はてなキーワード: プレゼンテーションとは
いや、
そのプレゼンテーションしてどうのこうのって言う
それが面白いって言う
「あなたの」ギャグセンスがつまんねーって言ってるんだけど
ふと思いつくままに書いてみた。
ツッコミ歓迎、ほかにも経験上こうだという項目があれば指摘してください。
自分のことをペラペラ言うのはただの自慢話にしか聞こえません。
相手に疑問を抱いてもらうとか、相手の話題を引き出すなど、相手に自分と関わってもらえるような話をしましょう。
会話を通じて相手のニーズを探るということが大事です。
楽しく、志と夢のあるポジティブな話題をしよう。
相手が何かに悩んでいるようであれば、その相談に乗るというのもありでしょう。
自分は相手のことに興味関心があるという姿勢を示すことも大事です。
普遍的、一般的なこと(例:つきあう相手で重視するポイントは?とか、幼少期はどんな感じだった?とか)、
相手が関心を持っている話題を相手の反応を見ながら提供するようにしましょう。
共通の趣味を持っていると、共通の趣味の話題を通じて話すチャンスが増えるだけでなく、
一緒に趣味を追求していけるという効果が期待できます。
ttp://www.ideaxidea.com/archives/2009/03/how_freshnessburger_was_built.html
# 「オリジナリティ」は半分の人に嫌われること
一番ぐっと来た言葉。ソニーの人も「あえてアンチソニーを作っている」と言っていたような。全員を満足させるより、自分が思い描いた人に熱狂的にファンになってもらう。それが個性だと思っていますが、実にうまく表現されていますよね。
# イヤなやつと最初に仲良くなる
どの職場にいても必ずいる「イヤなやつ」とは最初に仲良くなること。とことん話して苦手意識をなくしておこう。毎日「あいつに話しかけられたらいやだな」と思いながら仕事をすることこそばかばかしいことはないのだ。
# 大事なのは「自分一人で決めること」
なにかを始めるときは自分一人で決めることが大事。みんなで新しいことについて決めようとするとうまくまとまらない。やりたいことがあったらまずは自分一人の力で始めてみよう。
フレッシュネスバーガーの人気商品、バナナケーキ。これが売れたのにはちょっとした仕掛けが。焼きたてのバナナケーキをさますために奥の事務所に持って行くのですが、そのときにわざと客の前を通っていくらしいです。よい香りがふわーっと広がるので「お、何?」「ひとつちょうだい!」とすぐに完売。プレゼンテーションは大事ですよね。
# 質問されていやな上司なんていない
知らないことは素直に聞こう。よく人に聞く人とそうでない人は1年もたてば大きく違ってくる。プライドが高くて質問がなかなかできない人もいるだろうが、あとで自分で調べよう、などと思わずにどんどん聞こう。質問を熱心にされていやがる上司はいないのですから。
でも同じ質問は2度しないように気をつけましょうね。
うん、別にいいんだよ。技術一辺倒でやってっても
でもね、その技術もさ
理解して価値を見出してる人を探す&上手くプレゼンテーションするにはやっぱりコミュ力が居るんだよなぁ
今の世の中作りました、ハイ売れました、流行りましたにならないから。
色んなWebサービスをやってる人でもさ、本当に技術だけ!って人ってやっぱ伸び悩む人多いと思うんだよね。
頭でっかちになるし。
モテっていうか、
女の子にやってることを興味深く伝えるのも、
クライアントやお金出してくれそうな人に伝えるのもおんなじなんだよね。
だってどっちもやってる内容や細かい所なんて知らないじゃん。
でもその魅力を伝えるんだよ。
人として付き合いたい人だって思わせる事で
話聞いてくれたり納得してくれたりお金だしてくれたり、女の子だったら抱かれたりするわけでさ。
そこに違いはないし、そういう所も重要だよ。
技術的にすごかったり面白かったりしても、
ttp://blogs.itmedia.co.jp/speedfeed/2010/02/post-d4e6.html
僕は寄付請求のたぐいはいっさい信用しないというか、どう使われるか分からないお金を支払うのがイヤなので、これまでは基本的に無視してきた。
しかし、2年ほど前から実は「国境なき医師団」に寄付をしている。金額は微々たるものだ。一日50円、つまり月間で1500円に過ぎないので、特に誇れるようなものでもない。
とはいえゼロから50円/日の寄付に至ったのには理由がある。それは「国境なき医師団」が行っているメソッド(少なくとも一般に公開したマーケッティングメッセージ)が素晴らしかったからだ。
彼らの主張はこうだった。
・その多くは先進国にとっての市場性もないし資源もないから、欧米諸国のメディアにも載らないことが多い。
だから自分たちの力で支援を続けているし、ボランティアのバックアップが欲しい、というわけだ。
そして、多くの同様の支援団体と異なり、彼らのメソッドが効果的・効率的であることを訴える。それはこうだ。
・貧困に苦しむ第三国の病人の多くは、栄養失調さえ改善すれば助かることが多い。
・栄養失調は死因の20%かもしれないが、その20%が病気の原因の80%を占めるといっていい。
・だから彼らはまず栄養失調を改善するための(栄養価の高い)食料を直接病人達に届けるようにしている。
・食器も調理用具もない貧民のために、食料は手でも簡単に空けられる缶詰のみ。
・そしてその缶詰の中身はピーナッツバターに似たもので、指先ですくって食べることができる。
同じような行動をした人も多いだろう。
いまなぜこのエントリーをしているかというと、二つの理由のためだ。。一つは寄付して3年目の今、「国境なき医師団」から来たダイレクトメールに再び感動したことを伝えるため、もう一つはマーケティングの在り方を論じるためだ。
ダイレクトメールには、これまでの寄付に関する謝意と、もう少し額を増やすことへの依頼があった。これだけならたいした意味はないが、その内容が具体的かつ心を揺さぶるものだった。
ダイレクトメールは、これまでの寄付額で、どれだけの食料を与え、それが結果的に何人を救うことができたかを数字で記してあり、さらにあと300円寄付額を増やすと同じ年月で、あと何人を救うことができるかを明示してあったのだ。もちろんその内容は個々の寄付者の金額に応じて自動的に作成するようになってはいるだろう。しかし、それでも、そこに記載されているのは確かに僕が寄付した金額であり、僕のささやかな善意が彼らの努力によって形になったことを明確に知らせてくれているものだ。人のカネではない、僕のカネの成果があったことを教えてくれているのである。
原文→Official Google Blog: A new approach to China
執筆者:David Drummond(SVP,Corporate Development・Chief Legal Officer)
他の著名な組織同様,我々も日常的に様々なサイバー攻撃に直面しています。12月中旬,中国から我々のインフラを標的にした非常に洗練された攻撃を検知し,結果としてGoogleの知的財産を奪われました。当初,非常に高度とはいえ単なるセキュリティ上の問題に見えたのですが,すぐにまったく異なる事件だと明らかになりました。
第一に,攻撃はGoogleのみを標的にしたものではありませんでした。我々の調査によって,インターネット,ファイナンス,テクノロジー,メディア,化学などを含む幅広い分野の,少なくとも20の他の大企業が同様に標的にされたことが明らかになりました。我々は現在これらの企業に通知する作業の途中にあり,関連する合衆国当局とも作業をしています。
第二に,私たちの持つ証拠によれば,攻撃者の第一の目標は中国人人権活動家のGmailアカウントにアクセスすることでした。現時点までの我々の調査によって,私たちはこの攻撃の目標は達成されなかったと確信しています。2つのGmailアカウントにアクセスされたようですが,アクセスはアカウント情報(アカウント作成日など),及び件名に限られており,電子メールの内容そのものにはアクセスされていません。
