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はてなキーワード: 無限後退とは

2015-10-07

世界のはじまりについて、誰か教えてほしい。

なぜ無から有がうまれたのか、世界のはじまりは何なのか、という問題がある。

いわゆる「無限後退」とか「ホムンクルス誤謬」などと言われたりする問題だ。

すなわち、「前提1:すべての存在には原因がある、前提2:世界存在する、結論世界には原因がある、それを神と呼ぶ」、と言えるとすると、「前提1:すべての存在には原因がある、前提2:神は存在する、結論:神には原因がある」となってしまい、永遠に遡れることになってしまう。

また、量子力学等では、世界のはじまりについて、量子のゆらぎによってビッグバンがおきて宇宙ができた、等と説明するようだけど(正確ではないかもしれない)、これについても、「ではなぜ量子のゆらぎは起きたのか」、と遡ることができる。

この問題について頭をめぐらせていたら、頭がぐるぐるしてだんだん気持ち悪くなってきた。

気持ち悪くなりながらたどりついた結論としては、そもそも世界にはじまり(あるいは、「全ての原因」などと言い換えてもいいかもしれない)があると考えること自体が間違いなのではないか、ということだ。

上で挙げた命題でいえば、「すべての存在には原因がある」という前提がそもそも間違っているのではないか、と思った。

ここからは、感覚的な議論になるんだけど、「すべての存在には原因がある」、というのは、「すべての存在には、それを構成する更に小さい単位がある」、ということと似ている気がする。

物理学的には、今のところ素粒子が、全てを構成するもっとも小さい単位ということになっていると思うけど、仮にこれが正しいとして、素粒子もっとも小さい単位である、ということに理由はない。ただ、そうなっているだけ。

これと同様に、世界についても、「ただ、量子的ゆらぎからまれた」、それだけのことで、理由は無いのではないだろうか。

あるいは、こうも言えるかもしれない。

世界のはじまりを辿ろうとするのは、合わせ鏡の一番奥を探そうとするようなものである世界は、ただそこにある。

あるいは、こうも言えるかもしれない。

世界のはじまりというのは、概念上の存在にすぎない。概念上、10センチの直線を半分に切っていくと、無限に半分にすることができるが、現実世界では、10センチの紐を素粒子の大きさまで切れたとしても、それ以上半分にすることはできない。

そんなことを考えながら、夜空の星を見上げていると、不思議な気分になる。

誰か答えを知っていたら教えて欲しい。

2012-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20121023103400

萌えが愛ではないもう一つの証拠というかヒントみたいなものがここにある。

すなわち、死が絡むと恐ろしく甘美になるということ。

ある種の愛、生き延びる愛はベクトルにすると生と同じ方向を指しているので、全く逆ベクトルな「死」は天敵となる。

打ち消し合ってゼロに還る。これは生き延びる愛からしてみれば全否定であり敗北に他ならない。

萌えは違う。萌えは生き延びない。

上手く言えないんだが萌えは生き延びる愛ではないという確信めいた感覚がある。

これは「生き延びる糧としては萌え機能しない」っていう話とは別問題で、「萌えを生きているとき自分を生きている感覚が無い」みたいなことが起こっているように思う。

でもそんなこと言いだすと「じゃあ自分を生きているってナニよ?」って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。

とかコピペに逃げたくなるが、ええと要するに萌えている自分って限りなくオナってる状態に近いというかね。「オナってる自分自分の一部だ!受け入れろ!!」みたいな話じゃなくて、実際にオナってるときにオナってる自分自分の一部でそう考えている自分自分の一部でみたいな無限後退に陥ったりとかしないでしょ。すると醒めるでしょ。

