はてなキーワード: 持たざる者とは
飛来した当初から酷く衰弱しており、長くはないだろうと思われたが、医療班の懸命な処置により、どうにか意思疎通が可能になるまで生き延びてくれた。
彼の話してくれた内容と、持っていた文献から、彼ら種族が滅亡に至るまでの歴史が判明したので、ここに調査記録としてまとめる。
彼らの生態は、我々となんら変わるところがない。二足歩行で、炭水化物やたんぱく質を栄養源とし、頭脳も明晰。
彼らの惑星は、資源や環境に恵まれており、最初の頃、豊富な資源をみなで分け合い、慎ましく暮らしていた。
彼らは繁殖し、資源が少なくなってくると、農耕や牧畜を覚え、資源を生み出す術を編み出した。
彼らは、資源や土地、時には思想をめぐって争いを繰り返し、多くの血が流れたが、滅亡に至る程ではなかった。
長きに渡る戦いの中で、疲弊した彼らの中に、争いの無意味さを説くものが現れた。
争いが終結した惑星では、著しい文明の発展を経て、激しい貧富の格差が起こった。
そんな日々も、長く続いたわけではなかった。彼らには、慈愛の心が芽生え始めたのである。
少しずつではあったが、格差は縮まり、貧しい者達は救われ始めた。
この頃から、無意味な競争はなりを潜め、種族としての繁栄を目指すようになった。
文明、特に、医療文明は大きく発展した。長寿が当たり前となり、病気で死ぬものも殆ど居なくなった。
だがそれは同時に、緩やかな滅びの始まりでもあった。
人々は懸命に、資源を増やす方法を模索したが、惑星人口の増殖速度にまるで追いついていなかった。
貧富の格差が無くみなが幸せに暮らしていた世界は、貧富の格差が無くみなが平等に飢える世界へと変貌した。
綻び始めていた。
崩壊は一瞬だった。
みな、自分の愛するものを守るために、必死だった。
かくして、一つの種族が滅んだ。飛来した彼は、初め妻と一緒にUFOに乗っていたのだというが、船内にそれらしき者は居なかった。
彼らが滅んだ原因は、ひとえに、深過ぎる慈愛にあったように思う。
みなの生活をより良くしようと、みながより幸せに生きようとした結果、彼らは全てを失ってしまった。皮肉なものである。
だが、彼らはどうすれば良かったのか。
私は結論を出せない。
然り、然り
しかし持てる者はますます富み、持たざる者は更に失なうのも、また道理
なればこそ、求めよ、さらば与えられん
だが、右から左にさえ動かぬ金など、お前の金は死んでいるッ!
典型的な日本のメーカーに勤めてるが、家族構成を面接で聞いてそれで差別するなんて想像もできないけど。あなたがそういう目に遭ったことを疑うつもりはないが、そんな個人的な経験だけで国内メーカーと外資の違いを語られてもねー。断定を巧妙に避けてるのはわかるが、新卒採用の話題と混ぜていてそちらに印象を誘導しているのがあからさますぎて正直不愉快だ。
一番大切なことは企業が未経験者の採用過程において本人の実力以外の余計な属性で門前払いをしないこと。新卒だろうが既卒だろうが未経験者のエントリーはまとめて受け付けて、書類審査、筆記試験など一緒に行えばよい。
そんなことをすれば職歴も能力も乏しい、新卒を含めた若者こそが不利になるのは明白。そして学生は卒業時に少しでも箔をつけるために、ますます学業そっちのけでバイトやインターンに精を出すようになるだけのこと。
実際問題、ヨーロッパあたりで若年者失業率が高まって問題になってるの知らないの?
