はてなキーワード: トップクラスとは
自分も彼も工学部だったのだが、彼は大学1年の時から、何を研究したいか具体的に決めていた。サークルの仕事も精力的にこなしていた。工学部の人間は多くが4年の夏に大学院入試を受けるが、彼は学科トップクラスの成績を取って大学院に合格した。私は彼とは全く違う分野だったが、傍目からみても、彼は将来その分野を担う人材になるはずだった。
まず基礎教養のない一年生が具体的に決められるような研究内容というのはよっぽどわかりやすいものなので,研究としてはそんなに…という場合が多い(そうとも限らない場合も化学系の場合はあるが,物理・情報系だとまぁほとんどない)。また学科の成績と研究はある程度関係がある場合もあるが,多くの場合適性に関してはそれほど関係がない。さすがに基礎知識がなければきついものはあるが,しかし研究する内容を深く突っ込んでいけばたとえ学部時代の教養が足りなかったとしてもそのうち身についてくる。テストの点数を取る技術と研究する能力とは別物だ。
卒論がうまくいかないのは,あくまでも卒論という範囲内でいえば,指導教官なり指導をしている学生なりに問題がある。卒論生に研究を一人でやらせるような研究室があったとしたらそれは研究室に問題がある。彼が周りの人にきちんと相談できなかったとしたら彼にも問題があるが,しかしそういう人間性の未熟さも含めて面倒を見れない周囲に問題がある。修士は研究の練習だ。卒論はさらにその前,手とり足とりやり方を教えてもらいながら形にしていくという訓練だ。その訓練がきちんとできないのは,訓練をしている方ではなく,指導している方に問題があるからだ。
自分にとっては、結構ショックだった。学業も仕事も、単純に頭の良い人・才能のある人が良い成果を出せるものだと思っていた。けれど、彼を見ていて、必ずしも、そうではないことがわかった。チャンスがある人がチャンスのあるうちに、臆せずチャレンジしないとつかめないものなのだ。チャンスのある人は、チャレンジしないといけないのだ。彼は、チャンスを「うつ病」によって奪われた。自分は、自分の能力不足のせいで留年し一回はチャンスを失ったかのように思えたが、結果オーライだった。
彼はチャレンジして,その結果鬱病になったのだ。しかし大学院生が鬱病になるなどよくあることである。学部制が留年する以上によくあることである。少し立ち止まったにすぎないし,もう一度歩きだせさえすればあるいは自分の求めるレベルを落としてでもいいから歩き続ければよかったのだろうが,彼にはそれができなかったのだろう。それは彼の弱さだし,そこで周りにSOSをだして助けてもらえなかった(鬱の時はそれもしんどいとは思うが)のは彼とその周囲の関係があまりうまくいってなかったということに他ならない。それに関しては誰が悪いわけでもないのだが,彼がドロップアウトしていく中で見ないふりをした研究室の人たち,サークル仲間に愚痴をはけなかった彼,そういう歯車のかけている部分が彼をどこかへ押しやってしまったのだろうと思われる。だが,それもよくあることだ。一年や二年立ち止まっていても別に人生においては大したことではない。あなたが留年のあとに希望通りの進路に進めたように彼もいつかひょっこり戻ってきて何事もなかったように無理をしない人生を送り始めるだろうと思う。少なくとも彼はチャレンジをした人なのだから。
研究においてのみいえば,成功するかどうかはチャレンジするかどうかではなく向いているかどうかだけである。研究の世界というのは特集である一方向にだけわき目もふらずに道を踏み固めて突き進んでいく力さえあればどうにかなる。あとは多少の鈍感さが必要だ。研究対象に対しては非常に敏感に感受性を持つ必要があるが,それ以外のことに関してはとことん鈍感である方が生き残りやすい。生き残るか,生き残れないか。そういう世界においてチャレンジするかどうかは関係ない。チャレンジしなければ何も進まないからだ。誰もがチャレンジをして,その中で向いていない人がドロップアウトしていく。自分の限界を見極められずできると思ってチャレンジし続ける方が病気になる可能性はむしろ高い。鬱だけでなく胃潰瘍,過労死もよくある世界である。自分の体にすらも鈍感になれば成果は出しやすいだろう。そうでない人も多くいるはいるが,感情の機微に対して敏感な人は向いていないので修士あたりで引き返しておくことをお勧めする。
「精神的に弱い」かどうかは、必ずしも人で決まるものではなくて、同じ人の中でも移り変わる。
自分には、ここまでは同じ友人がいた。彼は、とても優秀な人だった。自分も彼も工学部だったのだが、彼は大学1年の時から、何を研究したいか具体的に決めていた。サークルの仕事も精力的にこなしていた。工学部の人間は多くが4年の夏に大学院入試を受けるが、彼は学科トップクラスの成績を取って大学院に合格した。私は彼とは全く違う分野だったが、傍目からみても、彼は将来その分野を担う人材になるはずだった。
自分も大学1年の時から何を研究したいかは決まっていて、それは揺るがなかったのだが、勉強しなかった。直接関係のない基礎科目は勉強する気にならなかったが、いざ自分のやりたい分野の専門書を先取りして読んでも、基礎力がないので理解できなかった。試験直前に振られたりしたこともあって、4年の必修科目を一つ落としてしまい、留年してしまった。希望の研究室は割と人気がない研究室だったので大丈夫だろうと思っていたら、その年はたまたま外部の優秀な志望者が多く、自分はあぶれてしまい合格できなかった。
大学5年生になると、かなり焦った。とにかく、何が何でも、卒業して希望の研究室に合格したかった。他人から見ると十分に努力していたとはいえないかもしれないが、それでも、結果としては、ちゃんと卒業論文書いて卒業して、希望の研究室にも合格できた。
大学院1年の春、少し周りを見回す余裕が出てきた。サークル時代の仲間はみんな一年前に就職・進学して、数ヶ月に一回、時間が合ったときに同期で内輪の集まりを開いて、そこで会うぐらいになっていた。ところが、よく考えてみると、この一年ほど彼は顔を出していない。就職で地方に配属になった同期も多かったので、みんなそこまで気にしていなかった。
大学院2年の彼はどうしているか・・・彼が書いていたブログを見てみた。端的に言って、悲惨だった。彼は大学院1年の時に、うつ病になってしまい、ほとんど研究できず、自信が持てず、自殺願望にしばしば苛まれているとのことだった。結局、その年は地元に戻って休学しているらしいことが、ブログを1ページずつ丁寧に読んで分かってきた。サークルの他のメンバーも、詳しく知らなかったらしい。彼は、数ヶ月に一回しかブログを更新しなかった上、彼のブログも全員が知っていたわけではないので、よく読んでいる人がいなかったのだ。自分も、サークルの他の友達と会った時に、彼のブログを見せながら簡単に状況を説明したけれど、もう、誰も何も言えなかった。よく考えると、一年前、飲み会で、彼は「卒論が上手くいかない」とこぼしていたっけ・・・・
