はてなキーワード: 貧富の差とは
「コンゴからの鉱物購入が紛争の資金源に」 ― 米団体が任天堂やキヤノンなどを非難
http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=inside_46418
ファイザーの醜悪な闇取り引き
http://news.livedoor.com/article/detail/5201336/
http://labaq.com/archives/51533910.html
この辺の記事を読むと、我々がふだんパソコンやケータイを使ったり、
医者に行って薬をもらうだけでも、結構な数の途上国の人を殺してるんだな、と思う。
全世界の平均年収は1人あたり年収5000ドルくらいだそうだ。
もし世界中全員の年収がそれくらいになったら、我々はパソコンもケータイも買えなくなる。
そのかわり、我々の生活のために搾取されてる人たちは救われるんだろうね。
「普遍的人権」や「同一労働同一賃金」なんて言っても、実際には生まれた国が違えば命の値段も違うし、
それを是正しようと思ったら我々が今の生活を諦めるしかないんだろうな。
もう少し詳しく説明してみる。
蓄積された知識は後世に伝わるもので時間の経過と共に進化していく、
その進化は生きる事を容易にし、争いを無くし、人々を均一化させるといった物だと思ってる。
それらは、たまに後退することもあるかもしれないが、
概ね「正」の方向に向っていると思っている。
衣食住は時代が進むごとに約束されていき、その結果として争いも減る。
確かに貧富の差は今だ残るが、金と権力が結びつきにくくなりつつあるようにも思う。
その法を富む者が自由にしにくくなっていってるのも確かだし、
その法が富む者を自由にしないように設定していってると思ってる。
飯を食えず餓死するのと、好きなだけ食えるのは大きな差ではあるが、
好きなだけ食えるのと、いいものを好きなだけ食えるのは、大きな差が無いと言う事。
要するに均一化されていってるのだと思う。
その方向で考えると、やはり一夫多妻制というのは今後発生しにくいと思うんだな。
貧しさにとことん辱めを受けてきた人間がそろそろ死のうかと思っている。
その前にこう考える。
よくも自分をこんな境遇に陥れたな。
みんな殺してやる。
みんな死ね。
そこでふと考える。
この国の人間をもっとも体系的に、もっとも多く殺す方法はなんだろうか。
繁華街にトラックで突入してナイフを振り回しても、小学校に突入して出刃包丁を振り回しても、直接手にかけることができるのはせいぜい10~20人が限度だ。
もっと合理的に多くの人間を殺す方法はないものか。
多くの人間を殺すには、原爆でも落とすのでなければ、長期間にわたって一定の人数を殺し続ける必要がある。
そのためには自分が拘留されてはならない。よって非合法な活動よりは合法な活動により殺人ができる方が良い。
方法がひとつだけある。
絶望させ、徹底的に苦しんだ後に死を選ばせるのだ。
そこでふと気づく。
日本人を体系的に自殺させ続けるには、実はいまの社会構造が最善なのではないだろうか。
横からだが、説明しろよ。
昔の農民には、移動の自由がなかった。関所破りとか時代劇でやるでしょ?
なぜか? 豪族毎に税率とかいろいろあって、勝手に有利な土地に移動されたら困るんだよね。税金が搾り取れなくなるから。
他方現代は、日本が嫌ならシンガポールへ移民すればいいじゃない。的な扱いはある。グリーンカードとって(難しいけど)アメリカへ移民とかね。
条件がより良い国家のもとに移動して、有利な条件で活動する自由というのは原則、保証されている。
昔はソレがなかった。
ようするに、昔は農民は豪族支配によって生まれた場所によって貧富の差が生まれるという時代だった。よって、今よりも人権的に有利であったとは言えないし、豪族により人権が剥奪されていたとも言える。
言い方を変えれば、移動の自由が保証されるなら、ひどい地域からは移住すればいいだけなので、地方に豪族が生まれても問題ないとも言える。
小学校の頃に、税金の大切さを教えるアニメビデオを見せられた。
「お金持ちから多めに税金をいただくことで、貧富の差を少なくすることが出来ます。うんぬん。」
で、ビデオ上映開始。
ストーリーはこんな感じ。
貧しい人は大変。
そこに、危機到来。
たしか隕石が衝突しそうになるかなにかだったと思う。
それぞれの家の発電機を提供して、巨大な出力をだしてなんとかするの。
それぞれが自給自足するより、みんなが力を合わせる事が大事でって感じでまとめられた。
そのあとはストーリーから離れて、みんなから集めた税金でこんなことをしてるんですよーってインフラ整備が紹介されておしまい。
紹介されてたのが道路とかダムとかってのが今考えると自民党時代だなぁって感じだけど、そこには突っ込まないでくれ。
「あれ、先生の説明とちがくね?
