はてなキーワード: 一般教養とは
まず、意味あるの?って何なの?意味ないと死ぬの?意味があることによって、何だ。君の人生に大きく影響するのかね?
だめだこれじゃマジレスじゃないな。
にゃんとー。
小学校と中学校には本当にいろんな奴がいたと思う。記憶がおぼろげな事と、そんなに深く考えていなかったせいか、はっきりとしたことは言えないが。目に見えるはっきりとした格差が存在したと思う。学校に真面目に来ない不良というのがいた。もちろん真面目に来ないというのは文字通りの意味で全く学校に来られない訳では無い。パフォーマンスだったんだなぁと思う。そうやることで自分は特別だ、とまではいかないとしても、当たり前であることから逃げていたんだと思う。たいていの家庭の親はそんなのを認めないから、結果的にそうなっているのは、放任されている子供ばかりだった。改造制服を着ているのも決まってそう言う生徒だった。完全に一種のテンプレートである。ただ先生の言うことを全く聞かないわけでもないし、学校でのべつ幕無しにけんかをしているわけでもない。一種のファッションみたいだった。そう言うファッションみたいなものの中に、茶髪にする事、ボンタンをはくこと、ルーズソックスを履くことと同じように勉強をしないというのが存在していた。下手したら自分は普通じゃない。という自己肯定の中には勉強をしないと言うことが含まれているのでは?と思う程度に。
少し見方を変えるとそれはそれで帰属意識じゃないのだろうかと思う。勉強をあくせくやるのはスマートではないという空気はあったし、そもそも真面目というのはあまり好まれるレッテルでは無かった。そんな中で、不良とかやんちゃとかいうレッテルの中にいればそこまでカッコワルイという感じではなかった。そんな中で彼らも彼らなりにそういう空気を敏感に感じていたのだろう。しかもそういうグループ内で勉強をしているだなんてことはとても信じられない行為であっただろう。
脇にそれた。本題に戻ると、勉強に意味があるかと感じる様な層はそもそも勉強をしようという動機付けは皆無であるように思われる。しっかり勉強をした方が得だという空気は高校に入ってからであったし、地方の進学校程度ではその中でも十二分に諦めてしまっている人間はいた。現在の小学校、中学校がどのような状態であるかは知らないが、おそらく上で述べた、
は解消されていないであろう。そもそも中学程度までの学習は一般教養ではないのか?と感じる。
そして一番酷いのは現在の新卒の雇用状況を全く知らないまま義務教育を終える事だ。中学の学年主任の先生が中小企業を揶揄する様な話をしていて、その頃新聞の赤旗と朝日により少々左に染められていた、自分には信じられなかった。今考えるとある程度は正しい事をいっている気がする。(というかほとんど正しい)
全力でマジレスしてみた。
(この手の本を読んでいる人が、読んでそうな本を他にも挙げてほしい)
理系学生の書斎が安藤忠雄の建築事務所(研究所)みたいな資料の山だとしたら、
文系(特に法)学生の書斎は立花隆のネコビルwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
規模だけでなく質でも文系(特に法)は見劣りがするね。
何度か連中の自宅に招かれたから、ちょっと参与観察してみたんだ。
冗談半分でさ。
仔細に文系 (特に法)学生の本棚とか見てみると、これがもう滑稽なんだwwwwwww
まずいきなり机の上に開いた状態の宮台真司『権力の予期理論』!(笑)
プゲラを抑えるのに必死だったぜ。
続いて 何度も読んだ形跡のある伊藤&柴田の司法試験論文対策即席要点集(笑)。
お前サル かよ、それでも人間かよ、って問い詰めたくなったね(苦笑)。
カント・マルクスをはじめとする岩波文庫300冊程度(笑)(日本語であって原文ではない)
我妻民法(笑)佐藤憲法(笑)前田刑法&商法(笑)新堂民訴法(笑)
○○学がわかるシリーズ(プッ)
フーコー『知の考古学』(笑)(「パンのように売れた」ベストセラー)
仏露独蘭伊中国語辞典(笑)
トクヴィル(笑)大江 健三郎(笑)コーポレート・ファイナンス(笑)ドストエフスキー文庫(笑)西尾行政学(笑)
柄谷行人文庫(笑)フロイトの技法(笑)Yale Law Journal(笑)ハンナ・アーレント(笑)浅田彰(笑)『構造と力』(笑)
別冊ジュリスト判例百選(笑)大前研一(ワラ)シェイクスピア文庫(笑)
田中行政法(笑)中公『世界の歴史』(お前高校生かよw)マンデル貨幣理論、(笑)
女子大生(特に法)が読む雑誌と大差ないMarie Claire(笑)
magazine litteraire(笑) Cosmopolitan(笑)Critical Inquiry(笑)
Le Monde(笑)The London Economist(笑) American Economic Review(笑)
Fortune(笑)Foreign Affairs(笑)Yale Law & Policy Review(笑)
The New England Journal of Medicine、Michelin(笑)
これだもんねぇ。
他にも数百冊 持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
ピーター・ドラッカー(笑)
ピエール・ブルデュー(笑)
フォーリン・アフェアーズ(笑)
知の論理!!(笑)
もう俺その場で大爆笑。
プゲラー止まらなかったぜwww
ま、予想通りだけど、杉浦・ 解析入門(高校4年生の一般教養にはいいかもね)
岩波講座・現代数学の展開 (なぜかモジュライ理論、Lie環、Weil予想、コホモロジーw)
リーマン・アティヤー・岩澤・シュバレー・ヴェイユ・セール・ブルバキ・ウィーナーなど書店で目につくもの(持ってるだけね、知的ファッション)
東京化学同人『分子細胞生物学』(ゲノム解析ブームの名残だろうな)
プリゴジーヌ『散逸構造』(笑)
これだもんねぇ。
他にも何十冊か持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
日経サイエンス(笑)
ニュートン(笑)
数学セミナー!!(笑)
もう俺、こんな連中と面識あるなんて、恥ずかしいね。
あいつらよく平気で外を歩いてるもんだ。
せめてNatureくらい読めよな、
文系(特に法)なんだからさwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
元増田だけれども、一番の意図は結局のところいいなにをしたって人材を見抜くことなんてできないんじゃないかってこと。
面接で見抜けるって豪語する人はたくさんだけど、会社の人間を見る限り、これが面接でふるいをかけられた人間なのかと思うと信用できん。
もちろん俺ふくめて(笑)
5年10年働いても、正当な評価が得られない人が会社の中にゴロゴロいるのに、たかだか数十分の会話でなにがわかるのか?