そしてヨーロッパ社会は日本なんて比べものにならないほど「右傾化」して「排外主義」の傾向が強まってるわけだが(スカーフ禁止とかロマ[ジプシー]追放とか極右政党伸張)、だいたい若年層の不満を増大させると社会が不安定化するのは歴史の法則通りだよ。在特会みたいなのをもっと増やしたいならどうぞとしか言いようがないね。
だいたい、また俺の会社の話をすると、既卒だからって別に門前払いされてない。既卒が新卒枠に応募したりとか、あるいは中途採用枠に応募したのを新卒採用ルートに乗せられたりとかでそのまま採用されたりとか、そんな同期は俺の知るだけでも普通に何人もいたけどね。
即金で買えるなら、持ち家がいいと思う。
そうでないなら賃貸だ。
家賃を払っても何も残らない、どうしても金をドブに捨ててるように感じてしまう。とにかく世の中何でも持つ者が勝ちで、持たざる者は負けだと思ってるんだけど俺間違ってるかな。
ローンで買ったら、ローンを払い終えるまで、自分の持ち物とは言えないからなあ。
すぐに減価するし。
http://katjusha.seesaa.net/article/157502532.html
まあこの議題はどちらも一長一短で決着付かないんだが、個人的には持ち家派。家賃を払っても何も残らない、どうしても金をドブに捨ててるように感じてしまう。とにかく世の中何でも持つ者が勝ちで、持たざる者は負けだと思ってるんだけど俺間違ってるかな。
あらゆる場面において、前進するためには「試行錯誤」が必要だ。つまり社会が成長し続けるためには、常に一定数の「試行錯誤人間」を確保する必要がある。ここで、どのような立場の人間が試行錯誤をすべきかについて、次の二つの見方ができると思う。
・地位や財産があって、失敗を許せる余裕のある立場の者こそが試行錯誤をすべきだ
・地位も財産も無い、守るべきもののない立場の者こそが試行錯誤をすべきだ
ところが、不況かつ国際競争が進む今の世界では、持つ者はその立場を守るのに、持たざるものは競争の中で生き残るのに必死で、両者とも試行錯誤をやりにくい環境になる一方だ。一体どちらが進んで試行錯誤をすべきなのか。
俺は、世の中は前者の考え方を採用すべきだと思う。つまり、地位や財産を持つ者が積極的に試行錯誤すべきだということだ。なぜなら、試行錯誤を生きるか死ぬかの弱者に課すより、死ぬことはない強者に課すほうが個々を尊重する現在の倫理観では現実的だからだ。
俺が言いたいのは、格差是正じゃない。格差なんてどうでもいい(俺はどちらかといえば持たざる者だ)から、とにかく、持つ者は自分の立場を守るばかりでなく、その余裕を活かしてもっと試行錯誤して欲しいということだ。
最近東京都の青少年健全育成条例に関連して主にネット上で議論が紛糾した。
表現規制問題とはなんなのか。
要するに規制推進派が「気持ち悪い」「気に入らない」と思ったものを潰そうとしているんだと思う。
ごちゃごちゃ後付の理由を付けてはいるが要するにこういうこと。(他にも表にでない理由があるのかもしれないが)
普通に考えればならそんなことは許されるわけがない。
だけど強者にならそれが可能になる。
規制推進派はアグネス・チャンをはじめ石原慎太郎、自民党公明党、PTAなどなど既得権益をガチガチに固めた勝ち組がゴロゴロしている。
里中満智子さん(規制反対派)がかろうじて政府の要職に付いていわゆる文化人的な扱いをされているけどそれ以外の漫画家などのオタク文化の代表者は基本的に色物。
(もし手塚治虫先生が生きていたら規制反対派に回ってくれたと思うけど)
さらに言えば規制反対派の大部分を占めるオタクは社会的には弱者だろう。少なくとも勝ち組は少ないのではないだろうか。
勝ち組なら2次元に逃避しなくてもいくらでも現実で実現できるしね。
勝ち組は負け組から現実を奪い、さらに逃避する先まで奪うつもりなのか。
今回はなぜか民主党が規制反対派に与してくれたが既得権益層に圧力をかけられた上でいつまでも弱者に味方をしてくれるだろうか。
では弱者はどうすればいいのか。とにかく行動あるのみ。団結して圧力をかける。これしかない。
負け組にも譲れない場所があるんだよ。
それそのものなんだとしたら「持たざる者乙www」とか言って余裕ぶっこいとけばいいじゃん。
何が気に障ったのか本気で気になる。
それそのものなんだとしたら「持たざる者乙www」とか言って余裕ぶっこいとけばいいじゃん。
使うか使わないかは本人の自由だし元の方にいる増田は
やり捨てるときにって前提だから、金と職業は有利でいんじゃね?
