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2010-03-20

多分、横領なんだろうさ。

http://anond.hatelabo.jp/20100320151058

不安と苛立ばかりが募る。慣れるまでは、ずっとこんな感じなんだろう。辛いようであり、逆に愉快でもある。先刻、協力者と電話口で話をした。近々、会って話をすることになった。さて、どうなることか。

何故書くのかと問われれば、返答に窮する。こんなこと書いて、何の得があるのかと。心を刺激するばかりで、無駄に消耗するだけではないのかと。心の虚空から、答えは聞こえない。

※これはフィクションです。これはフィクションではありません※

自分は、言わば魔術師の端くれ、だ。ビジネスプライベートの両方で、無形の魔法も、固形魔法も扱ってる。時にトン単位の重い魔法を、時に数KB単位の儚い魔法を、なんでも、扱えるものは何でも扱ってる。平日はただの労働者として、休日はただの愛好家として。

協力者(小悪党)の考えは聞かなくても分かる。「あんた錬金術師でしょ。これを金に替えて一緒に儲けようぜ?」と。このド素人が、と心で毒づく。初歩的な錬金術は使えるけど、原材料は選ぶんだぜ? 素人は石ころなら何でもいいと思ってるだろうが、そんなワケあるか。

だが、石ころ集めも楽じゃない。労力の問題だけでなく、金(かね)の問題だけでなく、仕入れルート確立が問題なのだ。自分は、仕事を教え込まれた先輩から仕入れの大切さを、何度も教えられた。実体験としても、品を集めることの重要性は知ってるつもりだ。

会社を通せば評価が辛(から)くなる。ゴミゴミだと言う他ない。だが、自分は一介の魔術愛好家でもある。産地直送とでも言おうか、自分自身で消費できる部分がある。その分、金額を上乗せるすることが出来る。暗に明に、謝礼を払うことが出来る。謝礼でおだてて、信頼関係を築き、子飼いにする。石ころを横流しさせる。

……いや、違う。そうだな、決して「会社のために」なんて美談ではない。「自分の懐のため」でもない。ただの、魔法フリークの暴走ってだけだ。仕事で触れる以上に、もっと自分のやり方で、魔法に触れていたい、多分そんだけだ。売り買いするだけ、仕入れて売りさばくだけ。そんなビジネスライクな生活に嫌気が差した、不適応者の狂行ってだけのこと。

所有欲であり、収集欲であり、廃棄欲であり、整頓欲であり、分析欲であり、作業欲であり、弑逆欲であり、自傷欲であり、名誉欲であり...色んな思惑を考慮したうえでの、愚行だ。心の半分は不安や申し訳なさで満たされながれも、残りの半分で、嘘をついた結果の喜びを感じでいる。嘘の結果、少しだけ、自分は手元に品を移した。今、手元にあるのだ。さて、目を通そうと考えるだけで、心が少し踊る。あはははは、どう仕様もなく、少し楽しいや。

※これはフィクションではありません。これはフィクションです※

多分、横領なんだろうさ。

http://anond.hatelabo.jp/20100320005430

直属の上司は、時折、心底「有り難い」と思える言葉をかけてくれる。飴と鞭みたいなもので、社長にどやされて凹んでるときに「なにあれ、こっちの都合も考えろっつーになぁ?」とか言ってくれる。別に完全無比の聖人君主ってわけではないが、社長より共有できてる部分が遥かに大きいので、心底有り難い。厳しい言葉も多分にあるが、ちゃんと意欲を奮い立たせる言葉が混ざってる(こともある)。あれ、これも飴と鞭じゃね?

同僚との会話では、どーにも愚痴にしかならないのだ。「●●だよねぇ」、「●●ですねぇ」と言い合うことで、多少心理的にプラスな面もあるかも分からないが、目立って大きい効果はない。もっとも、愚痴り合うことで生じる信頼関係みたいなもんもあるから、愚痴り合いは否定しない。よく社長槍玉にあがる。これが「ディスる」って概念なのだろうか。

上司には不満らしい不満はなく、強いて言えば、構造上の齟齬が生じるだけのこと。共有できない部分も生じるだけのこと。自分はこの商いのため、小さな悪事に手を貸そうと思う。子飼いを作り、品の流れを作る。現状、我が社で扱える品ではないが、社に十分なリソースが生じれば、あるいは自分がそのリソースを肩代わりすれば、商材に昇華できる、かもしれない。徒労に終わるかもしれない。

自分が、この部門に注げる労力は限られる。勤務時間を下手に増やす事はできない。やりすぎれば、採算性の危うさに気付かれる。勤務の外で、進められることを進めるしかない。「会社を通さず、私的にやらせてください」とは上司に言えない。嘘を積み重ねる。

多分、横領なんだろうさ

自分の行いは横領か、そうでなくても社から確実に非難されるべき類のもんだ。で、自分に品を供給してくれる人も、やっぱり同じ穴の狢でしょうや。当人がどう思っているかはともかく、彼の行いは、自分と同じく、後ろ暗いものだ。つか、自覚せずにやってるほどバカではないでしょ。彼は、外見は純朴で良い人そうだ。でも、表面的な印象なぞ、アテになるものか。自分は、同じように、だがもっと理論武装したやり方で、儲けてた人を知ってる。

その人は、自分仕事を教えてくれた同業の先輩が、悪い表現をすれば飼い馴らしていた。「飼い馴らす」と表現したが、金を貸したのに返して貰えないとか先輩が愚痴ってたし、自由意志で繋がってるだけの関係に過ぎない。だが、品の供給源として見れば、上手く飼い馴らしてた。代金を払う、感謝の意を示す、飯をおごる、金を貸すetc...考えるうる様々な手段で、信頼関係を築いていた。

その人は、表面上、横領だとか明白な悪事は行ってなかったように思われる。先輩は、ちゃんと会社同士の正式な処理で、品を入手していた。だが、少なくとも、その人が本来こなすべき本業に、若干の支障を来たしていたのは確かだ。自分は昔、先輩との付き合いで、先輩の荷をたまに運んだ。その人は、先輩に売り渡す荷物を、しっかりカーゴに入れていた。……自分主観だが、明らかに作業車両の移動に支障を来たしていたように思うのだが。

それだけなら、事実でも、小さいことだろう。だが、先輩から手間賃を貰ってたのだ。これって、バックマージンだよな。実際に会社の品を不正に動かした事実がなくても、実損を与えていなくても、法的に問題がなくても、集団の倫理から見れば問題があるだろう。傍目には、横流しのように見られても仕方がない。

だからってわけでもないだろうが、その人、社長と折り合いが悪いらしい。汚い言葉を使えば、さっさとクビになればいいのに、と思う。先輩の子飼いがいなくなれば、自分が介入しやすくなる。あと、素人の癖に変な自意識を持ってる輩は、扱いづらいし、見ていて不快なのだ。お前は先輩に煽てられてゴミを集めてただけ。自分はそのゴミを何度も運ばされてたから、よく知ってる。

先輩はそのゴミを売り裁くのが上手かった。我が社を含め、子飼いに売りつけていた。自分は、そのゴミを買わされる「しがらみ」を踏まえて、ただただ飲み込む他なかった。評価をぼかして、生の情報を上げなかった。生の情報社長に伝えれば、確実に揉めただろう。「これ以上揉めれば、オレはそっちと関係を切るよ?」と先輩は、自分に伝えていた。あるいは、誘導していた。自分は、関係の悪化を避けるため、現状が続くように、言葉と行動を選んだ。その時点において、我が社の基盤はまだまだ脆弱で、危うかった。先輩は子飼いを生かさず殺さずで扱ってくれる。助力が全くないわけではない。目先の損得ではなく、会社が長らえるために、自分は嘘をついた、つき続けた。

これにしても、自分社長を騙していることに違いはない。自分がこの会社で働き始めてからずっと、自分会社社長と同僚の狭間で、最善の選択を模索し続けてきた。大なり小なり、端から嘘を抱いている。

2010-03-14

恋人ほしい。彼氏ほしい。

けどたぶん出来ても一切信用できない。

悩みを打ち明けたり、辛いときに頼れる存在にはならない。

どうしてこう考えるようになったかっていうと元彼との関係やその前のもろもろが絡んできてると思う。

友達や知り合いは信用してなくても関係を維持できるって思ったけど、彼氏とは信頼関係がないと関係を維持できないってわかった。疑ってしまうから。

じゃあどうすれば信用できるようになるのか?

どうすれば浮気をしないと立証できるのか?どうすれば愛されていると感じられるのか?どうしたら愛せるのか?

むりじゃんねえ。

先入観は変えられないのかな。

素敵な経験で上塗りすれば悪いイメージは薄くなると思う。

けどそんな素敵な経験とかありそうになくて笑える。

とりあえずきもちいーセックスしてくれる人がいいわ。

愛がないセックスほどむなしいものはないけどね。

2010-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20100310150512

むずかしいよね。

夫婦の仲は信頼に基づいた契約だからさ。

信頼は容易に崩れる。

ましてや、始める段階で既にそういう状態だと、信頼関係って築けない。

ゆるゆるの地盤の上で家を建てても、いつか確実に崩れる。

それでも一緒にいようとすると、話し合いで解決するしかない。

しかし、冷静に、ビジネスライクに話し合いが出来ないことが多いのが夫婦関係。

「あの件では、自分が譲ったのだから、この件では譲ってもらえないか?」

というのは、出来そうでいて、案外出来ない。

特にこういう問題では。

夫婦という関係性は、経営し維持していく必要があるだろう。

しかし、経営で維持しようとすると、夫婦間の愛が目減りしていくと感じる人は多いのではないか?

もちろん男性にもいるが、特に女性にはそういう人が多いように感じる。

何故、愛が重要なのか?

それは、現代において、結婚とは愛を前提にした信頼関係だからだ。

故に、夫婦間の交渉は困難を極める。

保守的制度が持つ問題はもちろん数多くある。

時代に即して、変えて行く必要があるだろう。

だが、保守的制度がもつ知恵のようなものもある。

つまり、どうしても人が犯してしまいがちな間違いを犯しにくくしているという側面もあるはずだ。

何でも変えて行けばいいという態度は、軽々しく、寝た子を起こすということになりかねない。

寝た子は寝たままにして、変えるべきを変えていかないと社会はよくならない。

もう一度、つまらない繰り返しをするだけだ。

2010-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20100303141729

うーん、ゆとりかどうかは余り関係ないんじゃないかな?

特定の利害関係においてのみの信頼関係を築くのなら人格を判断材料にした条件は考えなくてもいいけど、親密な信頼関係を築こうとするならこれは考えなきゃいけないよね。

お金利益目的で異性と付き合う」というやり方もアリだとは思うよ?私はやらないけど。

2010-02-21

カーリングについて自分が知っているいくつかのこと(続きあり

土曜の午後という多くの人が見ている時間帯に、地上波中継で「わかりやすいゲーム」で

勝てた事の意味というのはとても大きかったと、日本チームの勝利に心から酔いしれた。

ただ、Twitterなんかを見ていると、素人自分でもいくつか答えられそうな話題があったので、ちょっとそれらをまとめてみようと思う。

(技術戦術については、それっぽく話す事もできるが自分には無理)

ラウンドロビン後半戦に向けて、観戦者にとって何かの足しになってくれれば幸い。

(2/23 多くの皆様にお読みいただきありがとうございます。お礼を兼ねて続きを書きましたので、よろしければご覧ください。)

解説の小林さんの絶叫について

ずいぶん話題になったあれだが、別に意味もなくかっこつけて「Yeeeeees!」と叫んでいたわけではない。

ハウスサークル)の中央に、その後ろにある石を弾いて散らす事なしに自分の石を持ってくるには、

投擲時の力(ウエイトという)を弱めにして、スイープ(ブラシワーク)で距離を調節しなければならない。

「Yes」というのは、石の進路を掃いて距離を伸ばすためのかけ声で、弱めのウエイトであそこまで

石を伸ばすには、通常2人で行うスイープを3人にして、さらにいつもよりもハードに行う必要があった。

中国女子チームは、必要とあれば4人全員でスイープする。これは見どころのひとつ。)


であればこその、「激しくスイープしろ」という意味の指示を、自分スキップになったつもりで

行っていたのであって「近年のテレビ的な過剰なキャラクターづくり」「我を失った絶叫」というわけではない。

各局のテレビ報道今日スポーツ新聞なんかを読んでも、その辺に触れた記述はなかったのが残念だった。


ちなみに、ショット後の選手のかけ声は、

「Yes」「Yeah」「Yap」が「スイープしろ」(ストーンをまっすぐ、遠くまで)

Clean」が「ごみほこりをはく程度の軽いスイープ」(髪の毛一本でストーンはあらぬ動きをする。)

「Whoa」が「スイープするな」(ストーンのウェイトが強い、あるいはもっと石を曲げたいとき)

「Hurry」が「全力スイープ」

となる。だいたいどの国も英語のコールをするけど、これから日本が試合をするロシアロシア語のコールをする。

「Hurry」は小林源文漫画の読者ならおなじみの「Давай」(ダヴァイ)になる。

解説の小林さんの「中立」について

これも別に装っているのではなくて、カーリングというのはそうしなければならないと要求するもの。


世界カーリング連盟のホームページにある「THE RULES OF CURLING(PDF)」の冒頭には

「The Spirit of Curling」というのがある。ルールブックの冒頭にあるくらいで、ルールの上位概念というか、

法律に対する憲法のような存在だと理解すればいいだろう。これを引用する。

Curling is a game of skill and of tradition.

