はてなキーワード: 貨幣とは
それは、資本の集中が起きないほどの再分配を行う国家を資本主義国家と呼んでいいかどうかという問題じゃね?
集中を遅らせるだけなら「回避」ではなく「先送り」だろ。
永続性のある先送りならどうだろう。
前にこのように書いたとおり、
そもそも資本主義は指摘の通りの特徴を持つからこそ、
運用にあたっては様々な再分配のための仕組みが導入されるのではないか。
税による再分配は当然のこと、あとは独禁法とか。他は思いつかんが、とにかくたくさんあるだろ。
原理的に集中が起きるとしても、システムを破たんさせてしまうような集中には至らないよう、
先送りするための仕組みを導入するのが「○○主義」の運用においては必須だろう。
攻撃的サッカーといってもディフェンスはちゃんとするように。
そういった運用面を無視して主義の特徴だけで議論すると、
あれ、もしかすると共産主義は主義の特徴だけで議論すると将来性があるのかな。
個人的には共産主義は嫌いではないのだが、どうも運用面の現実性が無い気がするんだよ。
そこの泥臭い所を無視してロジックを固めても、どうも信ぴょう性に欠けるというかなんというか。
いや、武力によるちゃぶ台返しが起こらない限り、資本主義を掲げる国家が勝つかもしれないが、そこに含まれる大多数の人間は社会主義国家の人間より幸福にはなれないだろうということ。
そう、資本主義国家は基本的に競争したら強いよね。そして世界は有限なリソースの奪い合いをしているわけだよね。
国家内で競争を取り除いたところで、国家間では競争を強いられるという状況において、社会主義はどう戦うのか。
国家間で負けても国家内では幸福度が保たれる、というのであればいいのだけど、そんなことは可能なのか。
資本主義国家に生きる身としてはなかなかそれを現実的な話として聞けないんだよなぁ。
社会主義ってのは、外部の国が別の主義を採用して世界的には競争が強いられる状況においても、
ちゃんと成立するように設計されているものなんでしょうか。
資本主義の問題は、つまるところ勝者が次の勝負で圧倒的に有利なポジションを得ることになってしまうせいで、ゲームが煮詰まることなんだよな。
そう、結局はゲームデザインなわけですよ。
んで時間経過とともにゲームデザインは更新されなくちゃいけないんですよ。人も状況も変わるから。
F1のレギュレーションもそうだし、サッカーのオフサイドとかバックパス禁止とかもそうだし。
そのとき重要なのはF1らしさ、サッカーらしさを失わずに、ゲームを成立させるデザインですよね。
話を戻すと、理念として持つのは「資本主義らしさ」なのか「社会主義らしさ」なのか、と。
それで、その理念が持つ「らしさ」を失わずにゲームを成立させるデザインが必要になってくる。
それをここでは「運用」と言ったわけだけど。
俺としては「資本の(ゲームを破たんさせるほどの)集中が起きないような再分配を行う」のは、
資本主義らしさを失う運用ではないと考えているんですね。で、あなたは違うと。
そもそもご指摘のように「資本主義」という言葉が持つ意味がお互いにずれているわけですよね。
まぁあんまり詳しくないンど得、俺の方がなんか勘違いしているのかもしれない。
つまるところ資本主義とか社会主義とか借り物の言葉で議論するから悪いわけで、
自分が理想とする理念は何か、そのために必要な運用は何か、を語るべきなんですよね。
Wikipediaで「資本主義」を調べて驚いた。こんなに違うんかいな。専門家が見れば同じに見えるのかな。
「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」をそのまま回せば、
「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」
になるのかもしれず、それだと将来的に破たんするというのはわかる。気がする。
それに対して、「生産手段が少数の資本家に集中し~生産様式」となることが問題であるならば、
「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」を維持するための運用として、そうならないルールを設ける、というのが俺の解釈だったりする。
「それは資本主義じゃないよ」と言われるかもしれないが、
資本主義を「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」くらいの定義としているので、
これも資本主義だと思ってしまっていたりする。
しかしこういう風に話を整理すると、日本が一番成功した社会主義国家という説明は正しいのかも。
かつての日本は資本主義的な運用はしたけど、社会主義的な理念を持っていたような気がする。
# まぁ詳しいことは良く知らないんだけどねー。
サムスンVSソニー。トヨタVSフォルクスワーゲン。ナショナルフラッグを体現した大企業間の競争はますます多くなっているが、その起源はおよそ400年前に遡る。それは「東インド会社」。欧州の国を代表する企業がこぞって東アジアの権益をめぐって激しい企業競争を行った、そんな時代が過去あった。ヨーロッパ各国の東インド会社はいかにしてアジアの交易圏に食い込んでいったか。そして各国の東インド会社はそれぞれのどういった性格を持ち、どうして衰退したか。歴史的でありながら、そんなグローバルでビビッドなテーマを論じている。