生き延びる愛は無限後退しない。無限後退を誘うような忘我に陥らない。

つーか生き延びるためには忘我状態みたいなクソ無防備なザマ晒すはいただけない。

でも萌えは忘我させる。

で、死って究極の忘我じゃん。

から相性がゲロ良すぎていっそ甘美なんじゃないかしらんとか思う。

萌えにかかると死が甘美なのも俺は気に入らない。

死を美しく飾るという性質が気に入らないというより、俺の感性が書き換えられて死を極上の蜜菓子みたいに錯覚するのが気に入らない。

死ぬことで何かすごく崇高なものが確実に完成するみたいな心地になるのが気に入らない。

俺は萌えの対象の死を想像する。その甘くとろける死を味わう。そいつ必死になったり絶望したりしてぐずぐずに忘我すると最高に興奮する。

生きて「また会おうね!」~fin~ とかなるよりは死で完成していつまでも手元に残ってほしいと思ってしまう。

これが愛であるはずがない。これが愛であっていいはずがない。

百害あって辛うじて一利だ。もういい加減これを捨てたい。

2012-04-15

倫理について一考。

道徳の理由』という本(かなりの古書だ!)を再読したのでちょろっと。

※私はethicsに関しては全くの素人であり、ロールズ正義論でなり、ミル功利主義なりもまともに読んでいない。

倫理というのはヴィトゲンシュタイン的に言えば一つの言語ゲーム。すなわち、そこに所属している成員に対して要請される規則といえる。もっというと、その社会所属している成員に対し、「私」が期待するルール

まりのこと、その規則は「私」には適用されないと見る。

すると、倫理を私に適用する理由はないように見える。その通り、「ない」とするのが私の見方だ。つまり倫理とていうのは、あくまで、「オレ」から「オマエ」に発信される言語しかない。

Why be moral? という語は本質的why should I be moral?と Why should you be moral? に分別される。後者の方が本質的であるとみるのだ。

しかしながら、倫理には自分自身も縛られる。本来的には「私が道徳を守らねばならない」理由は何も無い。

ただし、この規則は両刃の剣であって、倫理はこの概念が、その社会所属する全員に適用される時のみ、「倫理」と呼ばれる。つまり倫理社会所属員全員からなる相互監視システムである

この考えとしては、倫理っつーもんは、村の掟となんら変わるところが無いわけだ。

補足すると、社会は多層的であるから、メンバA,B,Cが社会Xを形成し、同時に同じメンバが社会Zを形成している、ということは用意に想起しうる。人は一枚岩の思考で動いていない。

例えば、クラスの全員が、いじめは慎むべき行動だ、と考えている。(社会成員Xのメンバ)。しかし、同時に、クラスリーダーであるAに対して不快な行動をとった者に対し、いじめを行うことは推奨される、と考えている。(社会成員Zのメンバ)

話を戻す。この相互監視システムは、相互監視であるから、単体では監視機能は働かない(とひとまず考えることにする。まず主体をyouにおくのだ!)つまり密室状況において倫理を構成する要素は何も無い。

これは幾分思考実験的な状況だ。現実的な意味密室などこの世に存在し得ないといえる。猫箱の中で倫理は問えない。しかし、実質的な猫箱なんて社会にはなかなか存在しないのだ。

まぁ、例えばあなたと一人を除いて他の観測者がいない世界で、どうやって第三者があなた監視するのだ、という問題である。誰も監視できないじゃないか。このような環境下では、そもそも倫理という語が成立しない、というのが原語ゲーム的な倫理観です。(実際には、このような環境化でも倫理存在しうる。例えば一人で行う行為に対する倫理の第二者から倫理的判断や、意識の無い第二者に対して行う第一者に対する第二者の遡及倫理判断など。例えば、地球存在者一号たるあなた存在者二号が気絶している間にアッー!アッー!して、意識がある第二者が何らかの要因でそのことに気づくなど。尻が痛いとか。)

更に問題をややこしくするのが、相互監視システムによって監視されていることは、人間自分ではなかなか感知できないことにある。知能の高い社会の成員はこの言語ゲームによる制裁を受けないように、証拠の残る反倫理的行動は取らないように務めるが、知能の低い成員はそうではない。また、どこからその制裁の追求が来るかわからいから、人はうかつな行動が取れない。

さらさらに、言語ゲームでよく言われる話だが、人は一人でも社会を形成する。人は自分と対話することができるが、これは自分のうちに一つの社会を形成しているに等しい。ここでも言語ゲームによる制裁は成立する。これが自分倫理的に行動せしめる要因の一つだと思う。人は一貫した規則性に基づいて行動するような文化的特性を獲得しており(そりゃ獲得してない人もいるだろうが)、その中には動物本能から立脚すると思われる特定の行動を含む、ある種の言語ゲーム存在するのだ。これがWhy shoud I be moralに対する根源的回答になるのではないかと思う。

 トートロジーで何も言ってないじゃないかとか言われそうだが。

まり、人が倫理的に、道義的に何かせねばならないと判断をする時、そこには価値判断が伴っている。その価値判断は、本能的形質的文化的なさまざまな要因から定められた判断を取るのだが、それにいいもわるいもないということになる。だって、判断してんの本人だもの。勿論、第三者が介入していい、とか、わるい、とか論じることはできるが、そいつは俺らの言語ゲームであって、彼の言語ゲームではないのである