A shot well executed is a delight to see and it is also a fine thing

to observe the time-honoured traditions of curling being applied in the true spirit of the game.

Curlers play to win, but never to humble their opponents.

A true curler never attempts to distract opponents, nor toprevent them from playing their best,

and would prefer to lose rather than to win unfairly.

Curlers never knowingly break a rule of the game, nor disrespect any of its traditions.

Should they become aware that this has been done inadvertently, they will be the first to divulge the breach.

While the main object of the game of curling is to determine the relative skill of the players,

the spirit of curling demands good sportsmanship, kindly feeling and honourable conduct.

This spirit should influence both the interpretation and the application of the rules of the game

and also the conduct of all participants on and off the ice.

日本カーリング協会の公式訳や、Wikipedia日本語版の訳などもあるが、こういうのを置いておくとid:dankogaiが嬉々として訳しそうな気もする。


ともあれ、ここで述べられているのは「カーリング伝統」であり、これは「守るべきもの」として謳われている。

その中に「A shot well executed is a delight to see」とあり、「Curlers never to humble their opponents」とあり、

そして「This spirit should influence the conduct of all participants on and off the ice.」とまとめられて

いるからには、「マイナースポーツとしてのカーリング」を解説する上で、そこから外れた態度を取る事はありえない。


あれは小林さん個人の信条スタイルというのを超えて、「あのスタイルでなければカーリングの解説にはならない」、

「あの解説スタイルそのものがカーリングメタ的な解説である」ということを示しているわけだ。


個人的に、ゴルフとよく似たこの「プレイヤー自らが審判である」という意識は興味深い。

同じスコットランド発祥のスポーツスコットランド人の気性と関係するのだろうか。

男子の競技はやってないの?/男女差ないんじゃね?

長野五輪日本男子チームが多少注目されたのを覚えている人がいるかもしれないが、男子はもちろんやってる。ただ、日本代表が出てないので放送してない。

#ちなみに長野の時のスキップ敦賀信人さんは今でも現役のカーラーで、日本カーリング協会強化指定チーム「Iceman」のスキップ

#当時は少年面影が残る20歳でしたが、今では立派な漁師の貫禄が身につきました。


ただ、NHKはインターネット中継で男子準決勝(26日)と決勝(28日)を生中継してくれるので、興味があればぜひ。

男子と女子の差は、ストーン投擲時のウエイトの強さと、スイープの強さにはっきりと表れる。

つまり、膠着した場面をハードヒットで打開できる可能性が高いので、より積極的かつ攻撃的なゲームが見られる。


参考までに、YouTubeからいくつか動画を。

トリノ五輪男子決勝でカナダマークニコルスが見せたショット。石を二つ動かして目的ストーンテイクアウトし、

 かつその他の石を動かさない、これは単に力を乗せるだけではダメで、コントロールが必要になる。

 このウエイトを乗せかつコントロールすることが女子では難しい。

 バンクーバー五輪日本イギリス戦の8エンド、イギリスサードのジャッキーロッカートの1投目を小林さんが

 「男子並みのショット」と評した理由は、ここにある。

 09年男子カナダ選手権で、カナダ男子最高のスキップ、グレン・ハワードが見せた一投。

 やや長いので、時間のある人向け。上の動画のグレン・ハワードのチームと、チームハワードと並び立つカナダ屈指の強豪、

 ケヴィンマーティンのチームの対戦。バンクーバー五輪には、チームマーティンがチームハワードを破って出場している。

なんで日本チームはサッカーのように選手を選抜した代表ではないのか?

けっこうこの疑問は多いんだけど、いくつかの観点から答える事はできる。

まず、昔の全日本女子バレーチームのように、日紡貝塚日立の強さが抜けているような状態なら、

単独チームをそのまま代表にしたほうがチームの熟成の意味では優れている。

ただ、個人的にはこれは皮肉だなと思うのだけれど、チーム青森はもちろん単独チームではあるのだけれど、

ある意味では「選抜代表チーム」であって単独チームの強みを活かした熟成があるのかというと、個人的にはちょっと、

と見える部分がある。


カーリングにおける熟成というのは、それこそ10年単位のものなのであって、2002年ソルトレーク日本代表だった

シムソンズ」も、彼女たちが中学生のときに結成された10年来のチームだった。

トリノ五輪時のチーム青森が、どん底に落ちそうになりながらも復調したのは、シムソンズ以来の長い信頼が、

小野寺歩林弓枝の間にあったからというのが大きい。

また、長年にわたって「シムソンズ」「チーム青森」の最大のライバルだった「チーム長野」(Pictic)にしても、

これも最終的には10年以上の長きにわたってひとつのチームを組み続けたというのが大きい。

そこへいくと、今のチーム青森は、最大でも目黒萌絵本橋麻里の5年であって、後のメンバートリノ五輪後の加入。

そんなにチームとしては熟成されていない。

もちろん、他の国内チームとは比べものにならない手厚い支援体制の下、長期の合宿も組んで補ってはいるけれど。


チーム青森の「選抜チーム」としての特徴は、あまり年の離れていない複数のスキップ経験者がひとつのチームに

なっているというところにある。これがなかなかチームとしての意思決定に大変なところがある。

とりわけ、トリノ後の最初の一年は、ほとんどキャリアに差がなく、嗜好する戦術がそれぞれ全然違う目黒、本橋、

山浦麻葉の3人の息が合うのにかなり苦労した。

スキップ目黒ショットのときには、副スキップの本橋がショットの目安となる位置を指示するのだけれど、

それが二人で相談したときと全然違う場所に指示をするものだから、慌てて目黒がもう一度コートを逆戻りして

再確認して無駄時間を浪費したりとか、そんなことを世界選手権の試合の中でやったりしていた。


その辺はだいぶ改善されてはいるのだけれど、今でも目黒と本橋の息があってるかといえば、必ずしもそうじゃないような。

本橋の投擲の時に、スイーパーに対する指示が目黒と本橋で正反対のことがしょっちゅう試合中にある。

これは、実況を見ているときに注意してみると面白いと思う。

スイーパーも困るだろうと思うが、当然ながら目黒に従うわけで、そしてだいたい目黒があってる。


ちょっと話はずれたのだけれど、かように高レベル選手になればなるほど、チームとして熟成させるのは難しい。

スコットランドイギリス国内3協会では最強の協会なので五輪ではイギリスとして出てくる)は世界選手権では

選抜チームを組むのだけど、大会中に息が合わなくて選手が帰国して残りの試合を3人で戦った事もあった。

ルール上は認められている)

だから、同年代の選手で組むときは10年以上の長い信頼関係を結ぶか、若くて優秀な選手を入れるときは

圧倒的なカリスマを持ったベテランと組む、というのが強豪チームの常。

チーム青森はこのどちらでもない、「常設チームながら選抜チームっぽい」ところが面白いのだけれど、

つまりサッカーのような代表チームを組まないのはこのため。

なんで日本チームは欧米選手に比べて若い?/なんでチーム青森なのに北海道長野選手

実はこの疑問に対する答は共通で、要するに「エリート選手として競技を続ける環境日本にない」ということに尽きる。


またひとつ動画を。

2005年から今年までの6年間で、女子カナダ選手権を4回優勝、1回準優勝し、世界選手権で金1、銀1と、

現在カナダ最高のカーラージェニファー・ジョーンズのチームが初めてカナダ選手権を取ったときの、その最後のショット

wikipedia英語版の彼女の項目では「The Shot」(カーリング史上最高のショット、くらいの意味だろう)と書かれている。

#恐ろしいのは、このチームが五輪代表選考会で敗退してしまうカナダの層の厚さなんだが。


さて、この見目麗しいスーパーカーラーJJの職業弁護士だ、と聞くとなんだその漫画に出てきそうな嘘っぽいキャラクターは、

と思うんだけど、だいたい強豪国の女子選手は、収入のある自営業であることが多い。

地域社会におけるスポーツクラブ単位での活動ということも合わせて、そういう時間自己管理できる職業だからこそ、

カーリングにおいて技量を磨けるということはあるのだろうけど。


ひるがえってわが国のことは今更説明するまでもないけれど、アマチュアスポーツエリート育成は学校部活動実業団スポーツ

頼ってきた中で、マイナースポーツカーリングを支援する企業などこれまであるわけもなく、就職したり結婚したりすれば必然的に

女子選手は第一線を退かざるを得なかった。

ソルトレーク五輪のあとで、シムソンズが20代半ばのカーリング選手としてはまだまだ青二才の年代で解散を余儀なくされたのもそのためだった。


ちょうどその頃、多分に偶然ではあったのだろうと思うけど、2007年世界選手権をやるということになった青森市が、

どうせやるなら地元から、ということで、シムソンズの中で現役続行を希望した小野寺と林を引っ張ってきた。

カーリング競技を行う事を前提として職を得る、と言う事自体が当時としてはとても珍しい事だったのだけれど、

それにしても「青森市嘱託職員」という立場の二人の月給は、およそ月給と呼べる額ではなかったらしい。


そんな環境でさえ、まだ恵まれていたといえるのは、ライバルチーム長野(Pictic)を見ればわかる。

こちらは、「就職結婚もあきらめて」アルバイトで生計と強化費を捻出して、五輪出場権をかけてチーム青森

長年にわたって戦い続けてきたわけだ。

とくにトリノ五輪の後は、職という安定した身分でも強化体制の違いでも青森に圧倒的な差をつけられながら、

それでも互してきたこと自体が奇跡的ではあるのだけれど、最後には息切れしてしまった。

(結局チーム長野は、中心となる3人に加えた、4人目のメンバーを固定できなかった。これが大きかった。)


ともあれ、今のチーム青森は、「エリート選手としてカーリング競技を行うこと」を前提として職を得られた、

自分の知る限りにおいて日本女子では初めてのチームではないかと思う。

(もちろん、実業団単位で組まれた女子の強豪チームもあったけれど、「仕事のウェイトの大きさ」が圧倒的だった)

天才少女が、カーラーとして全盛期を迎える30代半ばから後半まで、ひとつのチームを組み続けたまま、エリートとして

競技を続けられる状態自体がこれまでなかったということ、それが日本チームが欧米のチームに比べて圧倒的に若い原因である。

今、技術戦術面で、素人ながらに見ていても海外のチームと比べて足りないように見える面があるとするなら、

それは競技生活と練習にかけてきた時間の差でもあるのかもしれない。

そして、だからこそこういう環境のある青森に、北海道から選手が来る。


もっとも、だからといって、北海道選手を取られてばかりで手をこまねいているとか、青森県が他県から

引っこ抜いてくるばかりかというと、そうではない。

北海道では、一年間通して使える専用カーリング場が2012年に、初めて札幌市にできる。

北海道で、大人の女性が職を得ながらカーリングを続けようと思えばやっぱり札幌が一番有利だし、

その札幌に専用のカーリング場ができるのは、これは北海道カーリングの悲願でもある。

青森県は、本橋が在学していた明の星短大を有する明の星学園が、青森明の星高校にカーリング部を作っているし、

まだまだ歩みはゆっくりだけど、ジュニアからの強化を図っている。

やっぱり、いずれは青森県カーリング場で育った選手チーム青森に入れたいんだろうね。


(追記)