個人じゃ無理な事業に必要な資金や労力はみんなで負担しましょうって話じゃん。」
時は流れ、高校時代、理系のくせに世界史をとったりしたんだけども、累進課税、というか所得税さえ世界の歴史に出てこないんだな。
労役であれ、人頭税であれ、金持ちだろうと貧乏人だろうと、基本的にみんないっしょ。
とにかくむしる。貧しい人ほど辛かったのは想像に難くない。
公共サービスを受けるための対価だったんだろうな。
日本に住んでると忘れがちだけど、昼間外を安全に出歩けて、夜は安心して寝れるということがすでに治安っていう公共サービスを享受してるってことなんだよね。
全員定額の税(全部貨幣じゃなくて、物納や労働もあり)と、通行税みたいな(インフラの、公共サービスの)利用者だけが払う税金の二本立て。
で、時代が進むと、税金は定額のもの他に定率のものが増える。
収穫の1割とか、土地面積に比例してとか。
で、現代。
素晴らしい発明だよな。
基本的に賛成してるよ。
余裕がある人は、余裕がない人を助けるべきと思ってる。
行き倒れがいたら介抱してあげるべきだし、困った人は助けるべきだ。
でもさ、忘れちゃならないのが、税金ってそもそも貧富の差をなくすためにあるわけじゃないってこと。
自然に考えれば、定額か定率が本来。
富の再分配も重要だけど、第一義的な役割じゃない。
横だけど。
悲観している態度が正解、ってのに俺も賛成。
そのおかげで、それが是正されて、他の国給料は徐々に向上し、日本の給料は徐々に低下している。貧富の差が広がったのではなくて、貧富の差が無くなってるだけじゃん。日本人は富裕層だからねw世界的に見れば。
「これまで先進国だった日本のような国は、賃金水準は落ち、雇用は減り、全体として生活水準が落ちていく」
ということだろ。グローバル化が止められない以上避けようがないし、誰が悪いわけでもないが、日本のマーケットが縮むのは避けようが無い、っていう悲観が正解じゃないかと。
「現実をちゃんと認めたら、対策の打ちようが無いことが判った」というのは別にいいけど、「対策の打ちようが無い」ことと「だからそこで満足する」のは別問題だよね・・・
悪化していくのに満足しろ、っていうのは無茶な精神論にしか聞こえない。
追加だけど、他国の労働者を安く買いたたいているというか、国毎の賃金格差が生まれているからだよね。
そのおかげで、それが是正されて、他の国給料は徐々に向上し、日本の給料は徐々に低下している。
貧富の差が広がったのではなくて、貧富の差が無くなってるだけじゃん。日本人は富裕層だからねw世界的に見れば。
高い物を買うか、安い物を買うか、どこの国の工場を使うかすべて自由だからね。何も強制できない。
やれるとしたら、顧客に高い金を払う価値があると思ってもらえる物を作る。法人税などを引き下げて、国内に工場を持ってくるって話であって
それ以上でも、以下でもないと思うけど
障害者差別発言で、マスコミから猛バッシングを受け、最近になってやっと支持者離れが起こりつつある阿久根市長だけど、まだまだリコールされる気配はない。
昨年のワイドショーなんかで阿久根市民に市長についてインタビューしてたけど、市民は取材陣の誘導に乗らず「ちゃんと仕事さえしてくれればいい」とマスコミが問題にしてることには触れない市長擁護の答えをしていた。市長の支持はまだあり、他県民が阿久根市に口出ししていることを嫌がってるような感じ。
報道やはてなを見てると、なんでこんな人がこれだけ支持されてるのか分からないけど、阿久根市成人式の市長式辞を読んで、阿久根市長が市民に支持される理由が分かる気がした。
疲弊した地方で、こんな演説をされたら、支持に回ってしまう。
■2010/01/05 (火) 成人式式辞
式 辞
「新成人の皆様 本日は誠におめでとうございます。」普通はこのようにご挨拶をするところでありますが、
実感を申し上げれば、今の所、これからの社会はなかなか生きにくい社会になってきそうです。
私たちは「競争することでより良い社会を作ることが出来る」と習ってきました。しかしその考え方は既に破綻しています。
今、日本では貧富の差が拡大しながら貧困率が急上昇しています。
頑張って生産性を高めれば逆に失業者が増えるというありさまです。これは変えなければならないし、変えることができると私は考えています。