少なくない人間が履歴書の字を見れば人間がわかるとか言ってるわけで。
TOEICとかTOEFLEとか英検とか受験者がバラバラに似たような資格を引っさげてこられても比較に困るし、どうやったっていい人間を見つけ出すのが無理なら、省力化していかないと。
センター試験なら、高卒でも大卒でも関係なく解けるわけだから一般教養試験には丁度いいじゃん。
センター試験の点数順で一次選別。
面接で二次選別。
で、最後はセンター40点、面接30点、コネ30点の100点満点あたりで決めりゃいいじゃん。
学歴ひっさげてこようが、使えなかったらやっぱりお荷物に違いないけど、政治家とかにコネがある人材だったら使えなくてもいるだけで価値があるもん。
物理の時間を数学に使うとよろし。特にベクトル解析(sufix notationあたりも)と多変数の微分積分も視野に入れて。
で、そして幾何学の方は減らしてもいいのではないか。工学系で幾何学はあんまり使わない気がする(これは私の専攻のせいかもしれないが)
その代わりに、抽象数学に重きを置く。確率は選択にして、けど統計はやらない方向で。
どうせ文系理系なんてつまらない二分野に分けているのだから、そして学問自体も高度化しているのだから、理系は理系で理系にもっと偏重すればいいと思う。
ついでに地歴公民とか世界史は高校ではやらないで大学の一般教養にすればいいと思う。例えば大学で世界史を英語でやらせたりしてもいいんじゃない?英語でできないって云うのは単にできないって思いこんでるのとやらないからであってライティング偏重(かつ読書課題を読んだ上でエッセイを書かせる形にする)でいいと思うよ。英語教育は英語でじゃなく英語で何かを学ぶ形にすればいいんじゃないかな。国文とかは選択にして、けど現状のような授業に出なくても単位をとれるようなものにはしないこと。何度でも言うけどできないのはしないからであってできないからではないから。
高校は完全に理系大学への準備、すなわち大学教育の一年二年の数学の基礎をみっちりたたきこんでしまえばよろし。で大学入試はそれを試験する形にすればいいと思う。その代わり試験は従来のものより長くなるがしょうがないと思うよ。定員集めのために最低限必要な学力がない学生を大学に入学許可するのはどうかと思うけど、そういった最低限の知識がない学生については卒業に必要な単位を取るための必修コースとして数学のコースをとらせればいいと思うよ。まぁ4年以上かかっちゃうけどね。これぐらいに数学がわからないんだったらあきらめた方がいいということ。でも、本当に学びたい人には卒業に時間がかかってしまうけど門扉を開いておくようにしておく。(まぁどうせ留年するかやめていくことになるが)
で大学一年時に、初めて物理学の基礎(数学的に高度でかつ多様な演習を含む。できたら物理の実験の演習もとらせてレポートの書き方と物理学が確からしいことを確認するのにいいと思うよ。)で2-4年は専門課程と一般教養を並行してとりながらやればいいと思う。
化学については分からん。そもそも化学は量子力学なしでちゃんと理解できるのか疑問だけど化学は化学で高校の時面白かったから残してもいいかも。
文系は文系で適当にやらせておけばいいと思うよ。どうせモラトリアムなんだし。そのかわり文系に今理系がやってる物理と化学を必修にした方がいいと思うよ。文系涙目w どうせ大学で何も学ばないんだからもう高校でやらせちゃえよって感じ。高校の先生大変だなー
もう少し大学の内容を高度化すべし。以上。
偉そうに合格体験記でも書いてみようかと思います。知り合いにもはや受験生はいないのですが、d:id:lonlon2007:20090317が目に付いたので。
ぶっちゃけると受験勉強は「想像していたとおり楽。」でした。受験勉強を始める前は受験生ってのは寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たまに徹夜で勉強する!みたいな偏見は全く持ってなかったんですが、やっぱりそのとおりでした。むしろ10月までバイトしていたのがたたって出席日数が足りず授業のコマ数が増えたうえに出席日数を充たした他の生徒が次々と休み始めるために授業中に寝にくくなり、平均睡眠時間が減っていきました。(寝ないと動けないんですが・・・)
東大は天才じゃなくちゃ入れないっていうのは確実に嘘。「東大生」は学部生だけで約1万、ほぼ京大もほぼ同じ、わずか4〜5歳間に2万超もいる人たちを「天才」とは言わない。天才なら楽に入れるなら本当かも。
秀才が3年間こつこつ勉強して入れるっていうのは本当。「〜初めて入れる」は微妙。秀才でも凡人でも3年間もコツコツ勉強すれば入れるんではないでしょうか。本当に「コツコツ勉強」していれば。
「色んな人が色んなところにこうやれば受かる勉強法!みたいなのを書いていますが、個人個人で合った勉強法は違うので、色々な方法を試してみて、自分に合ったものをやるのが一番いい」というのは当然のことで、id:lonlon2007が長々書いてる中で唯一の真理。
id:lonlon2007を逐一もじるのは早くも飽きたので、というよりもそんなに長く書くこともないので簡潔に。
ちなみに残念ながら僕は、『苦手科目は世界史と日本史、得意科目は数学と化学と物理と地理』だったので「理1なら1ヶ月で受かるんだけどな、下手すりゃ今日にでも受かるかも」と思いながら勉強していました。
あと、基本的に家では喫煙を禁じられていたので、主にガストとジョナサンで勉強してました。当時(約10年前)のファミレスはせいぜいがホットコーヒーのみおかわり自由で、ジョナサンのアイスコーヒーおかわり自由とガストのドリンクバーには大変助けられました。あっ、嘘だ。一番勉強したのは学校。さっき書いた通り10月にバイトを止めてからは授業にかなり出るようになったので、授業科目を耳で聴き、別の科目の教科書を目で読み、2科目並行で勉強してました。あとはファミレスで数学や英語(主に英作文)の難問を広げ、頭の片隅でその回答を考えつつ苦手の世界史のテキストを読んでいました(たぶん後で書くけど教科書やノートよりも新書が多かった)。
風呂の中や通学電車の中で小説を読んでる時も、未だ解けていない難問や数日内で間違えた問題のことを完全忘却しているわけではないのですが、机の前以外では何か思いついても頭の中にメモるだけ。勉強しない時は勉強しないとメリハリをつけるようにしていました。ちなみに「机の前」には授業時間が含まれます。高校生は一日の半分近くを学校で机に向かっているわけだから、勉強時間は非常に長い。一部の(私立)進学校や特別選抜クラスのような環境でもなければ「授業のコマ数が減る」ことはないと思いう。嫌でも一日の半分近くが勉強時間。「寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たまに徹夜で勉強する!みたいな偏見」は授業時間を効率的に使えていない人が持つのではないかと思います(あとは生徒に自由時間を多く与える方針の学校の生徒)。そういう意味では「勉強効率」がポイントというのは同意できる。
うちの高校(某都立)では文化祭(とついでに体育祭)が一大行事としてありますが、殆どの人は夏季講習と文化祭の準備を両立させ文化祭が終わった9月頃から本格的な受験勉強を開始するようです。かく言う僕も文化祭が終わって(ちょっと学校側とイロイロあって)バイトを辞め、10月から受験に力を入れ始めました。今、気付いたんですがid:lonlon2007は「6月から」とのことなのでタイトルに偽りありで約半年、僕の方も10月からなのでタイトルに偽りありで約4ヶ月ですね。開始をもう1月遅らせておけば「四半期で受かった勉強法」とゴロ良くピッタリなタイトルにできたのに。
まず何をしていいか分からない!ということで過去問を解いてみました。いや、模擬試験を受けたかも。なにぶん10年前なので記憶が・・・。とりあえず法学部志望なのに受験敵性では明らかに理系向き。その分、周りが国公立を難しいという理由の一つである文系なのに理系科目(理系でも文系科目)、という関門はあっさり突破。選択授業も理系用の数学(と化学と物理)をとっていたので2次試験の数学もさほど難しいとは思いませんでした。