第三に,この調査の中から,今回のGoogleへの攻撃とは別に,合衆国,中国,ヨーロッパ在住の,中国の人権支持者のGmailアカウントに対して第三者が定期的にアクセスしていたことを発見しました。これらのアカウントへのアクセスはGoogleの情報漏えいによるものではなく,おそらくはフィッシング詐欺や,ユーザのコンピューター上のマルウェアによるものだと思われます。
私たちはすでに得られた情報をもとに,Googleとユーザの使用するセキュリティ向上のために,インフラとアーキテクチャを改善しました。個人ユーザに対しては,評価の高いアンチウィルスソフトとアンチスパイウェアソフトを実行し,OSのパッチをインストールし,Webブラウザをアップデートすることを推奨します。インスタントメッセージや電子メール内のリンクをクリックする時,またオンライン上でパスワードなどの個人情報を提供するようにもとめられた時は,常に警戒するようにしてください。こちらで私たちのサイバーセキュリティに関する推奨情報を読むことができます。このような種類の攻撃についてさらに知りたい方は,合衆国政府のレポート(PDF),Nart Villeneuve氏のブログ,GhostNetスパイ事件についてのこちらのプレゼンテーションを読むことができます。
私たちがこの攻撃についての情報を,この異例な方法で多くのみなさんに公開することにしたのは,私たちが掘り出した問題がセキュリティと人権に与える影響のためばかりではなく,この情報がさらに大きな言論の自由についてのグローバルな議論の核心をついているからです。過去20年間,中国の経済再編計画と中国市民の起業家精神によって,何億もの中国の人々が貧困を脱することができました。間違いなくこの偉大な国家は,今日の世界のさらなる経済発展と進歩の中心です。
私たちは,情報や開かれたインターネットへのさらなるアクセスによる恩恵が,検索結果への検閲に合意することによる私たちの不安よりも重要だと考え,2006年1月にGoogle.cnをローンチしました。その際以下のように宣言しました。「私たちのサービスに対する制限や,新しい法律を含む中国国内の状況を注意深く監視します。もしここに示された目標が達成出来ないと確信した場合は,中国へのアプローチの再考も躊躇しません」
この攻撃と明らかになった監視—さらに昨年を通じてのWeb上の言論の自由をより制限しようとする計画も含めて—によって,私たちは中国における私たちの業務の実行可能性について再検討すべきだとの結論に達しました。今後Google.cnの検索結果に対する検閲を継続しないと決断し,これから数週間をかけて,法の範囲内でフィルターなしの検索エンジンの運営が可能かという点について中国政府と話しあいます。私たちはこの決断によってGoogle.cn,もしかすると中国オフィスも閉鎖しなくてはならなくなる可能性が十分にあることを理解しています。
中国における業務を再考するというこの決断は途方もなく困難でした。また,私たちはこの決断がさらに幅広い結果を生む可能性も理解しています。この方針は合衆国内の幹部たちによって指揮されたもので,Google.cnに今日の成功をもたらすために信じられないほど働いてくれた中国国内の社員たちによる情報や関わりはなかったと明確にしたいと思います。私たちはこの非常に難しい問題を解決するために責任をもって最大限の努力をします。
いつも明日までの勉強以外のことは手に付かず、毎日夜遅くまで勉強。
明日(今日)までにプレゼンテーションを作らなきゃいけないんだが、他の明日までの課題が今やっと終わったばかりだ。
あーもうどうしよう。今から初めても朝までに絶対終わらない。
心臓痛い。
日々の努力で大学に入れるか入れないか左右されると思うと、毎日つらい。
何でこんなプレッシャーに耐えなきゃならないんだ
もう限界。しにたい。
自分弱すぎ。
皆これよりもっとつらいってのに何で自分はこんなので苦しんで弱音吐いてんだろう、と思うと余計しにたくなる。
というか、皆もっとつらいのに耐えて頑張ってることが凄い。
ぼくにはとてもできない。ほんと。
頑張っても報われないし、支えてくれる人もいない。話す人すらいない。
それだけで本当につらくて、生きてるのが嫌になる。
Twitterに論を限定するのが適当とは思えないがそこはおいといて。
彼はあれだけの社会的地位とネームバリュー、要するに発言力を持ちながら、
経済学者として、あるいはひとかどの知識人としては思い込み先行の雑な論説が多すぎる。
にもかかわらず、プレゼンテーションがうまいのか営業努力に優れているのかわからんが、その発言は大衆に異様に高く評価されている。
信者のごとくその言葉を(雑な部分もそのままに)ありがたがって引用して見せたりする輩が多すぎる。
こういう歪んだ状況があったら普通批判する。中には口汚くののしるやつもいるだろう。だがそれが正常なのだ。
口汚くののしるアンチが存在するのは、氏の発言を格言のようにありがたがる信者が存在する以上、それと同じぐらい正常なことなのだ。
昨日の夜、「がんばって」日本のあるイベントの中継をみようと、寝ないでいた。
・・・結果、寝てしまった。なぜなら、とても退屈だったから。
カメラアングルは悪いわ、音声は悪いわ、事前に提案していたことに返事はないわ、
チャットに対応している人はいないわ、と、あげればキリがない。
それでも、イベントの志はそれなりに評価できるものだと思って、2回ともネットで
参加を試みた。
第一回目の慶応大学の時、その中継サイトには、20人以上の人が見にきていた。
このサイト自体が、英語サイトなので、英語圏の人達もいる様子だった。しかし、その
英語の人達には、日本語で流れ続けるプレゼンテーションは全くわけがわからない。
せめて、公式サイトに、英語のプログラムくらいあってもよいのに。いや、日本語でも
なかったんじゃないかな、プログラム。プレゼンテーターの紹介がサイトのわかりやす
いところにあれば、あとで調べることもできるだろうし、そこから同じような活動をして
いる人達が繋がっていくきっかけが出来る。
社会起業というコンセプトに「あ、これ、面白い。かっこいい」と思った若者が反応
して、それを支援するイベントを作ろうと思ったまではよいと思う。
でも、内容的に見た時、別の方も書いていたが、社会起業とボランティアの違いが
わかってないように思った。
すでにアメリカにも、ほかの国にも、社会起業として認識され、ビジネスとしても
成り立っている会社がたくさんある。まず、それについてもっと主催者は調べてみる
べきだと思う。
あと、ほかの県でも、開催されるようだが、こういうフィードバックをちゃんと生かして
最後の会くらいで、世界の社会起業を志す人や団体と結んでいくくらいのビジョン
を持って欲しい。
このご時世、ネットで繋がっていくことは、とても簡単だし、同じ志を持っていること
で、言葉の壁を越えていくことだって出来るはずだ。
がんばってることを認め合う場としての今の形から、ホントの意味での社会起業
について学び、今年が2年目だというこのイベント、もっともっとレベルの高いもの
にして欲しいと思う。
若い人達がやってることなので、いろいろと内部での揉め事もあるようだが
(これもネット上で表に出てたりする)それも含めて、成長の過程として、
お互いを認めながら、進歩していってほしいなぁ。
Webアナリストになりたいんです!っていう人が出てくるほど、Webアナリストという職が世の中に浸透しているとは思えませんが、なりたいって思ってる人がいるかもしれないので書いてみます。といっても、自分もまだまだWebアナリストとしてはヒヨッコなんですけどね。
めちゃくちゃ必要です。
Webアナリストは常にExcelを起動していると言っても過言でないくらい、Excelと向かい合って仕事しています。