「カリカットからペルシャ、シリア、ベネチア多くの商人や運送業者を経て、陸から海へ、海から陸へ、荷を積み替えながら途中で何度も関税をかけられる」(p48)。それを喜望峰経由の交易ルートを開拓し、一気に中抜きしようとたくらんだのがポルトガル。バスコ・ダ・ガマ以降、武力によるインド洋海域の制圧(ゴア、マラッカなどの港町を次々と砲撃して交易を強制、異教徒の追放、船の略奪など)を推し進めて、拠点網を整備した。ただしこの航海は原則的にポルトガル王(小国!)の単独事業で、次第に資金や物資調達面で苦しさを露呈してしまう。東インド交易で得た余剰資金も拠点網維持費に消えるという経営のまずさもあった。そりゃあ十分な資金調達とトップラインを安定確保できないまま、先行投資ばかりイケイケだったら誰だって行き詰るだろう、と言うことだ。
会社形態にすることで広範囲から資金を調達できるようになった。利潤最大化を行う企業でありながら、現地で国が行うような政治的な行動をよくおこなった。18世紀に入ると自由貿易の風潮が高まり、独占の東インド会社は国民に支持されなくなっていった。
・民間会社だが準国家的な独占事業:事業内容は東インドでの特権的な貿易。加えて要塞を建設する。総督を任命する。兵士を雇う、現地の支配者と条約を結ぶことも許可され、国営企業ではないが国を代表して事業できた。イギリスとは違って、株主からの出資金は航海が終わっても据え置く、今の株主会社に近い形態をとった。
・株主は経営に参加しない:会社の特徴:造船部門まで内部化。経営方針は年2~3回開かれる取締役等の重役から構成される17人会で決定。株主は経営参加権をもたない。経営は分権的で東アジアの事業運営は実質的にバタヴィアの支社が握った(1年半の情報伝達期間!)。
・東南アジアの香辛料に事業を照準:ポルトガルが頓挫した方式を見習い、しばしば武力を用いた拠点拡大策を積極的に採用。ヨーロッパへの香辛料貿易の利権を掌握した。現地政府から力づくで奪い取ったジャカルタを中核拠点に、セイロン、インドシナ、インドネシア、中国、台湾、長崎などに次々商館設置。
・栄華からの急降下。1960年代まで各国の東インド会社の中で最大規模を誇っていた。が、その後業績は急落して1799年に解散する。理由は複数あげられる。1780年に起こった第四時英蘭戦争の影響で、オランダの船はイギリス船に次々と拿捕され大変な損失を被る。また、香辛料がその時期にコモディティ化し始めたため,価格の下落が収益を圧迫した。会計制度の欠陥や帳簿の不備なども理由として挙げられている。
・民間会社だが準国家的な独占事業:東インドでの特権的な貿易。現地の司法権、貨幣鋳造権、貿易活動を守る軍事権、違法貿易船を検挙する権利。
比較的強い本部:株主が取締役の投票権を持ち、経営に参加した(毎年4月に開催される株主総会で取締役を投票できた)。事業運営は週に1度ひらかれる取締役会で決定される。資本金はオランダとは違って1回の航海ごとに株主にすべて分配され、航海ごとに資金を集めた。造船部門はアウトソース。
・インドの綿織物に着目しオランダと差別化:参入当初はオランダと同様、東南アジアの香辛料交易を狙っていたが、経済大国オランダに船の数や武力で太刀打ちできず、しばしばオランダ船にも拿捕される自体に。そこで、差別化のためインド亜大陸の綿織物に着目。拠武力よりもインドやペルシャなどの地場の為政者に取り入ることで平和裏に拠点網を整備した。
・現地所領当地という多角化が仇に:インド国内の紛争に介入してベンガル地方の徴税権(ディワーニー)を獲得(1765年)。しかし現地の文化、言語、慣習も不案内だったので徴税活動は難航した。他方、治安維持などの統治コストは膨れ上がったため、結局、財務内容は急速に悪化していく。その後、1794年に実質国営化。インドや中国の貿易特権の廃止を取り上げれつつも会社はさらに50年存続するが、1858年のインド大反乱を機についに解散。
・後発参入:イギリスとオランダの東インド進出を見たフランス政府が”上から”設立。株主も王や王室関係者が多かった。イギリスやオランダと違って巨大な商業資本が集まるほど豊かな街はなく、自立的な東インド会社の形成はなされなかった。
・東西インドの貿易を一体運営:事業的な最大の特徴は、東西インドとアフリカの貿易を一体運営したこと。東インドの綿織物で西アフリカの奴隷を買って、西インドに送りそこで作られた砂糖を銀貨に変えて、東インドの綿織物を買う。この円環である。
・国の後押しで急成長:1720年~60年まで絶頂期。後発参入という事業的なアゲインストにもかかわらず、取扱額はイギリスとほぼ同等に達した。
・政府主導事業の弱さを露呈:英仏7年戦争に敗北(1763年)したことで、政府が財政危機に陥いると資金繰りが一気に悪くなる構造的弱点が露呈。一方、民間資本はクラウディングアウトされていたので潤沢に集まらなかった。そんなわけで1769年にあっけなく解散。
1、スペイン(ハプスブルク帝国)の活動が目立っていないが、彼らはlucrativeな東インド交易に対しどういうスタンスだったのか。
2、ポルトガルの弱点を当時のオランダ、イギリスはどう認識したのか。そして、それをいかにして超克しようとしたのか。
3、イギリスの強い本社はどうやって成立したのか。経営方針や情報の伝達環境はオランダと大差ないようにみえるが。
4、イギリス、オランダの全体経済に占める東インド会社の割合はどの程度だったのか。
著者はドイツ系アメリカ人。原著の刊行は1998年で、世界中の専門家の間に論争を巻き起こした。
本書におけるメッセージは、冒頭書き出しの1文に凝縮されている。
本書において私は、既存のヨーロッパ中心的な歴史叙述および社会理論をグローバル学的パースペクティブを用いて転覆しようと思う
「西欧=先進国、アジア=発展途上国」という、我々が慣れ親しんだ世界の図式は、たかだかここ200年程度のことに過ぎない。西欧諸国はむしろほとんどの期間を通じて世界の傍流にあった。本書において、著者はこのことを繰り返し強調する。
フランクは、まず1400~1800年の交易データを検討し、次のようなことをインプリケーションとして述べている(2章)。
