はてなキーワード: 拡張とは
武士ってよく分からない。
戦う人なのか単なる行政官なのか。
なつきさんの親戚には自衛官に警察官、消防士、救急と「公僕」が多い。
だけど、戦う、に関しては、
なつきさんちで語り継がれる戦いは「防衛」戦である。
拡大は商売によってなされた。
戦って名を上げ、領土を拡張するという武士のもう一側面はなつきさんちでは劣勢だ。
だから、東大→アメリカ留学という道で「名を上げる」ルートの評価は微妙な位置にある。
人工知能に注入されたのが、拡張を目指す知識欲なのは示唆的だ。
◆
その中でもっともそうした「縁」を体現するのはなつきの曾祖母だが、
この「縁」がくせ者だと思う。
戦うことと縁には考えればすぐ分かるように固有の緊張関係がある。
ゆえに平時には縁が強調され、
戦うは非常時に押し込められる。
だが、名を上げる、には「競争」が必須であるように、
戦うは非日常に封じ込め切れるものではない。
サマーウォーズを観ていての一番のひっかかりは、
曾祖母が掲げる「負けない(戦う)」と「つながり」の矛盾を映画が解ききれていない気がしたことだ。
縁にはレイヤーがいくつもある。
黒電話で活躍する曾祖母のネットワークは、平和と危機のコントラストの中では機能するが、
恒常的な闘争状態ではどうだろうか。
こうして、戦う、との矛盾が最小限の、
一致団結したつながりとして親族が浮かび上がる。
だが、親族には血による縦のラインとは別に、
婚姻によって拡大する側面も存在する。
この婚姻の困難を、主人公が引き受ける。
婿ドノは他人なのだ。
他人を親族に引き受けるために、曾祖母さえ約束(契約)の形をとらざるをえない。
◆
曾祖母は、負けない、と、つながりに加えて、
飢えない(食べる)も示すが、
これもうまく掘り下げられてる気はしなかった。
戦うと縁の矛盾は、婿ドノの困難に関しては、
戦ってる人はかっこいい!(恋愛)というモメントで解消されるのだけど、
それは、悪くはない。
でも、戦ってる人はかっこいい(cool!)って感じで、
戦いに必要な数が動員されるのは(分かっててもグッとくるだけに)なんだかなあ。
セカイ系?
サマーウォーズの中で訪れる危機は、
セカイ系でしょうがないって気にさせもするけど・・・
親族は中間項たりえてない気がする。
◆
映画の観始めに考えていたのは、
戦うと縁とかではなく、
エンドレスエイトが終わった時の実況のまとめスレはさらにすごい。
皆が、キター、っていうことは、確実に目眩がするぐらいの心の打ち震えをもたらす。
グッとくる。
映画の中の、コイ!、も同じな。
ただ、この量的な過剰さが「溢れる」ことによる感動は、
AAが崩れて、いくらスクロールしてもパチパチやキターが続くのはなかなか圧巻。
だけど、同じ理屈でいくと、
映画館のスクリーンにこの種の「過剰さ」による感動は向くのかという疑問がわく。
このグッとくる感じは、映画の「細部」がもたらす「豊かさ」とは違うと思う。
定義はしない方がよいだろうけど、
人はこの二者を別物として感じると思う。
記号としてのモノは溢れていても風景はない。
(細野さんらしい)
初め「家」に見えたものが増殖して「城」とか、あっと驚く瞬間はあるけど。
記号としてのモノの、数量的な過剰さ。
画面を「文字」が溢れて埋めるんだから。
戦う、と、つながり、と数量的なものを、
戦ってる人はかっこいいからつながる(恋愛&数量的なcool)以外で見せてほしかった。
見逃してるだけなら教えて。
◆
以下過剰書き的に
・アニメで横にパンするってすごくない?
受けるというかザッツザジャパニーズアニメ!って感じにもてはやされそう。
船て
・止めて、が世界の話と個人レベルをつないでて、セカイ系な感じ。
・公僕が、より大きなおおやけのためにルールを無視するあたりも好き。
・やっぱ、おばあちゃんが何を望んでるのか、
伝統か、負けないことか、勝利か、飢えないことか、つながりか、
明確でないことがダメなとこな気がする。
そのせいで、各人の心理が論理的でない。
そこを、グッとくる、「情」で押し流してる。
・ただ、曾祖母が「生きてる」こと、
人が生きて死ぬことの中には、
そんな矛盾とか織り込められてる気もするが、
半ば死んだ英雄、神話にしてしまっている気がした。
茂木健一郎氏の本はどうも読んでてひっかかることが多い印象だったのだが、きょう「思考の補助線」という本を読んでてその理由が少しわかった気がした。
たとえば96ページに
「ITがネットワーク化の拡張をメルクマールとして発展していく中で、必然的に標準化の事態が進むという状況がある」
という文があるのだが、これは
で充分なはずである。また同じページに
「今日において、世界の多様性を握りつぶすことにつながると懸念される契機には、さまざまなものがある」
と書いてあるが、これは
という意味なのだろうか。
どうも、難しそうな文を書くことによって自明な話をわかりにくく記述しているように見える。内容についてはともかく、茂木氏は文章は上手なのかと思っていたのだが、とんだ誤解だったのかもしれない。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090702/333080/?ST=system&P=2
について。
最初、無印がばかかと思ったが、ITProのほうがばかだった。
タイトルだけみたら、基幹系システム全部をbashで書いたのかと思ったが、
ようは本番環境のDBをコピーしてある検索系のデータを加工するツール群を作っただけということ。
それなら、bashでもなんでもいいし、どこの会社でも普通にやっていること。
そんなものが、さも素晴らしいように書いているITProの見識を疑う。
