はてなキーワード: ベリングポイントとは
ツッコミでもなんでもok。
まだお祈りされてなくて選考受けてる企業。まだES出しただけの企業含む。
こんな感じなんだけど。
高望みだろうか....
日立コンサルティングという会社がある。日立製作所100%出資の戦略子会社という位置づけだ。戦略子会社の定義は、しかしながら、おそらく一般化できる類のものではないと思う。日立コンサルティングのそれは、投資案件も積極的にこなすという意味である。投資案件なので、今後の継続案件獲得を目指した赤字受注もいとわない、と言えばわかりやすいだろうか。
かつて、IT系公共事業の「1円入札」が問題になった。日立製作所も、他ならぬそのプレイヤーの重要な一角を占めていた。1円入札とは、言うまでもなく、今後の継続取引を確保するための戦略だ。いったんシステムを構築した上で自社仕様に「ロックイン」してしまえば、あとは保守運用などの要件を別口で、かつ随意契約で獲得し続けることができるという、ベンダにとっては実にありがたいエコシステムがあった。
そうした投資案件は、日立製作所をはじめとする巨大コングロマリットにとってはまさに「お家芸」であった。そのお家芸の矢面にいきなり立たされることになったのが日立コンサルティングである。
日立コンサルティングの設立にあたっては、現・製作所社長の古川氏が直々に音頭を取ったことがよく知られている。元ベリングポイント会長のポール与那嶺氏を招聘、トップに据えた。この時点で、日立製作所とベリングポイントの間に過去どういうビジネス関係があったかを推し量ることは可能かもしれない。とはいえ、それは皆さんにお任せする。
日立コンサルティングは、国内に拠点を置く数々のファームから熟練コンサルタントを呼び集め、人員規模的には順調な成長を見せた。しかしながら、与那嶺氏が籍を置いていたベリングポイントのような、熾烈な市場競争をくぐり抜いてきたプロフェッショナル・ファームの文化と、日立製作所のロックイン式お家芸のそれとは、そもそも相容れるものではなかった。
そんなとき、日立コンサルティングという組織の中でどういう化学反応が起きたか。それはいわば「易きに流れる」というものであった。元エントリに触れられているように、本来顧客に対する十分な説明(情報開示)を、しっかりとしたドキュメントとプレゼンテーションをもち行うというコンサルタントの強みは損なわれ、日立製作所式の高コスト・ソリューションの提案作業に明け暮れる日々が続くこととなった。
コンサルタントの中には、そうした流れに異を唱える者ももちろんいた。自分は日立グループの豊富なリソースを自在に組み合わせた業界最強のソリューションを提供できるという期待を持ちここに入ってきたのに、ソリューションやコンサルティング部隊をそれぞれ抱える日立製作所をはじめとするグループ企業各社との調整に常に腐心せねばならない不経済はどうにかならないものかと疑問を持つ者もいた。
しかしながら、日立ブランドという、日本有数のコングロマリットの代弁者へと既に身をやつしていた上級コンサルタントは、もはやグループの、あるいは自己の地位を守るための理想をぶつ存在でしかなかった。
こうして日立コンサルティングという会社は、良くも悪くも、日立というブランドを背負う御用聞き役を担い、そしてその役割に失望したコンサルタントたちは、続々とそこを離れることとなった。