最大の経済大国は中国だった。中国は絹織物、陶磁器、水銀、茶の生産などで圧倒的な輸出競争力を誇っていた(全地域に対して貿易黒字)。インドも負けてはおらず、綿織物という輸出産業があった。東南アジアも同様、香料や胡椒があった。一方で、ヨーロッパはアジアに対してほとんど何一つ輸出競争力を誇る製品をもち得なかった状態で、一貫して貿易赤字を計上していた。その結果、欧州から中国などアジア諸国への銀(貨幣)の流出が常態化していた。しかもこの銀も、もともとはアメリカ産のものを奴隷貿易でぶんどってきた物だから(当時、銀の主要産地といえばアメリカ大陸と日本ぐらいしかない)、ヨーロッパ自体は、実は世界交易について何ら価値創出に寄与しなかったともいえる。
また、大航海時代以降、海上ルートがユーラシア大陸の隊商交易にすぐさまとってかわられたという主張も、誤りとして退けられる。アフリカ周航のルートは陸上輸送とくらべて決してコストが安かったわけではなく、ポルトガルの喜望峰周りの交易も短期間しか続かなかった。(223p)
定量的には複数の歴史家の推計を引き合いに、アジア諸国の生産性の高さにも言及する。曰く「アジアは1750年において、依然として世界人口の66%未満であったが、世界総生産の80%を生産していた。つまりアジアは欧州、アフリカ、アメリカよりも生産性が高かったことが示唆される」(p305)
科学技術についても、近世以降は西欧がアジアを優越していたという”常識”を西欧中心主義の誤謬だと批判する。例えば、当時の「ハイテク産業」でもあった造船業。中国の船は、ヨーロッパよりずっと数が多く、かつ大規模で、長期り輸送が可能な代物だった(342p)。印刷業も、中国は世界のどこよりも早く木版印刷を開始し、1500年代の早くには5色刷りの技術が存在し、日本や朝鮮に技術を輸出していた。
そうにもかかわらず、「世界経済の中心国が16世紀はポルトガルで17世紀にオランダに移り18世紀にイギリスに映った」などという、まるでヨーロッパ人によって一貫して支配されていたかのような馬鹿な議論(ウォーラーステインの「近代世界システム論」])がまかり通っている。しかし「1688年に、アジア間の交易のボリュームは、いつかのインドの港からだけでも、すべてのヨーロッパ交易を合算した交易よりも10倍も大きかったのである」(p320)
であるならば、なぜ近代以降の世界経済をの主役はアジアではなくヨーロッパだったのか。この点についてフランクは6章で100ページにわたる議論を展開しているが、正直ピンとこなかった。その骨子は「アジアの景気循環的な衰退期がたまたま西欧の勃興期と重なった」というもの。まさかここで「コンドラチェフの波」を引き合いに出すとは思わなかった。これはひどい
その他、素人目に見て反射的に気になったのは4つ。
1.「一人当たり生産性が近代までアジア>西欧だった」という記述について。これの反証となるようなデータは俺でもすぐ見つかる(例えばアンガス・マディソンの推計「The World Economy」)。むしろ地域間の一人当たり生産性は、まだ優劣に決着がついていないとするのがおそらく妥当なところではないか。
2.貿易収支の考察について。1400~1800年までの2章の部分、「中国はどの国に対しても貿易黒字だった。その背景には圧倒的な輸出競争力があった」と著者は言い切っているが、ここもまた留保が必要だろう。中国の貿易保護策の影響はどうだったのか。そもそも、中国がそれだけ例外的な貿易黒字を確保していたのならば、中国のマクロ的な貯蓄率はかなり高かったといえるだろうが、その辺は、当時の中国史の中で言及はされているのだろうか。
3.フランクはまた「アメリカの豊富な銀資源を搾取してアジア世界の交易に割り込んだだけ。ヨーロッパ人自体に富の増大をもたらすようなものは何もなかった」と強調する。これも逆差別の感がある。資源や強力な輸出産業はなくてもヨーロッパ人は知恵を絞って自分のところに富を惹き寄せた、という解釈もできる。「ビジネスの仕組み」を考案した彼らの力については、それ自体十分競争優位になっている気がするがどうだろうか。
4・「オリエント」地域にあるヨーロッパの支配地域(インドにあるイギリスの所領など)を考慮にいれても2章の結果はロバストか。
5. では、近代以前のヨーロッパにおいて、オリエントに(経済力、軍事力、知識等で)負けているという認識はどれほどあったのか。NOならばそれはなぜ?YESならば、彼らはその状況をどういった風に克服しようとしたのだろうか。
まず思うのは、市場原理主義はあまり好きじゃない。なぜなら、貨幣価値に置き換えるときに、本当に必要なことではなく
誰かに必要とされるか否か。つまり、必要とされることが”多いもの”=価値があるという図式になってしまうから。
妥当性はあるにせよ、市場で値段がつけられないものは軽視されがち。まぁ二酸化炭素なんれいい例ですね。
排出権を設定し、市場化してコスト計上しなければ無視されていたものということ。
あとは、国の支出についての経済学的な見方も本当にそうかな・・・と思うところはある。
ケインズ経済学や、古典派、近代経済学などあるように、国の支出がもたらすものについての見解は本当にあなたが
考えている通りなのかってところ。
あとは、公共財の性質に関する見解やね。上と関わるけれど、どういう性質を持つ財やサービスは公共的に提供するべきか。
と言う話。非競争性、非排他性とか有名なのはあるけれど……保育サービスは?というその辺をもうすこし煮詰めた結論を伺いたい。
新成長戦略。
官僚の作文以下の出来である。
経済を活性化させるのに重要なのは、ポンプ役の働きにある。資本主義経済が計画経済や共産主義に勝ったのは、国内においてお金を回転させる役割を、企業が担った為である。
