はてなキーワード: 東西ドイツとは
http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded
1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。
1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発
1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用
1916年2月16日~1916年12月20日 ベルダンの戦い
1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点
1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞
1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニのローマ進軍
1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行
1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)
1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日」
1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップ(ウルグアイにて)
1932年 ワイマール共和国崩壊
1934年10月27日 毛沢東の長征
1939年9月1日 第二次世界大戦勃発
1942年9月13日~1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い
1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦(オペレーション・オーバーロード)決行
1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判
1951年 朝鮮の人口?
1954年6月4日 西ドイツがワールドカップで西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」
1956年10月29日~1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争)
1959年1月1日 キューバ革命の勝利
1961年10月27日 チェックポイント・チャーリーでの対峙(ベルリン危機)
1964年8月2~4日 ベトナムでアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)
1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争)
1970年4月 カンボジア侵攻
1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件
1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争)
1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故)
1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発
1985年3月11日 ミハエル・ゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任
1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)
1990年8月2日~1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争)
1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸
2000年1月1日 ミレニアム
2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件)
2005年8月29日 ハリケーン・カトリーナ ニューオリンズを破壊
2008年10月 金融危機
2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故
2012 ?
10分どころか、6時間くらいかかったorz
それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。
(調べてみたら、どちらもM7クラス)
菅総理が国際アニメフェアが東京で開催できない事態にならないよう、関係者で努力して欲しいと発言しているけど、
俺は大手出版社がボイコットしても開催には支障は出ないと思う。
だって、日本の大手ばかりがアニメをやってるわけじゃないんだぜ!?
当然、中小や海外の(俺たちから見れば)マイナーな所がアピールする格好の機会となる。
逆にそういったところにとってはチャンスになるんじゃないのかな。
モスクワオリンピックの時に、西側諸国がボイコットして東側諸国がメダルを独占したことからも分かるだろ。
ソ連がダントツなのはともかく、次が東ドイツ、大きく離れてブルガリア、キューバと続いたんだ。
ちなみに、ロサンゼルスオリンピックの時は1位はダントツでアメリカ、次が東側でボイコットせずに参加したルーマニア、西ドイツと続く。
まあ、アメリカも旧ソ連も国の規模が大きいからメダルの数が多いのは当たり前だが。東西ドイツもメダル獲得数が多い国だし。
いずれにせよ、大手が出展を取りやめるなら、残るマイナーなところが一層引き立つだろう。
そういったところにとっては、災い転じて福となすというわけだ。
何か腑に落ちないけど、そうなるだろう。
国家が存亡の危機に直面した時にどうするかが前提の話でしょ。「共にしない」って事は、逃げるって事でしょ。違う?
違う。
「命運を共にする」というのは、「共に死する」「殉じる」という意味だ。
だから、生命を優先するといってる。
うん、共にしたよ。「大日本帝国」を維持するために300万人以上が死んた。
亡くなられた方は、命運を共にしたといえるけど、生き残った方で生を選んだ方は殉じていない。
よって、「命運を共に」していない。
戦争に負けた場合、場合によっては戦勝国間で領土を割譲されたり(東西ドイツや香港・マカオとか)、強制移住させられたり(旧ソ連の朝鮮族とか)、民族浄化(世界各地で進行中)の憂き目にあう場合もある。もしヤルタ会談で戦勝国側が「もう日本人要らなくね?」という結論を出してたら、今のこの国の繁栄はあり得なかった。
民族浄化は「特定地域から特定の民族をほぼ丸ごと排除して、その地域の住民の民族構成を『純粋化』すること」なんだから、国民国家の形成過程くらいでしか生じないんじゃないの。
今はむしろ、EUをはじめとして、AUなど統合の方へ漸進している。
民族間対立は発生するとしても、民族浄化まではそうそういかないだろう。
「運命を共にしない」というのは、そうなる前、もしくはなった後で他国に逃げる事を意味する。
(以下略)
こちらはその意味で使用していない。
「命運を共にしない」というのは、国が存在が否定されようと己の存在を否定しないこと、すなわち、生命を捨てるようなことはしないことを意味する。
国が滅びるからといって、国民に死を共にせよってのは、到底受け入れることはできない。
国家が存亡の危機に直面した時にどうするかが前提の話でしょ。「共にしない」って事は、逃げるって事でしょ。違う?
逆に言えば、何の危機も発生していないような平時では、たかが一個人が「国家と命運を共にする」なんて事は不可能だよ。相当高いポジションにある人間でもない限り。
大日本帝国の臣民は、皆命運を共にしたのか?
