のこの劣等感は救われたなと思ったことが何回かある。でも、アンテナに引っかからないことも多い。それはもういい。
もちろん、ほのめかしと証明の間には深い深い溝があることもよく分かってるつもり。彼もとんちんかんなことがあるだろう。何か外野席っぽくて嫌味なところも確かにある。つか未だに慣れない。
でも、彼の言葉に救われたと感じたことが確実にあった。納得よりも救われた感。ほかの奴らにはなかったかもしれないが、自分にはあった。それだけ。実名で書く勇気はないけども、この場を借りて感謝したい。
人々の意見が、彼ら自身の性格の告白であることに人間は気づいていないらしい。
エマーソン
ある人物が、賢明で思慮に富む人物であることを実証する材料の一つは、
たとえ言葉だけであっても他者を脅迫したり侮辱したりしないことであると言ってよい。
なぜならこの二つの行為とも、相手に害を与えるのに何の役にも立たないからである。
脅迫は、相手の要心を目覚めさせるだけだし、 相手はそれまでは考えもしなかった強い執念をもって、
古代ローマ人は、このことを熟知していた。彼らは、
この二つの誤りを犯すことほど
相手の胸中に憎悪の念をかき立てることはないとわかっていたのである。
タキトゥスも書いている。
女性への「デブ」発言で拘留29日の判決 - nikkansports.com > 社会ニュース
「デブ」発言で侮辱罪、最高裁が大月市議の上告棄却 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
スナックで「デブ!」と言って、29日間の拘留刑となりました。人のコンプレックスには触れないほうがいいと思う
「バカ市長」は名誉棄損 最高裁で確定 - MSN産経ニュース
「DQN」は名誉毀損 2ちゃん語が危ない : J-CASTニュース
警官の「頭おかしい」発言に賠償命令 慰謝料として1万円 ― スポニチ Sponichi Annex 社会
「キチガイ」を訴えると、裁判ではどうなるのか。 - コウモリの世界の図解
『ハゲwww』ってコメントが流れてきたとき、会場のあちこちから小声で『ハゲ…』『ハゲ…w』って聞こえてきてさ
ハゲが何故罵倒語として機能するか理解できません - 量産型ブログ
切込隊長BLOG(ブログ): ハゲ親父が一心不乱に携帯でメールを打っている
コムスン折口雅博氏は笑顔でも目が笑ってないのは何故か: やまもといちろうBLOG(ブログ)
そろそろ一条あや乃は痛烈にdisっといたほうがいい - pal-9999の日記
Amazon.co.jp | ハゲレット ~Hagelet~ [DVD] DVD・ブルーレイ - 近藤芳正, 笹本玲奈, 久世星佳, ベンガル
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=598
これを読んでおれは、宮台氏が、救いようがなく下品で、吐き気がするくらいステロタイプで、リベラルアーツの理念から程遠い覇権思考の持ち主で、象牙の塔で奇形化したトッチャン坊やにしか思えなくなった。
弁解するつもりはない。これはDISだ。
六カ国協議にがっちりハマってたら日本の国益になったのか? 宮台氏は今の北朝鮮をめぐるグダグダな状況をどう説明するの?
安倍晋三はほんとにステロタイプな右翼だったのか? そんな簡単な話なのか?
そうとは思えない。
そのあたり、宮台氏のこの文章は、読み手のリテラシーの低さを想定し、それを利用しようとしてる気がしてならない。
finalvent氏、切込隊長、池田信夫氏、ハマちゃん氏、梅田氏、赤木氏など――――頭のいいよく考えてる人の文章を読んでて、自分と相容れない意見に出くわすことは頻繁にあるよ。
それでも、なぜ違うのかなと考えるようにしてる。なぜこの人はそう考えたのかなと。
けど、この宮台の文章を読んで、そんな気にはまったくなれなかった。
dankogaiの文章っておもしろい?ためになる?よく人気エントリーになっているから読んでみるんだけど、なにが評価されているのか全然分からん。いや、プログラマとしてはすごいと思うし、人のプログラムにケチつけてる時は、俺もなるほどと思うよ。でも書評は毒にも薬にもならんものばかりだし、社会ネタは脊髄反射レベルじゃん。あれ、なんで人気エントリーなのかな、と思ってブックマークコメントとか見るとさ、やっぱり脊髄反射とか言われてるわけよ。なんなのこれ、見世物?ネタ?ピエロ?同じアルファブロガーでも切込隊長とか池田信夫みたいにグルーピーがいるとも聞かないしさ。熱狂的dankogai信者、いたら手を挙げてくれよ。なんでdankogaiが御意見番みたいなポストに収まってるの?とりあえずなんにでも口を出すから、話題を拾うためのアンテナみたいに使われてるのか?それにしてもdankogaiくらいの文章力の人間がしたり顔でいるのって、ブロゴスフィアとしてやばくない?俺、万が一dankogaiの鋭い意見を見つけたとしても、普段の文章見てると恥ずかしくてブックーマークなんか出来ないよ。いや、けなしてるとかじゃなくて、まったく単純に、誰がなんで支持してるのか全然分からんのよ。俺はこういう理由でdankogaiが好きだ、dankogaiのこのエントリーがこういう理由で良かった、このdankogaiの指摘は鋭い、っていうのがあったらちょっと俺に示してくれ。俺も考え直すよ。きっとdankogaiもしたり顔でコメントしてくれるよ。よろしく。
http://anond.hatelabo.jp/20071015172107
うーん、そもそもの元増田のエントリーが意味ないような気がしてきたなあ。
それともそれらのTV番組をみないで書いてるから話が食い違ってるのかもなあ。
元増田の最初の書き込みの要旨をまとめると:
世界中の皆さんの戦争に関する議論の前提が「戦争は無くしていく。無くならなくても、やめる努力をしていく。」であるべきなのに、現実はそうではない、というのが元増田の嘆き。で、それはなんで?という疑問。
・・・ですよね?ちがうかな?
