はてなキーワード: 拡張とは
それじゃ駄目だろ。もっと大きな組織に子供をゆだねてるだけになる。
現実問題として子供は家族が育てるしかないし、その家族を地域共同体は支えなきゃいけないし、多くの職種では、企業活動という形で組織だって働くしかないんだよ。
その各段階に実際には抑圧や対立があること、単に愛の拡張で語ることなんて出来ないことを教えることが大事なんだよ。
そもアイドルってそのの所作を受身で楽しめるものだけど、ミクは受身じゃなくファン自身が人格を作ったりそのるつぼの中から新しいキャラや設定が生まれるところやアマチュアの作る曲をミクという共通コードを儲けることでみんなが楽しめるところが受けたんじゃないかと思うので、生身のアイドルとミクを並列で語るのはお門違いなんじゃないの。
ていうか、どっちにも失礼に見えるし、増田は生身のアイドル好きじゃないんだろ?ならその論調は実に礼を欠いている。みんなが自分の意識が拡張した女の子を愛でたいなら、みんなこんなに赤の他人で思い通りにならないはずのアイドルを渇望したりしないだろ。
端末はデータをレンダリング、サーバーがデータそのものを保持で分かれていくはず。ちょうど今のネットゲームみたいな感じで。
データを改ざんされては困るものについては、サーバーで処理しないといけない。例えばネトゲだと、攻撃の命中判定やパラメーターの変化の管理をサーバーでやる方が堅牢になる。クライアントは表示に徹しないと所謂チートが可能になってしまうから。ネトゲ以外でもチートされたら困るような用途なら、サーバー処理の必要性はなくならない。
peer-to-peer 型だとまた違ってくると思う。p2p 型だとデータを複数に保持できるから、クライアントサーバー型とは別の形でデータの正当性を証明できるだろうし、同期性や速度が重要なサービス以外は p2p 型の方が強くなりそだし。
あと個人的に思うのが SMTP をなんとかしてほしー
http://d.hatena.ne.jp/wiseler/20090303/p1
主張:
・マジコン販売禁止では不正コピーはなくなるどころか,より被害は悪化する
・ゲーム業界は「断固たる禁止」ではなく,異なった道を模索すべきである
背景:
・マジコンとは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%de%a5%b8%a5%b3%a5%f3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%82%B3%E3%83%B3
平たく言えば,ゲームソフトの不正コピーや,不正コピーしたゲームをプレイすることを可能にするもの
・カジュアルコピーの氾濫
各種雑誌での紹介,口コミなどにより,「タダでゲームが遊べる機械」として一般的に認知され普及
誰でも簡単にマジコンを入手でき,容易に不正コピーされたゲームを取得できた
特に必要となる専門知識が無かったのが普及の最大要因であると考えられる
・法的手段によるマジコン禁止措置
最近では,販売前から任天堂正規のゲームが不正に流通するなど,売上げに深刻な打撃を与えかねないところまできている
それを見かねた任天堂やスクウェアエニックスなどゲーム業界各種は共同で,
マジコンを輸入・販売する業者に輸入販売の差止めを求めて東京地裁に提訴,販売差し止めの判決がなされた
http://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2008/080729.html
「ゲーム・プログラムの複製物が、起動可能となるため、(略)極めて大きな損害を被っており」
と示しており,少なくともこの文章から素直にその目的を受け取ると,
マジコンが普及することにより,ゲーム全般の売り上げが損なわれることを阻止したい
ということになる.
では,なぜその手段として,「マジコンの販売差し止め」を選んだのか
結論から言えば,「一番コスト対効果が見込めるから」だと私は考えている
売り上げ被害阻止の方法はいくつか考えられるだろう
・アップロードしているユーザを著作権侵害で訴えるなどして辞めさせる
など
おそらくこれらも並行して行っていくつもりであろうが,
まずは,マジコンの普及を止めることが最も効率がよいと考えたのだと思う
大半の人は技術を持たない.パッケージ化されたもの=マジコンと不正コピーが用意されて初めてその技術を用いることができる.
マジコンしか方法を知らない人にとっては,マジコンが入手できない=不正にプレイすることができない,になるからだ
しかしながら,これでめでたしめでたしとはならず,まだ問題は残りつづける
なぜなら,ゲームの不正コピー自体はこれからも存在し続けるからだ
既製品としてのマジコンを奪われたとしても「タダで遊べる」という魅力がある限り
他の方法(エミュレーション,自作マジコン,闇ルートからのマジコン取得)で不正コピーゲームを遊ぶ人はいるだろう
2 それでもマジコン(エミュレーションソフト,マジコン設計図?)を作り,売る人がいる
リーガルリスクがあろうとも,1のような人を対象とした儲けがある限り,闇ルートを確立して売る人は残る
3 だからこそ不正コピーを作成する人がいる
1,2のような不正コピーが求められる環境が整うからこそ,不正コピーは残り,増え続ける
これらの問題は,ハードウェアの改良や法的処置などで改善されることはあっても,
リバースエンジニアリングや不正利用者とのいたちごっこであり,根本の解決はない
結局のところ,ゲームを不正にコピーする輩がいる限り,完全にこの問題を解決することはできない
さらに悪いことを言えば,その被害が確認できないという状況に陥る可能性がある
今までは,マジコン大手が一般のお店でマジコンを販売することが許されていたので,良くも悪くもその状況は理解しやすかったが
闇ルートが横行すると,大手が出所を隠蔽し,出回っている数や性能などが把握できなくなってしまう
そのため,ハードウェアの改良,法的処置というパッチすら当てられない状況になりうる
といって手をこまねくわけにもいかないので,異なる解決策を模索してみよう
先ほどのハードウェア改良などは,いわば強硬策である
この方法ではよほどの画期的な改善が無い限り,いたちごっこに陥る.
