はてなキーワード: 鶏鳴狗盗とは
ど、どうやら私のパソコンは生きてるらしいわ。
ちゃんと今朝起動したし、
こ、こいつ動くぞ!って言わんばかりに普通に立ち上がるこのパソコンはサポートの切れた途端にでお馴染みのはずだったのに、
何事もなく動き続けているわ。
と言うかコックピット鍵閉めておきなさいよ鍵をって。
そんでさ、
なんかWindows7を使ってる人は即死みたいな言い方だったじゃない。
超焦るわ。
たぶんみんなも案外ケロッとしてる感じなんだと思うわ。
まあ気付かなかったことにしておくわ。
でも未だに何事もなく使い続けられているMacの方がいつまで使えるんだよ!って逆に心配しちゃうほどで
かれこれもう10年ぐらいは使ってるように思うんだけど、
そうなるってーとこっちの方がもの持ちが良いってことなのかしら?
トータルコスト的に行くとサンクコストは取り返したいところだけど、
Macの方が逆にお得な感じがするわ。
それはさておき
今年は暖冬なのかしらって思うほど、
雪が降らなくて、
私の地域の街でも
雪の欠片すら落ちてこない感じで
雪の宿を暖かい部屋で食べてるんだけど、
ふと思ったら
雪の宿とぽたぽた焼の違いって何?って問おうとしたけど、
ここは雪の宿の方が雪ってるわけなのよ。
あれって全部食べてしまい切らないと負けって風潮があるじゃない。
湿気らかして美味しくなくなっちゃうのもあれだし。
ちょっと湿気たしんなりしたお煎餅の方が好きだって言うと変な人だと思われるから、
湿気た煎餅も好きなのよね。
濡れ煎餅と言う、
思えば遠くにきたもんだって
はるばるわざわざ濡れ煎餅を買いに行く次第なのよ。
思っている以上に湿気ていて
もうしつこいぐらいみのもんたさんが
私の湿気煎餅欲を満たしてくれるの!
でも1回焼いて湿らかすって鬼の所業じゃない?
あの上等な器あるじゃない漆塗りのいい器。
あの器を作るときの職人さんが一工程一工程分業になってるみたいに、
煎餅が作られるまでに幾つもの職人さんの手を渡って作られてると思うと、
だから、
モノの見事に濡れ煎餅が1袋あると
この分かりみのある話し分かるかしら。
まったく鶏鳴狗盗な話しね!
うふふ。
たまに食べたくなるのよ甘いのが。
未だに手が出てないんだけど、
輪切りにした方が映えるけど
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
本来は「怪物」(あるいはゴーストやモンスター)という言葉の中に、得体のしれなさ(実態との乖離)や人々が訳も分からず恐れている、といったニュアンスがあったのだが、人々の不安をあおって金儲けするニュース屋連中の過剰な言葉遣いで「○○の怪物」だとか「モンスター○○」なんて言い回しが使われ続けたせいか、はたまた映画やゲームでファンタジー世界の設定が普通になったせいか、怪物という言葉に「恐竜」並のリアリティが生まれてしまい、そのような〈共同幻想が生む恐ろしい存在〉に別の名前が必要になったということだな。
その意味では、それに近い言葉を持ってきて、自己定義したうえで使い始めたらいいんじゃないか(たとえばそれを「ブレーメンの怪物」とか「ジャバウォック」と呼ぼう、とか。ジャバウォックが何かはググってくれ)。運が良ければ定着して新しい慣用句が生まれることだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20161229210552
なお、×「枯れ頭」→○「枯れ尾花」 だ。トラバにある「鶏鳴狗盗」と「羊頭狗肉」はどっちも全然ブレーメン的じゃないし、「羹に懲りてあえ物を吹く」の「あえ物」は、本来は「膾(なます)」だ(そして全然「怪物」的じゃない)。「竹箒も五百羅漢」は、それをもってくるなら「鰯の頭も信心から」の方がメジャーじゃないかな。このあたり、釣りで言ってるのか本気で言ってるのか分からないので全力で釣られとく。
「実は大したものではないこと(人)なのに、人々がそれを恐れるが故に怪物として扱われる(た)ような物(人)」を
・張子の虎→この言葉は虎側をあざげっていう言葉であるが、私が言う言葉はあざけりの意味を含まない。
・幽霊の正体見たり枯れ尾花→ニュアンスは大体あっている、もう少し短い言葉だったように思う。
・杞憂→これはこの怖がっている個人の問題であり、私が言う言葉はみんな怖がっているようなこと(人)に対して使う。
