みんな何故か自分は問題の本質が理解できると思い込んでるところ。
「物事は調べれば理解できる」「物事には解決方法がある」といった誤謬を教育で伝えるの本当によくないと思う。
というわかりやすい正解を掴み取ることができていない。
私たちは『殺させられた』
だからこういうところなんだろうな、アスペがアスペたる所以はさ
大雑把に理解するということができないので、言葉の厳密な定義とか演繹的な正しさというのを徹底し始める
会話というのは数学じゃねぇんだわ
そもそも囲碁や将棋が上手い人がASDだ、という主張自体が独自研究っぽくてうさんくさいな
そういう調査結果でもあるの?
藤井も羽生も、そりゃずっと将棋に向き合ってるから特有の変人感はあるけど、インタビューの受け答えなんて普通にできてるじゃん
投降しなくても殺されるが?
や
「お前は周囲の読解力が低いと思ってるが、周囲はお前をアスぺと思ってる」と書いてあって、周囲に対する相対以外に解釈があるの?
が
あと相対的ってのは「AとBを比較して相対的にAのほうが優れている」などの場合に使う言葉だから、双方の認識の齟齬やズレを表すのであれば言葉足らずだと思うよ。
「りんごの箱にみかんがたくさん入ってる」を「りんごの箱にみかんの方がたくさん入ってる」と読み取ることが普通の世界からしたら、たしかに些細なことだね、社会階層や所属するコミュニティによっての差だね。
違う違う
読解のエラーが生じたら「そういう意味でなく...」「ああ、ごめん、そういう意味か」と普通の人間はコミュニケーションによって修正する
ところがおまえときたら、まるで自分が賢い側で周囲が馬鹿であるかのようなことを言い始めるので、自称インテリアスペと呼ばれてしまう
の割にはまんの嬰児殺が多いのはなぁぜなぁぜ