「まず」も何も、とにかく苦手の世界史だけやろう!ということでそれまでは小説に費やしていた読書時間を歴史系の新書に切り替えました。もともと古本屋めぐりは趣味だったので行動範囲の古本屋の50-100円コーナーで歴史系の文庫と新書を買い占め。2年半バイトしていたので他の高校生男子よりもお金を持ってはいました(うちの高校は縁遠かったけど世間では「ブルセラ」華やかなりし頃。女子高生は金を持ってた)。がそんなこととは関係なく、買い占めたと言ってもせいぜい100冊程度。私立や塾に通うことを考えれば微々たるものです。
いつどんな問題でも満点を取れる!と思わない科目を勉強する分には必ず点数の上昇につながるので、わざわざ『勉強のスケジュール』を組む必要はありません。数学は1日勉強しても1点分しか稼げないけど、英語は1日の勉強で2点稼げる、てなことが計算できるのなら『勉強のスケジュール』も有効かもしれません。しかし、そんな計算ができる人は自分の欠点が分析できているのだから、すぐに数学でも2点稼げるようになります。満点を取れない間は何をやっても点数に繋がるのだから『勉強のスケジュール』なんか不要。そもそも『勉強のスケジュール』を考えようと言う発想が今日の今日までありませんでした。夏休みの宿題@小学校で1日のスケジュールを考えろと言われた時以来の衝撃です。『勉強のスケジュール』は学校がバランス配分してくれた「時間割」で十分だと思います。
夏休みはバイトと文化祭だけだったので、休日の勉強について。休日はNHKで将棋を見てから昼食、最寄り駅周辺の古本屋を回ってからファミレスへ。(好きなのが将棋で幸い。これが囲碁だったら午後の大半がテレビでつぶれる。当時はネット中継がなかったのも幸便)本を1冊読んで(1〜2時間)から勉強。最低2時間はやろうと決めていて実際2時間くらいなら集中力は続きます。鉛筆ナメナメ英作文を推敲していると気付くと2時間なんてこともあって最低2時間の縛りは苦痛ではありませんでした。(学校じゃサボってると言ってもそれ以上やってるわけですし)
夏の「初の東大模試」は受けたような気がしてきました。模試の判定は最後までE判定だかF判定だったので「予備校の採点基準が間違ってる」と思ってました。私立であればともかく国公立の論述問題は大学教授を信用して、「間違ってはない」回答が書けていれば良しとしておきましょう。予備校の採点は予定された正解以外を大幅に減点する傾向があるように思います。英作文であれば日本語の1単語には4〜6音節の1単語の英語を対応させれば文句なしの正解で模試ではこれ以外は減点。実際にはそんな難しい単語を知らなくても中学校レベルの単語を組み合わせて意味が合っていれば大学教授は正解としてくれるようです(大学に入ったからといって採点基準を教えてもらえるわけじゃないけど、じゃなければ不合格だったはず)。
出席日数を充たした生徒が続々と授業に来なくなる。いやがおうにも授業中に寝れなくなる。友人も受験モードに突入で遊びの誘いも減る。悪循環?好循環?
センター対策は・・・必要なんでしょうか。東大・京大の2次試験を見据えていれば不要な気がします。敢えて言うなら文系の理科、理系の社会科でしょうか。僕の場合理科が得意科目だったので無視。
というわけでセンター試験対策としては過去問をやってみたくらいです。悪くても90点以上だったので、本番の集中力があれば大丈夫だろうとタカをくくる。それでも素材がたっぷりあるうえに冬休みは午前中の将棋(NHK)もない。勉強時間は比較的長かったように思います。午前に1〜2時間、昼飯を食って古本屋。別のファミレスで本を1〜2時間に勉強1〜2時間。僕の中では最初と最後の時間差だけとって「6時間もやった」と思っていました。
冬休みは学校に行かないので、毎日図書室で読んでたJapan Timesが読めなくなりました。かわりにテレビニュースを英語音声で聞くようにする。親と妹も「受験生」ということで不満は抑えてくれてたようです。
ちなみに過去問は時間を気にせずやっていました。調子が悪い時や面白い問題にであったときは1時間を超えることもあったと思います。過去問で高い点数を取ってもあまり意味がないので答えや力の確認ではなく、とにかく「どんな問題でも時間さえあれば解ける」という確信を持てるように。時間を気にしていないので早く解き終わった時も確認とかはしない。「できた!」と思った段階で答え合わせ、間違っていたら原因を考える。
とりあえずセンターの自己採点が大丈夫そうだったので、気が抜けました。本番でも緊張しないことが分かったのが収穫で相変わらず学校の授業に出る日々。得意で好きだった数学・理科はそろそろ休めます。教師との不仲が極限に達していた英語と国語は最後の最後まで授業です。
『東大の○○25ヶ年』シリーズって何?赤本と友人がやり終えた予備校のテキストと文庫と新書、あとは学校の教科書で勉強してました。友人から借りた予備校のテキストはザッと解いて印象に残った問題だけ書き写して返す。別にビンボーだったからじゃないですよ。公立・公立・都立ときて親にはあまり負担をかけてないし、大学も国立の予定だし、バイトもガッツリしてたし、参考書を買う程度で躊躇することはありません。『東大の○○25ヶ年』シリーズはたぶん僕の頃にはなかったんだと思います。
そんなこんなでさすがに学校も行かなくてすむようになり(都立とはいえ受験校なので他の生徒は来ないし、教師もそのつもりでいる)、時間ができたので予備校に潜り込むようになりました。友人は私立志望が多かったのと私立の方は全く自信がなかったので私立コースです。あと友人は理系にも多かったので理系の東大コースみたいのにもたまに行ってました。2ヶ月も真面目に勉強するとさすがに疲れ(飽き)たのか、この時期に大きく伸びた気はしません。予備校では、僕が無意識にやっていたことを言語化してもらった感が強く、それはそれで頭の整理ができました。有意義だったと思います。
ぶっちゃけ全科目やるって言っても、高校で一日授業を受けているようなものなのであんまり死ねませんでした。
得意で理系の授業をとっていたので苦労なし。解けない問題は絶対に回答を見ず、翌日へでも翌週へでも持ち越してひたすら考える。答え方を覚えるよりも、答えの見つけ方を思いつくことが重要だと思います。図形問題なら知ってる定理・公式を片っ端から引っ張り出してやみくもに補助線を引く。そんなことを繰り返してるうちに、問題を見ると求めている回答がわかるようになってきます。センター試験は余力で解けるので無視。
現代文は二三回本番形式で練習して、形式に慣れるくらいでいいと思います。現代文はみんな取れなくて差がつかないし、勉強すりゃ上がるっていうもんでもないので、比重は極めて低かった。漢字も常識の範囲内なので、よっぽど苦手な人でなければ悪くても1問間違えるくらいで済むでしょう。
加えて日頃読んでいた小説・随筆は役に立ったかな。乱読・雑読ですが古今東西ジャンルに捕らわれずに古本屋の投げ売りコーナーで目に留まった本を片っ端から読んでたので、過去問や模試でもたまに知っているテキストがありました。新刊でも買うような好きな作家は受験には向いていないようで、これも幸いでした。好きな作家のテキストが出ていたら「正解」ではなく「持論(自論)」を書いてしまうひねくれた者なので・・・
知っているから解ける、知らないと解けない、というわけではありませんが、抜粋されたテキストの前後や著者が分かることにデメリットはありません。「受験のため」としてはお勧めできませんが、今まで読書に費やした時間も「無駄ではない」程度の気休めに。
使った参考書・問題集:なし
暗記が苦手なので古文には多少手を焼きましたが、学校の授業で十分。むしろ暗記法があれば教えてもらいたいくらい。単語帳とかがいいんでしょうか。僕は単語帳を作るのが面倒だったので、とにかくテキストを繰り返し読んで単語の意味や用法を文脈から類推するように心がけました。おそらく全科目で一番教科書を使いました。和訳(現代語訳)では自然な日本語になるように心がけました。意味が分からないから曖昧に訳すのではなく、文理や言葉のかかりを強調する翻訳体をさらに自然な言葉に訳す感じです。英文和訳でも同じ。
センター試験対策。教科書と過去問で十分。感覚を忘れないように授業がなくても週に一度はやる。勉強期間が短いので過去問が枯渇する心配がない。
うちの高校では入学時点で日本史と地理の選択を迫られます。歴史の暗記(人名と年号)が大の苦手だったので深く考えずに地理を選びましたが、これが功奏。日本史と世界史、日本史と地理が無関係とは言いませんが、世界史(の特に近現代史)と地理は密接不可分。片方を勉強すればいやでも他方の学力もあがります。
