他にやるべきことがあるのに趣味を楽しむべき時期でないとか、他鑑賞客のマナーに辟易しているとかそういうものもあるが、むしろ内面的な問題の方が大きい。
絵は好きなのだが、観ていると遣る瀬なくなってきた。
私の中学時代は美術部(とは名ばかりの、漫画やゲームの絵を描いていた部活だった)に所属し、毎日好きなゲームキャラクターのイラストを描く、よくいるありふれた子だった。けしてうまくはないけど情熱はあったと思う。
高校受験時の進路として、美術の基礎をたくさんやれるところに行きたいとぼんやり考えていたが、親の猛反対を喰らった。
いわく、「おまえの絵にはセンスがない。基礎もなっていない。」という指摘である。
基礎を学びたいからそういう学校に行きたいのだが、と伝えてみても「本当に絵を描きたいやつならば、そこらへんにあるものを題材にして描けばいいのにおまえは描かない。笑わせないでほしい。」といったことを言われた。
(確かに描くものなんぞそこらへんに溢れているし、その気になればそのへんのカゴでも満足いくまで描けばよかったとは思う。おまけに、我が家には石膏像もあるし環境としては揃っていた方ではあったかもしれない。)
家族はさらに続けて「おまえは絵がわかっていない。もう少し他の画家の絵を見て、どんなものが評価されるかを勉強したらどうだ。」といったことを言ってきた。
確かに漫画絵やゲーム絵ばかり見ていてもよくない。その指摘は一理あると思い、それ以来何かあるたびに美術資料を眺めたり美術館や写真展示会に通うきっかけになっていった。
大学こそは美大に行きたいとは思った。しかしまたしても家族に「ああいうところは、もう既に基礎ができあがっている人間が鍛えられるところ。おまえが行くべき世界ではない。」と言われた。
他にも2~3ほど進路選択で揉めてしまい、とうとう情熱よりも面倒くささが勝って、紆余曲折があり今現在は美術とは違う進路を選んだ。
(今でこそわかるが、当時我が家は経済的に相当逼迫しており、お金がかかるかつ親の知識と価値観からすれば将来性が不安定でありがちの美術系には猛反対したかったのだと思う。)
加えて書くとその高校は、私の母と三姉妹の母(すなわち私から見ると叔母にあたる人なのだが)の、母校にもあたる。
三姉妹が通っていたときは母と叔母はその話でよく盛り上がっていて、従姉妹の誰々が陶芸でなんちゃらをやっているようだ、従姉妹の誰々が文化祭でこんなすごいものを創った、従姉妹の誰々が賞を獲ったらしい、などとよく聞かされた。
しかしその度に 「私も行きたかった世界なのだが。」という気持ちがどうしてもこみ上げてきてしまっていた。
三姉妹のそれぞれが高校卒業後に美術とは関係ない職業に就くことになっていると聞いたとき、三姉妹には申し訳ないが「やはり美術では食えない程度の実力で、美大に進む金も度量もないのだな。」と思った。われながら性格が歪んでいるとは思う。
おそらく私自身の絵画芸術における審美眼は、ある程度は肥えているとは思う。明らかにサブカルファッションのために行くのではなく、きちんとした芸術鑑賞である。あくまで、絵を描かない人間として、だ。
ただ、食うために絵を描くわけでも絵を観るわけでもないのに、シビアな物の見方ができているのがキツイのである。
アマチュアが描く絵を見て「頭蓋骨が陥没している」「手足のバランスがおかしい」「内臓はどこに入っているのだ」「下手ですみませんと思うのならそもそも上げるな」「昔の絵を批判しておきながら、視点誘導もなっていない絵を平気で自画自賛するな、見苦しい」という疑問や批判が、頭の中から離れない。
もちろんお世辞で「わあ、可愛らしい絵ですね!」とコメントすることはできても、別に心からその人の技量に関して賞賛しているわけではない。
その人がその絵を描くことに関する時間と技能を捧げることができたことは幸福であり、それを賞賛しているに過ぎないのだ。
しかし仮に、私が美術の道に進んでいたとしても中途半端に終わっていた可能性もある。自分の絵のセンスの無さに絶望して、とりあえず美術教師にでもなっていたのではなかろうか。
(これは私の気質の問題であり、断じて美術教師の職に就いている人を指して批判したいわけではない)
どうしようもない過去に想いを馳せ、ぼんやりとした暗い気持ちを抱えたままで美術やイラスト鑑賞をすることが、ときにたまらなく辛くなる。中途半端に持ってしまった、虚しいプライドと画力を抱えたのも相当厳しい。
なぜ自分は絵を観ているんだろう?たまに絵を描いてしまうのはなぜだろうか?
どうやれば、純粋に絵の世界を楽しめるのだろうか。なにかいっそ別の趣味を見つけた方がいいのだろうか。他にもこういう人がいないか、ついつい考えてしまう。
とりあえずその毒親を力の限りビンタしろ
バドミントンとかゴルフとか始めてみたら?