淀川長治がキネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画のリスト
1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ)
1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ)
1961年 素晴らしい風船旅行(アルベール・ラモリス)
1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ)
1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ)
1968年 2001年宇宙の旅(スタンリー・キューブリック)
1974年 フェリーニのアマルコルド(フェデリコ・フェリーニ)
1975年 ザッツ・エンターテインメント(ジャック・ヘイリー・Jr)
1976年 トリュフォーの思春期(フランソワ・トリュフォー)
1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ)
1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏(ルキノ・ヴィスコンティ)
1987年 グッドモーニング・バビロン!(タヴィアーニ兄弟)
1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン)
1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ)
1990年 フィールド・オブ・ドリームス(フィル・アルデン・ロビンソン)
1991年 シェルタリング・スカイ(ベルナルド・ベルトルッチ)
1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ)
あまり無理をしないでくださいね。
>ありむーみたいに「死のうが何しようが絶対許さない」というのも全然アリだと思うし。
アリだとしても嫌な考え方だと思う。それ大陸の恨とか死者に鞭打つってやつだよね?
絶対許さないんじゃ殲滅戦しかなくて話し合いできないじゃん。その辺どうなのよ?
明日から仕事。毎週毎週、この時間というか、日曜夜あと寝るだけの頃になると吐きそうになって寝られない。
未来の自分は今の仕事をしあわせだったなぁと思い出すだろうと想像しているのだけど、今の僕は苦痛で仕方がない。最近、心臓がおかしくなってきた実感がある。
今住んでる市は住民は土地持ってるからあくせく働く必要もなくその分地域の活動に力を入れてたりして、市政も金があるからちゃんと回ってて、みたいな良循環が成り立ってる。世の中金じゃないと思いたいけど、やっぱ金は大事だわ。
ネットブラウジング自体がジジババにとってハードルが高いものだと思う。
うちの母親がそう。でもうちの母はケータイメールはやっているから、ケータイメールも難しそうって言ってる人はネットブラウジングは到底無理な気がする。
だよねー自分達はしっかりしていても巻き込まれかねないのがいや。
もしこどもがいたら尚更そう思う。
けっきょくのところ、自分達にゆとりがあるから優しくもなれるっていうのはあるよね。
すでにあるパイを取り合ってたんじゃだめだと思うけど、
パソコンや携帯メールは難しそうだからちょっと・・・とかいうジジババや
中年どころの層に訴求できないかなぁと。
携帯やPC、DSは多機能だから、「ネットブラウジング」のみにフォーカスするわけですよ。
機能をいろいろつけると「難しそう」っていうレッテルは剥がれないし、
めっちゃシンプルにするってところが売りにならないかなぁ。
世界にひとりくらいはこういう文章を全部読んで
何か声をかけるお節介野郎がいてもいいかな、と思ったので書くよ。
あまりに僕の学生時代に考えていた事と同じ事が書いてあるので
ちょっとちょっかいを出したくなった。
気分を害したらごめん。
ずいぶん長々とこねくりまわしたようだけど
君の葛藤は結局のところ2手だけだ。
この葛藤を抜ける方法はただ2つだ。
やらないと困る事を、
※そして重要なのは、もう既に君はひとつの選択を済ませているという事だ。※
を確実に選んでいないということは、
に他ならない。
「君がいましがた全力で取り組むことができたのは、
やらないことの補強の文章を書くことだけだ。
それが君の全力で、それ以上の潜在能力などない。」
腹が立ったかい?
したり顔のこの言葉を否定するために必要なのは、
ではない、もうひとつの選択肢に他ならない。
心の底から確信と喜びでもって為せる選択はほんの少しで、
残りの選択は、比較的悪くない方を選ぶだけだ。それすら、ろくに吟味する時間がないことも多い。
さらに具合の悪い事には、選択を誤ったときの言い訳は誰も聞いちゃくれない。
だから、一度選択したことについて言い訳はしない方が良い。
誤った選択ならば、改善すればいいんだから。
誰一人聞いていない言い訳に余力を使うのは何の得にもならない。
そして、シビアな選択というのは複雑なようでいて
ほとんどが2択に単純化できる。
やるか、やらないかだ。
ものの試しに一度、どちらかに決めてみると良い。
なまじ君は、どちらも選んでいない気がするからもやもやしてしまうんだ。
どうせやらないんなら決めちまえ!
