2010-03-23

脱時代宣言-2

初めから最後まで、つまり生まれてから死ぬまで「時代の意見」と自分意見を合致させて生きていくこと。それは簡単なことだし、難しいことでもあるのです。

なんとなーくだけど、そろそろ、長く続いたこの時代も終わる頃な気がします。

じゃあどうしたら社会が変わるのか。産業革命が起きて近代が始まったように、何かが起きてごろっと変わるのか、と考えたときに、やっぱりエポックメイキングなできごとはインターネットだったはずです。

インターネットは現に多くの雇用を生み出しているし、生活を便利にしている。調べ物だってサクサクだし、外国との接触も簡単になった。

でも、インターネットに対する時代の意見って、日本では特に、諸手をあげて大賛成、もっとじゃんじゃんやろーよ、という感じでもなく、付加価値くらいにしか捉えられていないです。

まさに「便利になったよねー」レベル

一部にはインターネットに朝から晩まで張り付いている人もいるわけだけれど、そういう彼らに対しては、結構冷たい視線が向けられる。引篭もりだとか。暗いとか。いかにも「あんたらは間違っている」という然で。

個人的には、インターネットに一日中張り付いていても、いいと思うんです。

そして、いっそのこと、もうインターネットの中に住んでしまえばいいのだとも思うわけです。

インターネットの中で仕事を持ち、買い物もネット上でして、人との会話だってスカイプウェブカメラを使えば出来る。

生活に関係することは結構「なんでも」出来る。

目が悪くなるとか、キーボードを打つのが疲れるだとか色々問題はでるだろうけど、そんなの「住む」方向で技術開発したら、すぐに解決しそーなもんです。

そんな風に生きていく時代。これって物語の中では悪夢のように描かれてきた「未来」だけれど、僕はそーも思わないです。

インターネットというエポックメイキングな出来事があったのに、全く新しい時代が到来しなかったことの方が、結構悪夢です。

どーせ時代が変われば教科書に「外に出ていた時代もありました」なんて書かれるし、その頃には人々の意見も、時代の意見とともに変わっているの違いない、全ては諸行無常なんだから。

時代は移り変わるものだし、移り変わるべきものなのだと思うのです。

インターネット上で家庭を持ったとしても、そこには本当の愛はない」とか思うかもしれないけれど、それも一つも迷信を信じているようなもので、イスラムの国なんかでは顔も見たことがない女の人と結婚してるし、明治の頃なんか「妻は夫に尽くす」なんていう価値観の中でそれでも「幸せでした」なんて死んでいったわけで、価値観なんて、どーにでも変わるのだから。

もっと言うと「貨幣」という価値観自体もまた変わるのかもしれない。

それはもっとあとの話だけれど……。

かつて盲信していた「神」は死んだ。

そんな重大な出来事があったというのに、人類はまだしぶとく生きているじゃあないか。

かつて大切にしていた「外の世界」がなくなって、きっと人々はしぶとく生きていくよ。

新時代、きたれ!!

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複雑な思いにさせたら申し訳ないけれど、↑のような文章を書く思いと、「それでも俺は近代という迷信を信じきるぞ!!!!!!」という強い思いもありまして。

やっぱりお外に出て実際に会ってデートしたりしたいなぁという、気持ちも強いのです……。

一つの可能性としての宣言くらいに捉えてくださいな。

終り。

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