ちなみに、チーム青森の現メンバーの勤務先は次の通り。


目黒と山浦の二人が青森県下で有数の企業に入り、近江谷が高卒で非常勤ながら市役所勤務というのは、

官民一体の就職支援といえると思う。

30近くなって青森に加入した石崎に、これも契約社員ながら職が斡旋されたというのも、近年の就職事情を考えれば

やはり支援の賜物だと思う。

チーム青森メイクきれいなのは、木浪学園の指導と支援によるもの。のはず。

本橋のNTTLSとの契約は今年の6月まで。彼女実質的プロカーラーと言っていい立場。契約は延長されるのだろうか。

ファンができること

トリノの後もそうだったんだけれど、カーリングがあれだけ露出していたのに、それが普及・強化につながらないのは、

ひとえに「プレイできる環境がない」からに尽きる。

トリノの後で「カーリングを体験してみたい」という問い合わせが施設に殺到して予約半年待ちなんていうニュース

あったけど、日本カーリングができる施設はあんまりない。

少なくとも、通年で使える専用のカーリング場というのはまだない(上記の札幌の施設は、その意味でも大きい)。

岡山福岡で、共用ながら通年カーリングができるというのは意外のようにも思う。


全国のカーリングができる施設等一覧


なんでまあ、「実際にプレイする」のは一番だし、なにより楽しいのだけれど、いかんせんまず場所がないし、

上手くなるのに練習が必要なのに練習もろくにできない、となると、なかなか草の根の強化は難しい。

となると、まずはお金なのかなあ、手っ取り早いのは。

チーム青森単位でも、日本協会単位でも、いろいろ募金をつのってはいるので、調べてみてください。

見てみたい

五輪以外でも世界レベルの試合を見てみたい、という人もいるだろうね。

日本国内でそれを満たすほぼ唯一の手段は、CurlTVかな。

海外遠征中のチーム青森の試合なんかも、有料だけどストリーミング配信で見たりする事ができる。

3月にカナダで開かれる世界選手権も、ここで見られる。

#と言いたいところなんだが、日本テレビ局放映権を買うためにリージョンブロックがかけられる。

日本戦でさえ全部放送しないんだから、解放しろと思うんだけど。


生で見たいとなると、3月6日から10日まで北海道北見市常呂で今年の日本選手権が男女共催で開催される。

簡単に行ける場所ではないけれど、北海道オホーツク観光を兼ねて行ってみてはどうだろう。

チーム青森の帰国後国内初戦だしね。

他のチームを知りたい

本当の意味日本女子のカーリングの強化、ということになると、チーム青森に互す実力と体制を持った

チームが複数出て、国内で日本リーグを毎年行えるくらいのことができればいいんだろうけど、それは

ここ数年レベルでは望み薄。これまで青森と覇を競ったチーム長野も、代表決定戦の敗戦以降は

活動しておらず、少なくとも日本代表を狙うような活動は当面休みっぽい。

だけれども、女子に関してはジュニア世代でチーム青森を追うだろう優秀なチームが複数あるので、それを紹介したい。

(カッコ内は全国大会に出てくるときのチーム名)


WINS(チーム常呂高校)

2009年度の日本カーリング協会強化指定チーム(B代表相当)で、2009年日本選手権準優勝。

バンクーバー五輪代表決定戦にも進出し、BS-TBSでも取り上げられた目下一番の注目株。

スキップの吉村紗也香さんがかわいいと、そっちでもちょっと話題になったりする。

今年の3月で常呂高校を卒業した後は、4月から全員が札幌国際大学に進学してカーリングを続行。

北海道を拠点としてチーム青森に並ぶ強豪チームを作ろうという北海道の期待も背負う。

ロビンズ(JJ常呂

同じ常呂の同じ高校3年生でも、全国に名前を売ったのはこちらのチームが早かった。

2006年中学2年の時に日本選手権に出場すると、予選リーグではチーム青森に続く2位。

決勝トーナメントではチーム長野に完敗して3位に終わったけれど、小さい身体で大人と互角以上に

渡り合い、テレビカメラの前でも物怖じせずに話す肝っ玉とか、個人的には期待していた。

高校に入ってからはWINSに抜かれた感じもあったけれど、それでも常呂町のリーグでは

海千山千のおじさんカーラーの中で上位に来るように、実力はある。

今日まで開催されていた北海道選手権でも優勝したし、地元開催の日本選手権WINSとどちらが上位に来るか楽しみ。

AIM(御代田ジュニア

長野県御代田を本拠地にするこれも高校3年生のチーム。

昨年12月日本ジュニア選手権では上記WINSを破って優勝し、今年2月の高校選手権でも優勝。

毎年軽井沢で開かれるアジア唯一の国際競技大会軽井沢国際」には今年ジュニアながら

日本代表として出場して4位。

こちらも高校卒業後は全員が城西大学に進学して競技を継続

中部電力

AIMと並ぶ長野女子カーリングの期待のジュニアチーム。

日本ジュニアではAIM、WINSに続く3位だったが、日本選手権へはAIMを抑えて中部ブロック代表として出場。

もし日本選手権を観戦に行くのだったら、WINS Permalink | 記事への反応(9) | 22:17

2010-02-19

僕がまだスポーツ選手だった頃

国母選手メディアでの扱われ方を見てて、

僕がまだスポーツ選手(全く有名ではない)だった頃の話を書こうと思った。

 

ベテランスポーツライターさんに、

見習いライターの練習台になってくれと頼まれたので、

焼肉と引き換えに受けることにした。

 

見習いさんは3人ずつ2グループいて、

2回インタビューを受けた。

最初のグループインタビューしている間、

2番目のグループは外に出る形式だった。

 

実は、ちょうどこの時期に、

今回の国母選手のように僕は問題を起こしていた。

(問題の詳細は書かない)

 

見習いさんたちは、その話をあらかじめ知っていたようで、

最初のグループは、その話ばっかり振ってきた。

僕としては紳士に対応したが、

正直、気分の良いものではないし、

早く忘れて次に行こうと思っていたことだったので、

めちゃくちゃストレスだった。

 

途中で、こんなインタビューは嫌だと思ったが、

呼んでくれたライターさんの手前、

誠実に答えていた。

彼らは、本当に根掘り葉掘り聞こうとしていたし、

刺激のある言葉を僕から引き出そうとしていた。

 

次のグループとの間の休憩中、

こんなイライラするインタビューを受けるのは、

本当に嫌だと思ったので作戦を練った。

 

次のグループ普通に世間話をしてから

早速、僕が抱えていた問題に切り込んできた。

 

僕は、彼らが聞きたがるような、

面白い話を用意して、

「そういえばこういうことがありまして」

と、僕が抱えていた問題よりも、

面白くて僕自身も話してて面白いネタを語った。

 

これの効果は大いにあって、

後半のグループはその話題に食いついた。

問題に引き戻そうとする質問があっても、

うまく面白ネタにつなげるよう答えた。

そのおかげで僕は楽しみながら後半のインタビュー

終えることができた。

何より、僕はいかに彼らの興味を、

問題から逸らすかを楽しんだ。

 

 

終わったあと、見習いさんたちは400字程度に、

インタビューをまとめて、それを各自発表した。

前半のグループと、後半のグループは、

話のトーンがまるで違った。

僕の問題を暗くねちっこくまとめた前半グループ

僕の問題をおまけ程度に明るく書いてまとめた後半グループ

 

最後にライターさんに感想を求められたときに、

僕は、種明かしをした。

前半の人たちのインタビューがとても嫌だったこと。

後半の人たちは意図的に明るい話題に誘導したこと。

 

前半の人も、後半の人も、衝撃を受けていた。

自分達が選手を誘導することはあっても、

まさか選手に誘導されるとは思わなかったのだろう。

 

ライターさんは、

ライタープレイヤー信頼関係について触れたあと、

見たこと聞いたことを伝えるだけならライターはいらない。

選手自身が気付いていない部分を書かないと駄目だ。

と見習いさんたちにいっていた。

 

変なインタビューウィーですいません。

焼肉、おいしかったです。

2010-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20100209065146

↑の元増田です。

一晩経って、もう一回見てみたら、こんなにブックマークコメントがついてかなり吃驚。しかもまだ増え続けてるし。

コメントをくださった皆様、ありがとうございました。

よもや注目の記事に登場してしまうとは思いもよらず.....。

何人か指摘してくださっていますが、元記事に書いたことが、アフリカ大陸全土に当てはまる訳ではありません。

あくまで、僕の住んでいる、アフリカ大陸某国の、某地方都市、と呼ぶには随分田舎かなぁ....)での、僕の主観です。

客観的なデータに基づく物でも無いですし、論を構成するに値する物では無いと考えています。

とにかく広大な大陸です。色々なタイプの人々がいます。

ガーナの例を引いてくださった方がおられましたが、ガーナ羨ましいなぁ。人が陽気なのは一番です。

ここはもうちょっと人が暗いかも。気に入らない事への報復が結構陰湿だったりすることもあるので。

それから

「結局、全部人のせい」

と書いたのだけれど、僕も同じように上手くいかないことを人のせいにしている。

まぁ、何しろ兎に角仕事は思うようにいかない。

「こいつら、言い訳ばかり、人のせいにばかりして、自分仕事全然しないから、上手く行かないんだ」

というのは、僕の仕事が上手くいかないことを、「彼らのせい」にしているに過ぎないんだよね。

どうやったら彼らをその気にさせて、やる気にさせられるか、色々試行錯誤してはみるものの、中々上手く行かない。

それだけ信頼関係を築けていないと言うことも理由の一つだと思うし、それは即ち、表面的にしか彼らを理解出来ていないということに他ならないと思う。

それこそ自分の力量不足に起因することなので、人のせいにしているヒマがあったら、まだまだ改善を検討せよ、というところだと思います。

話しは戻りますが、沢山着いたコメントを興味深く拝見しました。

このちょっとした思いつきに、こんなに反響を頂戴してありがたく思っています。

全く同じ人間がいないように、意見感想が多様にならざるを得ないことを再認識しました。

コミュニケーションは、

「『私』と『あなた』は違うものである」

という所を出発点に始めなければならないんですが、忙しさにかまけていて、ちょっと最近疎かになっていたかも。

同じ言葉を話して読み書きする人間同士だって、一つの事象に対してこれだけの意見が出てくるわけで、まして違う言語で生きている人たちとは、感覚的にわかり合えなくて当然。

上に書いた出発点に立ち戻って、もっと地道なコミュニケーションが必要ですね。

もっとも、これを実践するには、相当自分に余裕がないとまずいんですが。

流石に銃弾が飛んでくることはないけれど、各種テロはまだ時折発生しているし、道路封鎖・投石・放火、なんてのが挨拶代わりになることも無いわけではない状況で、そうした余裕を持ち続けるのには相当のエネルギーが必要です。

でも、まぁ、良い方向に転がるようにしてみたいと思います。

実はそろそろ一時帰国なんですが、今回は、そんなタイミングで諸々の所作を考え直す良いきっかけになりました。

コメントをつくてくれたみなさま、トラックバックをしてくださった皆様、本当にありがとうございました

さーて、帰ったら最近日本の状況を肌で感じて楽しみたいと思います。

それと、寒いのかなぁ、寒いんだろうなぁ.....。

温暖な気候に慣れた身としては、それも心配.....。

2010-02-03

秘密について理解してほしいから悩むのか。関係を続けたいから悩むのか。

http://anond.hatelabo.jp/20100203021910

僕が彼女に言えない事

僕は昨日まで童貞だった。(正確に言うとそうじゃないかもしれないんだけど)