では,逆にもっと柔軟な策はないだろうか
先ほどの理由1,2をもう一度見てみよう
なぜ不正なことをしてまで遊びたいかといえば,「タダ」だからである
2 それでもマジコン(エミュレーションソフト,マジコン設計図?)を作り,売る人がいる
1のタダで遊びたい,という心理につけこめるから,儲けることができるのである
強硬策は,マジコン販売禁止などの方策で,無理やり両者を切り離そうとするものである
そうではなく,1にとって魅力的な,代替を示すことで,両者の関係を解消できないか
完璧な技術・法的根拠によって,違反者0となる仕組みを作るのではなく
ある程度ととのった仕組みを作ることで,違反するためにはちょっと手間暇をかけないといけなくして
メリットがあまり感じられなくすることで,ゲーム業界が儲けを確保できる程度に違反者を減らせればいいのではないか
かなり突拍子の無いことを提起しているようだが,順を追って説明する
これが可能な限りやすくなればよく,究極的にはタダになれば最高である
さて一般論として,ものを安くするには,中間のマージンを減らすことがよいことは周知の事実だろう
では,ゲームソフトにおいてそれを実現するにはどうすればよいか
単純に考えれば,メモリーなどの物理的なモノを売るのではなく,デジタルデータのみを,直接販売するのがもっともよいだろう
そこで,ゲーム会社と購入者との購入契約を,任天堂公式のマジコンが承認するという形を取るのはどうだろうか
この契約はDRMのように(例えば)任天堂において一括管理されており,正式利用者にはサービスを提供し,
不正利用者を発見した場合には,ゲームができなくなるなどの処置を施すようにする.
ゲーム業界としては売り上げ動向の把握も容易になり,開発計画も立てやすくなり,ゲーム価格は適正なものになると考えられる
参考までに,同様の取り組みをPCで行っているSteamを紹介させていただく
http://ja.wikipedia.org/wiki/Steam
物理的なものにこだわらない仕組みであれば,体験版も可能であるし,
MMOなどで取られているような,基本無料,拡張課金という提供も可能である.
場合によっては,広告などをうまく活用して無料のゲームも提供できるかもしれない.
あるいは,知り合い間ではゲームデータのコピーを許容してお試し期間内にはタダで遊べる,などできるかもしれない.
ある程度の(ゲーム業界に利益がもたらされるような)制約をもうけながらも提供すること である.
さて,以上が私の主張であるが,ここでは視点を変えて,公式マジコンを用いたアマチュア開発の可能性を示唆する
PCにおいては,ゲーム会社が作成するようなプロのゲームのほかに,一般者が必ずしも営利目的としないアマチュアのゲーム開発がされてきた.
その出来は様々であり,ものによってはプロにも匹敵するようなゲームもあり,ときに,ゲーム会社から正式に販売されることもあるほどである.
これらアマチュアによるゲーム開発は,プロによる「完成度」が求められるゲーム開発のオルタナティブとして重要な役割を果たしており,
荒削りではあるが,未知の可能性を秘めた原石がそこには確かに存在する.
専用ハードで展開されているゲームにおいても,このアマチュア開発の「可能性」を取り込むことはデメリットにはならないはずである.
しかしながら,現状の,非正規なマジコンによるアマチュア開発では,この可能性の発見,原石の掘り出しは難しい.
これら開発は正式に許可されたものではないため,ひそかにやらざるをえず,日の光を得ないからである.
その上,マジコンが販売禁止になったので,これからさらに闇ルートへと隠されていくわけである.
そこで,公式マジコンによる,正式なアマチュア開発への門戸開放である.
門戸開放とは,公式マジコンという技術提供だけではない.一般利用者への開発物提供の場を与えることも含めたものである.
ただし,アマチュアによるゲームをプロによるゲームと同等に売り出すことは意図していないことを注意されたい.
アマチュアが勝手にゲームを販売し始めたら,いわゆるアタリショックなどで知られるようなゲーム自体の質の低下を招きかねない
無法地帯を作るのではなく,ゲーム業界が管理可能な範囲で自由に作ってもらうようにする.
敢えて誤解を恐れず言うと,ニコニコ動画などのような,
アマチュアが作り出したものだと一般利用者が理解してくれることを前提としたアマチュア特区である.
作り出されたものの中から,特に優秀で可能性のあるものに対しては,正規ルートによる販売を促進するのだ.
最後にまとめると,必ずしも法的根拠による厳しい措置は,すべての解決の道とはならず,負の連鎖に陥る可能性がある.
任天堂その他ゲーム開発会社には,より柔軟なシステムづくりによって,利用者にとっても,開発者にとっても利益がもたらされるよう努力を望む.
その可能性として,じゃあ思い切って公式マジコンもありじゃね?と思った次第です.
id:wiselerの日記 http://d.hatena.ne.jp/wiseler/20090303/p1 を見て,伝えたいと思われる意図を自分なりに代弁してみた.
議論の練習ということで,必ずしも私本人がこのようなことを強く切望しているわけではないので誤解しないでもらいたい.
あくまで別の視点として,本論には一切登場させずに論じることで,議論の軸をぶらさないようにしたつもりである.
また,余計な,自分が知りえる知識を出すのではなく,必要性が無い場合は論じなかった.
マジコンの歴史,詳しい仕組みは説明するだけ長文になり,理解の妨げになる.