逆説的に、自分自分行為道徳的に正しいかどうかを判断しているというのは、極めて社会的アクションだと言える。そういうわけでは、監視者としての神の存在というのは、実に都合のいい概念なのかもしれないね

倫理が善概念と結びつくことが多いのは、この種の言語ゲームひとつロールモデルを通じて語られることが多いからではないかと思う。

例えば、ギャングの掟なるものを考えてみる。これは、ギャングが他のギャングにあってそうあって欲しい姿であり、かつ、ある程度自分がそうありたいと望む姿になるだろう。これは、ひとつ共同幻想であるとも言える。

さてさて、このような言語ゲームによる倫理の規定は、多くの倫理的問題をすっ飛ばしてきているようだが、少なくとも功利主義倫理論よりはうまく倫理現実のありようを捉えているような気もするが、なにぶん門外漢なので、功利主義的説明で説明でき、言語ゲーム的説明では説明できない、本質的倫理的判断に関する問題があったらご指摘願いたい。まる。

※書いてからコンマ1秒考えたけど、結局これはアプローチの仕方の問題であって、何が正義であるか、何が道徳であるかということに関しては「なんでもいいんだけどさ」で逃げてるなぁ。だから、「なぜ道徳的であらねばならないか」はぼんやりと答えているけど、「道徳であるとは(ソクラテス的な意味を前提した上で)なんであるか」ということに対しては、回答を拒否している。それこそ言語ゲームによるよね、と。イワシを祭ろうが隣人を石でぶとうがしったこっちゃねーや、という考えだ。そして、列車急停止のジレンマに対してこんなとんでもない回答を出すのだ。「おい、目の前の人間の顔色伺えよ。どっち答えて欲しそうなんだよ。そっちって言っとけ。」

※そもそも、真とか善とか美とか言い出したら定義論以外いいようがないじゃないか、という無限後退に陥っている。

2010-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20100904132741

「人を殺してはいけない理由などない」を書いた増田だが

「人を殺してはいけない理由などない」というのは、

「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いを発する人に対して、

「それは○○だからだ」と言ったところで

「なぜ○○なの?」「それは××だからだ」「なぜ××なの?」……

無限後退に陥る。

だから原理的には説明できないという事だ。

にも関わらず殺人を禁止するルールは成立する

という事を書いている。

殺人を肯定する意図で書いたものではない。

なぜ人を殺してはいけないのか」と問う人間道徳倫理を説いても無駄(な場合もある)という事は書いているかもしれない。

2009-02-02

有村はてブコメントが書き換えられてるな。

書き換え前

y_arim media, book, review, education 引用は<>で囲む、という新聞ルールを使っているから読みにくいんだと思う。■使った章立ても。あと、本の紹介になっているのは「自分の目で見極めてほしい」ってことでしょう/無限後退厨どうにかならんかマジで

書き換え後

y_arim media, book, review, education 引用は<>で囲む、という新聞ルールを使っているから読みにくいんだと思う。■使った章立ても。あと、本の紹介になっているのは「自分の目で見極めてほしい」ってことでしょう/判断保留厨どうにかならんかマジで

無限コピペはやっぱり有村か。

増田に書くときのルールはどうしたw

2009-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20090201212804

母親」から逃れることはできない

 

母親」は、すぐ追いかけてくる

 

たとえ、「母親」から逃げているつもりでも・・・

 

それすら「母親」の思惑

そう、「母親」が準備しているのは、「無限後退

 

短く、容易く、慣れ親しんだ知識を得て

 

俺達は満足感を感じる

 

短いコメントを残し

 

語りたいという欲望

 

知的に装いたいという欲望

 

優越感を味わいたいという欲望

 

母親」は、そこにつけ込んで来る

 

永遠のように長く、難しく、奇抜な知識

 

あまりに周到に用意された理論

 

完璧すぎる

 

俺達は、自分無知だった事に気づかされる

 

目を逸らしたい

 

それでも、目を逸らす事すら「母親」の思惑

 

知識よりも金?政治権力法律?紛争?それとも、愛か?