比較的得意だった地理。これは教科書と一般教養(新聞と新書)で済ませました。とにかく視点を広くして、知らないことがあって当然、知らなければ考える。このとき世界史の知識や新聞・書籍で読んだ現代社会の知識が役立ちます。社会・政治は地理的条件や歴史的背景に帰結することが珍しくありませんから知らないことでも十分に推測がききます。
あとは地図を見ることかな。別に国名や地名を覚えようとする必要はなくて、国名や都市名とだいたいの位置が繋がればそれだけでたくさんの情報が得られます。内陸なのか平地なのか、頭の中で地形図や気候図とおおまかに重ねられればなお良し。世界でn番目に長い川の名前とかm番目に広い国土といったクイズ的な知識は不要。そこに川はあるのか、国土は山がちだが狭くはない、その程度で事足ります。
都市名と工業・農業・産業を単にセットで暗記するのではなく、そのような産業が育まれた地理的要因を考える。基本で当然のことのようですが、結局はこれにつきます。
歴史(世界史)。大の苦手。とにかく年号と人名が覚えられない。ルイとかシャルルまでは分かるけど何世かが覚えられない。清教徒革命とフランス革命の前後関係(因果関係)は分かるけどそれぞれの年号は知らない。(日本史なら足利某までは分かるけど某が分からない)それでも何とか解けるのが東大・京大の論述問題の良さ!
細かい年号はザックリと捨て拙い記憶力は人名とせいぜい事件の名称に費やす。あとは前後関係・因果関係を意識しながら歴史を概観する。
教科書や授業では国や地域で縦に切り、ついで年代で横に切って学習しますが、前後左右のつながりを考えて大きな年表を作ります(頭の中でも良いし、模造紙や今ならパソコンのソフトで実際に作ってもいいかも)。先の例で言えば清教徒革命はイギリスの歴史においてどのような影響を与えたのか、さらにヨーロッパ、アメリカのどのことがらにつながっていくのか、フランス革命はフランスの歴史、ヨーロッパ・アメリカの歴史にどのように・・・こうやって年表に→を書き始めるとすぐに→だらけで見るにたえなくなっていくと思います。そんな因果関係を大まかに覚えていく。このような大きな流れがつかめると東大の問題は急に簡単に見えてきます。
教科書と資料集を片手に短時間で問題を解けるようになれば、あとは覚えるだけ。
教科書・資料集をわたしてもキーワード(人名・年号・地名・事件)をピックアップすることしかできずそれらをつなげて論説できない人が東大・京大の論述式問題を難しいと言ってるように思います。僕の場合は逆で、キーワードが分からない(正確に覚えていない)もののキーワード部分を穴あきにした回答は組み立てられた(センター試験の問題文のような文章)。教科書・資料集があれば穴埋めは簡単。あとはキーワードを覚える。受験勉強のほぼ全てをこれに費やしたと言っても過言ではありません。
例題を解く時は分からない問題もいきなり回答を見るのではなく教科書などを見ながら一度回答を完成させてから回答を見る方がいいでしょう。「覚えさえすれば」という段階に至ることが重要。
もう1つ、大まかな流れを雑ぱくに理解するのに新書のような読み物が役立ちました。受験用ではないので縦横に細切れにされていませんが、その分全体的な流れが見えてきます。気分転換にもいいでしょう。
最後に暗記について。当時は思いもよらず、最近になって思いついたのですが、書いて覚えるのではなくしゃべって覚えるというのがいいような気がします。英単語や漢字は書いて覚えるのも効果的だと思いますが、(ルイ)14世、15世、16世と書き連ねたところであまり役立つとは思えません。関連する人名・年号・ことがらをセットで口に出すと覚えられそうな気がします。ぼくは学校とファミレスで勉強してたので、当時思いついたとしても実行できませんでしたが。ちなみにこれは法学の勉強を通して気付きました。自分でレジュメを作ったり授業を聞いていても条番号はなかなか覚えなかったのですが、ゼミなどで口に出す頻度が増えると自然と覚えていました。
英文和訳は慣れ。知らない単語は前後の文脈で予想。そのために役立ったのは英字新聞Japan Times(とテレビニュースの英語音声)でした。朝に日本語の新聞で読んだ内容が英語に書き直されてるようなものだから、知らない単語があってもドンドン読み進められる。これを2ヶ月も読めばいやでも単語力や読解力、類推力や速読力が身に付きます。
辞書をひくのはあとまわし。類推した単語はあとで必ず辞書をひく。この2点がポイントと言えばポイント。辞書をひくのをあとまわしにするのは「考える」ことが重要だから。あとで必ず辞書をひくのは、1つの単語が持つ複数の意味を「とりあえず知っておく(覚えなくてよい)」のが重要だから。
今では多くの英語の新聞記事がネットで見られますが、日本の新聞とはフォーカスが違うので今なおJapan Timesが良いと思います。「英文を読む」よりも「大まかな内容を知っている英文を読む」ことが重要です。
趣味と実益を兼ねて好きな作家の原書も読みました。が、これはさすがに知らない単語(と専門用語)が多すぎて勉強にはなりませんでした。
あとは過去問。東大と京大ではずいぶんと傾向が違うのですが、それでも私立の問題よりは国公立の問題の方が東大受験には役立つ。私立の問題は「知らなきゃ解けない」うえに教科書にないものも多い。国公立とは別のことを問うています。
単語帳は古文同様に作るのが面倒。教科書では物足りなかったり電車で教科書を開くのが恥ずかしかったりなら、ペーパーブックを1冊だけ買って眺めていればいいのではないでしょうか。3日も同じページを読んでいればいやでも内容が分かるようになり、使われている修辞・技巧なんかにも気付くようになると思います。
DUOとか知らないしiPodは当時はない。当然使ってません。今なら英語のニュースや議員さんのPodcastをiPodで聞くのはありかも。(議員さんやニュースの英語は分かりやすいです)
例文を覚えるという発想はなかった。過去問や模試を解いているといやでも覚えてしまう文法的技巧や慣用句はありました。「覚える」というよりも「(自然と)覚えた」という感じなので「覚え方」は分かりません。
自由英作文は想定されている答えを探すのではなく「意味」が通る英文を書くことが重要。正しい文法で知っている単語の継ぎはぎする。どうしても分からなければ少し長めにあけた余白に薄く日本語を書いておき、あとで考えましょう。日本語1単語に5 words前後の余白を対応させるくらいの気持ちで。他のことを考えているうちにピッタリくる単語(1単語)が浮かぶこともあるし、そうでなくても空白のまま出すくらいなら中学校で習った単語を並べて意味を表現する。とはいえこれは苦肉の策。単語を知っていて損することはないので、時間と金と記憶力に余裕があるなら単語や例文はいくらでも覚えてください。大学に入っても社会にでも英語が足かせになることはないと思う。
模試は一通り受けたと思います。「教える」ための教科書と「考えさせる」ための試験では勉強の内実が違います。「教わる」よりも自ら「考える」ことの方が重要なので省エネ勉強のためにも受けて損はありません。嫌でも丸一日勉強したことにもなります。
東大模試は受ける。結果が悪くても気にしない。結果が良ければ安心する。結果が悪くて自信もなければそれを機に諦める(浪人するなり志望校を変えるなり)。
過去問を見るかぎり、東大よりも京大の方が正解の範囲は広いと思います(模試ではなく本番の話)。模試結果に納得いかない人は東大より京大に向いているかもしれない。
寝過ごした!電車で寝過ごしたけど、高校受験で軽く遅刻した反省をいかして少し早めに出ていたのが功奏して間に合いました。遅刻だけは気をつけましょう。
遠方からの受験生でホテルなどに宿泊する方は寝坊に注意。受験まで1年のこの時期に言っても「そんなわけない」と思うかもしれませんが、1校しか受けない本名中の Permalink | 記事への反応(0) | 18:06
今さっきググったら、東大の駒場の学生向けに、生命科学の入門的教科書が出版されていることに気がついた。
東京大学より初の文系向けテキストが登場!「食」「健康」などの身近な話題から「生命倫理」まで,社会的関心の高いテーマを軸に生命科学の基本を解説.一般教養を身に付けるために最適!日本図書館協会選定図書.