原文が文章構成として一貫性が欠けるものとなっているのは,主観による言葉を多用しているのに,その主観がいちいちぶれるからである.
具体的には,
「アマチュア開発者にとっての死刑宣告」「アマチュア開発者の封じ込め」
消費者視点
「任天堂にとって良いこと尽くめ→我々消費者が任天堂のような企業利益の視点で考えなければならないのかはなはだ疑問」
主観で書くなら,自分の立場を(少なくともその文単位における主観を)はっきりさせた上で,その主観からぶれないこと.
いろいろな利害をめぐる話を書くなら,客観性をもった言葉に徹すべき.
結局,言いたいことがわからない.
はっきり言わせて貰うが,これは議論云々以前の問題である.
いずれかの立場から,何が問題であると感じており,結論として何を言いたいのか.
「私はマジコンがなくなると,利用者はタダでゲームが出来なくなるので困ると思います.」
あまりに幼稚な主張だが,これは何が言いたいのか明確である.議論も可能だろう.
発言のよしあしではなく,この域にすら達していないことが問題なのだ.
であり,
ので,ご留意を.
ただ,せっかくのコメントですので回答をば,させていただきます.
枠組みとしてはご指摘通り,同じだと思います.
正直に言えば,私もその点を元ネタに対して突っ込みたいくらいです.
とにかく自分で言える範囲の主張としては,もっとオープンにしてみるということです.
質云々はそんな気がしますが,まったくオープンに展開してない状態で,所詮アマチュアは・・・って言えないはずですよね?ってことですね.
少なくとも現状のDSでは,まともなゲームは一律数千円かかるのが現状です.
数百円程度のお手軽価格で簡素なゲームなら,わざわざ違反してまで手に入れなくなると思います.
(DSiはアプリ購入があるとかないとか 時代は変わったと思いますが)
今までの歴史上,オフィシャル以外でまともなのがない,というのはごもっとも.
ただ,繰り返しになって恐縮ですけど,公開の場が無かったのは一つの要因じゃないでしょうか.
近年の利用者が,「モノ」に対する価値を失いつつあるのは,このデジタル社会での宿命でしょうね.
じゃあどうやって,ゲームメーカーは生き残っていくのか.その答えが,
おっしゃるとおりのサービスへの対価を払うというシステムへの移行なのだと私も思います.
exactly そのとおりだと思いますよ.
それを元ネタに対するブックマークでは,「不正コピー撲滅の第一歩」と表現された方がいたのではないかと思います.
(元ネタ側はそうではないと再反論していますが・・・)
ただ,元ネタ側をフォロー?すると,訴訟のときのゲームメーカーのコメントには,法的処置をさらにとっていく,という
強硬な態度を見せていますので,本文のような指摘をさせていただいた,という体です.
マジコン業者はともかくとして,利用者にとってもゲームメーカーにとっても,もうちょっと平和的な解決はないのでしょうかね
長文ゴメンナサイ&目的の書物じゃなかったかもしれませんね.
ぶっちゃけていえば,「以上,本題」以下が本題のつもりの文章です.
メリットデメリットというのは,メーカーサイドがわざわざアマチュアに門戸を開けることについてでしょうかね.
ここも敢えて誤解を恐れず言えば,ニコニコ動画を経営するニワンゴにおけるメリットデメリットと似たようなものだと思います.
敢えて大手任天堂が危険を顧みないで行うほどのイノベーションではないという話であればそのとおり.
ですが,それは人それぞれの考え方ですので,ね.
大体合ってる
ヒトの気分や伝えたい事がフキダシになって浮かぶようになったのは戦前の頃だって、おじいちゃんが教えてくれた。白人兵を見て戦闘力がいくつだとか、今まで何人を殺してきたとか、分かったらしい。おじいちゃんは酔っ払う度に言ってた。フキダシからはそいつが人殺しするシーンも見れて、白人のやり口は本当にキチガイじみておぞましいと思ったもんだって。
戦争が終わったらフキダシの使い道がなくなったので、モノからもフキダシが出るようになった。お店の棚の食べ物が、「私おいしいよ」とか「オレもうすぐ腐るから、オバチャンにそう言ってみな。きっとまけてくれるよ」等としゃべるようになった。我輩はカレーパンである。名前も既にある。カレーパンだ。みんなの話によるとあまりうまくないらしいよ、ってね。
今座ってる喫茶店のこの席で、3日前にW不倫をこじらせたカップルの修羅場があったとか、そんなフキダシで出るようになったのもその頃。ありとあらゆる風景にガッテン説明がつくようになって、テレビや街角、あらゆる場所のあらゆる時間、ヒトがどう思ってタイムラインを過ごしてたかなんてのが普通に流れてたって。お父さんの時代にはそーゆーのをひとくくりに拡張現実とか非同期コミュニケーションとか呼んでた。
で、僕の時代には、もうそんなの、何もない。
ヒトが考えることなんて顔見てりゃ分かる。彼女に説教してる時の僕は「あーこいつともそろそろ潮時かな」って顔してるだろし、あげくに号泣でもされたらもう終わりなんだなぁ、コイツとも早かったなぁってな具合。会社の会議でペチャクチャしゃべてるオッサンは、表情だけでなく脳みそも空っぽで、何もない。まだしばらく戦争はなさそうだけど、ケンカ相手に勝てるか負けるかなんて直感で分かるし、実際の所それは戦闘力なんて得体の知れないない数字よりもよっぽど有益だ。食べ物も見てりゃ大体おいしそうかまずそうかなんて分かるし、コンビニには商品の下に値段まで書いてる明朗会計。どの喫茶店でどんなフリフラレが展開されてたかなんて商店街でたむろするおばちゃんの話を盗み聞きしてりゃすぐ分かる。
だからそんなご先祖様的な風習なんてすっかり廃れてしまった。ケータイもカメラも、もう僕の周りはほとんど持ってない。5年ほど前から東京ではそんな人が増えてきたけど、最近では田舎のほうでもあまり見ないようになった。
