2008-01-01

パブリックコメントで数が重要であるとする頭の悪い意見

ダウンロード違法化で「反対のパブリックコメントの数が多かったのに、ダウンロード違法化するのは民主的でない」という頭の悪い意見はやめてほしい。一件パブリックコメント価値多数決の観点から同等だとでも言うのだろうか?何人もの人間が属している組織と一人の個人のパブリックコメントを同等に扱うべきだとでも言うのか。10人の人間で成り立っている組織が投じた賛成のパブリックコメントと2人の人間がそれぞれ個人で投じた反対のパブリックコメントがある状況において後者を優先させるのは民主的であるといえない。頭が悪くこの意見を受け入れられないバカはいないと思うが、そういうバカがいるなら組織は個々人に命令してパブリックコメントを出させるだけである。無断アップロードされたプログラムダウンロード違法化をするときは、マイクロソフトは全社員にパブリックコメントを出させるかもしれない。そういうときのためにも「反対のパブリックコメントの数が多かったのに、ダウンロード違法化するのは民主的でない」というのはよろしくない。「反対のパブリックコメントの数が多かったのに、ダウンロード違法化するのは民主的でない」というのはきわめて頭の悪い意見なのである。

「反対のパブリックコメントの数が多いから」系統の主張をし、理で攻めることができない「無能な味方」はいなくなってほしい。

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