(日経新聞が書くならまだしも、IT記事の専門ででしょう。ITProは)
といいつつ、無印のやっていることにも疑問は多いに残る。
システムの素人だから簡単な言語を、ということでbashを選び、
それで生産性を10倍に高めたのはいい。
だけど、そもそもベンダーに問題の背景から伝えて基幹系でないツールの開発手法を変えるとか、
内製するにも、中途で技術者を雇うなりして検討すれば、
より高い技術をもって、もっと生産性を高めることができた可能性は否定できない。
そもそも基幹系の実行システムが、いまだに複数ベンダーのつぎはぎシステムで統一化されていない上に、
内製された莫大なツールをもっていると、
私たちは、過去から現在へ至る、中国共産党の民族浄化政策に基づくウイグル人の差別、弾圧、虐殺に抗議します。
6月26日、中国広東省の玩具工場で強制連行で労働に従事させられているウイグル人が、シナ人のデマが発端となる集団暴行事件に巻き込まれました。200人のウイグル人が6000人のシナ人に暴行を受け、100人が撲殺されるという恐ろしい事件が起きました。
7月5日、この事件が発端になり、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)のウルムチで、積年のシナの弾圧に対する抗議デモが行われました。しかし、中国政府はウイグル人の「暴行」と宣伝し、情報を統制して真実を隠しています。そして、現在、ウイグルを中心にシナ全土でウイグル人への徹底的な弾圧が人民解放軍、治安警察、それらによって操られたシナ人暴徒らによって行われています。
中国の武力弾圧やシナ人の攻撃で虐殺されたウイグル人は、5日から現在までで最大3000人に及んでいます。
私たちは、以下のことを要求します。
●中国は直ちに東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)でのウイグル人弾圧を止めろ。ウイグル人の強制連行、民族浄化政策を止めて、思想・宗教・言論・教育・結婚の自由を認めよ。
●中国は7月7日に不当逮捕した、北京の中央民族大学副教授イリハム・トフティ氏を
直ちに釈放せよ。
●中国は1964年から1996年までの46回にもわたる核実験によって、「核の砂漠」が現出し、ウイグル人ら19万人以上が急死し、129万人以上が白血病、癌などの急性放射線障害に罹った疑いを、国際機関の査察で明らかにせよ。
ウイグル自由人権アジア委員会(7月13日「外人記者クラブ」記者会見出席者)
Asian Committee for Freedom & Human rights in Uyghur
イリハム・マハムティ(世界ウイグル会議日本全権代表・日本ウイグル協会会長)ウイグル人
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来日して、17~18年になります。内モンゴル人です。1981年の内モンゴルで起こった文革の折に学生運動をしており、今日まで人権を訴えてきました。
今も、内モンゴルから逃れて、人権、自治、独立を要求して活動している人が多数います。
チベット、ウイグルでのこの度の事態、悲劇、このようなことがいまも続いていることに遺憾の意を表します。
幼いころより常にどこかで暴動が起きていました。それが今日まで国際社会、独立、人権、自由に関心を持った人々の目に届いていなかった。こうした悲劇に会った人々は、戦い続けます。力を合わせ、国際社会に訴えていきたい。この度の(ウイグル)の犠牲者の方々には、心より冥福を祈りたい。
イリハム・マハムティ(世界ウイグル会議日本全権代表・日本ウイグル協会会長)ウイグル人
皆様ご存じのように、今回の事件は、自分の同胞が殺されたことの説明を求めるために、人々が集まったところから始まりました。それに対して、無差別発砲が為された。政府は、それが自らの責任でないとするために、世界ウイグル会議の責任にしてきた。
なぜ、学生に発砲したのか? チベットでの事件が経験になったのだと思う。
最初、少ない人が抗議し、その日は解散させられたが14日後にまた集まったところ無差別発砲があり、政府は鎮圧できると思ったがそうはならなかった。
ウイグルに政府が入って60年。自分達は静かな生活を奪われた。「何もやっていないのに、銃殺された」それを聞いて驚いて、人々が集まったところ、トラックで突っ込んで来て、17人が死亡した。そこから始まった。何もなく、漢民族に暴行したのではない。さっきまで自分と一緒にいた人が死んでしまった。そのことを受け入れられなかった。軍が気を配ることがなかった1~2時間で、中国人を襲撃した。その時に、既に軍は発砲をしている。156人死亡と発表したが、何人がウイグル人で、何人が漢人と発表しなかった。
顔がわからないくらいに損傷していた。軍はどんな武器を使ったのか?先日、184人の犠牲者と発表した。70~80%が中国人とアピールした。
私は、5日から6日までに、逃げた人以外は全員死んだと思っています。今、どこに何人いるのか、わからない。外国メディアに入ってもらい、ウイグル人がやったのか、中国政府がやったのか、第三者が入っての調査を求めた。それに対して、中国は、「これは内政問題である」と主張した。なぜ隠すのか?ウルムチに多くの記者を入れて情報を伝えているとアピールしているが、その他の地域ではインターネット、電話が繋がらない。世界のメディアにはウルムチ以外にも目を向けて欲しい。
7月8日、生産者に銃を配り始めた。生産建設団は、中国人。ウイグル人はいない。6日から7日に全員に銃を配った。町の中で銃を買う? なぜ民間人が銃を持つのか?軍しか持っていなかったのを。ウイグル人に発砲しないと保証できますか?
