はてなキーワード: 内助の功とは
彼と私のこと
・彼は忙しい、私は暇
・一緒に暮らし始めて数か月、私が一緒に暮らしたかったからそうなったのだと思う
・家事は8割方私がしている
・生活費は折半
・彼は家にいれば家事に積極的な方
・お互いに大学生
私の母親のこと
・努力家
私のこと
・初めての恋人
・家事は好き
彼が忙しくて泣いた。
・構ってほしい
・用事の方が私より大切なようで癪に障る
・イベントの度に水を差される
・いつも彼の予定に合わせなければいけない
・私ばかりが家事を負担して、彼のいない時間に彼のことを考えて、彼のために動いている
・私が忙しくて彼が暇なときにも、私がしてきたのと同じことをしてもらえるわけではなくて、してほしいわけでもないけれど、がっかり
自分が嫌になる
・「してくれ」と言われたわけじゃないのに「彼のために」して、見返りを求めてしまう
・そういうところが母に似ている。ある種の男尊女卑?古い体制が身に染みついていて、それは嫌いだと思ってきたもの
・泣く。気持ちの浮き沈みが激しい
・要求がないのに不満を抱く
・彼とのセックスに不満がある
一緒にいてほしい。家事を半分してほしい。私のことを好きでいてほしい。求めてほしい。
私は母を尊敬しているけれど、自分の意識しないところでどんどん母に似ていくのは嫌だ。怖い。母のようになりたくないと思うところもある。
たとえば、私は週に5日夕飯を作る。メニューを考えて買い出しに行って作って、洗えるものは洗って彼の帰りを待つ。一緒に食事をとって、ごろごろする。彼と付き合い始めるまで夕飯をとる習慣はなかったのに。ダイエット中なのに。でも食べる。食べろと言われたわけではないのに。それはそれで幸せだけれど、ときどき嫌になる。私が出かけて彼が家にいた5日間、最初の2日は夕飯を作ってくれて、あとの3日目は私が友人と外食、最後の2日は自分で作って食べた。後で言ったら「だって夕飯いらないかなと思って。だからアイスとか買っておいたのに…」と。確かにと思って申し訳なくなったけれど、じゃあなんで毎日ご飯作らせてるの?私、要らないのに。
彼が忙しいのは悪いことじゃない。むしろ推奨されるべき生活態度かもしれなくて、一緒に暮らしたがったのは私だ。だから家事を私が負担すべきということになるかどうかはともかく、彼がそうしろと要求したわけではないのだから、彼に非はない。ないけれど、こんな主婦みたいな生活、彼の多忙が私に利することはないのにとも思う。彼の多忙が仕事であったなら内助の功と認められるような家事労働を、構造的にだって、私がしなきゃ立ちゆかない。……立ちゆかないわけではないところもある。カレーやうどんで夕飯を済ませてもいいんだし、彼が作る夕飯はそんな感じだし。それでいいと彼も言った。勝手に一汁三菜をと思う私に問題があると思う。それで不満を抱くとか人にも求めるとか馬鹿みたいだ。でも、カレー一品で済ませられない。母がいつもサラダを用意してくれていたからだと思う。サラダとなにがしかのおかずとお茶とデザートと。そこまでなかったかもしれないけれど、なんだかいろいろあったような記憶。4人家族だったからかな。
もう、ばかばかしい。
つまりなにが嫌なのかわからない。なにか嫌で、でも別れたくなくて、我慢するしかないという結論なのだと思う。彼は悪くない。悪くないのに昨日もアイスを買ってきてくれた。
私も悪くない。泣くのは私の自由だ。なにも要求していない。うちなる願望くらいいいじゃないね。
でもやっぱり、私ばかり不満を抱えて泣いて、美しくない。したいことをして帰ってきたら料理ができていて悠然と構えていられる彼が羨ましい。アイスひとつがなんだっていうんだ?何百時間を彼のための家事に費やしたと思っているんだろう。……そんなことを考えている私は惨めだ。惨めな気持ちになるから嫌だ。母を連想する。耐えて耐えて尽くして尽くして不平をこぼせば怒られて育って、やがてもうけた娘には蔑まれる。「お母さんはいつもお父さんの言いなりになって」「なんで文句言わないのよ!」どうしたらいいんだろう。母に相談したいけれど、きっと返ってくる言葉に苛立つ。どうしたらいいんだろう。尽くすと、不満が生まれて、それを腹に溜めて、増幅させてしまう。でも尽くさずにいられない。いつか不満を口に出してしまって、私だけが汚れて行く。彼はなにも悪くないままで、ずるい。