自分にとっては、結構ショックだった。学業も仕事も、単純に頭の良い人・才能のある人が良い成果を出せるものだと思っていた。けれど、彼を見ていて、必ずしも、そうではないことがわかった。チャンスがある人がチャンスのあるうちに、臆せずチャレンジしないとつかめないものなのだ。チャンスのある人は、チャレンジしないといけないのだ。彼は、チャンスを「うつ病」によって奪われた。自分は、自分の能力不足のせいで留年し一回はチャンスを失ったかのように思えたが、結果オーライだった。あれから、1年半。彼のブログによれば、結局、彼は大学院をやめてしまったらしい。その後、どうしているかは、よくわからない。サークルで集まることがあっても、あまり話題に上らなくなってしまった。冷たいと思うが、自分で話題にするにしても、どう切り出してよいか分からない。サークルの他のメンバーも、たぶん同じなのだろう。それに、みんな、まだまだ働き始めたばかり。自分のことで話したいこともたくさんあるし、話題も自然にそちらに移ってしまう。
ただ、確かに言えることは、彼の存在は、自分の進路決定に影響を与えているということだ。
まさか自分がこうなろうとは。
今から大学院へ行こうか、また大学や大学院を中退しようか考えている方のために書きたいと思います。
あらかじめ断っておきますが、自分の主観が大きく入っているので、
この記事を読まれる個々人の状況により解決策は異なることと思います。
しかしそれでもこの体験は多くの理系大学院で起こりうるものであることと思います。
私が通っていた大学は4年生になった時から研究室への所属が決まります。
しかしながら、研究室というものには人数の定員があり、思ったところへ行けませんでした。
私の所属が決まった研究室は学校の中でもトップクラスの場所でした。
優秀な学生は自ら名乗りを上げ、大学院入試の際は外部の大学から受けに来られる方もいるくらいの場所でした。
そんな中で私もこれはそういう運命なのだと、やる気に満ちてがんばっていました。
同期の学生も同様で、4年生の当初はみんな楽しそうに研究を行っていました。
そんな状況が変わったのは修士2年生が修士論文を書く秋口のことでした。
その時私も学士論文を書く立場だったのですが、修士2年の方が学校を休学されました。
原因は『このようでは修士を卒業させないぞ』と言う教授達からの圧力でした。
その方は学術論文を1報出されており、研究技術と基礎知識において十分な方だったと思います。
そして度重なる言葉責めの結果、休学でした。
私が大学院中退を決めるまでの間に復学はなされておらず、まだ鬱病状態のままだそうです。
私はそのようなことがあった中、進学し大学院へと入学しました。
その辺りから私に対しても同様の言動が開始されました。
私は研究結果があまり芳しくなく、そこから考えれば不出来な学生でした。
私の所属していた研究室では実験技術や基礎知識と言った点は評価されず、
同じ実験量でも教授が帰る前に帰れば不出来、帰らなければ優秀と言った見方です。
研究が好きな方は楽しいし評価が上がるし良いのかも知れません。
しかし、研究だけではなく他分野などの実力も高めたい人にとってはあまり良い環境ではないです。
普通の研究室では勉強会と言ったような、学生の基礎知識を高める場が設けられると思います。
私が所属していた研究室ではそれはありませんでした。
研究結果だけを見ると旧帝大に引けを取らないかも知れませんが、学生の質は低かったと思います。
一緒に話す機会が設けられる学会などでその差は出てきました。
よく耳にするのは同じような厳しい研究室では鬱状態になる方が数人は出るそうです。
つまり、私が所属している研究室だけではないのです。
また同じ修士卒の資格を取るという点では楽な研究室もあります。
このような現実がある中、本当に自分にとって学歴というものが重要なのかを考えるようになりました。
しかし、質と言う見方をした場合はどうでしょうか?
質というのは様々な方面の見方があり、一概には言えない事だと思います。
私は多くの社会人の方と話す機会を設けて頂き、
人生まだまだ60年近くあるこの身において、
就職を担当する人事の方もこの現実を考えて頂ければより良い会社に成長されることと思います。
それでは、長文失礼いたしました。
未だに元田をじっくり読んでいないのだけど
高校だと73
なんで高校受験だけ73限定なんだよ。
中の上あたりだろ。
Vもぎみたいな都道府県の模試は問題が簡単で、少し勉強した人なら簡単に9割くらい取れる。
しかし一部のおばかさんが平均点をがくんと下げているもんだから、普通以上の高校の偏差値は実際の高校のレベルとはあわない。
オレは埼玉の北辰だったけど、オレが受けた年は早慶と開成と筑駒と筑附が同じ偏差値で74だった。
ちなみにおばかさんは受けないから実際に高校のレベルと合う偏差値を算出できる駿台模試だと、トップの筑駒ですら70とか69とか。
開成は68で次いで慶應志木が67、慶應女子が66、早稲田学院・早稲田実業が63、慶應が59、早稲田本庄が57とか。
何言おうとしたか忘れた。
『三国志大戦』というセガのアーケードカードゲームがあります。
http://www.sangokushi-taisen.com/ (三国志大戦3公式サイト)
ゲームセンターで、ネットワークを介して全国の相手と戦うものですが、今回このゲーム内でセガの対応に微妙な気分になることがあったのでひとつ。
ここに書くのは、他のところだと特定プレイヤー叩きなどの空気が邪魔になると思ったためです。
決められた日数の間に、倒した対戦相手から玉爾(ここでは単に点数のようなものです)を奪い、それが一番多かったプレイヤーが優勝というもの。
大会によって使うカードなどに制限がかけられ、上位入賞者には特別称号が与えられます。
さて今回の大会、全国でもトップクラスの実力を持つ某プレイヤーも参戦していました。
玉爾も、本人の日記で言われていた数からすれば、入賞確実の個数。事実中間ランキングでは上位に入っていました。
しかし、最終的に発表されたランキングには、彼の名前は影も形もありませんでした。
事実彼は、その実力もさることながら、「代打ち」行為を半ば公然と行っていることでも有名なプレイヤーでした。
「代打ち」とは、金などと引き替えに他の人のプレーを肩代わりし、ランクを上げたり、称号を手に入れたりする行為のことです。
ネットワークRPGでのRMTと概念や問題点は類似しているかもしれません。
これまで掲示板などでは何度も問題に挙げられ、事実最近の玉爾大会では、代打ちとおぼしきプレイヤーが、上位の多くを占めるという事態も起こりました。