東京大学発の必修教科書第2弾!今回も強力な執筆陣が,分子から細胞,個体,種への連なる生命現象の全体像を基礎から解説.理・医・農・薬・歯学部など生物系を専攻するなら,必ず読んでおきたい一冊!
教授から、上記のような生命科学の教科書をつくる動きがあると聞いたときに、開口一番
「是非、科学史の人たちに作ってもらってください」
と言ったことを思い出した。
本自体は総合文化研究科の生命系の人たちがオムニバス形式で作成したようだ。
擬似科学やニセ科学、進化論論争といった話が盛り上がるのを聞くたびに、
科学史が決定的に足りていないよな、と思う。
理由は、「あまりに科学が進みすぎた」こと。
「」付きにしたのは、「普通に生きている人が共通常識として共有するには進みすぎた」程度の意味。
もちろん、「普通の人」だけではなくて、医師国家試験でも、そういった進歩の弊害は指摘されているようだ。
現代において正しいとされている科学的知識を得たところで、
多くの人は空中分解しちゃうんじゃないかな。
だからヒストリーとしての科学が必要だろうと思う。(ヒストリーと書いたのは「ゲシヒテではなくて」程度の意味)
もちろん学問としての科学史が科学者研究的な面や公共政策学的な面があるのは、
(デカルト研究とか、ダム建設の科学的根拠を住民がどのように受け入れたかとか、そういうテーマ)
寡聞ながらも承知しているのだけど、
「大きな科学の物語」が必要なんじゃないのか、と思うのですよ。
今の教授たちが学生だった頃に比べると、修士といえども桁違いの知識が要求されるわけでしょ?
しかも、ネットを使って、そういった知識に簡単にアクセスできるから、
「知りませんでした」とは言えない。
Analysis Paralysis になっている大学院生も多いんじゃないかな。
Analysis Paralysis なのは、大学院生だけではなくて、
普通の人も同じでしょう。
普通の人にとって「科学的であるためのコストが大きすぎること」が問題の本質なのではないですか。
今更、科学の量は減るわけではないので、
触媒が化学反応に必要とされる活性化エネルギーを下げるように、
工学出身の東大現総長の小宮山先生が、「知の構造化」を掲げている。
確かに、マインドマップ的な構造化・可視化も、科学理解の手助けになると思うけど、
物語が一番理解しやすいと思うんだよなあ。
アタシ
黒曜石
割るとガラスみたいに尖りやすい
昔から
ナイフに使われてた
みたいな
だからさ
ねぇ
磨いてよ
優秀な学生は学部と修士の学位をとるらしいがどうやって取るのか、第三者視点から説明してみる。
ちなみに卒業に必要なのは126から128単位が普通。建築は普通の学部と違う(通常は5年制)
通常アメリカの大学を卒業するには60単位程度の一般教養(工学部とかだとほとんどが物理と数学系で全然一般教養ではない。)と60単位前後の専門課程で構成されている。夏学期の間に一般教養の科目をとることによって、卒業年数を減らすことができる(減らさないで自分みたいに関係ないコースをとるまくる人もいる合計190単位取得予定)。
日本人でこれをやるのはほぼ自殺行為だけど事実上一学期間に取得できる単位に上限はない(けど成績が優良でなくてはならないのは当たり前)。たとえば自分みたいに一学期に21単位とれば一年に42単位、三年で卒業できる計算。夏学期をとればたぶん2年半で卒業できる(ものすごく辛いが)。
要因3:単位制である。
要因4:修士論文の研究を4年時の夏(すなわち3年が終了したあと)に始めることができる。
修士論文の研究を始める時に学部制であるにもかからわず有給で研究を始めることができる。でステータスが大学院生になったときそのままリサーチアシスタントとして学部か教授に雇われることになるからさらにお得。
一定に制限はあるものの学部生のステータスで大学院の授業を受けることができる。
アメリカ市民である程度優秀(たぶんこの優秀って意味は日本人感覚に優秀ではない。)であるならば簡単に奨学金が出る。バイトしなくてもいい。
けどそれ相応の努力と忍耐も必要だということは認識しといたほうがいい。日本の文系みたいに遊び呆けているアメリカ人はいっぱいいるけどね。(アメリカの大学生は勉強するってのははっきり言って神話)
それを「重視」というのだよ、君。そして、君の言っている「形式」は君の独りよがりでしかなく、「重視」しているのは君だけなんだよ。
ごく常識的なチェック機能だから、独り善がりでもなく、ごく一般的に使われているけど。だから別の増田(http://anond.hatelabo.jp/20081111075146)も使ったんじゃないだろうか。科学の教育とまで大仰でなくても、普通に体得するものだ。つまり、形式を使っているのは僕だけじゃなく「重視」するしないというものではない一般教養なんだ。
形式というと幼稚に見えるかもしれないなら、論理的にと言い換えてもいい。言語学でないと言い切れるぐらい言語学に関する一般知識があるなら、たぶん論理的ミスのほうがとっつきがいいだろうし、形式のように無視はできなくなる。
それで何が悪いのかね。
これも僕じゃなく別の増田なんだが http://anond.hatelabo.jp/20081111005657 「印象論だね」と言われて元増田は「ある程度の伝聞情報だけからでも言えることはかなりあるよ。特に、学術的な議論に関してはね。」と答える。その時点では読んだとはいっておらず、伝聞情報の真偽を確かめずにいるなら元増田の発言は印象論そのものだし、元増田は専門家ではないのだから真偽は確かめられないはず。自分の頭で考えていないと言いながら、専門家の発言を鵜呑みにした印象論で自分の言い分を補強する。自己矛盾という形式面の不備。
説明したじゃないか。元記事で。それに対して君が粘着してきたから、黙らせようと思って他人の意見を出したまで。君は理屈で説得されて納得するたちじゃないもん、悪いけど。
粘着と言ってもあれが僕にとっては初回なので、批判を受けると黙らせないとというのはアレな人だ。
ところで、権威を持ち出してイチコロとまで言っていれば、権威を鵜呑みにしていると思われるて当然だろうし、専門家の意見を持ち出しているのは例の印象論のところと含めて二度もある。本当に黙らせようとするつもりならば権威の力を借りているといわれるだろうし、そうでなくとも鵜呑みにしている時点で自己矛盾となり形式面の不備。
誰も釣りなんてやってないんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20081112181335 とか道化になりゃなきゃとか書いたエントリがあったけど、あれは別の増田だろうか。道化のほうはなぜか消えているかみつからない。
http://anond.hatelabo.jp/20081112233759もそうなはずだが、おちょくっていると書いてある。
イチコロという表現からも、なんらかの意図があると推測できる。
僕の推測だけど
ということだろう。
特に釣りが悪いとも思っていないし、元の発言の出来が悪いのでもない。その後の一貫性がなく形式面の不備ばかり目に付くので、誰もいじってくれなかったんじゃないか。ちょっとやばいひとだねってさ。僕もあまりにも形式的に見ておかしい人だと思ったので釣ってしまったんだ。ごめんね。時間取らせちゃったけどそういうことで許してよ。
問題にしているのは、真面目に授業に出席している大半の学生に、理系の素養を学ぶ機会が少ない(だから国会議員ですら元増田の記事みたいな詐欺に乗せられる)という事じゃないのか?