関数は基本的なものはもちろん、マクロ・VBAに関しても使えた方が良いです。
ちなみに私はVBAは作れません。
勉強せねば・・・。
ここでは最低限押さえておいてほしい関数や機能をあげてみます。
当たり前ですが、これは必要です。
用語の意味とその数値がいいのか悪いのかを判断できるようにならないといけません。
まずは下記の用語と意味を覚えてください。意味は自分で調べてください。
Webアナリストの仕事は、解析をして、ここが悪いと指摘するだけじゃダメなんですね。具体的な改善提案を示すことが必要です。
ここで改善提案を示すのに必要になるのが、サイト制作の知識なわけです。
あえてサイト制作とばっくりとした書き方にしたのは、サイト制作がデザインとか、ユーザビリティとかそういった言葉を内包しているからです。
ここについては素養として制作の知識を持っていれば持っているほど、深みのある提案ができると思います。
私はここの知識が乏しいので、なかなか厳しいと日々感じています。
アナリストが行う分析は大きく2つに分けられます。
1つはサイト内部の分析、もう1つは集客(広告効果測定含む)の分析です。
じゃあ集客の知識って何があればいいのって話ですが、こんな知識をつけておくと役に立ちます。
数値が良くないと気づき、なんとなく打つべき施策はわかったとしても、この施策を打てば本当に現状より良くなるのか、確証が持てないことがあります。
そんなときに行うべきテストの方法を知っておくと便利です。
A/Bテストや多変量テスト、リスティングのT&Dローテーションなんかがテストの一例です。
あぁ、またこれかよ、と思われそうですが、これは主に2つの理由で結構必要だったりします。
1つは自分が3や4の知識が乏しくて改善提案を示せないときに、デザイナーやマーケ担当の人とコミュニケーションを図って糸口を見つけ出すことが必須だからです。
もう一つは自分が改善提案をしたものが裏目に出てしまった場合。
いかに角を立てずに説明できるかがポイントになったりします・・・。
当然ですが、自分が解析した知識は共有しないと全く意味がない訳で。
だって方針を決めるのはディレクターだし、手を動かすのはデザイナーやプログラマーな訳で。
で、上層部は「うちのサイトはどうなんだぁ?」というすごく抽象的な説明を投げかける訳で。
そういったキーマンたちにきっちり説明するために、プレゼンテーションの知識は必要になります。
これは6とも通じるところですね。
最後に。
アクセス解析はやろうと思えばどこまでも際限なくできてしまいます。
でも時間は有限なわけで。
どこかで線引きをしないといつまでたっても終わりません。
このときまでにここまでの数字を出そうと心に決めて、できれば手帳に書いて、仕事を進めることが
とーーーーーっても大事です。
ちなみに、本格的に勉強したいなーってひとがいたら、最近発売された
「ウェブ解析力 ROI(投資対効果)を最大化するアクセス解析の実践的ノウハウ90」
という本は一度目を通してみると良いと思います。
これだけじゃなく、アクセス解析に関する本は少ないので、一通り目を通してみても良いかもしれません。
いかがでしょうか?
http://www.waseda-giari.jp/sysimg/imgs/20080125_report.pdf
24~27頁以降
「日本発子供のポルノの現状と課題」
早水 研(日本ユニセフ協会専務理事)
早水
皆さんこんばんは。ご紹介いただきました日本ユニセフ協会の早水でございます。今日は早稲
田大学のグローバル COEプログラムにですね、こういった形で「日本発の子どものポルノの現
状と課題」ということでプレゼンテーションさせていただく機会をいただきまして大変有難い
と思っています。と言いますのは、この問題は、国際的には大きな問題として注目されている
んですけれども、日本国内では子ども買春の問題は新聞、テレビでしょっちゅう取り上げられ
ますけれども、ポルノの問題についてはまだまだ十分知られてないのではないかなと思いまし
て、今日こういう機会でみなさまにお話できること非常に有難く思っています。それではプレ
ゼンテーションさせていただきます。
私共、日本ユニセフ協会とはですね、ユニセフは世界 191現場にあるわけですけれども。そ
れとは別にですね、先進 36 カ国に、今国内委員会という形で独立したそれぞれ NGO として活
動している組織があります。その役割はですね、皆様ご承知かと思いますけれども、ユニセフ
を支援するための募金活動、広報活動、それともう 1つ大きな柱が、こういった子どもの権利
を守るために必要なアドボカシー活動を行うというのがございます。日本ユニセフ協会は 1996
年、先程のお話しにもありましたけれども、スウェーデン、ストックホルムで行われました第
1 回「子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」以降ですね、この子どもの商業的性的搾
取、CSECと略称しますけれども、それに対する取り組みを中心に据えて、これまで取り組んで
きております。
日本発の子供ポルノということでございます。「子供ポルノ」という言葉を使わせて頂いて
いるのは、必ずしも「児童ポルノ」に限定したものではないという意味を含ませていただいて
いるからです。「児童ポルノ」というのは、法律の名称にもあります通り、実際の子どもを被
写体とする、被害者が実在するポルノのことでございます。「子供ポルノ」というのは、必ず
しも実在の子どもの存在が必須の条件として考えるだけじゃなくて、いわゆる漫画、コミック
の類、それからアニメーション、それから最近ではゲームソフト、こういったような形を使っ
てですね、実在しない子どもを描いたものが非常に多く出回っているということです。場合に
よっては、これが実在する子どもを被写体としたポルノ以上に社会に悪い影響を及ぼしている
という事態がある。そして、日本が世界に名だたる、冠たる、アニメの大変素晴らしい作品を
世界に送り出している国であるにも関わらず、そういったような技術が悪用されて、こういっ
たものに使われているということについて非常に大きな危惧を抱いているということです。そ
ういったことから、私どもの取り組みに含めているという主旨で、この「子供ポルノ」という
言葉を使わせて頂きます。
「子供ポルノ」は、実在の子どもが対象になっている場合、製作の現場でまさに虐待に遭っ
ているのです。そして、それがインターネット等を通じて消費される時、またそこで虐待が行
われている。そしてその後も、特にインターネット社会においてはですね、一度バーチャルな
世界に画像が出てしまいますと、ある意味で永遠にそこに残るわけですね。そういった形で、
繰り返し、繰り返し虐待を受けると。もう既に自殺者が出るくらい、被害に遭った子どもがい
るわけでございます。
これまで私どもの取り組みを含めてですね、日本においては「児童ポルノ」にフォーカスし
ますけれども、流れとしては、ここに書かれているような経緯の中で、除々にですけれども関
心を集めているということだと思います。最初のきっかけがスウェーデン、ストックホルムで
行われました第 1回世界会議です。この中で日本はですね、世界最大の「児童ポルノ」の発信
国の 1つという非難を受けたわけでございます。それを受けてですね、先程もちょっと出まし
たけれども、フォローアップ会議というものを働きかけて、日本で何回か行われました。それ
には今日ご参加の横田先生にもお越しいただいたこともあります。勉強会とか、国会議員の方
が超党派で勉強会を開いて頂いたりということで、除々に立法への働きかけが強まってきたわ
けであります。そのおかげで 1999年に、「児童買春児童ポルノに関わる行為等の処罰及び児童
の保護等に関する法律」という、いわゆる「児童買春児童ポルノ禁止法」というものが制定さ