今回の処分については、このような不満に対する対処、という面もあったでしょう。
事実、ここ数回の大会においてセガは、明らかに代打ち行為を意識した、規約や大会レギュレーションを発表しています。
http://www.sangokushi-taisen.com/mail_all.html (公式サイトの規約一覧。特に「6:(不正行為等に対する対処)」の項。)
なぜか代打ちで玉爾を伸ばしたプレイヤーの名義(IC)だけでなく、プレイしている部分だけを見れば明らかに正当なはずの彼自身の持つICも、ランキング除外の対象になっているなど、いくつか不可解な面はありますが、今回はその処分の重さや妥当性をどうこう言おうという訳ではありません。
今回私が一番気になったのが、この処分が、全くプレイヤーに公表されることなく行われたということです。
そのプレイヤーが不正であると判断した根拠や、規約のどの部分に抵触したのか、不正行為に対する処分の妥当性の説明、除外されたプレイヤーの名前はおろか人数さえも公表されることはありません。
処分があったという事実すら、掲示板やプレイヤーの日記を見ていないと気付くことができないのです。
大会の成績は、一人の人間が、多大な金と時間と経験と勘とハンドスキルを使った結果です。
おそらく上位の人間は、大会中のプレイ代金だけでも、数万円は使っているでしょう。
万一間違いで消されたら損害賠償を請求できるかもしれません。
それを無にする、という行為を行っているのに、その理由その他はまったく公表もされないのです。
おそらく処分されたプレイヤー本人にも説明はされないでしょう。公式全国大会にでも出ない限り、基本的に連絡する手段がありませんから。
このように処分に関する一切合切を公表しない理由は、何となく見当が付きます。
先に挙げた某プレイヤー氏は、ランキングに記載される店名や本人の日記などからほぼ真っ黒な状況証拠が揃っていましたが、大会の期間中、具体的にどのような不正行為を行ったか、という具体的な証拠を揃えることは、まず不可能です。
6:(不正行為等に対する対処)
大会運営事務局が不正行為もしくは他の参加者が不快に感じる行為があったと大会結果確定前に判断した場合、そのプレイヤーの大会参加結果は無効とします。 大会結果が確定した後に上位入賞者の不正行為もしくは他の参加者が不快に感じる行為が認められた場合には、その入賞者の特殊称号取消を含め大会参加結果を無効とする場合がございます。 その場合には他の参加者の順位繰上げ等の処置は行いません。 また上記行為に関わったプレイヤーに対して今後「全国大会」をはじめとしたセガ主催の公式イベントへの参加をお断りさせていただくほか、該当ICの停止の対応をとらせていただく可能性がございます
このように「他の参加者を不快に」しただけで大会失格にできる文言も盛り込まれています(これが盛り込まれたのはつい最近です)。
同じ頁にセガへのメールフォームもありますから、これで通報を受けたら「他の参加者を不快に」した、故に失格、という理屈をつけるためでしょう。
要するにセガは、具体的な調査をせずに、責任をプレイヤーに転嫁して処分できる規約を作ったわけです。
これ、ゲームをジャッジする立場からすれば、ものすごく不誠実なことだと思うんですけど、あんまり問題視されてないんですよね。
とりあえずこの騒動における反応の大半は、「(某プレイヤー)ざまぁwww」みたいなのが大半です。
まあ、彼が多くの人から嫌われる言動をしていた、というのは確かなことですけどね。
しかしこれ、より悪い方向に事態が進めば、どんな独裁国家だこれ、という状態にもなりかねないですね。
それこそ軽く祭りになれば、大会結果が消え、もしくはIC自体が停止される。
その根拠、というか責任のなすりつけ先になるのはメールという匿名の密告。
日記にもうかうかと「友達に手伝ってもらった」なんて書けません。トッププレイヤーならそれだけで炎上しちゃいます。
密告と秘密裏の粛正で保たれる安定とか、どこのスターリン政権下かと。
所詮ゲームのことではありますが、6桁7桁つぎ込んでる人間がゴロゴロいる世界、そう簡単にこれで無しよ、になるとはあまり穏やかじゃない話です。
その辺のジャッジの難しさ、というものを、セガには理解して欲しいんだけど、大変なんだろうなあ。
簡単にはできないし公正にするには金がいるし。
ちょっと思ったけど独裁が生まれる理由って「面倒だから」なんだろうね。
ここまでグダグダ書いてきて思ったのは、金額的にも相当搾取されてさんざん酷い調整に遭わされてるのに今まで付き合ってる俺はつくづくドMなんだなと言うことです。
あんたの言う「たいしたこと」のある人間とは「一流の就職」ができる人間のことか?それは受験オタクには価値がないが、就活オタクには価値があるということかね?馬鹿な。
だいたい、「一流の就職」だけが「社会的な」利益を生むわけではないぞ。中村修二氏の入った日亜化学という会社は当時たいしたことのない会社だったのだから。
たいしたことのない人間が別に恵まれた学習環境を得たって何も悪いことないじゃないか。何の問題もないよ。たいしたことのある人間が一流大学に行けないということがなければそれでよい。
大学は就職予備校じゃないのでな。東大でも京大でも行くとわかるが、数学科あたりの教授なんかには、とても一般社会では通用しそうもない人も結構いる。そしてそういう人が実は世界でもトップクラスの人だったりする。
灯台の数学を全問正解するのは、数学オリンピックに出てしかもトップクラスでしたとかそんな奴くらいだ。
平均的な東大生は、6問中2問半ほど正解している、という予備校の統計がある。つまり半分も解けてないんだよ。1問完答で後はボチボチ…みたいな奴が一番多い。4問解ければかなり優位に立てる、あれはそういう難易度で調整してある。
正解まで行き着かない問題でも加点される。正解まで行き着く道が完全に見えていると判断されれば、それは相応に加点される(勿論正答時よりはかなり低いと思うが)。実際に解くか、失点覚悟で飛ばして次に行くかは時間配分と所要時間見積りの問題。難易度的に、解法は見えているが計算時間が足りないなんて事は普通に起こるからな。
(まあ、全問にエレガントな解法が思いつけば所要時間不足など起こらないのだろうが、泥臭い解法でも正解は正解。例えばπの問題は、最初から一般化したほうが圧倒的に早く正答に辿り着くのだが、見積もりすらせずに「ひたすら近似すればいつか解ける」という信念でひたすら多角形分割しても解けるし、当然正答と認められる)。
何のランキングだよ。ランキングなんかで大学の価値を測れると思ってる奴は、学歴で人間の価値が測れると思ってるぐらいの勘違いをしてる。
