はてなキーワード: 民意とは
そうなんだけど、まずかったら次の選挙で自民に入れればいい。もてるカードで勝負するんだよ。
そうすると、政党の中の人もこりゃまずいと動き出すサイクルが起こる。今回の選挙だけで世の中は良い方向に行くはずがない。継続的に考えよう。
まぁマスゴミのパワーもあるからそう簡単に良のスパイラルにはむかないだろうけど、あきらめていたらどうしようもない。まずはもてるカードで勝負しようよ。
追記。出自とか言ってることが分かる人や理解できる人はそうやって取捨選択すればいいと思うよ。俺が言いたいのは誰に入れて良いかわかんないとか、どの政党が良いかわかんないとかそういう人たちも、政党レベルの巨視的な視点でいいからとにかく投票して欲しいってこと。ちぐはぐでもいいんだよ。若者の投票率が上がればその層の民意は重要度が高まるって事になるから。総意としては伝わるようになる。
若者は団塊に搾取されてるとか騒ぐんだったら次の選挙はちゃんと投票行けよ。
投票するべき候補がいない?んなこと言ってるから、民意 = 投票率の高い世代の願望 になるんだよ。そりゃ、若者は搾取されるよ。
今の政治や社会に不満があるなら、自民党以外に入れてみるのもそれも民意だ。公約に賛同できなくても。「これ以上ふざけたまねをしてたら自民支持者の俺でもお灸を据えるよ」という意味になる。今の社会を築いてきたのは功罪あるとはいえ自民だからな。あ、これは例えだ。自民に入れるなって言ってるわけじゃない。
最近の議員の体たらくを批判する文脈の記事とかで「若者は馬鹿議員のおかげで冷めてます」みないなのあるだろ。そしたら街頭インタビューする。決まってこういうんだ。「興味ない」「投票したくなる議員いないもん」。おまえ、やだもんか。あ、ヤダモンじゃないぞ。「こんなこ いるかな」の方のやだもんな。
でもな、冷めててもお母さんは政治を良くしてくれないよ。政治家も票にならない層の言うことなんて聞いてくれないよ。若者冷めてるの?あっそう。ってなもんだよ。投票に行かなくても若者のことを考えてくれるなんて甘いこと考えるなよ。投票に行かない層の民意は反映されない。斜に構えるな。基本的な権利を行使した上で斜に構えろ。
http://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress0/index.php?p=23
この社説に異論があるのは、「財政再建に秘策はない」ではなく「財政再建に秘策がある」からだ。具体的には、2011年度で名目成長率4%を達成する経済成長にある。問題は、この経済成長が社説が言う「歳出削減と増税という当たり前の選択肢」から抜け落ちていることである。そこで、重要なのが物価上昇率であるが、先進国では一般的な物価上昇率である2%前後を想定することは充分に可能ではないか。それと成熟した日本経済の成長力2%前後を加算しての4%名目成長率目標となる。ただ、その前提に長期金利の封じ込めが必要となる。そこで日銀の金融政策の役割が問われてくる。2011年度に名目成長率4%が達成できれば、「構造改革と経済財政の中期展望」による3・1%より1%近く高くなり、税収は消費税4%前後違ってくることになる。ならば、国民負担は大幅に軽減されることになる。このような歳出削減と経済成長の両立による消費税引き上げ幅の縮小による財政再建こそ、民意が選択した小さな政府路線に拠る秘策と言えるのではないか。党財政改革研究会の議論ではこうした視点を踏まえて議論すべきであり、また総裁選においても成長率をどうみるかは、大きな争点になるべきと考える。
どう見ても日銀が金利を下げて物価上昇率(ここではGDPデフレーターな)を2%前後に上げ、財政再建しましょうと言っているように見えるが?
討議デモクラシーの挑戦 ―― ミニ・パブリックスが拓く新しい政治 ――
Amazon.co.jp: 多数決を疑う―社会的選択理論とは何か (岩波新書): 坂井 豊貴: 本
「多数決」以上に民意を反映できる選挙方法とはどのようなものなのか?