でも元増田が違和感を覚えたものってホントにあるんでしょうか?つまり、「戦争はなくしていくべきだという共通の大前提の不在」、という事実認識は正しいの?
ただ単に「そんなことないよ。共通の大前提としてほとんどの人がそう思ってるよ」って言ってあげればそれで終わりだったのかな。
そうしたら
なんで「道路は黒いよね」という単純な観察が、「道路を全部白くしたい!」という希望にまさる、という根拠は?
そもそも、なんで市井の一般人が自称「現実主義者」にならなくちゃいけないの? 現実主義者の方がかっこいいからって理由? よしりんとか切込隊長みたいに?
・・・みたいに、こちらが言ってもいないことまで突っ込まれる状況は生じなかったのかもなぁ。
道路の喩え話を使うならばボクが言いたいことは、
ってことだけ。
こんなアホみたいに簡単なこと判らないの?
わかってるよ。アホじゃないから。
で、なんで「道路は黒いよね」という単純な観察が、「道路を全部白くしたい!」という希望にまさる、という根拠は?
そもそも、なんで市井の一般人が自称「現実主義者」にならなくちゃいけないの? 現実主義者の方がかっこいいからって理由? よしりんとか切込隊長みたいに?
旧社会党が批判されたのは、現実主義者であるべき与党になったとき、あまりにダメダメだったからであって。当然、政治を判断し執行する人たち、経営する人たちは「(悲しいことに)コンフリクトは無くならないよね」と思ってもらってなくちゃ困る。けど、なんでその姿勢をその立場にない人たちにまで求めるのを良しとするの? むしろその立場を信任している人たちが「○○するな!」「××しろ!」って言っていかないと、政治家・経営者は短期的な最適戦略に走っちゃうと思うんだけど。戦争とか。賞味期限偽装とか。そっちのが楽だし。
久々に増田に書いてみる。空気は読んでない。ていうか増田読んでない。
だった、というのは正確じゃないかも。今も生理的にそう感じてる部分はあるし、程度問題もある。いわゆる「悪しき日教組の洗脳教育の影響」ってやつ? 母親が小学校教師だからしょがない。
まぁ自分語りはいいや。
でさ、不思議だったわけ。ネットに本格的にコミットしはじめた2002年ごろ。ちょっと見回すとみんな再軍備派。気分だの「真実の暴露」だのに酔ってレイシズムに嵌ってる有象無象の雑魚はどうでもいいとして、尊敬できる知性の持ち主であってもけっこうそうだった。切込隊長とかな(失笑した人は年代に注意)。
「なんでいい大人がこんなコト言えるんだろう」「死ぬのが怖くないんだろうか」「殺すのが怖くないんだろうか」って。思った。
違うんだ。最近やっと分かった。
「いい大人」になっちゃったから言うんだ。
赤木智弘の言うこともわかるんだよ。よくある「違う時代に生まれていたら」ってやつ。ヒロイックファンタジー志向の妥協策。でもいまオレは27。常識的に考えて、27歳会社員は、戦場で死なないし殺すことにならない。さらに、現状で総力戦の気配は毛ほどもないのだから、事態がもし順調に推移したとしても殴り合いが始まるのは数年先だ。よほど戦況が悪化しても、オレの前線配属はあり得ない。残念ながら!
っていうのに最近気づいた。
つまり上の世代が言う「(もちろん戦争も視野に入れた)自衛隊改正論」は、要するに元万年補欠野球部員だったオッサンが地元甲子園球児に向けるまなざしに似てるんじゃねぇのかなぁ。あるいは「時かけ」なり「耳すま」なりを観て、賛否いずれにしろ過剰な反応を示すオッサンに。その欲望の三角形に、見事に当事者たる世代が嵌っちゃう、という図。もちろん自分の死と殺傷を度外視していいから、現実的(!)な判断ができるようになったッてーのもあるんだろう。
なんだろう。うぜーなぁ。