昨日までってことはつまり、昨日卒業してきたってことだ。

別に童貞が恥ずかしいことだとは思ってなかったので、彼女にも自分童貞だってことを隠していなかった。

それで昨日、なんかいい雰囲気になって、それまでは軽く触れるくらいだったキスが明らかにエロい感じのものになった。

で、結局スキンシップが加速して最後までしてしまった。

そこまではいいんだ。

何の問題もないただの童貞喪失記だし。

もしかしたら自慢話と受け取られるかもしれないし。

問題があるとしたら僕はキスや愛撫が(あくまで童貞としては)上手かったことだろう。

彼女にも「初めてとは思えない」と言われた。

それもそうだろう女性相手は初めてだけど、女性が相手じゃなければ初めてじゃない。

男とならいくらでもしたことがある。

これは僕がウリセンという、男が男に体を売るというバイトをしていたから。

(略)

でもウリセンやってましたなんて言って、振られるだけならまだいいけど、彼女はショックを受けるかもしれないし。

彼女のことは好きだし、多分彼女も僕のことを好きだろうし、振られたくないし、傷つけたくないし。

僕はどうすればいいんだろう。

もし良ければ皆さんの意見聞かせてください。

意見、というか、問題の切り分けだけ少し、しておくね。

たぶん、問題は大きく二つに分かれるよね。

ひとつは、「どうすれば、彼女との関係を荒波を起こさずに維持できるだろうか?」という問いかけ。

もうひとつは「ウリセンであったことを、隠したままで自分自身が納得出来るのだろうか?」という問いかけ。

とりあえず、前者を「関係維持志向」、後者を「真実承認志向」と名づけてみる。

関係維持志向で考える場合(関係を続けたい)

 まず、関係を維持しようと考えた場合の具体的な検討内容は

・「彼女がどういう人なのか」という、彼女という人の<現在の>メンタリティをどう考えるか。

・それと、元増田さんと彼女さんとが、いま現在の段階でどの程度まで深い信頼関係を築けているか。一緒に過ごした時間の長さとか、どこまでぎりぎりの会話をしたことがあるか、とか。

 といった要素になるのかな。

 どちらも、詳しくはわからないけれど、彼女さんが、ゲイとか、バイとか、そういう世界にぜんぜん縁がなくて、それを「想像」してみることもないような普通の人だった場合、反応は予想がつかないよね。言わない方がいいかも。

 はてぶでcheapcodeさんのお書きになられていた

1.本屋に走る 2.SEXテクニック本を大量購入 3.実はこれで予習して…と恥ずかしそうに告白(おもむろにではなく、何度か問い詰められてから、観念した風で) お互い、知らない知らせない方がいい事はある。

 という方向とかがベストな世間知、ということになるかもね。

真実承認志向で考える場合(理解して欲しい)

 その一方で、「ウリセンであった」という<真実>をかくしておけるのかどうか、という問いかけで考えた場合には、問題の見方が、まったく変わることになるよね。

 特に、結婚だとかも見据えて、長期的な関係を構築しようという場合は、たぶん、「言えない秘密を抱えていること」に息苦しさを感じてしまう可能性は出てくると思う。いまの彼女さんが、数カ月とか、せいぜい1年、2年で別れるような関係だとしか思えないのならば、わざわざ言う必要はないとは思うけれど、本当に、長期的に人生をかけてお付き合いをしていく相手ならば、清濁合わせて飲み込んでくれることは期待したいよね。(ウリセンが、「濁」だとはたいしておもわないけれど)

 こういう発想をするのであれば、ウリセンでした、ということを逆に言ってしまったほうがいい、ということになるかもしれない。そういうことを飲み込めない相手とは、人生をかけてお付き合いをできないかもしれない。こういうふうに考えてもいい。

 ただし、これはやっぱり年齢の問題もある。

 良い家庭で生まれ育ってきた、素朴な20才前後ぐらいの日本女の子がいきなり、ウリセンの話を聞いたら、やっぱりショックかもしれない。

 数年して、いろんな世界を知って、いろいろな世界を飲み込めるぐらいの許容度が彼女についたであろうと思える瞬間を見計らって、告白する、というでもいいのかもしれない。

 数年しても、「ウリセンだった」という事実を飲み込めるような期待すら持つことのできない程度に、性規範について保守的感覚を捨てることのできなさそうな子であるならば、それは早いうちに見限ってしまったほうがいい、ということもあるかもしれない。

 そういった部分で相手のことを判断しながら、「どのぐらい長期的にお付き合いをしていくか」を、お付き合いをしながら決めればいい、と。そういう発想はありだろうとは思う。

 ただ、やっぱり、「お付き合いを続けながら相手の感覚を理解していく」にせよ、その過程で何度か体を重ねるわけだから、「そんな体でわたしと寝たの?」ということを問題にしてしまうような子かもしれない。そう考えると、お付き合いを続けながら、相手との関係性を調整するにせよ、何にせよ、やっぱり体を重ねることには慎重になったほうがいい、ということはあるかもしれない。「本当は、あんまり、セックスが好きじゃないんだ」とかなんとか、そういうフリをして、何かしらの手は打っておかないと、いざ告白する段階になってそれまでの行動で、元増田さんの「誠実さ」が測られてしまうかな、とは思う。

くだらないアオリだと思うもの:真実承認志向は、「僕の全てをわかって」ではない

 以下、余談。一応の補足みたいなもの。元増田さんへのコメントというよりは、はてブ的なコメントへの予防線です。

 真実承認志向コミュニケーションの取り方について「僕の全てをわかって!」志向だと、揶揄する人もいる。この手の指摘は一面での事実ではあるとは思うけれど、本当に長期的に付き合っていく相手の場合、「重大な真実」を隠し通すことが、本当に長期的な関係の維持に貢献するのかどうかは、なぞだよね。すくなくとも、どっちかは苦しむことになる。

 もっとも、関係が浅いうちに、いきなり言ってしまうことには慎重にはなってよいと思う。

 それとあと、本当にどうでもいい細部にわたる「僕の全て」は理解してもらおうというのは、困ったちゃんではあると思うけれど、今回の元増田さんの苦しみはそういうものではない。

 関係の浅いうちに、理解する能力のない人に「ぼくのこれをわかって欲しい」と訴えかけることは、効果を発揮しないと思うし、ムダでもあるし、不幸でもあると思う。

 

 だけれども、深い関係を結ぼうという相手に。理解する能力を信じられる相手に、「おねがいだから、ぼくの重大な問題を、理解して欲しい」ということは、特にわがままでもなんでもない。

 言うべきか、言わざるべきか。それは、ものごとと人の「重さ」によって、変わりますよねっていう。

 

 あと、もちろん、秘密を守れないことを「弱さ」だと考えるような世界観の人もいるだろう。秘密を守る自分に「強さ」を感じることができて、そういう自分の「強さ」を自分自身で肯定することができるのならば、それでもいいかもしれない。だけれども、そういう「強さ」を肯定する世界観の中で生きられない人もたくさんいる。そういうことに、想いを馳せることもせずに、秘密を守ることのできない人を、ただ「弱い」と断罪する権利は、誰も持っていない、と思う。

 

 …と、以上のような、まあ、ごく当たり前程度のことを少し考えました。あまり参考にならないかもしれませんが。

転載したなう : http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20100203/1265198211

2010-01-26

ひきこもり問題の解決に頑張って活動してる人の文章を読んでたら、

ひきこもりの解決にはキーパーソンとなる人物が必要。きちんと信頼関係のある人間が一人出来れば、ひきこもりは出てくる」

みたいな事が書いてあって、

「お、俺もそう思うよ!!」みたいに思いました。

なんにしても他人にとっては迷惑な話で、ひきこもりの解決がいかに難しいかがよくわかります。

細部に真実は宿る

これまでのレポートに何か足りないというもやもやが晴れつつある。

そうだ、住民の具体的な行動事実だ。

信頼関係を築くまでが時間がかかるのであって

一度信頼関係を構築してしまえば事実を聞き出すのはそんなに大変なことではない。

どうして2ヶ月でそれができると思うんだろう。それが不思議だ。

2010-01-04

http://www.asahi.com/politics/update/0104/TKY201001040121.html

鳩山首相の年頭会見(要旨)

 4日の鳩山由紀夫首相の年頭会見の要旨は次の通り。

 【抱負】百年に一度の改革のため、政権交代を実現したが、これからがスタート。正念場の1年と覚悟を決めている。補正予算と本予算を一刻も早く成立させ、国民の暮らしを少しでも豊かにしたい。

 【参院選内閣改造】今、考えることは、予算を成立させ、国民の命を守る政治をすることだ。(参院選の)勝敗ラインを申し上げる立場ではない。(衆参)同日選も念頭に置いていない。内閣改造も一切考えていない。閣僚がコロコロと代わることで、国としての存在感が薄くなる。国益のうえから安易に改造を行う発想をとるべきではない。

 【政治主導・事業仕分け内閣の中に政治家がしっかり働いてもらえるような準備を行う。規制改革、制度改革に広げて事業仕分けをやる。独立行政法人公益法人改革、天下り禁止もさらに徹底する。

 【外交安全保障】普天間(飛行場)移設を解決していかなければいけない。決してムダに時間浪費させるつもりはない。期限を切って理解いただいて結論を出す。(日米安全保障条約締結50年は)大きな年、チャンスとして活用したい。言うべきことを言いながら、信頼関係を高めていく。重層的な形で、日米同盟進化させるのが大事だ。

 【憲法改正政治家だから「憲法かくあるべし」は一人ひとりが持ち合わせるべきだ。私も安全保障以上に、地域主権のあり方を抜本的に変える発想に基づく試案を世に問うた。民主党の考え方をまとめていくことが肝要。与党超党派でしっかりと議論し、与野党との協議で決めていくのが筋だ。

 【献金事件】年末に知りうる範囲の中で説明し尽くした。検察は結論を出し、決着がついた。私自身もなぜという思いがあり、国民ストンと落ちない部分があると思う。国会の中で議論があれば、自分なりに丁寧に答える。(献金の)使い道をどこまで把握できるかはあるが、説明したい。

献金問題、現実逃避モードに入りました。いや全部の分野で逃げまくってるか。

2010-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20100103024725

http://anond.hatelabo.jp/20100102211541

相手も自分のこと書いていると思われたら確かにいやだろうし。

これが分かってるのに何で不用意に言っちゃったのさ。

その人の忠告はもっともで、そもそも一番最初の

そういうことを言うと友達をなくす。

という忠告以外の文言は君を納得させる為のあとづけの理由に過ぎないよ。かえって納得いかなかったみたいだけど。

第三者には分からなくても、特定されなくても、いや特定出来ないからこそ、君が不用意に「ブログで議論するのが趣味」と知らせてしまった相手は、これから増田との交流を思い出させるようなたわいない個人ブログを見た時に、「これ、増田のかもな」「増田もこう思ってんのかな」と頭にちらつくことがあるかもしれない。増田とは関係のないブログ真逆意見ブログでもだ。しかもそれは、増田との関係がうまくいっていない時に頻繁になるだろう。増田との信頼関係がきっちりしていれば笑い飛ばせるようなネガティブな他人の記述も、不信が入り込む隙のある時には真実味があるように見えるときもあるだろう。

単純に言えば、増田は「陰で他人のことを話の肴にしてます、もちろんあなたのことも」と宣言したも同然なのだ。

たとえ実情が悪意のない意見交換だったとしても、だ。そして知らせてしまった事実はもう覆らない。

相手が、それを聞いてまっとうな忠告をしてくれる大人でよかったね。

2009-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20091225145513

家族や友人なら大丈夫なのだ。相手の意見に「それはちょっとどうかな?」と感じるようなことがあっても、対立を恐れず思ったことを率直に伝えることができる。ある程度お互いに信頼関係があるから。

家族はともかくとして、これからあなたの「新しい友人」になる事が出来る人はいるのだろうか。

いるとしたらそれはどんな人なのだろうか。

あなたの話からだと、新しく出会った人は、殆どが「先に欠点が目についてもうこれ以上仲良くなりたくなくなってしまう」という風に読めてしまうのだけれど。

(勿論、「何事にも例外はある」のでしょうけれど、その例外はどんな場合なのかという具体例を示していただきたいと思った次第)

2009-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20091223141728

人の話を聞くのが得意だ。少し会話をすれば、相手が今どんな言葉を欲しているのか、または他人の適当言葉など欲していないのか大抵手に取るように分かる。

いつから自分が人の話を聞くのがうまくなったのか覚えていない。学生時代まではそれほど得意だった記憶はないので、社会人になってから家族や友達ではない人と強制的に数多く接せざるを得ないうちに、保身のためにいつの間にか身についた技術のように思う。