今日も駅前の雑踏からは何も見えない。でも、昔の映画を観て憧れたドラマのような世界がそこにはあるんだ。僕たちは今最高にクールでファンタスティックな時代を生きている。
1.「どれでもいい」は、どれでもいいという意味ではないことを肝に銘じる。
それは「あなたのセンスを試すわよ」って意味です。
うっかりGatewayなんて提案すると、即失格判定です。
2.フルタワーの機種、拡張性自慢の機種は避ける
客は9割くらいの確率で、スペースを気にしているはずです。
なのでフルタワーは鬼門。また、「拡張性がある」ことは何のメリットにもなりません。
3.付加価値のある機種を選ぶ
「液晶がきれい」「有名人のプロデュース」「ウィルスバスターの体験版がついている」「サポートが電話で対応してくれる」「販売開始されたばかりの新製品」など、機能以外の付加価値があると、印象に残りやすくなるし、なんとなくお得な気がするものです。
それなりに力を入れているメーカーが良いと思います。
5.困ったときはVAIO
ここまで読んでもちんぷんかんぷんで、何をどうすればさっぱり分からないあなたへ。
ちょっと高めのVAIOを選んでおけば、失格判定だけは避けられるはずです。
(型落ち展示品VAIOは不可)
VAIOが嫌いな客はほとんどいないと思いますし、どの機種もそこそこオシャレのはず。大成功にはならなくても、「ま、いっか」と思ってくれる可能性が高いです。
題は結構マジかも。元記事の意図はさっぱりだから、記事から論文を復元してみるテスト。
「囚人のジレンマ」ゲームとは、協力と裏切りという選択肢があり、裏切ったときに得る報酬>協力をしたときに得られる報酬>両方とも裏切り合ったときの報酬>裏切られたときの報酬となるように設計された環境において、人々はどういった行動をするのかを調べるゲームである。
これまで「囚人のジレンマ」系研究によって以下のことが知られている。
最後の研究が、評判が機能する環境において、裏切り戦略が一般に不利だという話に繋がっている。
http://www.swissinfo.org/jpn/front.html?siteSect=105&sid=10322161&cKey=1234439657000&ty=st
ここで検討されている戦略はどういったものだろうか?
まず、
に分けた。
ダニエル・ランキンは、
上記の2つのグループを混ぜ合わせ、25回の融和をさせてみた。その中から、1番少ないコストで最も利益を上げたサンプルを取り上げ、次の実験にも使い、負けたサンプルは取り除いた。このプロセスを2500回して結果を集計した。
その結果は「評判の悪い生体、つまりほかから助けを受けない生体は強く、評判が良い生体は淘汰される。最良の策は思いやりを持たないこと」
だとランキン氏は言う
皆様。理解できたでしょうか?
私なりに、記事中の彼のモデルを再構築すると
つまり(1)と(2)の違いは、協力を受けないかどうかではなく、(1)手違いがあっても「(次のゲームに)切り替えていく」グループ(2)一度でも裏切られたら「絶対に許さない。顔も見たくない」という態度のグループなわけ。
先行研究との違いは、エラー込みの評判利用型ゲームと言えばいいかな。
実は、先行研究の弱点でもあるのだけれど、この評判利用型繰り返しゲーム最大の問題点というのがあって、評判の利用できる範囲が設定されていないというのがそれ。全ての参加者が、前の対戦における行動を参照できるというのは、評判ではなく自己申告を利用しているに等しい。
というわけで、どうひっくりがえしても評判の悪い生体、つまりほかから助けを受けない生体は強く、評判が良い生体は淘汰される。最良の策は思いやりを持たないこと
にはなりません。
また記者の責任かはわからないが、どの戦略を残すのかについてかなり奇妙なことをしている。
研究結果が、道徳上なんらかの影響があってはならないとランキン氏は強調するが、経済界にとっては、ある種の影響を与えるものだ。研究中ランキン氏は、米イェール大学の金融学者ウィリアム・バイネッケ氏の研究書を参考にした。バイネッケ氏はインターネットの書籍オンラインショップ「アマゾン ( Amazon.com ) 」や「バーンズ・アンド・ノーベル ( Bernesandnoble.com ) 」の書評を分析し、評価の高い本より評価の低い本ほど、売り上げが多いことを発見した
アンチが沸く本はいい本という話を、行動選択の話に引きつけてくるなんてトンデモそのもの。
本文のとなりに微妙な解説記事が
ランキン氏の説明によると、例えば誰かを助けようと自分で決めたとして、誰もその人の行動を知らず、その人にとって見返りもないというのであれば、助けないのが最良であるという論理が成り立つという。
「一方で、誰かに見られていて自分の名声にかかわるとか、ほかの人全員がすることに自分の行動が左右されるとなれば、協力したほうがよいという判断が働く」
囚人のジレンマ型ではないの?対戦型なら少なくとも対戦相手には必ず、協力か裏切りかが伝わるんだけど。
評判の評価システムが狂ってるとしか思えないが。
Perlみたいな終わった言語の、Sledgeとかいうドキュメントもロクにないうんこフレームワークを、さらに独自拡張したもちろんドキュメントなど一切ないフレームワークで動く、歴史的経緯による謎拡張たっぷりのウェブアプリのソースを、短時間で読み解くスキル、もしくは心構え。
大元のエントリーの追記をもってこの回答が本人のものだっていう証拠にしてね。
質問1への回答
別のツリーで書いたんだけどさ
自分のサイトを持つと更新しなきゃ、みたいな強迫観念とか湧く人いるでしょ。
俺はそのタイプだから、自分で運営する必要がなくて身軽なまま、思いついたときにエントリーとして書ける増田を使ってるだけ。
まさに気持ち悪いと言われた「コメントツールとしてのはてブ」の拡張版みたいな感じ?