 

罵倒も、暴言も、攻撃も、「母親」の掌の上で踊らされているだけ

 

それでも、それすら「母親」の思惑

 

無知に耐えられない者

 

彼らは「母親」に仕向けられた知を追いかける

 

だが、ゴールはない

 

迷宮の永続・・・

 

無限の後退・・・

 

魔術の呪縛・・・

 

矛盾と無矛盾の循環・・・

 

無限後退」についての、無限に後退していくテキスト・・・

 

母親」から逃れることはできない

 

母親」は、すぐ追いかけてくる

 

たとえ、「母親」から逃げているつもりでも・・・

 

それすら「母親」の思惑

 

そう、「母親」が準備しているのは、「無限後退

 

 

 

メタになればいいのだろうか?

 

諦めればいいのだろうか?

 

しかし、それすら・・・

「アイツ」が、やってくる、無限に、「アイツ」が、やってくる、

「アイツ」から逃れることはできない

 

「アイツ」は、すぐ追いかけてくる

 

たとえ、「アイツ」から逃げているつもりでも・・・

 

それすら「アイツ」の思惑

 

そう、「アイツ」が準備しているのは、「無限後退

 

短く、容易く、慣れ親しんだ知識を得て

 

俺達は満足感を感じる

 

短いコメントを残し

 

語りたいという欲望

 

知的に装いたいという欲望

 

優越感を味わいたいという欲望

 

「アイツ」は、そこにつけ込んで来る

 

永遠のように長く、難しく、奇抜な知識

 

あまりに周到に用意された理論

 

完璧すぎる

 

俺達は、自分無知だった事に気づかされる

 

目を逸らしたい

 

それでも、目を逸らす事すら「アイツ」の思惑

 

知識よりも金?政治権力法律?紛争?それとも、愛か?

 

罵倒も、暴言も、攻撃も、「アイツ」の掌の上で踊らされているだけ

 

それでも、それすら「アイツ」の思惑

 

無知に耐えられない者

 

彼らは「アイツ」に仕向けられた知を追いかける

 

だが、ゴールはない

 

迷宮の永続・・・

 

無限の後退・・・

 

魔術の呪縛・・・

 

矛盾と無矛盾の循環・・・

 

無限後退」についての、無限に後退していくテキスト・・・

 

「アイツ」から逃れることはできない

 

「アイツ」は、すぐ追いかけてくる

 

たとえ、「アイツ」から逃げているつもりでも・・・

 

それすら「アイツ」の思惑

 

そう、「アイツ」が準備しているのは、「無限後退

 

 

 

メタになればいいのだろうか?

 

諦めればいいのだろうか?

 

しかし、それすら・・・

2008-11-28

不器用な奴らが、何を前提することによって生を保ち、過ごし、価値差し出すかってこと

【辿り着いたのは、「死」は自分に属さないという考え方】(吉本隆明あたりから。)

死が自分のものじゃないってことが言えるだけでね。

でもそれは十分、生きるための「抜け道」にはなったんですよね。

それで結局、生きる価値はどこにあるんだ?

それはちょっとね、本当にわかんないですね。わからないでしょう。

何で価値があるかなんて、わかんないですよね。

わからなくても、ある場合には何かに夢中になってるから、その時間があるから、まあ、間に合っているというか、

生きてるほうにいるわけだけれど、生きてどうするんだなんて言われても、そんなの何もないですよね。

そんなものないし、あるぞ、みたいなことを言うのはおかしいんじゃないかと、逆にそう思いますよね。

そこからスタート

そうするってーと。

何によって(酔って)基礎づけるだな。

【Based on ・・・・what?】

・Based on endowment

バッキンガムあたり?

・Based on acted list

・Based on wants

ex おいしい、きもちいい、はやい、やすい、うれしい、すごい、たのしい、すがすがしい、たすけたい

・Based on needs

ex Opportunity Gapを埋めるから、Hope Gapを埋める。

「Everyone can make a difference」を信じることすらできなくなるという状態を指すのでしょう。

が2段目。

だけど、ポストモダニストが行動を制約してくるんで。

【「何が問ふに価するのか?」と問ふことはあまり大したことじゃない】

「何が問ふに価するのか?」と問ふことはあまり大したことじゃないと思える。

最初から価値が決まっている問題なんかありはしない。

そもそも価値が決まるという、そのプロセス自体に価値が.....とかいって無限後退に陥るばかりなのだ。

そうしたら先はみえている、

いざ!言語問題へ立ち行かん! といって爆死するのだ。(本当かよ.....)

私は、そういった人間を何人も見てきた。

そう。自分の中に。(結局そういうおちか......)