私たちには、いつも何かが足りない、でもその正体が分からないという感じがあります。足りないのはお金ではありません。
満足感です。もっとはっきり言えば今の社会では精神的なエネルギーの使い方を間違っているということです。
精神力をひたすら自分を満足させるためだけに使えば、それをやめることが出来なくなります。麻薬中毒患者のように禁断症状が現れて他人から奪う癖までついてしまいます。
いわゆる富裕層の中には金の亡者がたくさん居ます。そのために貧困家庭が増える一方で超高級品の需要は減らないということがおきているわけです。
満足感を得る方向を変えなければなりません。私たちは数限りない人々の働きで今の暮らしがあります。
たくさんの方が苦労して残した文化や発明品、建造物、道路などのほか太陽や海、山、川などの働きで今があるわけです。
誰も個人の力では生きていません。私たち人間というのはいつの間にか生まれて生きて死ぬ、この流れの一部に過ぎないのです。
今の社会は地獄に落ちた餓鬼たちの様に、人を踏み台にしてひたすら上る競争しているのと同じです。
この競争をやめ、私たちが進んで底辺の苦労を共有するようになれば、競争の勝ち負けに関係なく幸福感と安心感で満たされる社会を作ることが出来ます。
苦労から逃げれば、苦労を他人に押し付ける文化が次の世代に引き継がれていきます。
次の社会のために進んで苦労を引き受けましょう。私はそこに人本来の満足感や幸福感そして希望があると信じています。
進んで苦労を引き受ける皆さんに期待します。
平成二十二年一月五日
阿久根市長 竹 原 信 一
式 辞
「新成人の皆様 本日は誠におめでとうございます。」普通はこのようにご挨拶をするところでありますが、
実感を申し上げれば、今の所、これからの社会はなかなか生きにくい社会になってきそうです。
私たちは「競争することでより良い社会を作ることが出来る」と習ってきました。しかしその考え方は既に破綻しています。
今、日本では貧富の差が拡大しながら貧困率が急上昇しています。
頑張って生産性を高めれば逆に失業者が増えるというありさまです。これは変えなければならないし、変えることができると私は考えています。
私たちには、いつも何かが足りない、でもその正体が分からないという感じがあります。足りないのはお金ではありません。
満足感です。もっとはっきり言えば今の社会では精神的なエネルギーの使い方を間違っているということです。
精神力をひたすら自分を満足させるためだけに使えば、それをやめることが出来なくなります。麻薬中毒患者のように禁断症状が現れて他人から奪う癖までついてしまいます。
いわゆる富裕層の中には金の亡者がたくさん居ます。そのために貧困家庭が増える一方で超高級品の需要は減らないということがおきているわけです。
満足感を得る方向を変えなければなりません。私たちは数限りない人々の働きで今の暮らしがあります。
たくさんの方が苦労して残した文化や発明品、建造物、道路などのほか太陽や海、山、川などの働きで今があるわけです。
誰も個人の力では生きていません。私たち人間というのはいつの間にか生まれて生きて死ぬ、この流れの一部に過ぎないのです。
今の社会は地獄に落ちた餓鬼たちの様に、人を踏み台にしてひたすら上る競争しているのと同じです。
この競争をやめ、私たちが進んで底辺の苦労を共有するようになれば、競争の勝ち負けに関係なく幸福感と安心感で満たされる社会を作ることが出来ます。
苦労から逃げれば、苦労を他人に押し付ける文化が次の世代に引き継がれていきます。
次の社会のために進んで苦労を引き受けましょう。私はそこに人本来の満足感や幸福感そして希望があると信じています。
進んで苦労を引き受ける皆さんに期待します。
平成二十二年一月五日
この世の中は技術や知識が発展して衣食住には困らなくなってきている
しかし、貧富の差、物量の差はいまだに埋まらない
本当は働かなくてもいい、またはそれなりに少しだけ全員が働ければ生きていけるという世界になってきてるはずだが
相変わらず競争はなくならないし、貧富の差もまだまだ均一化できていない
現在富を築いてきた人間はそれを失う事を極端に恐れており、富が均一化する事を阻止しようとしている