要するに気持ち悪いってのは俺が言われたことで、それを増田で書いただけ。
増田に書く事とidでダイアリーに書くこと関して匿名とか非匿名の差はあるけど、俺にとってそのあたりは重要じゃないし。
余程の実績の違いとか知名度の違いがない限り、誰が言ってるかより何を言ってるかのほうが大事でしょ?
実際にブコメでは俺が増田であることに関して問題にしてるものって殆どないし。
質問2への回答
俺は元より村民だから答えに関してはどうでもいいよ。
反論しようと思えばいくらでもできるだろうし、更にそれに対して反応する人間も出てくると思う。
それはそれで俺を含め見るほうは色んな意見が聞けて面白いと思うけど、いつもの如く議論という名の俺理論発表大会でしかないだろうし、結局一般化することなんてできないんだから、そもそも明確な答えが出るとは思ってない。
最終的に曖昧なものを結論にして終わるだけになりそうな気はする。
俺個人がはてなを利活用している人間とそうでない人間の間の決定的な文化的差異についてどう思うかに関してだけど、はてな基準で考える自分の思い込みや勘違いや傲慢さみたいなのを突きつけられて、元エントリーで書いたとおり「目から鱗が落ちた」って感じ?
だから、直接「はてな外」の人間の反応に接する機会があって、こんなこと言われたぜーっていう報告みたいな感じで元のエントリーは書いたし、彼らの反応を説明したつもり。
文化が異なる事に対して「理解は出来ないけれど容認出来る」という態度であるのか「理解も容認も出来ない」という態度なのか「私の文化以外は認めない」のかいずれですか。
こういう形で言うとしたら、俺個人については「理解もできるし容認もできるけど、他者にまで容認を求めるものではないと考え始めた」になるのかな?
どこまでが自分の属する文化で、どこからが相手の属する文化なのか、見極める意識・慎重さを心掛けることにした、ってほうが正確なのかもだけど。
容認しろと言う側と嫌悪感を示す側がいたとして、容認派が求めるものって理屈を捏ね回してまで求めるほどのものなのか、それってただの原理主義者でしかないんじゃないか、とかも合わせて。
っていうかさ、郷に入っては郷に従え、は相手の文化圏に踏み込んだ時に言える言葉だし、そもそも容認とかどうとかって言う事自体おかしいような気もするけどね。
文化圏が違う人間は容認できるできない関係なく、自分の属する文化圏ごとに自然と「住み分けてる」もんだから。
ネット上だとあっさりその境界を踏み越えて(わざとにしろ知らずにしろ)衝突が起こりやすんだなぁって今更実感したってだけの話じゃないかな。
この手の話題ではいつもそうなんだけどさ、ブコメとかトラバとか、すぐにネットの理念的なこと語りだすのいるでしょ。
あれって「はてな内という文化圏」「はてな外という文化圏」で考えずに「ネットという文化圏」っていうものを持ち出そうとするからだよね。
これってすぐにメタ視点で語ろうとする村民の持つ弊害なのかもね。
同じ国に住む間でも文化の違いってあって、法として定められているものでもない限り、必ずしもその文化圏が属するより大きな文化圏の慣習だとかに従う必要ってないはずなのに。
語るにしても適切な粒度ってあるんじゃないかなって今回のを通して思い始めたよ。
マクロに語って何も見えなくなるんじゃ、それってただの盲目だなって。
こんなんでいいの?