マジレスすると、Times誌のランキングなら東大(17位)>UCB(ダンコーガイの母校、22位)>京大(25位)。しかも、日本の大学は留学生受け入れ度で大損してることも考慮すべき。
日本の大学をdisりたくてアメリカの大学を持ち出すのは筋が悪いからやめた方がいい。日本の大学は世界的にもかなりレベル高いから。俺の体感でも、理系研究者の質は、米英のトップクラスには負けるかもしれないが、たとえばドイツやフランスよりも勝ってる。
僕は押井守の「攻殻機動隊」や「パトレイバー」、大友克洋の「アキラ」や機動戦士ガンダムシリーズが好きなんだ。どれも色んなことを考えさせてくれるいいアニメたちさ。それと、あんまり中身のないアニメは好きじゃなくてね。最近ネット上でやたらとい盛り上がってる萌えアニメみたいなやつさ。あんなののどこがいいっていうだい。キモいオタクたちがハァハァするためにデザインされた目がやたらデカくて、髪の毛の色がパステルカラーの美少女が乱舞してるあれさ。中身がなくて反吐が出るね。あんなゴミみたいなアニメがやってるから、いまだにアニメが一般人からキモいものだって認識がなくならないんだよ。ほんと死ねよ萌えオタ、ファッキン萌えオタ。
そんなゴミのような萌えアニメが氾濫し始めたのはいつのころからだろう。記憶が確かなら僕が中学生だったときあたりから繁栄していたはずだ。僕はこのころから萌えアニメを軽蔑していた。あんな中身のないアニメを楽しんでいる奴等は馬鹿だ。そう思っていた。たしかゲームでも「シスタープリンセス」だの「Kanon」だの、妹が12人いて好かれるだの、目のでかい女の子が頭の悪いしゃべり方するようなのがネット界隈じゃ人気らしくて、こんなのを支持してるやつらはよっぽど頭の中がおかしい連中なんだと思ったね。
ちなみに僕が好きだったゲームはテイルズシリーズだね。アクションRPGのなかでも格別の面白さだな。だからこそ、最近のシリーズの、変に萌えオタクに媚びたようなコンセプトにはがっかりしたね。
まあいい、こんなゴミクズのために貴重な紙を無駄にすることはないんだ。僕は萌えアニメを見てるような奴らはみんな女の子から相手にされていない恨みを美少女キャラにぶつけてるんだ、そう思った。でもその僕の考えは高校で否定されることになったんだ。
僕が入ったのは県内でもそれなりのレベルの共学校。僕は青雲の志を抱いて高校へ行った。そして、僕はここでなら彼女んもできると思っていた。
気づいた時には僕の高校ではギャルゲーや萌えアニメ、萌えマンガが大流行していた。発端は何だったろう。オタクの男子たちがそんな代物を恥ずかしげもなく教室に持ってきて、それを女子たちが興味深げに眺めている。たしか最初はそんな感じだったはずだ。
僕はそれを不快に思っていた。こんなクズがいるから、日本の誇りうるべき文化たるアニメやマンガが誤解されるんだよと。こんな屑萌えアニメなんかよりもすばらしい作品がこの世界にはたくさんあるんだよ、と。
しかし、彼ら萌えオタクどもが布教したのだろうか。女子も含めたクラス中の人たちが、そういった萌えアニメやギャルゲーを楽しむようになっていたんだ!そして、給食時間にはギャルゲーだかの主題歌らしい甘ったるい声の女の歌が流れたと思ったら、クラス中一斉に歓声が流れた。僕は内心こいつら全員死ねと思っていた。
気づいたときに萌えアニメブームに乗らなかったのは僕だけになっていた。僕は誰ともしゃべらなくなっていた。クラスの萌えオタクの男子たちは彼女を作ってデートをしているという情報が毎日耳に入ってきたが、僕は全部ウソに決まっていると言い聞かせた。
受験時代がやってきた。僕の目指すのは京都大学、最低でも旧帝大クラスには入りたいと思っていた。
そんな時、僕の高校ではもえたんとかいう英単語帳が大ブームだった。表紙には萌えオタクどもが喜びそうな目だけでかい萌えキャラが踊り、内容も僕は妹をギュッと抱きしめただのの、萌えオタクの醜い妄想を並べたような代物でヘドがでそうだったね。僕は心底軽蔑した。こんなゴミ単語帳使ってるやつなんてどこの大学にも行けるわけがない、そう思った。
しかし、もえたんを使っている連中は、もえたん発売と同時に英語の成績がぐんぐんと伸びていったんだ。
それだけじゃない。もえたんは男だけじゃなく女の子たちにも愛用されていた。キャラがかわいいんだそうな。絶対に間違ってるよ!
僕はもえたんなんて絶対使わなかった。あんなもの使うぐらいなら死んだほうがましだと思った。
そして、もえたんを使っていた連中のほとんどが東大や京大、早稲田や慶応といったトップクラスの大学に合格していた。あとで合格体験記を見たら、もえたんのおかげで英語の成績が伸びたと言っている奴がいっぱいいたとか。
2年目の受験、そこでも僕はセンター試験で信じられないような悪い成績だった。これではどんな大学も入れやしない。もうこれ以上予備校通いをできるような経済状況でもない。だから、今の僕でも入れるような場所、短大しかなかった。最後の最後で僕は短大に合格した。
短大での2年間もまた、高校のころと変わらない、惨めな生活だった。ここでも、萌えオタクたちが大手を振っていた。文化祭では萌えアニメの主題歌を歌ったバンドが大人気となり、あとで聞いた話では彼らはライブの後、ファンの女の子たちを全部喰ったらしい。
そして、僕は就職活動にも失敗した。萌えオタクたちはみんな成功していたというのに!
派遣先で僕は散々苛め抜かれた。きっかけは僕が、とある萌えアニメについて社員がしゃべってるときに話を振られて「そんな内容のないアニメなんて見る価値あるません!」と言ったところ、連中の逆鱗に触れたらしい。それからは靴に汚物を入れられたり、つなぎを隠されたり、落書きをされたりした。
でも、この苛めはある種僕に誇らしい気持も与えた。そうだ、萌えアニメのファンはこんな残忍なことを平気で出来る人間の屑なんだと。僕のような中味あるアニメを見て育った人間はこんな他人を傷つけるようなことはしないんだと。
それでも僕は度重なるいじめに疲弊していた。そんなとき、僕はインターネットであるサイトを見つけたんだ。それは「第二次惑星開発委員会」
僕はこのサイトを読んで目から鱗が出たね。こんなところに僕と同じ考えを持っていた人がいたなんて!
特に素晴らしかったのは最近萌えオタクの間でブームらしい涼宮ハルヒの憂鬱とかいうアニメの項目で
>この作品が好きなオタク男子たちも、「酸っぱい葡萄」状態にあるんですよ。 本当は
>「等身大の青春」に憧れているんです。でも、残酷な話だけどおそらくはスペック上の
>問題で、それが手に入らない。でも、そんな悔しさを素直に認めたくないんですね
と書かれていたことだ。やっぱり萌えオタクはもてない恨みを美少女キャラにぶつけていたんだ!でも実際にはモテるはずがない!ざまあみろ!どうせ職場の連中もモテないからハルヒとかに入れ込んでるんだろ!その恨みが爆発して僕のような人間のいじめるんだ。萌えオタクは人間の屑だ!