富が自分のところにだけ集中する事を望んでおり、彼らは自分のところに集中した富をさらに活用して、自らの地位を磐石のものにすることしか考えていない
彼らは自分の目の届く範囲にしか興味がなく、世界の裏側で貧困にあえいでいる人間たちに興味がない
なにか言われたら、それが資本主義だよ、それは国単位での自己責任ではないかねと言う
そもそも、資本主義というのは、世界規模での発展性が薄くなった時には有効性が低い
未開の土地や資源がある時にだけ、その開発・競争・発展速度を促す仕組みだ
現在、地球で人間が支配していない土地はほとんどなく、資本主義が爆発的な速度で成長するための器が見つからなくなってきている
それを打開するために、かつてアメリカが宇宙開拓を計画したが、技術的・資源的な難度が高すぎて頓挫した
つまり、現社会では資本主義は本来であれば頭打ちになっており、未開の分野、資源が見つからないと劇的な効果を生み出せず停滞する
移民をご希望の方ですね。ようこそ、ユートピア移民管理センターへ!ここユートピアはトマス・モア生誕600年に建国された世界で唯一の真の自由国家でございます。
当センターは完全無人となっておりますが、オンラインで国の中心地と直結しており、審査やお手続きにかかる煩わしさやお時間をとらせず、迅速かつ丁寧なご対応をさせていただきます。
これよりこの音声案内により、移民に際しての数点の質問と説明をいたしますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
さて、あなた方はどちらの国からいらっしゃったのですか?・・・そうですか、ご苦労をされたのですね。でもご安心ください。ここユートピアには貧富の差も権力の集中も無く、すべての国民が等しく富と自由と権利とを所有しております。
今回、お二人がご夫婦で移民を希望された動機はなんでしょうか?・・・なるほど、ご主人が71歳に奥さまが69歳で、今までお住まいの国では老後に不安があると・・・いえいえまだまだお若いですよ。移民を決意されるのに遅すぎるなんてことは少しもありません。お見受けしたところ足腰もしっかりされてらっしゃいますし、お歳よりもずっとお若く見えます。
・・・ええ、みなさんそう仰います。最近はどこも不景気ですからね、大抵の国家では福祉にまわす予算なんて無いのでしょう。その点もどうぞご安心ください、ユートピアは世界でもっとも福祉に力を入れている国家であると自負しております。国民は高度な医療を無償で受けることができますし、流行のファッションも、美味しい料理も、素敵なマンションも、お子様には高度な教育も、すべて無償で国家より提供されます。
我が国は他国との経済的な交流がございませんので世界的な不況とも全く無縁ですし、全国民の権利として恒久的な手厚い福祉を生涯にわたって受けることができます。
ユートピアに王や奴隷はいるのか、ですって?あなた、大変失礼ではございますがトマス・モアの読みすぎではありませんか?王だの奴隷だのというナンセンスな旧時代の骨董品のような階級など、我が国のような先進的な国家には建国以来一切存在しておりません。ユートピアでは全ての国民がまったく同じ権力を有しておりまして、どんなに些細な事柄でも全てオンラインで行われる国民投票で決められます。先人たちが建国時にこのシステムを導入したことにより、常にスムースかつ適切な行政が行われるのです。
ただひとつだけご理解頂きたい点が、ユートピア国民となられた後の出国については一定の制限がなされる、と言うことです。これは福祉を優先させた結果限られた軍事予算で国防を行わなければならないため、防衛戦略上どうしてもやむを得ない処置なのです。
ですがこのおかげで、ユートピアの夢のような手厚い福祉が、全ての国民に等しく平等に行き渡るのです。
- * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *
ユートピアへの移民をご決断頂きありがとうございます。あなたのこの素晴らしい選択を、心よりお慶び申し上げます。それでは、目の前のタッチパネルを使用して必要事項をご入力ください・・・
おめでとうございます!以上で移民のお手続きは全て終了です。これであなたも立派なユートピア国民です。改めまして、ユートピアへようこそ!