れました。これは超党派の国会議員による議員立法という形で作られたものでございます。と
ころがこれができた直後から、当時既にサイバーポルノが急激に大きな問題となったのです。
私どもも官民をあげてですね、最初の法律ができて以降、直後からサイバーポルノの問題への
取り組みを開始させていただいております。
そして、そういった世界的な動きの中で、2000年に子ども買春、子供ポルノ、子供のトラフ
ィッキングも入っておりますけれども、それに関する子どもの権利条約の選択議定書が採択さ
れています。日本は 2005 年に批准しています。これはですね、日本はトラフィッキング関係
の法整備が不十分であったがために若干遅れましたけれども、2005年に批准を致しました。そ
ういった法律の整備ですとか取り組みが評価されてですね、スウェーデン政府から日本政府は
要請を受けて第 2回の横浜会議を主催するまでにその評価を高めたということでございます。
2004 年、1999 年に制定されました児童買春・児童ポルノ等禁止法、この中で特に罪刑の強
化それからサイバーポルノ関係についての規定の充実というようなことを含めて、改正が行わ
れました。具体的には特定少数に対する児童ポルノの提供ですとか、提供目的が明らかでなく
ても、いわゆる児童ポルノを製造すれば、それは処罰されますよと。それから電磁的記録いわ
ゆるコンピューター上の記録ですね。それを提供すること。それから提供目的で保管すること
を処罰するということで強化されています。児童ポルノの罰則については 3年 300万というも
のが、5年 500万という形で強化されています。
ただ、ここで不十分というのはですね、2 つ大きくありまして。1 つは単純所持。提供目的
ではない所持については何ら禁止規定がないということ。すなわち児童ポルノを製造した人か
らそれを買う、もしくはダウンロードするということ自体、児童ポルノの製造を助けるわけで
すけれども、買ったほうに対しては全く罰則がないということで、ある意味、商業的性的搾取
を促進するものについて片手落ちのような形に今なっているということ。
それからもう 1つが、先程皆さんに申し上げました、非常に大きな影響を及ぼしている漫画
ですとかコミックそれからゲームソフト等に関する規制は全くないという状況でございます。
ただ、児童買春・児童ポルノ禁止法が施行されて以来、ここに挙げてあります通り、非常に多
くの事件が摘発されて、検挙され、そして裁判にかけられているということでございます。全
ての検挙件数で見ますと、2005 年に 2000 件を超えてからですね、2006 年に史上最高の 2229
件という検挙件数をカウントしております。被害の児童数というのは、子ども買春を含めます
けれども、2000人弱、1500人から 1700人というレベルで推移していると。これだけ警察は非
常に力を入れて摘発しているということです。これに占める児童ポルノの検挙件数はですね、
これご覧いただくとよく分かりますように、2005 年、2006 年、新しい法律の改正があってか
ら非常に大きく増えています。470 件、616 件という形で児童ポルノの摘発件数が増えていま
す。その中で特にインターネットを利用したものが 1番下の段にございますけれども、2006年
では 251件を占めるということでございます。
実は、この次のスライドはみなさまのお手元に配布されたものの中には入っておりません。
非公式に提供していただいたものですから、公表は勘弁してくれと言われておりますので、画
面だけご覧いただきたいと思います。先ほど申しましたように、警察、検察含めまして非常に
児童ポルノの摘発に力を入れてくださっているのですが、結果的に判決がどうなっているかと
いうことまで中々フォローしづらいのですけれども。これご覧いただくと 1 番下の段が 2005
年の実績でございます。地方裁判所レベルでございますけれども。実は右側に執行猶予プラス
罰金刑のパーセントっていうのが書いてあります。97%が実刑を伴わない判決になっているん
ですね。無罪になるってことはあんまりないのです。ただ、判決で有罪と判決されても、執行
猶予もしくは罰金で終わってしまう。その日のうちに日常生活に復帰できるという扱いがほと
んどです。これでは社会に対して間違ったメッセージを送ることになりはしないかということ
が、私ども若干懸念しているところでございます。これは司法の問題でございますので、中々
私どもも働きかけるのが難しい世界でありますけれども、注意深くフォローすることによっ
て、こういった実態も分かってきましたので、これからさらにこういった方面まで働きかけを
強める必要があると思っております。
「児童ポルノ」の氾濫というものはですね、単純に製造者がいて被害者がいるという単純な
構造では中々理解しづらいんですけれども。出会い系サイトを使って会ってみて、顔写真を撮
って、これをばら撒くぞと。ばら撒かれたくなかったら、自分の携帯で自分の裸の写真を撮っ
て送れと言われて、そうせざるを得ない。送ったら、またそれを公表されてしまったというよ
うな形で、特に子どもさんの場合、最初の入り口で無防備な形で第三者と会ってしまうことか
ら泥沼にはまってしまうというようなケースが多々発生しています。
それから最近では、ここでは触れられませんけれども、私ども街でみつけたものを警察に持
ち込んで調べてもらったことがありますけれども、「児童ポルノ」と書いてあるにも関わらず、
実際には、本当に私も見ました。気持ち悪くなったぐらいのポルノ DVDですけれども、実際に
はそこに写っているのはみんな 18、9歳以上の、子どもではない、大人だということが警察の
調べでは明らかになったということでございました。その例をこれからちょっとご紹介しま
す。これらも差し障りがありますので配布資料には入れておりません。
これがですね、秋葉原の大通りに面した、みなさんよくご存知の家電量販店が運営している
ソフトの売り場ですね。誰でも買える状態で置かれているものでございます。右下は 5歳と書
いてあります。それからその上にありますのは児童ポルノというものを標榜しておるわけです
ね。こうしたものが平日、白昼堂々と売られていて、かつ買えるということでございます。こ
こに出ている左上は各国の、国籍様々の女子がポーズをとっているというような DVDでござい
ます。こうしたものは、先程申し上げました通り、法律で摘発できるかと言われればできない
ようなのですけれども。ただ、社会への害悪、特に子どもへの今後の影響等考えますと、やは
りこういったものはぜひ何らかの形で排除していく必要があるかなという風に思っています。
次はアニメの DVDですね。こちらのほうが、ある意味よりリアルなものも多くあります。表
現の自由といった観点からの反論の声もあろうかと思いますけれども、諸外国においてはです
ね、こういったものを持っていただけで、アメリカ、カナダのケースでは摘発されて、実際に
場合によっては 20 年の実刑判決とものも出ています。日本発のアニメもしくはコミックを持
っていたということで、一発有罪、実刑判決というのが実際に出ています。日本は全く野放し
で、そういったものが諸外国においても出回ってしまっているというのが現状でございます。
これは漫画でございますけれども、こちらは表通りから 1本入ったところにある、雑居ビル
の 2階まで上がっていかないと入れない本屋、書店なんですけれども、それでもここにいらっ
しゃる方誰でも入れます。そういったところで売られています。
現状はこういうことなのですけれども、これからの取り組みとしてどういうことがあるかと
いうことです。児童買春・児童ポルノ禁止法だけにとどまらず、各地で一定の努力がなされて
いることもみなさんご承知いただきたいと思います。1つは、2004年に新聞販売員の女児の誘