ありがとうございます。よく分かっています。
他の人がどうなのか分からないですけど、自分にとって「誇る」という感情が他人と比べて出てくるものではないですね。
あと、能力があるっていうのも人と比べたものではないです。
自分のいう能力っていうのはただ単に「生きる」力です。俺はこの先も生きていけるって考えているだけです。
実際のところは分からないですけどね。それでも俺は大丈夫だって思いたい。というか、そう思っていこうと考えて書いたんです。
釣りでも何でもないです。
植草さんが陰謀で犯罪者に仕立て上げられたように、池田信夫が逮捕するよう工作されることが無いのは何故????
やはり植草さんの方がはるかに格上なので国にとっては脅威だったのだろうか。
能力があってよくやってるなら人と比べて良い結果を出せるはず
誇るって事は比較の中でしか生まれない感情
いやまぁ、だから何って訳でもないが釣り針にかかってみるのも良いかなと
俺は本とか新聞とかを読みながら静かに飯を食いたいんだが,そういうお店があまりない。
最近は全面禁煙のお店が多いので,タバコへの耐性が弱くなった。たまにそうじゃないお店に入ると耐えられない。隣の人がタバコ吸うだけで,もう駄目だ。今日は注文するときに咳き込んでしまった。
内容・音量とも我慢ならない。男ばっかりの定食屋で若い女向けのバラエティ番組を流すのはどうかと思う。楽しんでる客ってどのぐらいいるんだろうか?
「ギャハハ」って下品な笑い方する若い奴が多い。おっさんも酒がはいると,無駄にでかい声で話す。
元増田です。
みなさんからお話を頂いて、いろいろと参考になりました。確かにこの出来事のおかげで「次はどう振る舞うのか」を考えるための貴重な財産を得ることが出来たと思います。この痛みが、自分が人と接する上で大切な経験になっています。
1. 本当に差別をする人
↓
2. 差別はしないつもりだが、いたわることによって、結局差別してしまっているかもしれない人
(当時のほとんどのクラスのみんな)
↓
3. 2. も差別なんだと考え、本当の意味で平等を求め、それが正しいと決めつけ正義を振りかざす人
(当時の僕とミホちゃん)
↓
4. 2.や3. の考えに至りつつも、結局本当の正解(正義)がどこにあるかわからないということを認識し、3. とすべきとも断言せず、またそれを周囲にも求めない人 ← イマココ
↓
5. 僕には想像がつかない、もっと良い考え方。
噂のApple iTabletみたいなやつだな。 ただスタイラスはつかないと思うけど・・
まあ、ネットブックのさらに機能を削ったものとしてはありだろう。4万、5万あたりで出たらそれなりに売れるかもな。
個人的にはFlashとPDFとオフィス形式のファイルに対応してくれて、スピーカーがそれなりによければYouTubeやニコ動端末も使いたいな。
でもあまりヒットはしないとおもうよ。 もう既にケータイとDSとPCでパイはあまり残ってないしな。
もしレーベル社とか、映像コンテンツ持ってる会社と提携して作るなら、それなりに売れるかもしれないけど、機能自体にインパクトがあまりないから、アップルみたいなところがなんか革命的なUIをひっさげて出してくれないと、一般ウケはしないとおもう。
インテリジェントな家具・家電・ホームセキュリティとかを束ねるものだったり、ワンセグがみれたり、防水だったり、プッシュメールにバイブ着信通知付きで対応してたり・・・ととりあえずいろんな所からパイを奪ってくることが大切だと思う。
「それ、かわいいですよねー」とか
「サイズお出ししますよ」とか
モノを売っている店で店員に話しかけられるとすごく面倒くさい。
というか、話しかけられることが怖い。