え、私ですか?いや、これは申し遅れました、私は2160週目の胎児です。名前はまだございません。ここでは私たち胎児の人権も等しく認められており、選挙権はもちろん、親を選ぶ権利、生まれ出ない権利も有しております。保育カプセルから出られない事と、栄養補給はへその緒から行う事になっているほかは、至って快適な生活なんですよ。
私事ですが先日初孫ができまして、同じ週齢の友人たちの中でも一番早いのが自慢なんです。おかげさまで妻も娘夫婦も孫も、みな生まれ出ない権利を行使して保育カプセルの中で元気に育っております。
近年では私たちのように生まれることを選択しない胎児が国民の8割を超え、慢性的な労働力不足が一種の社会問題となっておりますが、最近提出された『胎児出生選択法』の改正案も国民の圧倒的多数によって否決されたばかりで問題の解決には至っておりません。ははは、もちろん私たち一家も反対票を投じましたよ。
ですから我が国ではあなたのような方を貴重な肉体労働者として、常に心から歓迎しているのです。あなた方も入国された後は、すぐに工事現場や鉱山での労働義務が割り当てられるはずです。
それでは、どうぞユートピアでの素晴らしい暮らしをお楽しみください!
カシュガル、ホータン、イリはイスラム教の聖地をかかえ、多くの敬虔なウィグル人が住まう。北部ウィグルと異なり、工業化、近代化が進んでいない。
北部(北彊)はガス、原油などの生産基地があって石油化学、金属冶金などの産業が発達したが、南彊は核実験場とされたり、砂漠地帯が北彊とを地形的に分けているためだ。
イリでは1997年「イリ暴動」が起こった。ホータンでも昨年は数百のデモがおこり、またカシュガルは中世からのイスラム城が取り壊され、世界遺産の指定を自らはずし、住民を近郊のアパートに強制移住させた。
カシュガル城旧市内の破壊は文化と歴史の破壊であり、「あれはまさにバーミャンの石仏をミサイルで破壊したタリバンの暴挙に匹敵する」と批判が強い。
さてウルムチでは騒擾から一週間を閲し、モスクの一部が再開され、街は平穏を回復した、かに見える。
モスクの再開を当局が許可したのは犠牲者の葬送をウィグル人が行うためであり、しかしモスクや周辺の壁には「密告奨励」のビラが貼られている。
ウルムチには6月に広東の玩具工場でおきた漢族との武力衝突以後、同工場で働いていた600名のウィグル人労働者が帰っている。
在米華字紙の論調は「上は国家安全部から下は武装警察まで総力をあげて『テロ』に挑んだと言いながら、大規模な騒乱を防げず、これは政府無策による虐殺であり、政府に責任がある」とするものが目立つ(たとえば博訊新聞網、7月12日)。同紙はつづけてこういう。
「工業化で恩恵を受けたのは入植した漢族が殆どであり、石油企業、金融、輸出企業などにウィグル人が雇用されておらず、教員も北京語が強要されて以来、30万人のウィグル人教職員が追放され、貧富の差はますます拡大した。とくに王楽泉・書記とその家族は比べる者がないほどの富を得た。
中央政府は実態をみずして、胡錦涛は「『宗教指導者』『民族分裂主義』『テロリスト』の“三股勢力”が騒擾の原因である」などと言いつのり、団結を叫んだものの、『中華民族』の標語は虚ろであり、このあまりの少数民族への虐待に、かれらウィグル人が民族の記憶を呼び覚まし、国際社会における汎トルコ主義に目覚め、独立を目ざすのは自然の流れと言える」。
7月11日には中央政治局常務委員の周永康(政法委書記)は国務院ならびに軍の高官を引き連れて、急遽、ホータン、カシュガル、イリを視察し、「ウルムチはおさまったものの、これら三地域では暴動再発の危機は高まっている」とした。
「カシュガルは嘗て短命に終わったとはいえ分離政権が存在した地域でもあり、『三股勢力』が猖獗している。ホータンもイスラム原理主義過激派が強いカシミールの国境と近く、テロリストの密輸ルートである」などとして、特別警戒に入った(多維新聞、7月13日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E7%B4%9B%E4%BA%89
「ツチ対フツ」の形成
フツとツチは元々は同じ言語を使い、農耕民族であるか遊牧民族であるかという違いでしかなく、貧富の差がそれぞれの民族を形成するなど両者の境界は曖昧であった。遊牧業が主な生業であったツチは、牛を多数所有するなど比較的豊かであった。しかし、ベルギー人をはじめとする白人による植民地支配がはじまると、鼻の大きさや肌の色などを基準に境界が作られた。ツチは「高貴(ハム系あるいはナイル系)」であり、対するフツなどは「野蛮」であるという神話・人種概念を流布(ハム仮説)し、ツチとフツは大きく対立し始めた。1948年に188万7千人だった人口が1992年には750万人と4倍になり、土地不足や土壌の疲弊が起こり[1]、農業が主だったフツには貧困が蔓延するようになった。
梅田望夫が日本のWebに対して行った一連のことは、ベルギーがルワンダで行ったことと同じである。
彼が「ほめる」場合、必ずその反対にいる人たちがいて、その発言は常に彼らを暗に貶めることで成り立つ。