元TRPGamerだが、一部の仮想世界シミュレータっぽいMMORPGなんかは割とそれに近い。昔のUOとか。
ただし、同じような嗜好をもったユーザーとつるまないとうまく行かない事が多い。
オフラインで考えられるのは、AIが個別に、または団体で生活していて、派閥があって、ちゃんと決着のある戦闘や陣地取りをプレイヤーとは関係なくしていて、プレイヤーはそんな世界に放り出されるとかそんな感じか。
プレイヤーが援助してる町は境界が広がって行ったり、逆に放置してる町は知らぬ間に滅ぼされているとか、世界への影響も与えられると尚良しってとこだな。
STALKERの拡張版が似たような感じだったが、やはり開発側が用意した基本ストーリーってのはあった。
個人的には元増田が言うようなゲームをやりたい派なんだけど、そういうゲームってやたらコストがかかる割に1個買ったらずっと続けられてしまって、開発側が死にそうだなと思う。(特に日本のゲーム業界ってそういうのを嫌うイメージがある)
さらにプレイの仕方によって「神ゲー」になったり「クソゲー」になったり、評価もバラバラ。
結局、トータルでそこそこの点が取れて、しかも消化サイクルの速い、一本道ゲームが開発側にとってもユーザーにとっても「良い」というのが現状なんだろうな。
つくづく何を書けばいいか分からん。というか書いてる場合じゃない。そんな場合じゃないんだ。でも何かしなくちゃいけない気がする。そうそれは勉強のはずなんだ。するべきなのはテストに備えての勉強のはずなんだ。でもちっとも手をつけられない。どうしてか。かったるいからだ。めんどくさい。やってどうなるんだと思う。したって意味がないんじゃないか。単位を取って進級してそれでどうするってんだ。特に目標はなく惰性で進学しようとしているだけだ。それでどうする。何事か成し遂げたいことでもあるのか。しいて言えば楽をしたい。オタク趣味に興じていたい。できるならそれだけ突き詰めていきたい。でもそうしたい理由もかっちょ悪いもんだ。なるべく他人との接触をとらずに現実から目をそむけていたい。他人との直接的な接触を避けて生きてくことなどできないだろうし、完全に排してしまうことにも恐怖が募る。少しくらいは接点を持っていたいとも思う。だけどあまりべたべたとは嫌だし長い時間を共にするのも避けたい。空気を保ちきれない。会話していなくちゃいけないというのはつらい。しないでいてもなんともないってこともあるのだろうが、信じられない。前にそんな状況を味わった気もするけれど一時的なもんだ。長いこと一緒にいたせいでそういう嫌悪感が麻痺していただけじゃないかと思う。だって寝て起きたらまた気まずさに心痛める他者との接触になるのだから。一時的なことなのだ。常に一緒に居続けることによって思考と感覚が雑になっているだけなのだ。というかこんなことを書きたいわけではない。書いてる場合じゃない。どうすれば勉強に積極的に向かえるかということを模索したいのだ。ついネットをしてしまう。英語なんぞ見たくもない。数学の演習を解く気にもなれない。でもやっておかないと今週のテスト地獄に対応できない。でもつい「勉強なんていやいややるもんではない、きちんとした理由を見出してこそ打ち込むべきだ」と自らを正当化しようとしてしまう。そのせいでこんな下らん現実逃避文を書いてしまうのだ。非常によろしくない。勉強をしたくないがしなくてはいけない状況に追い込まれたとき、いつもこんな風にして悩み解決のためという名目で何の意味もなく読み返す気にもなれない文を書いてしまう。いつからこんな癖がついてしまったのか。文章を書くようになってましになっている部分なんてあるのだろうか。客観的に自分を見つめられるようになるとかいうがそりゃまた個人差があるだろう。そんな気はしていない。というか内に向かう気質がさらに育まれている気がしてならない。それはまだ数をこなせていないからなのだろうか。わからない。もっと自分のようなやつがたくさんいるとわかれば安心するのだろう。だがそれではただ安堵を得るだけ得て何もしない自分が再び現れてくるだけではないか。それではいかんのだ。せめて少しずつ進歩していきたいからこそこうして書いているのだ。だがこのままだとある程度の文量を打ち込んだらわずかな達成感を胸に対して勉強もしていないのに明日を迎えてしまいそうだ。だが実際いま自分の中には達成感に似た充足感がにじみ出つつある。これでよいのだろうか。そんなことは分からない。いやよくない。とにかく眼前には来年楽をするためにも今のうちに多く単位を取る、それ以上に確実に進級するためにもテストに備えて勉強をするという目標があるのだ。だがそんな刹那的な生活の中に身を置いたままでいいのだろうかという逃げに似た思いが、こんなタイミングで邪魔をする。一見すると正しいように見えるから困るのだ。もしテストの重圧に囚われていないものが目を輝かせて言ったならああ若いなこいつとそこそこの評価をいただけるのだろうが今の自分が言えばテストがいやな学生のごまかしに過ぎないのだ。それだけ分かっていて勉強せずにこんなことしてるのはなぜだろう。わかってると言いつつ全然わかってないのだろうか。口先だけ、言葉の上では意味をなしているが頭の中ではどうにかして勉強せずにすませる方法があるのだと信じ切ってしまっているのだろうか。濁していうことでもない、確実にそう思っている。中学高校とそうしてギリギリで進学してきた。ほんとにギリギリだ。本気でやったら底知れない力でも眠ってるんじゃないかと思ってしまうほどだ。でもそれは視野がせまっくるしいだけだ。実のところはそこらにいる大多数の大学生とどっこいかそれ以下だろう。でも自分の中の玉座には俺はなかなかにすごいという傲慢さが座っている。どうしても降りようとしない。おそらく本気で取り組んで打ち負かされたことというのがないからだろう。その点ばかりは覆せまい。本気でやったことがある気がしてない。ないだろう。自分の評価が低すぎるだけで、もう充分本気で生きてるのかもしれない。