企業にお金を稼がせて、稼がせた分だけ使わせる事で、国内の経済は回るのである。
国家が税金を取って、それを国民にばら撒いて使ってくださいというのでは、誰も富を生産しない。自給自足が可能な国家や税金という制度が必要無い地下資源国でなければ、経済は回らないのである。企業という存在は、資本主義経済の根幹である。
資本主義国家において、貨幣を循環させるポンプ役は企業であり、企業に稼がせた分だけ使わせなければ、どんなことをやっても、お金は回らない。お金を回す為に企業という存在を許容するのが、資本主義の本質である。
消費税を上げるとか、法人税を下げるといった事をやって対策をしているというアリバイ作りをしても、事態は悪化するだけである。自民党政権時代にさんざんやった事であり、その失敗を批判してきた民主党が、同じ事をやろうとしている。
行政や企業で十数年間働いた人に、スピンアウトして起業する事を合理的であると判断させる状況を作り出さない限り、内需は回復しないし、日本の工業力や知的財産権の生産力も、衰えていくばかりとなる。その為には、法人税を引き上げる代わりに、配当を経費認定して、企業が内部留保や銀行からの融資に頼る仕組みを終わらせる必要がある。
銀行から借りたお金に対する元利返済は経費認定されるのに、株主から預かったお金に対する配当は経費認定されないという状況は、法人税を確実に取る為という建前と、資金繰りを銀行融資に依存させて行政指導や許認可に従わざるを得ない状況を作り出すという本音から始まったが、その体制を長く続けすぎて、土地資産の含み益や内部留保が溜まり、無借金経営で行政指導に従わないという所や、行政を取り込んで政治的に圧力を加えるという企業が現れるようになって、破綻した。
世界基準で見たときに、資本額のリストの上位に日本企業が並ぶようになると、不都合となったのである。japan bashingは、貿易黒字だけで始まったのではない。
国際的な企業になればbashingは受けなくて済むという事で、多国籍企業化を目指し、アメリカの不動産や企業を買い漁って大失敗したり、最近は、中国に進出して大火傷をしているが、資本の規模が大きくても、内部留保や不動産といった生産性の低い資産がほとんどで、見てくれに比べて実力皆無というのが、日本企業の実態であり、内部留保を株主に還元しろという意見が出てくるようになってしまった。
法人税が下がれば、内部留保を増やしやすくなる。銀行に頭を下げて融資を引き出したり、投資家を説得して増資を集めるよりも、内部留保を使う方が、はるかに簡単に動けるが、このやり方では、既存企業ばかりが太るだけとなり、起業をしようという物好きは出てこなくなる。さらに、競争をする意味が無くなるのだから、内部留保を、退職金として受け取るまで減らさない事が一番合理的となり、投資や雇用が消失していくだけとなる。
法人税を引き上げる代わりに、配当を経費認定する事で、内部留保よりも、従業員や株主にお金を出す事になり、従業員や配当を受ける株主は、当然、増資に応じるかどうかを判断することになる。既存企業に新規事業としてやらせるという判断もあるし、スピンアウトした元従業員に出資をつけてやらせるという選択も可能となり、起業する者に資金を手に入れる可能性が出てくるようになる。
あとは、接待費の査定を少し緩め、経費天国を復活させる事であろう。官僚には接待費がないからというひがみ根性で接待費を絞ったら、街のバーやクラブは軒並み不景気になるし、タクシーも深夜の長距離客が居なくなる。一生官僚やっているよりも、起業した方が豊かになれるし、それで失敗しても、水商売やタクシーの運転手という受け皿があるという状況を作り出さないと、天下り先や税金に寄生している人々を減らせない。
排他的独占的運用がなされている特許権や実用新案権も、上場企業のような帳簿が信頼できる企業については、権利者が定めた料金を支払いさえすれば利用できるようにする代わりに、最長15年という権利の存続期限を取り払うという運用基準の変更も必要であろう。上場企業の帳簿の監査は、弁護士・会計士の仕事であり、法科大学院で量産された弁護士の働き場所となり得る。医療賠償や国家賠償、筋の無いゴネ得狙いの訴訟といった屑仕事しかないのでは、ひまわりのバッジが泣いている。
国際価格に比べて10倍以上高価な日本の米価や農産物、半分近くが税金のガソリン代、年金や保険といった公課と、日本人は、税外の税を負担している。これらの負担は国民の税負担の統計には出てこないが、一般会計の3倍以上の規模の特別会計を支えている。見かけの実効税率を4倍したのが、実際の国民の負担と考えて差し支えない。見かけの実行税率を見て、まだまだ国際的に低い税率だから消費税を上げる余地があるというのは、特別会計を支えているお金が、どこから出ているのかを考えていないという事である。
他人の意見を聞くのは重要であるが、意見を聞いたら、その意見を言った人の背景について調べなければならない。大企業の幹部は法人税を引き下げて内部留保を増やし退職金として受け取れる金額を上積みした方がメリットとなるし、競争相手が出てこないような知的財産権や懲罰的賠償制度を望む。新聞社のような所得の高い人は直接税を引き上げられるくらいならば、消費税を引き上げた方が被害が少ないと判断する。たとえ社会的・経済的に間違っていても、個人の利益を優先するのが人間であり、嘘でも100回繰り返せば真実になる、騙される方が悪いというのが、そういう主張をする人の考えである。
[2010.6.20]
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
なんかこの文章昼間もあったよね。
消したの?