とにかく私が「今、この人の話を聞こう」と決めれば、相手は次第にリラックスし、やがて本心を語り始める。時々「水商売の道に進めば良かったんじゃないか」と後悔することもあるが、好きでもない男の人に体を触られることを想像するだけでもゾッとするので、きっと務まらなかっただろう。

 1.人の話をおもしろがって聞く。

   ・・・笑顔で体を相手の方に軽く向ければ、それだけで「自分は今興味を持たれている」と思ってもらえます。

 2.なにか広がりそうなところがあると、そこを聞いてみる。

   ・・・自分が疑問に感じた点があれば、素直に質問してみましょう。大切なのは、質問に乗じて自分が優位に立とうとしないこと。

 3.相手がなにを話しても、攻撃的にならず、たしなめ方が上手い。

   ・・・自分には相手に説教する資格などないものと心得ましょう。

 4.自分の話もするのだけど、それはあくまで対比としてする。

   ・・・繰り返しますが、隙あらば自分が優位に立とうなどと決して考えないこと。

 5.自分の話をするときは、たいてい、一歩下がった位置でおもしろおかしい失敗譚が多い。

   ・・・他人の自慢話など誰も聞きたくないのです。そして、どうせなら笑える話の方がいいに決まってます。 

 6.相手が話したがりそうなところを見つけるのが上手い。

   ・・・ひとたび「私には何を喋っても大丈夫ですよ。あなたのことを変な人だと思ったりしませんよ」という印象を与えることに成功すれば、後は向こうが勝手に喋ってくれます。

 7.話し手を全肯定する。

   ・・・自分には相手を批判する資格などないものと心得ましょう。

 8.ちょっとぐらい矛盾があってもつっこまない。

   ・・・人間だもの

 9.相手の話を否定しない。

   ・・・否定されると、話の勢いが弱まるものです。

基本的に人間は「自分が主人公でありたい」と願っているものなので、相手に思う存分喋ってもらってそれを「うん、うん」とニコニコしながら聞いてあげれば、もうそれだけで十分なのだ。しかし、ただのイエスマンとなってしまっては勘の良い人には「もしかしてバカにされてる?」と受け取られることがあるので、疑問点があれば相手のリズムを損ねないよう気をつけつつ軽い質問をしてもいいと思う。とにかく自分のことを相手に知ってもらおうなどとはゆめゆめ考えずに、「あなたのことを知りたい!もっとあなたの話を聞かせて!」という姿勢が大切。

相槌も笑顔でふんふんという軽いものから、相手の意外な事実などにはさっと真面目な顔をして「・・・えっ?!本当ですか?そんな風に見えない!」と絶句してみる等、強弱のバリエーションが付けられればさらに良い。

初対面でこの先会う機会がない相手なら、こんな調子で真剣な相槌を打っていれば気持ちのよいひとときを共有することができる。一期一会精神だ。

問題は中途半端な知り合いや職場の同僚等、それほど親しくない相手と繰り返し会わなければならない場合。

初めて会った時の経験から、私と話をすればひとまず肯定してもらえる、楽しい会話ができると信じる相手は、そのうちいろいろな相談事を持ちかけてくるようになる。プライベートなことまで話してくる。そして残念なことに、私的な話を聞いた後、さらに相手に興味が膨らむことなど稀なのだ。上から目線で全く失礼な話だが、話を聞けば聞くほど相手の欠点が目に付くと同時に、今後お付き合いを続けることで巻き込まれることになりそうなトラブルが大体想像できてしまう。よって、「この人とこれ以上は親しくなりたくないな」と興味を失うことが常。

しかし、今後もお付き合いしなければならない相手に対して、「それは自業自得では?」「あなたの話にはもううんざりだ」などとは口が裂けても言えない。「ああ、そうなんですか。でも、私も同じことやってしまうかも」などと適当な事を言って、さらに同調してみせる。

そんなわけで益々他人に好かれる。特に、自分ばかり話していることに全く気がつかないタイプの人に好かれる。私が相手に持つ興味よりも大きな興味を寄せられる。やたら集まりに呼ばれたり、家に遊びに来たがられたりする。私は家で一人でゆっくりするのが好きなのに!厚かましい男性だと段々近くに寄ってきて、体に触ろうと試みる人すらいる。触ってくるなよ!

人の話を真剣に聞くには集中力が必要だ。一旦相手に興味を失うとこれが続かなくなり、気が散り始める。相手を気分良くさせる相槌を打つことばかり気を回している自分が、自分でないような気がしてくる。こんな自分は誠実でも優しいわけでも何でもなくて、ただの八方美人ではないか。嘘で関係を築いているだけではないのか。自己嫌悪

家族や友人なら大丈夫なのだ。相手の意見に「それはちょっとどうかな?」と感じるようなことがあっても、対立を恐れず思ったことを率直に伝えることができる。ある程度お互いに信頼関係があるから。しかし、それほど愛情を感じていない相手に、どうして関係を壊すリスクを犯してまで本心など伝えられよう。そうこうしているうちに、心の中で感じていることと実際に伝える言葉とのギャップはどんどん広がっていくばかり。疲れる・・・。

最近は人と会うのが億劫で仕方がない。自分の相槌に相手がうれしそうにする様を見るのは、もううんざりだ。

2009-12-20

ビジネス・生活-1

日本でしか生きていけないと将来破滅するリスクがあるので、世界中どこでも生きていける戦略のご紹介

あなたは、日本依存症にかかっていませんか?

日本依存症とは、日本でしか仕事を得られず、

日本でしか生活ができなくなる、危険病気です。

日本依存症は、国家依存症の一種であり、会社依存症とよく似ています。

会社依存症の恐ろしさとその回避策

会社依存症とは、ある特定の会社でしか通用しないスキルばかり蓄積して、他の会社では通用しない人材になってしまう病気です。

会社依存症にかかると、その会社経営が悪化して、どんどん待遇が悪くなり、給料を下げられ、「このままここにいても、少しもいいことがないまま年を取っていくだけ」という状況になっても、ひたすらその会社にしがみつくしかなくなります。

また、会社の都合で延々とつまらない仕事をさせられたり、いまいち納得のいかない降格や減給をされても、なかなか拒否しにくくなります。

上司や同僚と相性が合わず、人間関係がこじれてギスギスした雰囲気になり、毎日会社へ行くのが憂鬱になっても、そこに居続けるしかありません。

なぜなら、その会社を辞めると、ほかに行くところがなくなり、路頭に迷ってしまうからです。

このため、このことがよく分かっているエンジニアなどは、その会社の独自製品や独自環境でしか通用しないスキルしかたまらないような仕事をできるだけ避けるようにします。

そして、「広く普及しており、かつ中長期的に需要があり、供給が不足ぎみで、かつ陳腐化しにくいスキル」を戦略的に蓄積します。

たとえば、以下のようなものが考えられます。

・要求分析、要求仕様定義システムアーキテクチャ設計RDBスキーマ設計サーバの負荷分散設計、各種サーバパフォーマンス解析・チューニングデザインパターンマルチスレッドプログラミングシステム管理ネットワーク管理

マネージメントプロデューサ・デザイナ・経営者・営業・顧客との交渉スキルや連係プレースキル

普遍性の高いコンピュータサイエンスの基礎

UnixRDB正規表現JavaPerlTCP/IP.NETC#

日本にはたくさんの会社があり、それぞれが浮き沈みを繰り返しています。

いまいる会社が今後もずっと浮いたままだという保証はありません。

一つの会社依存しきると、その会社が沈むとき自分まで一緒に沈んでしまい、酷い目に会います。

いまいる会社が沈みそうになったら早めに別の会社へ移れるように準備しておくべきではないでしょうか。

国家依存する危険

国家に対しても同じことが言えます。

政府は全ての国民幸せにするような政策を実行するべきですが、必ずそれに成功するとは限りません。

ときに間違った政策を行い、多くの犠牲者を出すこともあります。しかも、その犠牲者を救済するための政策が実行されないこともあります。

もっと最悪なことに、間違った政策で、国全体が沈んでしまうようなことすらあります。

もちろん、そうならないように、われわれは選挙で正しい政策を実行してくれる政治家投票すべきですが、常に正しい政策を実行してくれる政治家自分選挙区から立候補してくれるとは限らず、自分以外の人々が常に正しい政策を実行してくれる政治家投票してくれるとも限らないというのが、世の中の現実です。

だから、どんなに自分が正しい政治行動を取っていても、おかしな政策が実行され、自分の将来が危うくなるリスクは常に存在します。

たとえば、金持ちばかりが得をし、平均的な労働者搾取される最悪の格差社会になってしまうかもしれません。

あるいは逆に、今後スキルアップし、キャリアアップし、実力を身につけて高い年収をゲットしようと思っているのに、高額所得者所得税が大増税されて、酷い搾取に苦しむようになるかも知れません。

あるいは、少子化対策で、実質的独身税をかけられたのと同じような状態になり、結婚するつもりも子供を作るつもりもない人たちの生活の質がかなり落ちるかも知れません。

あるいは、国の医療システムが疲弊しまくって、まともな医療サービスを受けられなくなるかも知れません。あるいは、まともな治療を受けようとしたら、恐ろしく高い料金を徴収されるようになってしまうかもしれません。

あるいは、地方格差を埋めるため、都市部の住民を徹底的に搾取し、地方にじゃんじゃんばらまくような政治が行われるかもしれません。そうすると、田舎に住む人間の暮らしはよくなるかもしれませんが、今後も都市に住み続けるつもりの人間の暮らしの質が大きく低下するかも知れません。

あるいは、非正規雇用を減らし正社員を増やすという名目で、おかしな規制がかけられ、予期せぬ副作用が出て逆に多くの人が職を失うことになるかも知れません。余波で、自分まで失職するかもしれません。残された正社員自分に酷いしわ寄せが来るかも知れません。

労働者保護消費者保護という名目で、過剰に企業の手足を縛るような規制がかけられて、企業の活動が阻害されて経済が悪化したり、企業がどんどん日本から逃げ出すかも知れません。雇用が減り、治安が悪化し、日本が住みにくい国になるかも知れません。

要するに、投資において、全ての資産を一点がけするのが危険投資戦略であるように、自分の生活基盤となる国家を一カ所だけに限定してしまうのも、極めて危険な賭なのです。

今までは日本世界一豊かな国だったので、

この国にずっと住み続けるのが一番賢い戦略でした。

しかし状況は変わりました。

いまや日本よりも豊かな国や都市がどんどん生まれつつあります。

日本などよりも、はるかに先行きの明るい国や都市がたくさんあります。

本来、この惑星には、たくさんの国家があり、それぞれ浮き沈みを繰り返しています。

いまいる国家が、今後もずっと浮いたままだという保証はありません。

一つの国家依存しすぎると、その国家が沈んでいくとき、酷い目に会います。

いまいる国家が沈みそうになったら、早めに別の国家に移れるように、準備しておくべきではないでしょうか。*1

国家依存症愛国心は別の話

こういうことを言うと、「おまえに愛国心はないのか?」と言い出す人間が時々いますが、依存症愛国心とは別の話です。

これは、結婚において、夫を愛していることと、夫に依存することが異なるのと同じことです。

経済的にも精神的にも自立していることと、夫を愛することは両立します。

夫婦仲は冷め切っていて、夫の暴力に怯えながら暮らしているにもかかわらず、夫に経済的に依存しているためにガマンし続けているような状態は、とても健全だとは言えません。

むしろ、特定の国にまったく依存していないにもかかわらず、その国を愛し、その国に貢献することこそ、純粋に打算抜きの愛国的な行為なのではないでしょうか。

そもそも、「いろんな異性とつきあってみて、そのなかから最高のパートナーを見つけ出して結婚する」というのは、少しもおかしなことではありません。

「1人の異性しか知らず、最初につきあった異性と一生添い遂げなければならない」というのはいかにも古めかしい道徳観念です。これは国家についても同じことです。たまたま日本に生まれたからと言って、日本と一生添い遂げなければならないということはありません。