みんなの心は絶対に一つにできない(アローの不可能性定理) - YouTube
小選挙区の死票半端ない 自民2500万票222議席 民主1100万票38議席 共産700万票1議席©2ch.net
小選挙区制の魅力 有権者2割の投票で8割が自民党議席に©2ch.net
今回総選挙の自民党の絶対得票率は、比例代表選挙で16・99%、 小選挙区で24・49%に過ぎない!
一選挙区から一人しか当選しない小選挙区制を採用している場合には、特定の政党に投票する傾向の強い地区を分割し、相対的に多数が別の政党に投票する傾向のある選挙区に吸収させることで、特定の投票を無効化することができる。
共和党のジョージ・W・ブッシュが、民主党の現職副大統領アル・ゴアを破って当選した。
獲得選挙人 271
得票数 5045万人
得票率 47.9%
獲得選挙人 266
得票数 5099万人
得票率 48.4%
Amazon.co.jp: 選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?: ウィリアム パウンドストーン, 篠儀直子: 本
「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」
みんなの心は絶対に一つにできない(アローの不可能性定理) - YouTube
151 :名無しさん@12周年 : 2012/03/18(日) 21:15:38.52 ID:q4JH9ZwT0
>>127
どちらも同じ芸能人になったりするように
全く合理的ではない
多数論証
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは、ほぼ一致する。
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書) | 高橋 昌一郎 | 本 | Amazon.co.jp
Amazon.co.jp: 不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力: ジェイムズ D.スタイン, 熊谷 玲美, 田沢 恭子, 松井 信彦: 本
アローの不可能性定理とコーポレート・ガバナンス: 官庁エコノミストのブログ
[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]
シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。
書評 「選挙のパラドクス」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
俺はオシロ君タイプだった。そして、研究開発に配属されたが、会社で苦労している。
なので、君とは逆の立場の話をする。
どういう部署に行きたいか聞いてみると、そろいも揃って「研究開発」。
まあ、そういう人は入ってから苦労するよ。というか、卒論・修論の時点で苦労するはず。
俺は変な工学部生で、学生の頃は数学や物理ばかり勉強していた。大学が基礎的な勉強を奨励するカリキュラムだったということもあるが、俺はそれに輪をかけて変なことをしていた。自分の学科の科目を捨ててまで理学部の科目を聴講して、それを単位にして卒業した。
なんでそんなことをしていたかというと、工学部のカリキュラムが「各論」ばかりに見えたからだった。理論といってもたかだか数十年の歴史しかないものを勉強して、そのうち覆されてしまうのではないかという不安があった。だから「総論」を勉強しておけば、パラダイムが変わってからも対応できるんではないかと。
だが、それは錯覚だった。抽象的な一般論を理解していても、結局は手が動かせないと何もできない。理論の意味というのも、結局は泥臭く計算して実験してみないと本当に理解したことにならない。それで得られるものといえばせいぜい「成績」だけだ。でも、大学の成績ほど無意味なものもないだろう。
そういうわけで、俺はオーバースペック気味な抽象論の知識をひっさげて企業に入社したが、非常に基本的なものでさえ自分で作るためには一苦労している有様で、肝心の実験がまともに進まない。理論だけで学生生活を送るのもよしあしなんだなと思ったよ。毎日怒られながら、追いつこうとなんとか頑張っている。君みたいに、手を動かせる人たちが羨ましいと感じる日々だ。
ただし、君みたいな生き方が本道かというと、そうも言えないと思うんだな。