拐殺人事件というのが起きた奈良県。こちらではですね、13歳未満の子どもに付きまとう行為
ですとか子どもポルノなどの所持ということも禁止する条例が制定されました。実際にこれを
適用されて摘発された、いわゆる単純所持というケースもございます。奈良県条例は、最初の
きっかけとなった子どもの誘拐殺人事件の捜査のプロセスで、加害者が高校生の時に初めてロ
リコンのポルノアニメを見たと、それが忘れられないと供述したということもあってですね、
翌 2005年の7月には条例ができたということでございます。
茨城県警では、インターネット上の子どもポルノの販売サイトを自ら調べて、そこをクリッ
クしようとすると、ここにあるような警告文が出るというようなことをやっています。これは
お読みいただければ分かると思います。実際に削除はされていません。サイトそのものは。た
だ見に行くこと自体が犯罪を助長するのだとはっきりとうたって、利用しないようにと働きか
けています。これは極めて大事な取り組みだと私どもも評価しております。
それから、IT業界のほうで大きな取り組みがあります。去年の暮れから携帯電話のフィルタ
リングサービスというものが、いわゆるデフォルトで設定されるということになりました。特
に、未成年の新規契約者に対してですけれども。これは先ほども申しました出会い系サイトへ
の子どものアクセスというものを制約する、制限するというような意味で非常に重要なワンス
テップじゃないかと思います。
更に、民主党がインターネット上の違法有害サイトの削除をプロバイダーなどに義務付ける
法案。プロバイダーの責任でそういったものは載せないようにすることを義務づけるというこ
とを検討していらっしゃるという風に報道されております。
そして、これからの取り組みでございますけれども、やはり法律の上で不足していると思わ
れる部分をはっきりと規制して頂く。すなわち単純所持の件。それから下の方に書いてありま
す、今の児童ポルノの定義ではなくて、もっと幅の広いアニメそれからコミックそういったも
のを含む子どもポルノ全体に網をかける必要があるということでございます。このあたりの表
現とかについては、まだ検討中でございます。昨日も、ここに何人か参加して頂いていますが、
関係の方々と一緒の勉強会をさせて頂いて、更に内容を詰めているところでございます。これ
は特にですね、先程申し上げましたアメリカ、カナダのケースがありますけれども、各国ほと
んど規制されているにも関わらす、日本だけが抜けているというようなことで、諸外国からも、
こういった方面について何とかならないのかということを言われているという分野でござい
ます。それから、先程申し上げました携帯電話のフィルタリングだけでなくて、インターネッ
ト全般に関する業界をあげての取り組み、これをぜひ求めたいと思っています。
先程、甲斐田さんのほうからコードプロジェクトというお話がありました。これは旅行業界
で今、行われているものでございますけれども、私どもの方から日本旅行業界等に働きかけを
行っています。法律が整備されればそれだけでいいという訳ではなくて、官民をあげた取り組
みというものがこういった問題の解決には絶対に必要だということで、旅行業界自身が自分達
は子ども買春、子どもポルノに反対しますという立場を鮮明に出していただくということで
す。実際に、みなさまルック JTBとかですね、JALパックのパンフレットございますけれども、
裏表紙に小さいですけれども、そういったメッセージが刷り込まれています。多分、全てのパ
ンフレットに刷り込まれています。これは、そういった態度をまず表明していただき、それか
ら内部的な取り組みを行い、且つそれを報告して頂くという、1 つの行動規範というセットで
お願いしているものでございます。日本の日本発の旅行を扱う 90%が、それに賛同して頂いて
やっているということでございます。それと、最後が司法も含めてですね。こういった問題へ
の取り組みをもっと強化していただきたいというふうに考えています。
以上、早口で分かりづらかったかもしれませんけれども、日本発の子どもポルノの現状と課
題ということで報告させて頂きました。どうもご清聴ありがとうございました。
勝間
早水さん、ありがとうございました。最初にソマリーさんと甲斐田さんから子ども買春のこと
を中心にカンボジアの現状についてご報告いただいたのですが、早水さんのお話を伺ってです
ね、子ども買春の問題だけではなくて、子どもポルノという問題があると。また日本が製造基
地になっているという問題提起がございました。この性的搾取に関わるサービス、性的搾取に
関わるモノの問題なのですけれども、これらは両方お互いに関係しあっているというお話かと
思います。カンボジアの話から始まったのですけれども、実は私達の足許を見てみると、日本
の中にもずいぶんたくさんの問題があるということが教えていただけたかと思います。カンボ
ジアにおける人権の意識とかですね、法の執行という話があったのですけれども、日本におい
てもまだまだ課題があるということかと思います。
それでは 3人目の報告者として外務省人権人道課長の木村さんにですね「子どもの商業的性
的搾取に反対する世界会議~横浜からブラジルへ」と題してお話しいただきます。日本の政府
は横浜会議に非常に強く取り組んで、次の開催国を探すところも一生懸命されたということ
で、非常に強いコミットメントを持って活動されておりますので、そのことを伺いたいと思い
ます。よろしくお願いします。
「子供ポルノ」というのは、必ずしも実在の子どもの存在が必須の条件として考えるだけじゃなくて、いわゆる漫画、コミックの類、それからアニメーション、それから最近ではゲームソフト、こういったような形を使ってですね、実在しない子どもを描いたものが非常に多く出回っているということです。場合によっては、これが実在する子どもを被写体としたポルノ以上に社会に悪い影響を及ぼしているという事態がある。そして、日本が世界に名だたる、冠たる、アニメの大変素晴らしい作品を世界に送り出している国であるにも関わらず、そういったような技術が悪用されて、こういったものに使われているということについて非常に大きな危惧を抱いているということです。
結局の所、この太字部分を何とかせにゃならんのだろう。
しかし、なまじアジア諸国のリアルな児童売春・買春の実態を知っているが故に日本の二次元媒体の流布と結びつけずにはいられないという状況なんだろうな。
壁を乗り越えることにこだわりを感じる文章だな。
他者は壁にぶつかったかどうかなんて興味がない。結果に興味がある。
壁を乗り越えてこようが、壁にぶつからずにきてようが、その時点で結果を出せる人が優秀。
壁にぶつからなくても結果がだせなければしょうがない。
得られた結果がよければ途中で壁にぶつかってても構わない。
たぶん、それなりにプロセスということを重視したいのかもしれんが、どちらにしても中途半端な気がする。
壁にぶつかったことがないことは自慢にならない。現時点で出せているパフォーマンスが重要。
プロセス評価というのも、プロセスという名の「結果」を評価しているにすぎないのが現状の成果評価な気がする
壁を乗り越えたアピールをした人が良い評価をもらったとすれば、その人はプレゼンテーションが優秀だったのだろう。
言い方を変えれば、自分の考え方を他者に魅力的にアピールするという「壁」をその人はやすやすと越えていったのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20090308235742
RE: ■最近の若者は日本の文化を殺そうとしているのではないか
自分たちは何も文化を創り出さないくせに、文化を殺す方向にしか考えがいかず
その理由は、別に見てもしょうがない、という『必要でなければいらない』という発想。
何故文化的なものにお金を払うことに対して積極的ではないのだろう?