そして、一緒に旧惑星開発委員会も見た、そこは作品レビューが中心のページだったけれど、どれもこれも僕の考えとおんなじだった。Kanonは受け手も送り手も救いようのない作品だとかね。
それに主催の善良な市民さん(宇野常寛)の高校時代の話も面白かった。確かにこういう奴らは僕の高校にもいたと納得した。ただ、ちがっていたのは僕の高校ではギャルゲーマーだった連中にはみんな彼女がいたということだが、このことを思い出すと、市民さんの話が楽しめなくなるので思い出さないことにした。
そして僕は善良な市民さんの言葉に救われた気がした。勇気づけられた。
そうだ、僕はまちがってなんていない。間違っているのは萌えアニメ好きな連中のほうなんだと。やはり中身のあるアニメが一番なんだ・・・。
僕はこんな最低の萌えアニメ信者どもがたむろする職場にはさっさと見切りをつけて、また別の場所へと行こうとした。そして、僕は惑星開発委員会を読み倒し、次の職場では華々しくデビューしてやろうと思ったのだ。
次の職場じゃまたしても内容のないらき☆すたとかいう萌えアニメが大ブームだった。でも僕はこれまでの僕じゃない。惑星開発委員会の力を得たんだ。そして僕はその時やっていたアニメの中で最も大好きだった電脳コイルを薦めたんだ。電脳コイルは素晴らしい。これこそ僕がこれまで待ち望んでいたアニメだといっていい。
「そんなものよりも電脳コイルみようぜ!すごい面白いんだぜ」
僕は声を大きくして叫んだ。はっきりいうがらき☆すたなんていうくだらない萌アニメよりも電脳コイルは数百番倍面白いと断言できる。だからみんなも早く見て目を覚ますんだ。
「電脳コイルぅ??知らないなぁ。」
「ああ、ちょっとだけ聞いたがある。小学校の女の子が見るようなアニメだよね」
「えー加藤君って、小学校の女子が見るようなアニメ見て楽しんでるの?幼稚ぃ??、っていうかロリコン?」
「違う!確かに小学生の女の子向け作品だけど、大人もちゃんと楽しめるんだよぉ!」
「必死なところ図星のようだねぇ」
「違うんだ!一度見てみろよ、面白いから!」
「そもそも加藤君みたいな人間が面白がってるアニメってきっと気持ち悪いマニアックなアニメだよねぇ」
「ふざけるな!それなららき☆すたなんて萌えアニメのほうが気持ち悪いわ!」
・・・この通り僕のデビューは無残に失敗した。そのあともらき☆すたブームはとどまることを知らなかった。それに、みんなの話題はメイド喫茶とかアキバ系の文化の話ばかりだった。
カラオケで、らき☆すたのOPであるもってけ!セーラー服とかいう気持ち悪い歌をみんなで合唱しているのにも入らなかった。そして僕は電脳コイルのOP曲を歌ったが「キモい」と言われた。
もう僕は限界だった。僕が間違ってるはずがない。惑星開発委員会だってそう言っているはずだ。同時に僕は出会い系にはまっていた。彼女は僕の話をやさしく聴いてくれていた。僕が職場の萌えオタクどもへの悪口にも「うんうん」とうなづいてくれていた。彼女こそが僕の思い描いていた理想の人だと思っていた。
そのころ、惑星開発委員会の主催の宇野常寛さんがメールマガジンでコラムを発表していた.その名も“友達からはじめよう”
そうだ僕もそうやって彼女と新しい生活を始めよう。
「友達からはじめよう!」
「キモっ」
彼女は僕の顔を見るなりそう吐き捨てた。
「ずっと思ってたけど、あんたキモいのよ、何?アキバ系はキモいって?あんたのほうがよっぽどキモいわよ。金をもらってたから反論しなかったけどね、アキバにはあんたなんかより百万倍いい男がたくさんいるわよ!私ね、アキバでハルヒダンスしてた男と寝たことあるけどね、本当にすごいテクニックだったんだから。何度も逝かされたわ!あんたなんかには無理よ!メイド喫茶で働いている女の子たちも必死で仕事してるんだからね!あんたなんかに悪口言われる筋合いないわよ!それに萌えアニメのほうがあんたが楽しんでるらしい電脳コイルだのコードギアスだのよりも面白いし人気なの知らないの?もう近寄らないでくれる?」彼女は一気にまくしたてると去って行った。
僕は何もできなかった。でも、心の奥底で激しい憎悪の念が湧きあがってくるのを感じていた。秋葉原にいるような萌えオタクがいるからこんなことになるんだ。アキバにいる萌えオタクどもを皆殺しにしてやる。そうすれば世界は元に戻るんだ。僕のようなちゃんとしたアニメが好きな人間が心地よく生きられる世界ができるんだ。そのためにも地上にいる萌えオタクどもは抹殺しなければならない。手始めに、萌えオタクどもの聖地、秋葉原を崩壊させてやる。これで萌えオタクどもも終わりだ・・・。そう思うと、僕はコンビニでダガーナイフを買いに家を出た・・・。
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この手記を残したのは何を隠そう、秋葉原路上連続殺人事件の容疑者・加藤智大である。加藤はこの手記を書き終えた後に、秋葉原に向かったのである
加藤は「日曜日の夕方に秋葉原にいるということは奴らはコードギアスを見ていないということ、こいつらのせいでギアスが低視聴率なんだ。こんな奴らは殺してしまっても構わない」と供述し、また「もし、1年前だったら、電脳コイルやガンダム00がやってる土曜日の夕方に犯行を決行していた」とも語っている。
しかし、これらの証言と手記は、今回の事件は萌えオタクの犯行にしたくてやまないマスゴミどもの手によって闇に葬り去られている。
また、このような犯罪者を生み出しながらも、のうのうとした顔でデビュー評論「ゼロ年代の想像力」を刊行した宇野常寛はインタビューにてさも自分は関係ないといわんばかりのコメントを残している。
元増田です。
少し補足をすると、データロガーの件は、
研究室に入り立ての俺らが研究室で使う測定器になれるための実験の妨げになるからよくないって言うのと
教授には僕の作ったデータロガーの精度が甘い(マイコンのAD変換を使っているので。)ってことを突っ込まれた。
民間出身の助教授(父と同じ会社でびっくり。部門は違う。もちろん父のことは話していない。)
からはこっそり「君はおもしろいことをするね。」といってもらえたけど。
このエントリーを書いたのは同期のオシロスコープ君と将来の話をして疑問に思ったのがきっかけ。
ブクマコメなんかでもオシロ君と似たような意見の人が結構いてウチだけじゃないんだと思った。
どんな話をしてたかって言うと、
オシロ君曰く、
「俺らの大学からメーカーへ行くのはたいてい研究開発。研究所で半田ごて握らないだろ。」
「まあ、おまえの成績じゃ推薦取れないからどっちみち関係ないかw」
「絶対大手。中小企業や現場なんて俺らみたいなの行くところじゃないから。そういうのは工業高校や高専のやつにやらせればいいんだよ。」
悔しかったのでいくつか反論したけどオシロ君は俺より成績がいいので何を言っても負け惜しみっぽく聞こえる。
俺も手を動かすのが好きな、今風に言えばギークっぽい人たちが今の大手を作ったことを伝えたくて
といったら少し感心された。でもすぐに「それだけじゃん。それにおまえがそんなのになれるわけ無いだろ。」
アメリカの企業で具体例を出せば良かったのかな。アップルとかマイクロソフトとか。