世界に向けて訴えたけど、アメリカなど西欧諸国は世界に強いメッセージを訴えなかった。「ジェノサイド(大虐殺)」とのメッセージを送ったのはトルコのみ。
ウイグル人は、世界に対する希望を失っています。これは、命だけを残したということは、堂々と死にたい。世界にこの危険を認識して欲しい。多くの中国人が世界に間違ったメッセージを送っている。全世界が、この問題の重さを認識しないといけない。
いま、イリハムさんから世界に訴えたいのは「中国にやりたい放題のことをやらせてはいけない」ということ。世界の人が第二次世界大戦のホロコーストを悪と認識している。
ICJ、国際司法委員会は、60年代にチベットでの中国共産党の行為に、「大規模虐殺があった」と判決を下している。トルコの首相も、(それを)「大虐殺」と明言している。1989年3月、ラサで軍による弾圧があった。6月4日、天安門事件が起きた。軍が民衆に銃を向け弾圧した。こうしたことには世界が抗議をした。
中国のチベットに対する先般の虐殺への抗議も、このところ下火となった。
そうした時に、ウルムチで大虐殺が起こった。イリハムさんが言うように1000人以上の人が犠牲になっている。チベットの先般の虐殺でも中国は20名と報道した。180数名の名前、性別、年齢まで報道されたにもかかわらず、世界は世界第三位の経済大国からの情報をそのまま流した。
世界の人は、全ての人々を平等に扱うべき。白人であっても、黒人であっても、ユダヤ人であっても、チベットやウイグル、モンゴルの人であっても、命は命と普遍的価値として等しく扱うできです。
先程からイリハム氏が言っているように、世界の人々が無関心である限り同じ罪を犯している。この度、ウイグルの人と連帯し、世界の人達に対して、このまま中国に対して何の咎めもなく許すなら、この世界から正義がなくなる。
私達が訴えている相手は、世界67億の良識です。世界に対して「自分たちの同胞である。自分の家族が子供達がそのようなことになったらどう思われますか」と訴えている。これから、このようなことが台湾に起こるかもしれない。チェックせずにほおっておいたら、この流れが広がる。米国大統領は、核の非拡散を訴えている。核は人間がつくり、人間を破壊する。同陽に、いま、中国という国が人間の命を命とも思わない、嘘も100回言えば本当になるというようなことを許せば、正義のない社会がこの地球を包むことになると危惧している。そういう意味で、今日が、世界の人々の良識を覚醒する日としたい。
元中国人の石平と申します。日本人になっていますが、漢民族です。今回の事件のこと、そしてこれまで60年、チベット、ウイグルなどへの侵略行為に対して、心よりお詫び申しあげたい。
私も当事者です。20年前、天安門で戦った。中国共産党政府が軍まで出して、学生を手当たり次第に殺していく。そのことに憤りを感じた。絶対に許してはいけない。
しかし、今回は、中国政府に対して、天安門の時のような国際社会の批判が聞こえてこない。理由は、中国共産党政府の情報戦略にある。事実を隠し、違ったことを公表した。
ウイグル人が漢民族を暴行したイメージを作った。目的の為には、手段を選ばない。
こうしたやり方は、欧米ではマフィア。日本ではヤクザ。中国では共産党のやり方だ。
最初から死の弾圧を加えた。
7月12日の朝日新聞の朝刊は、こう報道している。「でも最初は平穏だった」
住民の証言です。ウイグル人は、平和的にデモを行った。警察―と言っても中国は日本と違って武装警察です―は、水平に銃撃をした。これは、虐殺。
有無を言わせず、警察が銃を発砲し、暴動となり、さらに軍が攻撃した。それが今回の粗筋であり、真実ではないかと思う。
中国共産党が残忍極まりない虐殺を行った。国際社会は糾弾しなければならない。黙っていれば、中国共産党に「何をやってもいい」という間違ったシグナルを発することになる。
国際社会の弱腰が世界にマイナスの影響を与える。かって、ヒトラーが何をやっても英仏は当初黙認していた。それが第二次世界大戦となってしまった。内部の弾圧にも、対外的な侵略、拡張政策に対しても、断固とした姿勢を示すことが世界の平和を保つことに繋がる。世界の政治学者に「あの時に、断固として対応していれば」と書かせるようなことがあってはならない。
【 質疑応答 】
質問者:中国胡錦濤主席がG8から帰国した。一部には、昨日のデモなどでも中国共産党政府を崩壊させないと問題解決にならないとの見解もあったが石平氏はどのような見解か?
石平:中国共産党には、崩壊して欲しいが、すぐに崩壊することにはならない。
しかし昨年からの一連の事態の発生は中国共産党政府にとってたいへんな事態となっている。国内暴動も起きている。これらの全体の動きからすれば、チベット、ウイグルに対処するよりも国内情勢に対応しなけらばならない。13億の漢民族だけでなくチベット、ウイグルの土地も奪って中国としていることが時代錯誤で、彼らの妄想。故に、いずれ崩壊するが、そのプロセスでいろいろなことが起こると思う。中華帝国の崩壊は、これ以上いいことはない。その可能性は大きい。
イリハム:ウイグル地域で起こっていることは、インターネットでわかるようになった。
中国人の暴動で、あれだけの軍を派遣することはない。ウイグル人だと、あれだけの軍を派遣している。世界には、そのことに注目して欲しい。
いまは、もう信じているのはアラーの神だけ。
イスラム世界も信頼したが、彼らも何もしてくれなかった。自分の国民を退避させるだけしかしなかった。アメリカやヨーロッパからも強いメッセージは来なかった。
258万の生産建設団、50万の軍隊、こうした勢力が、ひとりが数人を殺せば、中国政府は800万のウイグル人は、すぐに全て抹殺できる。
私は、最後に、死ぬ時、何もできなかったとしても、「ウイグル万歳」とそう言って死にたい。
統一日報ミゾグチ:(世界に訴えたいことは、という主旨の質問であったと思う)