なんのつもりか知らないけど人の書いた文章を何回も増田に載せるのってキモいわ。
調べてみたら昨日の夜中も同じようなの載せてるね。
http://anond.hatelabo.jp/20100611232824
意味がわからない。っていうか薄気味悪い。
■次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 なお、出題の都合上、一部改変した箇所がある。
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
(一)顔見知りの複数の家族、村の構成員なんかの
(二)金に名前が書いてあったらインナーグループの外で使えないから
(三)労働が価値を決定するというマルクスさんの考え方に従えば
労働自体が貨幣であり人を働かせたことの対価… 別に独自的なことは何も言ってないな
(四) めんどくさくなってきた
(五) めんどい
(六)回答の要を認めない
少し水洟が出る。いよいよ花粉症だろうか。朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、なにかを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
まあ、それはそれとして。このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などはようするにバイラルなのだが、が、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
で、これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外すのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
まず俺と君の貨幣に対する認識が違うことを説明しよう。貨幣は富(財)そのものではない。貨幣はものの価値を伝えるメディアでしかない。例えば俺が日当一万で働いたとする。そうして俺は一万を手に入れるが、それは俺の周りの人々に対して俺は一万円分の働きをしたということを伝えてくれる。俺はこの一万円で例えば時計を買ったとしよう。それは、俺がした一万円分の働きを一万円分の価値があると宣伝されている時計と交換するだけ。そのために使うのが貨幣。俺の仕事の価値と俺が欲しい時計の価値を知らせてくれて、それを交換するのに使える便利なメディアだ。だから貨幣は一枚1円もしないような印刷物でも電子マネーでも成り立つのだ。
そして、俺の言う普遍的な富とは人を豊かにするもの全てを指す。限定的な富と言ったのは、例えばあるバスの椅子の数。どうやっても増えないから、乗客みんなでたらい回しにするしかない。
ちなみに俺、
> 財が有限であれば、どれだけ多くの財が市場に流通しようと、究極はその限られた財をたらいまわしにして経済を維持する外ない。
と君が書いたところを
> 貨幣が有限であれば、どれだけ多くの財が市場に流通しようと、究極はその限られた貨幣をたらいまわしにして経済を維持するほかない。
と読み替えたよ。だってそう読み替えないと、
> 貨幣によって取引される財が有限かどうかとゼロサムゲームと関係があるか
という命題がおかしくなる。君は富の創出の余地があるのかないのかはゼロサムゲームとは関係ないと言っている。『財が有限であれば』という言葉は、『富の創出の余地がなければ』と置き換えることができると思うのだけれど、そうするともう前提自体が変だよね?
別にわざわざATフィールドに喩えなくても、「対価を払って購入してる」でいいんじゃないのかな。
対価は別に実際の貨幣に限らなくて、相手のことを考えた気遣い。(その気遣いをするのにお金が必要だったりすることがある)
非モテの人は「俺は対価として支払えるリソースを持ってないから買えないんだ」と言ってるんだよ。
イケメンじゃないと対価の価値がないから自分はダメだと考えてるような人もいるし、そもそも女のために払うリソースがあるぐらいならそのリソースは別のものに割きたい(優先順位が低い)って人もいるね。自分の払える対価の範囲で買える商品があるなら買ってもいいけどぐらいの。
二次を手に入れるのに必要なリソースは実際の貨幣だけだから敷居は低いというだけ。
それなら風俗とかでも一緒だけど、風俗も生身の人間相手だからあまりに失礼なことしちゃって店からNG認定されると出禁になっちゃうからね。
そのリスクも恐れてるから二次なんでは。
他人に理解されないことに苦しむのは、ヒトとヒトが理解しあえるなどという幻想にとらわれているからです。
理解されて当然、という傲慢があるから、他人の言動や行動にいらついたり傷ついたりする。
血を流し痛がっている人の痛みがどれほどかを正確にわかる人はいない。
他人の痛みがわかるなんて言っている人を信用してはならない。
「この男は痛いだろう。だが私は痛くない。カイジくん、君もだ」
と言い放ったあのお爺さんだけが正直者だ。
2000年前は釈尊くらいしか気付き得なかった真理を、全員が気付き始めてる。
大々的に全ての人間にアピールなんかせずに、「価値が理解できる人だけ買ってください」というスタンスでモノを売る。
容姿も、性も、商品となって売買されてる。
「無心だぜ」という奴の大半は、宗教を批判し近代を信じているという矛盾。
何も信じていないんだって豪語するなら、貨幣で物が買えることも疑わなきゃダメでしょ。ったく、口だけヤローの多いこと。
「金だけを信じる」の方が、まだしんに迫った感じがする。
「誰も信じていないんです!!」
って涙目の奴は、そのセリフを口に出す相手を信じきっている矛盾。
「あっそー」
とでも言い返せば「ほら、やっぱり誰もわかってくれない。信じられない」って、どうすりゃいいんだよ。
宗教批判する奴の多くが滑稽なのは、自分が正義の味方になったつもりで「科学的でないものを信じることの不毛さ」と説く点で、お前は西洋かよ、世界の警察アメリカかよ、啓蒙してんのか?
無信仰である理由を答えられない私は時々クリスチャンと話していて啓蒙される。一方で「宗教について勉強している」と言うと同じく無信仰の人から「宗教の非科学性」と啓蒙される。
身近な戦争。でも、この戦争は大きな戦争に繋がるわけで、何を信じていきているのかっていうのは、結構面倒くさい問題をはらんでる。
そんな中「たちあがれ日本」が発足して、何が「日本」だよいいかげんにしろよ、と勝手ながら思ってしまった。俺は「国家」を信じていないのかな。
もう「日本」を強くするとか、個人的にはどうでも良くて、日本らしさや世界の中の日本もどうでも良くて、そういう国民性云々よりは、「個人」を強くして世界の中の「個人」である方向へ教育していくべきなんじゃないか。
日本語が美しい言語であることとか実はどーでも良くて、何かの言語を世界共通のものにした方が単純にスムーズなんじゃないかと思う。
ビッチ憧れの金髪の白人とも結婚しやすくなるぞ!(言語や価値観による差異がなくなると、より一層「見た目」で
というわけで結論としては、言語の統一(日本における共通語が新語のように、既存の物に手をくわえて新たに作ればいーじゃない)、貨幣に変わる価値の創造(ここが難問)、国家単位での教育の廃止(新しい価値観とそれを実現させる方法を考えねーとな)
そーなると競う気がなくなるから国が滅びる??
競うって発想がすでに近代的なんだよww
『外国人への憎悪を煽る者たち』それはこのエントリに、デマやリテラシーなどとタグやコメントをつけてキリッとしている、はてサやリテラシ厨や民主信者、お前らの事だ!
あ?なに訳わからない寝事抜かしてんだってか?