そして、「ほめた集団」をハイブロウだとあおり、彼らのうちその扇動に乗ったものにその反対を攻撃させる。
だが、必ずその反対側から反感を買い、ほめた側は基本薄っぺらいためそこを突かれ反撃されるが、あおった本人はそそくさと撤退している。
その後に残るのは、大きな傷跡を残す対立だけだ。
日本オワタ!っていうけど、じゃあ海外ならいいのか?っていえばさあ、なんだかんだ日本よりいい国ってないじゃん。海外行った奴はそろって「日本のよさが分かった」とか言ってるし、俺もちょっとだけホームステイしたことあるけどそう思ったよ。
貧富の差が激しくなってきたなんていうけどだったらアメリカならいいのかっていえば、寧ろアメリカの方が酷いわけじゃん。ヨーロッパも軒並み揃ってイマイチパっとせずにグズグズだし。東南アジアはまだやっぱ発展途上だし。大体海外いったら日本人のほとんどが受けたことない人種差別も待ってるじゃん。特にヨーロッパ。
といっても過去に比べればやっぱマシなわけで、
終わったっつーよりまだ始まってる途中っつーか、現代全体がまだ発展途上っつーか。
というよりどこいっても結局それなりにバツはあるっていう当たり前の事実なのか。
どこいっても結局それなりにどこも「終わってる」んなら日本がマシなのかって気もする。何せ、慣れてるし、言語的にも。
だって「オワタ日本」よりいい国ってじゃああるの?って。その国の言語習得するとか、そういうリソース割いてまでのメリットある国。
寧ろこれまでがよすぎたんじゃないのか。
どうもこうも。
こういう議論が出るたびに思うんだけどさ、「日本が落ちる」って表現は具体的にどうなることを指してるの?
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
・ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
・ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
ちゃんと書いてあると思うんだが(ワーストケースは確かに具体的じゃないけどな)。
正直言ってさ、日本に国際的な影響力がなくなっても飯が食えて寝るところがあれば十分じゃん。それとも、それすら出来なくなるの?
「ベースケース」になるとすれば、貧困層は食うのも困るってことだろ。
実際そうなりつつあるしなあ。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
こちらのエントリを読んで悲しくなったので書いてみる.誰が読むというわけでもなかろうが.
当方は前掲エントリ内で「留学経験がある方が就職も優位になるので、特に20代の人だったら失うものはまずない」と言われている20代の留学生(ちなみにアメリカではない).東京の某国立大学を卒業して,就職経ずにこちらで修士をやっている.その辺りが渡辺さんとの肌感覚の違いなのだろうか.私は…少なくとも修了したら日本で働きたいと思って留学した.グローバルな視点は重要だろうし,日本が立ち直れないのもその通りなのだろう.その道で働いてきた人が言っているのだから,世間知らずの一学生が言うことなど何の効力もないのはわかっている.けれども,愛国心とかそういうカタいことは抜きにして,純粋に自分が生まれ育った国の未来を,世界の未来よりも見たいと思うのはそんなにおかしなことだろうか.
* ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
* ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
あちらで精力的に活動し,結婚までされている渡辺さんのこと,自身の生活の基盤がそこにあるから,「日本はもうダメなので,海外に留学してそのまま働いたほうが良い」などと言い,上記のような「世界の中の日本」を想像できるに違いない.きっと自分の見つめる先に,そういう未来がリアリティを持って描けているのだろう.しかし,人間は余程の天才かなにかでない限り,いや,天才であったとしても自分が見たいと思った未来のすべてを見ることはできないように思われる.渡辺さんも然りで,きっと「世界の中の日本」という視点でしか日本の未来を描くことができないのだと思う.
もちろん私にだって,日本の未来のすべてを描くことはできない.しかし私は,日本の中で,日本と共倒れするのであっても,どうせ生まれ落ちてから少しずつ死んでいくような人生ならば,少しでも良いから日本の人たちが幸せにしている姿が見たいと思う.それがただ「死んでいく世界の中の日本」に対する対症療法であっても.少なくとも私は4年間授業料の半分以上を税金で払われた身であるし,それに報いたいとも思う.できれは近くから日本を見ていたい.だから,私は特に自分が「勝つ」とか「うまくいく」とかいうそういうちっぽけなことよりは,日本に居て,そこで小さくても何かができたら嬉しいと思う.そのために自分に足りないと思われるスキルがたまたま日本では学ぶことができなそうだったから,今留学しているまでだ.海外に住んで,1年が過ぎた.