一緒に暮らすのをやめたらいいと思うんだけどね。そうしたら、どうなるんだろう。
俺は仕事辞めて起業する時に結婚したなぁ。結婚ってリスクヘッジとして凄く有用だと思うんだ。
嫁に求めた条件はこんだけ。
・正社員はいけるとこまで続行で。
・家事は半分ずつ。
・事業に成功するまで子どもはナシ。
これ、女性が男性に要求する分にはアリっちゃありかもしんないけど、
我ながら「死ね」と言われても仕方のない要求水準だと思う。
こーいう女性にとって打算抜きの婚姻契約が履行できるのは若いうちの勢いがあってアホな時だけだろうと今でも思う。
俺は事業に二回ミスってヒモ生活を累計2年やったけど、おかげで恐怖感はほぼなかった。
つーわけで、将来的に無茶やろうと思ってるリスク取りに行きたい男ほどさっさと結婚したほうがいいと思う。
こういうこと言うとなんだけど、食って寝るくらいは出来るし。
元手ナシで新卒ホヤホヤの悪く言えば「だませる」女の子を手に入れるチャンスは二十代の半ばくらいで終わり。
それ以上になると、カネとか地位とかがないと出来ない。内助の功ってホントにでかいから、
北九州市で生活保護の「辞退届」を提出し保護が打ち切られた男性(52)が餓死状態で発見された問題で「生活保護問題対策全国会議」幹事会のメンバーが十五日、男性が住んでいた家の前で献花したあと住民と懇談し、実態を聞き取りました。
弁護士、司法書士、研究者など二十人が各地からかけつけました。
亡くなった男性は「おにぎりが食べたい」「働けないのに働けといわれた」と日記に書き残していました。懇談で、亡くなった男性と三十年の友人だという男性(53)は「生活保護をもらえるようになったとほかの友人から聞いて、これで安心できるなと思った」「保護が切られているとは知らなかった」と悔しさをにじませました。
近所の住民は、男性がやせ細っていく状況を示し「四月ごろからやせてきて働ける状態でなかった」「道路ぎわに生えているニラを切って食材にしていた」と証言しました。友人は「(料理には)卓上コンロを使っていた」と語りました。
男性に声をかけて励ましていたという住民らは、「市は市民の見守りがたりないというが、地域住民に責任を押し付けるのはおかしい」「弱いものを切り捨てるのが仕事なのか」と市のやり方に強い憤りを示しました。
小久保哲郎弁護士は、「住居は人が住むに耐えない状態。生活保護でするべき修繕もしていない。この事件は、全国にまん延している生活保護の辞退届が何をもたらすかをまざまざと示している」と話していました。
北九州市で生活保護を打ち切られた男性が餓死した事件について生活保護問題対策全国会議は十五日、緊急声明を発表しました。
声明は、男性が「働く意思を示し」、辞退届をだしたことを理由に生活保護を打ち切ったとすれば、「同市小倉北福祉事務所による違法・不当な取り扱いがあったといわざるえない」と指摘しています。
生活保護は、最低生活の最後のよりどころであり、停廃止には、慎重な判断が求められるとし、広島高裁の判決は「辞退届」による生活保護の廃止を違法とし、東京都や京都市では、生活保護辞退の申し出があっても「直ちに保護を廃止することはできない」としていることを紹介。就労指導のあり方の問題点などを指摘し、「このような事態に至った原因をつぶさに検証し責任を明らかにすべきだ」と求めています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-16/2007071615_01_0.html
国民が道ばたのニラを食べていた頃、美しい国の税金セレブたちは…↓
昭恵夫人ブログに「優雅な暮らし」 「空気読めない夫婦」と批判も