不利だと思ったら言わない=使い分けできるってのは やはり長所だし。
俺は俺の実力で・・・職業や金に頼りたくない。ってのは、持つものの発言で、持たざる者の発言じゃないし。
そういう、持つものの発言自体、金と職業は有利なことである。って事を証明しこそすれってやつだね。
まぁ、結局、その辺てさ、最後の最後は金や職業どうこうっていうより、金と職業には問題が無いっていう余裕が心のゆとりにつながって、それが一番のメリットだと思うよ。
金が無い、職業も良くない じゃさー。ちょっと凹むのはしょうがないよね。もちろん、それでもなんとでもなるとしてもだ。
ぼく、父親いないよ。母親は足を壊して車椅子生活で、ずーっと生活保護世帯でしたよ。
だから院進学できなかった子。成績が良かったから、大学まではなんとかなったけども。
学費はアルバイトと奨学金。一種二種併用だったから、大学卒業時の借金はレクサス1,5台くらいでしたよ。
偉そうなこと述べてるけども。五体満足な日本人で、その意味で同情に値する人間なんか一人もいないでしょ。
ぼくが今27歳。少なくとも、現在50歳くらいまでの日本人で本来の意味で「持たざる者」ってのは
せいぜい身体ハンディキャップを持った人くらいのもので、それ以外の持たざる者なんか
全部当人がワルい。その舐め腐った考え方が根底にあるからそういうねじけたロジックが出てくるんじゃないの。
そしてもう一つ。
あんた「カネ」に執着しすぎ。あなたは「研究職」の人間を「持たざる者」と定義するけど、
彼らそもそも弱者じゃない。競争の中に身を置かず、好きなことに専念することを「選んだ者」。
そして、それを選べるのははっきり言って「強者」なんですよ。どんだけ成績良くても努力しても、
家にカネがないと院進学は選べないの、就職も不利になるし、先が見えにくくなるし。
あなたの言う「弱者論」はぼくには通じないけど、「発言と立場は切り離せない」って考え方は一理ある。
でも、今回論じている対象はそもそも弱者じゃない。彼らは、強者だからこそそちらの道に甘んじられるってのを見落としてる。
はてな界隈では「はてサヨ」なる言葉があるぐらい、右翼とか左翼とかという単語はバズワードなので、
そもそもそれぞれどういう思想を指すのが適当なのかについて、整理してみた。
フランス革命政権において、非特権階級の利益を代表する勢力(=共和派・革新派)を左翼、それに対して旧体制における受益者の利益を代表する勢力(=保守派)を右翼と言ったことから(議会の座席の位置取りに由来)
持たざる者である左翼が、(平等志向の)分配を要求し、持てる者である右翼が非分配を主張するという構図が一般的。
左翼は(理想主義的な)平和志向が強く、右翼は好戦的とは限らないが、交戦権自体は主張する。
ただし、これに関しては例外は多い。
自民党のやってきたことは「右」路線なのは間違いない。(陳情によるボトムアップは正に「右」の手法)
しかし徐々にボトムアップの「ボトム」が経団連に代表される巨大企業になっていったことで、義理と人情の代表ではなくなった為、
小泉手法のような奇策に走らざるを得なくなり、そのあとは政権を失ってしまったのだと思う。
ここで重要なのは、陳情をしてくる相手が票をまとめられる存在であり続けたなら惨敗にはならなかったという事ではないかと思う。
企業トップの利益がその従業員、および取引先企業の利益と決定的にかけ離れてしまっているからこそ、自民党路線は民衆の支持を得られなくなってしまった。
また、一方で、企業の側も、(国内)政治による利益誘導がどうしてもと言うほど重要ではなくなっているからこそ、票をまとめられるような待遇と政治への要求をしなくなったのでは無いかとも思える。
もはや舞台は国内の議会政治がメインではなくなったのだと言う事で、もう議会の中での勢力争いそのものも時代遅れになっている。
民主党が「左翼政党」かと聞かれれば、微妙だと言わざるをえない。
なぜなら、左翼は最適社会の構築の為にこそ奔走するのであって、それに「友愛」が必要な筈はないからだ。
どちらかと言えば「人情」を謳う(日本的で穏健な)右翼の手法に近いが、「友愛」は外国に向けても謳われているところが違う。
推測するに、「全体」の範囲を「地球」に拡大した上での、経済的分配を伴わない「最適化」のツールとして言っているのではないか。
新種の左翼だとしても、多分200年は早い(かりに方向性があっていたとして)。
・ネトウヨが有名に。