文化とはなんだろう。ゲイジュツとは。それ自体、集金マシンと化した、一種の権威構造ではないか?本当にゲイジュツ的な人間がゲイジュツ家と評価されるのか?ま、一定レベルはあるだろうが、アート(や場合によってはカガク)の権威化は「プレゼンテーション」に過ぎないかもよ。たまたま、または戦略的にシステムに組み込まれることが適った者がその「価値」の主張の「正当性」を手に入れることができるのだ。
ってなわけで、ま、昨今のカルチャーも数十年数百年たてば「ゲイジュツ」とか呼ばれてるかもしれないし、「ゲイジュツ」自体が意味の解体を受けてるかもしれないし、一種の「権威」「人気」指標の(暗示的明示的)投票制度による貨幣との等価交換なんて概念がなくなっていれば、ああ、そういえば「ブンカ」なんてもったいぶって人間が奢ってた時代があったな、なんてこともあるかもね。
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html
http://72.14.235.132/search?q=cache:http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html&hl=ja
以下、わかりやすく翻訳しても長くて読みにくいのは変わらないので自分の読み取った結論を3行で書くと。
まあ、2ちゃんねるアニメ板界隈ではそれほど新しい主張ではないな、と翻訳しおわってから思ったけど。
では。
まあ、原作至上主義って言ってもいろいろ視点はあるよね。
「原作至上主義」って、これらの問題が混ざり合って出来てるよね。一応仕事だからこんな話があるのは知っていたけど、正直気にしだしたのは、noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言ったのエントリに煽られたから。日だまりスケッチ×365とかかんなぎとかに関して「原作とアニメのあいだ」とも呼ぶべきものが問題にされていて興味深かった。世の中わかった気がした偉い人が「統計学的な分析」とか「メディアが違うことを無視した分析」してるけど、この人は誰だかわからない、ってことは別にしてとても興味深いよ。
自分なりにまとめると、id:noir_kが「原作至上主義」について言ってることは、
ていうことだよ。
なので、この人の言いたいことはともかくとして、自分もその流れで「原作至上主義」について考えてみるよ。
「批評」って、見る側がするものだと思われがちだけど、作る側もするんだよね。作る側の批評というのは、過去のアニメ作品とかアニメ以外の作品について、「批判」することなんだけどね。ガンダム・エヴァンゲリオンはもちろん、アニメ以外のテレビ番組とか、ネットとか映画作品とかゲームとかコミックとか小説新聞美術作品とか、そのへんを「批判」するってこと。
みんなわかるとおり、今アニメを作る側の「批評」ってこんな感じだよね。
また、この辺が「新房昭之」「山本寛」あたりから始まる、ってのもみんなわかると思う。
まあこのへん「批評的な営み」って言うのかな、これ、
という流れを「忠実に反映」してると思うよ。
ちなみに、引用のうち、実写映画の技法、特に画面の構図とか物語の構成とか色合いとか撮り方編集の仕方に関する演出とか、に関するものは、それ出来るところが先にやったもん勝ち、っていう実情があるよ。
今はメディアミックスの時代だから、アニメ作る側も、原作とアニメを同じものとして作ることが求められている。でも原作とアニメって、片方は印刷したもの、片方は画面で音がついて動くものとして別のものなんだから違うものとして考えようよ、ってid:noir_kが「原作至上主義」に対して言ってることってなかなか良い意見だと思うんだ。
これらは仕掛けとして考えれば同じもので、見る側作る側はこの仕掛けを通じて共犯関係になる。そして「原作とアニメが同じものとして作られるものだという空気」が、これらが、なにかを考えて作られたものだな、とみんなに思わせる目印になっている。この目印を越えて、今のアニメの演出が進むことで、アニメを作る側も見る側も、新しい批評が出来るとわたしは思うよ。
こう書くと、ストーリーって重要な要素を忘れているのではないか、と言う人もいると思う。ただ、ストーリーって編集という演出の産物なんだよね。で、ストーリーは「ある内容」を「どう語るか」にあるわけだけだけど、「ある内容」ってもともと5から20個くらいのパターンしかないから、そこを評価しても仕方がない。「どう語るか」は批評の対象になるかも知れない。ニューヨークの9.11テロを題材にした物語は無数にあるけど、それをどの視点からどのように語るかということが重要だということ。うっとうしく社会学で語ると、これが「批評空間」世代と「東浩紀━宇野常寛・ゼロ年」世代の差異だということ。後者はおもいきり戦略的に「物語論」へと反動的に回帰しているように思われるし。言い換えると、「表現論」派と「物語論」派がいるよね、ということ。
世代が新しくなってるから、「表現論」派の肩身がきわめて狭くなるのは当たり前だよね。現に、自分は「コードギアス 反逆のルルーシュ」が「表現論」的な演出を自粛した作品だと思っているし、そのあらわれとして「物語論」派から支持を集めることに成功してるし。そして、このアニメは2008年を代表しうるアニメだからね。
アニメって、他のジャンルと比べても忘れられる度合いが例外的なほどに高いように思う。半年前のアニメさえ鮮明に思い出せないことの方が多い。これは何故だと思う?
それは、異常なまでに「物語」と「登場人物」(声優とか声優の演技のしかたも含めて)が似ていて、なんか同じものの繰り返しになっているから。
アニメ以外の、コミックとかゲームはよく知らないんだけど、コミックを例に取ってみようか。まあコミックも簡単なパターンで作られているようにみえる。でも、「美術と小説に関して明らかに規範的なテクニックを持っているのにもかかわらず、下手くそな画で馬鹿げた物語を語っている」漫画家が確かに存在しているのね。おまけに、存在しているのみならず人数も多い。
けれども今の時代、経済構造の都合でアニメ業界はそれができない。「原作のないオリジナル作品が作れない」っていう意味ではなく、「オリジナルなものが抑圧される」という意味で。俗っぽい例えだけど、「優れた直木賞」は受け入れられても「中途半端な芥川賞」は抑圧されるということなんだよね。だから、ほとんどの作品が忘れられていくのは当然の事態なの。(より正確に言うのなら、「直木賞」と「芥川賞」の差もなくなっているし、アニメの歴史の問題というより、今アニメを作る人が信念を持って「特化」しようとすると、淘汰されるということかな。でも「特化」なんて言えるようになったのが90年代に入ってからのことなので、奇妙なねじれがあるようにみえるんだよね。この「ねじれ」を作家主義が引き受けたこと、そしてインターネット社会が同時的に誕生したこと、これが、「アニメーションの歴史におけるヌーヴェルヴァーグ」〈山本寛の談〉と呼ばれる事態なのかな、とわたしは考えるよ。)
現代のメディアミックス時代における、アニメ作る側の「原作至上主義」、インターネット社会におけるアニメ見る側の「原作至上主義」。
相対主義を標榜するほどナイーブでもないので私見を述べると、どっちも間違ってる。
アニメ作る側がいくら「原作」を「模倣」しようが、メタフィクション・パロディ・引用・自己言及、そして実写の早い者勝ち引用ゲームからは抜けられない。アニメ見る側がいくら「原作とアニメはこんなに似てる」と言おうが、根本的にそれは異なるものだから。根本的に違うものなので、いくら似てると言っても意味がない。それとも、類似点を言っていればヘーゲルの時代に戻れるとでも思っているのかしら。
ヘーゲルは小説のことを「市民社会のブルジョワ的な叙事詩」と定義した。要するにアニメの場合、「表現論」派に対して、世界の全体像の提示を旨とする「物語」派が復権するということは、奇しくもヘーゲルへの回帰をも意味するということ。言い換えればこれが「市民社会」論・「公共性」論・「安定的な社会秩序」を懐かしむことにつながると言うこと。でも、懐かしがって出来た物語は「秩序の混乱・解体→回復」という説話の構造でしかないし、その物語は「売れる=消費される」社会の現状維持的な肯定。果たして、それでよいの?
