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2009-06-02

ラーメン松本人志

会社のとなりのビルに新しいラーメン屋オープンして、さっそく食べに行ってみた。

はっきり言って、あまり美味しそうな店構えではないのだけれど、もし美味しければコンビニすき屋ばかりのランチ生活に彩りが加わることになり、それはたいへんに幸せだし、仮にあんまり美味しくなかったとしても、それなりに月給をいただく身分なので700円くらいなら惜しくない。というか、もともとぼくの舌に設けられたハードルはすこぶる低くて、しかもそのハードルをくぐられようが、倒されようが、それはそれとしてゴクゴク飲み込めるという、ぼくはそんな体質の持ち主なのだ。

さて、そのラーメン屋で、一杯700円のラーメンに海苔増し、それに半ライスを注文した。しめて900円とちょっと。ランチとしては破格の金額だが、まぁ新たなご近所さんへのご祝儀的な意味もありつつ。腹も減ってたし。

で、出てきたラーメンスープをひと口すすり、麺を吸い、そこでなにやら思索にふけってしまった。

いや、美味いんだ。普通に美味い。味としてはいわゆる“家系”と呼ばれるそれに分類されるのだろう。トンコツに、お魚のだしも入ってるのかな。しつこすぎず、あっさりしながらコクもあるし、チャーシューなんてとろとろだし、スープがしっかりからんだほうれん草も美味い。麺もしっかり太くてぼく好み

でも、「うまっ!」ではない。夢中になるほどではない。「ふむふむこれは“家系”だね」「トンコツにお魚のだしも入っているのだね」なんて、いろいろ考えながら麺をすする。

思索にふけったのはそのあたりから。

これは、お笑いに似ているぞ、と思ったんだ。ラーメンとはつまり、松本人志であると。

ラーメンなんて、別に美味いんだ。お笑いなんて別に面白いのと一緒で。ぼけーっと食って、ふひーっと爪楊枝などつかって、ぷかーっとタバコでも吸って仕事に戻ればいい。なのに、ぼくはいつしかラーメンを分析している。プロの調理人の作品に対して、批評をぶっている。

ぼくは「ごっつ」の世代で、今でも「ごっつ」は本当に面白かったと思っている。だけど、それが「どう面白いか」を考え始めたのなんて松本人志がそれを放り投げたずっとあとのことで、それこそ「VISUALBUM」や「一人ごっつ」を経たのちに時代を巻き戻って「トカゲは実に実験的な」とか「イカメシ殺人はどうだ」「AHOAHOマンこそが」などなど、そんなことを言い出すようになった。当時はただゲラゲラ笑っていただけなのに。

あるときを境に、松本は笑いを語りだした。あまりに大きくなりすぎたせいで、誰もがその禁忌を許してしまった。それは欽ちゃんにさえ許されなかったことなのに。松本は遅れてきた世代の芸人たちに大きすぎる影響を与えただけでなく、視聴者のあり方さえ変えてしまった。松本のように笑わせることはできなくても、松本のように芸人を評することならできる、あるいは、できるような気がする、できている気分になら浸れる、そんな視聴者を大量に生み出したのだと思う。その結果、ぼくたち視聴者は「ただゲラゲラ笑う」という行為に後ろめたさや劣等感を覚えるようになった。笑いが、笑うことに圧力をかけ始めた。そして笑いは大衆芸能からファッションになった。笑いに対するものの見方に、「オシャレ・わかってる」と「そうじゃない」が現出した。

同様に、誰かがラーメンを語りだした時期があったんだと思うんだ。ぼくたちはただ能天気にズルズルとラーメンをすすることが許されなくなった。ラーメンもまた、大衆のものから、ファッションツールになってしまった。

笑いもラーメンも、いつの間にか、気軽に賞賛することができなくなってしまった。「天下一品ラーメン美味いよね」「友近って面白いよね」まかり間違って初対面の人にそんなことを言ってしまったら、ぼくは即座に値踏みされてしまう。テレビの前じゃない場所で、ラーメン屋の外で、ぼくは一瞬にして他人に見通されてしまう。

さらに始末が悪いのが、たまにそういうパリパリに固まったぼくの舌や心を突き抜けてくるやつがあることだ。本当に美味いラーメンや、本当にゲラゲラ笑える漫才に出会ってしまうことがある。そのパリパリを突き破られる快感が忘れられなくて、ぼくはさらにパリパリを固くしようとする。より気持ちよく突き破られたいがために、ぼくは身を硬くして、ラーメンお笑いと対峙することになる。

だからどんどん、世の中に美味くないラーメンと笑えないお笑いが増えてゆく。

とても不幸なことだ。

ぼくはお笑いが好きだし、ラーメンが好きだ。基本的に、それらの全部が好きだ。あのころみたいに、何も考えずに、ただゲラゲラズルズルとその快楽に身を任せられる日がきてほしい。普通に美味いラーメンを食べながら、普通に美味いと言えないぼくは、そんなことを考えていた。

2007-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20070305174215

私はむしろ逆で、松本のよさというのは長い尺の中でだらだらと素材を転がした時に生まれると思っている。例えば彼のコント集である『visualbum』を紐解いてみると、『マイクロフィルム』『いきなりダイヤモンド』『ゲッタマン』といった同じボケが繰り返し繰り返し使用され、次第にとんでもない地点まで運ばれてしまうタイプコントや、『都』『げんこつ』のように長時間に渡るネタフリが行われ、一気に落とされるタイプコントを得意球としていることはよく分かるだろう。『いきなりダイヤモンド』に至っては、コントとしては異例の20分といった時間が割かれている。『トカゲのおっさん』という作品もあったな。


また『ごっつええ感じ』での『ゴレンジャイシリーズ、あるいは『ワールドダウンタウン』のように、前の回のコントネタフリとし、回を経るごとにどんどんコントの形式を崩すことで笑いを生んでいくという方法を松本はよく採る。これは、コント自体は短編のような形に分断されているが、連作という観点から見ればある種長編的なスタンスであって、彼がむしろ長尺を得意としている側面を伺わせる。


以上は客観的な事実であるわけで、彼が売れっ子になっているということは長い尺の中で変遷していく作品世界を楽しみ、笑っている松本ファンも少なからず存在するわけだ。要するに結論を述べると、「松本は尺の長いものを作るというのには不向き」なのではなく、「貴方が尺の長い松本作品を楽しむのに不向き」なだけなのだよ。映画は期待しない方がいいだろう。

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