安倍晋三首相の昭恵夫人が開設したブログ(日記風サイト)「安倍昭恵のスマイルトーク」が、話題を呼んでいる。外遊のこぼれ話や夫妻でクリスマスを楽しむ様子などを紹介しているが、優雅な暮らしぶりの一端を公開したため一部メディアなどから批判も出た。内閣支持率回復を目指す首相にとって「内助の功」となるかは微妙だ。
昭恵夫人は昨年十一月、首相を側面支援することを視野にブログを開設。首相に同行した際に訪ねたベトナムの日本人学校の児童から、帰国後に手紙をもらった感激や「女性同士が仲良くなることが世界平和につながると信じている」などの思いをつづってきた。
しかし一部に物議を醸す内容もあった。
十二月二十五日のクリスマスには友人でタレントのアグネス・チャンさんの自宅に夫妻で夕食に招かれた様子など、私生活も紹介しているが、豪華な料理や、ブッシュ米大統領のローラ夫人にもらった飾りをクリスマスツリーに付けた写真などを掲載。これが、夕刊紙やインターネットの掲示板で「『勝ち組』の生活だ」「夫婦そろって世の中の空気が読めていない」と批判を浴びた。
民主党など野党は、七月の参院選に向けて格差問題で追及を強める構えで、首相夫妻の優雅な生活ぶりに政府・与党内から影響を懸念する声も上がりそうだ。
年明けの六日付のブログでは、ミャンマーの学校づくりの話題を紹介し、無難な内容に。十五日までの首相の欧州、フィリピン歴訪にも同行して活発なファーストレディー外交を展開する昭恵夫人だが、情報発信は試行錯誤が続いている。
日本の急激な高度成長は、家庭を犠牲にして生じたもの、という文句を以前どこかのブログで読んだ事があります。
確かにプロジェクトXに登場するサラリーマン達は、プロジェクトが終わるまでなかなか家に帰れないという話ばかりだったような。
プロジェクトXなら最後はその会社の製品の成功で家族に笑顔が戻ってハッピーエンドだけれども、現実はそうとも限らないわけで。
ただ、昭和時代ならまだそれでも良かったでしょう。
「内助の功」が当たり前の時代であり、専業主婦の奥さんに家事や育児を丸投げしてれば仕事に夜遅くまで専念できて。
しかし今は男女共働きが普通で、1970年代は珍しかった「鍵っ子」という言葉はあまりにも当たり前なので死語になっている程の時代。
働きに出ている奥さんに家事や育児を丸投げ出来ない分、どうするか?
共働きで子供を育てるにも大変だし、かと言って専業主婦になるには旦那の稼ぎが足りない。生活を切り詰めて貧乏暮らしでは子供が可哀想。
これじゃ出生率がなかなか上がらないのも当然。
「少子化対策」をダシにした「男女共同参画」は、ここらへんちゃんと考えてないように思えるので、結局コケるんじゃないかと他人事ながら心配です。
中学・高校の頃、私は「結婚なんて絶対するもんか」と思っていた。
その頃は自分のことを優秀な人間だと思って(思い込んで)いて、もし自分より優秀でない男と結婚したら、優秀でない男に家の中で偉そうにされるから我慢できない、と思った。もし自分より優秀な男と結婚したら、その男を社会的に生かすために、優秀な自分が陰に隠れて内助の功とやらをやらねばならなくなり、結局どちらに転んでも結婚によって自分の人生を歪められるとしか思えなかった。
大学の推薦入試のため、当時の担任教師と対面で話をし、「結婚したら仕事はどうするの?」と聞かれた。「結婚なんてするつもりはありません」と答えた。どうして、とさらに聞かれたので、結婚生活と仕事を両立できるほど器用だとは思えないので、と答えておいた。
大学に入って、自分と同じくらい、あるいは自分より能力(なんの能力だろう)のある男は世の中に星の数ほどいるのだと気がついた。その頃は、「どうせ結婚するなら男はいや、お嫁さんがほしい」とほざいていた。「男でもいいけど家事は全部やってくれなくちゃね。そのかわり私が稼ぐから」とも言っていた。
就職してからようやく、結婚とは、自分だけが籠に押し込められるわけではなく、相手も同様に押し込められるのだ、ということが分かった。籠の窮屈さに差はあるとしても。
結局思ったのは、この相手のためなら制限を受けてもいい、と思える相手と結婚すべきなのだということだった。