ひっそりと深夜に放送されるアニメを作るのも見るのもまっぴらごめん、と言う態度は適切だし、ましていい大人、常識的な社会人が、という話なら正しい振る舞いでもある。
ただ、昔の人が反語的に言うような、アニメがステータスシンボル(「オタクのしるし」とか)以上の存在価値を持ち得ないという議論は、あまりにも不毛で、杜撰で、素人じみている。富野由悠季まで戦略なしに不意に言うのを聞くと、断固として反論する必要があると最近思っている。そして逆に、圧倒的な「アニメ≒コミック」表現に関する戦略性(プレゼンテーションと歴史的な文脈づくり)で欧米諸国を震撼させた村上隆のような現代美術家に対しても、最近では諸手を挙げて肯定することは出来なくなっている。
富野のペシミズムと、ペシミズムの盗用により現代美術世界で名だたる作家となった村上隆。
なんにせよ、この2人が、行き詰まっている現状でぎりぎりの戦略をとっていることは胸を打つ。この固有名詞が、アニメにやってくる。決して2人とも現状を抜け出すことには成功していない。2人ともテクニックはあるけれど、状況を突破するほどの何かを示してはいない。
でも、新房はテーマとの暴力的な遭遇(西尾威信の小説のアニメ化)によって現状を何とかしようとしており、山本はアニメ作りと同時に言論活動を展開することで、自己弁明しながらも新しさを模索しているようかのようにみえる。
そして、まちがってもそれらは、『ef -a tale of melodies.』(※監督:大沼心、監修:新房昭之)や『かんなぎ』のような作品で実現されているとは思えない。両者で見るべき点は、妥協および「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽ること」以外にないのではないか。
けれども、「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽る」というとき、その恐怖心こそが、富野や村上には見いだせないものであって。
くだらないテーマの指摘とか、原作とアニメが違うだとか、ありふれた技法を指摘するだとか、歴史的にあれと似ているとか、そんな指摘は新房や山本が恥じらいながらも表現しようとしているものにまるで追いついていないのよ。
デートの奢りとワリカンも、付き合いの初期と関係が安定してからだと
また変化があって当然なんだよ。
交際を申し込んでアタックしてる(男が)段階では、
男は必死に「俺を選んで下さい」と、コンペティション(競合)の中で
女性に対して奢るってのは当然なんだよ。
たかが食事代くらいも負担できない低所得をアピールしてどうする。
ありとあらゆる持ち札を提示して自己アピールしなきゃいけない。
(これは女も同じで、完璧な服装と化粧と会話で武装して応戦するべき)
最後に少しあおってみる。
付き合いが安定して、ステディな恋人同士になったら、同じことしてたらバカだ。
ここで男にだけ経済的に負担させる女なら先が思いやられる。
稼ぐ収入に応じての負担割合をなんとなくお互いで決めるもんだから。
(ここで女の数倍稼いでるのに、女に同じ額だけワリカンさせるバカ男は論外。
オタク仲間の友人から突然告白されたことがある。正確には突然というわけではなかったのだけど、まさか告白してくるとは思っていなかったので、予想外という意味では突然と言ってもいい。人から告白されたのは当時30過ぎになる人生の中で初めてであった。
まず前提として、彼も私もかなり重度のオタクで、恋愛よりも恋愛シミュレーションにうつつを抜かしている人種である。彼は恋愛経験皆無、私も毛の生えた程度といったところだろう。だいたいその年で独身彼氏無しというあたりで察して頂きたい。ただし私には他に好きな人がいて、フラグを立てようと必死になっている真っ最中であった。
不遜に聞こえるかもしれないけれど、彼に好かれているな、というのは分かっていた。清水の舞台から今にも飛び降りそうな文面で食事に誘われたり、熱心にメールを頂いていたりしたからだ。周囲の人々がニヤニヤと世話を焼きたそうにしているのにも気づいていた。ただ、まさか告白されるとは思えない程に、彼の態度はこれから私という30過ぎの女を落とそうとしている人間の態度ではなかったのである。確かに食事に誘ったり、メールをするという意味では積極的だと言えるのだろうが、それは形だけのことで、もっと大切な、自分を好きになって貰おうという姿勢に欠けているように思えた。
そもそも彼とはゲームやアニメの話ばかりしていて、彼がどのような生活をしているのか、何を考えているのかは知らなかった。私自身、好きな人はいるものの見込みは少なく、彼を好きになれるものならいっそその方が幸せかもしれないと思い始めていた。繰り返すが30過ぎているのだ、それぐらい打算的になっても許して貰いたい。だから食事の際に少し水を向けてみた。
すると彼は食事の間中、俺はこれまでの人生でこんなダメなことがあって、人と上手く付き合えなくって、オタクで収入も少ない的なことを延々と私に話し出したのである。何なのだこれは。私は彼から「こんな俺どうですか?」とプレゼンテーションを受けている立場ではなかったのだろうか。何故、営業マンから欠陥点ばかりを聞かされなければならないのだろうか。別に取り繕えと言っているわけではない。せめて彼といることで何か楽しいことが起きそうな、安らげそうなプラス面を見せて欲しかった。恋人がマイナス面を見せても受け止められるのは、まず先に「好きだ」という感情があってのことだ。ヘタレが好きなのは2次元限定である。以降の彼との食事は、全くもって楽しくなくなってしまった。
これが噂の「ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群」なのか。言っておくがそんな男性が好きな女性は母親と一部のドM女性しかいない。数度の食事を重ねて、彼は私の「一生懸命なところが好き」(主に乙女ゲー方面に)と言ってくれたのだが、きっとそれが総てではないのだろう。交友範囲の中で唯一の女で、オタク趣味を認めてくれて、母親の代わりでもしてくれそうなのが私だったからじゃないのか。そんな捻くれた見方をしなければならない程に悲しかった。私自身、きっと無理だろうと思いつつも、好きな人に営業をかけている時期だったので余計に悲しかった。
好きな人から好きになって貰うために、努力や気遣いが必要だということを私は知っている。「彼とは素の自分で付き合える」「彼といると楽」と言っている友人が、その関係を維持するために「下手くそ」だと言えなかったり、自分が疲れていても彼の愚痴を聞いたりしていることを知っている。それは彼を想えばこそだろう。思い返してみれば、結婚40年目になる両親ですらそうだ。「努力と気遣いが必要な恋愛関係は本当の恋人同士ではない」と言える人は幸せだ、そんな対人関係を築けているということなのだから。
おそらく彼と私が付き合ったところで、心が豊かになるような生活はおくれなかっただろう。努力する気がない人に対して努力をし続けられるような母性は、私にはなかった。ゲームの話が出来るのは楽しいかもしれないが、恋人から得るものがそんなものだけというのは寂しすぎる。結局、好きな人がいると言ってお断りしたのだが、純情な○○青年の想いをすげなく断った身の程知らず、という評判だけが回り回って好きな人にまで届いたようで、その後、好きな人を口説き落とすまでさらに1年に及ぶ努力をしなければならなかったことを追記しておく。
元増田だけど、集まりが悪かったからageとく。