・頻繁に誹謗中傷が飛び交う
・しかし余り極端な左翼論者が多いようには見えない
・ナチュラルに右翼な発言の人が散見される(そしてホッテントリ入り)
・個人ブログでの左翼な発言は目立ちにくい?(ホッテントリ入りはあまりしない)
なんだかすごい反応があってビックリ。匿名ダイアリーに書くのは2回目なんだけど、1回目のネタ系テキストは見向きもされなかったのに。よそでもブログを何百と書いてるのに超ひっそりだっつうの。いったいどうなってんだっつうの。でも初めて認められた気がしてうれしいです。読んでくれたヒトどうもありがとう。
でもちょっと待ってほしい。オレは病気になって、たまたま運良く治っただけ。1回マイナスになった点棒を、イーブンに持ち直しただけのことなんだよ。実は何もしてないのと同じだとは言えないかい?これはアレだな、手の付けられない不良が、実は捨て猫にミルクあげてたってアレだな。「あいつ・・・///」みたいな。みんな騙されちゃいけないぜ。闘病っつったって薬入れてウンウン唸ってただけ。オレWiiFitやるんだけど、あれの身体水平支持180秒。まじ死ねる。アレのほうがよっぽど「闘う」って感じがする。
本当にエラいのは、病気になったヤツを気にかけてくれる君らなんだって。そいつが元気になるように、お見舞いに行ったり、良い感じのメールをしたりするヤツのほうがよっぽどエラいんだって。医者は病気を治すのが仕事だし、患者もおんなじ。でも周囲のヤツは違う。そいつを元気にするために、無償で、進んで、望んで治療に協力してるんだよ。これってけっこうスゴいことだと思うんだぜ。オレなんかお見舞いに来て貰うのは大好きだけど、行く側って正直すごく苦手だもんよ。なんか辛くて。なんだか見舞う側と見舞われる側で、その辺の上下関係つうか力関係が実際のところは逆転しているような気がするな。なんでだろ?
でも調子に乗って言わせてもらえば、オレが病気になったってことは、病気になってないヒトよりアドバンテージがあるんかなって、以前書いたエントリーの反応を見て思ったね。中2的言い方をすれば、オレは「持つ者」。だから「持たざる者」である君達に、その経験を伝える使命があるのかなって。ナルシストは転んでもタダじゃ起きないぜ。
オレの好きなドラマ「木更津キャッツアイ」。病気になって、あのドラマはまさにオレのバイブルになったね。余命宣告されても前のめりに生きる主人公にまじシビレタね。酒も煙草も止めません。オレは病院の中で10年生きるより、外で普通に3年生きたい。
オレの嫌いなドラマ「セカチュウ」。ちょうど入院中に上映してたんだけど、同じ病室のヤツと言ってたよ、「あんな悲しそうなの観れっかっつーの」って。だから実は食わず嫌いなんだけどね。ああいう映画があるから癌にはマキシマムな悲壮感がカモし出されちゃうんだよなあ。そりゃオレだって観たら絶対泣くっつうの。
確かに愛する人と別れるのは辛いし悲しいと思うよ。だけどオレは敢えて言いたい。悲しむなんて行動は、相手が死んでからでも遅くないだろって。相手と過ごす時間が限られているのならば、悲しんでるヒマなんてないでしょ。そんなことより他にもっとやることがあるはずなんだと思うんだよ。
時間は待ってくれないんだぜ?
たまたま相談を受けたのだけれど、これがひどい。
非モテ「飯はどの店にしようかな」
私「イタリアンとかいいんじゃない? できればデザートも美味しいところで」
非モテ「そんなオサレデートを期待するようなスイーツ(笑)はこっちから願い下げだ!」
とか。
私「初デートくらいおごったほうが喜ばれるんじゃない?」
とか、終始そんな感じ。
女の子に好かれたいと言いながら、好かれるための助言を全て拒否してるんだから、そりゃ非モテにもなるよ。
ふんぞり返っているだけで貢ぎ物が集まるような権力者ならともかく、私たち一般人の持たざる者が、他人と良好な関係を築くためにどれだけのコストを負担しているのか、全然分かっていない。
接客をせず、そのくせ商品の値付けは高く、結果として客も来なくて閑散とした店の中で、「なんで客が来ないんだ!」と怒っているのが非モテだ。
「せめてもうちょっと安くすれば?」と指摘されると、「この値段に文句のある客は来るな」と怒る。客が来ない時点で経営方針が間違っていると気づきそうなものなのに。
無条件で好いてくれる都合のいい女の子が空から降ってくると信じてるのか? それとも、「やってないからできないのであってやればできるのだ」と言い訳をするため?