理系の素養なら義務教育でも高校でも大学の一般教養でもやってるだろうに、それでも少ないなら全員理系の進路に進むしかないのでは?それに他の教科だって教える機会が少ないと思ってるであろうと推測できるはず。国会議員は理系の素養はなくても憲法や法律のやマクロ経済や金融をしっかり理解してると思ってるのかもしれないが現実はそうじゃない。
義務教育に手を入れるなら、元増田の記事みたいな詐欺を「最低限知っておくべき事」と位置づけ、それに合わせて教科書の具体的な内容を見直すという流れになるだろう。
詐欺の手口はいろいろあるから全部教えきれないだけでクーリングオフとか悪徳商法の種類とかは義務教育の家庭科でもすでにやってるよ。
当初の女子学生の「かわいそう」という発想の彼の考えるところの女性性への揶揄を踏まえて読めば、それ以上の含みがあったように読むのが自然だと思うけどね。それはともかく。
仮にそうだとしても、それを表現するための例示の適切さとは別問題だな。
あるだろ。なんでこんな無駄にデリケートな例示を選ぶんだ。この話題がデリケートだということ自体を理解して無いんだとしたらその無理解は批判されても仕方ないな。実際批判されたし先生は謝ったねえ。
専門家じゃない。医者は医学の専門家ではあって、危機管理の専門家ではない。
まして、専門家の意見を信頼すべきなのは事実に関する部分であって、特定の価値判断を含む部分ではない。「トリアージを例に出すのは不謹慎」というのは、いくら当事者の意見ではあっても、あくまで一つの主観でしかない。
現地でトリアージに当たった医師が専門家じゃないってのはとんでもない発想だなあ。
福耳先生という経営学の専門家も謝ってんだけどな。お前はどういう立場で専門家としてこの二人の専門家の判断に異を唱えてるわけ?
だとすればあんたが説明不足なのか俺が「あたまがわるい」かどちらかだが
どっちだかははっきりしてんだろ。俺みたいに理系でも分かる平易な言葉で過不足のない説明をしてもわかってないんだから。
「抗議されるだろう」と言ったからな。「問題がある」と書かずに「抗議される」と書くのはおかしいと思ったまで。
俺は「抗議されるのはもっともだ」といってるだろ。問題が有るからに決まってる。それとも、何の問題もないと思ってんのか?
ユダヤ人絶滅ゲームになんの問題もない、抗議する奴が馬鹿なんだ、と考える視点からこの問題を論じるとすればなるほどあの経営学の先生にはなんの問題も無いかもしれんが、そこまでアホな議論には付き合いきれんぞ。
だからその必然性は?俺はトリアージの例が不適切だと思ってないので、「不適切な例ではなく適切な例を挙げればよかった」と言われても何の説明にもなってない。
同じテトリスのルールでも、挑戦的な表現をしたい、けんかを売りたいんで無い限りは、ユダヤ人絶滅ゲームというデコレーションを避ける必然性はある、と俺は考えるんだが、その前提すら通用しないのであれば、なるほどトリアージという例示を避ける必然性もないのかもな。でもそんなアホな議論には付き合いきれんな。福耳先生はトリアージの当事者にはあっさり謝ってる。そんな挑戦的な表現をしたかったわけではないわなあ。
君はそういう挑戦をしたいのかも知れんけど。
あと、あんたはその種の決めつけが多いから敢えて言うが、人の専門を勝手に数学に限定するな。こんな話は理工系の人間なら誰でも(というと言い過ぎだが)知っている。
いや応用数学の話を自分でしてたろ。つか人を人文系だの左翼だのにカテゴライズしといてよく言うよ。
なぜトリアージを持ち出したかという動機の話をしている。福耳氏の抗議は一般教養としての経営学であって、だとすると「制約条件の下での最適化」のような発想を学んでほしいと考えるのも自然だし、事実、氏の記述からはそれが読み取れた。
そして、「制約条件の下での最適化」を教えるのにトリアージという例示を使う必然性はまったくなく、それがデリケートな話題であるのに敢えて使った意図的な例示というわけでもおそらくはなく、だから現場の医師に怒られたらあっさり謝っている。不適切だったんだよ。話終わってんじゃん……。
いや、福耳氏の文章からすると、「制約条件の下での最適化」という発想を理解してもらいたかったと考えるのが自然だろう。
そもそも、そんなことを言い出せばあらゆる例示には必然性がないし、そこまでしてトリアージを回避する理由はまったくない。
俺は、例示がトリアージである必要がある、と主張しているわけではない。トリアージを例に出して行けない理由を問うている。
専門家じゃない。医者は医学の専門家ではあって、危機管理の専門家ではない。
まして、専門家の意見を信頼すべきなのは事実に関する部分であって、特定の価値判断を含む部分ではない。「トリアージを例に出すのは不謹慎」というのは、いくら当事者の意見ではあっても、あくまで一つの主観でしかない。あんたらは犯罪被害者の意見を重視するのが嫌いなんだろうからそれはわかるだろ。
hokusyu辺りにいうならともかく、俺が今まで書いてきたことのどこが高踏的な人文系用語の羅列なんだww
いや、あんたに言ってない。「あんたら」に言っている。
あんたの説明は、少なくとも俺には理解できない。だとすればあんたが説明不足なのか俺が「あたまがわるい」かどちらかだが、それをはっきりさせるために十分な説明を出してくれ、と言っている。率直に言って、あそこまで確信を込めて主張できる人間がいるからには、ある程度納得のいく根拠があるんだろうと信じたい気持ちもある。しかし、そういう説明が全く出てこず、本音で「わからない」と言ったら邪推されることへの怒りもある。
別に誰かが抗議したことだけをもって判断基準になんかしてないだろ。
「抗議されるだろう」と言ったからな。「問題がある」と書かずに「抗議される」と書くのはおかしいと思ったまで。
経営学の範囲できっちり処理できる具体例を挙げればいいんだと思うが?
