はてなキーワード: 嘆きの壁とは
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/tokyo-ias/nihu/publications/mers03/mers03_fulltext.pdf
1915/01 H.サミュエル「パレスチナの将来』メモ一一英国保護下ユダヤ・コモンウェルス
ttps://en.wikipedia.org/wiki/The_Future_of_Palestine
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Balfour_Declaration
ttps://en.wikipedia.org/wiki/San_Remo_conference
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Churchill_White_Paper
パレスチナをユダヤ人国家にするとは言ってない。移民は経済が吸収出来る範囲で。
1929/08/23-29 西の壁事件 J133人、Ar.116人死亡
ttps://en.wikipedia.org/wiki/1929_Palestine_riots
嘆きの壁をめぐるデモからアラブとユダヤ人が衝突。ユダヤ人にとって第二神殿の遺跡、アラブにとってアルアクサ・モスクの一部。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Passfield_white_paper
1931/02/13 マクドナルドの BlackLetter
ttps://en.wikipedia.org/wiki/MacDonald_Letter
1936/04/25 アラブ高等委員会結成、全Pスト委員会設置 ゼネスト開始、ゲリラ戦広がる
ttps://en.wikipedia.org/wiki/1936%E2%80%931939_Arab_revolt_in_Palestine
太字じゃないけど重要なので。
1937/07/07 ピール報告書公表 -JA執行委員会「検討する」
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Peel_Commission
委任統治は実行不能、分割勧告。分割内容の評価は色々な立場があるんじゃないでしょうか。
1937/10/01 アラブ高等委員会非合法化/ハッジ・アミーンSMC議長解任 ゲリラ戦再発
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Arab_Higher_Committee
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Supreme_Muslim_Council
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Woodhead_Commission
ttps://en.wikipedia.org/wiki/White_Paper_of_1939
バルフォア宣言のナショナルホームは国家ではない。マクマホン書簡にパレスチナは含まれない。10年以内にパレスチナ国家樹立。移民・土地購入制限。
1939/08/16 アメリカにシオニスト緊急委員会設立決定
American Emergency Committee on Zionist Affairs
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Biltmore_Conference
"that Palestine be established as a Jewish Commonwealth."ニューヨーク開催。無制限移民を求める。1939年白書を拒否。
1943/08/29-09/02 全米ユダヤ会議、ピルトモア綱領採用
ttps://en.wikipedia.org/wiki/American_Jewish_Conference
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-American_Committee_of_Inquiry
10万人の移民。土地譲渡規制撤廃。パレスチナはユダヤ人国家でもアラブ人国家でもない。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/United_Nations_Special_Committee_on_Palestine
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Ad_Hoc_Committee_on_the_Palestinian_Question
もう滅茶苦茶だよ。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Andrei_Gromyko#United_Nations
1947/11/29 国連総会181号決議 ⇒パレスチナ内戦勃発
ttps://en.wikipedia.org/wiki/United_Nations_Partition_Plan_for_Palestine
米国大使館がテルアビブからエルサレムのノー・マンズ・ランド(中間地帯)に引っ越したのがおよそ五年前。
旧市街と呼ばれる地域には、岩のドームとアルアクサモスク(イスラム教)、嘆きの壁(ユダヤ教)、聖墳墓協会(キリスト教)が有り、
それぞれの宗教における聖地とされている場所、その目と鼻の先に米国大使館が引っ越したのだ。
イスラエルが許可したのか?(ユダヤ人が3000年間、エルサレムと呼ばれる地を首都としてきた、と声高に言っている)
アメリカが勝手に?(アメリカがエルサレムをイスラエルの首都と認定した)
(国連は首都認定を取り下げるよう米国に求める決議案を採択している。)
恐らくは米国議会での採決の結果だが、トランプが引越し命令を出すまでは歴代大統領は目を瞑ってきた。
こんな事柄も、根深いイスラエル・パレスチナ問題を大きくし、今回のパレスチナ(ガザ地区)からのイスラエル砲撃に繋がっているわけだ。
最新のニュースでは、ウクライナ大統領が「世界中の注目がウクライナから逸れるよう、プーチンがハマスを支援している」と訴えている。
4月4日、京都・舞鶴で行われた大相撲の地方巡業の際、土俵上であいさつ中に倒れた舞鶴市長に、周囲の女性たちが救命活動のために土俵上に上がった問題について、メディアを通じて大きな問題になっている。
医療関係者と報道されている女性が救急救命中、行事が「女性は土俵から降りてください」と繰り返しアナウンスし続けたことが大きくクローズアップされている。
歴史ある大相撲の伝統として、土俵には女性は上がることはできない「女人禁制」の原理原則からすれば当然の話である。
しかし、世間はそうは受け取らなかったようである。この土俵問題を報じているヤフーニュースのコメント欄をザッと読んでみても、女人禁制の制度自体に対する批判が多かった。
ちなみに、私自身も個人的には大相撲・土俵の女人禁制には批判的だし、もっと言えば皇室の男子継承についても改革するべきだと考えている。
ヤフーニュースやテレビの報道番組の中で言われていた批判の中で印象に残ったのは「女人禁制の原則を守った結果、救急救命行為が行われずに、市長が死んでしまったらどうするのか」という論理である。21世紀の現代社会なのに、女人禁制のしきたりは時代遅れではないのか、と。
しかし私から言わせてもらえば、「女人禁制」というしきたりは、しきたりという古めかしい言葉で表現される以上の意味を持つ、「思想信条」に等しいのではないか。
私たち一般人から見れば女人禁制なんて、頭のおかしい考え方そのものに思えるが、大相撲関係者の人たちから見ればそれは教義と同じことなのだ。
大相撲関係者の胸の内を想像してみると、死人が出たとしても女人禁制の原理原則は守るべきことなのだと!
ここで思いついたことがある。中東・イスラエルとパレスチナの中東戦争のことだ。
ご存じの通り、中東戦争の火元であるエルサレムにはユダヤ教とイスラム教、キリスト教の聖地となっている。
ユダヤ教徒によって神聖な存在である嘆きの壁、ムハンマドがここで昇天したと信じるイスラム教徒にとっての岩のドーム、そしてキリスト教徒にとっての聖墳墓記念聖堂の3つである。
この3つの宗教をめぐって、あの地域の人たちは50年以上も戦争を続けている。
私たち日本人から見れば、中東の砂漠の中の地面を巡って殺し合いをするなんて、あの土人どもは頭がおかしいだろうとしか思えないことであるが。
しかし彼ら(ユダヤ・パレスチナ・周辺諸国の人たち)からすれば、「教義のためなら死をも厭わない」と本気で考えている人たちが多いということだろう。
そして21世紀の現在でも、彼らは殺し合っている。
歴史の重みはあれど、
最初は歴史的背景からアラブ人もユダヤ人を受け入れてましたが、
ユダヤ人が勝手にアラブ人が住んでいる家を奪い家族で住むようになってしまいました
民族や宗教の歴史を背景にした貧困とヨーロッパのユダヤ人差別から来る、家族ぐるみでの土地争いなんですよね
イスラエル政府が土地を返してと言っても家族で反対するっていう
余談ですが、
ユダヤ人も少子化や若者が国外に出ていくことも多いので(ユダヤ人は教育がすごくて頭がいい)国家の維持が大変らしいです
アラブ人は移民としては受け入れられないのでエチオピアあたりから入れていたはずですが
イスラエルとパレスチナがひとつの国になったらユダヤ人は少数派になり選挙で負けます
圧力も感じるでしょう
そういうこともあり嘆きの壁…じゃなく、