「胸を張れっ…!手痛く負けた時こそ…胸をっ…!」
「敗者は失うっ…!それをねじ曲げたら…なにがなにやらわからない…受け入れるべきだっ…!負けを受け入れることが…敗者の誇り…オレは…負けをぼかさないっ…!」
カイジに限らず福本作品全般で語られる「敗者の美学」「持たざる者の矜持」みたいな感覚が好き。
どこまで堕ちても失ってもプライドだけは売り渡さないような感じと言うか、そこで自分自身をごまかしてしまってラクになる事を自身で許さない、最低の矜持と言うか。
昨日から血眼でネガティヴなニュースばかり追い求めている人達、今あなた達はついこないだまで最も忌み嫌っていたタイプの人種に、あなた達自身がなりかけています。
そうなってしまったら結局は今までの構図の裏返しになるばかりで、何も良くなりません。気をつけて。
http://anond.hatelabo.jp/20090725202927
鬱の原因はもちろん人によっていろいろあるだろうけど、私の場合は「八方ふさがりの状況」だった。
進むことも戻ることもできず、右にも左にも行けない。そうなるともう、沈んでいくしかない。
具体的には、「東大京大慶應のどれかの大学院に受からないと学費も生活費も出さない」と親に言われた。大学4年の4月始め、帰省した時の話だった。
どうしても研究したいことがあり、大学院に進学したいということは以前から親に話していて、総論的には賛成してもらっていた。自分の大学の院に内部進学するつもりで準備していたので、親の発言は寝耳に水だった。
東大京大慶應(以下「東大等」とする)なんて受かるわけがない。それだけの頭があったら、学部の時点で受かっている。
親曰く、「だって東大等って、学部は難しいけど院に入るのは簡単なんでしょ?」「東大等以外の院に入っても、研究者になんてなれないんでしょ」「あなたは頭がいいんだから、そのくらい受かるはずでしょ」
全く話にならない。学歴ロンダリング勝者の謙遜を真に受けてどうする。それに私は研究者になりたいわけじゃない。自分が納得するためにあと2年だけ研究させてもらって、その後は普通に就職するつもりだって言っているじゃないか。しかし、全く言葉が通じない。
もう4年の春。今更就職活動を始めるのも遅すぎる。
それとも、バイトと奨学金で内部進学する? 無理だ。ロングスリーパーで身体も強くない自分が、年間200万円以上稼ぐのと研究が両立できるとは思えない。
もう、東大等の院に受かるか、無職になるか、の2択しか残されていなかった。受かるわけがない。無職だ。人生おしまいだ。
それでも一応、東大等の院試を受ける準備はした。今の担当教授に事情を話して紹介状を書いてもらい、ゼミに潜り込ませてもらったりもした。しかし、そうやって準備をすればするほど、自分には東大等の院試をパスする実力がないことが絶望的にまではっきり分かった。
気がつくと、朝起きられなくなっていた。大学にも行かなくなっていた。昼すぎに起きて、ネットやって、酒飲んで寝る、という生活になっていた。
前期の授業はほとんど落とした。大学から、このままだと卒業できないという通知が実家宛に送られてきて、やっと事態に気づいた親が慌てて上京してきた。ぶくぶく太って一日中部屋で寝ていた私を発見し、病院へかつぎ込まれた。
その後、薬の助けもあってなんとか卒業だけはして、今は故郷の小さい会社に勤めている。納得はしていない。まだ鬱は治ってはいない。
何が言いたいのかというと、少なくとも私の場合、現状維持を望んでいたわけじゃない、ってこと。
私は、大学院に行きたかった。
「じゃあ行けばいいじゃない」と言われて行けるだけのリソースがあれば、鬱になんてなっていない。行きたくても行けないから鬱になったのだ。
「じゃあ行けばいいじゃない」は一番言ってはならない台詞だ。これほど無神経で、持たざる者を見下した発言はない。障害者に対して、「じゃあ健康に生まれれば良かったじゃない」と言うようなものだ。
あなたの人生に興味ないしどうでもいい。
ただ、社会貢献もしないで、人と違う事をして
それを批判されたくないってのは虫の良すぎる話。
あなたが今まで生きてこれたのは、沢山の社会からの手助けがあっての事。
もちろん、その多くは親や兄弟・親戚・近所の人などだが、
あなたが考えて見てもないような人達があなたの生活を支えてる事に気付いてないの?