だからその必然性は?俺はトリアージの例が不適切だと思ってないので、「不適切な例ではなく適切な例を挙げればよかった」と言われても何の説明にもなってない。
だいたい、一つの分野を教えるために一つの分野から出るなってどんな縦割り主義だよ。微積を教えるのに物理の例を出してはいかんとでも言うつもりか?
あと、抽象化されたモデルをそのまま抽象化されたモデルとして理解するトレーニングは(これは別の?増田も言ってたけど)大学レベルの学問としては重要だよな。数学やってんなら分かるだろうけど。
もちろんそれはそうだ。だがそれはこれとは全然別の話で、具体例の助けを借りてはならないということはあり得ないし、あるとすればそれこそ衒学的。教育という観点では、学問への関心を持続するためにも、応用や関連の広さを教えるべき。
あと、あんたはその種の決めつけが多いから敢えて言うが、人の専門を勝手に数学に限定するな。こんな話は理工系の人間なら誰でも(というと言い過ぎだが)知っている。
言い換えだなんて誰も言ってない。なぜトリアージを持ち出したかという動機の話をしている。福耳氏の抗議は一般教養としての経営学であって、だとすると「制約条件の下での最適化」のような発想を学んでほしいと考えるのも自然だし、事実、氏の記述からはそれが読み取れた。
理系でオタクな上司をやってる自分の感覚としては素直さがそのまま成長力と目的意識につながってるって印象。
企業は新卒に能力なんてものは期待していないし、学校で覚えてきた知識なんて社会で役に立つことはない。
企業では一から教育するつもりでやってるから、素直で、目的に向かって一直線に進んでくれる奴がありがたい。
「何でこれがこうなるんですか?」「納得ができないのでやる気になれません」みたいにいちいち言わないといけない奴は結果的に成長が遅い。素直じゃない奴は、基礎能力が高くても成長が遅い。もしくは成長しない。
確かに「前向きで自分で勉強できるタイプの理系」が一番成長が早いんだけど、そんなの30人に1人。そんな奴でも環境が悪いとすぐ「納得ができません」とか言い出す。
体育会系で何かを達成したことがある奴はとりあえずゴール(目的)を教えれば、勝手に走り出す。それだけでも成長力が違う。
社会人になってからは成長力が大事だから、圧倒的に体育会系の方が成長するよね。理系はその次。でも理屈が多くてうざいよね。成長が遅くて視野が狭い。自戒の意味もこめて。目的のない文系は一番きつい、友人としてはいい奴が多いけどね。
「助教の職を探してる」
過去に付き合いのあった人よりも毎日顔をあわせる人から言われたほうが強いよね。
なんか遠くのなんちゃらより手元のなんちゃらみたいなことわざがあったような気もしますな。
営業の基本ですな。
とはいえ、これから向こう20年は日本の子供はいまの2/3になるんだから若いうちから大学なんかの先生になろうっていうのがポジションどりとして間違っている気がする。
どんなに実力があっても衰退産業にいたんじゃ苦労するだけだぜ?
ちょっと話はずれる。
定年で1年ぐらいぷらぷらしてた親父が去年ぐらいからどこぞの国立によく出かけてるので、いまさらながら「何してるの?」と聞いたら、「教えてる」とかいいだした。
よくわからないんだけど、大学の先生なんて会社辞めた後にでもなれるもんなのか?
チューターみたいなのだとおもってたんだがよく聞くと単位がもらえる授業らしい。
一般教養かな??
よくわからん。
よくわからんが定年後になれるもんだとしたら後続の育成とかは定年後にやるのがちょうどよさそうだよね。
某社の一線に立ってあれじゃこれじゃ数十カ国とびまわってたおっさんなので、
ちょっとぐらいは学ぶところはあるのかもしれない。
まあ、家族としてはぼけ防止にもなるからいいんじゃないかとは思うんだけど・・・。
でもね、あとちょっとすると、こういう一線から退いた団塊世代とかがドッと教育の現場とかに舞い降りるとおもうんだ。
そしたら純培養の経験も実績もうすい教授とかはじき出されちゃうんじゃないかな。
そうなったら更なる悲劇が教育現場の教師を襲うことに!
彼らの機動力は甘くみちゃいけない。
そんな風に思いましたとさ。
よしがんばれロストジェネレーション!
分裂勘違い君劇場を、わんさかブックマークする人達というのは何を好きこのんでいるのだろう。浅く、薄っぺ。腹が立つので、ブックマーカーに突っ込みを入れてみよう。ちなみにこのエントリ「日本でしか生きていけないと将来破滅するリスクがあるので世界中どこでも生きていける戦略のご紹介 - 分裂勘違い君劇場」には今現在183のブックマークがついていた。
考えさせられる
そうですか?腹が立つという意味なら同意です。
分裂君の評論能力にはつくづく感心させられるなぁ。
ある意味正しい。きちんとblogの形にまとめてくる能力は評価できますね。でも、なんだかバックグランドとして透けて見える彼の価値観がどうにもよろしくない。プロフィールのところで、逃げを打つあたりも疑問だしネ。
同意。全くその通り。地方のSEにこんな感じのリーダが昔は沢山いた。世間狭すぎる。会社にべったりのスキルを獲得しないで、何をやった気になってるんだろう。大型開発ほど、困難な開発ほど、会社として総力戦になる。自ずと独自製品べったりになる。そんな現場に立ち会っていない。というか、立ち会ったかも知れないが外野として俯瞰していた感じだ。
AJaxが無いのは書き漏らしたのかな。独自製品べったりを嫌うだけあって運用管理ツールは無いな。Apatche, MTが無いあたりは勘定系などのSEなのかと思わせられる。それにしても、「正規表現、TCP/IP」は一般教養だからここに書かない方がいいのでは。iosが無いのはネットはやらない人なんだな。
国家に対しても同じことが言えます。
IT系企業と国家を同列で考えるのはいかがな物か。しかも、文の構成から見てIT企業の考察から類推している(国家破滅の例としてIT企業を出したとは思えない)。
全ての資産を一点がけするのが危険な投資戦略であるように、自分の生活基盤となる国家を一カ所だけに限定してしまうのも、極めて危険な賭なのです。
またも、理由を開示せず類推で話を終えている。投資のポートフォリオをどっかで聞きかじったんだろうが、薄っぺらい。
「1人の異性しか知らず、最初につきあった異性と一生添い遂げなければならない」というのはいかにも古めかしい道徳観念です
古いとしか言っていない。良い悪いの話じゃないのか。古いが悪いのはITだけだよ。価値観なんて人それぞれ、古かろうが主流じゃなかろうが幸福追求に都合が良ければそれでよし。
また、タバコ依存症から抜け出すために、さまざまな方法があるように、日本依存症から抜け出すにも、さまざまな方法があります。
まただ。しかも、今回は「依存症」という単語で一本書こうとした糸口が透けて見える。面白いけど、調査不足。力不足。埋め草が多すぎる。
なぜ、この話題で計算式を出さない。計算してみればあなたの提案がとても難しい物だというのがよく分かるはず。私の資産では年率16%の運用利回りをたたき出さないと生活はできない。平均的な資産運用は5%。企業は年金の運用を2〜5%でやっている。16%の運用ができるなら、日本にいた方がいい。
新しく登場した.NETやC#にしても、過去にマスターしたスキルにほんのちょっと上積みしたぐらいのわずかな薄皮でしかなく、いままで蓄積した基本スキルはそのまま通用します。
仕事は何をやってるんだろう。わずかな薄皮で日々しのげる楽な仕事なんだろうなぁ。スコープも狭いし。
自営業は、あたると凄いんです。
あたらないと書いてるように見えるのだが、気のせいだろうか。
いちいち、けちを付けて申し訳ない。なんだか、今猛烈に反省モードです。しかも、初めて彼の日記を読み切ったのですが、薄っぺらいという感想は変わりませんが好きになったかも(w。愛されるべきSEなんですね。でも、これだと商談取れないぞ。
じゃあ他の大学の奴らは高校までで教養を得ているかっていうと絶対にそんなことはない。
俺の行ってた学部は私大の文系だけど大学入るまで小説の1冊も読んだことなかったって奴がゴロゴロいた。
根拠はないけど東大入るような奴は「比較的」高校までで一般教養的なものを得ている奴が多いんじゃないか?