特別に知能は低い癖にプライドだけは高いバカなお前らにも分かるように噛み砕いて説明してやるわ。
先ず、この590人という荒唐無稽な数字の"デマ"の拡がる背景を考察する。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100404/trd1004040702001-n1.htm
ここにあるように、既に税金対策のために戸籍を偽って扶養者を増やす手口は常套手段となっている。
ここでは節税と表現しているが、これは実態を捕捉出来ない点をついての脱税に他ならない。
悪質外国人が働きに来たところで日本の貨幣が外国に流れるだけで、日本の行政サービスはフリーライドされ税金は入ってこないのである。
このように税金を納めない外国人が、同じ手法でブローカーを通じたり組織だって子どもや養子縁組をしたならば、それをチェックする方法はない。
とってつけたように、
などと施行前日に通達を行っているが、そんな事実際にどうやって調査するんだ。現地国とネットワークをもって組織だって書類を仕上げてくるプロに対し、窓口の公務員がそれをチェックできるとかどんだけお花畑なんだよ。
こんな稚拙なザルなシステムを強行した事に民の怒りが蓄積されている事をまず理解しろ。
この590人登録事件は、その真偽が問題なのではなく、このような不正な請求が実際に組織的に可能である事そのものに起因して発生した現象である。
可能であるならば、やってくるに違いないという思い込みは、たとえそれがバイアスがかっていても消去する事は出来ない。
いいか?ここでそのバイアスを責める前に、システムに不備がある点が問題だという事実、それをその物覚え悪い頭に叩き入れておけよ。
で、そのような条件下で、蓄積した怒りの発散先として、この"デマ"が590人登録騒ぎという形を為し、市井の民の怒りのシンボルと化した。
そしてそのシンボル化がさらに、怒りの表明の焦点を一箇所に集中させる事が、薄ぼんやり暮らしているバカどもに有効に認知を拡めるツールとして機能する事に気づかせ、さらなるスパイラルを描いたのは至極当然である。
高津区役所が電話攻撃でサービス不能になる程度の事で、政府の愚策の問題点を浮き彫りにできるのならば実に合理的な抵抗であろう。
市井の民が、お上の決めた暴挙に対抗するならば、このような手段で対抗するのは当然でありレトリック的に言えば防衛本能の発露でしかない。
だから、これをデマだよキリッとか言ってるだけのうすらバカのみなさま方におかれましては、その指摘になんの意味もない程度の事は理解していただけませんかね?
この"デマ"に寄り添って声を上げる人間の事を、リテラシー強者(笑)なるデマの真偽の判断を否定ツイート一つ如きで判断しておきながら、『デマに乗せられる情弱』という構図で見下して、空っぽな脳を自尊心だけで満たしているだけの単なる思考弱者どもは、妖怪どっちもどっちどころではなく救いようがないうすらバカなんだよ!
まぁバカに言っても無駄かww
もっとも、はてサ脳に侵されてない人間の中でも、"デマ"を使ってこのような煽りを蔓延させる事に眉をひそめる良識的な立場のまっとな人もいるだろう。
だが、その認識は甘いと謂わざるを得ない。
この"デマ"騒ぎさえ、民主教に帰依したバカのやり口に比べるととてもまともな穏当な反対意思の表明にしか過ぎないんだよ。
たとえば、この頭を叩くと空っぽでぽむぽむするから名前が id:pompom20 のブコメ
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/2987779.html
id:pompom20 ネトウヨ 子ども手当で民主党叩きしている、この手のレイシストウヨは全員逮捕すべき。ネトウヨの存在は日本の民度を下げる害悪のガン細胞、よって切除手術が必要。
まぁ充分これでもすごいが、これを省略せずに説明すると、つまりはこのような思想である。
これほどまでにガチでやばい本物のキチガイ思想になんの留保の情も抱かないロボット達に今の政権政党が支えられている。
これを敷衍していけば、本当の言論弾圧・ニーメラーが待ち構えているのに、非実在青少年なんていう言論の自由(笑)ごっことかやってる場合じゃねーってのwww
さて、まとめておくか。この"デマ"に乗じて声を上げる者たちを、ネトウヨだの排外主義だの情弱だのと呼びあらわす者たちに告ぐ。
この現象を生み出した最大の責任は、票とりのために拙速な法案を施行した民主政権にある。
致命的な欠陥に対し、とりあえず緊急的な方法で指摘をしているだけに過ぎない者たちに、その手段の稚拙さを謗る事を良識などと考えているうすらバカどもが、いくらヘイトスピーチ、レイシストとレッテルを貼っても、それは外国人を差別する意志(意味もなく外国人にお金を渡すのを阻止するのは差別じゃないよw念のためww)もないのだから事実とは異なる誹謗中傷でしかない。
こうして普通の日本人を悪魔にでっち上げるのは、思考回路の作り方の失敗が産み出した幻影であり、それこそ日本人へのヘイトスピーチ以外の何物でもない。
そのような不当な中傷により、本当にレイシズムが発生する事態が起きる事があったら、お前達こそ本物のレイシスト生成装置であり、非難されるべきはお前らだ。
民主教徒の諸君。自民時代の児童福祉手当と同じとかレイシズムだとか言っても世の中何も解決しないんだよ。
根本的な原因に向き合い、民主政権を支持した自分がバカでしたごめんなさい。
まずそこからはじめるんだ。わかったかな。まぁわかんないだろうがなww
ただ、自らの罪の償いを他罰に求めてもなんの解決も得られないぞとだけ言っておくわ
マイナーなとこから、企画3本と単体1本。
もう5年前くらい前の話で若気の至りっていうの?今は、結婚して、共働きで、生活に不満がないって言ったら嘘になるけど、まあ、ふつーに幸せ。
AVに出演したことが私を不幸にしたかっていうと、そうでもなくて。
1本目に出たときは、お金が無かった。あの出演料が無かったらサラ金に借りたりして、もしかしたら今ごろ、そこそこ名の知れた企業で会社員として勤めている「私」とは別の暮らしをしてたかも、とは思う。けど、2本目以降は、お金はどうでもよくて、趣味。1本目の後、色々考えて、「私のセックスで見ず知らずの誰かが射精するってすごい」ってとこに至ってしまった。若さ、もあったけど、芸能人の「病気」と似てるかもしれないな。1本目もそれ以降についても、出演したことについては特に反省も後悔もしてない。今ならもっと面白い企画出せたのに!っていうのはあるけどw
夫には、その件も含めて、私の半生について話をした。結果的に、そういうことに関しては偏見の無い人とこうしてツガイになれたので、よかった。
けど、日本は男女同権だし一夫一妻制だし、道徳的な観点から「AVに出るのはよくないことだ!」と言ってもいいことになっていて、実際にそう言う人が世の中にはたくさんいる。
みたいな人も同様に、「AVに出るのはよくないことだ!」という価値観を増幅しているにすぎない。もう私はアラサーだし、とっくに「お嬢さん」ではないけど、私の人生について、この人はいったいどう考えているんだろう…。AVに出たら人生諦めて、みたいなこと言われたら、どんな人も不愉快だと思うんだけど…。
たしかに、規制すればAVは無くなるだろう。男女ともにAVに出る人もいなくなったように見えるだろう。でも、基本的に欲望はなくならないから、需要はあるだろう。需要があれば、供給が発生し、価格調整することで、均衡するだろう。ウラ○○やヤミ○○っていうのはそうやって生まれる。欲望が悪いのではない。(すべてはモノと交換可能な貨幣の存在が問題なのだw)その時、ウラAVに出演した男女というのは、どうなるんだろう。加害者だろうか。それとも被害者だろうか。出演者に相応の金が支払われていた場合には、どうだろう…?
