はてなキーワード: バンゲリングベイとは
あの操作性の悪さは当時の最悪の部類に入る。
思った場所に止まれない。爆弾投下まで1秒くらいボタンを押し続けなきゃいけない。
他にもいろいろある。
ダメージが蓄積して空母に帰ろうとしてもどこにいるのかわからない。
戦艦が強すぎてまともに戦えない。
避けられない速度で攻撃してくる。
おい、待てと。
戦闘機の攻撃をかわしつつ、工場に爆撃しつつ、アラートに対応とかできるわけないだろと。
おい、待てと。
マイクうるさすぎだろと。
でもさ、せっかく買ったんだしって何度もやってると
少しずつ上手くなってくるもんで
どうにか1面クリアできるようになった。
そんなこんなで、やってる内に楽しくなってきた。
最終的には5面くらいまでいった。
でもそれだけじゃ終わらない。
そう、強敵が俺を待っている。
戦艦は完成すると出港して
だがそうじゃないんだ。
あいつが俺を呼んでいるんだ。
ミサイルは絶え間なく飛んでくる。
一瞬の油断も許されない。
極度の緊張感の中で難易度の高い移動しながらの爆撃を何度も繰り返さなくてはならない。
だめだ…こんなの倒せない…。
それでも俺は諦めなかった。
ミサイルを上手く誘導しつつ当てずっぽうで爆弾を落としていく。
1発当たった!
それだけで奇跡だった。
その1発が頑張ればいける!と思わせてくれた。
戦艦を想定して工場を相手に移動しながらの爆撃を反復練習した。
長い戦いだった。
途中で戦闘機が加勢してきたり、爆弾が切れて補給したりしながら
やっと撃沈できた。
そういうのがゲームの楽しさだと今となってつくづく思う。
何気に世界観や演出もファミコン初期なのに良くできてるんだよなあ。
なに言ってんだあたりめーじゃねーか
詳しくは押切蓮介先生の「ピコピコ少年」シリーズもしくは「ハイスコアガール」をご覧ください。
たいしてファミコン詳しくもなく熱中した形跡もない、普通に「友達と一緒にやってた」程度のヤツが、当時の小学生でも知ってた様な知識を分かってないまま極めてヌルいブログなんか書かれたら、もう歯痒すぎておれはファミコンロッキーの名にかけて必殺五十連打で摘発せざるを得ないのだ。
言っとくけどな、当時は「クソゲー」なんて概念は存在しなかった。おれら子供たちがソフト1本手に入れるためには、誕生日やクリスマスなどの
「好きなものを買ってもらえるイベント」という子供にとって命よりも貴重なチケットを費やし手に入れるしかなく、そんなふうにゲットした大切な大切なソフトは、面白いかそうでないかにかかわらずそこから数ヶ月のあいだ向き合わなくてはならない課題であり、問答無用で消化しなくてはならない「カルマ」のようなものだった。
たとえオバQが呆れるほど思い通りに動かず左手の親指の関節あたりが真っ赤に腫れ上がろうとも、スーパーモンキーと三蔵法師ご一行が耐えられないほどの歩きの遅さであろうとも、「明日こそきっともっと先のステージへ進めるはず」と、ヒリヒリする親指をフーフーしながら眠りにつくしかなかったのだ。
あの頃、あれをクソゲーなどと呼ぶ者はいなかった。あくまでそれは「難しいゲーム」なのだ。我々にはそれをクソゲーと呼ぶという発想自体がなかった。
その理由は、あの時代のファミコンに命を燃やしていた子供たち全員が、「新作ソフトの中からおもしろいソフトを選びだすことの難しさ」を知っていたからだ。
過去に出た、誰かが既に持っているソフトはそいつの家でやらせてもらえばいい。それは反対に「誰も持っていないソフト」を自分が持つことで友達にもやらせてあげることができることも意味する。
「誰も持っていないソフトを買い、みんなで楽しむこと」
コミュニティーの一員としてのそういう責務を当時の子供たちは皆が理解し、皆が抱えていたのだ。
少しファミコン雑誌を読んだ程度では到底そのゲームの実態なんか把握できない、そんな状況で「誰も持っていないソフト」を選ぶというのは、
それはつまり、先行きの分からぬ投資をするということに他ならずある種の冒険、チャレンジであった。その投資に成功して皆が面白いと感じるソフト持つこと、皆にそのゲームをやらせてあげることによっておもしろいゲームを掘り当てた「成功者」として称えられるだけでなく、そのおもしろいゲームを皆にやらせてあげることによる皆からの感謝とプロップスの上昇を勝ち得る、おもしろいソフトを持つことそれはすなわち「資産を持つこと」と同義だったのである。
新作ソフトをゲットしたはずの友人が翌日教室で左手の親指を真っ赤に腫らしながら「昨日買ってもらったソフトがすごく難しいやつだった」と言ったらそれはつまり、「クソゲーを掴んでしまった」という意味だ。
しかし我々は、彼がそのソフトを選ぶまでにどれだけ吟味し熟考を重ねたか知っている。だからこそ「難しすぎるゲーム」を掴んでしまった時の彼の気持ちを思うといたたまれない気持ちになると同時に、明日は我が身であることを噛み締めるのだ。 そんな状況で誰が彼を貶せようか。彼はれっきとした戦士なのであり我々はお疲れ様という労いの意味を込めて彼に静かに「でもおもしろそうだね、今度やらせてね」と言葉をかけるので精一杯なのだ。
我々は皆そういう悲しい過去を乗り越え、そしていまファミコン警察として生きている。たまに厳しいことも言うかもしれない。しかしそれはより深くファミコンを愛して欲しいという一心からの言葉だ。
2コンのマイクを使うのは有名どころではバンゲリングベイ、スターラスター、たけしの挑戦状、ゼルダの伝説などがあり他にもまだたくさんある。どうか覚えておいて欲しい。
『ファイナルファンタジー』のことを『ファイファン』って言うやつってさ、
『ファーストフード』のことも『ファーフー』って言うの?
俺『ファイファン』派だけど、
ファミリースタジアムはファミスタだし、
天地を喰らうはテンクラだし、
双截龍はダブドラだし、
キャプテン翼はキャプツバだし、
バンゲリングベイはバンベイだし