うん、共にしたよ。「大日本帝国」を維持するために300万人以上が死んた。
生き残った人達も、「大日本帝国民」という肩書きを全員が失った。
そりゃ単にGHQの都合で運良く出直せたってだけの話。
戦争に負けた場合、場合によっては戦勝国間で領土を割譲されたり(東西ドイツや香港・マカオとか)、強制移住させられたり(旧ソ連の朝鮮族とか)、民族浄化(世界各地で進行中)の憂き目にあう場合もある。もしヤルタ会談で戦勝国側が「もう日本人要らなくね?」という結論を出してたら、今のこの国の繁栄はあり得なかった。
「運命を共にしない」というのは、そうなる前、もしくはなった後で他国に逃げる事を意味する。リカバリーが絶望的な状況なら逃げるのもアリだとは思うが、往々にしてそういう状況は逃げる事自体ままならないし。
また、リカバリーが可能なうちから「俺は国家と運命を共にしないぜ!」とさっさと逃げ出すような奴はどの国へ行ってもそれなりの扱いしか受けないだろうね。「敗戦前に国外逃亡した政府の高官」を想像すればわかりやすいと思うけど。
「全員帰せばいいのに」って言う根拠は、在日の人の主張が判を押したように「強制連行!」「謝罪!」「賠償!」って言われるので、
だったら終戦時に全員帰らせるのが一番よかったんだなーと理解したからなんだけれども。
で、繰り返すが、「日本在住の朝鮮籍の外国人」が終戦時に大量に発生したのは日本国政府の選択の結果なの。その選択が理にかなっていたとしても、その行為によって「在日」という存在が発生したんだから、日本人に「お前らは勝手に来た」とか「帰ればいいじゃん」とか言われる筋合いは無いの。
えっと、「日本在住の朝鮮籍の外国人」が全員が強制連行の結果というわけではないのなら、強制連行以外は自由意志で来たってことですよね?
頼んで(または強制的に)来させた人については責任を取れ!といわれても納得するけど、自由意志で来た人の分の責任と言われてもー。
あれ? 選択って「朝鮮戸籍の人を朝鮮人にした」こと? なんか混乱してきた。<頭悪ッ!
でも、住んでいるところで戸籍を分けちゃうのも問題があると思うですよ。東西ドイツとか、親戚とかでも国籍が別れちゃったんですよね?
なにをやっても問題は出るだろうけど、一番無難そうな「もともとのデータに戻そう」というのが合理的だと思うんだけどなあ。
それとも、朝鮮人でも希望者は日本国民にしろ、という主張なのかな?
してるじゃないですか。帰化のしくみがありますよね。希望すれば(例外はあるけれど)日本国籍取れるのはもちろんご存知ですよね。
その人のルーツも尊重して、日本国籍をとる選択肢も与えていて、他に何が必要なんです? そこがわかんないんですよねー。
書評:川口マーン惠美 著『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店)
小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとって、この評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデス・ベンツをつくる器用なドイツ人が、他方では奇妙な思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。
一般的に日本人のドイツの印象は良い。いや、良かった、と過去形で書くべきだろう。
森鴎外が留学し、伊藤博文はプロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテ、トーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。
手塚富雄、高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しむことができだ。三島由紀夫も第二外国語はドイツ語だった。
大学ではドイツ語を第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語へ語学ブームは移った。
日本の戦後政治は混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れず混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツの経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済は中国に抜かれるほどに疲弊した。米国、日本に次ぐGDP世界三位は北京が獲得した。
ドイツにも政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本に売国的媚中派と保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツの政治は、ロシアの利益と通底する二流の政治家がいる。
言うまでもなく売国奴的政治家とは、シュレーダー前首相である。
川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。
「シュレーダーは首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人のやんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男が、後述するシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。
戦後、アデナゥワーは米国と協調したが、ブラント政権で東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書は東ドイツのスパイだった。
後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)
だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言が左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーらSPDの面々である。
現ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。
日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。
「ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」
東方外交をすすめたブラント元首相はユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを擁したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツと自分とを同一視していない」。
いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分や国民の罪に対するものではない」。
つまり「親族に人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。
本書にはホーネッカー(旧東ドイツの独裁者)が、旧東ドイツ市民が秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、途端の苦しみを味わっていても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その妄想ともいえる塹壕が、ドイツ統一後、埋められる前の見学ツアーが行われ、川口女史はでかけて、壮大な無駄と独裁の虚無を見いだす。
それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!
また“ドイツの良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツの大江健三郎的な作家”ギュンター・グラスが青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー前首相がプーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係でベルリンが北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。
次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだった。