はてなキーワード: 高橋慶太郎とは
設定も粗いし絵も粗い。全然うまくならない。
逆パターン(技術はあるけどセンスもパッションも無し)に比べたら救いがあるし好きだし結構単行本買ってるんだけど
さすがにこれだけやっててなんでこうも技術的進歩がないんだろうというか
そこさえガチっとしたら最強の作家になれるのに残念だなあと思う。
ていうかこういう人に補助に入れる人っていないのかな。
作者のパッションだけのガバガバな設定にちょっとだけしっかりしたディテールを加える人とか
やりたい話を聞いてまとめて構成を整理してあげる人とか。
なんか当人の描きたいものを「青年誌だからな―」と曲げた結果な気がしてならない。
曲げて固いものを描くぐらいなら欲望のままに描いた方がいいと思う。
才能あると思うけど当人の本領と思えない作品で2発外してしまった。
経緯はスガワラに似ている。
M男とS美少女を描いてた人なのに
YJでたぶん「青年誌だからな―」とM美少女S少年を主軸に連載開始。
この人はスガワラより成功しやすいと思うし必ずもう一回くるだろうし
ダークなものを描く才能も材料もないのにずーっとそういうのに憧れてる人。
ポップな方向の絵は可愛いし、明るいラブコメに振り切れば天下取れる器はあったと思う。
けど出来もしないシリアス展開に憧れた結果『初恋ゾンビ』の後半もダラダラした焦点のぼけた話に。
これ絶対ろくな”真相”思いついてないよなーと感じながら付き合ったけどやっぱり何もなかった。
『少年のアビス』では作者の実体験ぽい部分(田舎の若い女のしょっぱい愚痴)はよかったけどそれだけ。
社会派的な嫌さは出せてないし耽美的なダークのセンスも教養も足りない気がする。
こうやってアビスの悪口みたいなこと言うと二次裏では反発されるけど
現にアビススレなんかもうしーんとしてるんだから体は正直。先生が一発ネタとして跳ねただけ。
スパイファミリーの人もたぶん当人がこだわってて武器だと思ってたバトルが実はそこまでではなくて
担当が上手く別方向に誘導したのかなって感じがするよね。知らんけど。
絵もキャラも悪くないのにとっちらかったデビュー連載で撃沈。主人公をバド少女に絞るべきだったが変に色々出来る分決断力がない。
肩に力入りすぎていきなり大作感を出して失敗するのはあるあるだが、次の作品で一気に志を落としすぎた異世界マンガを描いてて高低差がすごい。
異世界ってのは主軸が我々と同じ世界だからこそガバガバファンタジー世界が許されるのに、侍を異世界に飛ばしてどうするのか。侍のディテールや知識がしっかりしてるかと言ったらガバガバなので(しかも女だ)、ガバ侍がガバ異世界に飛んでて足場がない。
色々出来るからこそ迷いが多く、絵の能力の割に思慮に欠ける印象。小器用な技術コレクターが描きたいものの決まった下手くそに追い抜かれることはままあるのでそういう残念なウサギさんにならないでほしい。
高橋の逆。絵も構成もベテランらしくきちんとしてて全体的に技術レベルが高い。
でも技術が高すぎてアーティスト的にはどうかな?みたいなせせこましさを感じる作品が多い。
しばらく左手で描くみたいな「自分の枠外し」に取り組んだ方がいいと思う。
なんか思考も含めて凄く狭く固まってしまったような息苦しさを常に感じる。
個人的にはこういうタイプの方が高橋タイプより難しい気がするし
高橋は普通に上手くなろうと思って練習すればしまいだろと思うんだけどどうなんだろう。
絵も凄く手癖が強い。
肩に力入れまくって首に不自然な角度を付けて手を無意味に顎の下に持って行って手首を限界まで掌屈させると篠房風の人物イラストになります。簡単でしょ?
この人は何か間違ったルートを歩んだというよりこういう個性だからそれでいい気がする。
漫画は読みにくいけど絵の教法がヒットしてるらしくてよかった。
こんなに癖強い人の教本?とは思うが…。
こんなもんに混ぜられるのおかしい押しも押されもせぬ成功した作家だろうけど
当人のエッセンスが出てくると面白くないなどとして叩かれがち。
実際ジャンプに何回か発表した単独作品は奇跡的なほどつまらなかった。
絵は抜群に上手いし構成もきちんとやっててあれだけつまらないのは天才。
おそらくすべては真面目過ぎる性格のため。
当人も薄々わかってると思う。たまに「奇矯な変人」アピールしてたから。
でも変な奴って変人アピールしないし、それをやるのは変人に憧れる真面目人間だよね。
自分の精神的な部分を掘り下げて認めてパンツ脱ぐということを40過ぎても出来ないそういう性格じゃないだろうか。
才能はあったし上手かったけど自家中毒的の方向に進みそれが極まった人たち。
こんちきに種類が近い。
絵は自己参照の果てに尖り過ぎてるし
やることは手癖が強すぎて読んでる間喉を締められてるような気分になる。
才能あったのにみんなで潰した。
クラスのみんなでタイザン5くんの輝く若芽のような才能をグチャグチャにしてしまいました。
おまえらのせいです。あーあ。
ストーリーはさておいて
メインキャラクター以外に、いろんな人がサブのキャラクターデザインを請け負っていて、故みなもと太郎キャラデザなんてのもいてさ
顔のカタチはもちろん、等身サイズまでバラバラな登場人物が同じ画面に収まってるのが好きだったんだよね
ゲストキャラクターが主人公たちとキャラクターデザインの等身から顔のサイズから全く違うのはよくあることで
(主人公の顔かたちすら話数によって違うのもよくあることで)
そこに違和感を感じることもなかった
それからしばらくして、21世紀にオタク文化がメジャーカルチャーみたいな顔するようになって以降なんだけども、
たぶん作画崩壊をネットで叩く文化が蔓延したあたりからじゃないかと思うんだけども
ひとつのアニメシリーズの中で、ある一定の整合性でキャラクターデザインを統一し整えるのが当たり前、それが進歩、それが進化、
それこそがアニメ・コミックの技術の成熟、みたいな論調が、気がつけば自明視されるようになってたんだよね
メインキャラクターたちとは全く異なる、みなもと太郎キャラなんかが当たり前のように同一画面内に並んでてさ、すごく嬉しかったのよ
俺はこういう、リアルもデフォルメもごった煮の「マンガ」が好きなんだよなって
大江戸ロケットにしたって、メインキャラクターは流行りの絵柄なわけだけど、
サブキャラクターとの差によって「差別」が生じてるのかといえば、そんなこたないんだ
それぞれの方法でそれぞれのキャラクターの自己主張がデザインに込められてる
キャラデザってそういうもんだよって染み入ったりしてたんだよ、当時
俺みたいのからするとね、「リアルなデザインのオッサンの絵」と「典型的な美少女の絵」って、並列の存在なんだよ
(もっと言えば、様々な方向にデフォルメきいたキャラデザが混ざってても全くアリなのよ)
「美少女はもっとリアルに寄せるべき」とか言われると、「は? なんでそんな<絵の多様性を奪う>こと言うの?」 ってなるのよ
今の「典型的な美少女の絵」ですら10年もしたら全く違う絵に変化してるのに
そのキャラクターデザインのバリエーションの多様さを奪ってまで「写実的」じゃなきゃいけないってなんなの?
じゃあ実写見とけよ
俺は、いろんな作家の、いろんなキャラクターデザインの、それぞれの感性による、多種多様な「美少女」を見たいよ