私は海外で勉強しているけれど,日本で働きたい.おそらく帰国しても,渡辺さんのように思い切ったことは言えやしないだろう.シリコンバレーにもアメリカにも行ったことはないが,アメリカは(シリコンバレーは?)個人が「勝つ」ことを志向して,その集積で大きくなってきた,シアワセになってきた場所なのかもしれない.私はそういう場所は.肌に合いそうにない.そして,世界という場所は=アメリカでもシリコンバレーでもないのだ.
まとまらないが,なんとなく違和感を覚えたので書いた.
http://anond.hatelabo.jp/20090121111543
(M) 我々はいまだ若い国家だ。だが、聖書の言葉を借りれば「幼子らしいこと」をやめる時が来た。
(A)米国はなお若い国だ。しかし、聖書の言葉を借りれば、子供じみたことはやめる時が来た。
(Y)我々の国はまだ若いが、聖書の言葉には、子どもじみたことをやめるときが来たとある。
(M) 我々が、不朽の精神を再確認する時がきた。より良い歴史を選ぶことを再確認し、世代から世代へと受け継がれた高貴な理想と貴重な贈り物を引き継ぐ時が来た。
(A)不朽の魂を再確認し、よりよい歴史を選び、世代から世代へ受け継がれてきた貴い贈り物と気高い理念を前進させる時が来たのだ。
(Y)我々の忍耐に富んだ精神を再確認し、より良い歴史を選び、貴重な才能と、世代から世代へと引き継がれてきた尊い考えを発展させるときが来た。
(M) それはすべての人々は平等、自由で最大限の幸福を追求する価値があるという、神の約束である。
(A)それは、すべての人は平等かつ自由で幸福を最大限に追求する機会に値するという、神から与えられた約束だ。
(Y)尊い考えというのは、すべての人は平等で、自由で、あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束のことである。
(M) 我が国の偉大さを再確認する時、我々は偉大さが決して与えられたものでないことを理解する。
(A)米国の偉大さを再確認する上で、私たちはその偉大さは所与のものではないと理解している。
(Y)我々の国の偉大さを再確認するとき、我々は、偉大さが決して与えられたものではないことに気づく。
(M) 自分で手に入れなければならないのだ。
(A)それは、自ら獲得しなければならないものだ。
(Y)それは勝ち取らなければならないのだ。
(M) 我々のこれまでの旅は、近道では決してなかったし、安易に流れるものでもなかった。
(A)私たちの旅に近道はなく、途中で妥協することは決してなかった。
(Y)我々の旅は、近道でも安易なものでもなかった。
(M) それは心の弱い、仕事より遊びを好み、富と名声からの喜びのみを求める人々の道でもなかった。
(A)仕事より娯楽を好み、富と名声の快楽だけを求めるような、小心者たちの道ではなかった。
(Y)我々の旅には、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、臆病者のための道筋はなかった。
(A)むしろ、(米国の旅を担ってきたのは)リスクを恐れぬ者、実行する者、生産する者たちだ。
(Y)むしろ、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。
(M) 恵まれた人の場合もあるが、多くはその仕事については知られず、長く困難な道のりを歩み、我々を繁栄と自由へと運んでくれた人々だ。
(A)有名になった者もいたが、多くは、日々の労働の中で目立たない存在だった。彼らが、長く険しい道を、繁栄と自由に向かって私たちを運んでくれたのだ。
(Y)それらの人々は、著名な人たちというより、しばしば、無名の働く男女で、長い、でこぼこした道を繁栄と自由を目指し、我々を導いてきた人々だ。
(M)我々のために、彼らは、ないに等しい荷物をまとめ、海を渡って新しい生活を探した人々だ。
(A)私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた。
(Y)我々のために、彼らは、わずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を旅した。
(M)我々のために、彼らは額に汗して働き、西部に住み着き、鞭(むち)打ちに耐え、硬い土地を耕してきた人々だ。
(A)私たちのために、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。むち打ちに耐え、硬い土を耕した。
(Y)我々のために、彼らは、劣悪な条件でせっせと働き、西部に移住し、むち打ちに耐えながら、硬い大地を耕した。
(M)我々のために、彼らは(米独立戦争の戦場の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第二次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナムの)ケサンで戦い、死んだ人々だ。