少し補足をすると、データロガーの件は、
研究室に入り立ての俺らが研究室で使う測定器になれるための実験の妨げになるからよくないって言うのと
悪いけど、それじゃダメだ。君のやることは発想は面白い(卒論生にしては)。でも、残念ながら「手抜き」と呼ばれても仕方ないよ。精度が甘いというのは実験の質を下げることだ。もし君がここで、精度の高いロガーを作ることができていたのなら、褒められこそすれけなされはしなかったはずだよ。
だから、教授に怒られて助教授に褒められたというのも、余り片方だけの意見を聞かぬように。教授も上教授も正しいことを言っているのだ。実を言うと、教授と助教授というのは、一般的に研究室内の暗黙の「飴と鞭」の役割分担をしていたりする。残念ながらたぶん君は教官に踊らされているよ。
プロの研究者をなめてはいけない。国立大の研究者ともなれば、並の学生が思いつく凡庸な発想はたいてい試しているものだ。何しろキャリアが違う。君はまだ研究のキャリアはほとんどゼロだが、教授も助教授はこの世界で何十年もやっているのだ。君の通った道は彼らはまず間違いなく通っている。彼らを出し抜くのは簡単なことではないよ。逆に言えば、だからこそ出し抜く価値があるんだけどね。
だから俺は理論に強くなってオシロ君を見返したい。少なくとも同等の立場になりたい。院試の点数で勝ったら少しは見直してくれんのかな。
でもむりっぽいな。はあ。
無理だな。院試の点数なんてセンター試験の点数ほどの価値もないよ。
はっきり言って、現場から見れば君もオシロ君もまだまだ使い物にならない。まともに理論が扱えない君も、まともに手を動かせないオシロ君も、二人とも致命的な欠陥を抱えている。その意味でまだまだ君らは半人前だ。
これから君らの勝負が分かれるとしたら「俺はこいつより偉い」と思ってしまった方の負けだ。有り体に言って君らの実力は五十歩百歩だ。君らはコンビを組めばなんとかそれなりの能力を発揮できるようだが、要するに二人でやっと一人前ということだ。君らは二人とも半人前だ。それが自覚できただけよかったじゃないか。
これから大学院を出るまでの間には、二人とも、曲がりなりにも一通りのことができるように努力するんだな。そうして、自分の強みをのばしていけば、どこにでも胸を張って出られるようになるよ。お互い、近くに見習うべき相手がいたんだからこれは幸せなことだ。
がんばりたまえ。
どういう部署に行きたいか聞いてみると、そろいも揃って「研究開発」。
何を勘違いしているか知らないけど、大学って研究するところだろ。間違っても生産現場での働き方を教える場所ではないはず。研究したくて集まっているんだから、研究に目が向いて当たり前じゃないか。
適材適所という言葉を知っているか?Wikipediaの該当ページによると
ということだが、研究ばかりしていた人間がいきなり生産現場に行ったって、能力・特性が違うんだからどうしようもないだろ。研究するのが合っているんだから、研究する仕事につけるのが適材適所ってもんだろ。
元増田の親父さんは工業高校で何を学んだ?研究する方法か?違うだろ。そんな親父さんが研究開発の分野に行ってからも「工学部出身のやつはダメだ。」って言えんのか?
それをなんとか解決した武勇伝を子守歌のように聞いて育ってきた。
父曰く、「工学部出身のやつはダメだ。パートのおばちゃんの方がよっぽど使える。」と。
(ちなみに父は工業高校卒。)
大学に入るまではそんなのあり得ないだろうと思っていたが、年を重ね、研究室に入ってその言葉を少し実感している。
事例をいくつか挙げてみる。
・シミュレーションばかりする教授。実際の製作はどうするか聞いたら、学会誌に載せると誰かが追実験してくれるからしなくていいそうな。
・院生が作った学生実験用電源が使い出してから3回ですべて故障。調べてみたらコンデンサの選定が非常にまずい。半田付けも芋半田だらけで非常に汚い。
・パソコンのメモリとHDDの区別が付かない先輩。2週間ほど前にいい年して今さらだけど知らないと恥ずかしいのでって質問された。
シミュレーションなんかはわりと喜んでやるのに、特性測定なんかは時間がかかるのでみんないやがる。
それならと計測を楽にするために、データロガーを作ったら周囲は完全に変人扱い。
回路設計とかプログラミングとか授業でやったことの応用なのに。
あと、データロガーの件では教授に怒られた。一人だけ手を抜くなと。