オシロ君:理論に強い。固体物性は同期でトップクラスの出来。実技ダメ。成績は俺より上。俺は彼に頭が上がらない。
俺:実技強い。理論(特に数学とか物性とか)がダメ。数学なんて微分方程式解けたら充分じゃんってタイプ。連続性の証明?そんなの理学部のやつがやればいいだろって人間。
って感じ。
余談だが、そんな俺とオシロ君がペアを組んで教授から与えられたシミュレーションの課題をやることになった時の話。
俺は、理論がさっぱりなので、近似式の算出なんかはオシロ君にほとんどやってもらった。
一方、オシロ君はUNIXやプログラミングはさっぱりなんで実装は大半が俺。
なんだかんだで、研究室の中の同期3組中一番早くできあがった。
この組み合わせが、オシロ君タイプ二人だったり、俺みたいなタイプ二人だったら、きっと課題をこなすのはもっと困難だったと思う。
学部の研究室でのわずかな経験で言うのも何だが、開発現場には多様な人間が必要なんだと思う。
だけど実際には理論家の方が立場が上。理論と実践は車の車輪の両輪のようなものだと思うから立場が対等じゃないと車はまっすぐ進まない。
だから俺は理論に強くなってオシロ君を見返したい。少なくとも同等の立場になりたい。院試の点数で勝ったら少しは見直してくれんのかな。
でもむりっぽいな。はあ。
SI業界における、気持ちよくアウトプットを高める事が出来て、キャリアにプラスな環境の条件を考察。
次に上げる、3つのステップが存在しているかどうかを一つの目安にしてみてはいかがでしょうか。
それぞれ、(1)新人(2)中堅(3)ベテランのチェックポイントに対応しています。
[ポイント]
(1)明快な規約と、明快なフレームワークが指定された仕事を振られている。
規約とフレームワークというのはあくまでも一例で、絶対にそれである必要はありません。
プロジェクト的には色々あっても、新人はやるべき事に迷わず仕事が進められる事が重要。
迷った時に根拠となるリファレンスがあれば、初歩的な事で周囲が煩わされなくて済む。
「外注(請負、派遣)クソッタレ」という現場に限ってこれが整っていない事が多いです。
もちろん、それがあっても出来ない部類の人間はいますが、仕事の振り方が間違っているから、
出力される結果が間違っているという場合の方が下手したら多いという事です。
(2)チーム内のトップクラスのプログラマがコメントしてくれる。→参考
本人に指摘された内容を理解し、受け入れるキャパシティが要求されるのはもちろん重要です。
しかし実際は、俺様が下っ端のコードなんか見れるかという態度の人が結構います。
確かに当人達は、そのような指摘がなく出来るようになっていた事が少なくありません。
だから、「なぜそんな事も解らないで続けてるの?」と相手を理解する事なく罵ります。
そして「こんな事も解らないクズを雇った奴は誰だ?」という人事への愚痴になります。
でも、そこでは自分が威張っていられて居心地がいいから転職は考えないという矛盾を無視しています。
そんな自分を誤魔化すために他人の成長の芽を摘み続けます。
(3)新しく入って来た新人に1と2を行えるようになった。
中堅までに鍛えられていないと、ベテランになった時に世間話でお茶を濁して笑いを取る事が
コミュニケーションスキルと勘違いしたリーダーの出来上がり、実際それは蔓延しています。
「情けは人のためならず」1+1を2以上にするには、それぞれが学んできた事を他人に
フィードバックする事で他人を育てられないと、いつになっても自分の負担は軽減されません。
「俺がやるからオマエなんか不要」と言える技量持ちなら、好きなだけ抱え込めばいいでしょう。
しかし、成長した人間には難度の高い部分を任せたいのが社の意向、得意げになって下っ端のやれる
仕事を数多くこなされても非効率としか映らず、周囲の評価に結びつかないのが現実です。
「あんなにしてやったのに、”のに”がつくと愚痴になる」とは、相田みつをの言葉でした。
せっかくやるなら愚痴にならずに済む、無駄にならない仕事をしたいものです。
[まとめ]
上記の3点が整備されていない環境では、それぞれが自分の立場だけを守りがちになってしまいます。
情報を隠して自分がいないと進行しない状況を作り、楽な仕事を奪い合って困難な仕事の押しつけあう。
そういう仕事の仕方しか出来ない人間になると、仕事に喜びが見出せず仕事の時間が苦痛になります。
社会貢献とかそこまで考えなくてもいいのですが、仕事をする目的意識が低くなっていくものです。
仕事は仕事と割り切って卒なくこなし、自分の人生を豊かにする事を重視するならそれも良しですが、
そういうライフスタイルは、むしろ仕事に対する能力か集中力が人一倍高くないと成立しません。
常人にとっては、目的意識の低下はそれを妨げる最大の要因になります。
逆にいうと、これと反対の事を実践すると会社の離職率は高まり、担当案件は次々にデスマーチに陥れられ、
定時に帰れなくなるのと引き換えに、いつも同じネタでメシにありつく立派なSIerになれるでしょう。
つまり、ベテランが(1)と(2)を行わない限り、貴方の地位は安泰であるという事です。
でもそれじゃ業績評価に響くのじゃない?大丈夫、誰からも後ろ指を指されない社内ニートになるための10の方法の
特に「(4)新規事業・困難案件には積極的に参加」辺りがヒントになるかもしれません。→2.0
あとは社内ニートを駆除するたった5つのスゴい技により駆除されないように注意を払いましょう。
そういえば、未経験者でもしっかり教育、親切に教えてくれる先輩、経験を積んだリーダーになって活躍等
よく見ると上記に対応した仕組みが存在するかのように、入社案内で謳っている会社は少なく無いようです。
しかし大抵、具体的に誰が何をどうやって行うかは書かれていないので、誰も期待してはいないのでしょう。
軽く読み流されて、反故にされても気にならないポイントになってしまっているのではないでしょうか。
単純だけど根本的な問題に目が向かないから、なぜか毎度デスマーチになってる事に不満を洩らしつつ、
自分が未熟だからと無駄な謙虚さで、そこから逃げる事もせずに我慢している人が多いのでは無いかと。
我慢は体に毒なので、精神を病みやすい人には特に過酷な状態となります。
[これからSI業界に入る人]
その会社で自分が成長できるのか、それともツブシが効かない使い捨てにされるのか、
教育システムを備えていると謳っていても、現場のOJT環境に適うものはありません。
入社前に現場社員の声が聞ける機会があれば、上記ステップの有無を確認してみてください。
不幸にも、入ってしまった後で気がついた場合は以下に述べます。
[すでにSI業界にいる人]
与えられた権限で変更が出来ない環境のせいにしていても、状況が改善する事はありません。
周りを見回してこのステップが存在しない場合、自分の出来る範囲で導入を試みてください。
トップクラスすげーなwww
それならおごっちゃうわw
なんか見つけた
http://news.livedoor.com/article/detail/3468010/
30代後半だとアベレージで年収約1000万。
これはおごっちゃう。