むしろ、さまざまな国に住んでみて、そのなかから、自分にいちばんあった国に落ち着き、添い遂げる、という人生も十分にありなのではないでしょうか。

日本以外にも快適に暮らせる国や都市はたくさんある

日本以外で暮らしたことのない人々の中には、日本だけが世界で唯一暮らしやすい場所で、日本以外には暮らしやすい場所などないと信じて疑わない人もときどきいるようですが、そんなことは決してありません。

むしろ、日本よりもはるかに、晴天の日が多く、気候が温暖で、からっとさわやかで、毎日気持ちよく暮らせる国や地域がたくさんあります。

食べ物も美味しく、人々も気持ちよく、街の各種施設も充実しており、遊び場所もたくさんある快適な都市世界中にたくさんあります。

どんなところでも、けっこう住めば都なのです。

また、日本以外の国は治安が悪くて暮らしにくいという偏見を持っている人もいますが、どんな国でも、きちんとした安全対策を講じ、危険地域に近寄らないようにすれば、それなりに安全に快適にくらせるものです。

それに、どうせネット環境さえあれば、世界中どこでも、twittertumblrmixiで遊べるし、ブログコメント欄クネクネすることもできるし、2ちゃんでだらだら過ごすことも出来るし、エロ画像ダウンロードすることもできるし、はてブ脊髄反射的なコメントを付けることもできるし、はてなスターを連打しまくって顰蹙をかうこともできるのです。

「わたしは(この国に生まれたというより)この惑星に生まれたのだ」という感覚を持ちながら生きるというのは、広々とした感じがして、なかなか気持ちの良いものです。

せっかくこの美しい惑星に生まれたのに、日本という小さな小さな島国に引きこもったまま一生を終えるのは、じつにもったいないことではないかと思えてきます。

依存症からの脱出は難しい

ギャンブル依存症アルコール依存症買い物依存症恋愛依存症セックス依存症、たいていの○○依存症は、そこから抜け出すのに苦労するように、日本依存症も、一度それにかかると、そこから抜け出すのにかなり苦労します。

簡単に日本依存症を抜け出す方法などありません。

また、タバコ依存症から抜け出すために、さまざまな方法があるように、日本依存症から抜け出すにも、さまざまな方法があります。

資産運用、または、プチ資産運用による脱日本依存

日本依存症から抜け出す一番効果的な方法は、実は、英語力をアップすることではなく、日本の外でも安定した収入源を得られるようにすることです。(もちろん、最低限の英語力は必要ですが)

特定の国家依存しない収入源を確保するわけです。

これに一番効果的なのが、資産運用で暮らせるようにすることです。

利回りのよい債権株式自分資産分散投資し、運用することは、どこの国に居住していてもできます。

日本国債株式資産運用していたとしても、日本に住んでいなければ運用できないということはありません。世界中どこに住んでいても、日本国債株式資産運用することは可能です。

それどころか、そもそも、日本国債日本株式資産運用しなければならないということはありません。

むしろ、全資産を円ベースに一点がけしてしまうと、今後円安が進んだときに、自分資産が大きく目減りしてしまうというリスクを抱え込むことになります。

資産は、全世界分散投資しておいた方が安全だし、世界全体の経済は、多少の波はあるものの、中長期的にはつねに成長し続けているので、正しくポートフォリオを組んで、世界中分散投資しておけば、それほどひどいことにはなりません。

だから、いったん資産運用で暮らせるだけの資産を蓄積してしまえば、日本依存症からの脱却はかなり容易になります。

ここで、「日本キャピタルゲイン課税の大増税を行ったら、資産運用では暮らしていけなくなるのではないか?」という疑問がわく人もいるでしょうが、そうでもありません。

まず、税金の徴収には、属人主義と属地主義の二つの方式があります。

属人主義とは、その人間国籍のある国に税金を納めること。

属地主義とは、その人間が居住している国に税金を納めること。

日本属地主義なので、自分が居住している国や地域税金を納めることになっています。

このため、日本キャピタルゲイン課税の大増税が行われたとしても、海外で暮らしている限り、影響を被ることはありません。*2

現在、属人主義を採用しているのは、アメリカフィリピンぐらいなもので、極めて例外的なケースです。

ですから、今後日本が属人主義に変更するリスクは、とても低いと思われます。

また、万一、日本が属人主義に切り換えたとしても、ある程度の資産を持つ人間国籍を与えてくれる国は、けっこうあります。

日本が属人主義に切り換え、さらにきわめて重いキャピタルゲイン課税をかけてきたら、単に国籍を切り換えればいいことです。

ただ、問題は、資産運用で暮らせるようになるほどの資産を蓄積することが難しい、ということです。

そのため、当面は、収入の全てを資産運用だけで稼ぎ出すのではなく、収入の一部だけでも資産運用で稼ぎ出すような状態を目指してみてはどうでしょうか。

資産運用というより、プチ資産運用です。

そうすると、日本がヤバくなったので、脱出して海外で職を得たのはいいが、最初のうちはまだ英語にも不慣れで、十分な収入を得られないというようなケースでも対応できます。

世界標準のITスキルによる脱日本依存

たとえば、前述のUnixWebRDBJavaPerl.NETC#など、世界中に普及している技術の場合、そのスキルを身につけることで、日本依存から抜け出すことができます。

また、これらに関連する要求仕様定義オブジェクト設計技術デザインパターンを適切に使いこなしたクラス設計プロジェクトマネージメントスケジュール管理なども、特定の国家依存しないスキルです。

これらのスキルを身につけたITエンジニアは、さまざまな国で職を得ることが出来ます。

実際、ボクの知り合いでも海外で働いているプログラマーがいます。

むしろ、日本よりも快適に働いているようです。

もちろん、これらの技術は、会社依存症から脱却するための技術としても有効で、きわめて安全性の高い技術だと言えます。

これらの標準的なITスキルは、このように、会社国家を超越して有効ですが、それ以上に驚きなのは、かなりの長い時間をも超越する力を持っているということです。

たとえば、unixの基本アーキテクチャはボクが知っているだけでも十数年、ほとんど変わってません。マルチスレッドプログラミングデザインパターンも十数年前に身につけたスキルは、かなりの部分、いまでもそのまま役に立ちます。はるか昔に覚えた、クロージャ再帰を使ったさまざまなプログラミングテクニックも、RDBスキーマ設計スキルも、ほとんどが、いまだに現役です。

TCPUDPIPHTTPSMTPPOPなどのプロトコル類もいまだに基本はほとんど変わりません。新しく登場した.NETC#にしても、過去にマスターしたスキルにほんのちょっと上積みしたぐらいのわずかな薄皮でしかなく、いままで蓄積した基本スキルはそのまま通用します。Haskellのような関数型言語ですら、似たようなコンセプトのプログラミングアーキテクチャは昔からあり、十数年前にマスターした技術の延長線上でなんなくマスターできます。

このように、長期的に安定した技術スキルを選んで身につけるようにすれば、会社国家時間を超えて、安定した収入源を確保できるのです。

ただ、注意しなければならないのは人材の需給バランスです。とくに、インドや旧共産圏からのプログラマの大量供給は要注意です。

一方で、ヨーロッパBRICsVISTAなど、世界中で急速に経済が発達しており、ITエンジニア需要が今後も全世界的に巨大化し続けるのは確実です。

ここでのポイントは、下級エンジニアや中級エンジニアは、需要はそれほど拡大しそうにないのに、供給は膨大になると思われるので、リスクが大きいということです。

つまり、下級エンジニアや中級エンジニアの場合、海外に行くと、日本にいたとき以上に悲惨になる可能性があります。安易に日本から出て行くべきではないでしょう。

一方で、上級エンジニア技術分野にもよりますが、今後、世界中で爆発的に需要が拡大することが見込まれていますが、供給が不足する可能性は十分に考えられます。

従って、自分が今後上級エンジニアになる可能性があると考えている人たちは、この戦略に沿って日本依存症から脱却しておいたほうが良い可能性が高いです。

あと、もう一つ考慮すべき点は、上級エンジニアになるような人は生産性が高いため、今後、高額所得者になる可能性があるということです。

現在日本では、格差是正の機運が大きく盛り上がっています。

今後、この機運の盛り上がりに押されて、高額所得者を狙い打ちする形で大増税が行われ、酷い搾取の対象にされるリスクもあります。

このリスクに対する保険という意味でも、早めに日本依存症治療し、いつでも仕事と生活の場を海外に移せるようにしておいた方が安全かもしれません。

●スモールビジネスによる脱日本依存

日本人海外で暮らしてみると、さまざまな小さなニッチビジネスのチャンスに気がつくことがあります。

たとえば、日本にはあって当たり前なのに、その国にはない商品やサービス

それは、日本のやり方を現地方式にアレンジすれば、それなりに繁盛する商売ができるかもしれません。

あるいは逆に、その国のおもしろい商品やサービスで、アレンジすれば日本でもウケそうなもの。

もしくは、現地の安い人件費を利用して、何かを作らせ、日本に持ち込むというパターンもあるでしょう。

実際、ネパールに小さな工場をもっていて、そこで自分デザインした服を作らせ、日本に輸入して販売しているという女性に会ったことがあります。

こういうビジネスネタをみつけたとき、スモールビジネスを興すスキルを持っていると、そのチャンスを活かして、その国で商売をはじめることができたりします。

とくに、最近急速に豊かになったアジアの国々では、日本がかなりブランドになっています。

とくに富裕層は、日本のさまざまな質の高い品々やサービスを求め、日本の産物に信仰のようなものを抱いています。

これをうまく利用することで、いろいろなニッチビジネスを作り出すことができるかもしれません。

スモールビジネススキルとは、小さな会社向けのマーケティングマネージメント、経理などのスキルです。

たとえば、どんな小さなビジネスでも、どんな商品を、どんな顧客に売るのか、そのために、商品にはどのような魅力がなければならないのか、顧客は、どういう理由でその商品にお金を払うのか、どのようにして利益が出る構造になっているのか、などのビジネスモデルを組み立てなければなりません。

そして、いざ、ビジネスプランが出来たら、場合によっては人を雇い、契約を結び、信頼関係を作り上げ、法律に則って取引しなければなりません。関係者全員が気分良く仕事できるように、win-win構造を作り出す必要があります。

また、さまざまな法律を調べ、その法律に則ってビジネスを運営する必要があります。

さらに、会社を設立し、会計ソフトで帳簿を付け、経理と資金の管理をする必要があります。

また、予算計画を立て、融資なり出資なりで資金を調達する必要もあります。

こういう小さなビジネスを最小限の規模ではじめてみて、いざ、顧客の反応が上々だったら、しだいに規模を拡大していけばいいのです。

思ったより反応が悪ければ、早期に撤退するか、あるいは、やり方を変えて再度トライしてみたりすればいいでしょう。

そして、スモールビジネス醍醐味は、たまたま大ヒットしたときのうまみです。

日本サラリーマンの頂点とも言える、上場企業社長年収でも、たかだか4000万円にしかなりません。

これに比べ、スモールビジネスをヒットさせた場合、実質的年収1億円を優に越えてしまうということは、それほど珍しくないのです。

実際、ぼくの知り合いにもそういう人がいます。

「たかが自営業」とばかにできるようなもんでもないのです。

自営業は、あたると凄いんです。

●共通して必要な日本脱出アイテム

どのようなモデル日本依存を脱却するのであれ、共通して必要な Permalink | 記事への反応(0) | 22:10

2009-12-14

http://mainichi.jp/life/money/kabu/eco/tohonseiso/news/20091212org00m020005000c.html

鳩山政権は緩やかな崩落過程に 統治能力が疑われる普天間問題(1/2ページ)

 ◇古賀攻(こが・こう=毎日新聞政治編集委員

 国民に「格差の是正」を訴えてきた「友愛」の騎士が、実母からの湯水のごとき資金提供に「驚いている」と他人事のようにのたまうのは笑止千万、滑稽そのものだ。

 華麗なる閨閥がもたらした巨万の富に支えられながら、カネの出所に無頓着でいられる人物の存在を、格差と呼ばずして何と呼ぶのか。

 世間には「汚いカネに手を出したわけではないから」との同情論もある。しかし、国民政党に年間300億円超もの税金政党交付金)を出しているのは、政治資金の透明化と引き換えであったことを忘れてはならない。カネの清濁にかかわらず、政治資金規正法精神を理解できないのなら民主党は即刻、交付金を国庫に返納すべきである。