メモリとHDDの区別が付かなかった先輩は東芝へ行くそうな。よーしNAND型メモリ作っちゃうぞ??ってオイ。プロセス方面行くみたいだから意外と大丈夫かもしれないけど。
どういう部署に行きたいか聞いてみると、そろいも揃って「研究開発」。
というか生産現場へは国立大卒者が行くところじゃないという選民意識みたいなのを持っている人すらいる。
まとめると、
・工学部内で手を動かすことをいやがる風潮がある。
・そういう人たちが大手へ就職している
こういうことが大学で感じた違和感。父親の影響で、周りの人間を色眼鏡で見ている面は否定できないが。
「工学」部なのに手を動かしてもの作らないのかよと。
他の大学でもこんな感じなのだろうか。
これは、たぶん総意だと思うんだけど、
「趣味や嗜好への理解」で許されるのは他人に迷惑をかけない場合だけだよ。
タバコはアウトでしょ。これが理解できないなら「理性がない」と言われても仕方がない。
歴史上似たような言葉でさまざまなモノがなくなってきたわけです。
たとえば、ソ連とかでもスターリンとか一応は「みんなの総意」っていう観点から
様々な芸術家連中を粛清していった。粛清されないまでも、プロパガンダに従わないやつは左遷された。クレショフなんかも。
メイエルホリドは妻も含め拷問されあげく銃殺された。当時の「前衛」なやつらはほとんど。
そして、それをたぶん、ふつうのひとたちはただ見てたんだな。
同情を見せて自分も粛清されるのが怖い人もあれば、ほんとうにみんなの総意で「理性がない」って思われてたものもあって。
たぶん、その時も同じように彼らは、他人から「理性がない」って言葉で吐き捨てられたんだと思うよ。
あのときは「旧体制」だというだけで「他人に迷惑をかける」とみなされて、
たくさんのニンゲンが粛清された。そして、粛清した側はそれに対してなにも思わなかった。
実際、迷惑だと思ったから。自分を十分に正当化するだけの理由が、そのときはあったから。
こーゆーのと、タバコとは、比べるのもおこがましい違いがあるのはわかってる。
じっさい、うっとおしいだけだしな。事実有害だしな。俺は喫煙者と非喫煙者のはざまにいるがそう思う(自分ではほぼ買わない。たまに飲み会とかで貰ったら吸ってる。
だけど、同じような暴力性がアナタタチ、ワタシタチのその判断基準には潜んでると思う。
タバコいいじゃんだめじゃんとかそういう話じゃなくて、「明確に法を犯すわけでもないが、自分にも、他人にも迷惑をかけるものは、民意の総意があれば暴力的に排除しても構わない」
ワレワレの、その暴力性を無意識に肯定する根性こそが、歴史上のたくさんの最低の結果の背後にあるんだと思うよ。
だからこそ、俺は非喫煙者の嫌悪のしかたがキモチワルイと思う。今の処置は妥当だと思うけど。
彼らの視線や評価は往々にして暴力的で、人間性にまで食い込むときがある。
だけど、その視線はまるで、一昔前の、障害者やハンセン氏病の患者を穢れたものとして嫌悪するそのやりかたといっしょじゃないか。
障害があるから、顔が奇形だから、ニンゲンではないような扱いをしてもいいものか?それは公正か?違うだろう、あたまの中は、誰だって、誰らしくニンゲンなんだぜ?
タバコは迷惑はかけるものだし、迷惑をかけるがゆえにもっと規制はされるべきものであると思うが、決して人間の評価基準の中にまで食い込むべき問題じゃないよ。
そりゃそうだ
http://anond.hatelabo.jp/20080201210858
元記事に対する言及なので、そういう風にこられてもなぁ・・・
http://anond.hatelabo.jp/20080128022318
そこまで民主主義云々の深いレベルの話じゃなくて単にバカに説明するために話を単純化した例なんだから、変な揚げ足とってまた違う方向に持っていかなくても。
ただ、その行き着く先は大方の場合、「諸個人の意思の集合」とは合致しない。
書いた人とは違う説明されたほうの益田だが、屁理屈というよりは正論だと思うけど。
それに諸個人の意思と食い違いがあるのは独裁者に限ったことでもない。政治家だって万能じゃないし、有権者の意思はばらばらで移ろいやすいんだからいくら民意に逆らわないようにしようとしてもできなくなることはよくあるのが現実。
http://anond.hatelabo.jp/20080128011831
だいたい投票率が30%程度の選挙で、「必ず勝てる」と言えるために買収しなきゃいけないのは、選挙民の何%だ?
同じく、投票率が80%の選挙だったらどうだ? その場合買収しなきゃいけないのは、選挙民の何%だ?
で、選挙民の15%を掌握するのと、40%以上を掌握するのと、どっちが手間がかかりかつ危険だ?どっちが金権選挙をやりやすい?小学生でも分かるな。
買収は違法なんだから投票率上げる揚げない以前に取り締まるべきなのに、棄権者たたきに走るのが理解できないんだが。買収は違法だが棄権は合法であり、そのルールは民主的な手続きで決まってるって事は知ってるよね?
それともう一回同じ指摘するけど、金権政治するやつに投票するくらいなら棄権したほうがいいってことになるはずで投票率を上げるのがいいことなんじゃなくて金権政治をしないやつに投票しろというのが筋でしょ。それなのにそあたりをごまかすのが奇妙なんだよな。
憲法15条見ると全然問題なしどころかしろって書いてあると思うんだけども。
ともあれ、投票率が上がるとマスゴミが力を持つってのなら多少わかる面もあるが、投票率が上がると官僚が力を持つってのは常識的に考えておかしい。
でも官僚ブログとか見ると官僚も世論に振り回されまくりだと思うんだけどな。
最近話題のマンション投資信託サラ金パチンコとかの官製不況だって民意に従った結果でしょ。構造改革とかバブルつぶしだってそうだし。
民意に反するトンデモ判決が出るのは検察官のせいというのはちょっと早計なような気がします。
検察官はよくやってくれていると思います。
今回だって、危険運転致死罪を適用して25年の判決を求めたのはなにしろ検察官ですもの。
検察官による、民意に反する判決といえば、むしろ、公訴権の濫用(喧嘩両成敗なのに片方しか起訴しない、政治的理由により起訴したりしなかったり)の方が問題だと思います。
今回の飲酒運転の話も、科しうる最大の刑を科していますし、
罪刑法定主義の支配する刑事法の世界では、法をねじ曲げない限りあれ以上は出来なかったのではないかと。
事実認定についても、全ての証拠を検討したわけでもない上に、事実認定についてド素人の我々が口を出す問題ではないと思います。
少なくとも今回の話は、法が悪い、適切な法を作らない立法府が悪い、適切な法を作らないクズどもを国会に送り込んだ国民一同が悪い、としか言いようがないです。
と書いてきた思ったんですが、検察官の立証がへたくそだという話ですか?
ならそうかも知れません。でも、彼らも今回みたいなことがあると査定に響くから、わりと必死って聞きますね。
みたいに一般人の常識に反したトンデモ判決とされるものがでると裁判官は非常識だとか批判がでるわけだが、実際のところどうなのか?そもそも判決が民意に従うべきかという大問題があるが、それはおいておく。
さてトンデモ判決はどのくらいの割合で出ているのだろうか?平成18年司法統計の「刑事事件等の訴訟及びその他別新受,既済,未済人員 全裁判所及び最高,全高等・地方・簡易裁判所」によれば、刑事訴訟は793707件開始され、過去分も合わせてそのうち799044件の判決が下されている。トンデモ判決の件数はわからないが、一般常識では考えられないような「トンデモ判決」は毎日報道されてないので、「トンデモ」判決は最大限に見積もっても一日一件だろう。そうすると年間365件となる。とするとトンデモ判決の割合は
365 / 799044 = 0.000456... = 約 0.045%
となる。この数値が低いのは判決が問題とならないような簡易裁判所の数値も含まれているからだろう。簡易裁判所では675706件受理され、678745件判決が下されている。従って簡易裁判所以外では120299件の判決が下されている。これに基づくと
365 / 120299 = 0.003034... = 約 0.303%
となり、これでもまだ低い。仮に仮定の3倍、すなわち一日あたり3件の「トンデモ判決」が下されているとしても「トンデモ判決」の割合は1%にも満たない。「トンデモ判決が多く、裁判官は常識がない」というのは典型的な代表性バイアスであると考えられる。
そもそも裁判官、検察官の数が少ないことも指摘できる。「裁判官,検察官,弁護士の女性比率(全国)」によれば平成18年の裁判官数、検察官数はそれぞれ3341人、2479人である。検察官が一人当たり年間担当するのは
120299 / 2479 = 48.52..