きはらおとせではない。このはらなりせと読む。彼女はボーイズラブ作家である。男同士の恋愛を主軸にした物語を精力的に書いている。
いや、ここで引く前にちょっと聞いてほしい。まずボーイズラブの現状を知ってもらいたい。
諸兄がボーイズラブに抱くイメージはどんなものだろうか。例えば王子様、例えば美少年、例えば美形青年実業家。そんな見目麗しい男たちがキャッキャウフフと乳繰り合っているというイメージだろうか。それはあながち間違いではない。確かにそういった作品群が大半を占めるからだ。ただし、それだけかというと答えは否だ。
ボーイズラブの懐は思ったよりも深い。時代物あり、ファンタジーあり、サスペンスあり、不細工あり、さえない親父あり、バツイチもありだ。人気作家に限られるが、男同士であれば何を書いてもいい土壌がある。木原音瀬は間違いなくその「何を書いてもいい」という特権を与えられた作家だ。
彼女の作風をひとことで言うと「痛い」。キャッキャウフフなどは微塵もしていない。人は愚かで、人を愛することによってさらにここまで愚かになるのかという現実を、圧倒的筆力でこれでもかこれでもかと叩きつけて来る。痴漢冤罪で収監された男、HIV感染者の男、死体を隠した男、女装が趣味の男、肥満体型の男…彼らが紡ぎ出す恋情そして執着は、私たちの心に深く楔を打ち込む。ここまで高品質の愛憎小説を、彼女のような頻度で上梓している作家は一般誌でもそうはいないだろう。
木原音瀬の人気は、まず、彼女の本を出すためだけのレーベルがあることで証明されている。彼女の小説と、そのコミカライズ作品のみ掲載されたムックも現在4号まで出ている。例えは難しいが、乙一・西尾維新クラスだと思ってくれていい。毎月80冊前後出ているボーイズラブ小説界において、間違いなくトップクラスの人気を誇っている。
ただしその人気が、彼女の実力に相応しいものかというと、そうでもない気がしている。評価が高すぎるのではない、低すぎるのだ。ボーイズラブ界は良くも悪くも読者が熱心で財布の紐がゆるい。需要と供給が小さな輪の中で完結してしまっている。いくらボーイズラブ読者が多くなったとはいえ、分母となる絶対数が足りないのだ。これでは高評価にも上限がある。
もちろん私は彼女に、一般向け作品を書けと言いたいわけではない。今のままの作風でなんら不足はない。考えてみれば、日本の文壇で同性愛表現が完全にタブーだったことなど、一度もないのだ。ニアボーイズラブ作品に至ってはそこらじゅうに転がっている。問題なのは、ボーイズラブ読者以外の人々に彼女が知られていないこと。店頭でもまず足を運ばない書棚に並べられていることなのだ。
まずは彼女を知って欲しい。店頭が恥ずかしければAmazonでも7&Yでもいい。何ならBOOK OFFでもいい(後で新刊を購入するのなら)。よしながふみを、オノ・ナツメや佐原ミズを見出した人々に、いま少しの歩み寄りを願うのは贅沢なことだろうか。木原音瀬のような類まれな才能と作家性を併せ持った作家を、私たちは天井のある籠の中で飼い殺している。そのことに対して罪悪感を持つ程に、私は彼女の作品を愛している。どこに出しても恥ずかしい木原音瀬信者なのだ。
「受験ヲタの非コミュ人間乙wwwwwwwwwww」って思ってました。
そんな俺も就職して、この春から関東に出てきました。一部上場企業ですよ。
「俺のシマコー生活がこれから始まるwww果ては社長か会長かwwwwwwwww」なんて思ってました。
ほんの1か月前は。
入社して最初は当然のごとく研修で、いろいろな課題が出されるんだけど、ちょっとずつみんな気付き始めるんですよ。
「あれ、あいつ(仮にA君とする)何でもできるなあ・・・」
俺はIT関連には強いが他はてんでダメ。他にも英語に強い帰国子女とか、一部分に特化して突き抜けてる奴はそれなりにいるんだけど、
なぜかA君は何をやらせてもトップクラス。
しかもパッと見、普通。
イケメンチャラ男でなければ、ピザキモデブでもなく、明るくて、空気読めて、普通にいい奴。
酒の席で聞いてみましたよ。A君の大学を。そしたら東大生だった。
あれ?東大生って非コミュの空気読めない君だったはずじゃぁ・・・
93年の政権交代は実質的には自民の衛星政党だった日本新党やさきがけを首相の椅子と引き替えに取り込んで無理矢理過半数にしたから、どっちかっつーと自民の内紛なんだよな。
自民共産以外はほぼすべて参加してる連立政権を自民の内紛とみなすのは強引過ぎでしょ。
自民の過半数割れは明らかに国民の選択。選挙の結果が国民お洗濯じゃないならほかの国の世間交代だって国民の選択じゃなくなるでしょ。しかもその後はずっと連立政権が続いてるわけでこのときにすでに一党制的なのは終わったも同然。
自社さ政権でも自公政権でも自民単独ならやりそうもない政策してるわけで自民が仕切れてるとも思えないけど。それにもともとの自民党自体が政策的に幅のある政党で55年体制のころから野党の主張も取り入れて政権維持してた。それをリーダーシップが足りないだの密室談合だと批判する独裁を待望してるかのようなへんな批判がされてたのが問題だったわけだけど。
独裁国でもガス抜き用に形式的な「野党」を作ったりするし、厳密な言葉として一党独裁ではないけど、そこはあまり本質的ではないかな。
自民党ができたのが1955年だし、今より高い投票率の選挙で勝ち続けてたわけで50年以上独裁とか言ってるのはただの無知。そういうのを相手にしても仕方がない。欧米は自分らに都合の悪い政権だと民主的でないとかけちつけるのはよくあること。
ただ、何だかんだで公共部門が大きく政権交代がほぼ無いために政府=自民政権であるこの国では、企業は自民支持を打ち出さないと「死ぬ」ことになる。
日本の税負担率は先進国トップクラスの低さが続いてるし、人口当たり公務員数もトップクラスの少なさ。日本の公共部門が大きいというのは幻想。それに有力野党は労働組合と宗教ぐらいしかなかったわけで財界が自民を支持し続けたのは自然なこととおもう。
公共部門の利権によって自民への投票を事実上強制出来て、政権を握り続けることによって再生産的にその利権を安定化出来る、というのは基本的な図。
結局庶民もその体制で利益を得てきたからこそ政権を任せ続けたわけだ。
これはそうでもないよ。安定度で言えばずば抜けてるのは公明党だけど、民主は全然安定してない。自民が得票「不安定」なのは公明との選挙協力のせいだろう。
それは違う。公明との選挙協力がない比例区の票見ると自由党と合併して以降の民主党は二千数百万でかなり安定してるし、逆に自民党は一千万票も増減してる。
地方の人は1票が重いから自民的にはつぎ込んでも元が取れちゃう。
その地方で民主が勝ったから今のねじれ国会があるわけだけど有張りみたいにされてるわけじゃない。
小泉が一旦全ておシャカにしないと後が続かないほど日本を酷い状態にしたのは、それまでの無責任な自民への白紙委任であることも間違いない。
そもそも盤をひっくり返す必要すらなかったと思う。おそらく多くの国民は55年体制が今でも続いてるほうが幸福だっただろう。失業率なり成長率見れば政界再編とか構造改革とかをやり始めた連立時代から日本はだめになっていったのは明らか。にもかかわらずなぜか自民単独政権続けたからだめになったというのが不思議。お釈迦にする必要もないのにそうしないと後が続かないと思い込んで酷い状況にしただけじゃないかと。