 ◇オバマにすれば「鳩山が嘘をついた」

 100日間のハネムーン期限を待たずして空気は一変した。鳩山由紀夫政権は、国民官僚叩きの快感を味わわせた「事業仕分け劇場」の終了(11月末)をもって、緩やかな崩落過程に入ったと見るべきだろう。

 政治資金スキャンダルだけではない。景気の2番底が迫るなかでの予算編成や、2010年1月からの通常国会を通じて、政権へのストレスは格段に高まる。その圧迫に耐え得るだけの知力も体力も決定的に不足していると思われるからだ。

 とりわけ鳩山政権の統治能力不足を見せつけたのが、沖縄県宜野湾市の中心部を占拠する米軍普天間飛行場の移設案件だった。

 鳩山首相は「時間をかければかけるほど解決が難しくなる」と自ら表明しておきながら、党首選を目前に控えた福島瑞穂社民党党首が「重大な決意」を振りかざすと、慌てふためいて「越年決着」へと舵を切った。そして今さらのように「名護市辺野古以外の候補地はないのか」と、岡田克也外相や北沢俊美防衛相に対案の検討を指示したのである。

 社民党参院にわずか5議席しかない少数党だ。しかし、この5議席なくして民主党参院で過半数を確保できない。同じく参院議席国民新党も発言権確保を狙って社民党同調したため、首相は連立維持を最優先して米国を裏切った。

 調整に翻弄された外務官僚が事態の深刻さをこう解説する。

オバマ大統領にすれば『鳩山が嘘をついた』ということになる。首相は『私を信用してほしい』と伝えたのだから、大統領との阿吽の呼吸を破ったのは確かだ。米国は表立って厳しいことは言わないだろうが、首脳同士の信頼関係はなくなった。これから日本外交の多方面に影響が出てくるのは避けられない」

 社民党の党首選がこの時期に予定され、党内の沖縄県選出議員から突き上げが強まるのは初めから分かっていたことだ。しかも、鳩山首相は12月上旬辺野古への移設方針を正式に表明しようとしていたとの有力情報もある。ならば、綿密な根回しに動くのがプロというものだ。

 ところが、結果として判明したのは平野博文官房長官をはじめ首相周辺の誰1人として汚れ役を担い、必要な合意形成に努める「アヒルの水かき」をやっていなかったという事実だ。小沢一郎民主党幹事長も、突き放したように静観を決め込んだ。

毎日新聞からも正論吐かれて見放され始めてやんの…。

2009-12-09

普天間問題を契機に連立組み換え(社民切り・公明取込)してはどうか?

普天間問題は連立政権の時限爆弾と化してしまった。

このままでは、社民党との連立を優先させて、

米軍との信頼関係をご破算にしかねない。

となると、唯一の解は「連立解消」だが、

そうなると参院少数与党になる。

ここで提案だが、社民党を連立から追い出す代わりに、

公明党と連立協議を行なってはどうか?

ネタ政党まっしぐら自民党@存在感ゼロは無視する)

本来、公明党は基本スタンス民主党に近いハズだが、

単に「与党になりたい」ために今までは自民にくっついていたに過ぎない。

民主党公明党で連立を成立させ、社民党ついでに国民新党を追い出せば、

国政運営はずいぶんスムーズになる。

2009-12-08

ライバルを蹴落とすための勉強に励み、 医学部入学後ひきこもり

中学生のころから、親や教師、同世代の人間とは、偏差値単位媒介とした感情のない利害関係しか結んできませんでした。偏差値を上げ、実力試験模試などで高順位をたたき出すことによってのみ、親に自分の存在が認められると感じていました。教師や同世代の人間に対しても同様に感じており、高校生になり大学受験意識してくるようになると、学校に行っても勉強以外のことで話すことはほとんどありませんでした。次第に昼間食堂で彼らと一緒に昼を食べることが鬱陶しくなってきて、その時間図書館で寝ていました。放課後も急かされるように家に帰り、夜の塾に備えていました。勉強で誰かに頼ったり、お互いに励まし合ったりしたことはありませんでした。

その一方で、他人との争いを前提とし、ライバルを蹴落とすための能力を鍛練するしかない日々に脅えきっていました。一度負けたらもう駄目だというような精神的な圧迫を、絶えず胸に抱いていました。誰にも自分の本音を語ることができず、親や教師などの大人が求めていることをロボットのように忠実に行ってきました。学校に通いひたすら暗記を繰り返し、偏差値を上げていくことを感情を殺しこなしてきました。

やがて医学部合格しました。将来医師になって人を救いたいという夢があったわけではなく、偏差値が高い大学しか志望することができなかったのが実状でした。親や教師から直接偏差値が高い大学に入るようにと迫られたことはないのですが、当時は彼らが存在するだけで強いプレッシャーになり、東大京大、国公立医学部しか志望してはいけないと迫られていると感じていました。

受験戦争が終わり大学に入ると、偏差値というこれまで自分の存在を示す唯一の手段が失われてしまいました。大学の授業以外の時間は、特に同世代の人間と遊ぶといったことはなく、塾のチューター家庭教師バイトをしたり、運動をすることが好きだったので、ジムに通い筋トレ水泳などをして体を鍛えていました。勉強に対する意欲はなく、単位を取るだけのための底の浅い学習で、試験が終わると頭から抜け落ちて役には立たない代物でした。

この世界のなかで、自分にとってお互いに心情を理解し合えるような人間はおらず、社会に出て苦しいことが起きても、誰にも相談できず、全てたった一人で乗り越えていかなくてはならないという現実に気付き、強い危機感が絶えずおそってくるようになりました。このような自分の状態では、必ずどこかで心が破綻してしまうという確信があり、どうにかして心を開いて接することができる人間と巡り合いたいと切実に求めていましたが、それはかないませんでした。大学も4年生になり後2年で卒業して、医師として非常に責任の重い社会生活をこれからずっとたった1人で送っていかなくてはならないことを考えると、心が沈む一方でした。私は大学を休学しました。

2000年以降、ひきこもりの実態をマスコミを通して知るようになり、自分主体性のない生き方について改めて見直してみようと考えるようになりました。ひきこもりの実態を知るまでは、自分がどのような状況にいるのか自分自身が良くわかってはいなかったのですが、さまざまな情報に触れるようになり、自分自身の状況を客観的に見ることができるようになりました。やがて、これまでの反省から、今後何を信条として生きていくのかという問題に取り組んでいかなくてはならないと考えるようになってきました。

主体性をもって生きていくためには、これまでの親子関係を根本から改善していかなくてはなりませんでした。思春期以降、親との間に自分喜怒哀楽入り交じった感情を含んだ遣り取りが全くなく、ただ感情を取り繕い、迎合していただけだったというのが実状で、その実状を自分自身で認めたときには、これまでの人生は何だったのかと愕然としました。

私はもうこれ以上、こういった親との「上辺だけの良い関係」を維持していくことに意義を感じなくなり、親に対して自分の素直な感情をぶつけるようになりました。なかなかものごとが上手く進まない焦燥からくる苛立ちが強いときなどは、私は親を激しく責め、自分の虚勢からくる脅しを、絶えず親に与えていた面もあったのではないかと思います。「上辺だけの良い家族」の演じ合いを避けようとするため、感情剥き出しの「本音」のぶつけ合いだけの関係になってしまっていたというのが事実だと思います。親も私の「本音」に、率直に親自身の「本音」で対応していたと思うのですが、そういった関係からは前向きになれるものは生まれてはきませんでした。

当時は、親子だけで問題の解決に向けて模索することに息詰まっており、局面を打開するため、ある精神科医のもとに相談に行きました。それまでも、何かしなくてはという焦燥感から地元精神科医に診てもらうことはあったのですが、定期的に診察を受ける度に苛立ち、心の状態は悪くなる一方でした。しかし、その精神科医には好感を持つことができました。

その方は、13年前に不登校ひきこもりで苦しむ青少年たちのための高等学校を私財をなげうって作られた方です。何度か会ってお話しをしていると、自然と目に涙が溜まるようになってきました。これまでの精神科医との遣り取りのなかでこのようなことが起きたことはなく、医師に裸のままの自分の存在を温かく受けていれていただけることに感謝するという心の動きが、まだ自分の中にあったのかと驚きました。先生は、温かく私の言葉を聞いてくださり、先生御自身の体験談も話されました。表現することが難しいのですが、不登校ひきこもり問題に関して具体的な対策を模索してこられた方が発する雰囲気が私を温かく包み、心を解きほぐしていったのではないかと思います。今思い返してみて、正直に言って治療を受けたという実感はありません。自分の感じていることや考えていることを先生に向かってぶつけていき、それに対して先生が黙って肯いている、そんな感じでしょうか。「人間の心は決して理論理屈だけでは動かない」、この先生の御言葉が私の心に今でも響いています。

何回目かの診察のときに、先生は私の目の前で親を叱りました。私が学校に通っている期間、偏差値に翻弄され私と真正面から向き合わず、私の心が凍りつきロボットのようになっていることに気付かなかったことに対し、「あなたたちはこの子をどういうふうに育ててきたのか・・・深く反省しなさい」と言われたのです。その叱り方は、突き放して終わりというものではなく、温かみがあるものでした。先生言葉を聞き、肩を落としうなだれ、涙を流している親の姿を見て、私は改めてこの親と一から関係を作り直していきたいという、将来への希望が湧いてきました。これまで社会的に立派な仕事をしてきている親は、こういった形で面と向かって叱られるという行為を受けたことがなかったと思います。親が納得するだけのことをされている先生だからこそ、親は社会的体裁をかなぐり捨てて、反省という態度を子供の前で赤裸々に現したのだと考えています。

改めて親との関係を作り直して行くにはどうしたらいいか考え、親と山陰北海道などに一緒に温泉旅行をしたり、ひきこもりの会のフリースペースに通ったり、酪農実習(山地酪農)に参加したりしました。今考えてみると、どの経験自分の成長にとってかけがえのないものであったと理解できるのですが、取り組みを行っていた当時は、長期間続くことがなく、「失敗」したとしか思うことができなかったというのが正直な気持ちです。

こうした「失敗」した活動のなかから、大きな収穫もありました。それは、自分がこれまで経験してこなかったことに対する心の動きであり、それがやがて私自身の価値観発見につながり、そして自分と親の価値観の相違の気付きに発展していきました。私の家族の場合、親は人口100万人の街に暮らすことを好み、私は人口4000人の田舎に暮らすことを好みます。自然に対する捉え方においては、親はレクリエーションとしての自然を好み、私は朝から夕方までの労働基調にした自然を好みます。このように親子で大きな価値観の違いがある場合は、お互いにその価値観を尊重していくことは欠かせません。親は子供自分価値観押し付けるべきではなく、子供自分価値観に親を無理矢理引っ張り込むべきではないと考えています。

さらに、自分もまた社会価値観に囚われていることにも気付くようになってきました。周りからいくら「他人を気にせずゆっくりやっていけば良い」などと言われても、自分自身が「人は20代前半で社会に出ていくもの」という一般的な価値観から抜け出すことができず、心は解放されるどころか一層苦しくなっていったのです。

親も先生との出会い以降、急激に変わっていきました。先生の行っているひきこもりの会の運営やチャータースクール開設への模索などの取り組みに対し、積極的に精神的・経済的な支援を行うようになりました。距離的な問題があり、親も私もその現地で会のメンバーと共に活動することはできないのですが、それにも関わらず、親ができうる範囲でメンバー飲食店経営や、毎週行われているイベント活動を心から支援している姿は、私と先生だけでなく、親も私の抱える問題を共有していることの証となりました。そのうえで、私のありのままの存在を受け入れてくれるようになり、私が次々に挑戦することに対し、時間を割いて行動を共にする、あるいは必要な費用を黙って用意してくれるといった形で協力しながら、温かく見守ってくれるようになってきました。

現在は、「自然(山)のなかでのモノ作り(労働実習を含む)」活動を1年続けています。7年前に山を切り開き、モノ作りにも精通されておられる教職員の方のもとで、実践勉強をしています。