より48件である。一件当たり費やせる日数は
365 / 48 = 7.6041...
より一週間である。実際には休みを考慮しなければならないので、これより短いと考えられる。従って仮に「トンデモ判決」が多いとしても、その原因として疑うべきは裁判官の常識ではなく、検察官の少なさだろう。
だいたい司法試験を通ったエリート、言い換えれば努力家なんだから、多少例外はいても常識はある人間の割合は普通の人間の集団に比べれば高いだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20071213195501
ポストにチラシを投げ込んでいく奴
まじうざい。死ね。不法投棄罪だろ
おまえには「ビラはウザイ」という意見を伝える自由と権利がある。
そして「ビラはウザイ」という意見を書いたビラを配布する自由が誰にでもある。
それが言論の自由というもの。
だから「ビラはウザイ」と書いたビラを配布する人を逮捕することは不法。
私は「ポストにチラシを投げ込んでいく奴まじうざい。死ね。不法投棄罪だろ」という意見には同調しない。
だが、そう言っている人の言論の自由は守りたい。
参考社説。
共産党のビラを配るため二〇〇四年十二月、東京都葛飾区のマンションに立ち入ったとして住居侵入罪に問われた僧侶荒川庸生被告(60)の控訴審判決で、東京高裁は逆転有罪(罰金五万円)を言い渡した。一審東京地裁の無罪判決を破棄したもので、荒川被告は即日上告した。
荒川被告はマンションの廊下を歩きながら各戸のドアポストに共産党の都議会報告などを入れて逮捕された。
高裁判決は「マンション管理組合の理事会は、住居の平穏を守るため住民の総意で部外者の立ち入りを禁止した。その意思に反して立ち入れない」と認定した。表現の自由は、「憲法で無制限に保障されたものでなく、他人の権利を不当に害することは許されない」との判断を示した。
政党ビラの配布は、憲法二一条で保障されている。無罪判決を言い渡した一審地裁判決も、他人の「住居の平穏」を不当に害することは許されず、各戸へのビラ配布について「憲法二一条だけを根拠に直ちに正当化することは困難」としている。その上で、「ビラ配布の目的だけであれば、廊下など共用部分への立ち入りを処罰の対象とする社会通念は確立していない」とまったく逆の結論を導いた。
ここ数年、同じようなビラ配りで逮捕、起訴されるケースが目立つ。背景には、プライバシー保護の高まり、不審者への警戒感などセキュリティーに対する住民意識の変化がある。
それでも、政党ビラの配布が身柄を拘束し、刑事罰を科さなければならないほどの事件なのかどうか。一審、二審のいずれが市民感覚の「常識」に沿った判決だろうか。
考えてみると、この問題はビラを配布する側と受け取る側が現場で解決できるものかもしれない。嫌がる相手に、ビラを押し付けることはないだろうから。
社会が多様な意見を認め合う寛容さをなくすれば、息苦しさは増すばかりだ。今回の判決がそれを後押しし、表現の自由を萎縮させないか憂慮する。
http://anond.hatelabo.jp/20071213204029
http://anond.hatelabo.jp/20071213204256
ビラ配布の自由を守る会