反射的に逃げなきゃって思うのに体は違うことしてるので、なんか一瞬パニックみたいになって、頭真っ白で、
「あ、……う…」(大汗)みたいな感じになる。
で、ほとんどの場合は聞こえなかったことにして手にしていたモノを戻し、別の場所に移動する。または店を出る。
ネットを見ていて、同じように感じる人がけっこういるんだってことを知って、ちょっと安心した。他にもいるんじゃん、こういう人。
それで調子に乗って、話しかけられても無視してりゃいいや、むしろ空気読め店員とか思った。
「デパートとかで話しかけられたら『はい』とか笑って適当に言っとくといいと思うよ」
って言われた。
そうかー、他人をガン無視してる人間を端から見てたら気分よくないよね、そりゃ。
「はい」くらいはできるかなー……。
なんて、言われてできりゃ苦労しないんだけどさ。
なんでこんなに話しかけられるの怖いんだろうな……
って考えてたら、思い出した。
突然他人に話しかけられる恐怖感の原体験。
私は昔から友達がほとんどいなくて、小学校のときなんかは教室にいても話す相手もなく、休み時間は自分の席で本読んだりしてた。
他の子達の集団トイレとかには誘われもしなかったし、行きたいとも思わなかった(今考えても理解できない)。
で、たまに声を掛けられることがあるかと思うと、それはたいてい面倒なことを押しつけられるか、新しいネタでからかわれるかのどちらかだった。
「他人の挑発に乗ったら、ヤツらはこっちの反応を見て笑うつもりだ。相手にしたら負けだ。」
そう思って、できるだけ反応が希薄になるよう心がけた。
声を掛けられたら、どんなちょっかいが出されるかを全身で感知し、相手が期待している反応を予測して、ぜったいにそれに沿わないように対応する。
…これって、今同じ事してないか?
20年以上の前のことに怯えてんのか、私は。
てなこと考えながら、うーんそうだねーって生返事してたら、彼氏が追撃してきた。
アメリカでは、お店に入ってきたお客さんにとりあえず声をかけるらしい。それは、入ってきた相手がこちらの言うことを理解できるか、あやしい人じゃないか確認する意味もあるんだそうだ。
一度はアイコンタクトしておかないと不安らしい。これは店に限らないそうだが。
(まあ全部がそうではないのかもしれないけど、駐米経験のある人だから全く聞きかじりの欧米論てわけじゃないんだろうな)
そしたら私なんか超怪しい要マークな客なわけだが。
もとい、じゃあ日本ではどうだろうかと考えてみると、怪しい度チェックはともかく、入ってきた客には声を掛けるのが店員の使命、くらいに言ってる店はあるんじゃないだろうか。日本的なお作法として。
むしろ、そういう店の方が多いんじゃないだろうか、ということに思い至った。
経営者側からしてみたら、ご来店いただいたお客様にお声もおかけしないなんて失礼だ! というわけだ。
彼女らは好きこのんで私なんかに声をかけてるわけじゃない。仕事なんだ。決して、私のアイデンティティに話しかけられているわけではないんだ。と思ったら、ちょっと気が楽になったよ。
まとめると、
■20年以上前のことに怯えるな
店で声を掛けられても、その相手は自分をネタにしたり吊し上げようと考えてるわけじゃない。
即「敵だ」と身構えなくてもとりあえず大丈夫。
■店員も仕事だ
店の人間は仕事だから客に声を掛けなくてはならないのであって、
自分は無数の「客」という記号の中のひとつに過ぎない。
そうやって考えてみたら、すぐに笑って「はい」は無理かもしれないけど、ちょっと落ち着いて、次回からはガン無視はしないようにできるんじゃないかな、っていう気がしてきた。
そうは言っても、「買ってくれオーラ」とかをギトギトに出されたら、脳みそがしびれて怖くて逃げたくなってしまうと思うけどね。