私がその問題にどれだけ没頭できるか、人生を費やし、命を賭けられるか、それだけが問ひの価値を決め、行為の価値を決めるのだ。

この哲学を刻魂せしものが世の中では結局のところ強い。

圧倒的に。

「私は、真善美というものを設定する前段階でうろーうろーとしているので、固有な真善美を基軸にして世を誘うなんて、生来おこなえぬたちなんですよ♪」

なんて思ってはいないか?

うそこけ!このボケが!

そういったことは考える時点で、バカ丸出しだし、意外と世の中的なことは出来ちゃえると思います。

バカ丸出しという理由は、上記の言明を吐くもののが単に慈愛をもとめているだけと思われるからだ。

あとは、思考が生煮えの状態で垂れ流しにしてるってのもあるなあ。

この症状がみられるのは、承認欠乏病か、身体未動病の方である。

処方箋としては、彼氏彼女)つくるか、三鷹天命反転住宅にでもいくことだ。

決してジブリをみてはいけない!

というのが3段目。

ここまできたら楽なもんだ。

あとは「それだけですか?」というのに耐えることかな。

つまりは自分モニターできることのみを扱うってこと。

肥大する志を抱く事、分を弁えることの重ね合わせ。

さいきんミッションビジョンの1大ブームやけどさ(「感じるマネジメント」)、かなり政治的だね。

そういうミッションファシスト性でこけちゃう貴方

そのための競争があるのだ!

独占、寡占じゃなきゃいいんだもんね。

なるほど。

市場原理ってのは、ミッションファシスト性を緩和してくれるのか。

って、マクミラン(「市場を創る」)が書いてたわ。嘘

市場の妥当性原理(この5つをどのようにデザインしていくか)

(1)情報スムーズに流れること(情報の非対称性、取引コスト

(2)人々が約束を守ると信頼できること

(3)競争が促進されていること(独占・寡占)

(4)財産権保護されているが、過度にはされていないこと

(5)第三者への副作用外部不経済)が抑制されていること

というのが4段目。

まあ後はなりふり構わずやれってことだな。

五味一男 (「トップ・プロデューサー仕事術」)

「とにかく死に物狂いで一本あてること.一度実績をつくってしまえば信頼されるし、スタッフもついてくる。」

自分おもしろいと思うことではダメなんだ.それに気づいたことがターニングポイントになりました。」

もっておくと健康的な態度は。これかな。

【思考の浅さへの向き合い】 (吉本隆明あたりから。)

人は「自分は、このようにちゃんとしたことを考えているんだ」と強く思えば思うほど、

周りの他人が自分と同じように考えていなかったり、全然別のことを考えていたりすると、

それが癪にさわってしょうがなくなる、ということでね・・・。

でも、それはやっぱりダメなんですよ。

真剣に考える自分の隣の人が、テレビお笑いに夢中になっていたり、

遊んでいたりするってことが許せなくなってくるっていうのは、間違っているんです。

2008-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20080609165226

なにもわかってない。俺は別に「理論上の手段」なんて主張してない。「そこには社会問題存在するのであって、自己責任の名のもとに頭から切り捨てるのは不当だ」と言っている。要は、君がここここでやっているような安易な自己責任論と相対化で問題の所在をぼかすようなことはやめろと言っているだけだ。そこから先の話は今回の話題ではない。

ところが君は、自己責任論はなかったかのように「そこから先」の話題ばかりを語っている。これはもはや論題と何の関係もないことだ。

「ないのであれば」と主張しているのは君であるが、なぜ「ない」と考えるに到ったかを示されていない。

揚げ足取りもいい加減にしろ。あると考える理由があるように思えないからだ。というとまた「なぜ思ったのか」と「なぜ」「なぜ」の無限後退で来るんだろう。そりゃ論争に絶対勝てますわな。だから、「あるなら挙げてみてくれ、ないならこの点については争点なしということでよいのだな」と確認を求めているわけで、君はそれに真面目に答えていないということだ。

例えば学歴に男女差があると言われるが、脳の仕組みとして男女差がある、という内在的な理由も考えられるが、

だからそういう論点があれば最初から出せといっていたわけだ。つまり「女は学問に向いていない」と主張したいということだな。まあそれならそれでよしとしよう。だとすれば次の質問だが、都市が地方に比べて高学歴であるのはなぜか?このように、「機会の平等が実現されていない」ことの傍証はいくらでも出てくるが、一方でそれに対して網羅的な反論をすることは君はできないだろう。できるとしても「女は学問に向いていない」のようなアドホックな仮定を積み重ねるしかないわけだ。従ってこの点についてはどう考えても君の方が分が悪いと思うが、どうかね。

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