小学校、中学校、高校、(大学)、会社と、普通の組織の中で生きてきた。
小学校、中学校は、適当に勉強して、トップクラスの成績だった。トップも取ったことがある。
高校は、進学校を選らんだ。けど、地元2番手。自信が無かった。落ちるのが怖かったから2番手の高校へ進学した。
高校でも、そこそこ勉強して、トップクラスの成績。ここでもトップを何度か取ったこともある。
大学は、地方国立。センター試験で失敗した。浪人するのは嫌だったから進学した。
大学では、トップとかそういう概念があまりなく、それなりに勉強して卒業した。
そして、今社会人だ。地元に戻りたかったので地元の企業に就職した。大企業でもないし、有名企業でもない。地元で少し名が知れている程度。
それなりに勉強もして、真面目に働いている。そうしたら、同期の中で一番の評価を得た。あっさりと。もっている力は出し切っていないような気がする。
こうやって振り返ると、挫折という挫折はしていない。する人生を避けてきたのであろうか。
自分と同年代で、自分よりもずば抜けて優秀な人の近くにいたことがない。
これに最近気付いた。これでいいのか。このままでいいのか。
このような環境にいることは、心地が良い。それなりにやっていれば、周りから評価される。そりゃ、少しのプレッシャーはある。成績が落ちると、「らしくないじゃん」と言われる。けど、トップはトップ。多少いばれる。
だが、私は周りに自分よりも優秀な人がたくさんいて、刺激的な事をしたい。ただ普通にやっているだけでトップの世界は充分な気がする。
そう思ったとき、転職を考えた。まだ、転職するには早い。なんせ、まだ2年目だ。今の会社でも学べる事はたくさんある。
3年を終えたあと、転職をするのだろうか。それとも、居心地の良い環境で、それなりに過ごすのだろうか。はたまた、考えが変わっているのだろうか。
大企業に行けば、刺激的な職場が待っているのだろうか。(それよりも、そこに転職出来るかが大問題だが)
周りに優秀な人がいる所で生活をしたい。今の状態から、そういった職場へ移れるのだろうか。
自分がトップでない場所へ行きたい。
こう考える一番の理由は、一番の評価をもらったのにもかかわらず、給料の面では大して差が付けられていないからだ。
教養俗物でもかまわんけど、君もたいがいだね、ただし、君が攻撃のネタにしていることのうち肝心な点が俺の考えではないことは再度強調しておこう。
そのためのハッカー、そのための非モテ、そのためのオタなんじゃねーの。
少なくとも、自分から階級格差を肯定し追認する側に回っていることを公言するようなバカな真似はしたくねえな。
人のことを青臭いだのなんだのというけれども、君こそ大したものじゃないか。ハッカーもオタクも何の関係もないと思うし、現状の非モテ運動がなんかできると思うか?各個撃破されてるだけじゃないか。
どっちにしても、俺はそんなものを追認してないからそこだけは誤解するな。韓信の股くぐりと言ったはずだ。
俺がいつそんな主張をしたというんだか。
これについては他の人と混同していた。失敬。
ただし、高校で古文を教えることがステータスシンボルになるなどとは俺も言っていないからな。独学するための基礎ができると言ったのだ。
君さあ、先進国で大学教育を丸投げしてる国があるかどうか考えてごらんよ。どこの国もそんなことをしてないってことは、誰も「外国で本当の一流を学んでもらったほうが」なんて考え方はしないってことじゃないか?実際、高等教育を丸投げしたらその国に人材を持って行かれてしまうのがオチだぜ?アメリカはそれで反映してるんじゃないか。
それから、MITがよほど日本の大学より優れていると思っているらしいが、それは勘違いだし、だいたい日本の大学に大勢いる「本当の一流」の研究者に余りにも失礼だ。東大・京大をはじめ日本の有力大学は、世界の基準でいっても一流大学だぞ。アメリカやイギリスはともかく、ドイツとかフランスとかその他の先進国には全然負けていないよ。それに、アメリカやイギリスの大学が優れているのは量的な側面であって、質的なものではないのでな。
欧米でギリシャ語やラテン語や古典文学が重要視されるのは、それが彼らの民主主義やら哲学やら自然科学やら数学やらの源流にあるからだ。
そんな、どっかで聞きかじったようなことを言わないでくれ。今さら丸山眞男の真似事のつもりか?君こそ立派な西洋中心主義者じゃないか。確かにルネッサンスというのは古典復興というお題目だったが、現状を否定するときにさらに過去の権威を持ち出すのは常套手段であって、それは「万世一系の天皇」というのと似たようなもの。正確に言うと源氏物語だってそういう理由で明治期以降急に祭り上げられたものだ。ただしそれらが芸術史・文化史に刻み込んだ影響だけは否定できないし、作品としてよいものはよい、それだけのことだよ。
グレコ・ローマン文化を特別視する思想というものこそが、君が否定したがってる「文化資本で階級支配をしたがってる奴」という奴らのドグマなんだが、そんなことも知らずに「文化資本」なんて言葉を使ってたのか?
以下は蛇足。
情報工学関連への言及が他と比べてショボくて、ああ専門外なのねー、とニヤニヤ出来たけど。
UNIXという「特定」OSの実装から離れた所で抽象的にOSを煎じ詰めるのはかなり学問的な領域だと思うが。もう基礎とはいえないだろう。
「使い方」から遊離して「考え方」だけを煎じ詰めていくのは、プログラマレベルでの実践的な志向ではないだろうな。学問的には意義があるが。
あのさあ、情報処理試験に出るレベルの「常識」を「教養」なんて呼ばないでくれよ。
悪いけど、君が挙げてるのはどれも「情報工学」じゃない。単なる「ノウハウ」だ。それは、半田ごての使い方が「電気工学」でないのと同じぐらい自明なことだ。人が作ってくれた道具の使い方に習熟していることをいくら自慢されても、話の次元が違うとしか言いようがない。俺が言っているのは「大学でなぜ必修になっているのか」という話だ。だったら当然、「学問的な領域」の話が問題になっているわけだ。
まして俺は、「パターン認識」「待ち行列」みたいな理論的な分野を例として挙げたはず。一番そういう「手先の器用さ」が問題にならなさそうな分野をわざと選んだのだがねえ?
あのさあ、なんでパターン認識とか待ち行列とかの例を挙げたと思う?こういう分野では数値計算が重要になるから、基本的に低レベルに近い言語でプログラムを書くことが望まれるし、似たようなプログラムを使い回すから生産性という意味でもそれで大した影響がないということだ。
そもそも俺は低水準言語の話はしてなかったと思うが?
「低水準言語で十分」という例を挙げてどうすんだ。「低水準言語が有効/必要」な例をあげろよ。機械よりの視点で細かい制御が望まれる例を挙げるべきだ。
話が理解できていないから頓珍漢な応答になっていることは上に書いたとおりとして、「数値計算」と書いたはず。RubyだのPerlだので数値計算させて日が暮れてしまうのは君の自己責任だけれど。
一つだけ挙げた例を全てだと思い込むような人を説得しようとした俺が馬鹿だったのかな。