イリハム:中国政府がアラビア世界に対して、9・11以降、ウイグルなどを「テロリスト」「反政府主義者」というレッテル貼りに成功した。
もう、信じているのはアラーの神しかいない。金曜日の礼拝は、一週間でイスラム教徒にとって一番大切な日。アラーの神の家に行ってお祈りを捧げる。この日、イスラム教徒は、懺悔する。そして家族の、国民の、民族のそして世界の平和を祈る。
60人の(ウイグルの)女性、男性が、BBCの記者の目の前で、武装警察が殴って、紐で縛って連行された。でもアラブ世界は何のメッセージも発信してくれなかった。
これでは、BBCの記者の前で、(ウイグル人は)殺せると思います。なぜなら、それを世界が批判しないから。世界からのメッセージがないから。
イスラム教徒である前に、我々は人間なんです。私の声を、イスラム世界に聞いて欲しいです。
ペマ: イリハムさんの気持ちはよくわかります。でも中国共産党は、チベット、ウイグル人が、中国の挑発に乗ってくることを待っている。
中国共産党の崩壊の前に、殺されてしまうのではないか、同化されてしまうのではないか、この危機感はよくわかります。しかし、この度のことは、長い間起こっていたことのひとつの局面に過ぎない。
「観光のアトラクションとして行え」というような民族を挑発するような事を、中国共産党はやってきて、多くの人が衝動的に、私の故郷でも「ダライラマ万歳」と叫んで捕まり、家宅捜査をされたりしている。そこに私の家族の写真などが出てきて、「外と繋がりがある」と監視をされたりしている。軍が、そのように押さえつけているのです。イメージ戦略がある。チベット人、ウイグル人が暴動を起こしているのだというイメージを作りたいのです。でも現実は、チベット人やモンゴル人、ウイグル人が中国に入っていってるのではない。中国人が入ってきているのです。チベット自治区の総督の言葉で、我々ははっきりと認識をしたのです。何と言ったか。中国人に「家に帰りなさい。敵は、私達が対処する」そう言ったのです。我々がどのように扱われているのかが、ハッキリと分かりました。
「チベット青年会議はテロリストだ」と、そういうレッテル貼りをしている。
私達は、神様への希望を持っている。それしかない。同時に世界の良識にも希望を持っている。その世界の良識に我々は訴えたいのです。
多けりゃいいってもんでもないんだけど、Follow数とか被Favを異常に気にする新世代Twitterユーザーのために。
まぁ、あるひとりのアルファーユーザーとして書いておく。誰も見ないだろうけど。
難しく言うとTwitterは独り言を垂れ流しつつも、だけどホントは誰かに承認されたり仲良くなったりしたい、出来ればうっかり付き合っちゃったり結婚したり人がたくさん死ぬとかいうドMな日本人心にマッチしている素晴らしいサービスなので、だからそういう使い方を積極的にしたら良いだけ。
つまり簡単に言うと、とにかく思わせぶりに動けば良いということなんです。R&Bされない程度に、ね。
具体的な手順は次の通り
キーワードでついったー○○部というのがたくさん作られているのでそこから興味の合いそうな人を数人ずつFollowしていこう。
発言は数十Postなのに、Follow差500とかあると逆に気持ち悪い。
もしそれがいつも自分のTimeLineとは違う話題になっていたら、それは君の初期Followデッキが失敗、とまでは言わないけど、ちょっと向いている世界が違うのかもね。
よく意味が分からなくても『ああ、○○ね。分かります』とかwakatterPostしておこう。
たとえ無関係のFollowerだけだとしても壁に向かって話しかけるように話題を提供し続けよう。
これをやるとまるで話題が豊富な、友達が各方面にたくさんいる人みたいに誤解される。@(リプライ)なしの独り言で頑張ろう。
それだったら、とにかく他人のPostにFavをつけよう。
特に片思いFollowな相手にこれは有効だよ。
逆にそういう相手が居たらFollowして友達になろう。いつもFavしてくれる人、を増やすことがとても大事なんだ。
相手を愛称で呼ぶ。愛称とかわかんねーって時は適当に平仮名読みでいい。
ただし気になる相手が複数リプライ(.@xxxx,@yyyy,@zzzzz ただいまー)などしていたら、それらを全てFollowしていこう。効率よく関係を拡張出来る。
たとえどんな言い方をしてもネガティブな論調に受け取られるし、相手に不安を与える。男は黙ってRemove&Block。
ただし常に抽出タブを用意しておき、晒されているIDには承認申請を送っておこう。
よろしく~とかは要らないし、実際にSkypeする必要も全くない。通過儀礼のようなもの。
別にどうでもいいことに@リプライしてくる、執拗にRTでリプライ&コメントしてくる奴は適当にスルーしよう。
どうでもいいリプライにはどうでもいい返事しかしようがないので、自分自身がつまらないIDだと誤解される原因になる。
誰もお前が選んだおもしろRTPostなんて見たくないし、本当におもしろければFavられている。
原文:一日中涼ちんのこと考えてた。もとい考えている。
作例:一日中めいぼうちんのこと考えてた。もとい考えている。
おすすめはTween,P3,Twitなど海外開発者のものを含めたくさんある。
けれども、日本語で要望や不具合報告などが通じる例示したクライアントから選ぶのが無難。
作者をFollowする必要は全くない。お礼はお米券を送付しよう。挙動がおかしかったら黙って最新版を探そう。
ライトユーザーはクライアント導入時に戸惑うことがあるかも知れない。それもTwitterで聞いてしまおう、立派な話題だ。
リプライタブだけでなく、自分の愛称なども対象キーワードにしてタブを作っておくとはぴはぴはっぴー♪
気にしなくていい。別に最初っからお前は居なくてもいいんだ。みんなそれぞれのTimeLineを見ている。偏執するようなものではない。
やーすば!!!!
