はてなキーワード: 不胎化とは
http://totb.hatenablog.com/entry/2013/07/26/210245
にあるような、
とはなっていない。
http://www.mof.go.jp/about_mof/mof_budget/special_account/gaitame/gaitame.htm
http://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/intl/07102006.htm/
はずの分が無くなり、代わりにそれが外貨の購入に使われて
変わらない。
ような浅い考察には笑って読み流す以上の価値はない。現代において
変化させるためのものとしては使えない制度となっているのである。
一方で一義的には政府の仕事ではないからであり、また、そのような
貨幣の価値に影響を与えられないように制度が作られているため、
そもそも規律を離れるくらいに大規模な行動をしてさえあまり
効果がないからである。これをダブルスタンダードと批難するのは
禁止という制度が、貨幣とその他全てひっくるめたものとの比率の
変更を防ぐ役割を持っている。貨幣とそれらの量の比率を変化させる
という直接的な貨幣の価値の変更はできず、あくまで市場の急激な
動きや、不完全雇用などの問題を解消する中で貨幣の価値に影響を
与えるという迂遠で間接的な力しか政府にはない。そのような政府
に、規律を破るような大規模な行動が求められないのは当然であり
もちろん、そのような制度を作ったのも政府であり、日銀も広くは
政府の一部であるので、そのような制度自体を変えるという根本的
に規律を外れた行動を求めるという案もある。そして、日銀法改正
不胎化ってこれか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E8%83%8E%E5%8C%96%E4%BB%8B%E5%85%A5
インフレ方向になるわけだな。
さて、どういう影響が出るか楽しみだ。
だから勝間とかは間違っている。
えー?流動性の罠に陥ってしまうからこそのインフレ目標じゃないのかな。
中央銀行がインフレ目標を定め、この範囲内に収まるまであらゆる手段を行使する、という姿勢をはっきりと打ち出せば、インフレに誘導することは十分可能だと思うな。ていうか、日銀が今までそうしたリフレ的な政策を全くしてこなかったわけでもないし(量的緩和政策とか、円安維持のための非不胎化介入とか)、それらはある程度効果を発揮してきたんじゃないの。まあ、「引き締めに転じるのが早すぎる」って、いつもリフレ派から批判されてるけど。
金融日記の中の人は、「そんなことより潜在成長率を上げろ」って言ってるみたいだけど、需要が冷え切った状態で潜在成長率を上げても、あんまり景気回復(というか国民生活の向上と言った方がいいのかな)に資するところってないのではないかしら。ヘタすりゃ却って需給ギャップが拡大するだけで終わりかねない。そもそも、潜在成長率を向上させるために政府が出来ることってそれほどないと思うんだよな・・・。どうしてって、将来の発展性が高い事業を見極めるなんて本職の人間にだって難しいのに、それを政府の人間がやったって、親方日の丸で「有望事業」にカネ突っ込んで大失敗、なんてことになる可能性は少なくない(「民業圧迫を減らす」「無意味な規制の緩和」辺りは効果があるかもしれないけど)。そういう将来の発展可能性のある産業を政府に任せるよりかは、市場に任せる方がマシじゃないかね。
私はマクロ経済問題、貿易、国際金融、産業政策、独禁政策、公共部門のスト権の問題等々、応用経済学の様々な分野に関心を持ってきた。器用貧乏と揶揄された事もある。
金融政策も私が長年にわたって関心を持ち続けた問題のひとつである。私は日銀のエコノミストたちと真っ向から対立して論争した事が何回かあった。
1回目は1960年代前半の吉野俊彦氏との論争である。当時の私はマクロ経済と国際金融関係は万事ケインズ的に考えていた。他方、吉野氏は金本位制主義だった。J・M・ケインズにとって、金本位制は「大嫌いなもの(bête norie)」だったが、吉野氏にとりケインズとケインズ経済学は”bête norie”だった。生意気な若造であった私を相手に議論に応じてくれた吉野氏に、私は深く感謝している。しかし、基本的な経済哲学が違っていた。
2回目は「73-74年の大インフレーションは日銀が起こした」と言う趣旨の76年の論文で金融政策を厳しく批判した。当時の日銀幹部が田中角栄首相の「日本列島改造論」に遠慮して金融引き締めが遅れ、マネーサプライが膨張して石油危機以前に大インフレが始まったと私は論じた。
3回目は77年以降の私に対する外山茂理事(当時)の厳しい批判と、私の反論である。「日銀派」を代表する外山氏は欧米の標準的な金融理論以前の古い考え方で、手品のように恒等式から様々な結論を導くが、私にはその論理がわからなかった。
80年代後半から90年代初めにかけての「バブル」現象についても、日米経済摩擦の下で日本の黒字をさらに増やす恐れのある金融引き締めを日銀がためらった事が一因であると私は考えた。
しかし政治・行政からの独立性を大幅に強化した新日銀法が98年に施行された後の日銀の金融政策は、「100点満点に近い」と私は述べた。
これに対し、今度はかなりの人数の経済学者が反発した。要するに「もっと早くゼロ金利にしろ」とか「為替介入の効果を『不胎化政策』で減殺するな」という主張だ。私が大学院で指導し共著もある岩田規久男さんや、かつての東大の同僚の浜田宏一さんが一番厳しかった。ゼミOBの山本幸三衆議院議員も日銀叩きで名を馳せてきた。
私はあまりにも「日銀バッシング」がひどいと感じ、白川方明さん(当時日銀企画室審議役)と相談して八代尚弘さん(同日本経済研究センター理事長)にお願いして、討論の場を設定してもらった。論争は「金融政策論議の争点」という本になった。同書には小宮ゼミ仲間が日銀批判と反論の両方に何人も登場した。
日銀の政策委員会や支店長会議の写真で、小宮OBの白川総裁と大学院で教え「現代国際金融論」の共著者でもある須田美矢子委員の二人のお姿並んでいるのを見ると、私は不思議な気持ちになる。
私はいつも始まりは「少数派」であり、今もその気持ちは変わらない。しかし、しばらく前にマル経の若い人に「小宮さんこそ多数派でしょう」と言われて驚いた。「多数派」と言われるという事は、もうあまり斬新な意見を述べる舞台には登場しないと言う事で、現役ではなくなったわけであろう。(日本学士院会員)