まさかこの状態が、この適当にやり過ごして生きてると思ってる状態が俺の本気なのだろうか。まさか。そんなことは考えたくもない。だってそれなら適当に愚痴りつつそこそこに生きてまた愚痴りながら死ぬだけじゃないのか。それで人並みに幸せを感じていられればいいけれど今の俺はだいぶ抑圧されている気がしてならない。我慢ばっかだ。耐えるとかじゃなくてしなくていい我慢ばかりしている。心底楽しいと思ったことがこの4年近くない。一切ない。わけでもないかもしれないが、少なくとも生きててよかったと思えるほどの体験はない。最高だと思えた一日はない。とてつもなく広く思えた世界は思い出の中にしかなく、最近の視界は脳の反映でしかない。これ以上の成長を望める気がしない。世界は16歳で完結したのではないか。これ以上新しさを感じることもないのではないか。もしかするとそういうすばらしく思えた何かとか世界とか視界だとかいうのは思い出の中にしかないものなのだろうか。そんな気もしてくる。ではそんなものに囚われているこの日常もまた思い出してみたら適当に美化されていくのだろうか、どうなのだろうか。そんなことはわからない。事故は変化する。していなくてもそう思いこめばそうなる。きっと未来の自分はそう思い込む。そんなことはどうでもいいのだ。今の自分がすべきことは眼前のことだけだ。勉強。この言葉が重くのしかかってくる。して良かったという実感もないのにしろと言われてするものそれが勉強だ。あくまで自分の中でだが。楽しくて自主的にやってる人もいるんだろう。といいつつもそういう人間の存在を信じてはいない。というかいないだろう。いてたまるか。少しでいいから純粋にそうやって勉強できる心を分けてくれ。一瞬でいいから代わってくれ。どういう幻想なんだ。教えてくれよ。とにかく俺はしたくない。したいと思う理由も、そういう方向に導いてくれる趣味も考えも俺は持っていない。他人の考えにひたすら感化されて生きてきた俺にそんな自主的な思いなど湧いたことがあるのだろうか。自分で分からないのだから問いかけても無駄だろう。それでも問いかけてしまうのはなぜだろう。知らん。とにもかくにも単位を落とすだの赤点を取るだのというのは俺にとっては脅威だ。そんなことをしてみろ。また後々苦労が増える。そうだ。こうしていやいやながらにも勉強を向かおうとしてしまうのは未来の邪魔な要素だけは増やすまいという消極的な希望によるのだろう。願望だ。別に何か得たいわけではない。むしろ減らしたいのだ。余計な不安要素を排除しておき、せめて明日歩くであろう道を整備して歩きやすくしておこうという意思だ。願望でもないな。回避だ。余計なことをしないで済むようにという回避だ。いやどうだろう。もっと何か理由がある。することがないのだ。何をしていいか分からない。したいことなどない。楽しいと言えることは思いつかない。でも楽なことはしていたい。それがゆえに勉強という辛いものから目をそむけ、それよりは楽なことに逃げているのだ。楽しいことがあるならそのために頑張れるかもしれない。しかし俺は楽しいは知らず楽しか知らない。楽しいと楽では積極性が死ぬほど違う。楽しさとは何だったかももう分からない。めんどくさいこととの比較で楽なことを導きだす筋しか分からない。どうしようもないクズだ。楽しさを求める努力はわずかにしている。しているはずだ、だが見つからない。まだ探し足りないのだろうか。いや気づけていないだけか。どうなのか。存在していないのか。理解できていないのか。んなこと分からん。昔楽しかったゲームをやってみるが今はすぐ飽きる。すでに飽きている状態でちょっと気が向いたのでやったからだろうか。そもそも飽きていたという。そんなことは承知済みだ。大体のことに飽きている。つまらんのだ。楽しむ努力が足りないのか。そもそも楽しいってなんだ。わからん。迷走している気がする。いや迷走しているな。こうしてどんどん時間を消費していく。これは楽しいかもしれない。どうだろう。だが意味はない。目の前には見ることすら嫌気がする英文が書かれた教科書があるがどうするわけでもない。ただキーをたたくだけだ。もう嫌だぜ。治療法を知っている人がいるなら教えてほしい。もうわけが分からない。単純に考えてみようと思ったが長続きしない。自分で心に決め込もうとしたことは一日たてば一気に冷える。そんでどっかに消え失せる。どこに行くやら。思考の端に姿が見えるがもう触る気がしないのだ。自分の手あかがついてる考えなど使う気になれない。そもそも内にこもりすぎなんだろうか。もっと交流をすればいいのか?んなこたずっと前にも思ったさ。しばらく触れてはいなかったが。しかし会話だとかなんてのはそもそも体力をすこぶる消費する行為だ。好き好んでする奴が信じられない。もしかしてそっち側にはそれだけする価値のある楽しさがあるのだろうか。どうなのだろう。概観を教えてほしい。体感させていただきたい。できないだろうが。長いことしゃべくるだけで何が楽しい?自分が理解されていく感じ?寂しさが少なからず緩和されてく感じ?楽しい感じ?わかんねーって。そんなに思考の探り合いが楽しいか。俺はつかれたよそんなもん。いっそのこと会話するときなんて頭がパーになってくれりゃいいんだ。めんどくさい考慮なんぞしないでいられればいいんだ。人を傷つけたところでいに関さない心でいいんだ。そもそも傷つけてるかな、とかわざわざ思考する必要がないんだ。んなこた誰にも分からない。それでも考えてしまうのはなぜか?そうするのが快感なのか?だとしたら俺は相当のマゾだ。自分を傷つけて喜ぶ自傷馬鹿とおんなじじゃないか。失言か。どうでもいい。そんな理解できないもんを考える必要などないだろう。といいつつもやっぱりなあ。こうしためんどくさい行為を経てでも会話せざるを得ないんだろう俺は。みんながそうして苦しんでるってんなら喜んで同調しつつ繰り返すだろうが、そうしてるかなんてのもわかりゃしない。どんなにあがいても俺一人でやってんだろって気持ちは抜けない。他人の存在を信じきれない。いないんじゃね。ばかばかしい。なら好き勝手に生きればいいんだ。