積極的に個人情報にも近いような自分のモテぶり、仕事ぶり、財力、地位などをほのめかすPostを繰り返せばここから一気に人気者になれます。
口先ひとつで人気者です。うそでもなんでもいいです。とにかく他人の気を引きましょう。
被Followバランスも自分からFollowすることなしに、3:5、あるいは2:5くらいでも成立するでしょう。
ふぁぼったー上位常連とかでなくてもこんくらいになります。コンテンツ力の足りない人でも安心だね。
面白いUstreamをはじめ、面白いOFF会/忘年会、面白いリナカフェに顔を出したり出されたりしましょう。
呟いてもひとり。寂しいですね。
これまでチヤホヤしてくれた人たちはそそくさと新たなコンテンツへと興味を移します。アルファーユーザーの宿命というやつですね。
多けりゃいいってもんじゃないけど、情報発信したり、仕事の話したり、なんとなく会ってみたり、だべったり、ケンカしたり、アニメみたり、ゲームしたり、rblgしたり、人を殺したりする同時多発性の混沌さがTwitterの魅力ではないでしょうか。
でもこれ、ボクはとにかくみんなに承認されたいんだ! という人には向いてないと思う。
最初は良くともこうしてFollowを繰り返していく内に自身が希薄になっていくのを感じるから。
本人に余程のコンテンツ力がなければ自我を保てないのではないでしょうか。
逆に大したコンテンツ力がないのに頑張っちゃっている新世代Twitterユーザーの方々は常にストレスフルな状態でTwitterしていることになるのだと思ったのです。
それがこの記事を起こした切っ掛けでした。
承認欲求を満たしたいのなら、Mixiに戻った方が良いです。あすこの方がよっぽど安全です。パターンオレンジですし。
最近どうやら日本の世間的にもTwitterが流行りはじめているようで、これからこういう愚かなる若者が、つまり人がたくさん死ぬと思います。
人が承認欲求にかかるストレスで死ぬんです。恐ろしいことです。Twitterの即時性が承認中毒を誘発するんです。
そもそも人間、無理に仲良くしようなんてしなくていいし、無理におしっこ幼女とか、サーバーを落としてまで真っ赤にしなくていいんです。
僕は幼女おしっこは少し黄色がかった透明なのが好きです。すみません。少し古いネタを掘り返すのはこの辺でやめておきます。
でも、きっと日本国民の8割はエヴァ破を上映開始日に2回以上見たし、エヴァネタバレ禁止とか高次元なメタネタですよ。アスカどうして死ななかったんだろ。つまらないことになってしまった。
僕のTimeLineではそうなってる。そういう風に作ったんだ。居心地の良いように。だから正しいんだ。
とかなんとか、そういう感じになるから非コンテンツには全然ラクじゃない。
追記
id:hyaknihyak さん
石臼欲しくなったので住所Dしました。よろしくお願いします。
あなたの言うことも分かるし、現実でマジをネタとすり替えるのが痛いことも分かるけど、
ネット上のメタ遊びと現実のイカサマ野郎を自分の中で同一視覚だと思う。メタ遊びについてもうちょい構造的な認識力を深めた方がいい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4757102453/lisplove-22/ref=nosim/
ニコニコ動画とAR(現実拡張)技術が可能にする「ニコニコ現実」という未来
http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20370895,00.htm
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20090621/p1
なんかさ、言いたいことはわかるし、
現状の分析として面白い論考ではあると思うけれど、
「じゃあ俺たちは今後どう生きるべきか」、とか、
「こういう生き方ってはたして是なのか」、という話ではない気がする。
「本当にこの人は賢く文才もあり、毎回見事な記事を書かれていらっしゃる」と感心できるんだけど、
多分に作者の自我や自意識が絡む語り口が、正直ちょっと気持ち悪かった。
いろいろ言ってるけど結局は、近代的なシステムの中での「エリート」や「強者」に対する厭味と憎悪を、
社会システムや構造上の観点から吐露してるだけじゃん?って思った。
いや別に、「言説に自意識を持ち込んでんじゃねえよ気持ちわりい」
などと上げ足とりをするのがこのエントリの本意ではないけれども、
そもそもこの人の主張ってえてしてそういう味付けされていること多いから
なんとなくつっこまずにはいられなかった。
とりあえず、愛読ブログのひさびさの渾身(?)エントリなので、
脊髄反射的につっこみを入れておく。
前提として、
・そこから生まれた諸制度の誤謬や矛盾に誰もが気づいている。いずれ近代的なシステムも死滅する。
というスタンスにまず大きな疑問を感じる。
おおざっぱに言っって「近代」は「大衆のエゴ」を肯定し、拡張させる思想であり装置だ。
ここでいうエゴとはこれまたおおざっぱに言って、
●「快適さを求めたり、うまいものを食いたいと思う生理的欲求」
●「いい女とやりたいという(男の)性欲」
の三つだが、これらは社会が生まれた当初から存在した普遍的な人間の行動原理であり、
社会の発展のプロセスとはその規模が広がっていった過程でもある。
「長いスパンで見た時に、人類の歴史は平等へ向かっている」とは、そういうことだ。
利便性の向上による人類への貢献と資本の社会への循環・還元という大義名分によって、
それは、社会を発展させる上でこの上なく有効に機能した。
だがそこには当然副作用も働く。
それは近代の振りかざす大義名分があったゆえに、良識的な人間からはことさらに「醜悪」に見えた。
ポストモダンと呼ばれる一連の動きは、
その醜悪さをえぐりだし、画一的な近代の価値判断を徹底的に否定した。
それが20世紀後半の数十年の話。
思想としてはそれで正しいんだけれど、
人間の欲望はそんなに簡単に変わらない。
欲望を肯定して突き進んできた人類が、
「今後はさすがに自重すべきだわ」と簡単に納得するわけがない。
100年前だろうと今だろうと、
そういうDNAレベルで刻み込まれている人間の欲望みたいなものは、
上位3%の人間に対するインセンティブとして今後も機能しつづけると思う。
Webというシステムがインセンティブを求める人間によって作られたにもかかわらず、
結果として彼らの享受すべきだったインセンティブを
徹底的に否定する流れを生み出したことはまさに皮肉としかいいようがないけれど、
彼らの「自分の偉さ(頭の良さ、美しさ、道徳的正しさ、経済力、etc.)を誇示しようという無意識の下心」が発散される回路が、
今後も手をかえ品をかえ生まれてくるはずだ。
もしくは、それがより巧妙になされる、とかね。
とゆーかそもそも、
誰もが偉ぶることなく、誰もが劣等感を感じることなく、
ただ与えられた役割を粛々とこなしながら、
目の届く範囲の人間関係の中で生まれては消える充足・充実・高揚だけをよりどころに生きていく社会って、
あまりにもつまんなくね?