なんか、ポジティブ方面なトラックバックは増田にはなかなかつかないみたいだね。
じゃあ、思いつきで有名どころをいくつかピックアップしてみるよ。
次は「浴びせて読ませるブックマーカー」とか
「じっくり読ませるブックマーカー」とか
「ガツンと突っ込むブックマーカー」とか
誰かやってくれないかなw
中の技術者です。日立の中の悪い面は、やはり外から見ても分かるんですね。
「クラウド・コンピューティング」って何それっていう社風です。
全くやってないわけではないけど、もっとこの手の新しい技術に金と人をかけて欲しいと個人的に思えるくらい、細々としたもの。
日立はネットワークの技術にきわめて弱い印象があります。ベンダー体力としては劣りますがNECの方が面白いかもしれませんね。
それは同感。NECは、キーワード的にはSaaSとかWeb2.0系とか言われるようなものに、割と早い段階から手を出している。
私もこういう技術に手を出したいが、なかなか難しい状況。
うちのところに来ている営業マンはおよそ他社では25歳くらいで身に着けるべきビジネス・スキル(期日管理、プレゼンテーション力)を30歳から35歳の三人とも身に付けていません。
優秀な人は優秀なんだけど、そうでない人も少なくない。簡単にクビにできないから、そういう人も残ってしまう。
他と比べると、ビジネス・スキルが低くても、それを許容してしまう甘い社内文化もあるのかもしれない。
中から見ても、社内調整の大変さはどうにかして欲しい。上層部の声が強いし、何かやるにしても部署外の関係者が妙に多い。
日立コンサルティングという会社がある。日立製作所100%出資の戦略子会社という位置づけだ。戦略子会社の定義は、しかしながら、おそらく一般化できる類のものではないと思う。日立コンサルティングのそれは、投資案件も積極的にこなすという意味である。投資案件なので、今後の継続案件獲得を目指した赤字受注もいとわない、と言えばわかりやすいだろうか。
かつて、IT系公共事業の「1円入札」が問題になった。日立製作所も、他ならぬそのプレイヤーの重要な一角を占めていた。1円入札とは、言うまでもなく、今後の継続取引を確保するための戦略だ。いったんシステムを構築した上で自社仕様に「ロックイン」してしまえば、あとは保守運用などの要件を別口で、かつ随意契約で獲得し続けることができるという、ベンダにとっては実にありがたいエコシステムがあった。
そうした投資案件は、日立製作所をはじめとする巨大コングロマリットにとってはまさに「お家芸」であった。そのお家芸の矢面にいきなり立たされることになったのが日立コンサルティングである。
日立コンサルティングの設立にあたっては、現・製作所社長の古川氏が直々に音頭を取ったことがよく知られている。元ベリングポイント会長のポール与那嶺氏を招聘、トップに据えた。この時点で、日立製作所とベリングポイントの間に過去どういうビジネス関係があったかを推し量ることは可能かもしれない。とはいえ、それは皆さんにお任せする。
日立コンサルティングは、国内に拠点を置く数々のファームから熟練コンサルタントを呼び集め、人員規模的には順調な成長を見せた。しかしながら、与那嶺氏が籍を置いていたベリングポイントのような、熾烈な市場競争をくぐり抜いてきたプロフェッショナル・ファームの文化と、日立製作所のロックイン式お家芸のそれとは、そもそも相容れるものではなかった。
そんなとき、日立コンサルティングという組織の中でどういう化学反応が起きたか。それはいわば「易きに流れる」というものであった。元エントリに触れられているように、本来顧客に対する十分な説明(情報開示)を、しっかりとしたドキュメントとプレゼンテーションをもち行うというコンサルタントの強みは損なわれ、日立製作所式の高コスト・ソリューションの提案作業に明け暮れる日々が続くこととなった。
コンサルタントの中には、そうした流れに異を唱える者ももちろんいた。自分は日立グループの豊富なリソースを自在に組み合わせた業界最強のソリューションを提供できるという期待を持ちここに入ってきたのに、ソリューションやコンサルティング部隊をそれぞれ抱える日立製作所をはじめとするグループ企業各社との調整に常に腐心せねばならない不経済はどうにかならないものかと疑問を持つ者もいた。
しかしながら、日立ブランドという、日本有数のコングロマリットの代弁者へと既に身をやつしていた上級コンサルタントは、もはやグループの、あるいは自己の地位を守るための理想をぶつ存在でしかなかった。
こうして日立コンサルティングという会社は、良くも悪くも、日立というブランドを背負う御用聞き役を担い、そしてその役割に失望したコンサルタントたちは、続々とそこを離れることとなった。
最初のエントリをした人間です。二回目の記事で重複投稿してもうしわけありませんでした。タイトルの横の鉛筆印から二個は削除したのですが、うまく消えているかどうか。。申し訳ありません。あと、鉛筆印がないものもありご容赦ください。
日立の理系は東大、東工大の大学院以上が中央研究所とか、いわゆる花形セクションに行くみたいです。日立の営業の方がおしゃっていました。学閥なのかもしれません。京大、阪大、東北大、その他旧帝大、私大等の方もたくさん入っていると思うのですが、東大強しといった風潮はあるようです。日立が関東系の会社だからかもしれませんね。
最近、理系のみならず、文系でも日立製作所は人気就職企業ランキング5位以内に入っていますね。ここのところの安定志向が出ているからかもしれません。
理系の学生さんでIT(エンタープライズ部門)を専門としたい方への助言。あまり、日立は21世紀でのキー・プレーヤーになるとは思いません。「クラウド・コンピューティング」って何それっていう社風です。博士号も今後、論文博士が廃止されると、日立内での企業博士取得は困難になるかもしれません。
印象ですが、日立はネットワークの技術にきわめて弱い印象があります。ベンダー体力としては劣りますがNECの方が面白いかもしれませんね。富士通はちょっとあくが強いので社風に合う人はいいのではないのでしょうか。日立の営業の人は「富士通の営業は他社の悪口を言うですよ」と富士通の営業マンの悪口を言っていました。NRIの方はNECの技術者はできる人とできない人の差が大きいといってました。
日本IBMはやはり外資系として捕らえたほうがいいですね。実力主義だと思います。女性でも管理職になっている例が多いらしいです。でも日本IBMも話していて、ちょっと「変だなこの会社」と思ったことが数回あります。でも、できる方はSEも営業マンもとにかく「話が早い」ですね。IBMの文化として「Need To Know」というものがあり、知ろうとする努力、リテラシーがあれば社内データベースから、さくっと必要な資料を取り出せるようになっているようですよ。
文系の学生さん。日立に安定以外の要素を求めるなら、他社を選んだほうがいいと思います。うちのところに来ている営業マンはおよそ他社では25歳くらいで身に着けるべきビジネス・スキル(期日管理、プレゼンテーション力)を30歳から35歳の三人とも身に付けていません。あれは、見てて恥ずかしいですね。SEにも馬鹿にされています。
社内調整が何かと大変みたいで、顧客の方を向いていないという印象がありますね。
社会人として、実力をつけ真っ当なビジネスマンになりたいという希望があるのであれば日立製作所は文系として入るべきではないでしょう。大手町の立派な本社(賃貸らしいが)に騙されてはいけませんよ。