(A)私たちのために、彼らは(独立戦争の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第2次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンで戦い、命を落とした。
(Y)我々のために、彼らは、(独立戦争の戦場)コンコードや(南北戦争の)ゲティスバーグ、(第2次大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンのような場所で戦い、死んだ。
(M)歴史の中で繰り返しこうした男女がもがき、犠牲を払い、我々がよりよい生活を送れるように苦労してきた。
(A)彼らは、私たちがより良い生活を送れるように、何度も何度も奮闘し、犠牲を払い、手がひび割れるまで働いた。
(Y)しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり、働いた。
(M)彼らは、米国が我々の個人的な希望の集大成よりも大きい存在だと思っていた。生まれや富、党派の違いより偉大だと思っていたのだ。
(A)彼らは、米国を個人の野心の集まりより大きなもの、出自の違いや貧富の差、党派の違いよりも偉大なものだとみていたのだ。
(Y)彼らは米国を、個人の野望を合わせたものより大きく、生まれや富や党派のすべての違いを超えるほど、偉大であると考えていた。
http://anond.hatelabo.jp/20081218152326
携帯のフィルタリングは2005年から一応あるにはあったんだよね。
NTTドコモ、iモードに子供向けのフィルタリングサービスを提供 2005年06月24日
http://k-tai.ascii24.com/k-tai/news/2005/06/24/656606-000.html
(株)エヌ・ティ・ティ・ドコモとNTTドコモグループ8社は24日、iモードによるウェブサイトへのアクセスを制限できるフィルタリングサービス “Kid's iモードプラス”の提供を発表した。ネットスター(株)のデータベースを基に、出会い系サイトやギャンブル系サイトなどへのアクセスを禁止する。
同種のサービスとしてはすでに提供中の“Kid's iモード”があるが、これはiメニューの“公式サイトのみ”アクセスが可能で、一般サイトへのアクセスを制限するというもの。一方、新たに提供される “Kid's iモードプラス”では、一般サイトへアクセスを可能とした上で、出会い系サイトやギャンブル系サイトなどの特定カテゴリーのサイトへのアクセスを制限する。
制限されるカテゴリーは、“不法”“主張”“アダルト”“セキュリティ”“ギャンブル”“出会い”“グロテスク”“オカルト”“コミュニケーション”“ライフスタイル”“宗教”“政治活動・政党”“成人嗜好”。
だけど、結局申込者が少なかったのか、あまり有効ではなかったみたい。
学校裏サイトとかの問題が出て、携帯フィルタリングすべき、という流れが出てきた。
2007年の12月から各キャリアは自分たちの基準でフィルタリングをやってた。
携帯フィルタリング「利用者が選択を」 総務省が改善策 2008.4.2 19:37
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080402/biz0804021939015-n1.htm
携帯のフィルタリングは増田寛也総務相が昨年12月、未成年者に原則適用するよう携帯電話各社に要請、本格導入された。現状は、(1)携帯会社が認定した「公式サイト」から有害性のないサイトだけ閲覧を認める「ホワイトリスト」(2)無数のサイトから有害情報を排除する「ブラックリスト」〓の2方式があり、NTTドコモとKDDIはホワイトリストを適用中。
フィルタリングは何らかの形でされているものの、効を奏していないって事なんだろうね。
プロフとかmixiとかよくわかんないけど、場所を変えて、いじめとかがどこかでおこってるのか。
キャリアが悪いのか、子供が悪いのか、親が悪いのか、フィルタリングの効果を認めないで規制を推し進める人が悪いのかはわからない。
結局、携帯を持たせないようにしようっていうのが今回の流れかな。
<教育再生懇>携帯電話の小中学校持ち込み、原則禁止 12月18日12時17分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081218-00000044-mai-soci
政府の教育再生懇談会(座長、安西祐一郎・慶応義塾塾長)は、子どもの携帯電話利用に関する提言の素案をまとめた。「小中学生が携帯電話を持たないよう保護者や学校が協力する」とし、通話機能に限った携帯電話の促進や、小中学校への原則持ち込み禁止を促している。
だけど、画一的に持たせないようにする事で、貧富の差により携帯を持っている子と持ってない子の間で生じるトラブルは、減らせるかもとは思う。