「大物」がいない世界って、結構味気ないぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20090618015614
大抵の女性は何しなくてもモテるし、モテなくても股を開けば男が寄ってくるという一種のジェンダーバイアスがあるからですよ。
男性の場合は能動的に動くだけではダメで、非常に強い付加価値、お金だったりルックスだったり仕事の社会的地位だったりがないとけんもほろろにされるどころか能動的に動くこと自体が「キモい」ってされちゃうんだから。
そもそもち○ち○見せつけた所で普通退かれるし、この間社会に根づいたフェミニズムは基本的に男根憎悪の情念から社会を動かしてきてるし、
要は、女性の場合はまだまだ打つ手を持ってるのを行使してないように見えるけど、男性の場合はリア充以外はみんな八方塞がりなんですよ(笑)
お金があれば若い女を買ったり囲ったりできるけど、そうでなければ面倒くさいドロドロに巻き込まれた上で大半が切り捨てられる。
そういう、男性の側のフェミニズム(を詐称した自己中女とそれにひっつく男奴隷)への憎悪が非モテ議論には渦巻いてますから。
80年代以降のジェンダーバイアスの逆転現象を無視して女権拡張主義だけが進んで男性性を否定しようと声の大きい人が振る舞ったのと金があれば何でもあり。って男と女が増えた両方の結果、増田の人の様な棄民的な状況の女性も現れてきたような気がするけど
韓国人がクレームを入れた結果、最強ユニット揃いのチート国に。
(後に拡張パック(RoR)により、こっそりと他の国がのきなみ補正され、
結果的に弱体化するも、どのみち対戦では誰も使わなかった)
AoE2(AoK)では当初朝鮮は省かれたが、拡張パック(AoC)で参入。
元々AoEとAoE2でペルシア以外は全て違う国で、拡張パックでも被っている国はない。
AoEで朝鮮がプレイヤーの多くに嫌われた事実から、朝鮮を導入する必要性はなかったと考えられており、
例えば下記の擬似コード
i = 1; while( i & 7 ) { i++; }
勘弁して。いや、わかるよ。言いたいことはさ。でも俺こういう書き方慣れてないから脳内で素早く2進数変換できないの。
いや単なるイディオムとして覚えてればいい話ってのはごもっともだけど普段こういう書き方しないからパッと出てこないんだよね。
一応これがいまいちわからない人のために説明すると
i = 1; while( i < 8 ) { i++; }
ってことだから。(厳密に言えば少し違うが、ここでの話はこれで良い)
なんちゅーかさ。条件が10以下とかに変わるだけで破綻するしさ。
ってかもう今時のコンパイラならコレくらいの変換勝手にやってくれるんじゃねーの?(さすがにまだまだ?この辺疎い)
そうであれば速度的は変わらないわけで単純に可読性&拡張性低下させてるだけの存在になるよね。
まあでもこれは基本的なことなんだけど、自分では書かなくても読めるようにはならないといけないってのは真なので文句を言ってるだけじゃ何も変わらない。
もっともっと書いて書いて書きまくろう。
上のような処理は各ビットが全部立ってる場合に有効になるので算出方法としては
(1 << x) - 1
となる。
つまり2の累乗から1引くと各ビットが立った数値となるわけなのです
10進数 2進数 1 00000001 3 00000011 7 00000111 15 00001111 31 00011111 63 00111111 127 01111111 :
ビットが全部立ってる数値を&で評価すると、その値を一つ超える数値、すなわち2の倍数が来るまでは常に真となるわけですね。
先ほどの処理で言うならばこういうことになります。
i & 7 = x (1)00000001 & (7)00000111 = 00000001 (2)00000010 & (7)00000111 = 00000010 (3)00000011 & (7)00000111 = 00000011 (4)00000100 & (7)00000111 = 00000100 (5)00000101 & (7)00000111 = 00000101 (6)00000110 & (7)00000111 = 00000110 (7)00000111 & (7)00000111 = 00000111 (8)00001000 & (7)00000111 = 00000000
という感じでiが8になった時点で7との論理演算の結果が偽となるため、ループが終了します。
正直スクリプト系言語から入るとこういう低レベルな計算を行うことは殆どないし、逆にこういうコードを書いてると先輩から怒られます。
なので自分で学ばない限りなかなかこれらのコードを直に理解できる状態にはならないので注意が必要です。
コードというのは「書けなくても、書かなくても、読めなければならない」これ鉄則。
俺、某国立理系だけど、研究で学校代表とか新聞載るくらいの成果出してるし、はまってるけど、別にセックスできる女とか常に2、3人常備してるが。
つか文系ってやりたいこともなくて、にゲームとかボーリングとか飲み会ばっかでなにが楽しいの? 意思も目標もなくてかっこよくなくない?(目標や夢がある文系もいると思うが。)
なんとなく早慶くらいの普通の文系にはいろんな意味で勝ってる気がしてるなあ。
けど、お前はすごく魅力的だけど、付き合いたくはない。とはよく言われる。付き合った女は死ぬほどはまってくれるか、つまんなくてはなれていくかのどっちか。
セックスだけなら簡単だけど、付き合うって観点でこうなるのは、やっぱモてないってことなのかなー
まあ、ここまでは俺論だから、一般の理系の話には拡張できないが、一般の理系が基本的にやりたいことやってるかっこいいやつだってことに代わりはないので、その属性の使い方次第で、みんないくらでももてるようになると思うけどなあ。
アホばっかりだった。
そんなやつらをほっておけなかった。
オレはしがない大工だったが、仕事が暇なときにやつらのためにフィクションを作ってやった。
まあ既存の宗教の真似だったので、創造性などかけらもなかった。
そいつが俺らを守ってくれていることにした。
フィクションという手段は美しくなかったが、他に適当な手段を思いつかなかった。
アホどもはそれでやっと安心したようだ。
オレは目的を達成できたと思った。
だがあまりにもこれがうまく行き過ぎた。
古い宗教はそれ自身が硬直化していて呪術めいたものになっていた。
万人に認められる簡便さ、わかりやすさを失っていた。
下層階級のためのものではなくなっていた。
オレが作った宗教はその隙間に入り込んだ。
学のない人々の不安な気持ちをうまく救うことができた。
オレは権威主義的なやり方が嫌いだったから、人を当惑させるような難しい言葉や無駄な言葉は一切使わなかった。
アピールが成功したために、当初想定したよりも信者が増えていく。
だんだんにオレの手には負えなくなっていった。
単にアホどもを救いたかっただけなのに、集団が拡張するのを止められない。
最後には体制側に目をつけられた。
ちょうどそんなとき、体制側の人間はスケープゴートを探していた。
新興勢力に危機感を抱いた保守派からつるし上げを食らった。
いくら熱狂的な右翼といえども、異教徒というだけで殺しはしないだろうと高をくくっていたオレが甘かった。
行動に自覚的でない原理主義者というのは救いようがない。
なんで排除したいのか、という感情的な理由について、きっと彼らもはっきりとは認識していなかっただろうと思う。
オレは磔刑になって死んだ。オレの肉体は空しく鳥に食われ、血液は乾いた地面にしみ込んだ。
困ったことに後世の連中はオレの行状に尾ひれをつけてオレをあがめることにしたようだ。
いつまでも保護者を必要とするとはな。
やれやれ、何年たってもアホは減らないようだぜ。
言っとくが「神の愛」なんてものは存在しない。
おまえらが見てるのはオレの愛さ。
横だが、別に女一般の問題に拡張して自分の責任から逃げてる増田はいなくね?