>ブクマ
別に狭い範囲での「友人」の話してるわけでもないんだけどな。
4月期にそれなりに人と接してそれなりにその人間の趣味を知れる時期があるだろうよ。
だからこっちは「大学入るまで」と言ってるわけで。
「俺の学部が」と言う話ならもしかしたらそうなのかなーとも(その時に接した人たちがたまたまそうだった、かもしれない)
お前が優越感に浸るために人を馬鹿にしたいだけなのかなーとも(他のブクマコメ見てるとそういう性質ありそう)どっちとも思うけど。
http://anond.hatelabo.jp/20080122184151
残念ながら氏の事は全く知らなかったけどさ、
須原一秀氏の著作についてざっくりネットでしらべてみたよ。哲学者としての評価はどうだか知らないけれど、著書はどれも、とても面白そうだ…!かつ、読み易いらしいし。
単なる大学時代の一般教養の講義の先生を、「知人」とまで言ってしまう気持ちが分かる気がした。
早速注文してみた。
http://www.shinhyoron.co.jp/books/newb/0473-3.htm
http://www.amazon.co.jp/dp/4794804733
〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組―体は自覚なき肯定主義の時代に突入した―
http://www.junkudo.co.jp/syohyo200503/syohyo3-tyosho.htm
http://www.amazon.co.jp/dp/4794806523
氏のはてダ →http://d.hatena.ne.jp/KANTAN/
須原一秀とは→http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%DC%B8%B6%B0%EC%BD%A8
というか、自殺してた。
今日、いつもは新刊とかはAmazonでチェックしてるんだけど、なんとなくbk1に行ったら、
トップにこんな言葉があったんだ。??
で、気になってクリックしたらこんな本が出てきた。
http://www.bk1.jp/product/02957714
あれ?須原一秀?この名前なんか見覚えあるぞ、って
俺この人知ってるじゃん!! 龍谷大で教えてもらってた先生じゃん!!
えー、なに自殺? わけわかんねー!! なんだよこれ!
ぼくと彼とのつながりは、数年前にぼくが龍谷大学に在籍してたときに彼が非常勤講師として勤めてて、
彼の担当する講義を一般教養で受けた、というものだけなんだけど、けっこうショックだった。
いま思えば、ぼくは彼のことをなにも知らない。
妻帯者だったのか独り者だったのか、子供がいたのかどうかさえ知らない。でも、ショックだった。
そんなわけで、当時龍谷大学か立命館大学に通ってた人、なんでもいいから彼のことを教えてくれませんか?
当時のキャンパスの様子とか、ほんとなんでもいいから。
旧帝理系院卒ですが全く同意。というより俺がそのタイプだった。
文系ならたぶんまだ大丈夫だが、
その通りだと思う。
高校までと大学以降の質的な違いは、自分が標準的な知識の体系の全体を網羅できるかということがあるだろう。高校までならこれは努力次第で十分可能なんだが、大学からは無理だ。専門分野を選ばなきゃいけない。
で、理系の学問ってのは、基本的に「断言できること」だけを集めたものなんだよね。極端なことを言えば、コンピュータで処理できないものは理系の学問の対象にならない。どうしてもそういうものを対象にしようとするならば、コンピュータで処理できるような(というと語弊がありすぎるが)数学的モデルを自分で作り上げて、その正当性を検証しないといけない。そして、その作業は一生かかっても終わるかどうかわからないような膨大なものだ。
理系の学問とはそういう特殊な世界だ。だから、何でもかんでも興味を持ってしまうと、知識の幅は拡がっても、深さを追求する暇がなくなって破綻してしまう。だから、どこかで割り切って専門をえいやっと選んでしまわなければいけないのだが、これがなかなか難しい。一旦狭い世界に飛び込んでしまえば、「深さこそが幅」だと気付くんだけれど、飛び込む前は気付かないだろうね。
一方で、文系の学問というのは「なんでも対象にしてしまう」学問だ。だから、「幅こそが深さ」という側面もあり、何でも広く浅く知っていることも武器になる。たとえば「比較○○学」というのはまさにそれで、知った限りのものごとを体系化するだけで一つの研究になるし、その体系化の手法は理系で要求される高等数学のような、特殊で難解な技術だったりはしない。
なんだって、文系といったってこれは文学部系の学問に限ったことではないかって?おあいにくさま、東大で法学部や経済学部に行った人が研究を志すと思いますか?彼らの多くは大学ではなく社会で輝くことを志すのです。だから、深さよりも広さ、スペシャリストよりもジェネラリストが求められるのは当然です。
あともう一つ、文系には「学問のような非学問」がたくさんある。いわゆるサブカル系とか文科系といわれる趣味の人に好まれるものはたいていこれで、文藝評論とか宮台先生の社会評論とか、こういうのは難しい言葉を使ってるけど「学問」じゃない。学術研究とは違う。もちろん、だから価値がないと言っている訳じゃないけれど、こういうものはどうしてもカタい学術研究とは違って、ある程度大胆に主観による断定なんかも用いているわけだから、「理論的には、誰が読んでも必ず理解できて必ず納得できる」というようなものではない。芸術作品と同じで、ある人にとっては素晴らしいものだがある人にとっては無価値だったり不倶戴天の敵だったりということが平気であり得る。こういうものにはまりこんだら、「これを理解できない俺は馬鹿なんじゃないか」と悩みこんで時間をロスしてしまうことというのは非常に多いんだ。
だから、俺としては現役の大学生には、一般教養が終わったら一旦、勉強を専門一本に絞ってしまうことを勧めたいもんだね。視野が狭くなった気がするかもしれないけど、修士課程を終わる頃には一気に展望が開けてくると思うから。そこから先は、社会に出ようが研究に生きようが、全て自分次第で好きな道が選べるよ。もちろん運が一番大事なのは言うまでもないけどね。
追記
違ったような角度から同じこと書いてる人がいる。
追々記
言及した人から抗議を受けたので一部記述を削除しました。