「AVに出るのはよくないことだ!」という道徳を駆逐しない限り、AVに出演した人々の不遇は続く。「差別はよくない」と主張してたはずの見ず知らずの人に「人生を考え」られちゃったりするなんて、なんて不幸せなんだろうw
ま、ポルノが規制されようがされまいが、私たちにもし娘ができたら、道徳にあまり囚われずに本人の選択でAVにも出演するような、そういう人に育てたいなーって思いました。だって「差別はよくない」けど「○○は規制すべき」って触れ回る人生って、なんだか、あまり楽しくなさそうじゃない?
初めから最後まで、つまり生まれてから死ぬまで「時代の意見」と自分の意見を合致させて生きていくこと。それは簡単なことだし、難しいことでもあるのです。
なんとなーくだけど、そろそろ、長く続いたこの時代も終わる頃な気がします。
じゃあどうしたら社会が変わるのか。産業革命が起きて近代が始まったように、何かが起きてごろっと変わるのか、と考えたときに、やっぱりエポックメイキングなできごとはインターネットだったはずです。
インターネットは現に多くの雇用を生み出しているし、生活を便利にしている。調べ物だってサクサクだし、外国との接触も簡単になった。
でも、インターネットに対する時代の意見って、日本では特に、諸手をあげて大賛成、もっとじゃんじゃんやろーよ、という感じでもなく、付加価値くらいにしか捉えられていないです。
まさに「便利になったよねー」レベル。
一部にはインターネットに朝から晩まで張り付いている人もいるわけだけれど、そういう彼らに対しては、結構冷たい視線が向けられる。引篭もりだとか。暗いとか。いかにも「あんたらは間違っている」という然で。
個人的には、インターネットに一日中張り付いていても、いいと思うんです。
そして、いっそのこと、もうインターネットの中に住んでしまえばいいのだとも思うわけです。
インターネットの中で仕事を持ち、買い物もネット上でして、人との会話だってスカイプやウェブカメラを使えば出来る。
生活に関係することは結構「なんでも」出来る。
目が悪くなるとか、キーボードを打つのが疲れるだとか色々問題はでるだろうけど、そんなの「住む」方向で技術開発したら、すぐに解決しそーなもんです。
そんな風に生きていく時代。これって物語の中では悪夢のように描かれてきた「未来」だけれど、僕はそーも思わないです。
インターネットというエポックメイキングな出来事があったのに、全く新しい時代が到来しなかったことの方が、結構悪夢です。
どーせ時代が変われば教科書に「外に出ていた時代もありました」なんて書かれるし、その頃には人々の意見も、時代の意見とともに変わっているの違いない、全ては諸行無常なんだから。
時代は移り変わるものだし、移り変わるべきものなのだと思うのです。
「インターネット上で家庭を持ったとしても、そこには本当の愛はない」とか思うかもしれないけれど、それも一つも迷信を信じているようなもので、イスラムの国なんかでは顔も見たことがない女の人と結婚してるし、明治の頃なんか「妻は夫に尽くす」なんていう価値観の中でそれでも「幸せでした」なんて死んでいったわけで、価値観なんて、どーにでも変わるのだから。
もっと言うと「貨幣」という価値観自体もまた変わるのかもしれない。
それはもっとあとの話だけれど……。
かつて盲信していた「神」は死んだ。
そんな重大な出来事があったというのに、人類はまだしぶとく生きているじゃあないか。
かつて大切にしていた「外の世界」がなくなって、きっと人々はしぶとく生きていくよ。
新時代、きたれ!!
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複雑な思いにさせたら申し訳ないけれど、↑のような文章を書く思いと、「それでも俺は近代という迷信を信じきるぞ!!!!!!」という強い思いもありまして。
やっぱりお外に出て実際に会ってデートしたりしたいなぁという、気持ちも強いのです……。
一つの可能性としての宣言くらいに捉えてくださいな。
終り。
デフレ不況のときに自国通貨を安くすれば失業へって成長率上がるというのは歴史上いろいろな国で確認されてる。100%じゃないというだろうけど、現状維持やデフレでも円高誘導のほうがいいという根拠はもっとない。
円安の場合は関税のように特定の商品ばかりが高くなるわけじゃないし、金融緩和のほうが将来の消費投資が前倒しされやすくなる点が違う。
平均家庭のエンゲル係数は22%程度だから1割 食料物価があがると、収入は2% 減 年収300万円で 6万円の影響。(500万円なら10万円)この6万円を補える実質メリットは出るの?