元増田が「ゆううつだ死にたい。なんで死にたいのかもわかんねー。なんだこれ。」って言ってたから
(ちなみに他へのレスで「月イチ位でなってる」とも言っている)
「女性だったらこういう事もあるよ」という意味でレスした増田が居るだけで。
君には無いかもしれないが、ある人にはとても大きな問題なのでは。
それって持病とかと一緒でさ、本人にしかその苦しみってわからないし、
本人だって別になりなくてなるわけじゃない。
だからさ、女一般じゃなくてその人個人の問題なんだよね。
それを勝手に女一般の問題に拡張して自分の責任から逃げないでほしいんだよね。
それはあなた個人の問題なんだから、女一般の問題にしないでくれないかな、と思う。
「女は」じゃなくて「私は」って言えよ。
「女はPMSで欝になるんだよねー」とか喧伝されると、「女って毎月PMSがあって気を使わなくちゃいけなくて扱い辛いから女じゃなくて男を使いたい」っていう言い訳にされるんだよ。
女がみんなPMSで欝になるわけじゃないから。あなたが個人的に毎月欝になっているだけでしょって思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090525131416
数年前に行きの飛行機で電子辞書を無くしてしまって以来、高くて馬鹿らしくて電子辞書が変えなかった俺が通りますよ。そのうちチャンスが来ると思って待ったが、電子辞書相場は全く下がらなかった。そんな俺もとうとう電子辞書を入手した。iPhoneだ。5月中はキャンペーンで端末代金が無料だ。Softbankに抵抗があるならTouchでもよい。PDA+電子辞書+カメラ+その他拡張性の面でiPhoneマジおすすめ。
携帯の辞書ソフトも使えなくは無い。ここ数年は専らこれを使っていた。単語数が少ないので論文には使えないと思いきや、引いて載っていなかったら「やっぱり一般的な単語じゃないんだ、俺の語彙が悪いんじゃないんだ」と安心して次に進めるという利点があった。ちなみに海外に行くなど集中的に辞書の必要があるときはコリンジェムの一番小さい紙の辞書で全く問題なかったぜ。
「ネットとメールくらいならネットブックで十分」のような話があるが、実際にはそれどころかもっと色々使える。なので実際に自分がネットブックでしている事と出来ていることを上げてみたい。使用機種はHP mini 1000
画面が狭いのでタブファイラx-finderを使用するといくつもExplorerを起動しなくて良いので便利。常時起動でも省メモリ。
高スペックなゲームや映像編集などをしない限りスペック不足は感じない。(すごいのと比べればもちろん遅い)
あれもこれも起動するとメモリ不足を感じる複数作業はしないほうがいい。(自分はGDI++を使っているからメモリが不足してる面が大きい)
重いソフトはそれなりに重いが実用範囲。
大抵のモデルに光学ドライブがない事はデメリット。仕事でCDからソフトを入れる必要がある場合は外付けドライブが必須になる。
(ただし上に記載したソフトは全部DL出来るので趣味で使う分には大抵何とでもなる)
以上から重いゲームをせず、クリエイティブ系(特に映像)の制作もしない、収集癖の(サイズの大きい物を大量に集めすぎ)ない人はネットブックで良さそう。高いノートPCやデスクトップPCは必要性がない。メーカー製の拡張性もなくゲームも出来なかった一昔前のデスクトップがそのままネットブックに置き換わったと言えそう。
http://anond.hatelabo.jp/20090219220621
上の記事では大槍が技巧派の例として挙げられている。俺もかつて大槍の絵に魅了された者の一人だ。2004年頃までの彼は神がかっていたと言ってもいい。だが2005年から彼は迷走し始めてしまった。姉歯偽装マンションで損失を被ったことの影響を云々するのは下種の勘ぐりでしかない。しかしその時期から「大衆」受けを狙った画風に意識的に手を出すようになる。2005年、ロマQでピンク髪を解禁。2006年、リトルウィッチファンディスクを発表。ここで白詰の追加シナリオを挿入したことにより、2003年時点(白詰オリジナル)との絵柄の差がファンの目に明らかになった。以後、少しずつだが確実に画風を修正しつづけ現在に至る。
変化はおよそ以下の4点にまとめることができよう。
かつて大槍の描く少女は物憂げな眼差しを特徴としたが、2005年以降は急速に明るくなっていく。グラビア写真のように屈託なく微笑む構図が多用され、また漫符に代表されるように「軽い」感情表現が増えていく。憎悪や嘲笑、虚無感といった振幅の大きい感情はネタとして戯画的に表現されるか、排除される傾向にある。
触れたら折れそうに細い手足と胴、手のひらに収まるほど小さい尻、というのが大槍の基本スタンスであった。このフレームを非ペド層にも受けようと成人女性への拡張を図った結果、俺が洋ナシと呼ぶところの肉体表現ができあがった。細い肩や胸囲は変わらないまま、骨盤を大きくし、それを起伏のないなめらかな曲線でつなげる。頭部は大きく、手足は細く小さく。四つんばいになったところはちょうど、盆に供える割り箸を刺したナスの馬に似ている。この肉体表現を少女に対しても逆輸入することで、古参ファンを絶望させたことで名高いメタボ透花が作られるに至った。