山に入って暮らすようになると、次第に自分でもわかるような変化が起こってきました。朝起きて夕方まで草刈りなど山で働き、夜に陶芸などのモノ作りをするという生活では、自分が行ったことが形としてしっかりと現れます。草刈りをすればその部分が綺麗になり、陶芸をすれば作品ができあがります。山が綺麗になれば心は充実し、陶芸作品が上手くできれば心は沸き立ちます。どれも単純な作業なのですが、単純だからこそ人の心に響くものがあるのではないかと考えています。テレビパソコンなどの情報機器エアコンなどの、暮らしを快適にする電化製品がない山の生活のなかで、四季折々の変化に直接肌に触れて自然を体で感じることで、町の生活では感じることができなかった「生きている」という実感を持つようにもなってきました。

私はこの「生きている」という実感を持つようになってから急速に心が解放されてきました。私の場合は、山のなかでのモノ作り活動に、「生きている」という実感を得るためのキーポイントが隠されていました。

私が心のひきこもりから抜け出せなかった理由として忘れることができないのは、自分自身に勇気がなかったということです。どこか心のなかに、「誰かが助けてくれる」といったものや「失敗するのが恐い」などというものがありました。今振り返ってみると、そういった思いが、自分が行動して新しい道を切り開いていくという選択をすることを拒み、ズルズルとひきこもりから抜け出せない期間を延ばしていっていたのではないかと思います。私自身が何もできなくても、親が「ただ生きているだけでよい」と無条件に認めてくれている、そしてそれを心から信じることができる真の親子関係が構築されるとき、もう何も恐れるものはないでしょう。その思いを胸に、これからは自分の考えに従い、活動していこうと思います。

また、今の私には大学に帰り、自分経験を活かし将来精神科医として働いていきたいという夢があります。お世話になっている精神科医や、山のなかでのモノ作りを教えてくださっている教職員の方の真摯な生き方に触れた経験から、肩書きや高度な知識だけに頼るのではなく、裸の人間として患者に接しながら、深い信頼関係を構築できるような医師になりたいと考えています。そして、それは並大抵の努力ではできないことだとも感じていますが、夢の実現に向けて、日々歩んでいきたいと思っています。

2009-12-06

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091206-OYT1T00394.htm

普天間、頓挫なら決着15年後にも…米NSC元部長

マイケル・グリーン

 沖縄米軍普天間飛行場移設問題について、来日中のマイケル・グリーン米国安全保障会議(NSC)アジア上級部長に聞いた。

       ◇

 日米が2006年に合意した沖縄県名護市への移設計画を日本政府が進めない場合、普天間返還を含む米軍再編計画全体が頓挫する恐れがある。理由は二つ。

 一つは、再編のもう一つの目玉である沖縄海兵隊8000人のグアム移転が止まる。米議会が関連予算承認しないからだ。議会は、現行計画以外の「県外移設」や「米軍嘉手納基地統合」案は、部隊運用面で不安がある、と明言している。

 二つ目沖縄地元選挙だ。移設の結論を先送りすればするほど、来年1月の名護市長選、秋の県知事選で争点化され、決着しなくなる。

 一回頓挫すれば次に決着のメドが立つのは、これまでと同じ期間、10~15年かかる。政府間で正式署名した課題の履行を一方が拒んだ場合、信頼関係は完全に崩れる。再構築は簡単ではない。米議会にも、沖縄にも不信感が残るだろう。

 日米関係は今、ベトナム反戦運動時代の1960年代末、そして95年の沖縄海兵隊員らによる少女暴行事件後の一時期に次ぐ悪い状態だ。ただ、違いがある。95年には世論が反発する一方で、日米は忍耐強く沈静化に協力した。今回は鳩山政権に対する日本国世論はそう厳しくないが、首脳同士を含む両国関係にヒビが入っている。深刻だ。

 鳩山政権に対する助言はまず、社民党との連立を解消するべきだということだ。次に、政権公約マニフェスト)に固執しすぎない方がいい。オバマ政権も発足後、多くの公約を再検討し、現実的に修正し、次々と打ち出した。

 来夏の参院選後まで結論を先延ばしした場合、時間の浪費と沖縄県民苦痛をどう償うのか。米国いつまでも待ってはいない。今の衆院議員任期いっぱいまで民主党政権が続き、4年間物事が動かないなら、米国はサジを投げるだろう。重要政策は中国と相談する、という事態も予想される。オバマ政権にとって今、日本問題はアジア政策の重大懸念事項だ。そうであるうちに、鳩山政権はきちんとした政権担当能力を示すべきだ。(聞き手・飯塚恵子)

2009年12月6日11時44分 読売新聞

民主外交ブレーンっているの?

いるとしたら、そいつの偏執的なアメリカ嫌いが根本的な原因にあるような気がする。

2009-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20091118123307

彼氏とのセックスがどんだけ気持ちよくても「彼氏とのセックスが気持ちいいから他の男ともセックスしてみたい」って女も少ないと思うよ。

そんだけ気持ちよいセックスができる信頼関係を他人と一から築くのは大変だってわかってるから。

メンヘルの子がセックス依存になりがちなのは、自己評価が低くてあまり周囲から評価されたことなくてもセックスする直前までは男が優しく扱ってくれるからであって、セックスそのものが好きだとはかならずしも限らないし。

セックス気持ちいいから誰とでもやれる限りやりたいってのは基本は男の発想だと思う。

2009-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20091114174747

彼女が嫌がるとか面倒だとかじゃなくて、せっかく一歩一歩信頼関係を築いていって大切に大切に育てた心地良い関係を失ってまで手に入れたいほど、彼女以外の女とのセックスがよいと思わないな、俺は。

彼女が「浮気OK!ぜんぜんめんどくさいこと言わないよ!」みたいな女でも、浮気はしないねー。

俺の倫理観に反するっていうか、彼女云々ではなく俺の中で「せっかくの信頼関係がなくなった」って思ってしまうから。

2009-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20091111144611

追記。これはおれの個人的な経験談。

 

おれは、あるときまで義務感でセックスしてた。求められたから、応えてた。当然、気持ちよくなんかなれなかった。実際、セックス中にイッたことはなかった。

でも、おれがイケないと、相手は不安がった。だからおれは、イッたふりをしてた。ぶるぶる腰をふるわせたり、わざと喉をしぼって喘いだりしてた。そして落ち着いたふりをしてから引き抜いて、すぐに隠しながらトイレへ行って、白い液体がすこしも入っていないのを見せないようにしていた。

おれの演技は、相手を満足させることができていたみたいだった。実際相手は、不安なくうれしそうにイッてた。おれがイケないでいるあいだに、何回も何回もイッてた。おれはかなしかった。うそばっかりついてるおれが情けなかった。でも相手が幸せだったらそれでいいと思ってた。

 

二年後、その相手は、フェロモン全開の男に誘惑されて、その男と何度も浮気したあと、いよいよおれの部屋を出て行った。

おれは、愛されてなかったのをようやく実感した。そしておれもまた、相手を心底愛してなかったんだ。だってさ、「義務感って、なんだよ。なにさまのつもりなんだ」って、そう思うだろ?

おれは仕方なく相手を抱いてただけなんだ。それは、相手にとって、とてもつらいことだったかも知れない。実際、最後のころ、おれたちのセックスは、以前よりもさらにうまくいかなかった。俺のそれが演技だってことに、いつの間にか相手は気づいてたんだと思う。

はじめから真っ正直に打ち明けておけば、イケないままでも、わかってもらえたはずだと思うんだ。でもそうすることができなかった。怖かったんだと思う。それはおれの不信感のあらわれだった。相手を心底信頼してなかった。おれは、おれのからだのことを正直に話すのが、怖かったんだ。

 

しばらく経ってから新しい恋人ができたんだけど、彼女とはじめてセックスしたとき、妙な感じだった。彼女が、「いかにも男が悦びそう」ってよく言われるようなことを、してくるんだ。彼女はおれをいかせようとして、あの手この手を使ってくる。

だから、彼女がこれまでおれに似た悩みを抱きながらセックスしてきてたんだって、すぐにわかった。セックスしながら気持ち良さそうなふりをしてるんだけど、それも演技にしか見えないんだ。

だからおれは「無理しなくていいよ」って彼女に言った。そして、自分もこれまで、相手を気持ちよくさせようとする義務感ばっかりが働いていたせいで、気持ちよくなれなかったことを伝えた。同時に、それがお互いの信頼関係にとってプラスにはならないことも、やわらかい口調で言った。

彼女は驚いていた。おれの思ったとおりだった。これまで、相手に離れていってほしくないから、相手が気持ち良くなりそうなことばっかりして、自分は気持ちよくなくてもいいんだと思ってたって、彼女はつぶやいた。

その次のセックスから、おれたちの義務感は、すこしずつほどけていった。

そのなかで、お互いに、それまでイクのが怖かった、ってこともわかった。心底信頼できない相手だと、リスクが生じないように、必要以上に注意しなければならない。イッてるあいだは無防備すぎるからだ。高ぶりながら、同時に決して相手へのいたわりを失わない相手じゃないと、気を許せないんだ。

でも、いまのおれたちは、お互いに同じくらいいたわりを持ちながら、最大限こころとからだを解放できるようになった。一緒に音楽セッションでもしてるみたいな感じで、相手もおれも互いに気持ちよくなれることをゆっくりお互いのペースで一緒にするから、相乗効果みたいなものが働いて、どんどん高まっていける(彼女もおれも「このままどこまで気持ちよくなっちゃうんだろうってすこし不安になるくらいだよね」ってよく言うくらい、はじめてセックス快感を知った)。そして一方の体調や精神状態がよくないせいで互いのペースが合わない日には、無理せず、ただ抱き合って眠ればいいんだ。そのときはそれだけでも、じゅうぶんなんだ。愛するひとがそばにいて、そのひとも自分を愛してくれて、ただあたたかい。それだけで、日常の苦しみが、すこし癒される。

 

そういう恋人ができてから、セックスは、ほんとうにしたいときにほんとうにしたいひととするべきだと思うようになった。要するにいまのおれは、彼女以外とセックスしたいとは思わない。もちろん彼女裏切りたくないからでもあるけれども、そればかりじゃないんだ。たとえ性的な魅力に満ちあふれたひととであっても、いやなんだ。信頼がなければ自分は気持ちよくなれるどころか深く傷つくことを、よくわかっているから。彼女ほど互いに強い信頼を抱くことのできる相手は、おれにはいないんだ。だから彼女を失うのがとても怖いし、彼女のからだを傷めつけたりしないように、深刻なリスクが生じないように、これからもいたわっていきたいと思ってる。ほんとうに奇跡みたいなんだ。おれは恵まれてる。神にではなくて、彼女に。

 

どうか、愛し愛されることを望むすべてのひとびとが、いつか必ず、互いに信頼しあえるパートナーと出会うことができますように。

 

 

 

※11/13さらに追記 http://anond.hatelabo.jp/20091113005738

2009-11-09

駆け引き、とか。

先輩が恋愛についてアドバイスしてくる。

「お前は駆け引きをしないから駄目なんだよ」って。

休日何してるのか聞かれても、正直に全部教えちゃ駄目らしい。

曖昧にぼかしてミステリアスに振る舞わなければならないらしい。

彼氏にも、彼氏と会っていないときの行動を全て教えちゃいけないらしい。

合コンに行ったり他の男と遊んだりして、相手の不安を煽らないといけないらしい。



そうか。

そうだなぁ。



先輩は、そういう恋愛を好みそうですよね。

でも、私は違うんです。

私はそういう恋の駆け引き的なことは性に合わないんです。

やっても上手くいかないし無理だし、そもそもそういう恋愛楽しいと思えないんです。

私は地味に普通に誠実に着実に地道にコツコツと信頼関係を築いていくようなそういう恋愛が好きなんです。

それが性に合っているし、得意なんです。

それに、私はそういう恋愛を好む男の人しか好きにならないし、そういう恋愛をする男の人としか付き合わないんです。

私、先輩とは、する恋愛の種類が違うんです。

だから、先輩に恋愛アドバイスもらっても役に立ちません!


・・・って、言いたいけど言えない。先輩だし。

ああ、聞いてもないのに恋愛アドバイスしてくる人、うぜえ。

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