食費の全てが外国に払われてるわけじゃない。カロリーベースの自給率低くても金額ベースで見れば7割くらいが国産。外国産の場合でも物流小売の分は国内に金が行く。食料輸入額はGDPの1%程度。食費が1割上がってもほとんどは国内の誰かの収入が増えることになる。
投資ブームがあるとしても安値のほうが買われやすくなるという事に変わりはない。他の要因があるから為替の影響がなくなるなんて事はないはず。
リーマンショックの後英米の中銀はバランスシート倍増して貨幣供給増やしてる。
http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa09-02/s2-09-2-3/s2-09-2-3-11z.html
いくらぐらいまで、円安誘導したいの?あまりに円安誘導しすぎると、ガソリン価格が高沸して工場を回しにくくなるから、限度があるよね。食料品も繊維も、何から何まで輸入してるんだから。
今は、リーマンショック以後の円高トレンドで、円が高くなってる。それを15円ぐらいと仮定すると。このトレンドが終わると135円まで円安が進むことになるけど。
それは耐えられるの?
昔も135円くらいだったこともあるし十分耐えれると思う。もともと輸入依存度も低いし、110円か120円でもなかなかデフレが終わらなかったぐらいだから、むしろそれより小さいと効果が不十分になりそう。為替は相対的に決まるものだからどの値がいいとは言えないが、少なくとも日本がインフレになるまではどんどん安くしたらいい。
貨幣は経済活動の道具でしかないので、その価値さえ上げればいいというものでもない。
たとえば通貨の為替レートが倍に上がった場合、そのせいで仕事が海外にシフトして工場や商店の稼働率が下がり失業者が増えても将来その分多く生産力が使えるようになるわけでもない。為替レートが上がろうが現在存在してる生産力の分までしか作れない。この場合通帳の数字の価値が多くなったと思い込んでるだけで実際に世の中全体で提供された財・サービスは需要不足がなかった場合より確実に減ってるわけだ。だから需要不足にならない程度の貨幣価値の上昇でないと、単なる数字をありがたがるために生活水準を落とす羽目になる。
BIと何を比較しているの?
ちょうど予算が決まって、コンクリ事業=土木業の公共事業を廃止できない、良い事例があるじゃん。
過去最大の予算で赤字国債発行とか、アレと比べてよ。でも、なぜ廃止できないか?それを廃止すると多くの土建業の人が仕事がなくなって、大失業時代になるから。
そもそも公共事業と言うのは、貨幣制度の最大の大敵である貯蓄や、ブラックマンデーなどに備えるために
一定の税金を国民から取って、強制的に事業に変えて貨幣を流通させるために『も』存在している。
通貨を国民にまかせると、貯蓄ばかりして消費に回らず、不況になって経済が疲弊する。
BIにはこれの代替手段の意味もある。今年の公共事業等予算を見ればダムをはじめ道路の無駄な拡張なども含まれている。
これはこれで悪くないんだけど、他方 多大な利権を生み出して癒着の温床ともなっている。
こういった状況を踏まえて、また、高度成長期から、停滞期への変化も受けて
3 一定年齢以上の人には年金の変わりとして
交付することで
A 貧乏な人なら生活のためにお金を使うだろうから貯蓄には回らないだろう(今でも生活保護あるし)
というのが基本概念。
そもそも、お金はバンバン使ってもかまわないんだよ、国内で消費してくれるなら。所詮回り物だから。
困るのは貯蓄されたり、海外で消費されること。
働かないのにお金をという人がいるけど、
http://agora-web.jp/archives/946893.html
市場はどう動くだろうか。国会決議が行なわれる見通しになった段階で、国債が売られて暴落し、入札が成り立たない事態も考えられる。
戦前の日銀引き受けでは長期金利は上がらなかったし、ちょっと前の量的緩和で日銀が国債保有を増やしたときも暴落は起こらなかった。日銀引き受けが大量に行われるということは市場に売り出される国債が激減することを意味する。決議がされそうだからといってすぐに他の運用先が出てくるわけでもないのに、国債を売ったところで無利子の現金を保有する事になってますます損するだけ。
通常のインフレは貨幣的現象だからマネタリーベースを絞ることで抑制できるが、中南米でよく起こるハイパーインフレは、サージェントも指摘するように政府や中央銀行の信用が失われることによる財政的現象なので、信用を失った日銀がインフレを止めることはできない。
その中南米でもインフレ目標導入後はハイパーインフレも止まり、マイルドインフレが続いてるのが現実。
国債が暴落すると、それを300兆円以上保有している邦銀は莫大な含み損を抱える。邦銀も最初は買い支えるが、支えきれなくなったら、含み損を避けるために売り逃げるだろう。彼らは横並びで動くので、売り始めたら国債はさらに暴落する。たとえば10年物国債の金利が(史上最高水準の)8%になると、額面利率1.2%の既発債の価格は62円になり、全体で110兆円以上の損失が出る。これは90年代の不良債権の純損失を上回り、邦銀のほとんどが破綻するだろう。
300兆以上という数字がどこから出てきたのかわからないが、邦銀の保有は100兆ぐらい。郵貯をあわせても300兆に届かない。しかも保有している国債のすべてが10年物とかの長期国債ではないし、長期国債を持ってるのは日銀や年金など公的機関の比率が多く民間金融機関のほうが短期国債の比率が高いので、仮に長期金利が8%になっても100兆を超えるような損失は出ない。インフレ率が上がるときは株や外貨や不動産も値上がりするのでそれを考慮すればもっと損失は小さいどころか大きな利益がでることすらありうる。
こうした事態が予見された段階で取り付けが起き、2008年の欧米のような状態になろう。欧米より悪いのは、財政も破綻しているため、政府が銀行を救済できない点だ。
上記のようにそもそもインフレで金融機関のような借金持ちが損するというのがおかしいが、高いインフレ率になるような時期に銀行からおろしてタンス預金したがる馬鹿はまずいないので取り付けもおきない。