元々大槍絵は「脳勃起」と言われるほど、頭部に占める顔面の割合が小さい。頭部輪郭線の下半分に口から眉までが収まっている。これは幼児を描くときに多くの画家が利用する表現だが、大槍の場合は成人にも適用される。また横顔を描いたときに耳が中心ではなく前寄りになる(この結果、額から後頭部が顔に対して非常に大きくなる)。近年はこの傾向が進み、頭部のおよそ下五分の二に顔が描かれるようになりつつある。またこれと並行して目の巨大化がはかられた。耳や顎のラインにはあまり変化がないため、まなじりと耳が接し、もみあげは介在する余地がない。
少女の衣装に顕著に見られる変化である。従来の大槍は基本色に白無地を据え、そこに濃く暗い色をかぶせていくことを旨としていた。近年はピンクや水色、黄といった華やかな色を地にすえることが多い。桃白ボーダー、黒地水色水玉など派手な柄が登場することもある。ピンク髪は上述の通り2005年に解禁されたが、その後に青・赤・紫と何でもありになりつつある。このぶんだと近い将来には緑も加わることだろう。家具などの小道具大道具も、以前はアンティークを強く意識した陰影と重厚感の表現が見られたが、現在はむしろ清潔感・現代性を前面に出しているように思われる。総体として絵全体の彩度明度が高い。
以上のような変化のため、現在の大槍絵は残念ながらもはや俺の好みから外れつつある。もっとも当の大槍にしてみれば、総数としての支持者の数が増えれば成功であって、俺のような人間が去る代わりに同数以上の新規ファンが入ってくれば良い。この画風改革が間断なく続いているという事実は、新しい傾向を支持する者が多いことを示唆する。俺涙目。まあいいさ次行こう次。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51205914.html
確かに、ケータイってプル型だのプッシュ型だの、情報等のゲートウェイとしてはすごくいいんだけど、じゃあ情報の発信側になってるかっていうとそうじゃないよね。
メールの送信とか、掲示板に書き込むとか、その程度のこと言ってるんじゃなくて。
確かにTwitterとかケータイ版Twitterと言われる「リアル」とかプロフとかってのも、ケータイレベルでは十分「発信」してるものかもだけど、PCを自在に利用している人の「発信」に比べたら全然レベルが違うのかなって。
で、ここまで書いといてあれなんだけど、「じゃあPCで多くの人がやってる発信ってなに?」って言われると、ケータイから出来るような発信しかしてないなって思った。
メールにしても掲示板にしても、はてなにしてもブログ更新もだいたいケータイで出来る。
dankogaiさんのようなギークな人にとってはパソコンって凄い重要なものかもだけど、別に一般人にとっては必要不可欠でもないんだなーって。
よく使わなくなったパソコンをサーバにしたり、リビングのテレビの横に置いてDLNAサーバとかメディアサーバ化することもできるとか、チューナー付ければテレビなんて要らなくなる!って言うけど、逆に、パソコンじゃないと出来ないって事がほとんどなくなってきたんじゃないかなーって。
テレビにしても音楽とかメディア系にしても、ゲームにしても、専用の機器があるんだけど、パソコンに一本化できるってことにパソコンの用途が進んでいって、パソコンじゃないと出来ないことをする人はほんとにIT系の人くらいになってきたのかも。
iPodとか音楽プレーヤーのためにパソコン買う人もいるけど、テレビに繋げるセットトップ(au BOXみたいなの)がもっと使いやすくなったりしたら必要なくなるし。
もちろん、今のケータイには限界があって、画面のサイズが小さいこと、キーボードが小さいこと、拡張性がないこと。
いわゆるI/Oってやつ。今のケータイだとせーぜー3.5インチ程度で情報量が少なく、文字の打ち込み等は遅い。
また、まだまだ「PC向けサービスをケータイでも使えるようにした」程度だから、まだまだUIがこなれていない。ま、それはiPhoneの登場によって、タッチパネルとアプリケーションで解消できるとわかったわけだが。
もし、ケータイのフルブラウザがネットブック程度のブラウザ性能を得て、かつ、繋げるだけで大画面出力、QWERTYキーボードが使えるようになるような機器が当たり前になって(シンクライアントノーパソみたいなものにケータイを繋げる的な感覚)、いろんな機器をつなげて拡張できるようになると(できればBluetoothとか近距離無線で)、いわゆる「パソコン」ってものが一般人からすると要らなくなるんじゃないかなーと思う。
個人的には、有線じゃなく無線、さらに言うなら、電脳コイルみたいにメガネとか視覚に直接投影するとかで、バーチャルI/Oが出来ればワクワクする。
脱線したけど、結局dankogaiさんの記事は結局ギークな人や開発者による視点でしかなくて、一般人の視点からすると、パソコンなんてもうただの「なんでも出来る魔法の箱、だけど、個別に買ったほうが楽。」であったり、「リテラシーや知識のある人にはすごく使いやすい、だけど、ケータイでもほとんどのことが出来る。(使いやすさや快適さを我慢すればだが)」という箱になってしまったんじゃないかなーって。
それさえクリアしてしまえばいろんな「当たり前」が変わってしまうんだろうなー