・蟷螂の斧→これは力のない者が頑張るという話なので違う。
・眠れる獅子→確かにしっくりするが、意味をググると実力を発揮していないという意味合いなので厳密には違う
・仏の顔も三度まで→これは腹を立てる立てないという話なので違う
・鶏鳴狗盗、羊頭狗肉→例としてブレーメンといってしまったが、その言葉に怪物側に騙そうという意図はない。
・竹箒も五百羅漢→これの神ではなく怪物バージョンであれば、意味はそのとおりなのだが。
・羹に懲りてあえ物を吹く→これは結果必要以上の用心をするという意味なので違う
・怪物→思えば単にこれでいいのかもしれないが…。ただ、(フランケンシュタインの)怪物とかにするとそれっぽい感じにはなる。
労働者がすべて有能になれば生産性が向上するのは自明なのでこれは略。
能力が異なる労働者が混在している状態で、低能力な労働者から抹殺して生産性が上がるかを考える。
集計的生産関数の通常の仮定においてそうであるように、労働に関して収穫逓減であれば、生産性は上がる。
でもまあ、これもつまらないので、そうじゃないかもしれない場合を考えてみる。
1.労働者を抹殺する→労働人口減→分業・特化が難しくなる→生産性が下がる
2.労働人口減→(分業以外の)集積の利益が減少→生産性が下がる
3.人口減→総需要減少→生産の規模の経済が困難に→生産性が下がる
4.「能力」の多次元性と曖昧さ、また必要な「能力」の予測不可能性、最適配分の困難さに由来する非効率性
生産フロンティア上での生産が実現できない場合、一見余剰人員に見える労働力を抱えておく方が、予測困難な長期においては破綻確率が下がって、経済の持続可能性が高まるかもしれない。鶏鳴狗盗的な論理。
5.上記4に似ているが、魯鈍な者がいなくなる→勤勉な者の働きが限界に→社会維持の破綻
魯鈍な者が実は勤勉な者の休息を助けたり機能を補完したりしているかもしれない。アリのコロニーのアナロジー。
表面的に識別しやすい「優秀さ」にこだわっていてはなかなか見えてこない、思いがけない役割や機能が実はあるんです、というミクロ的なストーリーが出てくると面白いのだが。
人間は多義的な存在で、どんな個人でも24時間の活動を完全にモニターされている人はいない。クラークケントみたいな、ダメサラリーマンが実は別の場面ではスーパーマンだということが、結構頻繁にあるかもしれない。例えば、会社では全く役立たずなOLなのだが、家庭に帰ると、有能なビジネスマンである夫の活動基盤を支える不可欠の存在だとか、30年後の天才的起業家になる子どもを育てる素晴らしい育児センスの持ち主だったりとか。
そういう社会の複雑さを個別のエピソードに還元してしまうと単なる偶然のケースみたいになるが、こうした思いがけなさが、実は社会維持において極めて重要だったのだ、というような話ができると面白いのだがなあ。
おまけの追記
6.遺伝的に「優秀」な人は「優秀」な人のペアからは生まれず、「優秀」と「非優秀」との適当な交雑が必要なのだ、というのはどうだろうか。
人の評価が得意としながらも趙楚同盟において毛遂を評価できなかったこと。
長平の合戦以降軍事力を大幅に無くした趙国が秦の天才将軍白起に攻め滅ぼされ掛けた際に一人だけ豪遊し李申という一兵卒に叱咤されたこと。
魏の信陵君(四公子の一人)に言い負かされた上、彼がとりわけ尊敬してたとする二人の賢人(後に判明する)を見抜けず嘲笑した結果信陵君が帰国し更に平原君が養ってた食客の凡そ半数に逃げられる失態を犯す等が代表的なエピソード。
鶏鳴狗盗、食客三千等の逸話のある斉の孟賞君や晩節を汚したとはいえ楚の滅亡を防いだ楚の春申君、当時最強だった昭襄王時代の秦に唯一恐れられた天才軍師の魏の信陵君に比べるとエピソードの殆どが己の無能さを示すものばかりでどうしようもない。
しかしながら、何故かこの無能を何度も助けようとする無償の人材が集まってくる。毛遂や李申がそうだ。
側近を見れば、君主の頭の良し悪しが分かる。
マキャべリ
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
[学閥][閨閥][派閥][藩閥][同調圧力][空気の研究][集団浅慮][企業][就職]
組織内政治、ゴマすりばかりが上手な人物が出世することになれば、実務能力があり判断の優れた人物が無能な人間の指揮下に入ることになり、前線の混乱と敗北は避けられない