あなたが使ってる、ケータイ。
これ一個見ても、ケータイに電力を送るための資源確保、電力を届けるための電線、
電力を安定して届けるための整備、安全に使えるように作られた部品、
ケータイの電波を拾うための機器、ケータイがつながるためのネットワーク……
これらを、対価を払っているから、自分の勝ってにしてイイ!!とか
商売なのだから、それを供給されて当たり前だ!とか
思ってるなら、世の中を知らなすぎだし、甘えすぎ。
隣の中国や韓国を見ても分るとおり、金を貰おうが手を抜く奴らは普通に沢山いるし、
そもそも相手に対して信頼を置かないのはbusinessの鉄則だし、
ちょっとしたトラブルで商談は失敗に終わることなんていくらでもある。
そして、当たり前だが、たかが個人よりも力のある企業の方が自分の言い分を通せる。
多少不自由でも、生活が難なく出来、明日の命の心配をしなくてもいいのは、
“日本の社会が、社会構成員に対して寛容で、社会構成員が誠実な社会を作ってきたから”
に他ならない。
“ロボットのように、自立を捨てた人達じゃなくて、自ら考え社会を良くしてきたから”
では、あなたはその社会に貢献してる人達が、自分たちのを夢を全部叶えて、
自分たちの夢だけを優先して来たとでも言うのだろうか?
当たり前だが、そんな都合の良い話はなく
「皆が己の夢や希望を少なからず犠牲にしてでも、安全で便利で信頼できる社会」
にするために身を粉にして働いてきたからだろ?
あなたが、この社会に貢献しないで、自分勝手な夢を追いかけて社会に批判されたくない?
どれだけ我儘なんだ?それが許されるほど特別な存在だとでも?
ついでに、あなたが求める批判されないレールは昔からこの国にもある。
日本でなら、“勉強を頑張って、東大でも入って、官僚になる。”って話さ。
それを行える様に最低限の勉強だって社会が負担してくれてるのに、
それを行えてないのは、あなたが遊んでたから、あなたが凡夫だからだろ。
そうじゃなくても、日本ではまだ夢を追う事を許容されるだけ自由は与えられてるし、
それを実現させられるだけの余裕はもらえるだろ。
これだけ社会に多めに見てもらってるのに、まだ「批判はしないで!!」とでも言うつもりなのか?
リソース食って、インフラを使わせて貰って、自分は好き勝手にやらせて貰う以上
成果がでなきゃ、批判ぐらい甘んじて受け入れろ。
ここに書くことは当たり前のことだ。
しかし、とても受け入れがたいことだ。
死を受け入れるくらいに受け入れがたい場合があることだ。
だから書いておく。
受け入れるために、覚悟するために。
残念だがこれは破られない。明確な真実だ。
たくさん集まった人間を無視することはできない。
それゆえ、エリートと群衆に分かれてしまうのだ。
持つ者、持たざる者が無くなることはない。
これらの人々は全体から見れば確かにピラミッドの上層である。
部分ごとにピラミッドは細分化されて新たなピラミッドが現われる。
どの階層にいようと大部分は群衆にならざるを得ない。
ピラミッドの中で、人々はたくさんの課題をこなさなければならない。
そしてその細かい工程はそれぞれ誰かに分担されることになる。
群衆は仕事を選ぶことはできない、分配された仕事を引き受けるのみだ。
必ず誰かの役に立っているということだ。
分担された責任を負わなければいけない。
群衆であることから逃げてはいけない。
群衆の中に自己実現を見つけることこそが、必要なのだ。