そうできない時点で何かを信じている。でも惰性かもしれないぞ。仕方なく生きちゃってるのかもしれないぞ。だとしてもそんな流れを断ち切るこたできない。どうでもいいんだもの。こうしているうちにもどっかでセックスしてるやつがいるのだろうか。しねよ。失言か。謝らないよ。聞いてないし。あーテストとかどうでもよくなってこない。思い出すと焦燥感は現われる。解消したいのかどうにかして取り組みたいのか自分でも分からない。ただそうだなやりたくないな。手をつけたくないな。たるいな。めんどいな。どうにもならんな。勉強することで俺の心が疲弊して擦り切れていく気がする。やりたくないことをすると自分が擦り切れて死にたくなりそうな気がする。言い訳なんだろうか。でもそうなんだ。やりたくないことはしなくていいとか誰かいってたな。でも自分が強情だとそういう言葉でも脳みそはほぐれないんだよ。なんだかなあ。わからん。五感と意識を自分でオンオフできたらよかろうに。そしたらどうやってオンするんだっての。しんでるじゃん。せいぜい寝ることしかできないか。あーだったらずっと眠っていたいよ。つくづくそういうときはこの世界は自分の妄想説を支持したくなるよ。他人がいないなら俺が何かする必要ないじゃん。俺の妄想なんだから。あーひとりでいるときはそういう説が頭を占めるけれど他人をいるとどうしてもそんな考えに基づいて生きてなどいられない。そりゃそうだ。他人といるときそれなら狂人だ。どうあっても他者を意識してしまうんだろう。ほんと困るぜ。常に正攻法で生きていきたいらしい俺は。いやなのに。自分が嫌だ。何ともうまくいかんもんだ。ここまででどれくらい書いたか見てみたがいい感じに気持ち悪い。いいゴミを書けた。やはり文量を出せると気持ちがいい。優越感がわき出てくる。こんな長文書けるやつはいないだろうなっていう優越感。すてき。ばかばかしいけどそう感じてしまうんだから仕方がない。取り繕っても満足はないし、んなこと書いたところで満足するでもない。でもできれば正直に書きたくもあったりでめんどくさい。葛藤こそ人間の本質というがあんまりややこしいのはどうかと思うぜ。3手ぐらいでクリアできる葛藤であってもらいたいものだ。なんでもかんでも。しかしどこでこれやめたもんか。参った。もっと書いて画面を埋め尽くしたいけど何か目的が変わっちゃう。そもそもそうしたかったのだろうか。何でもいいからアウトプットしたかったのだろうか。しかし時間は過ぎるのでますます月曜日のテストが不安になる。でも不安をそのままにするスキルを持っちゃってるのだ。当たって砕けてなお反省しないでいやいや生きるというスタイルが定着している。そんなのやめたいという葛藤もやらないとまずいという不安も手を着けずにいられる怠惰を知ってしまった。どうすればいいのだ。といいつつ何もしない姿勢をだ。これは仕方がない。このままでいこう。とあきらめられればいいのだがこの性格の特性上見かけ上の抗いはふつふつ出てきてしまう。実にややこしい。意志の力でも高めて頑張ってみる?(笑)知らんがな。もういいよ。諦めようぜ。でも惰性の慣性力は消えないんだよなあ。めっちゃだるいぜ。ああ、人間もメモリ拡張外付けHDD接続できればいいのに。うわーどうにもなんねー飯食って寝るなこのままだと・・・
心が休まったり休まらなかったりするのは、結局のところ自分の認識に自信が持てないからだ。自分の認識する世界と客観的な世界、言い換えれば他者とのコミュニケーションによって擦り合わせ可能な世界との間に、気付かない乖離がある可能性を捨てきれず、不安が生まれる。「俺が認識している世界」が、俺固有のものであることはほぼ間違いない。こういう不安をかかえる俺が普通に過ごすためには、「俺が認識している世界」と「誰かが認識している世界」を橋渡しする論理が必要なんだ。
「俺固有の世界が存在して、俺が死んだあともその世界は『俺が死んだあとの俺固有の世界』として続いていく」という想像は、「俺固有の世界」を拡張して破綻しない、優秀な論理であるように今のところ感じている。だから心休まる。
反論されたくないから言わないんじゃないんだ。うまく言えないけど。できるだけきちんと答えたつもりだけど、感覚は伝わっているだろうか。
最初の頃は追ってたが、多すぎて飽きた。とりあえず就任から2ヶ月くらいはこんな感じだった。
一方日本のマスコミは「バー通いけしからん!」と連日麻生を叩いていた(笑)。そして翌日小沢がインドのシン首相会談をドタキャンしたのはスルー。小沢自身は「私は総理大臣じゃないから」と釈明。
数年後に認められれば、海底資源の採掘権を主張できる範囲が拡大する(日本国土の約2倍)。
給付金はその中の2兆円、中小企業支援対策には20兆円強が割り振られている。が、テレビで連日騒がれているのは給付金だけ。
就任直前に秋葉原での麻生フィーバーを「戦前のドイツ・日本のようだ」と言った民主党議員はなぜかメディアからは「失言」扱いされなかったし、小沢の巨額の金銭スキャンダルはメディアは全部ほったらかしだし、児童手当出す代わりに扶養者控除と配偶者控除を縮小する民主案を誰も取り上げないし。
IMFへの1000億ドル貸し付けも、下手に動かせず塩漬けになってる外貨準備高(ドル)を有効利用する(日銀金利の3倍で貸す)名案なのに、なぜか「10兆円規模」と意図的にレート変換されて、税金が無駄遣いされてるかのように言ってのける奴もいたっけな。
インド洋給油問題も、小沢は一貫して現地で武力行使を行う(そして現地では参加国の兵士が結構死んでる)ISAFを頑なに主張していた(多分今も)。それに永住外国人参政権問題もある。民主政権成立後に公明党が民主に合流したら誰にも止められないし、マスコミも誰一人として報じないだろう。
まあ、元々麻生自身が根っからのマスコミ嫌いだから、どんだけ叩かれても無視して任期満了までやる気なんじゃないの?子供の頃から「お前のジジイが死ねば日本は良くなるんだよ!」と自宅に群がってる新聞記者に小突かれてたらしいし(笑)。
続きは各自で調べてちょうだいよ。